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タイトル名 |
捜索者 |
レビュワー |
すかあふえいすさん |
点数 |
9点 |
投稿日時 |
2013-12-24 13:25:05 |
変更日時 |
2015-04-03 06:45:34 |
レビュー内容 |
個人的にフォードの西部劇は「リバティ・バランスを射った男」が一番好きなのだが、この「捜索者」もフォードらしくないからこそ面白い。 イーサンは一見するとコマンチ(主にスカー)たちに対する復讐心に染まったキチガイ野郎だが、本当は自分のせいでデビーが捕らわれてしまったという責任感で自分を押し潰そうとしていた。 自分達が敵の罠に嵌ってデビーたちの家族を、デビーに地獄を見せてしまった。元々混血児として育ったマーティンはともかく、物心ついた頃にはコマンチ族と同じ習慣の中で生きてきたデビー。果たして彼女は日常生活に戻っても以前と変わらぬ生活を送れるのだろうか。それとも差別に苦しむのではないか。イーサンが最初に彼女を殺そうとしたのは、そういった事績の念があったからだろう。 そもそも、イーサンがただの差別主義者なら混血児のマーティンはとっくに殺されているだろうし(それどころか5年も一緒に生活を共にしていた)、他のインディアンたちとの公益なんてありえない。 イーサンがデビー(インディアンと共に過ごした存在)、マーティン(インディアンの混血児)、そして彼女を迎え入れる人々の“架け橋”として潔く去っていくシーンもそれを静かに物語る。 イーサンは自分が“戦争で死に損ねた過去の存在に過ぎない”という事を知っていた。そんな男に正義など何処にもない。表情もデビーに見せたあの笑顔以外はほとんど悪党面だし。戦場で消耗品に徹しきれず生き延びてしまった負い目、悲劇を繰り返してしまった重圧。それを解って去っていく。虚しい。 でもどうにか、一つだけでも何かを、誰かを救えたのかも知れない。少なくとも一緒についてきたマーティンは逞しく成長したし(嫁を殴り合いで奪い返す)、マーティンとデビーの再会もそうだし。 |
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