2.オモテとウラの世界に通じる“天才会計士”、その正体は、元軍人の“凄腕の殺し屋”で、実は“高機能自閉症”の男。
いわゆる“ジャンル映画”だとはいえ、あまりにも強引で荒唐無稽なキャラクター設定過ぎるのではないかと所感を抱いたことは否めない。
そしてそれを演じるのはベン・アフレック。
多くの映画ファンにとって、このハリウッドスターが“信頼”に足る「映画人」であることは、もはや周知の事実ではあるが、それでも尚、得体の知れない危うさというか不安定さみたいなものを感じてしまうことも、この人の「特性」である。
果たしてこの奇抜で“盛り過ぎ”なキャラクターをどう演じているのか、一抹の不安は確実に存在していた。
結論としては、「ごめんなさい」と、この主演俳優に対する謝罪の一言に尽きる。
この映画を評する観点は多岐に渡るだろうが、先ずは何よりも、主演俳優の“ハマり具合”が圧倒的な娯楽性を生み出しているということを挙げるべきだろう。
過去最高のベン・アフレック。やはりこの映画人は、不屈であり、信頼に足る。改めてそう思う。
「自閉症」という、極めてナイーブなバランス感覚を要求される要素を、ジャンル映画の主人公に加味したことは、とても挑戦的で、有意義で、価値のある独創性を生んでいる。
その描かれ方について多大な反感も生んでしまったようだが、個人的には、この映画における主人公と自閉症の関係性の描き方に対して、決して的が外れているとは思わなかった。
高機能自閉症という障害を抱えた主人公の男が一種の“ヒーロー”として活躍することと、彼が歩んだ(歩まされた)人生を美化することは、イコールで繋がってはない。
数多の価値観の中から選び取られた「選択肢」の一つとして、主人公の男は人生を歩み、結果として「普通」ではない人物造形に至ったということであり、結論としてその是非を明確にしているわけではないと思う。
むしろ、この想定外にヘンテコリンな娯楽映画が導き出そうとすることは、まさしくそういう一般的な価値観からの脱却だったのではないかと思う。
圧倒的に「普通」じゃない主人公キャラクターを造形し尽くし、その「特性」にバッチリと適合するスター俳優を当てはめ具現化することで、そもそも「普通」とは何なのかということを我々に問う。
これほどまでに普通じゃないことのオンパレードの中においては、「自閉症」などありふれた一つの「個性」だと捉えざるを得なくなってくる。
その個性を、普通じゃないものとして、一般的な価値観の中の既定路線に縛り付けることが、果たして正しいのかどうか。
現代社会においては「68人に一人が自閉症である」とも伝えられる。
繰り返すが、主人公の選択した(選択された)人生が正しかったとは言わない。闇の世界に身を落としている以上、人間らしく幸福な人生を歩んでいるとはとても言えないだろう。
しかし、そんな彼によって救われたものがあることも絶対的な事実。
であるならば、誰もそれを否定することは出来ない。
「ため息だわ」という台詞が口癖の“謎のエージェント”の正体も含め、この娯楽映画の顛末が伝えることの意味と意義は、ジャンルを超えた非常に興味深いテーマと奥行きを醸し出している。
当然、続編希望。なんならベン・アフレックが自ら監督したっていいんじゃない?