8.《ネタバレ》 「前編・事件」は、少年少女たちの成長譚的側面が、ミステリー要素以上に色濃く展開され、歪な仕上がりではあったけれどエモーショナルな映画として見応えがあった。
この「後編・裁判」には、そういった少年少女たちの成長の行く末と、それの根幹に関わる事件の真相が詳らかになる展開に期待したのだが、大いに肩透かしを食らってしまった。
結論としては、前編の佳作ぶりを一蹴してしまう程の「駄作」だったと思う。
何と言っても最大の問題点は、真相の核心として存在する“柏木少年”の浅はかさだ。
当然ながら、前後編通じてこの物語の最たるキーパーソンである彼の存在性自体が、あれ程までに脆く軽薄であることは、ストーリーテリング上致命的な欠陥であり、文字通り“救えない”。
柏木少年を演じた望月歩くん自体は、今作が俳優デビューであるにもかかわらず、ある種の悪魔的存在感を醸し出そうと一生懸命役づくりをしていたと思うけれど、キャラクターとして最終的にあのような描かれ方をされてしまっては、ただの愚か過ぎる馬鹿者にしか見えず、正直同情の余地が全く生まれなかった。
逆に、こんな者のために、子どもも大人も含めたすべての登場人物たちが振り回され、何の罪もない少女が巻き添え死に至ってしまったことに対して、憤りしか感じない。
そして、この「裁判」で、一方的に真実を突きつけられ、最も己の罪に苛まれながら「生き地獄」に突き落とされたのは、藤野涼子でも、神原和彦でも、大出俊次でもなく、柏木少年の両親に他ならない。
少なくともこの映画の中においては、この両親の問題性を表す描写は無かった筈なので、ただただ気の毒でならず、不快感極まりなかった。
舞台が「中学校」である以上、どんなに複雑な人間関係を用意したとしても、導き出される「事実」は限定的にならずを得ない。
それに、原作者自身も、現代社会に蔓延する後を絶たない「問題」こそを描きたかったのであろうから、この「事実」ありきだったとは思う。
ならばもっと、その「事実」に至らざるを得なかったもっと根本的な「理由」こそを「真相」として描かなければならなかったと思う。
それが、柏木少年の深層心理なのか、過去のトラウマなのか、はたまた全く別の学校環境なのかは分からないけれど、それを描き出そうとする姿勢が無ければ、この物語自体が、現実社会の「問題」を類型的に、記号的に捉えているように思え、また不快感が募る。
その他の人物の描写においても、この「裁判」を経て、すべてが“良きこと”に繋がったように見せる顛末が、どうにも気持ち悪かった。
それはやはり、結局のところ、本当の真相に誰もたどり着いていないからだと思う。