1.冒頭から、強烈な“違和感”を突きつけられる。
或る都市へ向かう飛行機内の乗客たちの何気ない会話音のはずだが、なんだか物凄く気持ちが悪い。
その理由が、乗客の声がすべて同一の無機質な男の声であることに気づくのに時間はかからないけれど、なぜそんな奇妙な設定になっているのか、得体の知れない世界観に突如放り込まれたような感覚を覚えた。
カスタマーサービス業における啓発で名声を得た主人公は、見るからに憂鬱な眼差しを携えつつ、講演のため異国の街に降り立つ。うつ病を患っているらしい彼は、自分以外の周囲の人間がすべて同じ顔に見え、同じ声に見える。
ストップモーションアニメによる絶妙に悪趣味な造形も手伝って、人形とは思えないリアルな描写が妙に生々しく、痛々しく、居心地の悪さに包み込まれる。
某動画配信サービスのラインナップの中から、特段予備知識も入れないままに鑑賞を始めたこともあり、「何を見せられるのか?」という期待と不安が入り混じった感情が、展開とともに、徐々に確実に大きくなっていった。
ストーリー展開自体は極めてミニマムだ。
翌日の講演のために前泊したホテルでの一夜を、過剰とも言える細やかさで描き連ねている。
主人公の一挙手一投足を並べ連ねていくことで、彼が抱える鬱積と闇が自然に見え隠れする。
そして、この男の、生々しく痛々しい様を見るにつけ、彼が何故ゆえ世界から孤立し、奇妙な環境の中で生きざるを得なくなっているのかが見えてくる。
主人公の正体、そして映画の正体の輪郭が見え始めた頃、「ああ、そうか、これがチャーリー・カウフマン(の映画)だったな」と思い出した。
「マルコヴィッチの穴」しかり、「アダプテーション」しかり、“こじらせオヤジ”を描かせたら、やはりこの人の右に出る者はいない。
ラスト、自宅に帰り着いた主人公は、再び孤立し、“玩具屋”で土産に買った壊れた奇妙な絡繰人形と対峙する。
まさかの「桃太郎」を歌う(気持ち悪い!)その人形を前にして、果たして彼は己の愚かさに気づいたのだろうか。