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プロフィール
コメント数 67
性別 男性
年齢 38歳
自己紹介 最近、映画の評価基準はこんな感じです。

 ①ストーリー、演出、設定の妙、自分に影響を与えたかを考慮する。

 ②それらを含めた上で「映画を通してでしか表現できない作品である」といえるかどうか。

 という感じで見ています。

 スタッフロールが終わり、スクリーンに拍手を送りたくなるような映画に出会えることを願っています。

◆最近グッと来た映画◆

 
 『ショーガール』
 『colorful』(原恵一)
 『ヒーローショー』
 『ゴッドファーザー』

 ポール・ヴァーホーベンが最近好きなんだと気がつき始めました。あとは山田洋次と井筒和幸がご存命の監督の中では好きです。
 

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【製作年 : 2010年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
評価順1
投稿日付順1
変更日付順1

1.  おおかみこどもの雨と雪 《ネタバレ》 ◆映画の中で描かれない部分を自分で勝手に補完しだしたら、それはハマっている証拠だと映画批評で有名なラッパーがおっしゃっていましたが、もう映画の冒頭からどんどん補完しちゃいました。◆まず、あの旦那さんの性格。「団地って言ってもいろんな家があるんだ。子どもがいっぱいだったり、ひとりぐらしのおじいちゃんの家だったり・・・(うろ覚え)。」と花に説明する。(この人は、楽しみを見つけて感動できる人なんだろう。それぞれ訪れた一軒一軒に深い愛着をもって仕事をしているんだろう。そして感受性がとても豊かで優しい人なんだろう。いい人だな。)とか思ってしまい、この二人が出会えた幸せに涙してしまいました。その後はカール爺さんばりの幸せの回想シーン。多幸感に包まれて涙が止まりません。◆続いて、雪が転校生を傷つけたところ。相手の親からの詰問に、花は声を荒げるわけでもなく、雪に謝罪を促す。その後、駐車場にとめた車内で雪が心情を吐露するシーンになるが、あれは駐車場に車を止めてからこのシーンが始まるまでに、相当長い間沈黙があったと思う。その間、「どうしてあんなことしたの!」とか花は多分言っていない。花は雪の心に寄り添って黙っていた。だから、さっきまで黙っていた雪は心情を吐露したのだと思う。◆このことに関連するが、この映画で秀逸なのは花が子どもをほとんど叱らないところだと思う。おそらく、叱ったのは、前述した謝罪を促すシーンと、森に行こうとする雨を引き止めるときだけである。これは凄い。本当に凄いことだと思う。「これからどう生きていきたい?」と雨と雪に尋ねる花のスタンスは、彼らの意思を尊重してほとんど叱らない所に一貫してある。◆あとはもう人のつながりが生まれる過程を、じっくりと優しい視点で描かれたらもう泣くしかないです。心の隙間をあそこまで埋められたらぐうの音も出ないです。すばらしい。◆ひとつ気になったのが、花があれほど農作業したのにほとんど日焼けしていない所と、農作業するのにあの格好なのかーという点ですが、まあ些細なことです。至極の子育て映画!最高です![映画館(邦画)] 10点(2012-07-30 23:45:48)(良:2票)

2.  恋の罪 《ネタバレ》 ◆園子温の映画には人間の成長、すなわちアイデンティティの確立に焦点を当てている映画が多い。世間を気にせず素直に生きることが良いことである、という価値観はとても良いと思う。本作はその過激さに目を奪われがちだが、主人公の女性が立ちんぼの人と出会い、さまざまな「淫らな」経験を通してアイデンティティを確立させるというものだと僕は解釈します。そして、今回の主人公は女性である。僕は、女性の成長は出産によって劇的に促進されると考えている。◆そう考えると、非常にすごいと思うシーンがある。それは最後の廃墟でお婆さんが仕切り、男性が手を持ち、女性が相手の首を絞めるシーンである。あの場面が主人公にとっての出産であり、成長なのではなかろうか(「生」と「死」が逆転しているところが皮肉っぽくてまた良い。)。そして、園監督の持ち味でもある、『紀子』の血まみれで食卓を囲むシーンでも感じた、狂気と日常が混ざり合ったなんとも不思議な場面でもあり素直に感服した。◆最後の廃墟を目の前に刑事が発した一言は、刑事もまた児島に対する依存から脱却し成長したことの表れであると思う。◆やっぱり、園監督にはヴァーホーベンの『ショーガール』を観たときに感じた正直さを感じます。自分の奥さんだからといって一切容赦せずおしっこさせたり、男にフルボッコにさせたりするところにも誠実さを感じます。[映画館(邦画)] 9点(2011-12-05 00:06:23)

3.  コクリコ坂から 《ネタバレ》 ◆宮崎駿の息子だというのはあまり関係なく、日常を描いた作品が好きなので見に行きました。結論から言うと、1.分かりにくくて2.退屈な作品でした。◆最初に良いところを言うと、カルチェラタン内部は非常に何があるのかワクワクして面白かったですし、坂道を自転車二人乗りで下るシークエンスは心くすぐられました。◆続いて悪いところを指摘します。まず、疑問なのですが、この作品の原作は有名で誰もが知っている内容なのでしょうか。そうであれば、本作が設定の説明を省略している理由も分かりますが、私は原作をまったく知らずに観たので、設定の説明が中々なされないことがかなり苦痛でした。例えば、舞台はどこか、海の家族構成はどうなっているのか、なぜ海は「メル」と呼ばれるのか、なぜ風間はダイブしたのか、なぜカルチェラタンは取り壊されるのか、最初の15分程で観客に分かる形で説明されるべきだと思いますがそういう配慮は無かったように感じました。◆また、日常を描く作品で純愛ものであれば、登場人物の性格や感情表現、あるいは日常の機微に特に力を入れて描くべきだと思いますが、主要な登場人物は無表情で典型的な動きを繰り返し、感情表現自体も、恥ずかしい時はほほを赤らめ、悲しいときは「うえーん」と大粒の涙を流すといった、既存のアニメの記号的表現に頼りきっていて、前半に登場人物の感情が抑制されて描かれていたのは単に監督の技術不足によるものではないかと感じてしまいました。加えて、登場人物が何を信条とし、何を行動原理として生きているのかも伝わってこず、「登場人物がその作品世界に生きている」ようには見えませんでした。◆さらに、本作では回想3回、無駄なカットが2回、シークエンスの終わりごとの暗転と、物語の起伏が無く、全体の尺よりも時間が長く感じてしまいました。◆日常生活を淡々と描くことと、観客に分かりやすく伝えたり面白がらせたりする努力を怠ることはまったく違うことだと思うのですが、これは吾朗監督の「味」といって良いのでしょうか。[映画館(邦画)] 4点(2011-07-21 00:05:05)(良:3票)

4.  あしたのジョー(2010) 《ネタバレ》 ◆映画鑑賞後帰宅途中に、気づけば「ふざけんな」という言葉を連呼しており、あまりの怒りに歩きながら逆に笑ってしまった。現在もこみ上げる怒りを抑えることができません。◆まず良いところを先に指摘すると、力石と丹下、ついでに西とチンピラ役の阿部良平の演技はとても良かったと思う。◆次に悪いところを指摘する。まず、脚本。本作では、力石とジョーの死闘に焦点を絞っているが、原作とは違い、さらにそれに加えて葉子がドヤ街で育っており、いじめられたという設定が存在している。力石はそのことを暴露しようとした記者に暴行を加え、少年院に入れられたらしい。また、葉子はドヤ街でいじめられた経験からドヤ街を再開発しようとする。ここで、力石対ジョーのライバル同士の戦いという構図に、再開発組VSドヤ街組という図式が乗っかってくる。原作を知っている者にとって、この追加された構図は完全にノイズでしかないが、わざわざ映画化したのだからそういう変更はあっていい。◆しかし、それについて本作は何も掘り下げていない。ドヤ街といってもあくまで本作では背景として以上の意味をもたず、「ドヤ街に住む人」として掘り下げているわけではない。ドヤが再開発されることによってどのような被害が生じるのか、ドヤの人がジョーに何を託すのか、そんなところは一切描かれない。それだけならまだ、蛇足だと思うだけだが、さらに本作ではそこに無理やり落ちをつける。葉子が、力石VSジョーの試合を見て「逃げちゃいけないと思ったから再開発をやめる」と結論付けるのである(ていうか葉子は力石とジョーの試合を見ていられなくて席を立っている=逃げているんですけどね。)。◆「力石とジョーは戦うのは嫌だったが、それでも逃げずに戦った」ゆえに二人の試合は見るものを感動させ、ドヤ街を救ったというのが本作の二人の死闘の意味づけだそうである。これを受け入れて涙を流すか、監督をぶん殴りたくなるかで評価は分かれると思いますが、前者のタイプの人であれば問題なく楽しめるんではないでしょうか。◆次に演出。とてもテレビ的である。分かりやすい感動の音楽、勝利の音楽、悲しい音楽に加えて説明的なクドイせりふ、登場人物のこれ見よがしの涙。漫画でもここまで説明的に描いていないと思う程のくどさです。◆役者陣の演技は良かっただけに、監督および脚本、演出の功罪は大きいと思います。[映画館(邦画)] 4点(2011-02-14 01:06:25)

5.  ヒーローショー 《ネタバレ》 ◆現在の邦画界には、綺麗な部分を強調する映画、汚い部分を強調する映画の二種類が存在すると思う。そしてそれらは何らかの形で落ちがつき、観客にカタルシスをもたらす。観客にとって、映画の内容はカタルシスによって完結し、映画館の外に出た瞬間に消化される。◆そんな昨今の映画の内容どころか、映画の風潮、ひいては現代の風潮に挑戦した作品が本作であると思う。劇的に感動的なシーンや、最高にカッコイイ主人公のシーン、涙が溢れ出て止まらないシーンはこの映画にはあまり見られない。しかし、現状に対する鬱屈とした感情を登場人物の誰もが持っており、観客はそれを追体験する。友人の死を看過するどころか、逆に手を貸してしまったり、M-1の賞金目当てに親の金で養成所に入った挙句寒いギャグしか言えなかったり、成り行きで知り合った人の家族事情を知り、手を貸すと思いきや次では裏切ったりする主人公は、今までの映画には中々居ない存在でありながら、現実には腐るほど存在するし、自分もまたその一人であったりする。◆映画は現実を忘れ、カタルシスを得るためにあるものだという考え方は当たり前で、もっともである。しかし、現実を浮き彫りにし、見つめなおすきっかけとなる映画もまたあってしかるべきである。(井筒監督が最高のカタルシスを観客に与えることができる監督であることは、『パッチギ!』で証明済みであると思う。それなのにあえてこの映画を撮った所の意味を私は考えたい。)◆この映画は、何年か経って見返したときに、映画館で感じた体験を追体験することができる現代を表現するにおいて最も適した作品である。[映画館(邦画)] 10点(2010-05-30 00:31:07)(良:4票)

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