アカルイミライのシネマレビュー、評価、クチコミ、感想です。

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アカルイミライ

[アカルイミライ]
BRIGHT FUTURE
2003年上映時間:115分
平均点:6.22 / 10(Review 59人) (点数分布表示)
公開開始日(2003-01-18)
ドラマファンタジー
新規登録(2003-08-04)【シネマレビュー管理人】さん
タイトル情報更新(2018-08-01)【イニシャルK】さん
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監督黒沢清
キャストオダギリジョー(男優)仁村雄二
浅野忠信(男優)有田守
藤竜也(男優)有田真一郎
りょう(女優)軽部
笹野高史(男優)藤原耕太
小山田サユリ(女優)美穂
はなわ(男優)高木ケン
加瀬亮(男優)有田冬樹
森下能幸(男優)
沢木哲(男優)ケイ
松山ケンイチ(男優)ジュン
佐藤佐吉(男優)リサイクル店の社長
笠原秀幸(男優)シン
脚本黒沢清
音楽PACIFIC231(パシフィック231)
作詞宮沢賢治「星めぐりの歌」
作曲宮沢賢治「星めぐりの歌」
撮影柴主高秀(撮影監督)
藤井謙二郎(メイキング撮影)
製作アップリンク
クロックワークス
読売テレビ
制作アップリンク(共同制作)
配給アップリンク
特撮浅野秀二(ビジュアルエフェクト)
美術梅沢壮一(特殊造形)
衣装北村道子
編集黒沢清
録音郡弘道
照明蒔苗友一郎(照明助手)
その他IMAGICA(協力)
あらすじ
雄二(オダギリジョー)と守(浅野忠信)はおしぼり工場でバイトしていた。雄二は25歳。子供の頃から夜寝ると楽しい「未来」の夢をみる癖がある。しかし、最近まったく「未来」の夢をみれなくなっていた。守は27歳。部屋にはクラゲを飼っている。二人は恩着せがましく干渉してくる社長(笹野高史)に辟易しながらもなんとか毎日を送っていた。ある時、人とコミュニケーションをとるのが苦手でカッとなったらわけがわからなくなる雄二に、守はある合図を教える。
ネタバレは禁止していませんので
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7.《ネタバレ》 未来に“明るい”という修飾語が付く場合、その多くは子供に対して使われます。“未来は明るいものだ”と言い聞かせるために。しかしこの言葉にリアリティはありません。あまりに漠然とした遠い先の話だから。そんな曖昧な希望の中を子供たちは成長していきます。そしてある日、手が届くところまで来ていることに気付くのです。でも気付かないふりをします。なぜなら怖いから。明るいと言われ続けた未来の形が、見えないから。恐怖は人を動けなくします。主人公もそんな子供のひとりです。子供が生きるために見本とするのは親。一番身近な大人です。しかし主人公の背景に両親の姿は見えません。彼が頼りにしていた守は自殺。彼は恐怖と不安に押しつぶされそうになります。心の平静を保つための、無意味で無謀な行動。そんな彼を受けとめてくれた大人が、守の父でした。親から受けるはずの愛情がそこにはありました。自分を受け入れてくれる、すべてを許してくれるという安心感が、恐怖に立ち向かう力になります。彼はやっと気付きます。守のGOサイン、大人になるGOサインは、とっくに出ていたことに。“明るい”はずの未来は、すでに手の中にありました。彼は屋上に登ってみます。もしかしたら未来が見えるかもしれないから。でもやっぱり見えません。未来は彼方に広がるものではなく、彼自身そのものだからです。もう“未来が明るい”などという無責任なアナウンスは必要ありません。だからアンテナも必要ありません。この現実が未来であると受け入れること。それが大人になるということ。本作は主人公の成長物語でした。と同時にもっと普遍的なテーマも孕んでいました。それは“生死について”。守の凶行とその末路、それに“クラゲ騒動”は、この問題を私たちに問いかけます。クラゲ=人間。人を殺すほどの毒を持ち、本来の生活圏以外にも適応する生き物。まさに人間そのもの。その姿は魂を思わせます。大挙して”母なる”海へ向かう様はまるで精子。「いつか(クラゲたちは)帰ってくる」という主人公の言葉。生と死を繰り返し、脈々と未来へ続いていく“人間の在り方”を表現していると感じました。誰にでも訪れる“アカルイミライ”は“死”でもあります。エンディングで群れをなして歩く若者たち。あてもなく、でも皆同じ方向に歩く彼ら。さながら“おたまじゃくし”。そのバックに『アカルイミライ』。彼らがたどり着く先にあるものは何でしょうか。そしてそれをどう捉えるのでしょうか。全ては彼ら次第です。
目隠シストさん [DVD(邦画)] 9点(2016-01-07 00:45:00)
《改行表示》
6.ありがとう。救われた。  あとエンドロールは鳥肌モン。
さん [DVD(邦画)] 9点(2007-04-20 03:22:01)
5.この映画は、若い人のための青春映画というよりも、大人のための作品だと感じた。この作品に出てくる2つの大人像の対比がとても秀逸だからである。1つ目のタイプはおしぼり工場の社長。もう1つのタイプはもちろん有田の父親。前者は「真面目に働き、家庭も円満な成功者」ではあるが、致命的に「節度がない」。本人は「仲良くしたい」、「物分りのいい人」のつもりでやっていることが、その「節度のなさ」故に人に暑苦しさ、ウザさを与えるタイプの人間である。一方、後者は「仕事も微妙、家庭もバラバラ、自分に自信がない」存在として描かれる。彼の善性は、我を忘れて金庫を開けようと暴れる仁村にたいして説教した自分自身に対して、「言い過ぎちゃったよ。口が滑っちゃったよ」と言わしめたシーンに端的に現れている。彼のような態度こそ、自由を確保しながら品格を保って生きていくために人間が通らねばならない狭き道なのではないかと思う。オダギリジョーの怪演も見物です。
wunderlichさん [DVD(字幕)] 9点(2006-08-30 00:53:54)
4.《ネタバレ》 この作品は日本映画史上最高の青春映画のひとつではないでしょうか。50歳を越えた監督がこれだけ自然に若者の感覚を描けるということにまず驚きました。序盤、おしぼり工場社長宅での食事シーンの気まずさや、社長がテレビのスポーツ中継を見て「ニッポン、チャチャチャ!」とひとり盛り上がる様子をドッチラケの表情で見ているふたり、などの描写がとても繊細で感心しました。ちょっとヴィンセント・ギャロの『バッファロー'66』を彷彿とさせるようなひりひりした感覚です。あの社長、徹底的に醜悪に描かれていて、そりゃ殺されるわな、という感じの描き方でしたね。それに対して藤竜也さんはものわかりの良い理想的な旧世代として描かれていて、私のような若い世代の人間から見ると「こんな理想的な人、いねえよ」という感じもなきにしもあらずでしたが、彼がオダギリジョーさんを「私は君を許す」と言って抱きしめる場面はとても感動的でした。猛毒のクラゲが川にあふれる場面はとても爽快でした。ラストもタイトル通り爽やかで後味が良かったと思います。作品全体的には、黒を強調した絵が見やすくて、テンポもよく、非常にポップな映画に仕上がっていました。
藤堂直己さん [DVD(邦画)] 9点(2006-08-28 12:52:30)
3.《ネタバレ》 「浮遊するポストモダン」この映画に解説をつけるのならば、さしずめこんなタイトルにするだろう。日本のポスト近代への移行が、共同体の解体に伴い、規範を壊し続けているとしたら、そこに生み出されるものは何であろう?その答えが、真水に生きるクラゲと、街を闊歩する少年達だ。フワフワと漂うクラゲ、そして、フワフワと生きる少年達は、一見してただ流されるだけの存在でしかない。社会から外れ確固とした意思を持つわけでもなく、気分だけで生きる彼ら。それが日本のミライだと言われれば、多くの人は戸惑うに違いない。海でしか生きられないはずのクラゲは、水槽という閉じた系から、あるとき外界へ流れ出す。それはこれまで淘汰さてきたはずの存在が社会に溢れだしたこの10年を模している。宮崎勤、宅間守、数多くの不可解な事件が世を騒がせた。オタク、トラウマ、家族崩壊、、、メディアは理由を探し社会は憎むべき者を探して彷徨った。「責任能力を有する」つまり「正常」な彼らがなぜ平然と「異常」な犯罪を犯したのか。そのパラドキシカルな問いに向かい合えない我々は、「不可解」の一言で片付けてきた。しかしクラゲの毒に理由があるだろうか?クラゲの心がわかるだろうか?それは、完璧なる断絶である。守のように社会の規範や価値観から離れたアウトロー(宮台真司は『脱社会的存在』と呼ぶ)は、我々の言葉では語ることができない。これは村上龍の示すような、楽観的アウトローの姿ではない。真水の東京で生きる力を獲得しても、クラゲ(=アウトロー)は危険で駆除されるべき存在でしかない。しかし未来を予言する仁村は確信を持って答える。「彼等はきっと帰ってくる」と。アウトローと共生することのできる唯一の存在である少年達の胸には、戦いの中で死んだゲバラがイコンとして刻まれている。彼らは「アカルイミライ」を支え歩き続ける。(それがエンディングで示されたようにフィクションだったとしても!)黒沢清の提示したミライ。それは日本のポストモダン像に他ならない。過去を生きる者達は傷つきながらも「許す」のだろうか。それとも、徹底的な駆除を試みるのだろうか。この映画のタイトル「アカルイミライ」は近代批判、または、ニヒリズムではない。我々はそれを受け入れるしかない。黒沢は淡々とそれを描いている。
feroさん [DVD(字幕)] 9点(2006-01-24 11:51:57)(良:1票)
《改行表示》
2.《ネタバレ》 あり?黒沢作品は今まで「神田川淫乱戦争」しか観た事なくて、あれは確かに訳分からん映画だったけど、これはすごく分かり易くてポップな作品だったと僕は思ったんだけどな。端的に言えばこれは象徴的な意味での「父と子の関係性の回復」の物語なのだと思う(そういう意味では「ビッグ・フィッシュ」にも通じるものがある)。僕は若者ではなく、そろそろ中年の階段を上るお年頃(いや~ん)なので、浅野オダギリの感覚も笹野高史(殺されるオッサン)や藤竜也の若者に対する感覚も分かる気がする。僕も多分若い頃にああいう形で「どんなCD聴いてるの?」とさほど親しみを感じている訳でもないオッサンに言われたら、殺意は芽生えないものの多少イラついたと思うし、自分の息子に対して父親らしい態度が取れずに困惑する藤竜也も凄く「そうだよなー」と思った。何故かと言うと、僕と父親も似たような感じだから。いや、別に「一千万出せよ」とか言ったりはしないけどね。ウチの父の場合、僕が子供の頃は仕事の都合で殆ど顔を合わせなかったし、大学入ってからは一人暮らししてて連絡もあんまりしなかったんだよね(因みに母親は僕が中一の時他界)。んでまあ色々あって今一緒に暮らしてるんだけど、やっぱコミュニケーションたどたどしいもん。親父は僕がどんな音楽を聴いているとか、どんな映画を観てるとか知らないし、僕も親父の事を実はよく知らない。ぶっちゃけた話感謝も尊敬もしてるけど、それをどういう風に出したら良いか分かんないんだよね・・・っていつの間にか告白タイムになっちゃった。映画に話を戻すと、つまりオダギリと藤竜也は自殺した浅野を介して擬似的な父と息子の関係性を獲得したんだと思う。んー、まーつまりさ、ぶつかり合えば良いじゃんって事だよ。あの「許す」のシーンは泣けました。僕が監督だったらあれをラストシーンにすると思うんだけど、そうしなかったのは監督の「照れ」かな。そうそう、最後の高校生のシーン、あれは監督の若者に対する「挑発」なんだと僕は解釈しました。「お前らはどうするんだ?これからの“ミライ”」っていう、ね。浅野忠信も言ってたけど、僕はこれ観て爽やかな気持ちになりましたよ。あと、もうちょっと親父と話しとこうかな、とも。僕は今の所自殺する予定も死刑囚になる予定もないけど、親父もう七十過ぎだからさ。あ、THE BACKHORNの主題歌も最高。 
ぐるぐるさん [DVD(字幕)] 9点(2005-05-04 16:51:01)(良:2票)
1.人生を追い求める人に送りたい一本
ジョンさん 9点(2003-05-06 23:13:19)
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【点数情報】

Review人数 59人
平均点数 6.22点
011.69%
100.00%
211.69%
335.08%
4610.17%
51016.95%
61322.03%
7915.25%
8610.17%
9711.86%
1035.08%

【その他点数情報】

No名前平均Review数
1 邦題マッチング評価 6.00点 Review4人
2 ストーリー評価 6.16点 Review6人
3 鑑賞後の後味 6.57点 Review7人
4 音楽評価 6.00点 Review4人
5 感泣評価 4.75点 Review4人
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