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Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 2597
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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1881.  ラスト・アクション・ヒーロー ハリウッドの娯楽性の魅力に溢れた映画なので、エンターテイメント映画が好きな人は存分に楽しめる作品だと思う。映画ファンには嬉しい小ネタが散りばめられている。アクションスターはいろいろいるけど、この役にはアーノルド・シュワルツェネッガーがハマっている。6点(2003-10-02 22:14:31)

1882.  もっともあぶない刑事 確かに正しくは「もっともあぶない刑事」ですねえ。今作に出てくるラストの悪役はしぶと過ぎる~。そしてユウジとタカは不死身すぎ~。フィクションもいいところだけど、ダンディーだからオッケー。6点(2003-09-29 21:15:23)

1883.  夜逃げ屋本舗 Vシネ的な映画であるのでそれほど質が高いとは言えないけど、アイデアは強引ではあるけど独特で社会風刺も効いていて楽しめる内容ではある。6点(2003-09-29 13:23:02)

1884.  ユニバーサル・ソルジャー ローランド・エメリッヒ監督独特の大作におけるB級テイストが、ヴァン・ダム主演映画にありがちな一辺倒さを薄れさせ面白みを増していると思う。敵役にドルフ・ラングレンを配したのも良かった。6点(2003-09-29 12:02:23)

1885.  マスク(1994) 飛び出し、曲がりくねるマスクの表情は当然CGなんだけど、それすらも演技と感じさせるジム・キャリーの表現力はやはり見事だと思う。作品の内容的にも彼の出世作という名にふさわしい映画であった。[ビデオ(吹替)] 6点(2003-09-29 11:58:31)

1886.  ホット・ショット アメリカのコメディは日本人にはギャップがあってそれほど笑えないものも多いけど、この映画は大笑いできる。映画のパロディの連続だけに映画好きにはなおさら笑えると思う。[地上波(吹替)] 6点(2003-09-29 11:32:32)

1887.  ホーム・アローン2 見せ所の凸凹泥棒コンビ撃退場面の場所が自分ちから改装中の空き家になっている分、トラップが巧い具合にスケールアップされていて盛り上がる。[地上波(吹替)] 6点(2003-09-28 17:19:11)

1888.  レナードの朝 実話で結果的にとても切なくやるせない物語なので、映画として感動的ではあるけど手放しでは感動することはできない。何か心に重くのしかかってくる映画だった。6点(2003-09-28 02:24:41)

1889.  JAWS/ジョーズ2 オリジナルほどの衝撃はもちろんないがそれなりに丁寧に作られた映画だと思う。そうなるのはどうやっても止められないことかもしれないが、この後節操無く作られる数々の続編がなければもっと高い評価と好印象を残せたはずだ。6点(2003-09-27 20:07:22)

1890.  ダイ・ハード2 当然ながら「1」ほどのオリジナリティはないが、初作が残したキャラクターのオリジナリティが秀逸な分、かなり面白いアクション映画に仕上がっている。例によって血まみれでボロボロになったマクレーン刑事が逃げ去る悪党たちが乗るジャンボ機を爆破させるラストは爽快そのもの。6点(2003-09-27 19:02:51)

1891.  劇場版 からかい上手の高木さん 「からかい上手の高木さん」は、原作を長らく漫画アプリで無料で読んでいたのだけれど、四十路を超えた立派なおじさんである私は、次第に二人が織りなす甘酸っぱさと眩しさにたまらなくなってしまい、先日ついに単行本を購入し始めた。 動画配信サービスでも観られるTVアニメシリーズも気になってはいたのだけれど、アニメシリーズを観る習慣があまりないので、スルーしてしまっていた。 この劇場版で同作のアニメーションを初めて観て、瑞々しい二人の日常がアニメで観られる事自体は嬉しかったけれど、世界観の性質上、やはり長編作品には向いていないかもなという印象を覚えた。 原作自体がショートストーリーの連作なので、やっぱりアニメシリーズで展開される方が適していたのだろう。 授業中に教師の目を盗んでコソコソとするやり取り、放課後に一緒に帰る時間、休みの日に偶然出会った束の間、そんな短くて他愛もないささやかな“時間”を、丁寧に描き、連ねているからこそ、原作漫画は、何にも代え難い“価値”を創出しているのだと思う。 私自身の中学生時代に、彼らのようなキュートな記憶は無いはずだけれど、それでも遥か遠くに過ぎ去った大切な時間に思いをめぐらし、高木さんの“からかい”に対して西片目線でドギマギするのも悪くない。[インターネット(邦画)] 5点(2024-04-28 23:39:41)《改行有》

1892.  インクレディブル・ファミリー 先日、20年ぶりに「Mr.インクレディブル」を鑑賞したので、スルーしていたこの続編もようやく鑑賞。2004年に公開された一作目は大ヒットだったはずだが、なぜ続編の製作が14年(2018年公開)もかかってしまったのだろう。 かなり間をおいた続編にもかかわらず、作中の時間軸上では前作のラストシーンとほぼ地続きでストーリーが展開するので、より一層作品世界外の時間の経過に違和感を覚えた。 そしてその違和感は、この続編が描こうとするテーマにも、少なからず影響を及ぼしていたように感じた。 本作では、“ファミリー”の中の母親であるイラスティガールの活躍がストーリーの中軸として描き出される。 男性中心の社会の中で、女性のスーパーヒーローの立ち位置を際立たせ、その葛藤を描くストーリーテリングは、“MeToo運動”も活性化していた2018年当時のアメリカ社会において、取り扱いが必然とも言えるテーマ性だったのだろうとは思う。 インクレディブルファミリーのキャラクター造形の中で、家族の根幹を支える存在であるイラスティガールが中心に活躍すること自体には、何も違和感は無い。 ただそれをポリコレを意識した女性活躍問題や性差別問題と唐突に関連付けたストーリー展開は、強引で、あまり真っ当ではないと感じてしまった。 そしてその一番のしわ寄せは、主人公であるMr.インクレディブルに押し付けられていた。 スーパーヒーローとして第一線で活躍する妻の一方で、子育てや家事に奔走するMr.インクレディブルの姿はユニークだったけれど、それと同時にあからさまに妻の活躍を妬み、不遜で時代錯誤なキャラ設定を半ば強引に被せられいたように感じた。そして、最終的にそれほど大きな活躍や挽回もさせてもらえず、不遇なポジションを強いられていたと思う。 作品世界の中でもそれ相応の年月が経過した上で、精神的にも、肉体的にも、時代的にも、“変化”を余儀なくされたキャラクターたちが、新たな価値観や葛藤を越えて活躍するのであれば納得できただろう。 が、前作直後から始まるストーリーでこのような展開を見せられても前述の通り違和感は禁じ得ないし、ポリコレを安直に意識したストーリー性も的外れであり、その不誠実さはそれこそ時代錯誤に思えた。 ヴィランにおけるキャラクター設定も、前作の二番煎じであることは否めない。 3人の子どもたちを含めスーパーヒーローファミリーのキャラクター性自体は、前作から通じて娯楽性に満ち溢れているので、彼ら自身の人生に対して真摯なストーリーテリングで、新たな続編を観たいと思う。[インターネット(吹替)] 5点(2024-02-12 17:21:55)《改行有》

1893.  アクアマン/失われた王国 前作「アクアマン」は、アメコミヒーロー映画史上においても屈指の傑作であり、最高の娯楽映画だった。MCU隆盛の最中にあって、DCEU(DCエクステンデット・ユニバース)の“反撃”として、「ワンダーウーマン」に続く強烈な一撃だった。 が、残念ながらDCEUは結果的には方向性が定まらず、実質的には本作が同ユニバースとしては最終作となってしまうようだ。 確かに、MCUもとい“アベンジャーズ”の強固な結束力と比較すると、“ジャスティス・リーグ”の面々をはじめとするDCEUのヒーローたちは、個性的過ぎてまとまりに欠けていたことは否めない。ただ、超個性派集団であったことが、時に独創的で娯楽性が溢れ出る作品を生み出していたことも事実であり、彼らの活躍がもう観られないのは、やはり悲しい。 そして、当の本作も、DCEUという沈みゆく船の最終作からなのか、一作目と比べると様々な要素でレベルが低下してしまっていることは否定できなかった。 個人的に最も期待外れだったのは、海中シーンが前作よりも大幅に減っているように感じたこと。前作において白眉だったのは、やはり何と言ってもイマジネーション溢れる海底世界のビジュアルと、そこで繰り広げられる文字通り縦横無尽のアクションシーンだった。ジェームズ・ワン監督が描き出した豪胆かつ繊細な海中アクションは、IMAX3Dとの相性も極めて高く、極上の映画鑑賞体験をもたらせてくれた。 なのに本作では、その肝心の海中シーンが少なく、主要なアクションシーンの殆どが“陸上”で繰り広げられる。前作ではヴィランだった弟オームとのバディシーンを描くに当たっても、同じ海底人同士として海中アクションの妙をもっと追求すべきだったろうと思うし、“血”を受け継いだ赤ん坊の息子にも海中で何かしらの力を発揮させる様を見せるべきだったろう(クジラの大群を呼び寄せるのは息子でも良かったのでは?) 勿論、ストーリー的にも、完全に「マイティー・ソー」の二番煎じだとか、「ブラック・パンサー」の流用と感じる展開は随所に見受けられるし、「失われた王国」というサブタイトルや設定自体が、数多のヒーロー映画やファンタジー映画で使い古された要素だとは思う。 でもそれらは、相互に“真似”をしあいながらヒーローキャラクターや世界観の創造を競ってきたDCコミックとマーベルコミックの歴史を振り返れば、ある意味必然的なことだとも思うし、ストーリーがありきたりであっても面白いヒーロー映画は沢山ある。ことヒーロー映画においては、「王道」と「ベタ」は紙一重だろう。 本作においても、ジェイソン・モモア演じるアクアマンのキャラクター性や魅力は健在だったと思う。パトリック・ウィルソン演じる弟オームとの絡みも、まんま“ソーとロキ”ではあったけれど楽しかったので良いと思う。 結局は、前作と比較してケレン味のあるアクションシーンを再構築しきれなかったことが致命的な敗因だった。実情はよくわからないけれど、製作費不足、リソース不足は明らかだろう。 兎にも角にも、これでDCEUは終焉し、ジェームズ・ガン主導による新たなユニバースへとリブートされる。その中に、ジェイソン・モモアのアクアマンや、ガル・ガドットのワンダーウーマンが、再登場しないのはあまりにも残念すぎる。どうにかジェームズ・ガンによる「救済」を期待したい。[映画館(字幕)] 5点(2024-01-17 20:51:05)《改行有》

1894.  フォーカス(2015) マーゴット・ロビーが好きだ。 いまやハリウッドのトップ・オブ・トップの女優に上り詰めたと言っても決して過言ではないこの俳優の魅力は、リアルな“叩き上げ感”とそこから溢れ出る強かな人間性そのものだろう。 1990年生まれ、「ウルフ・オブ・ウォールストリート」で、主演のディカプリオの妻役としてマーティン・スコセッシに抜擢されたのが22〜23歳頃だろうから、若くして成功した俳優の一人であることは間違いないが、オーストラリアから裸一貫でのし上がった苦労人でもある彼女には、俳優・映画人としての天賦の才と、生きる上での聡明さが備わっている。 そんな人間的な厚みが備わっているからこそ、マーゴット・ロビーという女優は、セックスシンボルにもなれるし、馬鹿にもなれるし、イカレ女にも、痛い女にも、ミューズにも、ヒーローにもなれる。 本作「フォーカス」で彼女が演じている詐欺師のジェスも、まさにその適性に合ったキャラクターであり、ベストなキャスティングだったとは思う。色仕掛けとスリを得意とし、詐欺師としての才能を開花させていくヒロイン像は、ハマり役と言えよう。 そのヒロインを圧倒的な詐欺師の技量で魅了していくのが、主演であるウィル・スミス演じるニッキー。 常に相手を騙し続ける凄腕詐欺師のキャラクター造形は主人公らしく、ウィル・スミスの多才さとも相まって悪くはなかった。 が、しかし、その完璧だった詐欺師像が、魅力的なヒロインの出現によって乱れ、崩れていく。 まさにその天才詐欺師に生じた不協和音こそが、本作のストーリーにおけるミソなわけだが、最終的にはその綻びが綻んだまま、少々グダグダな展開のまま終着してしまった印象を受けた。 ヒロインに対して恋愛感情を抱いてしまった主人公が、詐欺師道を貫くために、彼女から離れる展開までは良かったが、その後再開してクライマックスとなる大仕事に挑むくだりが、中途半端で盛り上がりに欠けた。 詐欺師映画である以上、映し出されるすべてのシーンに何かしらの意味があって然るべきで、“騙す相手”は、大富豪のボスなどではなく、スクリーンの外側の観客であるべきだと思う。 無論、本作においても、最終的にアッと驚く仕掛けを用意しているつもりであろうが、結局のところ主人公がヒロインに対してただただメロメロになっているようにしか見えず(実際彼女の本質を見抜けていなかったわけだし)、カタルシスを得るまでには至らなかった。 まあ、そういうグダグダな雰囲気は、往年のヨーロッパの娯楽映画を観ているようでもあり、おしゃれでキッチュな落とし所は嫌いではないけれど、主演のウィル・スミスが、作中のキャラクター的にも、俳優としての支配力的にも、マーゴット・ロビーに喰われているなという印象は拭えない。 それならば、マーゴット・ロビー演じるジェス側に、すべてを覆す思惑や計画を持たせて、名実ともに主人公と観客を“支配”してほしかったところだ。[インターネット(字幕)] 5点(2023-10-29 23:16:07)《改行有》

1895.  FALL/フォール 「高所」という原始的恐怖心にひたすらにフォーカスして、極めてスリリングなスリラーアクションとして仕上げたこのジャンル映画の“立ち位置”は正しい。もし劇場で本作を観られたならば、その恐怖心は最大限に増幅されていたことだろう。 まず舞台となる600メートル超の鉄塔(テレビ塔)の存在感が良い。 荒野の真ん中でひょろりと伸びるその風貌は、あまりにも現実離れしていて、いい意味で馬鹿馬鹿しくもあり、それでいて恐怖の象徴として明確な説得力も孕んでいた。 その常軌を逸した鉄塔のビジュアルと、そこで繰り広げられるサバイバルを、低予算ながらもとても卓越した画作りと編集で映し出したクリエイティブは素晴らしかったと思う。 テンポよく、潔く、メイン舞台に主人公たちを運び、高所でのサバイバルを描き出した展開自体は的確だったと思う。 冒頭部分での細かい描写が、しっかりと後半での伏線として張り巡らされ、下手をすればアイデア一発で内容の乏しい展開になってしまいそうな題材を、終始緊張感を持続させたスリラーへと昇華させていたことは間違いない。 「恐怖映画」として、狙い通りの恐怖を具現化し、限られた予算で一定レベル以上の娯楽を生み出している本作は、褒められて然るべきだろう。 ただ、個人的には冒頭部分からどうしても主人公たちの心情に共感できない要素があり、それが結局最後まで雑音となってしまい、“手放し”で高評価というわけにはいかなかった。 それは、登場自分たちの危機管理の薄さというか、危険回避能力のある種病的な欠如に他ならない。 オープニングの断崖絶壁でのフリークライミングシーンからそう。主人公はそこで夫を亡くしてしまい、それがこのドラマの起因となるわけだが、あのような危険行為にまったくもって魅力も共感も感じることができない者としては、そりゃあそんなことしてたらいつか死ぬだろうよと、鼻白むことしかできなかった。 そのくせ、いざその危険行為によって人を亡くしたら、1年以上も他者を遮断し自暴自棄に落ち込むとうい主人公のあまりにも覚悟の無い心情にも違和感を覚えた。 詰まる所、主人公たちの身体や、精神構造に、あのように危険極まりないクライミングを繰り広げる人物像としての説得力があまりにも欠如していたように思える。 あれほどまで危険なクライミング行為を自らするのであれば、身体的にはもっと鍛え上げれていて然るべきだろうし、自他を含めた人間の「死」そのものに対してももっと達観した思考があるべきだったろうと思う。 1年以上も酒に溺れていたくせに、何の準備もなく親友の誘いに乗って地上600メートルの鉄塔に挑むという言動は、完全に主人公の「自殺願望」の表れだろうと思ったし、そんな無謀な誘いをする親友も何かしらの「思惑」があるに違いないと、訝しくストーリーを追ってしまった。それくらい、彼らの言動には常軌を逸した違和感と不自然さを感じた。 例えば、デヴィッド・フィンチャー監督の「ゲーム」のようなどんでん返し的な“オチ”を、どこかで期待していたのかもしれない。 しかし、親友はある秘密を抱えてはいたが、主人公にとってはかけがえのない普通にいいヤツ。最後には疎遠だった父との絆を取り戻し、地上に生還するという展開は、安直という印象を通り越して、「何だコイツら」と、やはり最後まで理解と共感が及ばなかった。 シンプルではあるが非常にクオリティの高い「恐怖」を創造できていただけに、取ってつけたようなドラマ性や、違和感たっぷりの人間描写が、必要以上に大きな不協和音として鳴り響いてしまった。[インターネット(字幕)] 5点(2023-10-29 00:07:46)《改行有》

1896.  スパイダーヘッド イントロダクションと映画世界への導入はとても良かった。 孤島に建設されている近代美術館のような刑務所施設の出で立ち、無機質な室内空間、そしてクリス・ヘムズワースの渇いた笑顔。 敢えて、意識的にポップに仕立てられたオープニングクレジットは、逆説的にこの映画世界の不穏さを雄弁に物語っており、興味をそそられた。 「とても面白そうな映画」 それは、Netflixオリジナル映画の一つの特徴となりつつある。 もちろん、映画の予告編やあらすじを見せて、「面白そう!」と感じさせることは極めて大切なことだ。 特に、映画に限らず、これだけありとあらゆる娯楽コンテンツが溢れ返っている現代社会においては、何を置いても、「再生ボタンをクリックさせる」というユーザーアクションの創出以上に重要なことなどないのかもしれない。 “面白そう”なオリジナル作品が常にラインナップされる以上、映画ファンの一人として、“そこ”から離れることはなかなか難しい。 が、結果的には、面白そうな映画で、実際面白い部分もあったけれど、ガツンと心に残り続ける作品に仕上がっていることが少ない。というのが、Netflixオリジナル映画の実態だ。 本作も、前述の通り、非常に興味をそそる映画世界を構築していたのだけれど、最終的な印象としては、極めて薄っぺらく感じた。 結局は、ストーリーが“ありきたり”の範疇を出ておらず、話が進むにつれて尻つぼみになっていった。 この手のストーリー展開にリアリティなんて求めても仕方ないことだし、近未来を舞台にしたディストピア設定なのだから、もっと振り切った展開を見せるべきだったろうと思う。 “ソー”からの「脳筋」イメージ脱却を図るクリス・ヘムズワースは、大いに屈折した製薬会社の人間を怪演していたと思うし、今年は「トップガン マーヴェリック」の記憶がまだまだ鮮烈なマイルズ・テラーも印象的な雰囲気を醸し出していたとは思う。 ただ、それぞれのキャラクター性も今ひとつ踏み込みきれぬままストーリーが収束していくので、何とも中途半端な人間描写に留まってしまっている。 それこそ、本作の監督は「トップガン マーヴェリック」のジョセフ・コシンスキーなわけで。 同じ監督、同じキャストであっても、何か要素が異なれば、映画的なエネルギーはここまで差が出てしまうということ。 詰まるところ、それが「トップガン」でトム・クルーズがエゴイスティックに拘り抜いたことであり、Netflixに限らず配信作品に何か物足りなさを感じてしまう要因なのではないかと思える。[インターネット(字幕)] 5点(2022-09-17 22:15:05)《改行有》

1897.  モービウス 《ネタバレ》 夏時期になると自宅の周りにコウモリが多くて困っている。 以前などは、いつの間にか室内に入り込んでいて、恐怖におののいた。 本作で、主人公モービウスがコウモリの化け物に変態してしまって、天井の片隅に張り付いている様は、その時のおぞましさを思い出すとともに、禍々しくて良かったと思う。 作品全体を総じて、ハイセンスなビジュアルは流麗で独創的だったと思えた。 怪物化したモービウスが煙のような形態で、縦横無尽に飛び回り襲いかかる描写も、美しさと禍々しさを併せ持った印象的なビジュアル表現だった。 主演のジャレッド・レトは、“変態前後”で見事な肉体改造を見せ、新たなダークヒーローを熱演している。 主人公の親友でありヴィランとなる“マイロ”を演じたマット・スミスも、独特な風貌と佇まいで好演していたと思う。ヒロイン役のアドリア・アルホナも良かった。 映像表現も、キャストのパフォーマンスも優れていたのだが、いかんせん話運びが稚拙で上手くない。 ストーリー展開が破綻しているということはないし、主人公やその親友の悲痛な人生や、ヒロインとの関係性など、エンターテイメント映画として高揚感や感動を生む要素は確実に孕んでいたと思える。 適切なストーリーテリングで深めるポイントを間違わなければ、もっとストレートに胸に響く味わい深い作品になっていたのではないかと思う。 MCU作品「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」でのマルチバース展開を経て、ソニー・ピクチャーズに舞台を移した新たなユニバース展開を広げていくためのポストクレジットシーンも、少々物足りない。 マイケル・キートン演じるトゥームスの登場自体は良いが、それだけではやはり弱いし、本作における主人公の帰着に対して違和感は拭えなかったなと。 残念ながら満足感の高い作品では無いが、続編と計画されているユニバースの展開には期待したい。 本作のモービウスのケムリ移動に、スパイダーマンやヴェノムのアクションが入り混じった光景は、想像するだけでもアメージングだ。 何よりも、ジャレッド・レトには、アメコミ映画におけるせっかくの熱演・好演が報われなかった過去(無きものにされた元祖“スーサイド”)があるので、今回は何とか報われてほしい。[インターネット(字幕)] 5点(2022-08-28 00:05:40)《改行有》

1898.  ソー:ラブ&サンダー 《ネタバレ》 思わず声を出して笑ってしまったシーンはあったし、楽しくない映画だったとは言わないけれど、期待していた映画的価値の創出できていないなというのが、正直な印象。 タイカ・ワイティティ監督らしいエキセントリックな表現やキャラクターたちの言動はユニークだけれど、ストーリーの根幹に存在すべきテーマがひどく散漫で、愛すべき“おふざけ”がただの“緩み”のまま終始してしまっており、中身の乏しい映画に仕上がってしまっている。 これがタイカ・ワイティティ監督の初めてのビッグタイトルということであれば、また面白い監督が出てきたなと好意的に見れたかもしれないが、既に前作「マイティ・ソー/バトルロイヤル」で一躍頭角を表し、「ジョジョ・ラビット」で映画監督としての地位を固めた実績を踏まえると、本作の仕上がりについては“お粗末”と言わざるを得ない。 MCUがフェーズ4に入り、その世界観が際限なく広がってしまったことが、本作の立ち位置を見失わせてしまった最たる要因だと思う。 フェーズ3までは、サノスとの決戦を終着点として、あくまでも“地球”ベースで各映画作品が連なっており、その中では、“神々の騒動”を描いた「マイティ・ソー」シリーズはある種「異質」であり、その毛色の違いが魅力だったと思える。 だが、フェーズ4に突入し、「エターナルズ」「シャン・チー」等の神話的世界観が乱立するようになり、更には「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」や「ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス」で“多元宇宙”の領域までMCU全体の世界観が無際限に広がってしまった今となっては、我らが“ソー”を軸にした神々の世界の独創性もすっかり薄れてしまっている。 そんな中で、改めて“神同士”の諍いや、“神殺し”との対決を繰り広げられても、今更感が拭えず、新たな高揚感を見出すことができなかった。 ナタリー・ポートマンのシリーズ復帰、クリスチャン・ベールの存在感は、本作において大きな要素であり、それぞれ一流俳優としての魅力を遺憾なく見せてくれていたと思う。 クリスチャン・ベール演じるヴィラン“ゴア”は溢れ出る禍々しさと悲痛を見事に体現していたと思うし、ナタリー・ポートマンは、それこそベール顔負けの肉体改造で強く美しい新マイティ・ソーと非情な運命を受け入れるジェーン・フォスターを演じきり、ヒーローとヒロインを同時に演じ分けていた。 しかし、両者とも、中身の無いストーリー展開の中で上手く噛み合っていたとは言えず、とても勿体ない印象を受けた。(御大ラッセル・クロウもほぼギャグ要員で残念) これほど影響が出るとは思っていなかったけれど、観終わった今となっては、やはり「ロキの不在」が、本シリーズにおいてはあまりにも大きなマイナス要素となることを証明してしまっている。 期待していた“ガーディアンズ”との絡みも冒頭のみで取って付けたような感じだったし、他の並行するMCU作品との絡みも皆無だったことも、本作を浮かせてしまっている要因だろう。 単独作としてはシリーズ4作目であり、MCUの中でも最多となっている本シリーズだが、更に続編に挑むのであれば、「バトルロイヤル」の時のようなテコ入れが必須だろうと思う。 劇中劇で再登場する“ビッグスター”たちには大いに笑わせてもらった。 あの舞台役者たちは、アスガルド崩壊やサノス襲撃からも生き残っていたんだな、と思うと妙に感慨深いものがある。[映画館(字幕)] 5点(2022-07-09 22:06:18)《改行有》

1899.  ナイル殺人事件(2020) 《ネタバレ》 梅雨の日曜日。特に天気が悪いわけではなかったが、前夜の深酒がたたり午後になっても二日酔いが辛かったので、部屋に引きこもって映画を観ることにした。 随分前から動画配信サービスのマイリストに入りっぱなしになっていたケネス・ブラナー版の「オリエント急行殺人事件」を鑑賞し、立て続けにその続編である本作「ナイル殺人事件」を鑑賞。 異国情緒溢れる豪華絢爛な映画世界をトータル4時間分堪能して、取り敢えず満腹感は大きい。 「オリエント急行殺人事件」と同様に、本作の原作「ナイルに死す」も過去幾度も映像化された作品。ピーター・ユスティノフがポワロを演じた1978年の映画作品も鑑賞済みだった。ストーリーテリングの細かい部分の記憶が薄れていたので、ミステリが展開していく流れについては新鮮に楽しめた。 がしかし、最終的に残った感想としては、1978年版を鑑賞した時と同じ不満を覚えた。 それは、「さすがに3人は殺されすぎじゃないか?名探偵さんよ」ということ。 無論のことながら、そもそも殺人事件が起きなければ「名探偵」というキャラクターは成立しないわけで、それはシャーロック・ホームズから江戸川コナンに至るまで古今東西の名探偵キャラの宿命であり苦悩であろう。 ただこのナイル川における連続殺人については、ポワロの失態と言わざるを得ない。 “オリエンタル急行”の場合は、殺人が計画されていた車両にあくまでも「偶然」乗り合わせた状態だったろうが、今回の場合は全く異なる。 身の危険を感じていた被害者本人から依頼され、「危険人物」とされる人間の存在も確認していながら、まんまと依頼人は殺され、第2、第3と惨劇は続き、最終的にはそれ以上の死人を生む悲劇へ終着してしまう。 しかも、大富豪御用達の豪華客船とはいえ、それほど巨大とは言えない船内での事件なので、ご自慢の“灰色の脳細胞”をフル回転させれば、惨劇を最小限に食い止める方法はいくらでもあっただろうと思ってしまう。 更に今回のリメイクでは、原作からの改変により、第3の被害者がポアロ自身の友人に変更されている。 目の前で殺人が行われた上に、大切な友人まで失う始末。嗚呼、なんと不憫な名探偵だろうか。 ケネス・ブラナー監督自身が、エルキュール・ポアロを演じるという大車輪の活躍を見せるこの新シリーズは、過去の作品よりもより一層ポアロという人間そのものの内面を抉り出そうとしている。 また人種問題をより浮き彫りにさせたり、ジェンダー問題を想起させるキャラ設定の追加をしたりと、決して小さくない改変に挑んでいる。 現代においてリメイクするにあたって、その意欲的な試み自体は評価したいところだけれど、それが作品世界の中で効果的に作用しているとは言い難い。 改変箇所が単なる「違和感」と感じてしまう部分は少なくない。 当初は計画していたエジプトロケが叶わず、シーンの大半をCG合成に頼らざるを得なかったことなど、作品全体から垣間見える「歪さ」は、製作における苦労は多分に物語っている。 そんな中でも、この原作に相応しい絢爛豪華な「雰囲気」だけはきっちりと保って、娯楽性を保っていることは、ケネス・ブラナーの堅実な尽力によるものだろう。 次作のプロジェクトもまだ残っているようなので、“髭”を蓄え直してどうか頑張ってほしい。[インターネット(字幕)] 5点(2022-06-26 23:22:43)《改行有》

1900.  シン・ウルトラマン まず個人的な立ち位置から言うと、僕自身はいわゆる「ウルトラマン世代」ではなくて、再放送やソフトも含めてちゃんと「ウルトラマン」を観た記憶は殆どない。 特撮映画は大好きであり、ゴジラシリーズを始めとする東宝特撮映画は殆ど鑑賞してきたし、樋口真嗣が特撮監督を勤め上げた平成ガメラシリーズ(特に「G2」)も“崇拝レベル”で何度も観ている。 そんな趣向の者が、「ウルトラマン」に触れてこなかったというのは、自分自身不思議に思う。 本作「シン・ウルトラマン」の公開に先立ち、ベースとなる「ウルトラQ」や初代「ウルトラマン」のTVシリーズで“勉強”しておこうかとも思ったが、門外漢であるならば門外漢なりの楽しみ方もあるだろうと思い、予習なしで“ウルトラマンデビュー”してみることにした。 鑑賞後率直に思った感想は、良い意味でも悪い意味でも“ぶっ飛んだ”映画だったな、ということ。 それは「空想特撮映画」とこれ見よがしに掲げるこの作品の性質に相応しい、とは思った。 ただ、それと同時に、「これは映画として成功しているのか?」と、疑問とモヤモヤも存在していることに気づいた。 鑑賞から一夜明けて一個人として定まった結論は、「失敗作」だった。 決して駄作だとは言わないし、興味深い要素やユニークな表現も溢れた作品だったとは思うけれど、この映画がたどり着くべき姿はコレではなかったんじゃないかと思う。 前述の通り僕自身はウルトラマン世代ではなく、オリジナルシリーズもまともに観ていないので正確なことは言えないけれど、おそらくは「ウルトラマン愛」が各シーン、各描写、各台詞に散りばめられた作品なのだろう。 YouTubeの解説動画で聞きかじった限りでは、ストーリー展開においても、オリジナルシリーズの人気エピソードを軸にして構成されており、それらを未鑑賞の者としても、随所にオマージュやリスペクトが溢れているのであろうことは感じられた。 だが、それ以上の驚きやそれに伴うエモーショナルが感じられなかったというのが正直なところ。 この映画に携わった一流クリエイターたちにとっての“バイブル”とも言える「ウルトラマン」に対する尊敬と憧れ、あまりにも大きな「愛」が溢れ出る一方で、今この時代に「再誕」させるに当たってのテーマ性や価値を追求しきれていないように感じてしまった。 雑な言い方をしてしまえば、それはやはりやや一方的過ぎる「懐古主義」であり、僕のような門外漢や、今この時代の子どもたちにとっては“楽しみづらいモノ”になってしまっていると思える。 また、冒頭のタイトルクレジットでも表現されている通り、本作は「シン・ゴジラ」の同じ世界線ではないものの、一つの並行世界が舞台になっていると思われ、登場するキャラクターや日本政府、社会環境など類似する要素が多い。 それ故にどうしても比較をしてしまうが、本作は圧倒的に予算不足が露呈している。 それは、脇役・端役を含めた出演者数や場面数の少なさからも明らかだが、一番問題なのは、そのことが“映画づくり”そのもののクオリティ低下に繋がってしまっていることだろう。 ドラマシーンのカメラワークが一辺倒だったり、意図的にiPhoneで撮影されたカットが単にチープな映像に見えてしまっているなど、予算の少なさが「丁寧さ」の低減に影響してしまっていることは致命的だ。 予算がないならそれなりに映像作品としてのあり方自体を見直すべきだったのではないかと思う。 過去作のエピソードを連ねて一つの映画としてやや強引にストーリー展開をするくらいなら、オリジナルと同様にドラマシリーズでも良かったのではないか。 それこそ、NetflixやAmazon Prime等で、全6話くらいの構成の配信作品にした方が、潤沢な制作費も得られやすく、より尖った作品に仕上がっていたのではないかと、映画ファンとしては邪な思いも生まれてしまう。 一説によると、「監督」として現場を取り仕切った樋口真嗣と、「総監修」として作品全体の指揮権を持った庵野秀明との間で、「責任」のバランスが取れていなかったのではないかとも聞く。 両者ともバイブル「ウルトラマン」に対する「愛」は強く揺るがないものだったはずだ。それ故に、その表現方法において乖離も生じてしまったのだろう。 「愛」を語るに当たって、やっぱり人任せにしてはいけないし、少しでも思いが離れてしまったその表現は、ちゃんと伝わることはないなと思う。 少なくとも、僕にとっては、ウルトラマンの一連の活躍や、身を挺して孤軍奮闘する長澤まさみよりも、「赤坂さん(仮名)」の登場が最たる激アツポイントだった時点で、「シン・ゴジラ」に遠く及ばない作品であったことは間違いない。[映画館(邦画)] 5点(2022-05-15 00:31:03)《改行有》

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