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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1251
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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41.  おクジラさま ふたつの正義の物語 《ネタバレ》 
題名(副題の方)にクレームを付ける目的で見た。 かつて“正義の味方”という言葉があったが、そこでの“正義”とは社会の構成員が安全・安心に暮らすために必要な共通認識を規範として守り、あるいは守らせるよう努めることだったと考えられる。要は“人を殺してはならない”といった類の極めて基本的なもので、だからこそ“正義の味方”の登場は子ども向け創作物に限られていたわけだが、だからといって子どもの世界にしか正義が存在しないわけではない。わざわざ口に出して言わないにしても、大人を含めた社会の全員が“正義の味方”でなければならないことになる(程度の問題はあるとして)。 そのような前提でいえば、副題のように正義が複数などということはありえない。現実には、何が正しいかについて社会の共通認識が得られにくい問題が多いにしても、逆にいえばそのような問題に対して“正義”という言葉を使うのは誤りだということになる。確かに個別の個人的見解や信念を揶揄するためにこの言葉が濫用されているのも事実だが、それが日本語の“正義”の意味を変質させ、さらには社会の構成員が守るべき規範が存在するという意識までも希薄にしていくことはないのかと危惧される。 この映画の副題は、そのような風潮を助長するとまではいわないにしても(そこまで影響力はないだろうが)社会の安全・安心を損なうことを平気で表現しているのは間違いない。解説文にある「正義の反対は悪ではなく別の正義」という言葉を使うなら、“人を殺してはならない”という正義の反対は“人を殺してもよい”という別の正義であって悪ではない、ということになるが、そういうことをこの映画は意識していたのかどうか。 さらにいえば、捕鯨問題のように人類全体の共通認識が得られにくい題材をわざわざ選んで“正義”を相対化して骨抜きにし、アメリカ発という高級そうな見かけを装って、日本人の多くが正しいと思うことをポピュリズムとして否定し侮蔑して貶めようとしているのではないかと疑っていた。全て副題の印象が悪かったためである。  そういう最悪の先入観のもとで見たが、実際は自分がこの問題に関して感覚的に思っていたことに沿った内容で、日本側へのメッセージも含めてそれほど反発を感じるところはない。外部情報によれば、完成前からアメリカで激しく批判されていたのをものともせずに発表したとのことで、少なくともアメリカに迎合しようとするものではなく、かえって作中で言われていた日本人のPR下手を助けるものになっている。結果として先入観の方が間違っていたことになるが、点数は本来の数字から副題分を減じてつけておく。「正義の反対は…」の英語原文の訳し方に対する反感である。 ほか余談として、登場人物の中立的(親日的)アメリカ人の話の中で「海兵隊を内陸(アイダホ)に投入してるようなもの」という表現はユニークで笑った。これ自体は反捕鯨団体の行動力に一定の敬意を示した上での発言だったが、ここで自分としては“活動的な馬鹿より恐ろしいものはない”という言葉を思い出した。もう一つ、少し可笑しいところとして、小学校で「ろうかはあるこう」と書いてあるのに平気で走る子どもらを映していたのは“元気な子どもたち”(または“大らかな学校”)の表現かと思われる。
[DVD(邦画)] 5点(2019-10-19 17:23:35)
42.  フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ 《ネタバレ》 
前作「フランケンシュタイン対地底怪獣」(1965)に続くフランケンシュタイン第2作である。前作と異なり、同時上映の映画は明らかに子ども向けだったようなので、今回は普通に怪獣映画の扱いだったと思われる。 基本的な設定としては前作の経過を引き継いだ形だが、水野久美さんが共通の出演者というだけで、ほかは役者も登場人物の名前も違っており、ずれのある並行世界のようである。今回も日米合作とのことで、水野久美さんが洋モノ映画で見るような、感情で動いて面倒を起こすバカ女の役になっていたのは残念なことである。メイクもきついので可愛気がない。 また怪物の造形も、もさっとした着ぐるみになってしまってケモノの印象が増しており、これはキングコング対キングコングのつもりだろうかとも思う。羽田で人が食われたのは衝撃的だったが、前回は人間っぽかった怪人が、条件次第でいつ今回のようなケモノに変わるかわからないというのでは、やはり全部駆除しておいた方が無難ということになってしまう。劇中の科学者も研究材料が失われないようにとしか考えていなかったようで、前作に比べて人の心が失われた単なる怪獣映画のように見えた。かろうじて兄弟愛という点で、最初に兄が出現した時の、おれの弟に何をするんだ、という抗議の姿勢が印象に残った程度である。 ちなみにタコを最初に出すことにしたのは前回からの改善点ということかも知れない。今回も最後は海底火山の爆発というのが唐突だが、これは1952年の「明神礁」爆発が人々の記憶に残っていたからだと思われるので、その発想自体は理解できなくはない(「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」(1967)でも冒頭にニュース映像が出る)。  なお今回の見どころは何といっても陸上自衛隊の大活躍である。最初に何をするか明示してからの準備がかなり念入りに見えたが、その甲斐あって効果は絶大で、怪物が今にも死にそうなところまで追い詰めたのは前代未聞の大戦果である。ヘリコプターが身を挺しての遅延策も功を奏し、怪物が木をなぎ倒しながらひたすら逃げ回るのは痛快だった。日頃から不死身の大怪獣を相手に戦っている自衛隊がその気になれば、サル人間程度は容易に倒せるということである。今回初出の殺獣光線車の重量感がいい。 また人型の怪物がミニチュアセットの中で、その辺のものを蹴散らしながらドカドカ走って行くのは珍しい眺めだった。
[DVD(邦画)] 5点(2018-04-08 23:28:04)
43.  大海獣ビヒモス 《ネタバレ》 
放射能怪獣が大都市を襲うパターンは「原子怪獣現わる」(1953)と同じだが、前回からここまでの間に“放射能は怖い”という認識に至ったらしいのは著しい進歩である。食物連鎖をもとにした説明はゴジラにもなかった説得力があり、また怪獣の死体を「核廃棄物として安全に処理」する必要があると思っていたのもまともな感覚である(実際はそうでもなかったが)。最後はゴジラ並みに“最後の一匹だとは思えない”的な終わり方になっており、核の時代に警鐘を鳴らす形には一応なっていた。 またこの映画でも怪獣が出現するのは遅いが、その間のドラマ部分にあまり退屈しなかったのは大違いだった。積極派と慎重派の学者がある程度の緊張感を持ちながら、結構まともに見える検証を通じてともに怪獣の存在を確信するに至り、それを軍当局に通報したことで速やかに対策が始まるというのが理性的で、これはさすがイギリス人だとか思ってしまう。また放射能カレイ(日本なら放射能マグロ)が発見された時点で、慎重派の学者は市場に出ないよう関係機関に通報し、積極派の学者は原因究明に当たっていたのもそれぞれの個性を生かした分担で現実味があった。トロール船の船長と学者の会話もなかなか気の利いた感じで面白い。 ただし出て来た怪獣は基本が恐竜なので姿形に面白味がない。それでも何か武器を持たせなければならないと思ったのか電気ウナギからネタを借りたようだが、実際それで攻撃する際の効果音が極めて間抜けである。それでもやっとロンドンに上陸した後はそれなりの迫力があり、川岸からぬっと上がって迫って来るとか、お決まりの高電圧線の接触場面など面白く見せようとしているところもある。パニック描写としてはエキストラ然とした人々がとにかく走る場面が多かったが、街角で怪獣を見た老人が口をあけたまま固まってしまい、その後のポワポワ攻撃でやられてしまったのは気の毒だが笑ってしまった。 なお途中で出た古生物学者は低身長で威厳はないがユーモラスで、これから第三の中心人物として活躍するのかと思ったらすぐ退場してしまったのは残念だった。制作側としては、もし恐竜が生き残っていたらという子どもらしい夢を、この人物を通じて語らせようという思いがあったように思われる。日本のゴジラも出発点は恐竜ながら、その後は普通一般の生物を超越した存在になっていったのとは対照的である。
[DVD(字幕)] 5点(2016-09-17 19:59:36)
44.  呪怨 パンデミック 《ネタバレ》 
今回は邦画劇場版2の女子高生に加えてOV版1の栗山千明のエピソードなども拾っており、またOV版2の見どころだったフライパンが採用されていたのは個人的に嬉しいが、変にシリアスな場面になってしまって可笑しさを感じないのは残念だった。その代わり、劇場版1の谷津勲氏がさりげなく登場していたところは笑った。事情を知らない外国人ならいたたまれない気持ちになるだろう。 ストーリーとしては前作の続きになっており、題名の印象ほどいきなり拡散はしていないが、邦画版の試みを受け継ぐ形で今後の新たな展開を企図したようでもある。最初の家で惨劇を再現することで新たな呪いを生むのは劇場版1のラストに通じる感じで、また新人を身代わりに残し、その上で母子が外国に移住したということならちゃんと手順を踏んだように見えなくもない。けっこう細かい疑問点が残るため前回ほど整理された感じはないが、それはまあこのシリーズでは普通のことである。 一方で、今回はどうも日本古来の精神文化がこのような怪現象(というかホラー映画)を生んだことをPRしたかったようで、変な田舎に不気味な習俗があるというような話を今回独自にでっち上げていたが、このシリーズはどちらかというと都市的な怪異を扱ったホラーと個人的に思っていたので、いきなり外人が山間地まで出かけて行くのはかなり違和感があった。 以上のほか、今回は母と娘の関係でわりとまともなドラマを作っており、これはこのシリーズとしては特異に見えるが悪い印象はない。また前回でも示唆されていたようだが、今回はガガガ音の由来を初めてまともに説明したように見えたのが新鮮だった。  ところで今回の主人公は比較的かわいく見えるので結構だが、女子高生連中は明らかに可愛くない。金髪と帰国子女?(日系人?)などは早目に死んでもらっていいと思ったが、もっさりした女子高生役の女優が、映像特典のインタビューを見るとけっこう可愛い人(ただし20代初めの状態)だったのは意外だった。邦画ホラーならかわいい女優はかわいいままで出すのではないかと思うが、この辺も少し感覚の違うところか。
[DVD(邦画)] 5点(2015-12-12 13:55:24)
45.  ダーク・ウォーター 《ネタバレ》 
原作からの映画化というより邦画版のリメイクになっている。意味不明なでんでん太鼓とハローキティは日本起源ということを何気に示していたものか。 邦画版と同様にホラー映画らしい派手な場面はあまりなく、その分をストーリーで見せようとしているわけだが、邦画版を見てからだと筋立てがあまりに明瞭で、また簡素化したせいもあって大枠ばかりが目立つ感じになっている。その割に、途中で主人公が母親失格だなどと言い出すのが唐突で、この辺は消化しきれておらず半端な印象もある。また終盤では、問題の子どもが悪魔のように邪悪な意思をもって欲しいものを奪い取ろうとしたように見え、無心に母を恋しがる子どもの印象がなかったのも悲哀を感じさせなくなっているが、まあ外国製なので感覚が違うとすれば仕方ないかも知れない。 なお主人公がタンクの蓋を開けて覗く場面は、自分の知る限りでは2つの邦画ホラーで流用されており、これは日本の関係者にとっても印象深い場面だったようである。また娘が学校の便所で怪異に遭遇した際、個室に逃げ込んでいたのはいかにも日本風の行動で笑った。こんなところに籠っては、かえって逃げ場がなくなることをアメリカ人も思い知った方がいい。
[DVD(字幕)] 5点(2015-11-07 23:31:42)
46.  巨大アメーバの惑星 《ネタバレ》 
冒頭のドラムマーチが勇ましいので期待が高まる。続く管制室の様子がけっこう本物らしく見え、管制員も本当に何らかの仕事をしているように見えて感心する(これは本物を撮影したのか)。火星の風景映像は単純な技法なのだろうが異世界の感じは出ており、これで造形物の貧弱さもある程度ごまかされている印象がある(が、ただの絵だけのものはさすがにごまかせない)。 当方としてはコウモリグモの映画と思って見たわけだが、そのほかの火星生物も出て来るので結構豪華である。まあ邦題の生物は出ない方が変なわけだが、人が食われるところなど見ているとThe Blobのようで結構恐ろしく、これに食われるよりなら感電死の方がまだましだと登場人物も言っていた。火星人ははっきり見せてしまうと失笑モノだったろうから、半分隠れているくらいにしておいてよかったと思われる。 またコウモリグモ(字幕ではコウモリ蜘蛛)は英語で"Rat Bat Spider"と言っており、日本語にはないネズミも入っているが、それでもカニ(エビ?)の特徴を捉えていないので一言では言い切れていない。撮影手法のおかげもあって結構怖く見えるが、フワフワ(トツトツ)と動く様子はクモの感じを出していて面白い。  ところで異星人が地球からの進出を歓迎しないという話は、日本では「ウルトラQ」第3話(1966年放映)を初めとして何例かあるが(「地球防衛少女イコちゃん」でも言っていた)、そういう発想はこのあたりが出所だったかと思われる。ラストでは、敗戦後に日本人が言われたようなことを地球人類が言われていたが、この頃の日本はすでに一億総懺悔して謹慎中であるから、これはいつまでも経ってもインディアン征伐を続けているつもりのアメリカ人に向けたものだろう。劇中でネズミコウモリグモが退散していく様子は哀れにも見えていたが、そもそも原因は地球側の狼藉だったのであるから向こうに非はないのであり、これはこの連中のトラブルメーカーとしての本質を象徴的に示したものと思われる。アメリカ人はネズミコウモリグモに謝れ。
[DVD(字幕)] 5点(2015-06-01 22:12:17)
47.  地球へ2千万マイル 《ネタバレ》 
序盤で子どもが出るので、この子どもが最後までつきまとって煩わしい映画に違いないと思っていたら、金をせしめた後は出なくなったのがドライな印象だった。代わりに外人男女が親密になっていく様子が描かれていたが、事件が終了したとみた途端に2人でどこかに消えてしまったのは無責任で好きになれない連中である。またラストで科学者の博士が意味不明瞭な教訓を述べていたのはわが国の怪獣特撮にも見られる特徴である。 劇中ではアメリカ軍が執拗に金星竜を捕獲しようとしていたが、これは金星の大気中で人類の活動を可能にする秘密を探るためとのことだった。そのために最後は死人まで出てしまったようで、ここは人間の功利的な態度が手痛いしっぺ返しをくらったというように理解したいところである。しかし実際はその前に科学者連中が一定の成果を出してしまっており、結果的には人間(と金星竜)の生命を犠牲にしてでも欲しいものは獲った、という形になっていたのは共感しがたいものがある。 ただシチリアの現地警察があくまで人命保護を優先し、アメリカ軍への協力を拒否して独自に行動していたのは、人類の進歩を一人で先導しているかのような顔の傲慢な大国に対して一定の意地を見せていたといえなくもない。  ドラマ的には以上のような感じだが、撮影技術の面ではさすが侮れないものがある。金星竜の動きが非常に丁寧に作られており、合成も結構上手いと感じられる場面が多い。またゾウの重量で車がつぶれたあたりも実物感がある。そのほか構図の取り方も格好よく見えたりして、映像面では文句をつける気にならない出来だったとはいえる(が、ロケットを絵でごまかしたのは感心できない)。
[DVD(字幕)] 5点(2015-06-01 22:12:13)(良:1票)
48.  シュウシュウの季節 《ネタバレ》 
まずは自然景観が美しい。場所は四川省内のチベット人居住地域という可能性もある。 内容としては過去の厳しい時代を描いているが、この映画自体は特に政治的主張を含むものとは思われず、そもそも過去の政策を批判して現在が変わるものでもないので、自分としてもこれでこの国への感情を今以上に悪化させたりはしない。劇中に下司な人間が多く出るのは政治体制などと直接関係なく、単にこの社会の文明度とか文化性のレベルを示しているものと解する。  ところで主人公の少女は確かに愛らしいが、自分としては冒頭からいかにも女優が演技しているように見えて心理的に距離を置いてしまい、結果として劇中の悲惨な状況にも過度の思い入れを持たずに見ていられた。さすがに過激な性描写はやりすぎと思うが、ここでの役者はエンドロールに出る「秀秀替身」であって、体型だけ見ても主人公が実際にやっているようには思われない。 それより痛々しいのは同居の男の方であり、一体どこまで耐え忍ぶつもりかと呆れ果ててしまって同情心も失われる。しかし原作者・監督とも女性であることからすれば、これは女性が望む純愛の姿を描いていたのかと思えなくもない。“男は去勢でもしない限り本当の愛を知ることができない”というならかなり毒気のある話になるが、女性の側がどれだけ変質しようと男は一途に愛を貫くというのもかなり都合のいい展開であり、どうも視点の所在が自分とは真逆と感じられる。 本来は自分としても少女の境遇に涙したかったわけだが、それほど純粋な気持ちの持てる年代でないこともあり、残念ながらかなり皮肉な感情を催す映画だった。この映画はあくまで美少女を主人公にした作り物だが、現実にはこういった悲劇は無数にあるだろうし(劇中ではほかに失踪者が一人)、その全てに涙してやれるわけでもないという諦観のようなものもある。  なお直接関係ない話だが、少し前に成都市での会議に出席した際、われわれ一行の世話役についてくれた地元の学生ボランティアが童顔で天真爛漫で本当に可愛らしい人で、それで現地の印象が若干よくなってしまったのは向こうの思惑にまんまと乗せられた形である(ハニトラはなかった)。現在でもいろいろと暗い側面が伝えられる国ではあるが、彼女のような人がのびのびと生きられる社会であってほしいと余所事ながら切に願う。
[DVD(字幕)] 5点(2014-11-04 20:38:26)
49.  ザ・フライ 《ネタバレ》 
初見はTV放送で、20年以上前だろうが強烈な印象を残しており、”BRUNDLE, SETH”という電話帳のような言い方や”BRUNDLEFLY”という単語など、些細なことをはっきり憶えていた。その割に残酷描写の具体的内容は忘れていたが、これはあまりにグロいので記憶を封印していたのだろうと思われる。  今回あらためて見てみると、初見時とほとんど同じ感想である。まず序盤で悪役と思わせた男が最後に献身的な働きをするのが不自然に思われるほか、特にヒロインがなんで自ら好んでハエ男に関わろうとするのかがわからない。たとえ記憶が残っていても容貌と性格が違えば別人にしか思えないだろうし、それでも強い思い入れが残るほど長年連れ添ったというわけでもない。最近出来たばかりの男女関係でこの話を作るのは少々無理があるのではないか。遅くとも悪夢を見た時点で決別すれば何の問題もなかったものを、わざわざ妊娠したと告げに行き、その帰りにハエ男に話を聞かれてしまうという展開が極めて作為的である。残念ながらこの二人のラブストーリーに関しては全く納得できない。 ただ一方で、主人公の男がもともと愛すべき人物であり、その境遇が哀れに感じられたこと自体は間違いなく、これも初見時と同じ印象だった。全体としては好きになれない映画だが、この点だけは評価したい。  なお終盤の蛮行では被害者の顔を狙わないで済ませたことからすると、これでまだしも穏健な映画だったとも思われる。
[DVD(字幕)] 5点(2014-01-27 20:49:04)
50.  宇宙水爆戦 《ネタバレ》 
 原題を直訳すると「この島 地球」としかいいようがないと思うが、少し意訳すると「宇宙の孤島、それが地球」というような感じでいいだろうか。内容的には、高名なメタルーナ・ミュータントが実は頭悪そうだとか、宇宙の場面が出るのが遅いとかいう不満はあるが、基本的には真面目に作ってあるので好印象である。  ところで、この映画を見て驚いたことが二つある。 一つは(些細なことだが)夕食の場面で、女性の研究者が「モーツァルトは美しいですわ」(字幕)と言っていたのがフィンランド語だったことである。なんで1955年公開のアメリカの特撮映画に突然フィンランド人が???と、ここで一瞬目が点になった。そのあとドイツ人の博士がドイツ語でしゃべっていたので、フィンランド人がフィンランド語でしゃべるのも不思議はないだろうが、そもそも劇中ではフィンランド人という説明も何もなかったようなので、ほとんどの観客は何語だったか知らないまま一生を終えるだろう。逆にフィンランドでこの映画が公開された際(米公開と同年)には、地元民も目が点になったのではないか。アメリカ人も妙な遊び心があるものだと思う。  もう一つは、敵の攻撃を受けているメタルーナ星が、遊星爆弾で攻撃されるガミラスのように見えたことである。さらに敵の本拠地はもと彗星だったという話まで出ていた。わが国の誇るSF風アニメの元ネタ(パクリネタ)がこんな所にあったということで、これは本当に驚いたが、それをいえばメタルーナ・ミュータントのデザインも、後に「ウルトラマンタロウ」の宇宙人にパクられている。日本としてもイマジネーションの源泉をこの映画に多く求めているようで、やはりこれは特撮の古典的名作だと思うしかない。
[DVD(字幕)] 5点(2012-06-05 21:21:17)
51.  第9地区 《ネタバレ》 
予備知識なしで、なんでヨハネスブルグなのかも考えずに見始めた。最初、タイトルの場所がいかにも黒人居住区のように見えるにもかかわらず、扱いに手こずる宇宙人連中を見ていると、知的生物とはいえ意思疎通もできないようだし、一軒一軒ハンコをもらって歩くようなのは馬鹿らしく、移住させても問題先送りなだけで、そもそも人類でもないのだから、皆殺しにしてしまえば簡単ではないか、と思ってしまった。 しかし、主人公と宇宙人の親子がコミュニケーションを始めると、ちゃんと意志の通じる、われわれと同じ人間だということがわかり、殺してしまえなどと思っていたのは何だったのかという気がした。もともと前半と後半で視点が移動する映画なので、そのように思うのも当然だろうが、自分としては見事にレイシズムを疑似体験させられてしまったという思いがある。対象を人類ではなくしたことでそういう効果が生じたわけだが、それにしても自分で呆れてしまった。 ただ、180万もの人口がありながらまともに話が通じるのはごくわずかで、あとはみな野蛮人同然というところや、また全編を通じての殺伐とした雰囲気まで、南ア社会の現状を描写しているように受け取るのは、さすがに行き過ぎなのだろうと思う。多分。 なお主人公は、最初は見ていて嫌悪しか感じず、ワーワー騒いでいるのを見て死んじまえこのバカなどと思っていたのだが、最後は真人間になったようでよかった。
[DVD(字幕)] 5点(2012-02-26 22:55:12)
52.  怪獣王ゴジラ 《ネタバレ》 
追加・省略や前後の入れ替えはあるが意外にもとのストーリーを残して、先行の「原子怪獣現わる」(1953米)並みの娯楽映画にしている。 追加場面を入れての編集はなかなかうまくできている。序盤で船員の家族が官署に押しかけた場面では、追加した部分でも記者と一緒にドアから入って来ようとする家族を映して、もとの映像と整合させる工夫をしていた。入れ替えや短縮で辻褄が合わなくなったところもあるがどうせアメリカ人にはわからない。また後半は日本人の発言もなぜか英語になっていたが、人名や「まあ!」といった間投詞はもとの音声を残すという細かい作業をしていた。 本来の反戦・反核メッセージは失われた印象もあるが、核兵器との関連付けは一応残してある。それ自体は「原子怪獣…」も同じだが、しかしやられた側とやった側でのスタンスは大違いなわけで、この映画でも当時の日本人が誰でも知っていた第五福竜丸事件の印象を薄め、また長崎の原爆や疎開といった戦争の記憶、当時の現実の不安だった原子マグロや放射能雨に言及した場面を削除している。  個人的に気になった点として、序盤で記者が「エミコ」の腕を乱暴につかんだ場面では気安く触るなと言いたくなった(替え玉アメリカ人だろうが)。また火でやられた男がアーーーとアジア人っぽく叫ぶとか、仮設病院でギャーと泣く声(大人の)が聞こえるのは日本映画らしくない。 ほか日本人としては火の海になる東京を見ると戦時中の空襲を思わされるわけだが、何千人もの人が死んだという言い方を記者がやたらにするので、東京では一晩で何千どころか10万人もの一般庶民がアメリカに殺されたのを知っているかと言いたくなる。いわばS20.3.10の東京大空襲の時に、なぜかたまたま下にいたアメリカ人の体験談のような映画であって、アメリカ人でもやられる側に身を置けば、死んでいくのがネズミでも昆虫でもダニでもなく人間だと認識できるのかという気分だった。 それはそれとしてゴジラが世界的に知名度を上げるきっかけになったという歴史的な意義はあるので相応の点数はつけておく。
[インターネット(字幕)] 4点(2024-05-25 21:11:58)
53.  宇宙船の襲来 《ネタバレ》 
アメリカの地方の町が宇宙人に侵略されて大変なことになった話である。舞台はほとんど地方の町とその郊外だけ、特撮関係は着ぐるみ宇宙人と少々の特殊効果と宇宙船の一部が映るだけである(+宇宙の絵)。ジャンルは一応SFということになっているが、実際は宇宙人が出る怪奇サスペンスドラマという程度でかなり退屈だった。 宇宙人は「アンドロメダの惑星」(a planet in the Andromeda constellation)から来たとのことだが、それだけではどの辺なのかの説明になっていない。しかし警察署長の台詞からするとうちの銀河とは別の銀河から来たらしいので、そっちの方にあるどこかの銀河と思われる(NGC 891など)。遠方からわざわざ地球まで来た理由が「生命のある惑星は少ない」からだというのは、今になれば少し新鮮な感覚のようでもある。 なお宇宙人が来た理由が「人間の女に我々の子を産ませる」ためだったという発想は、東宝特撮映画「地球防衛軍」(1957)の元ネタかと思ったら製作時期は逆だった。この映画に比べれば「地球防衛軍」など超豪華娯楽大作に思われる。  ところで日本語字幕では、宇宙人にとって「女は子供を作る道具だった」と書いて東洋の儒教的な人権抑圧の印象を出していたが、原語の台詞では「道具」とは言っておらず、要は繁殖のためだけの関係だったと説明していたようである。つまり結婚は子作りのためにするという固定観念を否定して、愛と幸せを得るためにするものだと言いたい映画だったようで、これは2020年代の現代でも比較的受け入れられやすい考え方と思われる。 主人公宅の宇宙人は結婚生活を通じて人の心がわかって来たようで、妻に受け入れてもらえないことを嘆いたりもしていた。妻に事実を告げたのも心を開いてもらいたかったからで、自らも愛と幸せを願いながら結局果たせなかった結末は泣かせるといえなくもない(泣かないが)。人類の持っている結婚の習俗に関して、それを持たない者の立場で語らせることにより、改めてその価値を際立たせてみせようとした映画だったのかと思った。 ちなみに終盤の人類側の大反攻では犬が大手柄を挙げていて(尊い犠牲あり)、動物との間でも心を通わせることのできる人類の強みが出たようでもある。今回の宇宙人はそういうこともできない寂しい種族だったようだ。
[DVD(字幕)] 4点(2024-03-02 22:25:15)
54.  デッドリー・マンティス 《ネタバレ》 
北極から大カマキリがアメリカに飛んで来て大変なことになったという映画である。日本では「極地からの怪物 大カマキリの脅威」の名前で2013年(多分)にDVDが発売されている。 最初に南極海で火山が噴火したら北極にカマキリが出たというのは、思わせぶりな説明がついていたが意味不明である(バタフライ効果?)。カマキリは水爆実験で巨大化したとかではなく最初から大型のカマキリだったようだが、本物のカマキリとの違いが見えるわけでもなく、要は大きいだけの単なるカマキリである。ただしカマキリのくせに怪獣声で鳴くのは変だった。 造形物はそれなりに作ってあり、飛ぶ時に翅が高速で震えるのはそれらしい映像だった。カマキリの犠牲になった人々はいたが、人が食われるとどれほど悲惨かということは見せていない。ワシントンDCへの襲来場面では、こういうものに虫がとまっていることはありそうだと思わせる場面はあった。  ドラマ的には、ヒロインを間に挟んで男2人の微妙なライバル関係ができるのかと思ったらそうでもなく、おざなりでしょうもないロマンス展開だった(よくあることだが)。なお北極の場面で、この辺には木が生えていないと言った直後の風景映像で樹木が見えるのは間が抜けていた。 また事件の解明の過程で登場人物がやたらに「消去法」を使っていたのは、台詞にあったようにシャーロック・ホームズを真似た推理小説風の展開を目指したのかも知れない。しかしカマキリ映画ならではと思わせる必然性のある趣向でもなく、孤立的なアイデアにとどまっている。 ほか開始早々レーダーによる北米の防空監視体制に関するくどい説明があり、その後に出た「地上監視隊」というのも1958年まで実在した民間防衛組織のようで(Ground Observer Corps、最後に謝辞が出る)、東西冷戦の時代を背景として、北の空からの脅威に備えるべきという広報宣伝の意図があったようでもある。ちなみに現在のNORADは毎年12月にカマキリでなくサンタクロースを追跡しているが、実はこの映画の時点でもすでにやっていたらしい。 真面目に作った特撮映画のようだが単なるカマキリなので面白味がなく、その他の点で特に感心させられることもない。ただしこれが後の東宝怪獣映画のカマキラス(1967年初出)のもとになったのかとは思った。
[DVD(字幕)] 4点(2023-12-09 14:18:15)
55.  原爆下のアメリカ 《ネタバレ》 
1949年のソビエト連邦の核実験や1950-1953年の朝鮮戦争、またアメリカでの赤狩りといったものを背景にした映画と思われる。強烈なメッセージ性が特徴だが、ほか最後にラブストーリーだけが現実化していくといった構成の妙があるとはいえる。 邦題には「原爆」が入っているが、原題では「侵略」と言っているだけで核兵器は特別視されていない。劇中ではかなり気安く原爆が使われていて、まだ水爆も大陸間弾道ミサイルもない時点での核戦争はこのように想像されていたというようではある。核兵器が使われると熱線と爆風が来るといった感覚もなく(放射能という言葉は出たが)、単に強力な爆発物としか思っていなかったようだが、「核魚雷」で空母が大破して復旧に努めたが総員退去して沈没した、などというのでは普通の魚雷と違わないではないかと思う。 開戦の原因は不明だったが、要は世界征服を企む悪の勢力が一方的に侵略して来たらしく、卑劣な奇襲攻撃に応戦したところから全面戦争に発展する、というパターンができていたようだった。敵の先制核攻撃に対しアメリカは3倍返しで応じていたが、しかし攻撃対象は軍事基地・工場・鉄道・港・油田とのことで、一般庶民の居住地が対象外というのはさすが世界正義を体現するアメリカらしい人道的対応と思わせる。実写映像には朝鮮戦争のものもあった感じで、また「太平洋艦隊」という台詞も出ていたので日本も無風状態だったとは思えないが、とりあえず表面には出ないので突っ込まないことにする。 なお最後に出た言葉は普通に真理だと思うが戦後日本人に言っても意味はない。アメリカも自国で戦争などするはずがないので現代的な意義はない映画だろうが、まだ自国の資金だけで作っていた時代の純粋なアメリカ映画だったとはいえる。現代には現代の問題もあるのでこういうのを腐していれば済むわけでもない。
[インターネット(字幕)] 4点(2023-08-12 11:28:55)
56.  ラ・ヨローナ ~泣く女~ 《ネタバレ》 
似た名前のグアテマラ映画「ラ・ヨローナ ~彷徨う女~」(2018)とは全く別物である。製作年ではグアテマラが先だが公開はこの映画の方が早かったらしい。 個人的にはホラーとして特筆したくなる点はなかったが、グアテマラの方と違って基本が娯楽映画のため、気合いを入れて見なくていいのは楽だった。ちなみに水の霊であるのに腕を握られると火傷したようになるのは、触れた箇所の水分を一気に吸収してしまう能力があるからかと思った。  ドラマの面では、一度は主人公を恨んでその子どもらを破滅させようとした人物が、後に自らの行いを悔いて主人公を助ける側に回っていたが、終幕時に今度は主人公の姿が水たまりに映っていたのは、全ての母性にラ・ヨローナ的な二面性が潜んでいると言いたいのか。よくわからないが児相職員必見の映画だったようでもある。 また主人公の行動様式がかなり苛立たしいところがあり、現に自分が超常現象に脅かされて神父の紹介で呪術医に頼んでおきながら、それでもなお呪法を小馬鹿にしてみせなければ済まないのは頭の働きが合理的でない。これは古い時代に西洋社会を支配していた教会の代わりに、1970年代頃は科学万能主義の支配で人々の思考が抑圧されていたとの表現か。シリーズのもとになった心霊研究家夫妻のように、この頃もオカルトとかスピリチュアルの類は盛んだったろうが、科学を信仰する人々との間では分断が進んでいたということかも知れない(適当な解釈だが)。シリーズの他の映画を見ていないのでこの映画だけの話なのかわからない。 なおラ・ヨローナの伝承は、単なる怖がらせの怪談というだけでなく社会的な意味づけもされているようで、例えばスペインの征服者に服従させられた先住民やその女性の象徴のように思われている面もあるらしい。しかしそれをこの映画では、結局は征服者のもたらした神の力で難なく撃破してしまっていたのが空しさを感じさせるともいえる。
[インターネット(字幕)] 4点(2023-07-22 10:18:43)(良:1票)
57.  チャイルド44 森に消えた子供たち 《ネタバレ》 
原作は読んでいないがこの映画に関しては、どちらかというと見て損した部類だった。時間が137分もあるが、それでも恐らく原作での詳細な設定や描写が断片化して半端になっているところが多々ある。 社会性という面でいえば、2015年の時点でこの物語を映画化することの意図がわからない。日本国内向け公式サイトでは一応、「全体主義国家がいかに人間の精神を崩壊させていくかという普遍的なテーマ」を扱っていると書いてあるが、結局はこの時代またはこの場所限定のことにしかなっておらず、誰も今の自分に関係あることとは思わない。ちなみに楽園に殺人は存在しないという建前は当時本当にあったのか知らないが、そういう現実度外視の観念論は東洋でも好まれそうな気はする(大陸でも半島でも列島でも)。 ドラマとしては、悪人顔の主人公を始めとして主要人物に誠意が感じられず信用できそうにもなく、この連中は何をやっているのかと中盤くらいまで突き放した気分でいたが、終盤にかけてやっと人々の意思がはっきりして来てまともに見られるようになる。それはそういう構成にしたのだろうが、それにしても結果的には話がうまく出来すぎで、最後は勧善懲悪物のようになっていたのはどうかと思った。アメリカの娯楽映画だからこれでいいのかも知れないが。 ちなみに世界のどこの場所の映画でも英語で作るのはさすが世界帝国だと思ったが、昔の邦画にもそういう例(大陸系)があったと思うので他国のことはいえない。
[インターネット(字幕)] 4点(2023-02-04 10:23:38)
58.  蜂女の実験室 《ネタバレ》 
蜂女といえば、わが国では「仮面ライダー」シリーズのキャラクターとして記憶されていてファンもまだ一定数いるだろうが(多分)、それよりこの映画に出たのが人類史上初の蜂女である(多分)。しかし映画としては前年の「蝿男の恐怖」(1958)の二番煎じ的な感じもあり、その後の「蛇女の脅怖」(1966)などと比べても地味ではある。 話としては、社長本人の美貌を売りにしてきた化粧品会社が、社長の容色の衰えとともに業績が落ちて来たため、変な研究者の推すローヤルゼリーのようなものを使って見た目の若返りを図ったが、そのせいで社長が蜂女になってしまって大変だ、というだけの映画である。蜂女の登場場面はそれほどショッキングでもなく、そもそも黒いのでよく見えない。 発想の原点になったローヤルゼリーというものは今もあるだろうが、この映画の直前の1958年にあった出来事で世界的に有名になったようで、後の1966年には日本のTV番組「ウルトラQ」第8話「甘い蜜の恐怖」でも元ネタとして使われていた。この映画ではミツバチではなくスズメバチを使ったのがまずかったことになっているので、通常のローヤルゼリーを悪者にしているわけではない。  登場人物では、美貌の社長は薬を使う前後で容姿にちゃんと差を出していたが、主演の人はこの時点で32歳くらいのようで、会社創業時の若い頃と劇中時点の中間あたりということになる。また電話口で社名を言うのが主な仕事の?爪とぎ女が、「フラットブッシュ区(ブルックリン区の一部)のオランダ系」と言われていたのはニュアンスがわからないが、17世紀にオランダ人がニューヨークに入植した際の移民の子孫ということではあったらしい。ほか個人的には主要人物の社長秘書が愛嬌のある顔でけっこう好きだ。なお劇中研究者が入院した病院の医師役は監督本人とのことで、けっこう見た目のいい男だったのは意外だった。 ちなみに映画自体に関係ないが、今回見たネット配信サービスの字幕には誤記が多い。「それならもっと強力なローヤルゼリーま?」といったあからさまなものは呆れるしかないが、「世紀の発見をお見せてきますよ」などという微妙なのもある。漢字の字体が変なのがまたいかにもという感じだが、文章自体はまともなので、日本人が作った字幕の映像をもとにしてテキスト化を外注したようでもある。世界企業なわけだが日本人が見てチェックする体制がないということか。
[インターネット(字幕)] 4点(2022-08-20 19:27:48)
59.  恐怖と戦慄の美女<TVM> 《ネタバレ》 
原題によれば恐怖の3部作である。邦題の美女とは3部作全てで主演しているカレン・ブラックという人のことで、原作は全て作家のリチャード・マシスン(地球最後の男/アイ・アム・レジェンドなど)である。 以下個別に書く。 【ジュリー】 外見は地味だが中身は違うと妄想するとか、隠されたものを自分は見抜けると思い上がってしっぺ返しをくらう話とすればわからなくはないが、ドラマとしての展開が唐突過ぎて説明不足である。序盤のわざとらしいチラ見せはいいとして、ほかに何か変な超能力でも使ったということなのか。アメリカ社会に隠れ住む魔物(witchか吸血鬼か)の魔力のせいだとすれば単純なヒトコワ系でもないのかも知れない。 【ミリセントとテレーズ】 オチが早いうちにわかってしまうが、結末に呪いが絡んで来るのが若干の工夫か。相手の持ち物を人形に入れて針を刺す、というのは日本でも親しまれている手法と思ったら、もとはブードゥーの魔術ということらしい。個人的には妹の容姿に嫌悪を催した(近場にいる実在の人物を思い出した)ので、妹を嫌う姉の気持ちはわかったとはいえる。ただし26歳というのは無理があるのではないか(演者は当時35歳)。 【アメリア】 呪いの人形が襲って来るだけの話で、最後がどうなるかは宣伝写真で思い切りネタバレしている。人形は顔にインパクトがあるが、骨董屋で発見したというには小奇麗な造形物だった。国内向け解説ではこれもブードゥーの呪いと書いてあるが、ズーニ族というのは実在のアメリカ先住民ではないか(民族差別だ)。ドラマ的には母娘の関係破綻というのはわかるとして、最後が何でこうなるかは不明だった。主人公は人形を気に入って何気に抱っこしたりしていたので、最初からそういう素質はあったらしい。  前の2つは最後のオチで勝負の小話だが、現世的な怖さだけでなく、超自然的な要素が微妙に入っているのが半端な感じだった。また最終話は「チャイルド・プレイ」という映画の元ネタかと噂になっているようで、これがこの3部作の最大の見所になっているらしい。 主演の人が地味だったり凶悪だったり様々な顔を見せるという企画だったようだが、個人的にはあまり好きになれない3部作だった。昔のTVドラマということもあるだろうが少々かったるい印象である。主演の人も外見的に好みでない。
[DVD(字幕)] 4点(2021-01-23 08:59:09)
60.  オーストラリア(2008) 《ネタバレ》 
序盤からのめまぐるしい展開でコメディ調の細かい場面を連ねていくのが苛立たしく、人物紹介を字幕で読み取るのが困難なのも最悪だ。その後の物語も上滑りで薄っぺらい感じだったが、最終的には根強い男尊女卑を解消し、また先住民の虐待についても懺悔した上で理解し合い、さらに何気に見えた他のアジア系マイノリティとも共生しながら、明るい未来が開けていきそうなハッピーエンドにはなっていた。 史実との違いに関しては、個人的にはポート・ダーウィンになぜかアメリカの戦艦のようなのがいるとか(籠マストと三脚マスト)、日本の艦上攻撃機がなぜか魚雷を積んでいるのは真珠湾攻撃かと思った。ちなみに艦載機が好んで地上の人間を銃撃するなどはアメリカ軍のやりそうなことである。  ところで歴史的観点からいえば、2007~2013年の労働党政権下で作られた国策映画かと思った。題名が国名そのままなのは、当時の政権にとってこれがいわば正史という意味と思われる。ラストのテロップで「2008年、オーストラリア首相は…」と出たように先住民尊重の姿勢だったようだが、日本人の立場からは何かと反日傾向が目立つ時代だったように記憶しており、この映画に関しても、他のレビューサイトなどでは許しがたい反日映画として激しく怒る人々が多かったようである。 ただし今回自分が見たところでは、正直それほど極端な反日映画には見えなかった(最悪なのは他にある)。日本軍がなぜか先住民(混血)の子どもらを掃討しようとする場面があったが、これは迫り来る戦争の脅威ということを映画的に(=現実性度外視で)表現したという程度の印象だった。またそれ以前に劇中では、現地の白人が先住民の女性を性奴隷のように扱う習慣があったことが語られていたが、それに比べればまだしも日本は邪悪とも見えず、いわば一般論的な敵国扱いのようだった。 確かに昔はオーストラリアの国全体が反日に見えた時期もあったが、実際のところは親日も反日もはっきり決まっていない人々が大多数と想像されるので、こんな映画であまり反感を募らせない方が無難とはいえる(国民同士を反目させて離間を図るという政治的意図もありうるわけなので)。映画としてはやたらに長いこともあって二度と見る気にならないが、あまり角が立たない程度の点数にしておく。
[インターネット(字幕)] 4点(2020-12-19 08:58:13)
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