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タイトル名 |
地球の静止する日 |
レビュワー |
亜輪蔵さん |
点数 |
6点 |
投稿日時 |
2009-02-06 00:12:09 |
変更日時 |
2023-04-17 09:18:33 |
レビュー内容 |
NHK-BSで鑑賞 高校生の頃、名画座での3本上映の中で見た。大学生でSF映画大会のオールナイトでも見たなぁ。 それ以来の鑑賞。
「クラトゥ・バラダ・ニクトゥ」このセリフだけは、未だに覚えていたのが自分でも驚き。
内容について色々声が出ていますが、この映画が製作された1951年は、朝鮮戦争が勃発した次の年。 数年後米軍総司令官は核兵器の使用を(しかも20数発)大統領に進言して失脚した。
大戦が終わってから6年で、大統領秘書官が「悪意を持った国が、」とあり、海外政府からの返信通信で「モスクワからは、参加拒否」と、おもっきり敵視しているね。 映画界ではこの数年後赤狩りが吹き荒れる。
そういう時代に、あの演説。監督や脚本家が言いたかったことは、ここにあるという事だよね。
原作では、本当はロボットが主人で「人間ポイ」のはスポークスマン(あえて言えば、コミュニケーション用の人型インターフェイス)でしか無かった と言うのがオチ
映画でのクラトゥとゴートとの関係も、クラトゥの最後の演説にあるように「警察組織として、ロボットを作った」とある。 現代的に解釈すれば、人口知能をシステム化して、法律順守システム&警察力(軍事力)を作り上げたと。
別の映画の「スカイネット」を思い出すが、1951年のAIはまだ「以前の主人に」従順だ。
演説の後の各国「博士たち」の表情が実に微妙。 どういう解釈すればいいのか? この映画が心に残るか、クソ映画かは、頃ラストの人々の表情の解釈の差だと。思います。
特撮もセットもちゃっちいけれど、センス・オブ・ワンダーの息吹は強く感じる映画。
60年以上前の、異星人の説教が未だに耳に残るのは人類が進化していない証拠かな。
SF映画 としては説教臭いけど見ておくべき映画でしょうね。 |
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