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onomichiさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 404
性別 男性
ホームページ http://onomichi.exblog.jp/
年齢 55歳
自己紹介 作品を観ることは個人的な体験ですが、それをレビューし、文章にすることには普遍さを求めようと思っています。但し、作品を悪し様にすることはしません。作品に対しては、その恣意性の中から多様性を汲み取るようにし、常に中立であり、素直でありたいと思っています。

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1.  旅立ちの時 《ネタバレ》 
『旅立ちの時』の最大の魅力は、リバー・フェニックスその人に尽きると思います。リバーの演技、特に彼の切ない表情がたまりません。 彼と彼女(マーサ・プリンプトン)の出会いのシーン、何気ない散歩のシーン、初めてのキスシーン、自分の思いを告白するシーンなど、それは全て青春のオンパレードとなります。また、マーサ・プリンプトンがとても魅力的で、自分の愛情に正直な振る舞い、彼を一途に思う気持ちが胸を打ちます。それに対し、両親世代には自分たちの生き方に対するほろ苦さがあり、彼ら自身の親との断絶も描かれて、リバーの境遇を通して繰り返される家族の悲劇が僕らの胸を締め付けます。  リバーはとても従順な男の子で、決して両親に逆らわないのですが、そこには彼なりの葛藤があります。熱い気持ちと諦念が同時にあり、それはもどかしくも彼の中で静かに流れていきます。その描かれ方は、反抗の60-70年代とは違うし、現代的な無根拠で等価交換的な若者の振る舞いとも違います。ある意味で、リバーの姿こそ、僕らの世代(80年代をティーンエイジャーとして過ごした世代)の象徴のような気がして、なんとなく心置けない気持ちになるのです。  この家族は、反体制派であり、反社会的な存在の最たるものなのですが、その中にも「愛」があり、そして今や失われた「青春」があります。そして、大人になるということ。その道筋がしっかりと示され、達成されている。実は、とても真っ当な家族の姿だと僕には思えます。
[DVD(字幕)] 10点(2011-05-31 22:21:33)(良:1票)
2.  ダ・ヴィンチ・コード
原作は夢中になって読んだ。その謎は僕らのイマジネーションを刺激するのに充分衝撃的だったし、尚且つそれなりのリアリティがあった。しかし、ミステリーとしては一流だけど、サスペンスとしては三流だったかもしれない。スリリングなオープニングの展開がサスペンスとして持続していないのは、やはり拍子抜けの感が否めない。それは著者がサスペンスよりも歴史ミステリーを優先させたからなのか、単なるプロットとストーリテリングの能力の問題なのかよくわからないけど、なかなかこの2つを兼ね備えた作品というのはないようである。だけど単純に言えば、僕はこの作品が好きである。それは、この作品のミステリー部分が僕の歴史的記憶にとてもマッチしたからだ。  映画にしろ、小説にしろ、音楽にしろ、作品とはそれ自体がイマジネーションであると同時にそれは僕らのイマジネーションを補完するものである。作品の技術的な良し悪しがあるのと共に、作品が僕個人のイマジネーションに共振し、僕個人の物語を補完する。それがどのように僕を掴み、震わすのか?そういった評価軸は絶対個人的にのみ存在し、それこそが作品に対する絶対的評価になり得る。(評価とはそもそも絶対的でしかありえない) だから敢えて言うけど、この『ダ・ヴィンチ・コード』という映画は、『ダ・ヴィンチ・コード』という小説世界を映像として補足しているだけのものであるにもかかわらず(というかだからこそ)、小説を読んだものにとって、この映画は小説の映像的な補完として違和感なく受け入れられる。『2001年宇宙の旅』が映画とノベライゼーションでワンセットの作品であった、、、のとは意味合いがちょっと違うかもしれないけど、映画がその映画だけで評価されなければならないという決まりは全くないのである。 つまり、僕の映画『ダ・ヴィンチ・コード』の評価は、映画単独での評価というよりも作品として小説とワンセットとなっていることが前提なのである。  あと、、、実在するオプスデイやバチカンをあからさまに非難する姿勢はなかなかすごい。オチのつけられなさはこの作品の性質上自明であるとも言えるが、そこに明確な思想というかイデオロギーが全くないところも現代的でこれまたすごい。なんというか、如何にもアメリカ的な「能天気な合理的過激さ」とでも言うべきものがある。。。
[映画館(字幕)] 8点(2006-05-28 03:22:26)
3.  ダウン・バイ・ロー
トムウェイツは、当時「レインドッグス」が出た後、僕自身もこの知る人ぞ知る傑作アルバムに痺れていた頃だったので、へぇ役者もやるのかぁ、いいかもね、なんて感心したものです。さて、映画の話ですが、当時、ジャームッシュ的なノリが新しいものとして登場して、世間を席巻していました。反ハリウッド、反商業大作という風潮は、映画に関わらず、音楽の世界でも10年に1回くらい押し寄せる景気の波みたいなものです。ただ、ジャームッシュの映画に関していえば、僕自身には、どうもぐっとくるものがなく、特に「ストレンジャー・ザン・パラダイス」や「パーマネント・バケーション」なんて、退屈なだけの映画としか印象に残りませんでした。70年代のアメリカンニューシネマがアンチヒーローのノリだったのに対し、80年代の中期に興ったこのノリは、カッコよく言えばノンシャラン、向うべきところのない足掻きを忘れた無気力といってもいいものでしょう。確かにセンスがあってカッコいいけど、ただそれだけ。生き難さに捉えられることなく、逃避を繰り返す80年代ポストモダン的風潮が産み落としたものだと言うこともできるかもしれません。確かにその世界観は正しいけど、そこにはその世界で真っ当に生きるための道筋が全く見えない。彼らのセルフストーリーが全く見えないのが不満だったです。こういう感想が今や正しいものなのかは分かりませんが、僕は映画の中に彼らの足掻きが見たい、ストーリーを感じたい。それが映画作家の真っ当な姿なのだと思うのです。ちなみに「ダウンバイロー」に関して言えば、ベニーニやトムウェイツがわりといい味を出していて、ちょっと気に入ってたりして。あれ?
8点(2003-10-13 16:57:33)
4.  ダイナー(1982)
この手の青春群像を描いた映画って結構ありましたね。「セントエレモスファイヤー」とか「ファンダンゴ」とかね。その中でもいちばん好きな映画です。クールでいて、もの哀しい、そんな雰囲気がたまりませんです。あ~、青春だァ。
9点(2003-07-27 17:02:48)(良:2票)
5.  タクシードライバー(1976)
この映画のテーマはずばり「正義」の行く末でしょう。この世の中に正義がなくなって久しい。主人公が愚直に信じる正義の観念とはうらはらにその向かうべき対象は異様なねじれを見せる。そういう世の中である。一見するとそれは単なる狂人の妄想に思えるし、ラストの展開は「暴力衝動」の発露そのものに見える。スコシージ自身もデニーロの圧倒的な存在感を軸として、そういう見せ方をしているから、この映画自体がストーカー的な「狂気」へのひそやかな共感という見方をされることも分かる。しか~し、始めに戻ると、この映画のテーマは「正義」の行く末である。僕らは今やこの「正義」の意味についてあまり自覚的でない。その当時、アメリカがベトナム戦争を「正義」の戦争として遂行していた時、主人公の「正義」は確かにあったはず。「正義」への従属こそ人を生かしめた時代があり、その後それは「懐疑」の象徴に代わった。ベトナム後ですら、主人公はあまりに「正義」への従属に愚直であり、そういう人間像として、主人公は「正義」に殉じるヒーローたろうと奮闘し、その末に念願のヒーローになる!が、それはあまりにいびつで滑稽な達成であった。「正義」という観念にとって、それはそれはもの哀しいラストなのである。「正義」や「ヒーロー」という言葉に空虚な響きしか覚えない現代の僕らにとって、そのいびつさは自明すぎるだろうか。「正義」は「小さなラディカリズム」へと変遷し、今では「狂気」そのものになってしまったのだろうか。失われた「正義」に心を震わせること自体が既に時代遅れな感覚なのだろうか。
10点(2003-07-27 15:54:38)
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