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コメント数 106
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1.  イントレランス 《ネタバレ》 
"かわいい娘"のあの大振りのジェスチュアの可愛いらしいこと!空中庭園バビロンの広場でのサイレントミュージカルのえもいえぬ感動!物質や人間や建築物やモーションが撮影され、上映されるだけで、それらが本来的に持ち合わせたベクトルが全方位的に物語を展開してゆく。一応の筋としては終幕に向けて盛り上がりを見せてゆく古典的、演劇的ともいえるプロット構成によるのだが、『国民の創生』によって成功を見せたクロスカッティングの使用を物語に織り込んだ構成は堅実であるし、終盤の無方向に走る機関車、車、人の凄まじさはショットそのものの強度と相成り、至上のクロスカッティングを生み出している。さて、ここでのリリアン・ギッシュの使われ方が非常に感動的なのだが、揺り籠を揺らし続ける彼女は正しく未熟である我われ人類の母であり、分断された4つの物語のどれにも取り入れられることなく、だが呼応する挿入部は、それら物語と母の祈りとの引き離された空間をして何よりもまず感動的なのであろう。
[ビデオ(字幕)] 9点(2008-02-07 14:04:28)
2.  チャイナタウン
この黒とパンフォーカス!この難解さ!ホークスの「三つ数えろ」を思わせる主観によって構成された、この紛れもない探偵映画は正にそれと同じくノワールの傑作である。
[ビデオ(字幕)] 10点(2008-02-07 14:03:44)
3.  素晴らしき哉、人生!(1946)
見事に単純愚直な人間讃歌である。友を持つ人間は敗残者ではない。この教訓を読み上げるための、このいかにも大衆芸能といわんばかりの騒々しさ。カメラはホークスのように人間を中心に据え続け、あくまで人間中心主義であることを当初から宣言している。当然途方もなく美しいショットなどありはしないのだが、それもかの吐き気がするほどの援助の声で十分感動的なのだからえも言えぬ。ただ、ルノワールやヴィゴの映画に発見できるような俳優への賛辞が見られなかったのは残念である。人間讃歌として、俳優の原初的行動欲求が認められないのは甚大な欠如と言わざるをえない。
[ビデオ(字幕)] 7点(2008-02-07 14:00:33)
4.  裸のキッス
スコセッシやスピルバーグに影響を与えた?それどころではない。作品を観れば、ゴダールやヒッチコックに並ぶ逸材であることは明らかである。短いショットの連結によって確信犯的に重要度を知らしめるその手法は正にヒッチコックの手法であり、事実匹敵しているし、ジャンプカットを始めそれ自体がその運動自体が魅力となりうる事象や技法を提供する姿勢は正にゴダールである。加えてこの作品に触れた折、思い出さずにいられないのが『狩人の夜』である。撮影が同じくスタンリー・コルテスによることは後で知り、驚きと納得を得たのだが、その光をふんだんに取り入れた映像そのものもさることながら、映像によるところの語り口(長回しを厭わず、省略を恐れない)、真相を目撃した際のカッティングであるとか幼女が真相を語った後の流れるような、一連の動きと運命付けられていたかのような録音機からテープへのカメラワークだとか、夢の絶頂であった子供たちとの掛け合いの歌を凍り付くような絶望の歌として再会させてくれるあたり、すべてが『狩人の夜』的なのである。それはつまり『狩人の夜』の素晴らしさを再確認したいのであるが、それと同時に、ゴダールやヒッチコックまでも感じ取らせてくれる、この教祖として申し分ない人物、サミュエル・フラーを本来あるべき陽の下に立たせようとする運動への欲求なのである。 
[ビデオ(字幕)] 9点(2007-01-04 10:08:52)(良:1票)
5.  汚名 《ネタバレ》 
これと「めまい」はヒッチの作品史上稀有に堅実な傑作である。つまりはシナリオに支えられ、偉大な演技者たち(ケイリー・グラント、バーグマン、クロード・レインズ)に支えられ、無駄のないシンプルな外見を仕立て上げている。特に俳優に関して言えば、それぞれが目で語らしめる実力を備えており、実際ヒッチコックもこの作品に関しては目で語らせることを相当意識して作っている。ケイリー・グラントの真意の読み取れない奥深い眼、パーティシーン等でたびたび注視されるクロード・レインズの疑いの目、コーヒーの毒に気付いた際にバーグマンが見せた隠しきれない動揺の目。とりわけこのシーンではクロード・レインズ、母、バーグマン、それぞれの意図を反映した目のクロースアップが次々とカッティングされることで展開の変化を告げる素晴らしき映画の躍動に満ちている。この作品はいかにもヒッチコック風の視覚的エモーションの緊密性には縛られていないが、やはり随所でその鋭利な演出を見せ付けられている。バーグマンが鍵を隠し持つシーンがそれであり、積極的に転落へと向かうワインボトルのカッティングがそれであり、絶望のなか屋敷への階段を上るクロード・レインズ、その陰影の美しきシンメトリーの静謐な緊迫がそれである。 またクロード・レインズの最期を省略したことや、ブフカの死を見せなかったこと、バーグマンに対する遅効性の毒を考えてみても、発狂の瞬間よりもむしろその過程、溺れて死ぬまでの息苦しさをこそ描きたかったのだということもよく分かる。 
[ビデオ(字幕)] 8点(2006-12-29 02:41:44)(良:1票)
6.  引き裂かれたカーテン
農家での殺害シーン、目付け役がポール・ニューマンの腹を小突く短いショットが緊迫を煽り、水入りの鍋が投げつけられる、視覚的・聴覚的衝撃によって沸点を越え、展開を変化させる。そして人間臭を過剰に嗅がせる死への道程。ヒッチコックが恐怖や動悸を与える際の特徴的な演出、ややローアングル、クロースアップぎみの縦の動き(ナイフを持った女)と肉体的痛みを感じさせる短いショット(足へのシャベルでの打撃)が編集(モンタージュ)によって一体となり、また鎖骨あたりに刺さったナイフが折れるといった独特のリアリズムが絡むことによって“たかが”殺害シーンをこれ異常ない密度に引き上げている。 ヒッチコックの真髄とは正にこれである。“たかが○○シーン”に工夫を惜しまない姿勢がすべてのショットに浸透し、すべてのショットが関係性や状況の緊迫を示唆している“かのような”絶え間ない緊密さに支配されている。それは時にはホテルのエレベーターから移動の俯瞰ショットで捉えたような(エレベーターから出てくるニューマンと床掃除の従業員、最後に目付け役がクロースアップで映り込むショット)単なる視覚的エモーションに過ぎなかったりもするのだが、言語性との緊密性よりもこういった絶えず繰り出されるエモーションの緊密性こそが、ヒッチコックが自ら課した責務なのだろう。 無論この映画の脚本は凡庸で平板的なものであり、「家事だー」と英語で叫び大わらわとなる寒々しさや、また査問会の部屋からジュリーが飛び出すような単なる感情の露見化に過ぎない退屈なシーンも見受けられるのだが、単なる失敗作ではなく、健在振りを発揮した作品であったことだけは再確認しておこう。 
[ビデオ(字幕)] 7点(2006-12-29 02:36:33)
7.  特攻大作戦 《ネタバレ》 
あまりにもカットを割るので辟易していたのだが、なるほどこれは視線の映画である。少佐と将校たち、少佐と囚人たち、常に多数が存在する場を提供するにあたり、オルドリッチが役者に厳密に指示したのが目の動きであり、角度を変えることで位置関係を把握させ、目線に生命を与える。そのための異常に緻密なカット割りだったのだ。大佐が部屋から出るたびに演奏を始める指揮者が面白いのも、「例の二人組だ」という伝言が暴行された本人に行き着く面白さもすべて位置関係と目線の面白さである。演習において青軍が赤軍の腕章を着けるのはルール違反であるし、戦争において敵軍将校の服を着て欺くことは条約違反である。ルールを守らず刑を与えられた者たちがルールを破ることで英雄となる。もちろんそういった面白さもあるのだが、何より、死刑囚に一度限りのチャンスが与えられるという適当な材料を料理していかに面白さを作れるか、男臭い魅力を放ち続けるか、その一点においてこの映画はあまりにも素晴らしい。 
[ビデオ(字幕)] 9点(2006-12-29 02:31:46)
8.  断崖
なんという徹底主義であろう。いかなる時もカメラは人物を中心に捉える。執拗に人物の動きについてまわり、中心から逃がさない。たかがそれだけのことである。だがそれだけのことも徹すればエモーションの緊密性を生み出し、連続性を意識させる。そして結果として玄関から別部屋に入り込む刑事を270度パンして追いかける、といった素晴らしいショットまで生み出す。いつものことながらサスペンスの辻褄合わせに関しては中途半端なのだが、それでもやはり、言葉や表情でなくUターンする車ですべてを告げるラストシーンも、そもそも断崖沿いを走るそのショットが、いや不安や疑惑の付き纏う緊密性が、やはり素晴らしい。 
[ビデオ(字幕)] 7点(2006-12-29 02:30:46)
9.  白い恐怖(1945)
これは珍しくヒッチコックが理性的に、定型化された映画文法の誘惑に屈した失敗作である。つまりはは説明的で規範的で冗長な作品、そう言わざるを得ない。そもそもヒッチコックは言語構成力に長けていないのだからこんな企画は撮らないのが利口な選択だろう。 会話は言うまでもなく感情や解釈に没頭し、音楽は(テルミンの音色が美しかろうと美しくなかろうと)ただただ単純愚直に追随する。まぁ精神分析という題材ゆえ、基本プロットの論理性は保持したかったのだろうが、映像を根幹に据えたプロット構成ができなかった時点で、エモーションを喚起し続けることこそが映画という信念を疑ってしまった時点で、ヒッチコックが傑作を生み出すわけがない。もちろん同じヒッチコックという人物であるから印象の断片を拾うことはできる。ミルクの注がれたグラス越しの視点、白に満たされた画面はまさにヒッチコックであるし、弟殺しのカッティングにはエモーションを掻き立てられる。初めてキスを交わした際の次々に開かれるドアは珍しく心理状況の説明的な隠喩だが、その確信犯的行為はやはり魅力的である。木製の手に拳銃を握らせてまで撮影した被写界深度の深い映像も然りである。だがまた、あまりにぼやけた人物の輪郭、あまりに質感の乖離したダリとの共同作業、悪いエモーションしか生み得ない滑走シーンといった弱点もある。詰まる所、紛れもなくヒッチコックの作品ではあるが重要度は低い。それだけのことだろう。 
[ビデオ(字幕)] 5点(2006-12-29 02:29:29)
10.  最前線物語 《ネタバレ》 
北アフリカ、イタリア、イギリス、ベルギー・・・各地で行われる諸作戦、その最前線を、ただ見せつける。作戦の背景や目的は明かされず、語られず、ただ生きるために殺し、殺されないために生きる。戦争下において殺しとは生活の営みである。花で飾られたヘルメット、棺桶を喜ぶ少年、分娩を手伝う四銃士とそれを見守るドイツ兵、一時の幸せを感じ軍曹の肩で息絶える少年。それらと同列にみなされる殺しという営み。時を刻み続ける死体の時計がその現実を突きつける。 リアリズム、センチメンタリズム、ヒューマニズム、ペシミズム、そんなものよりも映画は時としてこうした雑多なファンタジーにこそ詩情のごとき個性を与える。紛れもなく映画らしい映画。映画の力を得た映画である。 
[ビデオ(字幕)] 7点(2006-12-29 02:28:11)
11.  軽蔑(1963)
昔はすべてが共犯の歓びの中で無意識に過ぎていった。何もかもが異常で魔法のような気軽さとともに起きた。 異常なまでに繰り返される主題曲は、もはや作品の言語世界に追随することを辞め、自らの見えざる主題を語り出しているかのようである。 気付かぬ内に彼の腕に抱かれていたあの感覚はまるでなかったかのように姿をなくす。 自室で繰り返される真意の読み取れない議論の末、直後の劇場での、ラングとカミーユ、ポールと製作者の座席の位置で愛の消滅を告げる。これが映画である。 妻を殺しても愛を失い、浮気相手を殺しても愛を失う。 不毛な議論の中で、無価値な言葉と同等に発されたこの一節が価値を帯びてくる。これが映画だ。 フリッツ・ラングへの愛、映画への愛、ホークスへの愛、ヒッチへの愛、カリーナとの愛、一部映画への軽蔑。 言語が語る、音楽が語る、映像が語る、海が彫刻が語り合い、せめぎあっている。だからゴダールの映画は凄い。だから映画は素晴らしい。 
[DVD(字幕)] 10点(2006-12-29 02:23:05)(良:1票)
12.  殺人者たち 《ネタバレ》 
こんなにも「映画」を感じさせてくれる濃い100分はなんと久し振りなことか。オープニングショット、リー・マーヴィンのクロースアップ。サングラスに相棒がうっすらと映りこむ斜めからのショット。『男と女』以上に鮮烈な実際のレース映像。蒸し風呂での脅し。アンジー・ディッキンソンの美しすぎる笑顔を惜しげもなく、鼻水の垂れた醜い顔に変えてしまうその非情さ。二人を撃ち家を出たリー・マーヴィンのよろめきなんてとても形容できない。 枝葉の演出や展開に対するアイデアはことごとく派手であるのにそれをひけらかさない。けして仰々しくしない。例えばアンジーが贈ったブレスレットを数年後に再会したカサヴェテスが身に付けていたシーン。当然ブレスレットにクロースアップするかと思いきやカメラは動こうとしない。観客の期待に応えながらも所々で肩透かしするこのバランスに妙に魅かれる。 脚本としてはアンジーの裏切りが唐突にも感じられるが、それを補って余りある演出力。関係者の話を聞きながら過去の真実を探っていくという展開も一見使い古されたもののようではあるが、展開の中心にいる男がオープニングであまりにあっけなく殺される今作の展開は特異ですらある。 映画史に残すべき傑作。
[ビデオ(字幕)] 9点(2006-09-24 12:44:38)
13.  夜の人々(1948) 《ネタバレ》 
“この青年とこの娘の物語は正しく伝えられたことがない” 頭に予感が走ったがやはりそうだった。ボニー&クライドである。かの低脳映画、『俺たちに明日はない』とは較べたくもない出来映え。真実 かどうかは知る術がないが、少なくともこの作品には真実味、説得力がある。――何故か――二人の愛、つながり、悲壮感、苛立ち、沈黙を描いているから。キャラクター設定からして説得力がある。ボウイは16歳で罪を犯し、7年間投獄された世間知らずの青年。女との喋り方も分からず、結婚式の最中でも堂々としていられず、これでいいのかな、って顔で戸惑っているような青年。一方のキーチーはアル中の父親と二人で暮らし続け、普通の女の子がすることなんて自分には縁遠いと諦めていた娘。 おれは思う。 本当の純愛物語は童貞と生娘でしか成立し得ない。彼らだからこそ可愛らしいという目で見守ってあげられるのだ。 とまぁここまでは前提であって魅力の本質ではない。 まず目立たないが台詞が粋だ。「タバコを」 {よく吸うね} 「いらないわ」 {持ってない} この極端に短いやり取りだけで、キーチーがいじらしく好かれようとしているのが伝わり、またその後に陥りがちなロマンチックで寒々しい空気を一瞬にして打ち消している。この魅力を作品の中心に据え、一つの映画にまで昇華させたのが『ストレンジャー・ザン・パラダイス』である、というのはまぁいいか。 そしてもう一つの魅力は説得力に裏打ちされた、これまた地味ながら緊迫感と味のある演出。分かり易いのはやはりラストのショット。説得力のあるマッツィの裏切りと演技ののち、静かにキーチーの眠るモーテルに近付くボウイ。この際の緊迫感も大したものだが、重要なのはその直後。警察に気付いたボウイがわずか2歩ほどだが、モーテルから離れる。地味だが、この、キーチーを巻き込みたくないという一貫した想いを行動で描写する演出に素敵を感じさせてくれる。
[ビデオ(字幕)] 9点(2006-09-24 12:38:52)(良:1票)
14.  Mr.インクレディブル 《ネタバレ》 
もう、手放しで褒めてあげたい。先ず観始めてすぐに感嘆させられるCGの完成度の高さ。あの草木の素晴らしさ。CGというだけで毛嫌いする人の多い現在にあって、表現として手法として芸術として認められてしかるべき、市民権を得てしかるべき完成度。作品のスタッフに対して信頼感を持つことのできる、没入できる完成度である。―――個性を排除し、既成概念(道路やビル)を壊す人間を非難し、無理矢理枠に押し込めようとする現代社会に対して、眠らされた個性の解放、そしてそれでこそ深まる絆を痛快に描き出した――――なんてことを感じても感じずとも、超一流に娯楽できる新しき指標となるべき大傑作。それぞれの(勿論フロゾン含め)能力の解放には胸が詰まり、感涙してしまうほど、喜びに満ちていた。
[DVD(字幕)] 9点(2006-09-24 12:35:28)
15.  天国の日々 《ネタバレ》 
映像が綺麗な作品? そうだ、だがこの作品は「映像がキレイ」で片付けられない。そう、映像集ではないのだから。皆さんはあの狂気の瞬間を目に入れただろうか。保ってきた人間性が崩壊する瞬間に訪れたこの映画の躍動を。幾度となく映されていた動物に虫がついて回るという変化を。 イナゴをつかまえて笑っていた少女がそれを叩き出したその瞬間。イナゴの生々しいクロースアップ。はっきりと見えてしまった瞬間。農場主の気品ある穏やかな顔が歪むその瞬間。 画が画でなくなり、ショットがショットでなくなる。 全てが映画へと還元されるその瞬間。  「世の中には持てる者と持たざる者がいる。」少女のナレーションが語る。持てる者がいる以上、持たざる者について回る劣等感。拭い去ろうとすることが持たざる者の人生なのか。 であるならば、狂気とは何と身近なことだろう。
[ビデオ(字幕)] 8点(2006-09-24 12:29:57)(良:2票)
16.  シャンプー台のむこうに 《ネタバレ》 
余命少ない人間が崩壊した家族を取り戻そうとする。いわば定番のプロットだが、美容師コンテストと絡ませることで映画としての魅力をそちらに転嫁し、佳作となり得ている。シドニー・ポラックはこういったごまかし気味に良質のドラマを仕立てるのが巧い。「自分で家族崩壊させたくせに何をいまさら・・・プゲラ」といった批判を正面から受けずにすむ術を知っている。この作品では洗練されたスタイリングという期待を裏切らず(サンドラの変貌ぶりは見事)、ベタだが心躍らされる音楽、次第に姿を変え調子付いてくる市長ら脇役の魅力がそれであり、「せめて男と逃げるべきだ」「栄冠を隠す気か」といった粋な台詞も勿論それである。   というか何というか、レイチェル・リー・クック。 一回戦でヘアブローされる洗練されたレイチェルもいいけど、何といっても最終戦直前、自ら髪を切り捨て、短髪、無言で父親を見詰めるリー・クックは別格。小動物のような骨格と、つるんとした肌、怯えながら責め立てるような少し潤んだ瞳。 あぁ、レイチェル。 あぁ、リー・クック。そんな目で見ないで。そんな目で見られちゃったら僕はもう・・・ っと、危ない危ない。 もうちょっとでシャンプー台のむこうに行ってしまうところやった。
[ビデオ(字幕)] 8点(2006-09-24 12:28:05)
17.  スターシップ・トゥルーパーズ 《ネタバレ》 
確かにこの徹底ぶりを見ると勘違いする観客や批評家がいても仕方がない。“これは逆に反戦映画なんじゃないか”と。 だが違うだろう。バーホーベンは語っているではないか。武力でしか解決できない状況、武力によって重ねられた歴史があるという事実を。アメリカの積極的介入をただ純粋に批判できるような能天気な人間には理解が及ばないだろうが、そう、これから先、全生物が滅亡するまで武力はなくならないのだ(否応なく)。  そしてもうひとつ。「共存はできないのでしょうか!?」「両親を殺されたんだ。皆殺しにしてやる!」 虫が相手とは言え、この台詞に共感してしまうという事実を。 人間の命は尊いと言う。なぜ?――考えるからだ。だが、考える虫の命を尊いとは思えまい。空腹をシンナーでごまかす貧窮国家の人間の子どもは救っても、空腹で農作物に手を出す虫は救うまい。 適当な論理や道徳という脆い柱に支えられた平和主義。バーホーベンはただその現実を誇張し、映し出したに過ぎない。惜しみのない虫の大群。惜しみのない裸体。惜しみのない殺戮描写。恥じらいを感じさせないヒロイック。定石を貫くストーリー展開。 反戦?昂揚?知るか、んなもん。でもお前ら、こんなん好きだろ!? おれにはそんな声しか聞こえない。
[ビデオ(字幕)] 8点(2006-09-24 12:20:33)
18.  さすらいのカウボーイ 《ネタバレ》 
男と女。男と男。幸せを愛に求め、それゆえに愛に誠実な女という生き物。愛を求めながらも、幸せという抽象的な概念を計りきれずに、さすらいを続けてしまう男という生き物。さすらいや自由こそが幸せと考えることも、分からなくなることも、結局は愛に落ち着くこともある。愛を求め、自由を求め・・・飽くことのない繰り返し。それが人生。自由と疲労と少しの優しさが人生。ギター、逆光、オーヴァ・ラップ。さすらいの失われた現代。失われることのないさすらいへの憧れ。煮え切らない感情や曖昧な感傷を包み込むようにフィルムに焼き付けた正に珠玉の一本。
[ビデオ(字幕)] 9点(2006-09-24 12:18:37)(良:1票)
19.  ピンク・フラミンゴ
トラウマになってしまい、しばらく犬のうんこ食べれませんでした。
[ビデオ(字幕)] 5点(2006-05-12 16:49:20)(笑:5票)
20.  未来世紀ブラジル 《ネタバレ》 
笑わせよう、笑わせよう。驚かせよう驚かせよう。 そんな想いが伝われば伝わるほど、痛々しい。狙いすぎ。白々しい。行き過ぎた管理主義・社会主義への批判というのはありきたりだが、まぁよしとしても、情報省のミスだけがその批判の要因たり得るもので説得力も皆無。 そんなこんなでマザコン男が 「もう管理社会なんていやだぁぁ、情報省なんて、情報省なんて・・・ドッカーン」ってのを夢見るだけの二時間半。内容がないので、貧困ながらも派手なイマジネーションもただのお遊びでしかない。「ほら、スゴイでしょーこの映像。ビルがズドーン、羽根がビヨーン、武将がドォーン、高層ビルからロープでビューン、 え、内容? 内容は・・・ 内容は・・・ナイヨ」 そんな映画。
[ビデオ(字幕)] 3点(2006-05-12 15:28:45)(笑:2票)
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