5.《ネタバレ》 背景の中で動くものといえば、3DCGのバス、電車、まばらな車。そんなところだろう。
宮崎駿をスタンダードとして見てしまう身からすれば、そんなものはただの手抜きアニメだ。
交流会でのその他多勢の観客はただの静止画に過ぎず、街には雑踏がない、風も吹かず、雨もロクに降らず、雲もまともに動かない。
画面によってではなく「風が冷たくなってきた」とかいう台詞でかろうじて季節が示唆されるという情けなさ。
あのような情けない雪なら降らせる必要がない。足跡もまともに活用出来ないのだから。
ミュージカルとしても、仲間との練習の中で心を通わせ、歌唱の練度を上げていく描写はその要ではないのか。
そこを手抜きしてはドラマの起伏も無いだろうに。要はとことん面倒臭がりで横着なのである。
社会も世界もなく、カワイイ女の子を中心に、ただ描きたいものだけを動かすのだから、アニメーターも楽しいだろう。
その女の子が何やらチマチマと指先で携帯いじりをして、画面にその文字情報が大写しで並んでいく、、。
はっきり云って、アニメーションとして自堕落である。
一般的にはこういうアニメーションが主流なのだろうから、如何に宮崎駿が異端であったか、という事だ。
アニメゆえの台詞過剰をあの媚態混じりのアニメ声音でやられるのも苦痛でしかない。
そういう意味で、これなら実写のほうが余程マシである。
公演中に小津をやったりしてるのだが、どちらかといえば単に山下敦弘の『リンダリンダリンダ』をやりたかっただけかも知れない。