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プロフィール
口コミ数 627
性別 男性
自己紹介  「監督の数ではなく、観客の数だけ映画が有る」という考えでアレコレ書いています。
 洋画に関しては、なるべく字幕版も吹き替え版も両方観た上で感想を書くというスタンスです。
 ネタバレが多い為、未見映画の情報集めには役立てないかも知れませんが……
 自分と好みが合う人がいたら、点数などを基準に映画選びの参考にしてもらえたら嬉しいです。

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1.  WE ARE YOUR FRIENDS ウィー・アー・ユア・フレンズ ネタバレ 
 良質な青春映画。   特に目新しい部分が有るって訳ではないんだけど、王道な魅力が詰まっており、楽しく鑑賞出来ましたね。  勿論、主演のザック・エフロンの魅力ありきの映画ではあるんですが、ストーリーや演出なども及第点以上だったと思います。   個人的には、ヒロインとの交流については全然ピンと来なくて、恩人であるジェームズの恋人を寝取る形になってるのが、違和感大きかったんだけど……  男友達との絆については上手く描けていたと思うので、差し引きはプラスって感じですね。  特にメイソンの「いい加減な奴なんだけど、大切な仲間なので見捨てられない」感は、中々秀逸。  スクワレルの死後、主人公のコールは音楽の道を、オーリーは俳優の道を選び「再び夢に向かって歩み出す」という結末を迎える訳だけど、メイソンだけは雑用の仕事を続けてるって辺りも「都合が良過ぎる」「綺麗過ぎる」とは感じさせない、絶妙なバランスでしたね。  主人公曰く「人の人生を潰してる」とまで言って嫌悪してた不動産の仕事に対し「仕事で家を奪ってしまった女性に、これまで稼いだ金を届けて罪滅ぼしする」という形で決着を付けているのも、後味を爽やかにしてくれたと思います。   主人公がDJという特性を活かし、サマーフェスというクライマックスを用意してる辺りも、良かったです。  ヘッドフォンを装着してのランニング中、電池が切れてしまい、そこからの帰り道で「日常には、こんなにも音楽が溢れている」と気が付き、それら「日常の音楽」を演奏に盛り込むって展開も好みでしたし……  亡き友と二人で眺めていた海を、今度は一人で眺める場面。  演奏中に、彼の言葉を思い出し、涙ぐんだ後、その涙を拭って絶叫する場面。  スクワレルの姿を描いた直後「WE ARE YOUR FRIENDS」という作品タイトルが浮かび上がる場面なんかも、胸を熱くさせるものがありました。   若者が挫折し、そこから立ち上がり、夢に向かって走り出すまでを描く。  こういう映画、本当に好きです。
[インターネット(吹替)] 7点(2025-06-04 13:25:43)
2.  ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ ネタバレ 
 気持ち良く意表を突かれた逸品。   「ブレックファスト・クラブ」(1985年)的な「学校に取り残された子供達」が主人公の話かと思いきや、実は「彼らの見張り役となる教師」のハナム先生も主人公であり、問題児のアンガスと絆を深めていく物語と判明する流れ、かなり良かったです。  改めて観返してみると、序盤からハナム先生の出番が多く、彼が主人公格である事は示唆されていたのですが、見事に騙されちゃいましたね。   正直、初見の際には戸惑いが多かったし「ミスリードの尺が長い」「最初は喧嘩してばかりだった子供達が仲良くなる流れを期待したのに、そちらに関しては裏切られる形になる」って辺りは、欠点と呼べそうな感じなのですが……  ここまで面白かった以上は、素直に脱帽する他無いです。   本作に関しては「嫌な奴かと思われたデナム先生が、実は良い奴だった」と判明する種明かし的な面白さを重視せず「生徒のアンガス共々、デナム先生も少しずつ変わっていく」という成長物語のような形で纏めたのも、上手かったと思いますね。  生徒達が喧嘩した際に、学友を売るよう誘導している場面とか、ハナム先生の憎たらしさも序盤で丁寧に描いていたからこそ、カタルシスが生まれてる。  他者に対し「行く所の無い哀れな孤児なんだから、多めに見てやれよ」なんて皮肉ってたアンガスが、後に「クリスマス休暇にも実家に帰れず、学校に残る破目になる」って顛末を辿る辺りも痛烈で面白かったし、そこから更に踏み込んで「ハナム先生と共に過ごすアンガスは、決して一人ぼっちの孤児なんかじゃない」と観客に感じさせる辺りも、見事な構成でした。   ハナム先生と、生徒のアンガス、どちらに偏るでもなく、両者を好きになってしまうような作りだった点も良い。  こういう映画の場合、普通なら「子供の頃に観ればアンガス側、大人になってから観るとハナム側に感情移入させられる」って形になりそうなものなのに、本当に等しく、二人とも主人公だったんですよね。  それまで生意気だったアンガスが、父と面会出来た際には子供らしく嬉しそうな顔になり、その後に現実を悟って悲しげな顔になる場面。  気難しいハナム先生の「停学は目の前に迫ってる」「私は手を引く」なんて台詞が伏線になっていて、前言を撤回するように、終盤でアンガスを庇う場面。  どちらにも見せ場というか、大いに心揺さぶられる場面が有り、ダブル主人公物として、理想的な出来栄えだったように思えます。   最後はハナム先生が学校を去るという、悲しい結末を迎えてしまう訳だけど「前々から書きたかったモノグラフを完成させる」という目標が有るので、暗くなり過ぎず、前向きな希望を残している形なのも、これまた素晴らしい。  別れ際「君なら出来る」と伝えるハナム先生に、アンガスが「俺も同じ事を言おうと思ってた」と返すのも良かったし……  その後の「またな」を言い合う場面といい、教師と生徒という関係性では無くなったとしても、二人には確かな絆が残ってると感じさせてくれるんですよね。  「仲良くなった二人が別れてしまうだなんて、可哀想」という悲劇を描いた映画では終わらずに、そんな悲劇を乗り越えるだけの強さを感じさせる映画でもあるのが、本当に良い。   此度、時間をおいての再鑑賞という形になったのですが、上述の「ハナム先生が前言を翻してアンガスを庇う場面」といい、伏線の巧みさや、構成の緻密さには、改めて驚かされましたね。  感動させるだけでなく、積み重ねの大切さを教えてくれる、良い意味で教科書のような……  観客に対する先生のような映画でありました。
[インターネット(吹替)] 8点(2025-06-02 17:42:48)(良:1票)
3.  バービー(2023) ネタバレ 
 何だか中途半端というか……やりたい事が多過ぎた映画って印象ですね。  基本的には「人形のバービーが人間になる話」と「バービーワールドを通じてフェミニズムを喧伝してる話」の二つが同時進行する作りになってるんですが、とにかくバランスが悪くって、どちらも心に響かないんです。  監督が力を込めてるのは後者の部分なんだけど「一応これはバービーの映画だから」とばかりに前者の部分も盛り込んでるのが、悪い意味で優等生的。  これなら「男達に乗っ取られたバービーランドを、女達が奪い返しました」「男達は可哀想だけど、これから頑張って立場を向上させてね。現実の女もそうしてきたんだから」という場面で終わらせて、徹頭徹尾フェミニズムの映画として完成させてくれた方が、まだスッキリしたように思えます。   だって本作ってば「人形であるバービーが人間になりたいと願い、それを叶える話」という話の幹が有るはずなのに、監督が拘ってるのは「観客にフェミニズムを伝えたい」という枝葉の部分ばかりなんです。  主人公バービーが人間になりたいと願う理由がサッパリ伝わってこないっていうのは、どう考えても致命的な欠点。  あえて言うなら、バービーが現実世界を訪れた際に老女と世間話して、その美しさに驚くという件が「人間という存在への憧れ」に繋がったのかと思えますが、それなら老女の人形に生まれ変わる展開でも良いじゃないかって話ですからね。  主人公カップルが現実世界を訪れた際に、重要であるはずの「人間の素晴らしさ」を殆ど描かずに、尺を取って描いてるのは「人形のケンが男社会に感化されていく流れ」の方なんだから、監督が描きたかったのは「フェミニズム」の方だったとしか思えないです。   そんな構成の拙さを補うように、クライマックス場面で僅か五十秒ほどの「人間」を描いた映像が流れる訳だけど、それを観ても「バービーが人形を捨てて人間になる事を決意する程の、人間特有の美しさ」なんて感じられなかったし……  これは映像のセンスが云々って話ではなく(長々とフェミニズムの話なんかやってるせいで尺が足りなかっただけじゃん)と失望させられた形なので、そんな自分からすると、この映画を褒めるのは難しいです。   それでも、あえて長所を探すとしたら……  「シャワーや飲み物に、微妙にスケールがズレてる車など、バービー人形として生きる日々を描いた場面は面白かった」  「色んな映画の小ネタを盛り込んでるのは、オタク的で微笑ましい」  と、そのくらいになるでしょうか。   最初に述べた通り、非常に中途半端な作りなので「バービーの映画ではなく、フェミニズムを題材にしたシニカルな映画として観れば面白い」とも言えないのが辛いところですね。  捻くれ者な自分にとっての「バランスの悪い映画」って「色んな魅力が詰まってる、贅沢な映画」と感じる人も多いでしょうし、世間で絶賛されてるのも、分かるような気はしますが……   何にせよ「バービー」と「フェミニズム」という、二つの属性を兼ね備えた品であるのは確かなので、話のタネにするならば、一粒で二度オイシイ映画なのかも知れません。
[インターネット(吹替)] 4点(2025-05-26 18:20:46)(良:1票)
4.  オッペンハイマー ネタバレ 
 なんと豪華な俳優陣。  これだけの名優達が次々に画面に現れ、多彩な演技を披露してくれている訳だから、それを眺めてるだけでも楽しかったです。  主役が似合う存在のジョシュ・ハートネットに、マット・デイモンなんかが脇役として渋い魅力を放っているのも、こういったオールスター映画ならではの味わい深さですよね。  脇役陣に負けないだけの存在感と演技力を見せ付けたキリアン・マーフィーにも、大いに拍手を送りたいところ。   ただ、ストーリーに関しては……  史実ネタのもどかしさとでも言うべきか、あちこちに「無理してる」感じが有ったりして、そこは残念。  女性問題や、原爆投下に賛成していた事など、主人公のオッペンハイマーを過度に美化していないのは好みのバランスなんだけど、それはそれで(こんな奴を悲劇の天才のように描かれても……)という困惑に繋がってしまうんですよね。  実験の成功や、原爆投下直後のオッペンハイマーの歓喜や煩悶は上手く描けていたと思うんだけど、その後に続く聴聞会は長過ぎて、バランスが悪いように感じられた辺りも残念。  ちょっと意地悪な言い方をしちゃうなら「原爆の開発や投下に比べたら、オッペンハイマー個人が共産主義者だとか反水爆主義だとか、問題のスケールが小さ過ぎない?」なんて、そんな風にも思えてしまいました。   後は、被爆描写に関しての問題が有り、これまた評価を難しくしているんですよね。  正直、鑑賞前の自分は「原爆に関する描写に、科学的、あるいは政治的な正しさを求めるべきではない」「映画は映画として楽しめば良い」くらいに思っていたんですが……  鑑賞後には(あっ、これは流石に拙いな)と、掌返しをしちゃいました。  それは何も「やはり道義的に問題の有る映画だ」って結論に至った訳ではなく、単純に一つの作品として、被爆描写の弱さが完成度を落としてると思うんです。  だって本作ってば、オッペンハイマーが「原爆を投下した事を、大いに後悔する」って展開なのに、被爆描写が弱過ぎるだなんて、片手落ちも良いとこですからね。  中途半端に皮膚が剥がれる女性の姿などは「あくまでオッペンハイマーの妄想に過ぎず、現実の被爆者は更に悲惨である事を当時のオッペンハイマーは知らない」って事なんでしょうけど、それならそれで「後に現実は更に悲惨であった事を思い知り、苦悩するオッペンハイマー」っていう描写は必要だったはず。  悲劇を巻き起こした事に苦悩する主人公って映画なのに、その悲劇に関する描写が拙いっていうのは、流石に見逃せない欠点です。   大好きなクリストファー・ノーラン監督作ってだけでも贔屓目に見ちゃうし、主人公オッペンハイマーとグローヴスとの友情を示す場面なんかは流石と思わせる物が有ったのですが……絶賛するのは難しいですね。  映画という娯楽品、あるいは芸術品として優れた傑作という訳ではなく「米国映画にて、原爆の開発と使用を否定的に描き、表現の幅を広めたという点においては、意義の有る作品」「名匠と名優による豪華なオールスター映画」と、そんな評価に落ち着きそうです。
[インターネット(吹替)] 6点(2025-05-14 12:39:12)(良:1票)
5.  ラスト・アクション・ヒーロー ネタバレ 
 「映画の中に入り込む映画」という、非常に夢の有る一品。   といっても、メルヘンな香りは控えめであり、主人公も「白馬の王子に恋する女の子」ではなく「タフガイ刑事に夢中になってる男の子」って辺りが面白いですね。  作中には色んな映画の小ネタが散りばめられているし、それらの元ネタを知った上で鑑賞すると更に楽しめるって辺りも、非常に男の子的で、オタク的。  「強くてカッコいいのに、どこか惚けた魅力が有るし、深刻に悩む姿も似合う」という、アーノルド・シュワルツェネッガーの魅力が存分に描かれているって意味でも、大満足の出来栄えでした。   特に感心させられたのが「映画の世界と現実の世界、二つの世界を舞台にしている」って設定ならではの面白さが、きちんと描かれている点ですね。  主人公のダニー少年が「自分が『ヒーローの味方』なら危険なスタントをしても成功するけど『コメディの脇役』なら失敗してしまう」と、映画世界の法則について考える場面なんかは、特にお気に入り。  こういう映画の場合(主人公は幼い少年なんだから、健全なアクション映画の世界では殺されないので、緊迫感が生まれない)って流れになりそうなものなのに、それに関しては「劇中映画の『ジャック・スレイター』にて、ジャックの息子が殺されている」「つまり、主人公のダニー少年も映画の世界だろうと死んでしまう可能性が有る」と序盤の段階で示し、問題点を解決している辺りなんかも上手い。   悪役のベネディクトが魔法のチケットを使う際に「トワイライト・ゾーン」の音楽を流したりする演出も良いですね  確かにベネディクト目線なら「自分が映画の中の住人だと気付いた男の物語」となる訳で、如何にも「トワイライト・ゾーン」的だなと納得。  終盤、それまでの明るかった映画世界から一転して、暗い現実世界へと舞台転換する訳だけど、その際にベネディクトが「売春する女」「靴を盗む為に人を殺す男達」という現実世界に呆れ、こちらの方が悪人にとって住み心地の良い世界なんだと悟る流れも、皮肉な味が有って良かったです。   難点としては……  クライマックスで登場する黒衣の死神について「皆も『第七の封印』くらいは知ってるよね?」とばかりに、説明不足のまま、さも当然のように描いてる辺りなんかは、流石に気になりましたね。  映画の中で撃たれた際は「防弾チョッキの御蔭で助かった」という描写であったにも関わらず、ダニー少年が「映画の世界に戻れば、撃たれたジャックは助かる」と考え、事実その通りになってしまう辺りも、観客が置いてけぼりな感じ。  後者に関しては特に致命的であり、そういう展開にするのであれば、序盤で撃たれたジャックが助かる理由も「こんなの掠り傷だ」と言ったりして、防弾チョッキなどには頼らず、もっと明確に「映画の世界なら撃たれても平気」と伏線を張っておくべきだったと思います。   そんな具合に、作り込みの甘さも目立つんだけど……  基本的には好きな映画だし「長所」というよりは「愛嬌」が目立つという、どうにも憎めない作りでしたね。  ラストシーンにて「俺はもう人を撃ったり、家を叩き壊したりするのはゴメンだぜ」「生まれ変わるんだ」とジャックが語っているのも、当時アクション俳優からの脱却を考えていた(その後、結局アクションの世界に戻ってきた)シュワルツェネッガー当人の姿と重なるものが有り、今となっては味わい深いです。   こんな事を考えるのは不謹慎かも知れないけど、いつかシュワルツェネッガーが完全に映画の世界から姿を消した際には、数多の代表作を押し退けて本作を鑑賞し、ラストシーンで去っていく彼の姿を見届けたいなって……  そんな風に考えてしまう、不思議な魅力を秘めた映画でした。
[インターネット(吹替)] 7点(2025-04-07 18:29:01)(良:1票)
6.  アバウト・ア・ボーイ ネタバレ 
 ヒュー・グラントの魅力って色々有るんでしょうけど、個人的には本作を観るのが一番手っ取り早く魅力が伝わるんじゃないかなって気がしますね。   「親が残してくれた印税収入に頼り、働きもせず女遊びしながら暮らしてる男」なんて主人公を、きちんと感情移入出来る存在として演じてる時点で凄いし、主人公の良い部分だけでなく、悪い部分もスマートに表現してみせてるんだから、お見事です。  特に感心させられたのが「赤ん坊の抱っこの仕方が下手」という演技をする場面で有り、これって中々自然に出来る事じゃないと思うんですよね。  オシャレなラブコメ映画が似合うんだけど、それと同時に「赤ん坊を上手に抱けない男」を演じられる俳優でもあるって辺りに、ヒュー・グラントという存在の特別性を感じます。   そんな主演俳優の魅力ありきの映画ではあるんですが、全体のストーリーも中々凝ってて面白かったです。  ポール・ワイツは「アメリカン・パイ」(1999年)の監督でもあるとの事で、言われてみれば王道展開からの「すかし」と「外し」っぷりが、本作と共通しているようにも思えましたね。  観ている間(これは主人公のウィルと、仲良くなった少年マーカスの母親とが結ばれるオチかな)と思っていたら、全然そんな事は無かった訳ですし。  他にも「無職だったウィルが音楽の仕事を始める」「マーカスは校内ロック・コンサートで成功して、学校の皆に認められる」なんていう王道な着地からは、あえて外してみせた終わり方をするのが、非常に印象的。  特に驚いたのがマーカスの母親についてであり、劇中で自殺未遂までした以上は、もっと根本的な解決とハッピーエンドを描いても良さそうなものなのに、そこすらも本作は「絶妙」あるいは「曖昧」なバランスで終わらせているんですよね。  「菜食主義者だが、息子が行きたがってたマクドナルドでビッグマックを食べさせようとする」なんて具合に「心が弱い母親も、少しだけ前に進めた」という形に収めてある。  これって、本当に後少しだけ描き方が下手だったら(何だ、この終わり方は)(結局、何も解決してないぞ)っていう落胆と共に映画が終わったはずなのに、観客に「仄かな満足感」「不思議な居心地の良さ」を感じさせる形で幕を下ろしてみせた訳だから、本当に見事。   ウィルがマーカスに対し「普通である事」を求め過ぎてるような一面が有るのは、少々気になるけど……  それも「学校でイジメられないようにする為」という具体的な理由が有っての事なので、決定的な違和感には至らなかったし、その辺りの繊細さというか、作中の人物や言動に対する説得力が、本作の完成度を高めていたように思えます。   それと、此度再見して気付いたのですが、この映画って「校内ロック・コンサートで成功しなかった事」が重要だったのではないでしょうか。  凡庸というか、普通の「良い映画」であれば、ここは「人生色々あって大変だけど、音楽の力で成功出来た」って形で、綺麗に纏めていたはずなんです。  でも、本作は決してそうじゃなく、コンサートは成功とも失敗とも言えないような、曖昧な結果に終わってしまう。  それは「ウィルがマーカスに手を差し伸べ、二人で成功した事」ではなく「ウィルがマーカスに手を差し伸べた事」が重要だから。  成功や失敗なんていう結果よりも、その意思と優しさこそが大切なんだってメッセージが、フィルムから小さな声で伝わってきましたね。   作中のマーカス同様、決して「普通に良い子」な映画なんかではなく「ちょっと変だけど、良い子」な映画として、心に残る一本です。
[インターネット(吹替)] 7点(2025-01-22 15:21:03)(良:2票)
7.  グリーンブック ネタバレ 
 ピーター・ファレリー監督が、こんな真面目な映画を撮ったのかぁ……と、その事に吃驚。   「白人」「黒人」「差別」といった属性を備えた品なんだけど、単純に「白人が黒人を救う物語」って訳でもないのが面白いですね。  主人公のトニーは白人だけどイタリア系であり、劇中にて「イタ公」と差別される側でもあるんです。  そもそも黒人のドクはトニーの雇い主であり、困窮してたトニーを雇って救ってあげた側という大前提があるんだから、非常にバランスが良い。  史実では単なる雇用関係に過ぎなかった二人を、無二の親友になったかのように描く事への批判もあるようですが……  映画の観客に過ぎない自分としては、この両者のキャラ設定は絶妙だったと思います。   その他にも「二人が旅立つまでが長い」とか「ドクが同性愛者であるという要素は、あまり活かせてない」とか、欠点らしき物も幾つか思い浮かぶんだけど「主人公であるトニーの境遇を説明する為には、止むを得ない」「実話ネタなんだから、同性愛者と示しておく必要があった」と、ちゃんと疑問に対する答えは見つかる為、さほど気になりませんでしたね。  むしろ、他のファレリー監督作の映画と比べても欠点は少ない方だと思うし、非常に出来の良い、優等生的な映画だと感じました。   そんな本作の中でも特に好きなのは、トニーが初めてドクのピアノ演奏を聴いて、虜になる場面。  実際に演奏が見事だったから、観客の自分としてもトニーの感動とシンクロ出来たし、その後すぐドク当人に「感動したよ」って伝えたりする訳ではなく、家族への手紙で「ドクは天才だ」と絶賛してるという、その遠回しな表現が、また心地良いんですよね。  そういった積み重ねがあるからこそ、本人に直接「アンタのピアノは凄ぇんだよ、アンタにしか弾けない」とトニーが訴える場面も、より感動的に響くという形。   他にも、コンサートスタッフに「クロなら、どんなピアノでも弾ける」と言われ、トニーが激昂する場面。  運転中、二人で音楽談義する場面。  ドクが初めてフライドチキンを食べて、二人で笑顔になる場面も素晴らしいし、二人が親友になるまでが、非常に丁寧に、説得力を持って描かれていたと思います。   脚本や演出の上手さという意味では「拳銃」の使い方も、本当に見事。  「銃を持ってるというハッタリ」の伏線が「本当に銃を持ってる」という形で回収される鮮やかさときたら、もう脱帽するしかないです。  この拳銃の発砲シーンって「酒場で札束を見せたがゆえに、ドクが殺されてしまうバッドエンド」を予感させておき、そんな悲劇を銃声で吹き飛ばす形にもなってるのが、実に痛快なんですよね。  ともすれば一方的な「黒人って可哀想」映画になりかねない中で、ドクを襲おうとした黒人達って場面を挟む事により「黒人は常に被害者という訳ではなく、加害者とも成り得る」と示す効果まであるんだから、二重三重に意味のある、忘れ難い名場面です。   それはその後の、親切な警官に助けてもらう場面も、また然り。  「南部にも良い人はいる」「警官にも良い人はいる」という、当たり前の事を当たり前に描いてくれる配慮が、本作を万人が楽しめる傑作たらしめていると感じました。   本来ドクにとっては屈辱なはずの「黒人が白人の為に車を運転する」という行いで、トニーを助けてあげる終盤の展開も良かったし……  最後に、トニーの妻には「手紙」の秘密がバレていたと示す終わり方も、非常に御洒落でしたね。  それまで出番は少なめだった「トニーの妻」というキャラクターが「素敵な手紙をありがとう」という一言により、一気に魅力的になったんだから凄い。   良質な脚本と、良質な演出を味わえる好例として、映画好きな人だけでなく、映画作りをする人達にも、是非観て欲しいって思えるような……  そんな、素敵な一本でありました。 
[ブルーレイ(吹替)] 8点(2024-02-17 13:21:33)(良:4票)
8.  あなたが寝てる間に・・・ ネタバレ 
 家族を求めていた主人公が、家族を得るまでを描いた物語。   その点、あまりラブコメらしくないというか……  「恋人を求め、恋人を得るまでを描いた」という普通のラブコメ映画とは、一線を画すものがありますね。  何せ彼氏役のジャックが登場するのが、本編開始後30分くらいになってからというんだから、徹底しています。  最後のプロポーズ場面でも、ジャック単独ではなく家族同伴で行ってるくらいだし、本作のハッピーエンドとは「素敵な恋人が出来た事」ではなく「素敵な家族が出来た事」なのだと伝わってきました。   そんな本作の特長としては、やはり主演のサンドラ・ブロックの魅力が挙げられると思います。  冷静に考えたら、こんな美女が「恋人のいない孤独な女性」を演じるって、かなり無理があるはずなのに、映画を観てる間はそう感じさせないんだから凄い。  シカゴの地下鉄で改札嬢として働き、毎朝見かける客に恋してるって設定なのですが、その姿が本当に健気で、応援したくなっちゃうんですよね。  憧れの彼に「メリークリスマス」と言ってもらえたのに、上手い返事が出来ずに落ち込んじゃう様なんてもう、実にキュート。  主人公のルーシーが嘘を吐き、ジャックの家族を騙してる形なのに、全然「嫌な女」とは思えなかったし、無理のある設定を主演女優の魅力で補ってみせているんだから、本当に見事でした。   脚本も中々凝っており、特に大家の息子のジョーは良いキャラしてたというか、物語の中での使い方が上手かった気がしますね。  彼が得意気に「ルーシーと付き合ってる」と言い出した時、観客としては(なんて図々しい)と感じるんだけど、良く考えたらルーシーも同じような嘘を吐いてるんだと気が付かせる形になってるんです。  だからこそ、終盤で罪悪感ゆえにルーシーが結婚式を破綻させちゃう流れにも、自然と納得出来ちゃう。  ある意味、ルーシーには一番お似合いというか、似た者同士な二人であり、終盤で二人がハグを交わし「良い友達」という関係性に収まるオチには、ほのぼのさせられました。   難点としては……駅でピーターを突き落とした二人がどうなったのか、謎のままなのでスッキリしない事。  そして「寝てる間に婚約者が出来て、それを弟に奪われた」って形になるピーターが哀れで、ハッピーエンドに影を落としている事が挙げられそうですね。   優しい作風の品なのだから、最後も「主人公は幸せになりました」というだけでなく「皆が幸せになりました」という形の方が似合ったんじゃないかなって、そんな風に思えました。
[DVD(吹替)] 6点(2023-12-26 02:32:31)(良:2票)
9.  メリーに首ったけ ネタバレ 
 破天荒なラブコメ作品。   この頃のファレリー兄弟作が好きな人にとっては、後の作品は「良い子ぶってる」と思えるだろうし「これぞファレリー兄弟の真骨頂」と本作を賛美する人の気持ちも、分かるような気はしますが……  自分としては「後の飛躍を感じさせる、粗削りな初期作品」って印象でしたね。  決して嫌いではないけど、完成度は低かった気がします。   主人公のテッドが小説家志望とか、冒頭に出てきたルイーズの存在とか、色んな設定やキャラを活かしきれていない気がするし、あれもこれもと面白そうな要素を詰め込んだ結果、粗が目立つ形になってるのが、良くも悪くもアマチュア的。  序盤の「ナニをチャックに挟んでしまった」展開も痛々し過ぎて笑えないし、最後の終わり方も唐突過ぎて(雑だなぁ)と感じちゃいます。  自分は本作を何度か観返してるんだけど、その度に序盤で(うわ、痛そう)と引いちゃうし、最後には(すっごい雑な終わり方)と呆れてるんだから、これはもう筋金入りというか、この二点に関してだけは、とことん自分に合わないポイントなんでしょうね。   でもまぁ、やっぱり嫌いじゃないというか……むしろ好きな映画なんです、これ。  そもそも監督がファレリー兄弟で、主演がキャメロン・ディアスとベン・スティラーという自分好みな布陣なんだから、嫌いになれという方が無理な話。   メリーに言い寄る男共を多数用意して、群像劇として描いてるにも関わらず、主人公のテッド以外が酷い奴揃いで「誰がメリーと結ばれるか」みたいなドキドキ感が無い(ブレット・ファーヴは例外的に聖人として描かれてるけど、実在人物である彼がメリーと結ばれるはず無いと観客は分かっちゃう)辺りとか、映画としては致命的な欠点だと思うけど……  ベン・スティラーという名優がテッドを演じ(こいつとメリーが結ばれなきゃ駄目だ)と思わせてくれるお陰で、その辺も気にならなかったです。   あと、一番大事なポイントとして「作中で色んな男に言い寄られるくらいに、メリーは良い女である」って事に、しっかり説得力があったのも素晴らしいですね。  これはもう脚本とか演出以上に、キャメロン・ディアスという存在ありきの、力業みたいなもんだと思います。  「ヘアジェル」で髪が逆立ったメリーの姿を、下品にし過ぎず、可哀想にもし過ぎずに(この子、可愛いな)と笑える形で演じられるのって、彼女だけじゃなかろうかって思えたくらい。   それから、本作って下品なギャグが目立つけど、実は凄く道徳的な話でもあると思うんですよね。  メリーの弟のウォーレンに関しても、知的障碍者である以上、映画としては「天使のように良い子」として描かれるのがお約束なのに、本作では全然そんな事無いんです。  テッドの顔に釣り針を引っかけても「僕じゃない、テッドが悪いんだ」と言ったりして、むしろ嫌な奴というか、悪い子として描いてる。  でも、最終的にはテッドに心を開いて、耳に触れられても怒らない場面を見せたりして、可愛いとこあるじゃないかって思わせたりもする。  つまり「基本的には悪い子だけど、それなりに可愛気もある」という、非常にリアルなバランスなんですね。  その辺り「障碍者だからといって、特別扱いはしない」「障碍者は皆して善人だなんて、そんなの馬鹿げてる」っていう作り手のスタンスが窺えて、自分としては好ましく思えました。   誠実なテッドがメリーと結ばれ、嘘ついて彼女に言い寄ってたパット達は振られちゃうのも、如何にも道徳的というか、童話的。  「好きな映画が一緒」って事に浪漫を感じる身としては、本当は好きな映画でもないのに騙してメリーに言い寄るパットって場面が一番抵抗あったし、その後の顛末にも大満足。  やっぱり、映画オタクとしては、映画の好き嫌いでは嘘ついて欲しくないです。   最後は人が撃たれて、悲劇的な幕切れのはずなのに、エンドロールでは皆で唄って賑やかに終わるのも、何だかアンバランスな魅力があって良い。  ファレリー兄弟の映画って、観た後は大体明るく楽しい気持ちになれるんだけど……  それは本作に関しても、例外ではなかったです。
[ブルーレイ(吹替)] 6点(2023-12-20 10:49:39)(良:2票)
10.  メイズ・ランナー 最期の迷宮 ネタバレ 
 やっぱりゾンビ映画。   2の時点で分かってた事ではあるんだけど、3では更にゾンビ濃度が高まってるんですよね。  それも、ただ単に「ゾンビ好きに媚びる為にゾンビを出しました」って訳でもなく、その要素を劇中で活かし「主人公の親友ニュートがゾンビ化してしまい、殺してくれと訴えてくる」って展開になるんだから、お見事です。  物語としては本作が一番盛り上がるし、最終章に相応しい内容だったと思います。   冒頭から「走行中の列車を襲撃し、仲間を救出しようとする主人公達」って見せ場が用意されているのも、嬉しい限り。  他にも「高所からプールにダイブ」とか「バスをクレーンで釣り上げる」とか、要所要所で見せ場があるし、作り手の誠意を感じます。  これに関しては、単純に観ていて面白いっていうよりは(あぁ、ちゃんと観客を楽しませようとしてるんだな……)と思えてきて、安心させられるって類の長所ですね。  「そんなのは、娯楽映画として当たり前の事だ」って考える人もいるでしょうけど、それが出来ていない映画だって沢山ある訳だし、自分としては評価したいです。   そんな訳で、1→2→3と順当に成長してきた、シリーズ最高傑作と称えたい気持ちもあるんですが……  素直に褒めきれない部分も多かったりして、そこは残念。   まず、上述のニュートに関しても、3単体では「主人公の相棒であり、大切な親友」として描かれてるけど、1と2では全然そんな事は無くて「仲間その1」でしかなかった訳だから、ちょっと唐突なんですよね。  3で急に仲良くなったような形ではなく、1から親友として描いていたら、その劇的な死も更に盛り上がったはずなので、実に惜しい。  これに関しては「1のチャックに比べたら、3のニュートの方が退場のさせ方は上手くなってる」と褒める事も出来そうだし、判断が難しいです。   あとは「実は生きていたギャリー」って展開で、これはもう、申し訳無いけど失敗してると思います。  そりゃあギャリーのファンなら嬉しいかも知れないけど、どう考えても「死んだと思ってたキャラが、実は生きていた」というサプライズ展開やりたかっただけって感じであり、必然性も無いし、ギャリーという存在を活かしきれてもいないんですよね。  宿敵だった主人公のトーマスにも「頑張れ」と声かけたりして、いつのまにか普通に信頼出来る仲間みたいになってるし、劇的な和解イベントも無し。  ギャリーを串刺しにした張本人のミンホに対しても「誰にでも間違いはある」で済ませちゃうんだから、大いに拍子抜け。  これならギャリーではなく、本作から登場した新キャラって事にしても、充分成立したと思います。   他にも「ヒロインのテレサまで、ニュートのおまけみたいに死んじゃうのが可哀想」とか「結局、世界がウイルスから救われたかどうかも分からない」っていう曖昧さとか、欠点を論えばキリが無いんだけど……  「友達でいてくれて、ありがとう」という最後のニュートの手紙は、中々グッと来るものがあったし、三部作を完走して良かったと、そう思えましたね。   またトーマスやニュート達に会いたくなったら、1から3まで観返したくなる。  なんだかんだで愛着が湧いちゃう、憎めない友達のような映画でした。
[DVD(吹替)] 5点(2023-11-28 18:55:38)(良:2票)
11.  メイズ・ランナー2 砂漠の迷宮 ネタバレ 
 まさかのゾンビ映画。   一本の映画の中で「実はホラー映画でした」と中盤で判明する例なら、これまでにも何度か体験済みですが「三部作の2からゾンビ映画になる」ってパターンは、流石に初体験です。  これ、前作のファンにとっては辛いというか「ゾンビなんて良いから、迷路で探検して欲しい」って気持ちになって、失望しちゃったかも知れませんね。   でも、自分みたいに「ゾンビ映画が好き」「そもそも1の時点で、迷路が主体の映画ではなかったと思う」ってタイプにとっては、このサプライズ展開、かなり良かったです。  「近未来が舞台の、ティーンズゾンビ映画」って時点で貴重だと思うし、そういうものだと割り切って観れば、中々目新しい魅力があるんですよね。  序盤にて、主人公達が収容施設から逃げ出す展開になるのも、脱獄物としての面白さがあって、これまた自分好み。  廃墟と化した都市の描写なども、低予算映画では中々拝めないような絵面で良かったです。   三部作を一気見して気付いた事なんですが、このシリーズって「全体の完成度はイマイチだけど、ちゃんと観客を喜ばせるような見せ場は用意してある」って特徴があり、本作も例外ではなかったって辺りも、嬉しいポイント。  特に「ゾンビと争ってる最中に、ガラスの床を割って高所から落として倒す」って場面は、かなりお気に入りですね。  これまで色んなゾンビ映画を観てきたけど、こういう倒し方もあるんだなぁって感心しちゃいました。   仲間内で最も強くて頼もしい存在だったミンホが、最後に連れ去られ「囚われのお姫様」ポジションになってしまう事。  そして、影の薄いヒロインのテレサが敵組織の内通者となる事も、程好いサプライズ展開って感じであり、良かったと思います。   序盤にて(施設内に監視カメラとか無いの?)と思っていたら、脱走した後に各所に監視カメラがあると発覚し(いや、主人公達の部屋にも設置しとけよ)とツッコまされたりとか、作り込みの甘さは否めないけど……  そういった諸々込みで、割と楽しめちゃいましたね。   シリーズ中でも異端の品であり、真っ当なファンなら反発しちゃうかも知れない、本作品。  だけど、天邪鬼な自分としては、こういう映画って結構好きです。
[DVD(吹替)] 6点(2023-11-28 18:50:40)(良:3票)
12.  メイズ・ランナー ネタバレ 
 三部作を完走した上で、再鑑賞。   2以降の展開に「迷路、関係無いじゃん」とツッコまされた訳ですが、実は1の途中から既に関係無くなってるんですよね、これ。  そもそも主人公のトーマスが「ランナー」になった時には、既に迷路は全体図を把握されており、閉じ込められた皆に希望を持たせる為に、リーダー達が「まだ踏破していない」と他の面々を騙してただけと判明するんだから、もう吃驚です。  若者達が迷路に閉じ込められた理由も、結局は「実験の為」という在来な代物だったし、新薬開発の為に本当にこんな大仕掛けが必要だったのかと、甚だ疑問が残るし……  正直、あまり褒められた出来栄えの映画ではないと思います。   ただ、原作小説は人気シリーズとの事で、言われてみれば本作って「人気のある原作を映画化した結果、微妙な出来栄えになってしまった」っていう典型のような品なんですよね。  登場人物も、それぞれにファンが生まれていそうな魅力は感じられたのですが、いかんせん映画の尺の中では描写が足りず、中途半端に終わってしまったという印象。  例えば、金髪のニュートなんかは如何にも良い奴っぽくて、これは主人公の相棒になって活躍するんだろうなと思わせる存在感があったのに、目立った活躍なんか全くしないで「仲間その1」っていうポジションのまま終わってしまうんです。  ヒロインのテレサも、典型的な「紅一点が必要だから用意してみました」というだけの存在であり、見せ場なんて皆無。  ニュートにせよテレサにせよ、2以降では役目が与えられているキャラだけに、この1での扱いの悪さは勿体無かったです。   ラストにて、憎まれ役のギャリーが涙ながらに「迷路はオレの家だ、皆の家だ」と訴えても、そんな愛着を抱くに至る経緯が描かれてないから、心に響かないし……  最年少のチャックの死をクライマックスに据えるなら、事前に主人公とチャックの交流を濃い目に描いておくべきだったと思うしで、やはり全体的に拙いというか、未熟な印象が強いです。   一応、良かった点も挙げておくなら「狭い迷路の中で、化け物に襲われる恐ろしさ」というホラー映画な魅力は、しっかり描けている事。  「迷路の道が閉じるって特性を活かして、化け物を倒す」「手近な位置から順番に仕舞っていく扉に追いつくように走り、窮地を脱する」などの、迷路という舞台設定を活かしたアクションが描かれていた事は、評価に値すると思います。  後は、病に犯され正気を失った仲間を迷路に押し込む件なんかは「蠅の王」的な狂気を感じさせて、中々良かったんじゃないかと。   個人的には、ヒロインのテレサをもっと活かし「男だけの園に女の子が送られてきた事により、奪い合いになる」っていう「アナタハンの女王」的な展開にしても良かったんじゃないかって、初見の際には、そう思えたんですが……  そんな道は選ばず、健全な雰囲気で纏めた辺りも、今となっては長所に感じられますね。  適度な怖さ、適度なエグさを楽しめるという意味では、ティーンズ向け映画として成功してるのかも知れません。
[DVD(吹替)] 5点(2023-11-28 18:42:40)(良:2票)
13.  魔法にかけられて ネタバレ 
 主人公が現実世界からファンタジー世界に行くのではなく、その逆というのが斬新ですね。  導入部も「お馴染みのディズニーの城の中に入り込む」という形で凝ってるし、とても丁寧な、考え込まれた作りの品だったと思います。  世間の評価が高く、傑作とされているのも納得。   ……ただ、観る前にハードルを高くし過ぎたせいか(期待値ほどではなかった)という印象を受けたりもして、そこは残念。  決定的に駄目な部分があるって訳じゃないんだけど、なんか細かい部分で(んっ?)と気になっちゃう事が多いんですよね。  例えば「一緒に楽しく掃除した仲のはずなのに、虫が鳥に食べられちゃう場面」なんかは、可哀想過ぎて好きになれないですし。  主人公のジゼルはファンタジー世界の超能力をそのまま現実世界に持ち込んでる形なのに、リスのピップは現実世界では喋れなくなるというのも(何で?)と思えちゃいました。   あと、これは「細かい部分」じゃなく、ラブコメとして割と重要な部分かも知れませんが……  彼氏役のロバートがジゼルに惹かれていくのは分かるんだけど、ジゼルがロバートを好きになる過程が曖昧で、二人の恋路を応援したい気持ちになれなかったんですよね。  これ、主人公がロバートだったなら「ヒロインが主人公を好きになる過程は、描かれずとも問題無い」「主人公目線で描かれた話なのだから、きっと見えないところでヒロインなりの好きになる事情があったのだろう」と納得出来たんですけど、実際はジゼル主視点で作られてる訳だから、どうにも物足りないんです。   そもそも二人とも「結婚するはずだったエドワード王子がいる」「プロポーズするはずだった恋人のナンシーがいる」って設定にしたのがマズかったんじゃないかと。  障害のある恋の方が燃えるってのは分かりますが、障害を設定した以上は、それを越えるだけの説得力が欲しくなるんですよね。  劇中の二人に「この世で一番強い魔法」「真実の愛のキス」が出来るほどの絆が描かれていたかと考えたら、甚だ疑問。  そんな二人のせいで「余り物」となったエドワード王子とナンシーが結ばれる流れも、あまりにも都合が良過ぎたように思えます。    でもまぁ、全体的には「楽しい雰囲気の、良い映画」だったので、それなりに満足。  特に、ジゼルが公園で歌う場面なんかは、観ていて嬉しくなっちゃいましたね。  異世界の人々とも、音楽があれば分かり合えるという展開が、実に自分好み。  本作をミュージカル映画と考えるなら、この公園の場面が一番良かったと思います。   ジゼルが語る「斧を振り回して狼を追いかける赤ずきん」は、是非映像でも見たかったなぁって思えたし、そういう小ネタが全体に散りばめられているのも、大きな魅力。  自分としては、クライマックスで女王がドラゴンと化し「キング・コング」のオマージュ的展開になる辺りが、一番面白かったですね。  どうやら他にも色んなディズニー作品のパロネタが散りばめられているようなので、もっとディズニー作品に詳しければ、より楽しめたかも知れません。
[ブルーレイ(吹替)] 6点(2023-11-03 18:53:46)
14.  キートンの蒸気船 ネタバレ 
 喜劇王キートンのフィルモグラフィーの中で、最も有名な場面。  それが本作の「建物が倒れてくるけど、窓枠の部分にスッポリ収まり無傷なキートン」になると思われます。   「それはつまり、コレが彼の最高傑作って事なのか」と言われたら、自分としては異議を唱えたくなるんだけど……  そう認識されても仕方無いくらいの傑作である事は、間違いないですね。   とにかくもう、キートン自ら監督したという後半部分の「ハリケーンに襲われた町」の描写は圧巻であり、良くもまぁこんな世界を描き出せたものだと、感心するばかり。  キートンの魅力といえば、当人のアクロバティックな動きが真っ先に挙げられるけど、この人って自分以外の「舞台の作り方」も、本当に上手いんですよね。  自分は三大喜劇王の中でキートンが一番好きであり「王」というよりは「喜劇の神様」って表現が似合うんじゃないかとさえ思ってるんですが……  その理由としては「映画の中に独自の世界を作り上げる事。そして、その世界を壊す事に関しては、キートンに並び得る者は存在しないから」ってのが挙げられるくらいです。  本作に関しても、その力量は如何無く発揮されており「ハリケーンに襲われた町」という特殊な舞台ならではの面白さと、巨大な建造物を破壊していくカタルシスとが、たっぷり描かれていたと思います。   冒頭部分で言及した「窓枠にスッポリ収まったキートン」の場面も凄いけど、個人的には「家が飛んできて潰されたかと思いきや、普通にドアを開けて中から出てくるキートン」って場面も、同じくらいお気に入りですね。  ここ、本当に「朝起きて、出かける為にドアを開けた」くらいの気軽さで、暴風雨なんて起こってないとばかりに平然と出てくるのがもう、たまんないです。  特異な状況ゆえの「普通の事を普通にやってる可笑しさ」を、これほど見事に表現出来るのは、正にキートンだからこそ。  クライマックスでは「水没する檻の中から父親を救い出す」って見せ場も用意されているし、主人公とヒロインが結婚する未来を「溺れた牧師を助けた」という形で示唆するのも、オシャレな終わり方でしたね。   そんな神掛かり的な後半に比べると、キートン監督ではない前半部分に関しては、凡庸な出来栄えに思えたりもするんですが……  「不器用ながらも息子を大切に想ってる父親」の存在など、魅力的な脇役も揃っているので、決定的な不満点って程では無かったです。  捕まった父を留置場から脱出させるべく、キートンがアレコレ画策する場面なんかは「刑務所モノ」「脱獄モノ」が好きな身としては、心躍るものがありましたし。  それだけでも「キートンが監督していない部分にも、確かに価値は有った」と言える気がします。   それと、本作の前半部分には、もう一つ興味深い場面があるんですよね。  美男子であるキートンが、どう見ても似合ってないチョビ髭を付けて登場し、それを剃る展開になる。  これってつまり「チャップリンのような口髭を付けた姿から、本来のキートンらしい姿に変身する」って形になってる訳で、非常に寓意的なものを感じます。  本作の監督であるチャールズ・F・ライズナーは、数々のチャップリン映画で助監督を務めた人っていうのも、何だか意味深。   そもそもキートンって、ロイドやチャップリンに比べると商業面では劣等生であり、本作でも多大な赤字を記録してたりするもんだから、周囲から「ロイドのような映画を撮るべき」「チャップリンのようなキャラクターを演じるべき」って要求されていたフシがあるんですよね。  「大学生」(1927年)や「結婚狂」(1929年)なんかは、それが顕著。   つまり、本作における「チョビ髭を剃る」シークエンスも、キートンなりの皮肉なユーモアが籠められていたんじゃないでしょうか。  映画を観てる自分としても「バスター・キートンはバスター・キートンであり、決して他の喜劇王と同じではない」という事を、確かに感じましたからね。  それは本作の後半部分、紛れもない「キートン映画」の魅力によって、力強く証明されていると思います。
[DVD(字幕)] 8点(2023-10-24 23:20:54)(良:1票)
15.  ロイドの要心無用 ネタバレ 
 主人公の役名は「THE BOY」ヒロインの役名は「THE GIRL」と表記される冒頭場面にて、何だかほのぼのしちゃいましたね。  劇中で給与明細を受け取る場面では、氏名の欄に「ハロルド・ロイド」と書かれている訳だし、完全に無名な存在ではないにせよ「この作品の主人公とヒロインは、誰しもが成り得るような等身大の存在」というメッセージ性が感じられました。   旅立ちの駅にて「主人公は近々絞首刑にされる囚人」と思わせるミスリードとか、最後の「水溜りに思えたのは実はタール(?)で、靴も靴下も脱げ落ちてしまう」ってオチとか、今観るとシュールで分かり難い場面もあったりするんだけど……  そんなのは希少な例で、基本的には「誰でも笑える、楽しめる映画」であった事も、嬉しい限り。  キートンやチャップリンを含めた三大喜劇王の中で、ロイドが最も「知的でオシャレな映画」を提供する人ってイメージが有るんですが、そういうタイプの映画って、どうしても「分かる人にだけ分かれば良い」的な、作り手の傲慢さが滲み出ちゃうものなんですよね。  でも、本作に関してはそうじゃなく、大衆向けの娯楽映画として分かり易く作ってある。  この辺りがロイドがカルト化せずに、多くの人に愛された所以なんだと思います。   個人的には「家賃を回収しに来た大家さんから隠れる為、壁に掛かったコートの中に隠れる」場面や「そこの50ドル札、どなたが落としたんです?」の件なんかが、特にお気に入り。  基本的にはドジな主人公なんだけど、所々で頭が良いとこを見せるってバランスが絶妙だし、それをサラッと見せちゃうから嫌味さが無いんですよね。   自らを追う警官の影に気が付き、咄嗟に通りすがりの車に捕まって姿を消してみせる場面なんかも、怪盗か何かに思えちゃうくらい鮮やか。  そういったキートン的なアクロバティックな魅力も有るし、かと思えば「ヒロインへのプレゼントを買う為、昼食代が無くなってしまう場面」では、チャップリン的な悲惨なユーモアと哀愁も醸し出してるしで、ロイドは両者の良いとこ取りしてるというか、どちらもこなせちゃう優等生的な存在であった事を証明する形になってるのも、興味深い。  それは「総合力では両者に比肩する」という一方で「それぞれの得意分野では、キートンとチャップリンに及ばなかった」という事でもあり、それゆえにロイドは、両者ほど強烈なカリスマには成り得なかったのかも知れません。   そんな「優等生な喜劇王」を代表する「時計の針にブラ下がる場面」に関しては、もう文句無しの素晴らしさ。  序盤にて、主人公が遅刻を誤魔化す為に時計の針を動かすのが伏線になってるし「何故、時計の針にブラ下がる事になったのか(何故ビルを登る事になったのか)」という脚本の流れも自然だしで、クライマックスに至るまでの構成が丁寧だから、観ていて気持ち良いんですよね。  こういった派手な見せ場のある映画って「○○という見せ場に持っていく為、無理やりストーリーを構築する」ってパターンが多いんだけど、本作は見せ場への繋ぎ方が完璧なんです。  名作と呼ばれる所以は、案外その辺りの「見せ場の場面以外も、丁寧に作っている事」に有るんじゃないかって、そんな風に思えました。   ちなみに、命懸けのスタントと評される事も多い上記の場面なのですが、実際はビルの屋上に作られたセットで演技しており、時計の針から落ちても大丈夫だったりしたんですよね。  これに関しては「なぁんだ」とガッカリしちゃう人もいるかも知れないけど……  「命懸けのスタントを行わずとも、そう見せる手腕が凄い」って事なんだと思います。  映画とは、そもそも「観客に夢を与える嘘」を作る事に本質が有るんじゃないかと考える身としては、実際に命懸けのスタントを行ったのと同じくらい「命懸けのスタントを行ってるように見せた」ロイドは凄かったんだと、そう主張したいところ。   ビル登りの件に関しては「次の階までの辛抱」と、少しずつ目標を達成していけば、いつのまにか屋上に到着しちゃうオチが寓話的で素晴らしいとか、ロイドは過去作の撮影中の事故で右手の指を失ってるので(失った本数や箇所に関しては諸説有り)良く見ると左手を軸にして摑まってる場面が多いとか、色んな観方で楽しめちゃう辺りも良いですね。  自分としては、中盤で母親のような老婆に「そんな事をして、落ちたら大怪我しますよ」と窘められ、困ったように笑ってみせるロイドの顔が、何とも言えず好きです。   実に百年前の映画となりますが、今観ても楽しめるという……  正に、時代を越えた傑作。  喜劇王の代表作に相応しい一本だと思います。
[DVD(字幕)] 9点(2023-10-19 11:39:46)(良:1票)
16.  スリーデイズ ネタバレ 
 久し振りに再見し、細かい部分まで「すべて彼女のために」(2008年)をそのまま再現してるんだと感心させられた一方で、物語の根幹に関わる部分を大きく改変してるって事にも気が付き、驚かされましたね。  自分は最初に本作を鑑賞し、その何年後かに「すべて彼女のために」を観賞し、此度感想を書く為に二本連続で観てみたという形なのですが……  最初に観た時より衝撃が大きかったし、それに伴って、本作に対する評価も更に高まったように思えます。   何せ本作ってば、主人公が妻への疑いを捨て切れていないんです。  一応台詞では「妻を信じる」というスタンスだし、疑いを持ってるだなんて、それこそ自分の邪推に過ぎないのかも知れませんが、一途に妻を信じていた「すべて彼女のために」の主人公に比べると、見るからに様子が違うんですよね。  でも、それによって妻への愛が弱々しく感じられるなんて事は無く「たとえ妻が殺人を犯したとしても、それでも妻を愛する」という意思の強さが感じられる形になっているんだから、本当に見事。  「すべて彼女のために」は「妻を一途に信じ抜く男」を描いたのに対し、本作では「妻に疑惑を抱きつつも、それでも愛する男」を描いたのかな、と思えました。  だからこそ、同じストーリーの映画なのに「違った味わい」「独自の魅力」が生み出されている訳で、この辺りは本当に上手い。   「ドン・キホーテ」から影響を受けて「理性を捨てた方が人は強くなれる」と言い出す場面とか「狂人となっても、絶望に生きるよりはマシ」と覚悟を決める場面とか、この主人公は愛ゆえに狂気の暴走を果たす事になると、序盤の段階で示してるのも良いですね。  「すべて彼女のために」では、中盤以降の主人公の暴走っぷりに驚かされ、多少引いちゃう気持ちになったりもしたんだけど……  その点、本作は主人公に肩入れし易いし、過激な選択に至るまでの説得力も増していた気がします。   物語の途中で出会う「ママ友」ならぬ「親友(おやとも)」な女性の活かし方も上手い。  「すべて彼女のために」では主人公とのロマンスを予感させ「その気になれば他の女性と幸せになる事も出来るが、それでも妻を選ぶ主人公」って示すだけの存在だったと思うんですが、本作は彼女に他の役目も与えているんですよね。  いざという時に備え、息子のルークを預ける場面を挟み、主人公の「もしかしたら、自分は助からないかも知れない」という悲壮感を高めるのに成功してる。  こういうリメイク映画における「既存の人物の重要性を高める改変」っていうのは、観ていて本当に嬉しくなっちゃうし、もう大好物です。   他にも「あえて偽の証拠を残しておき、警察の捜査を欺く」という罠を用いる事によって、主人公の有能さが増している事。  妻に嫌疑が掛かった殺人事件の真犯人が誰か、観客に教えてくれる事なんかも、嬉しい改変。  これらの改変部分に関しては「余計な事をした」「何でもかんでも説明し過ぎて、野暮な作りになった」と感じる人もいるんでしょうけど、自分としては正解だったと思いますね。  あれだけ用意周到に計画を立てていた主人公が、証拠を燃やしもせずにゴミ箱に捨てて警察に見つかっちゃうってのは違和感あったし、殺人事件の真相についても、明確に描いておいた方が、スッキリとした後味になるんじゃないかと。   そんな具合に、色々と改変している一方で「すべて彼女のために」でも印象的だった、不仲だった父との別れ際のハグについては、ほぼそのまま情感たっぷりに描いてくれてるのも、実に嬉しい配慮。  主人公の妻は美女で、息子は美少年っていう辺りも、殆どそのまま再現しており、感心させられましたね。   そのままの方が良い箇所に関しては、そのまま。  そして変えるべき箇所に関しては、思い切って変えるという采配が絶妙でした。   本作「スリーデイズ」は傑作であり、これ単品で鑑賞しても、文句無しに楽しめるのですが……  「すべて彼女のために」とセットで鑑賞すれば「リメイクの妙味」「新たに映画を作り直すという意義」についても感じ取る事が出来るんじゃないかって、そんな風に思えましたね。  娯楽作品としても、リメイク映画の理想形としても、オススメしたい一本です。
[DVD(吹替)] 8点(2023-09-28 21:29:31)(良:3票)
17.  タキシード(2002) ネタバレ 
 映画の利点の一つとして「本当は凄くない人を、凄いように見せられる」という事が挙げられると思います。  それが本作の場合は、全くの逆というか……  「本当に凄いアクション俳優」の代名詞的存在であるジャッキーに「本当は凄くないのに、タキシードのお陰で超人になる主人公」を演じさせてる訳だから、トンデモない映画ですよね。  本末転倒というか「これならジャッキー主演でなくとも良いのでは?」と思える形になっており、褒めるのが難しいです。   そもそも「主人公は凡人であり、特殊なタキシードのお陰で超人になれた」っていう設定、ジャッキーとは相性が悪いと思うんですよね。  公開当時の米国人ならいざ知らず、日本に住んでる自分としては「ジャッキーが凄い奴」である事は分かり切ってる訳で、本作にて「ジャッキーは凄くないよ、凄いのは着てるタキシードなんだよ」ってストーリーを展開されても、全く説得力を感じない。  作り手側も流石にマズイと思ったのか「タキシードを着ると強くなる」ってだけでなく「声帯を変える事も出来る」「銃を組み立てるような精密動作も出来る」といった性能も付け足されてるんだけど、それが成功したとは言い難いかと。   こういう設定の映画である以上、観客には「このタキシードを着てみたい」って思わせる必要があるはずなんですが、本作に対しては全然そんな気持ちになれませんでしたからね。  色んなジャッキー映画を観て「ジャッキー・チェンになりたい」と思った事が何度もある身としては、これは如何にも寂しい。  もっと「タキシードを着て超人になる事の利点」「強くなる事の爽快感」「色んな事が出来るようになる快感」を、しっかり描くべきだったと思います。   一応、所々でジャッキーがアクションを披露してくれてるので、退屈まではしなかった事。  「九割は服でモテる(胸を指差して)あとの一割は、この中」「僕はファンを無視する有名人が嫌いだ」などの台詞は、中々オシャレで好みだった事。  最後はタキシードを着た者同士の対決になる事や、タキシードの特性(煙草を咥えられたら、自然に火を点けてしまう)を利用して勝つ脚本などは、王道の魅力があった事などを考えると「つまんない映画」「嫌いな映画」って程ではないんですが……  誉め言葉よりも、文句の方がスラスラ書けちゃう映画なのは確かだったりするので、困っちゃいますね。   最後の大袈裟な告白が失敗に終わるとか、ツンデレっぽいヒロインと結ばれるオチになるとか、その辺も「良かった箇所」と呼べそうではあるんだけど……  それらに対しても「告白の為とはいえ、自転車に乗ってた人が殴られたりして可哀想なので笑えない」「最終的に結ばれるのであれば、彼女の出番を増やしてヒロインとしての魅力を描いておくべきだった」なんて具合に、次々と不満やら文句やらが浮かんできちゃうんです。  この映画を褒めたい自分と、文句を言いたい自分とが戦った結果、後者が判定勝ちしちゃった感じ。   残念ながら、自分には合わない「タキシード」だったみたいです。
[DVD(吹替)] 4点(2023-09-11 23:17:16)(良:1票)
18.  ダブル・ミッション ネタバレ 
 「アジアの鷹」シリーズの一本……という訳ではなさそうですね、残念ながら。  冒頭にて往年のジャッキー作品の映像が流れるし、中でも「プロジェクト・イーグル」(1991年)の映像が数多く引用されている為、つい続編かと考えたくなるんですが、主人公の性格が違い過ぎるし「ライジング・ドラゴン」(2012年)とも繋がらない。  じゃあ「タキシード」(2002年)の続編なのかといえば、これまた無理があるし、ちゃんと独立した作品なのだと思われます。   そんな訳で「前作では○○だったのに、今作では××になってる」なんて思う事も無く、純粋に一本の映画として評価出来る品なのですが……  「面白いかどうか」で言うと、ちょっと厳しいです。   まず、クライマックスの戦いを自宅の中で済ませてるのがスケール小さくて拍子抜けだし、長女のファレンが父親について「絶対戻ってくる」「このまま放っとくはずない」と言っていたのに、その父親が結局登場しないまま終わったりで、作り込みが甘いんですよね。  ヒロイン(?)のジリアンに関しても、芸術家設定が全然活かされていないし、主人公がスパイと知った後の態度が冷た過ぎて、最後にアッサリ復縁するのが不自然なんです。  「物語の中で必要じゃないのに、面白そうだと思った属性をアレもコレもと詰め込み過ぎてしまった」という形であり、悪い意味でアマチュアっぽい作風だったと思います。   でも「好きか嫌いか」で考えれば、間違いなく好きな映画だったりするので……  褒めようと思えば、いくらでも褒められちゃうんですよね、これ。  凄腕のスパイが、普通の主婦が毎日こなしてる「子育て」に翻弄されちゃうって基本軸も、ベタだけど王道な魅力がありますし。   それに何といっても、主人公と交流して懐いていく、三人の子供達が可愛らしい。  思春期で反抗しがちな長女のファレンに、やんちゃ少年なイアン、幼く純真無垢なノーラと、三人ともキャラが立ってるんですよね。  ファレンと「屋根友」になる場面、イアンがスパイに憧れて家出する場面、ノーラが砂糖を食べて暴れ回る場面といった具合に、それぞれに印象的な見せ場があるのも良い。  母親であるジリアンの影が薄い事も併せて考えると、本作は、あくまでも「主人公と三人の子供達の物語」って事なんだと思います。   梯子に自転車など、道具を駆使したアクションが随所で挟まれるのもジャッキー映画らしい魅力があったし「作中でプールが出てきたら、ちゃんとそこに人が落ちる」って作りなのも、安心感がありましたね。  ファッションに拘るラスボスに向かって、イアンが「だっさい服だな」と言い放ちムッとさせる場面とか、悪役にも程好い愛嬌が備わってるのも良い。  憎たらしい悪役を倒してスカッとする、勧善懲悪な魅力を目指すのではなく、悪役でも憎めないような、優しい世界を崩さないバランスに仕上げてあり、観ていて心地良かったです。   面白い映画っていうよりは、優しい映画という……  そんな言葉が似合いそうな一品でした。
[DVD(吹替)] 6点(2023-09-06 10:08:44)(良:1票)
19.  ウォーター・ホース ネタバレ 
 ネッシー映画って、何故かネッシーを「人を襲い、食い殺す化け物」として描いた品が多いんですよね。  「怒りの湖底怪獣/ネッシーの大逆襲」(1982年)然り「ジュラシック・レイク」(2007年)も、また然り。  にも拘わらず、本作ではネッシーを「人間の友達」として描いているんだから、それだけでもう、嬉しくなっちゃいます。  数少ないネッシー映画の中で、最も有名なのが本作だと思うし、自分としても一番好きなネッシー映画となりそう。   そんな訳で「これぞネッシー映画の決定版」と大いに褒めたいところなんですけど、ここで思わぬ落とし穴。  実は本作における「ネッシー」には「クルーソー」という独自の名前が付けられており、それがちょっとこう……微妙にピントずれちゃってる感じなんですよね。  観ている側としては「ネッシー」と思ってるのに、劇中人物達は「クルーソー」あるいは「モンスター」と呼んでいる。  これに関しては、多少不自然になってもアンガス少年が「ネッシー」と名付けて、それが何時の間にか世間にも流布してしまったとか、そういう流れにした方が良かったのでは? なんて、つい思っちゃいました。   元々あったウォーター・ホース伝説と組み合わせ「実はネッシーの正体とは、ウォーター・ホースなのである」って展開にしたのは悪くないんですけど、どうにも取っ散らかり過ぎなんですよね。  作中で色んな呼び名、色んな属性が当てはめられてるせいで、愛着が湧き難くなってしまった気がします。   あと、クルーソーと別れる場面にて、アンガス少年に「お前は一番の友達だよ」と言わせるなら、もっと事前に両者の交流を描いて欲しかったです。  クルーソーとの絆に関しては、贔屓目に見ても「可愛がってたペット」くらいにしか思えなかったし「場面単体で考えたら悪くないんだけど、伏線が足りないから感動出来ない」って形になってるのが、本当に残念。  戦死した父の存在をドラマに絡め「もう二度と会えない存在である父とクルーソーを、それでも愛し続ける主人公」「クルーソーとの別れによって、ようやく主人公は父とも本当のお別れが出来た」という描き方にしたのも、個人的には微妙というか……  ちゃんとクルーソー(ネッシー)との絆一本で映画にして欲しかったというのが、正直な気持ちです。   とはいえ、総合的に考えると好きな映画だし、良かったと思える部分の方が、ずっと多かったですね。  冒頭にて、色んなネッシー写真で目にした「湖畔の古城」が姿を見せる場面だけでもグッと来ちゃったし、クルーソーの頭には角があるしで、ネッシー好きとしては、それだけでも満足。  写真を偽造している連中の、すぐ傍で本物が泳いでる場面なんかも、皮肉なユーモアがあって良い。    「ネス湖に怪物なんていない」と主張する、世間の代表とも言うべき母親の前に、クルーソーが姿を現す場面をクライマックスに据えてるのも、もう大正解。  ネッシー好きにとっての悲願とは「ネッシーを否定する人物に、本物を見せてやる事」だと思うし、それを映画の中で叶えてくれるんだから、本当に嬉しかったです。   ネッシーに乗ってネス湖を泳ぐという、幻想的な場面も素晴らしいですね。  これまで自分が観てきた映画の中でも、最も活き活きとして美しいネッシーが、ネス湖を縦横無尽に泳ぎ回るという、その姿を拝ませてもらえただけでも(良いもん見たなぁ……)って、しみじみ感じられました。   2023年現在、自分の口から「ネッシーは実在する」と言えば、それは嘘になってしまうと思います。  それと同様に「この映画は面白い」って言ってしまうと、それも嘘になっちゃいそうなんですが……  夢の有る映画である事は、間違い無いと思います。
[DVD(吹替)] 7点(2023-08-29 12:13:13)(良:1票)
20.  チェイサー(2017) ネタバレ 
 ノンストップな追跡劇が面白い……と言いたいとこなんだけど、ちょっと微妙でしたね。  奇を衒った作りではなく「誘拐犯を追いかけ、子供を取り戻す主人公」というシンプルなストーリーだし、時間も94分と短めに纏まっているし、主演はハリー・ベリーだしで、褒めたくなる要素は一杯なんだけど、肝心の「映画としての面白さ」が足りてない。   どうして楽しめなかったんだろうと考えてみたんですが、本作に関しては「骨太でシンプルな作り」という、本来なら長所となるべき部分が、仇となってしまったのかも知れません。  誘拐犯の正体は驚きのあの人とか、実は深い目的があったとか、そういう訳でもないし、本当に「主人公VS誘拐犯」ってだけの話ですからね。  序盤に主人公がウェイトレスとして働く場面を、結構な尺を取って描いており、これは伏線なのかな(揉めてた客が再登場して主人公を助けてくれるとか、あるいは誘拐犯の一味とか)と思っていたら、全然関係無かったっていうのも、観ていてズッコけちゃいましたし。  中盤にて、主人公の車が燃料切れを起こしちゃうのも、何だか象徴的。  「ネタが無いので、仕方無く燃料切れにして引き延ばしました」としか思えない展開であり、そこで車だけじゃなく、映画自体も息切れしちゃってた気がします。  尺稼ぎが露骨というか、この映画には、94分でも長過ぎたんじゃないかと。   とはいえ最初に述べた通り、自分としては「褒めたくなる」「好きなタイプ」の品だったので、以下は良かった点を。  まず、冒頭で「息子の成長を見守る母」の姿を描き、母子の絆をしっかり感じさせるのは嬉しかったですね。  こういう映画である以上、そういう描写は必要不可欠だし、やって当たり前だろって話ではあるんですが……  「当たり前の事を、ちゃんとやってくれてる安心感」が得られるっていうのは、立派な長所だと思います。   警察が全然活躍しないで、主人公が孤軍奮闘して息子を救うって展開に、しっかり説得力があったのも良い。  この場合の説得力っていうのは「警察に任せた方が息子が助かる確率は高いのに、自力で何とかしちゃうのは説得力に欠ける」とか、そういう現実的な代物ではなく、作劇として「主人公は警察に任せておけずに、自力で息子を救おうとする」っていう、主人公の心の描き方としての説得力ですね。  警察署にて、行方不明になったまま帰らない子供達のポスターを見つめ「我が子は決して、こんな風にはさせない」「何もせず待ってるだけなんて、耐えられない」と考える流れには、自然に感情移入出来ましたし。  正しい道じゃないかも知れないけど、観客として「それで良い」「そうするのが正解」「頑張って欲しい」と思える道を選ぶ主人公っていうのは、やっぱり魅力的です。
[ブルーレイ(吹替)] 5点(2023-08-22 00:43:15)(良:1票)
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