4.《ネタバレ》 ブリジット・ジョーンズでイギリス英語を習得したゼルヴィガーが、それを生かしてまたしてもイギリス女性を演じ、製作にも参加して、「女性の自立」を高らかに追及した作品です。「ゲットした技術は持ち腐れにすることなし」という、彼女のしぶとさが感じられる。
私は実はとてもアンビバレントな気持ちになってしまう。
絵の中で動くキャラクターという傑作アイディアで、とてもとても可愛らしい作品に仕上がっているのだが。「きれい事」で終わったような気がしてならない。
これは「尺が足りない」という絶対的な事情により、ポターの「影」を表現する時間がなかった、ということでしょうか。
なので、金持ちの娘が親のツケで画材を買って、家事は使用人がするので暇があるからチンタラと絵を描く余裕があるのでそうしていたら運よく成功し、そうすると経済力ができたから親の言うことを聞く必要がなくなって自立した、という話になってしまっているのです。この身の上話にどのようにひっかかりが作れるというのでしょうか。
婚約者の死ですって?そんなん一時的なものです所詮男なんか消耗品ですし。いったいいつミスポターが危機に陥りましたかね。
絵に描いたような紳士然とした男性から求婚されて舞い上がるなんて面白くもなんともない。
私だったら、ノーマンにユアン・マクレガーなんて使わず、チビで顔色の悪い貧相な俳優を使います。ポターは、彼女にしかわからない魅力を貧相男に発見したのですたぶん。そうでもしなければ面白くなりませんし、実際そうだったのではないでしょうか。ノーマンはいい年こいて仕事もせず、母親の話相手をしていたようなオタク男性なんですから。
「幸い私は誰の許可も必要としない身分ですから」と勝利宣言をするまでのポターには、光に対する影がないといけないのです。深刻なイボ痔に悩んでいたとか、実はレズビアンだったとか、左右の足の長さが違うとか。光には影。宇多田ヒカルにも親の不倫。
ああ私も金持ちの家に生まれて使用人に家事をやらせて親のツケで買い物してアートでもやっていたらば、ポターになれたかもしれないのかなあ。
そういう感想を抱かせないようにするのが必須の作品であったと思うので、やはり失敗だと思います。これでは、ポターは「運よく全てを手に入れた女性」にしかなっていません。すべての他の女性に対してひろく訴えるものに欠けるのです。