20.高邁なことはわからないけど、生きる希望を心から感じる傑作。 【★★★1/2】さん [DVD(字幕)] 10点(2022-09-01 23:11:33) |
19.高尚すぎてわかりませんでいた。エンターテイメント性の欠片もないような作品が高評価なのですね・・・ 【あきぴー@武蔵国】さん [DVD(字幕)] 3点(2018-08-07 00:29:58) |
18.この作品のオチは要するに、「親は無くとも子は育つ」ってヤツですね。口を聞くことができなかった子供が、植えたばかりの木の下で、新しい世界の始まりを宣言する。そしてダメ押しのように、タルコフスキー監督から息子への献呈とメッセージが。「自分の人生は失敗だったと思わないか」「以前はそう思ったが、子供が生まれてからはそう思わなくなった」。自分の人生が自分だけの人生でなくなり、「子育て」という形で、他の人生のために費やされる。自分に子供が出来た時から始まる、自己犠牲。しかしそれは本当の意味の「犠牲」なのか? 一種の自己満足に過ぎないのではないのか? 口のきけない子供、声なき子供、その一方で、大人たちが始めてしまった戦争の影が、いつ明けるとも知れぬ夜の闇とともに、映画の中盤を覆い尽くす。挿入される戦争のイメージ、恐怖のイメージ。そして、その家に集まる大人たちの間にも渦巻くのもまた、結局のところは大人のエゴではなかったか。取り返しのつかない戦争。過去を取り戻すためならすべてを捨ててもよいという言葉、それは結局のところ、単なるノスタルジーであり、自分自身のための祈りではなかったか。そしてマリアの元へ向う主人公が求めていたものもまた、自分自身への慰めではなかったか。やがて明るい朝が来て、主人公の行った行為。それこそが、過去としての自己の否定と、次世代への無限の信頼、すなわち真の自己犠牲であったと思うワケです。 【鱗歌】さん [CS・衛星(字幕)] 9点(2012-01-29 08:32:17) |
17.ひたすら長かった・・・のはいいとしても、このような手法で作品を構築するのであれば、1つ1つの映像なり台詞が十分に完成しきっていなければならないことはいうまでもありません。本作ではそれが感じられず、アイディアが空回りしているように感じました。 【Olias】さん [CS・衛星(字幕)] 4点(2011-11-17 02:37:35) |
16.今の自分には難しすぎる。。。 修行を積んで再挑戦しようと思います。 【njld】さん [DVD(字幕)] 7点(2009-04-13 12:12:38) |
《改行表示》15.正直、タルコフスキーの映画ではあまり好みでない作品。 理由は、これまでのタルコフスキー映画は長い静寂の中でポツリポツリと台詞が語られることで、ひとつひとつの台詞が印象的だったのだが、本作では語らせすぎに感じた。 それと、哲学的な表現が多くて、少し押し付けがましく感じてしまった。 後半の展開は見応え充分だったが・・。 どうもあまり感情移入できなかった・・。 【おーる】さん [ビデオ(字幕)] 4点(2009-03-31 07:07:52) |
14.のっけから長~いワンシーンの連続で長~いセリフが続きます。しかしこの長~いセリフの一言一言が後々の伏線となっていきます。この作品もまた「信仰」が、ベースのテーマとなっていると思われます。人間の行ってきた過ちを独白するアレキサンデル。しかし人間であるかぎり過ちは止められない。独白中に幼い息子がアレキサンデルを驚かそうと後ろから飛びつく。とっさに振り払い息子に怪我をさせてしまう。また、母との思い出を告白するところでは、母を喜ばそうとして庭の模様替えをしたが元の美しさを壊してしまったと悔いる。人間が存在するかぎり暴力と自然破壊が続いてゆくことを暗示しており、自分もその憐れな人間の一員であることを認めてゆく。そしてイコン画を美しいと眺める姿も無神論者であるアレキサンデルが奇跡を求めるに変貌してゆく伏線となる。未来のため、そして未来を生きる息子のために自らが犠牲となり奇跡を願う。家を燃やすシーンでは、この作品を作る前に決意したというタルコフスキー監督の亡命を連想し、感慨深かった。 【R&A】さん 8点(2005-02-10 12:38:58) (良:2票) |
13.映像の詩人、写実を突き抜けて人間の内面世界までも映し出そうとしてしまった。そんなタルコフスキーの決意のようなものが随所に見られる作品である。縦糸である強いメッセージについては、国柄の違いなどもあり各種評論やタルコフスキー本人のメッセージにその予備知識の助けを借りなければならないが、そのうえでこの映画にみられる、人間の感情、またはその感情が心に映し出す空気に注目してみたい。まず、世界の終わりを家族が知る場面。元首が、淡々とした調子で事実を述べていく。これを聞く家族達、薄暗い部屋の中で、希望の明かりをも灯すことを放棄したかのように、しずかにブラウン管を見つめる。そして一人一人が、世界の最後を前に、それぞれの自意識をもって、「個性的に」行動していく姿が描かれる。ここで問題としたいのは、これがもし主人公の夢ならば、それぞれの家族の行動は、主人公自身の、家族という他者を見た主観でしかない。妻はこういう行動をとるだろう、息子はこう話すだろうという、主人公の想像によるものでしかない。最後に夢が覚め、ゆったりとしたパンで繰り広げられる、家族の狼狽と主人公の発狂。この場面で初めて、カメラは客観的な視点となって人間達をとらえていく。そこにはセリフがなく、有機体が焼失するという科学的事実だけが示される。タルコフスキーが言わんとしている、人間を人間たらしめているものは霊的想像力のみであり、それを失えばただの動物的機械である、というメッセージが、こういう場面の対比でも如実に物語られているのではないか。また、プレゼントにと召使がつくったという家のミニチュア(この場面も、観客を夢幻にいざなう、「ノスタルジア」の水したたる箱庭に匹敵する名場面だと思う)の提示も、家=家族という、ある種人格を持った(と主人公が深層心理で考えている)「者」として、ラストの「モノ」に戻る場面の伏線になっている。すべてが「モノ」でしかなくなった時、家族も家族ではない。点在している「ヒト」でしかない。そのような社会の風潮を、なんとしても改めたいと思ったのではないだろうか?そしてそのメッセージを、最愛の息子に残したかったのではないだろうか? 現代においても、この人間の係わり合いにおける「霊的」親和力は薄れつつあるといわれる。だからこそ、東西の脅威が崩壊した今でも、タルコフスキーのメッセージが心に重くのしかかる。 【神谷玄次郎】さん 10点(2004-07-15 00:09:04) |
12.友達に薦められて観たんやけど、タルコフスキーという監督についてはそんなに知らんかった。ただ眠くなる映画が多く、映像詩人と言われるような映画を撮る人くらいしか知識がなく、この映画を観るときも、まー寝てもうてもいっかーみたいな軽いノリで観た。静かな映画かなーって思い、ボーっと観ようと思ったのが大間違いで、最初から役者がしゃべるしゃべる、しかもその言葉が哲学っぽく、頭の回転をフルにして集中しなついていけない。当然眠くなる暇もなかった。でも中盤は、やはりちょっとウトウトしかけるんやけど。だがしかし、その時、眠気を吹っ飛ばすよーな展開が。俺はこの映画まったくストーリー知らんかったので、びっくりした。えー、こんな映画やったの~?って感じで、その後の展開もびっくりしまくり。そしてラストを観て愕然となった。ショックをうけてもーた。今まで映画を単なる娯楽としてしか捉えてなかっただけに、自分がヤバイと思ってもーた。この世界にはまってしまいそーで、しかもはまったら、もはや以前のように映画を観れなくなるんじゃないかとあせった。おそらく、これを観た時の精神状態も関係してると思う。元々、色々深く悩んでストレスをためるタイプなんやけど、ちょっとストレスためすぎて自分を見失ってた状態やったから。正直少し救われた。いや、違う世界観を見せられて中和された感じかな。個人と世界の関係、自分を救う手段、そーいう事を考えずにはいられなくなった。そして改めて題名を見返した。「自己犠牲」。俺らが忘れかけてる大切な感覚があっとうてきな映像美とともにそこにあるような。以前同じ監督の「僕の村は戦場だった」という映画を観た時は、なんとも感じひんかったけど、なんなんやろこの映画のパワー。言葉じゃ説明できない一つの表現。レビューすることじたい、陳腐に思える(と言いつつしてるけど)。そんな映画かな。また観たい。今度は映像の方をもっと楽しむくらい余裕もって。 【なにわ君】さん 10点(2004-05-07 15:11:51) |
11.私のタルコフスキー初体験はこの彼の最後の作品でして、その後「ノスタルジア」を鑑賞し、遡るように観ていきました。当時、これまでなんでこの監督の作品を観なかったんだと悔やんだものです。マニアの方はこの作品に10点つけるのはわかってねえな、とか思うでしょうし、嫌いな人は高尚ぶりやがってと思うのでしょうが、初体験の衝撃が忘れられないんですよ。すげぇ、こういうの観たかったよぉ~って感じ。「自分にはわかる」みたいな身の程知らずな自惚れた自己満足に浸っているのかもしれません(すべての芸術への感動にはこの自己満足が大なり小なりつきまとうと思いますけどね。)。しかし、そんな簡単に私ごときに理解できるわけありません。すごく感じるのはこの作品は(他のもそうだけど)監督のかな~り個人的な体験や思いと切り離せないということです。一個人にはおこがましい世界救済の誇大妄想なんてガキの頃はよく頭に浮かぶと思うんですが(そんなことないですか?)、この話はガキの頃見た夢の話みたいな個人的妄想に近いのでは?と思います。でも、私なんかも冷戦末期の少年時代にはよく頭に浮かんだ核戦争勃発という妄想は、冷戦を生々しく切実に生きてきた監督からすれば実体験に近いのかもしれません。差し迫った自らの死を見つめているかのようですし、鬼気迫るものが感じられます。語ると陳腐になるし、私みたいなバカはもうあまり語る言葉を持ちません。この映画の鑑賞は嬉しい未知の体験でした。よく眠くなるって言われるけど、そうかなぁ?。「理解するのではなく感じる」というのは思考停止の欺瞞だと思ってんですが、タルコフスキー映画はそういう鑑賞態度でつい観てしまいます(自分にはなかなかわかんないから。悪あがきはしますが。)。圧倒的な詩的映像美は私が語ると嘘っぽいし、私が語るまでもないですが、好き嫌いが分かれるようなレベルを超えちゃってる(分かれるでしょうけど)と思いますよ。ほんとに。 【しったか偽善者】さん 10点(2004-03-07 21:14:17) |
|
10.映画館で2度寝ているので、タルコフスキーだから失敗はないだろうとDVDを買ったのですが、さらに2度寝てしまいました。5度目でやっと最後まで見ることが出来ましたが、スタッフがベルイマンのスタッフなんですね。タルコフスキー監督、ベルイマンのスタッフ・・おやすみなさい・・zzz・・・じゃなくて、きれいな映像と印象的な言葉が残るのですが、やはり眠って当然かなとも・・・。 【omut】さん 5点(2004-02-19 20:44:47) (笑:1票) |
9.タルコフスキーの映画は過去、現在、未来という三つの次元のうち、とりわけ過去の次元の表現に焦点が置かれているのはいうまでもないが、「サクリファイス」においては、未来の次元を強く志向しているといえる。この映画において「水」という視覚的主題はついに未来の次元に流れ込み、タルコフスキーの時間の映画は完成されるのだ。郷愁の象徴としてや、時のリズムを表すために用いられてきた「水」は、「サクリファイス」では、水溜まりのシーンや家の前の湿地のシーンなどで、死を表す視覚的主題として使われているところが他のタルコフスキー映画と一線を画していると思われる。しかし、驚くべきことに、最後の海のシーンで奇跡が起きる。オープンニングでは死の水であった海が青さを放ち、波が振動し、時のリズムが奏でられるのだ。ここで観る物は確かな未来を感じずにはいられないのである。また、「サクリファイス」における空中浮揚はまさに圧巻である。世界の破滅からの救済という主題が最高の形で視覚的に表現されているのではないか。まさに恐怖からの解放である。アンドレイ・タルコフスキーの放つ映像芸術、もっと見たかった。この映画で最後とはなんとも残念である。 【たましろ】さん 9点(2004-02-02 22:23:57) (良:1票) |
8.わたしの記憶違いでなければ、この作品でタルコフスキーは故国ロシアとのへその緒を断ち切ったような気がします。魔女と噂される女性にかすかにロシア的な香りを認めることができましょうが。自分の残り少ない余命を自覚してか、終末という大テーマに取り組んだ勇気には感銘を受けました。また、一歩誤れば通俗的なイデオロギーに陥りかねない核戦争や禅味を、なんとか緊張感を失わないで描ききったところなどは、さすがといわざるを得ません。加えて個人的な印象にすぎないのですが、その言葉を知らない人においてさえただ響きだけでもって魅惑するロシア語ではなく、こもったような、正直言ってあまり美しくないスウェーデン語(?)に徹したことも今となっては心惹かれるところです。タルコフスキーが英語の作品を残さなかったことはよかった。 【バッテリ】さん 9点(2004-01-17 23:00:15) |
7.点数を付けるのに逡巡してしまう映画です。何故なら、僕が一度観た限りではその60%くらいしか理解できていないから。二度観れば良かったのですが、時間の都合です。残念。60%ながら、世界観の深さ、そして描写の細やかさは十二分に感じました。映画を観る前提条件として、タイトルの意味くらいは知っておかなきゃいけないと思うのですが、今回はうろ覚えで、はっきりと調べないまま観てしまいました。(たぶん「犠牲」だと思うってくらい。)それで、一つ一つの場面の解釈に手間取ってしまい、ちょっと損した気分です。もっと、撮影された背景くらいまで絞り込んで観ていればよかったと、反省しています。これだけの世界観を、自分に吸収できなかったことに惜しいと思います。気になっていたことですが、セリフが聞き取りにくい場面がいくつかありました。字幕だったから問題ありませんでしたが、本当は劇場かヘッドホンで観るべきなのかな、と思います。 【fero】さん 8点(2003-12-19 01:36:46) |
6.予告で観た、食器がカタカタなるシーン、あれだけで核戦争を演じてしまうタルコフスキーは凄い!(笑) 映画の中で出てくる美術書のイコンなどを観て芸術的に浸るもよし、自己犠牲の哲学的深淵に思いをはせるもよし、鯣のように味わってください。 【オオカミ】さん 7点(2003-11-20 09:20:14) |
5.すみません、タルコフスキー好きなんですけど、この映画はあまり憶えていません。決して眠り込んだわけではないのに記憶に残らなかったのです。再度観直してからコメント書けばいいのですが、観直す気力もありません。ただ、画面の静止が他の作品より少なくて見やすかったのではないでしょうか。・・・私はタルコフスキーがヨーロッパに行ってから撮った映画は何となく違和感があってあまり好きではありません。 【そうしょくみ】さん 5点(2003-10-14 01:07:02) |
4.目玉の中がキレイに洗われるようななんとも言えぬ光と色使い。高尚な作品に、しょーもないコメントで申し訳ない・・・ 【よっしー】さん 10点(2003-07-02 21:45:08) |
3.ほんと、タルコフスキーさんの映画ってカット数少ないですよね、、、。なんなのかわかりませんが、とにかく画の力がすごいですよ。きれいでさ、、、なんなんだろ、、、こんなことしか書けないけど、、、、。 【あろえりーな】さん 7点(2003-04-09 14:34:44) |
2.亡命先パリで作られたタルコフスキーの遺作。自己犠牲をテーマに見る者を考えさせる作りは相変わらず。ラストの息子が言葉を発するシーンには胸を締め付けられる。最後の家が燃えるシーンを長いカットでみせるあたり、タルコフスキーの執念を感じる。【なるせたろうさんへ】「サクリファイス」ではなく「ノスタルジア」にドメニコという狂人が、ローマの広場で、演説して、焼身自殺といったシーンがあります。それと混同しているのでは・・・? 【ゆたKING】さん 8点(2003-02-09 10:50:24) |
1.タルコフスキーの作る"水”と"火"のイメージは、以前にもましてすこぶる美しい。にも関わらず、またもや睡魔に襲われてつい夢の中へ。ふと目が醒めたら、スクリーン上では、たしか男が広場で焼身自殺するシーンがあり、まるで小栗康平監督の『泥の河』の蟹のようにゆっくりと炎に包まれていくその様子に訳もなく涙してしまったのだが、あれは本当に映画のワンシーンだったのか?それとも私はまだ眠っていたのか?誰か教えてください。 【ゆたKING様へ】そうですか、『ノスタルジア』↑でしたか。それは大変失礼をしました。でも、どちらも途中で寝てしまったのは確かなので、これ以上言い訳はしません。必ずやきっと再見してコメント書き直させていただきます。もちろん、今度は寝ずに観ます。 【なるせたろう】さん 8点(2002-11-29 21:03:22) |