1.《ネタバレ》 これは、ちょっと度肝を抜かれた作品。
軽い気持ちで観たところ(そこまでやるか!)(ここまで面白いのか!)と様々な衝撃を受ける事になりました。
文字数制限のギリギリまで使い、劇中で登場する「サイコ・ザク」の恰好良さについて熱く語りたい気持ちもあるのですが、その場合ガンプラや原作漫画の話題に逸れてしまいそうなので、ここはグッと堪え、映画本編の話を。
主人公二人は、軍規違反のラジオを用いて、音楽を聴きながら次々に敵兵を殺していくという、型破りなキャラクター。
その片方はジャズを好み、地球連邦軍に所属。
もう片方はポップスを好み、ジオン公国軍に所属。
そして連邦所属のイオはガンダムに乗り、ジオン所属のダリルはザクに乗って戦う訳だけど、どちらかといえば後者が主軸になっている辺りが、面白いバランスでしたね。
敵役の象徴であるザクに乗り、主役機のガンダムと戦う兵士の物語としては「ポケットの中の戦争」という先駆者が存在している訳ですが、本作はそれに引けを取らぬ程の名作である、と感じました。
ザクに乗った兵士がどんなにマシンガンを撃っても当たらない、視認出来ない程の速度で移動し、気が付けば目の前に現れて、ビームサーベルの一撃で無慈悲な死を与えてくる……という「ガンダムと戦う事の恐ろしさ」も、入念に描かれているのですよね。
そんなガンダムに搭乗するイオが「本当は戦いたくないのに、仕方なく戦う主人公」というテンプレとは一線を画する「戦うのが好きで、戦争って狂気の中でしか生きられない男」という性格設定なのも面白い。
そもそも彼にガンダム(=フルアーマー・ガンダム サンダーボルト宙域仕様)が与えられた理由が「これに乗って戦い、死んでもらった後に、英雄として喧伝する為」というのだから、凄い話です。
対するダリルも魅力的なキャラクターであり「傷痍軍人だけで結成された特殊部隊『リビング・デッド師団』の撃墜王にして、義足を装着した狙撃手」という肩書きだけでも、痺れてしまうものがあります。
金髪で鋭角的な美男子のイオとは対照的に、黒髪の穏やかな好青年といった容姿であり、哀愁を帯びた佇まいが、実に良かったです。
それと、基本的に本作は「戦争映画」としての純度が高い作品なのですよね。
優しい言葉を掛けてくれた女の子も、ガンダムに憧れる少年兵達も、次々に戦死していく理不尽さを、しっかり描いている。
特に後者は「ガンダムが無事に敵艦隊に辿り着く為の囮、捨て駒」という扱いなのだから、もう参っちゃいます。
「彼の右手を切れ!」の台詞も衝撃でしたし、怪我人を助ける振りして、自分が脱出ポットに乗り込む男という卑劣な描写があるのも良いですね。
モビルスーツによる戦闘を恰好良く、爽快感を得られる程に描く一方で、こういった「戦争とは本来酷いモノなんだよ」ってシーンを忘れずに盛り込む事は、とても大切だと思います。
ポインターでのビームサーベル誘導による敵兵の殺害など(そんな使い方があったか)と唸らされる描写もありましたね。
ア・バオア・クーの決戦にて、両脚が無いサイコミュ高機動試験用ザクと、片腕を失ったジムとの戦いを描き「手足を失ってでも殺し合いを続ける」人間の業の深さを強調している辺りも良い。
思えばそれは「めぐりあい宇宙」のガンダムとジオングの戦いでも象徴的に描かれているメッセージであり、本作が紛れもなく「機動戦士ガンダム」の系譜に連なる作品である事を感じさせてくれます。
戦いを終えて、サイコ・ザクの爆発を見届けるダリルの姿も、音楽と相まって、忘れ難い魅力がありましたね。
現実で手足を失っても、夢の中でだけは自由に動き回れていたのに、とうとうその「夢の中の手足」すらも失われた事を実感し、寂しげに佇む姿。
様々なものを失った代わりに手に入れた勝利が、如何に空しい代物かと、しみじみ感じさせる力がありました。
唯一の難点は、原作の関係上、あるいは「宇宙世紀という名の史実」の関係上、一年戦争を終えても、宇宙移民紛争に決着は付かない為「俺達の戦いは、まだ終わらない」という中途半端な結末である事でしょうか。
それでも、ラストシーンにおける「勝利を得た代わりに、絶望を背負って生き続けなければいけないダリル」と「敗北を経て捕虜になっても、諦めずに戦い続け、見事に脱出成功してみせたイオ」という両者の対比は、お見事の一言。
なので、やっぱり、この結末で良かったんじゃないかな……という想いも強かったりしますね。
ガンダム好き、あるいは戦争映画好きであれば、是非とも観賞し、その世界に浸ってみて欲しい一本。
オススメです。