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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2598
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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21.  裏切りのサーカス 《ネタバレ》 
ゲイリー・オールドマンの秘めた感情が読めない瞳が、眼鏡の奥で硝子玉のように鈍く光る。 彼が演じるスマイリーという男が、この物語の中で貫き通したものは一体なんだったのだろう。 それは正義だったのか、野心だったのか、それとも暗恨か、嫉妬か。 ラストカットで主人公が携えた微笑には、彼が抑え込んできた様々な感情が一瞬垣間見えたように思えた。  インフォメーションから伝わっていたようなストーリー的な難解さは実はない。 人と思惑が入り交じり、いかにも入り組んでいるように見えるが、最終的に解きほぐされた顛末は、呆気ない程に単純で驚きはなかった。このキャスティングで、“彼”が裏切り者では工夫がなさ過ぎると思った。 正直なところ、その呆気なさに対して満足度が高まり切らなかったことも事実。人物関係の説明描写が明らかに不足したまま固有名詞を並び立てる語り口は、ストーリーをただ無意味に難解じみさせているようで、サスペンスとしてアンフェアに感じた。 そのことが映画として必要な娯楽性の不足に直結していることは否めない。  ただし、“研ぎすまされた”という表現がまさに相応しい俳優の演技と、映像構築も含めた演出は、文句なしに際立っている。 さめざめしくも美しい陰影の濃い映像世界はこの物語に相応しく、そこに息づく俳優たちはそれぞれ最高のパフォーマンスを見せていたと思う。 特筆すべきは、やはり主演したゲイリー・オールドマンの素晴らしい存在感だろう。 一貫して感情を高ぶらせることのないこの映画の主人公は、彼のフィルモグラフィーの中でも最も「静的」なキャラクターだったのではないかと思う。 終始、淡々とした佇まいの中でも、決して平坦ではない、深い人物像を構築してみせたと思う。  ゲイリー・オールドマンは、今作でアカデミー主演男優賞も有力候補だったので是非穫ってほしかった。 そして、ナタリー・ポートマンもとい“マチルダ”から“スタンフィールド”へのオスカー授与シーンが見たかった!
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2012-11-24 10:36:58)(良:1票)
22.  バイオハザードV リトリビューション
アリスの“半裸”拘束衣の復活、ジル・バレンタインの“胸チラ”コスチューム、エイダ・ウォンの“美脚”スリット……それらの要素があるだけで、このシリーズ最新作は少なくとも前作は超えていると言っていい。 敢えて大真面目に言わせてもらうが、ストーリーの整合性とかアクションのありきたり感以前に、前作に欠けていたものは、「エロさ」であった。  長い映画史においても、女性が主人公のホラー映画やアクション映画の傑作には「エロさ」が欠かせない。 このシリーズの第一作「バイオハザード」では、“脱ぎたがり”のミラ・ジョヴォヴィッチを主人公に起用したに相応しく、彼女の“半裸”で始まり“半裸”で終わるからこそ、素晴らしい娯楽映画に仕上がったと言っても過言ではない。 語弊を恐れず言わせてもらうならば、「エロさ」即ち「女性の美」は、それだけで映画の「娯楽」になり得る要素だと思う。  だから、そういう要素が部分的であれきちんと組み込まれている今作は、娯楽映画の方向性自体は間違っていないと言える。  しかし、だからと言って手放しで褒められる映画ではないことは、前々作くらいから明らかで、粗や突っ込みどころを挙げればきりがない。 整合性などは端からなくて、そういうことを気にしていると観られたものではないし、それに憤慨することが目に見えているのならば、観るべきではないだろう。  ここまできてこのシリーズの最新作を映画館まで観に行く人なんていうのは、もはや“ジャンキー”であり、面白くないことは分かっていても、映画館で観なければ気が済まなくなっているのだろう。  せめてもう少しカタルシスを感じられれば、手放しで喜べたとは思う。 あまりに工夫がなく、そもそも破綻してしまっているストーリー展開には呆れるばかりだが、そういうことは容易に予想できたにも関わらず映画館に足を運ばせ、こうなったら続編も観に行くと心に決めさせるこのシリーズの“麻薬性”は大したものだ。続編をどうせ作るんなら、来年くらいにさっさと公開してほしい。  取り敢えずは、最低限備えた「エロさ」に対して及第点。  あ、それと、復活したミシェル・ロドリゲス嬢の相変わらずの腕っ節と、あまりに珍しい女子大生演技のギャップには、もちろん萌え。
[映画館(字幕)] 6点(2012-09-18 23:59:20)(笑:1票) (良:4票)
23.  おとなのけんか
ふつう、人と人とが険悪な雰囲気になっていく様を目の当たりにすると、関係のない自分自身も嫌な気持ちになり、その場から逃げ出したくなるものだ。 しかし、この映画ではまさにそういう「修羅場」に発展していくのだろう不穏な空気感を序盤から醸し出しているのに、笑えて仕方ながなかった。  それは、人間同士のそれぞれの感情を剥き出しにした衝突の醜さと滑稽さ、そして、人間というものは「見たくない」と体裁を整えているが、つまるところ“自分に関係のない修羅場”に対しては笑って見られて、娯楽性すら感じてしまうという根本的な愚かさを観客たちに突きつけているに他ならない。  原題の「Carnage」の意味はそのまんま「修羅場」。 しかし、「子供の喧嘩に親が出る」という言い回しが諺としてポピュラーな日本においては、「おとなのけんか」という邦題は非常に的確で、子供の喧嘩の後始末に当事者の両親同士が集まってどんどんいがみ合っていく様の愚かさは、「おとなのけんか」という揶揄的な表現が相応しい。  現代のハリウッドを代表する名俳優を揃え、全編をアパートの一室での会話劇のみで展開する79分間はコンパクトかつ濃密で、俳優たちの安定感と、ロマン・ポランスキーという名匠の“技”が光る映画として仕上がっている。  見て明らかなように原作は舞台劇で、それを彷彿とさせる少々過剰な感情表現や画面構成が印象的だった。 会話の展開によって4人それぞれの対立関係がくるくると変化していく構成は巧みで、単なる親同士の対立から、ステータスによる対立、男女の対立、個々人の価値観による対立へと移り変わっていく様には、様々な価値観と感情を持った人間同士が一つの環境の中で生きるということの難しさを如実に物語っているように思えた。  しかし、この手の会話劇として全編通すにあたっては、最後にもう一つ転回が欲しかったように思う。 結局全員がスコッチを飲んでアルコールでベロベロになってしまっては、導き出される結論がどうであれ説得力を欠いてしまう。  それでも名優たちのパフォーマンスが絶妙なので、充分に見応えのある質の高い会話劇であることは間違いないけれど。 ジョディ・フォスターは「老けたな~」という印象は拭えなかったけれど、ヒステリックな母親役がハマっていた。 そして、いまやケイト・ウィンスレットの演技にハズレは無い。
[DVD(字幕)] 7点(2012-07-15 11:17:03)(良:1票)
24.  マチェーテ
“いかつい”なんて形容ではあまりに言葉足らずの風貌の主人公が、巨大なナタを振り回す冒頭のバイオレンスシーン10分。そして、そうそうたる濃い過ぎるキャストが勢揃いのラストの大乱闘シーン10分。 この映画は、その合計20分だけで充分!というかそれ以外の部分は、よそ見して酒でも飲んでりゃあイイ。  当たり前のことだが、この映画において、完成度の低さに目くじらを立てること程愚かなことはない。 今作監督のロバート・ロドリゲスと、その盟友クエンティン・タランティーノ、ハリウッドきっての“悪ガキ”監督が企てた“グラインドハウス”映画の中で登場する実在しない映画の予告編から生まれた今作が、まともに完成していると思うことがそもそも間違い。「完成度」など存在すらするわけがない。 大部分を占める“クソ映画”的展開の中で、時折垣間見せるハイテンションシーンに馬鹿みたいに高揚することが出来ればそれで充分なのだ………とは思う。  とは思うからこそ、想定外の不満を感じた。それは、思ったよりもずっとキレイにまとまってしまっていることだ。 先述したように冒頭やラストは、それなりに荒れていてハチャメチャな様が見ていて楽しい。が、その他の部分が思ったよりも“暴走”していない。 そもそもストーリーなんてあってないようなものなのだから、整合性なんて無視して“ぐでんぐでん”な映画世界を見せてほしかったと思う。  その期待はずれの真っ当さが、目新しさを生まず、映画全体のテンポを悪くさせ、テンションが上がり切らなかった原因だろう。 主人公はもっとはっきりとした無頼漢であってほしかったし、豪華スター勢揃いの悪役陣ももっと振り切ったキャラクターで良かった。 そして、個人的に大好きなミシェル・ロドリゲス姐さんと、ジェシカ・アルバ嬢には、もっともっとセクシーシーンがあるべきだと思った……。  まあそれでもね、正義のダニー・トレホと悪党のスティーヴン・セガールというまさかの一騎打ちが観られるだけで、やはり充分な映画だろう。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2012-05-02 00:46:37)(良:1票)
25.  アンノウン(2011) 《ネタバレ》 
殆ど予備知識無く鑑賞を始めたので、冒頭から滲み出ているサスペンスフルな空気感にすんなりと引き込まれ、二転三転する展開を堪能しながら最後まで楽しむことが出来たことは間違いない。 サスペンスアクションとして、サスペンスの緊張感とアクションの高揚感がバランス良く配置されており、鑑賞直後の満足感は当初の想定よりも随分と高かったと言える。  ただし、観賞後数分間でちょっと振り返ってみると、粗という粗がポロポロと出てきてしまうことは否めない。  よく考えると映画全編に渡って言えることだが、「実は一流の○○○」だったというには、そもそもの言動がずさん過ぎて陳腐だ。 まず目的のために徹底した偽りを謀るとはいえ、目的地への移動中に至るまでその偽りを貫く必要があるのだろうか。これは明らかに観客を欺くためだけの演出であり、人間描写上の必要性はないと思う。 そんでもって、空港のタクシー乗り場で最も重要な鞄を置き忘れるって、どんだけうっかり屋さんなんだという話だ。これも結局、ストーリーとしての一つの目的を設置するためだけの設定であり、極めて安直だ。 他にも、一流ならば乗り込んだ先の言語で世間話くらいは出来るようにしとけよ!とか、ふいの自動車事故とはいえ簡単に気を失い過ぎだろ!咄嗟に飛び降りるとかそれくらいしようよ!とか一流の組織のメンバーのくせいに素人の女の子にやられてどうすんだ!とかとか……、一度突っ込み出したら止まらなくなってきそうだが、とにかくよくよく考えると用意されていたオチに対して整合性が無さ過ぎる要素に溢れてしまっている。  ストーリーのアイデア自体は、オリジナリティが高いとは言い難いけれども充分に面白味に長けている。それが興味を最後まで持続させる最大の要因だとも思う。 しかし、このアイデアであれば、ラストの顛末でもっとどぎつく踏み込むことができたなら、数多の粗を振り切って余りある映画に仕上がっていたかもしれないなと思う。リーアム・ニーソンのクライマックスの表情は観る者を惑わせる緊張感が含まれていて良かったけれど……。  まあそこまで完璧なクオリティーを求めるべき類いの映画ではないと思うし、観ている間と観終わった瞬間に満足していたならそれで充分だと思う。  と同時に、画面から溢れ出る上質な色調と巧い俳優陣の演技によって、もの凄く質の高い映画に“見えるだけ”に、やはり残念に思う。
[DVD(字幕)] 6点(2012-02-26 02:14:25)(良:2票)
26.  ゴーストライター
ロマン・ポランスキー監督の“巨匠ぶり”に改めて感じ入ることができる映画であることは間違いない。が、敢えて今回は主演のユアン・マクレガーに言及したい。  意味の捉え方次第で善し悪しは変わってくるが、ユアン・マクレガーはスター俳優としては珍しいくらいに存在感が“軽い”。 あれほど特徴のある顔立ちをしていながら、どんな役柄においても必要以上の存在感を示さない。だから、どれほどの大バジェット映画の人気キャラクターを演じようとも、そのイメージが俳優としての彼自身に固執されず、どんな映画のどんな役柄で登場しても観客は一旦フラットな状態で彼の立ち振る舞いを追うことが出来るのだと思う。 だからこそ、映画の規模と演じるキャラクターの性質に関わらず、とりあえずフィットしてみせることが出来るのだと思う。  そんな特異な性質を持ったスター俳優にとって、今作の役所は特にハマリ役と言っていい。 “ゴーストライター”を生業とする主人公が、英国元首相の自叙伝の執筆に携わることから始まる“巻き込まれ型ミステリー”。 まず印象的なのは、主人公には役名が無いということだ。明確に実在する平凡なキャラクターとして登場するにも関わらず、名前がことごとく紹介されない。ある部分では明確に省かれ、ある部分では主人公自身がはぐらかし、ある部分では名前を覚えてもらっていないという設定で済まされる。  目の前の謎を盲目的に追い求めていく主人公の行動を中心に物語は進んでいくが、しばらくすると、名前が明示されないことも含め、彼のキャラクターがとても軽薄なものとして意識的に描かれていることが分かる。 巨匠が描き出す上質なミステリー調子の中で、徐々にストーリー以上に主人公の男の“存在性”そのものが静かに際立ってくる。  そうして導き出されるあまりに印象的で巧いラスト。 物語自体の衝撃や驚きだけに頼らず、卓越した映画術の巧さと、キャスティングの妙で紡ぎ出した洗練されたサスペンス映画の世界を堪能出来た。
[DVD(字幕)] 7点(2012-02-21 16:32:29)(良:1票)
27.  ドラゴン・タトゥーの女
決して「駄作」だとは思わない。しかし「傑作」と呼称するには明らかに何かが足りない。流れ始めたエンドロールを見据えながらそういう印象を覚えずにいられなかった。  まず期待に及ばなかったのは、ストーリーの顛末だ。 イントロダクションの段階では、斬新なミステリー展開を期待したが、実際繰り広げられたミステリーは想定外に古典的だった。そのありふれたプロットに、拍子抜けしてしまったことは否めない。 そして、仰々しくミステリーの風呂敷を広げた割には、明かされた「真相」は“ありきたり”の範疇を出ず、驚きに欠けていたと思う。  また、主人公二人を始めとするキャラクター描写にも物足りなさを感じた。 ダニエル・クレイグとルーニー・マーラの主人公コンビが醸し出す雰囲気は非常に良く、滲み出る二人の空気感だけで、言葉にならない期待感が膨らんだと言っても過言ではない。 彼らはとても“頑張っていた”と思う。ただそれが、そのまま「もの凄く良い演技」という印象には直結しなかった。 それはやはり、人間描写そのものの薄さにあると思う。彼らのバックボーンを含めた人物描写が希薄なので、行動原理に理解が及ばず、すんなりと感情移入出来なかったことが致命的だったと思う。 特にルーニー・マーラ演じるリスベットというキャラクターは、その風貌から言動まですべてがエキセントリックで印象的だったけれど、彼女が現在に至る経緯や成長過程があまりに明確にされないので、人間味を感じることが出来なかった。 ルーニー・マーラは、見事な役づくりとそれに伴うパフォーマンスを見せたと思うが、そういう人物描写の薄さからキャラクターとして「好き」になるには至らず、単なるエキセントリックガールに映ってしまったことは残念だ。  監督の卓越した映画術によって、全編通してしっかりと作られていることは分かる。しかし、何かしらの「特別感」がこの映画からは伝わってこなかった。  今作は三部作の原作の第一章であり、映画としても三部作構成で企画されている。今作で乗り切れなかった分、続編での挽回に期待したい。  それにしても、あの“モザイク”は無い。「20年前のAVかよ」と思わず突っ込みを入れたくなり、大いに興が冷めてしまった。無名女優が己の未来を切り開こうと、体を張って熱い演技を見せているのだから、そのあたりをちゃんと汲んだ映像処理をしてほしい……。
[映画館(字幕)] 5点(2012-02-14 11:17:53)(良:1票)
28.  ハンナ
まるで拷問器具のように見えるデンタルケアセットを几帳面に並べ、自らの歯間を血が出るほど磨き続けるCIAエージェント役のケイト・ブランシェットが怖い。 “追跡者”として珍しく悪役を演じる彼女のキャラクターはとても印象的で、劇中でも表現されるが「魔女」という比喩があまりに相応しい役所だった。   赤子の頃から凍てつく森の奥に閉じ込められ、ひたすらに殺人の術を叩き込まれてきた少女。彼女の存在の“解放”と、秘められた謎を追うストーリーは、正直ありきたりと言える。 ただ、ただモチーフとして用いられている「グリム童話」が示すように、映画世界そのものがある種の“寓話”として描かれており、垣間見える非現実感が独特の世界観を構築していたとは思う。 冒頭からどこか達観した主人公の少女のたたずまいや、概念的な台詞回しに引き込まれたことは間違いない。  そこに何かしらの“含み”を持った曲のあるキャラクターたちが息づき、印象的な世界観をさらに深めていったと思う。 また画面には、常に今この瞬間に凶弾が襲ってくるかもしれないという緊張感が溢れ、上質なサスペンススリラーが映し出されていた。  しかし、最終的には物足りなさが先行したままエンドクレジットが流れ始めてしまった。  結局、寓話的な曖昧さが全体を包み込んでしまい、ストーリーに説得力が無かった。 キャラクターそれぞれに魅力的な存在感は備わっていたが、彼らが抱える過去の葛藤や人間性の描写が中途半端なままで、つまるところ何がしたかったのかが伝わってこない。  ジェイソン・フレミングが父親役で登場する家族との交流も、何だか中途半端で、捕らえられた家族があの後どうなってしまったのかとても気になって仕方が無い。 そういったあらゆる部分での人間描写があまりに中途半端過ぎたと思う。  「心臓外しちゃった」という主人公の台詞を、オープニングとエンディングで絡ませた演出は格好良かったけれど、ストーリー自体に今ひとつ中身がないので、「結局、ソレやりたかっただけじゃね?」と本来生じて欲しかったカタルシスを感じられなかった。  あとほんの少し脚本に小気味良い工夫があれば、圧倒的に素晴らしいアクション映画になっていた可能性は大いにあるだけに、とても勿体ない。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2012-02-04 14:20:55)
29.  トロピック・サンダー/史上最低の作戦 《ネタバレ》 
とても悲しいことがあって、こういう時だからこそ敢えて理屈抜きに大笑いできる映画を観ようと思った。 普段は積極的にこの類いの“コテコテ”のコメディ映画は観ない。だからベン・スティラーの映画を観るのも本当に久しぶりだった。  どのジャンルの映画においても同じことが言えようが、コメディ映画というジャンルは特に観る者によって好き嫌いが大別される。故に笑いどころのポイントが合わなければ、その人にとっては駄作以外の何ものでもなくなってしまう。 それはもう丁半博打のようなものだけれど、幸運にもこの映画は大笑いできる映画だった。サイコーである。  ある程度あらゆる映画を見続けている人であれば、映画の冒頭から本当に可笑しくて仕方なくなってくるのではないかと思う。 戦争映画のパロディというよりも、ハリウッドの映画産業自体を風刺しパロディ化した映画世界は、凄まじいほどにきちんと作り込まれていて、笑いと同時に大いに感心してしまう。 数多の戦争映画で描かれてきた戦場における狂気の様と、ハリウッドのメインストリートの住人たちの滲み出る狂気が絶妙にリンクしていく描写は、ストーリーとしてもとても優れていた。  世界中にコメディ映画は溢れているが、本当に優れた可笑しさは、ストーリー的にも映像的にも徹底したクオリティーの高さの中にこそ生まれるということを、この映画の作り手は熟知しているのだと思った。  ブラックで時にどギツイシーンも連発されるが、豪華な出演陣のパフォーマンスをはじめ、常に“中途半端”であることを避け、すべてにおいて“振り切っている”ことが、決して居心地の悪さを感じさせない理由だろう。  鬼畜豪腕プロデューサーの意味不明な“ラストダンス”も含め、問答無用にテンションを上げてくれる“今の自分”に相応しい映画だったと思う。   個人的に惜しむらくは、鬼畜豪腕プロデューサー役のキャスティングに最後のクレジットまで気付かないでいられたなら、最終的なテンションの上がり方はもっと劇的になっただろうなと思ったこと。 某スパイ映画の最新作を含め、「彼」の映画を最近立て続けに観たばかりだったので、“眼”と“動き方”から気付かずにはいられなかった……。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2012-01-14 16:17:03)
30.  リトル・ランボーズ
“なにか”に触れ、自分のその先の人生をかけるくらいに熱狂する。それは、すべての“男の子”に与えられた「権利」だ。 その熱狂が、たとえ盲目的で何かしらの弊害を生んだとしても、熱狂したその瞬間こそが彼らにとっての「宝物」であり、生きていく中でその価値はきっと揺るがない。  生活環境が全く異なった11歳の少年二人が、「ランボー」で共鳴する。 主人公二人の共通項が詩人のアルチュール・ランボーのことであればひどく退屈な映画に思えるが、シルベスター・スタローンの「ランボー」であることが映画の面白さを引き立てる。  厳格な信仰の元で育ちあらゆる娯楽を禁じられた少年が、悪たれだが映画が好きな少年に引き込まれ、嗜好を爆発させていく様が愉快で解放感に溢れている。 個人的に、かつて映画製作を志していた時期があるので、少年たちが喜びを爆発させるように映画づくりに没頭する様を観ているだけで、この映画を否定することなどできなくなる。  少々意味不明な交換留学生のフランス人の存在感や、主人公たちそれぞれの境遇の中途半端さに対して、この映画が求める抑揚に乗り切れない部分もあった。 ただそういう難点を補ってあまりある“輝き”がある映画であることは間違いない。
[DVD(字幕)] 7点(2011-12-23 10:12:08)
31.  ミスター・ノーバディ
土曜日の深夜にこの映画を観た。 映画を観終わり、エンドロールが終わっても、しばし呆然とした。 そして、それほど眠気は無かったが、すぐに眠ることにした。 いつもならば、映画鑑賞をした後はすぐにレビューの文章を綴るのだけれど、この映画の感想を綴るには、とてもじゃないが一日使い古した深夜の思考回路ではおぼつかないと思えた。 それに、一旦眠りに就き、一晩夢見の中でこの映画の余韻に浸りたいと思った。   「死」がなくなった新世界、世界で最後の「死」を迎える老人が118歳の誕生日に自身の人生を顧みる。  あの日、あの時、ああすれば良かった……。という思いは、人生という限られた「時間」を生きゆくすべての人間が思い巡らせることだろう。 自分の人生はただ一つだが、実は同時に「選択」の数だけ無限のパラレルワールドが存在し、それと同じ数だけの人生が存在するということが、あまりに美しいビジュアルの中で表現される。   「選択をしなければ、すべての可能性が残る」 と、人生において最初の「選択」を迫られた少年時代の主人公が語る。  映画は展開し、無限のような広がりを見せた果てに、その少年時代の台詞に帰結する。 死を目前にした老人が“過去の記憶”を辿っていく物語に見えていた映画世界が、その瞬間から、9歳の少年が自らの「選択」による“未来”とそれに伴う“可能性”を辿った物語に転ずる。  それまでに脳内に注ぎ込まれていた膨大で不可思議なイメージが、一瞬で整合した感覚を覚えた。  この映画のすべてを自分自身が正確に把握し理解しているとは思わないが、圧倒的に凄い映画であることは間違いないと思った。 「人間」の営みそのものを宇宙的視野の中で捉え、見事としか言いようがないビジュアルで表現した世界観は、スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」を彷彿とさせる深遠さと崇高さを備えていた。 そして、この映画が表現する「概念」そのものは、手塚治虫の傑作短編集「空気の底」の映像化を見ているようだった。  決して万人に受け入れられる映画ではないだろうし、個々人の精神状態次第で酷く退屈な映画になり得る作品だと思う。 ただ僕は、自分自身が己の人生を通して考え続けているあらゆる要素が溢れているこの映画から目線を外すことが出来なかった。  敢えてもう一度言う。凄い映画だ。人生を通して何度も観たい。
[DVD(字幕)] 10点(2011-11-27 01:37:41)(良:1票)
32.  ワイルド・スピードX2
こういう映画の場合、「感想」なんて本当に不必要だと思う。 目まぐるしいカーアクションを頭を空っぽにして見始めて、見終わるそれが正しい“観方”だろう。  話の流れで目も向けていなかった第一作目を観てしまったので、勢いに乗ってシリーズ全作を観てみようと思い至ったシリーズ第2作目。 「X2」って何だ?と思い、もしかしたら「X」があるのかと不安になったが、原題はまったく別物の「2 FAST 2 FURIOUS」なので、お決まりの意味をなさない邦題なのだろう。  なぜかヴィン・ディーゼルが出演しておらず、舞台はマイアミということで、映画全体がよりライトな雰囲気に包まれている。 ノリに乗ったまま、運転技術を武器にした主人公らが地元のマフィアと対決するという話。 はっきり言ってストーリーなんてあってないようなもので、良い意味でどうでもいいと思わせる。  ほとんど前作の二番煎じという範疇を出ないが、おとり捜査官役のエヴァ・メンデスがセクシー過ぎるので、「もうこの映画はそれだけでいいや」と思いたくなる。  クルマ好きと女好きだけが観れば良い映画であることは間違いない。僕は必ずしもそうではないけれど……。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2011-10-03 17:47:46)
33.  ワイルド・スピード
或る知り合いの女性と話をしていると、普段の大人し気な印象に反して「クルマが好きだ」ということを初めて知った。 なんとF1観戦に国内のサーキットまで行ったこともあるという。 まさかと思い聞いた。「じゃあ『ワイルド・スピード』っていう映画も好きなんじゃない?」 彼女は「大好きだ」と即答し、シリーズ全作観ていると言った。  僕自身が自身の趣向を人生における最優先事項に考えているので、他人が何かしらを「好きだ」とテンションを上げて表現する様を見ると、自分がそのこと自体に対してそれ程興味の無いことであっても、涙が出る程嬉しくなる。  ちょうどシリーズ最終作が公開されており、ことのほか評価が高いようで気になっていたこともあったが、ふと触れた他人の「趣向」に大いに影響されて、その帰り道に寄ったTSUTAYAで即座にシリーズ第一作目の今作をレンタルした。  充分すぎる程に想定していたことで、「大好きだ」と言った女性も断言していたことだが、観終わった後には見事に“何も”残らない。 本当に何か映画を観たのかと疑心を覚える程に、頭の中がすっきりと空っぽになっていることに気づいた。  賢明な映画ファンなら即座に納得するだろうが、それはこの映画の存在性に対する「正解」である。 観賞後に何か思いを巡らせる必要など微塵も持ち合わせていない。映画を観ているその瞬間だけ楽しんでいられれば良い。それ以上もそれ以下も、この映画は求めていない。  こりゃあもうシリーズ全作観て、公開中の最新作まで突っ走ってみるしか無い。  ただ一つ注意すべきは、観賞後の「安全運転」、ただそれだけ。
[DVD(字幕)] 7点(2011-10-02 01:20:10)(良:1票)
34.  レボリューション6
破壊活動やら革命運動なんてものは、平和ボケした日本で普通の人生を送っている自分にはあまりに縁遠いことだけれど、それらのことは突き詰めれば、先行きが見えない若い日々の抑えられない熱情の表現なのだろうと思う。  だから、そういった過激な行動が伴わなくても、誰しも「あの頃は良かった」だとか「若い日々に戻りたい」と思うのだろう。  きっとそれは、何かしらの思いを携えて“若い日々”を過ごしたすべての人に当てはまることだろうと思うし、すなわちこの映画に登場する6人の仲間たちに共鳴してしまう部分が誰しもあるということだと思う。  破壊的で過激な青春時代を過ごした6人の仲間。彼らがかつてしかけた爆弾が十数年の月日を経て爆発したことをきっかけに再会する。  彼らの言動のすべてに共感出来るはずはない。基本的には愚かな犯罪者だと思う。 でも、彼らがかつて過ごした日々の彼らにとっての価値や、失った時間とその代償に得た人生の価値、仲間と再会したことで生じた喜びや悲しみは、よく分かる。  繊細な光と音楽の中で、軽快感と共にビターで儚い人間模様を描いた良いドイツ映画だったと思う。
[DVD(字幕)] 7点(2011-08-06 11:21:59)
35.  バイオハザードIV アフターライフ
「バイオハザード」シリーズは、すべて映画館で観てきた。 理由は単純明快、1997年の「フィフス・エレメント」以来、主演のミラ・ジョヴォヴィッチのファンだからだ。 そして、第一作目「バイオハザード」は、彼女を“スーパーヒロイン”アクション映画の象徴として確立した秀作だからだ。  が、正直なところ、パート4となる今作については、劇場に足を運ぶつもりは無かった。 前作(パート3)の秀作から転じたあまりの「醜作」ぶりに辟易したからだ。 加えて、流行りに対して安易に乗じたとしか思えない「3D版」での劇場公開もマイナス印象だった。度重なるとってつけたような“3D版”の氾濫にはいい加減うんざりしている。 ブルーレイなりDVDなりを自宅で観るので充分だと考えていた。  それなのに、結局劇場に足を運んでしまった。しかも追加料金を払って3D版を観る始末……。  パート1を監督したポール・W・S・アンダーソンが、再び監督に乗り出したということも要因だが、結局は、「やっぱり3Dのジョヴォヴィッチが観たい」という欲望に負けたと言える……。  今作がパート4でなければ、それなりに満足出来たのだろうと思う。 パート3で行き過ぎてしまったヒロインの超人的な設定を排除して、原点に立ち戻ったことは良かった。 無数に襲いかかってくるアンデッドをただ単純に撃ちまくるというシーンの連続は、新たな工夫がまるで無い反面、原作であるゲームの趣向に近いと思う。 ほとんど無意味なスローモーションの連続も、ゲームの映画化において、映像の面白さだけを追い求めたと考えれば、決して悪くはない。  ただし、今作はシリーズの4作目であり、時代は2010年である。 どうしたってこれまでのシリーズ作に連なるストーリー性は求めてしまうし、3Dだろうが何だろうが、ただ「格好良い映像」なんてものは散々見飽きている。 映像世界の魅力だけで迫るのであれば、誰も観たことがない未知なる映像世界の「追求」が無ければ、観客のカタルシスはもはや得られない。  主人公の目的も基本となる世界観も、もはや二の次で、まるでテーマパークの“アトラクション”レベルの内容しか伴っていないことは致命的だ。 例によってまだまだ続編を作る気満々のようだが、もはや映画作品としての魅力は落ち込んでいるように思える。  とか言いつつ、また欲望に負けて主演女優の勇姿を観に行くことになるのかもしれないが……。
[映画館(字幕)] 5点(2010-09-12 19:24:35)(良:1票)
36.  M:i:III 《ネタバレ》 
映画を始めとする作劇上の用語に「マクガフィン」という言葉がある。 何かしらの物語を構成する上で、登場人物への動機付けや話を進めるために用いられる仕掛けの一つ。登場人物たちにとっては重要なものだが、作品の構造から言えば他のものに置き換えが可能で重要なものではないものの総称である。(Wikipedia他調べ)  この人気スパイ映画シリーズ第三弾は、この手の映画の常套手段である“マクガフィン”を、敢えてただの“マクガフィン”としてのみ存在させることで、スパイ映画の王道を踏んでいる。 初見時はその企みに対して、ただ単にベタなだけに見えてしまい、マクガフィンの正体が説明されないことに対しても納得がいかず、不満足に繋がってしまっていた。 だが、改めて見返してみると、敢えてストーリーに膨らみを持たせず、むしろ薄っぺらなものにした製作陣の意図が明らかになった。  この映画はストーリーの妙を楽しむものではなく、スパイ映画らしい豊富なガジェットや作戦の裏側をつぶさに見せることによる娯楽性を楽しむべき映画なのだ。  そういう意味では、往年の映画を愛するJ・J・エイブラムスらしい映画愛に溢れた作品だとも思える。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2010-09-06 15:43:57)(良:1票)
37.  戦場でワルツを
戦争を描いた映画や小説の評において、「戦争の狂気」なんて言葉は、もはや常套句で、自分自身も何度も使ってきたように思う。 だが、実際問題、自分を含め多くの人々は、その言葉の意味をどれほど理解出来ているのだろうか。甚だ疑問だ。  「パレスチナ問題」は、ほとんどすべての日本人にとって、“対岸の火事”である。 重要なことは、先ずその自分たちの認識の低さを認めることだと思う。知ったかぶりでは、何も生まれない。  そういう「無知」な状態で観た映画であり、そうである以上、その視点からの映画の感想を述べるべきだと思った。  感じたことは、あの遠い国で繰り広げられ、今尚くすぶり続ける戦争において、人々の心を蝕むものは、もはや「狂気」などではないように感じた。 長い歴史の中で、繰り返される憎しみの螺旋、それを断ち切れない人間そのものの「業」だと思う。  だから、敢えて言わせてもらうならば、映画の主人公が抱えていた”心の傷”に対して、今更何を言ってるんだというような不自然さを拭えなかった。 問題は今この瞬間も決して解決していなくて、血を血で洗っている。そんな中で、この映画の表現は、本質的に非常に浅いように感じてならない。  特徴的なアニメーションは、映像表現としては素晴らしかったと思う。 ただし、最終的に「実状」を現実的な映像で見せてしまうのは、メッセージ性は別として、表現方法としてフェアではないと思った。
[DVD(字幕)] 3点(2010-08-28 13:45:34)(良:1票)
38.  ナイト・オン・ザ・プラネット
自分自身もすっかり大人になってしまい、深夜のタクシーに乗る機会も度々あるようになった。  大概の場合酔っ払っていて、繁華街から自宅までのせいぜい20分間程度の道のりなので、特に何があるということはないけれど、タクシーの中というものには独特の雰囲気があると思う。  その雰囲気は、全く見ず知らずの運転手と客との間に生じるその場限りの「空気感」によるものだと思う。  地球という惑星のあちこちで、全く同時刻にひっそりと織りなされたタクシー運転手と客らによる5つのショートストーリー。 ジム・ジャームッシュらしい淡々とした語り口で繰り広げられるこのオムニバス作品には、本当に何気ない人間同士の関わり合いにおける素晴らしさが溢れている。  それぞれのストーリーの登場人物たちが、その束の間の出会いによって、何かが変わったということは決してない。 ただそれでも、その一つ一つの出会いが、次の瞬間の人生を築いていくということを、この映画は、深夜の静寂の中でしっとりと伝えてくる。  とても良い映画だと思った。
[DVD(字幕)] 8点(2010-08-13 13:02:33)
39.  イングロリアス・バスターズ 《ネタバレ》 
「キル・ビルVol.2」以来のタランティーノの新作鑑賞。「キル・ビル~」ってもう6年前の映画なのかと、少々唖然とした。  そしてこの新作にも、大いに唖然とさせられた。 タランティーノ作品において、「唖然」という表現が“好評”なのか“不評”なのか、その単語のみでは正直判断がつかないだろう。 そして、「唖然」と発した自分自身も、実際のところ好不評の判断がつけづらい。  独特の台詞回しによる“タランティーノ節”に限って言えば、とてもタランティーノらしい台詞の掛け合いに溢れていた。 冒頭のナチスの大佐と農夫の対峙から、ナチス将校に扮したバスターズのメンバーが本物のナチス将校と酒を酌み交わすシーンまで、「タランティーノ!」という賞賛を思わず発したくなるような独特のユーモアと緊張感溢れる掛け合い震えた。  これは久しぶりに、評価に違わないタランティーノの傑作が誕生したんだな。とほぼ確信していた。  が、しかし、クライマックス近くまで非常に大きなエネルギーを感じたまま堪能できのだけれど、最終的な印象として「映画」としての魅力が無い、と感じてしまった。  何だろう?詰まるところ、クエンティン・タランティーノが「ナチス」を描く価値って何なのかが見出せなかったような気がする。 安直過ぎるほどにナチスを悪役として描き、それに残虐なまでの復讐を果たすバスターズの面々と、家族を殺された一人の娘。 結局、登場する全員が残虐なので、誰にも感情移入できない。 もちろん、これがタランティーノの映画である以上、感情移入なんて必要ないのかもしれない。 ただ、部分部分の台詞まわしやシーンは魅力的なのに、それぞれがバラバラで噛み合ない。  まあ“シュール”と言ってしまえばそれで済むのかもしれないけれど、やはりそれでは映画としてのカタルシスは得られない。  あ、そうそう。予想に反して見せ場の無いブラッド・ピットにも、唖然とする。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2010-06-22 00:03:03)(良:1票)
40.  グッバイ、レーニン!
有史以来、人類が積み重ね経てきた数々の歴史的分岐点。一つの政治判断に伴う変化により、人々の生活が一変したということは、世界中でそれこそ星の数ほどもある。 そのすべてに共通して言えることは、影響下にあるすべての人々が何の不満もなく受け入れた「変化」などただの一つもないということだと思う。  「東西ドイツの統一」にしてもまさにそうだったのだろうと思う。 分断された国が一つになるなんてことは、表面的な聞こえの良さの反面、非常に根深く絡み合った数々の問題が渦巻いていたはずだ。  そんな歴史の過渡期に生じた大渦の中で、或る一つの小さな家族の「愛情」と、家族を想うからこそ生じたあまりに無謀な「嘘」を、とてもユニークに描き出した映画だった。  東西ドイツの分断と統一の歴史的実情をもう少し詳しく知っていれば、おそらくもっとこの映画が描き出す複雑な心模様を掴めたのだろうと思い、自分の無知が少し悔しい。 ただし、そういう知識が無くとも、息子が最愛の母親を想う気持ちはひしひしと伝わるし、またそれを受け止める母親の気持ちにも最上の感慨深さが残る。  取り巻く社会の劇的な変化の中で生きる若者の心情。ただでさ多感な思いは、大きく揺れ、動き、一つに定まらなかったろうと思う。 それが、母親のための無謀な嘘を貫き通そうとすることで、ある意味クリアになり、また定まらなかった自分自身の意志自体が統一されていった。  その息子の成長を見て、母親は「素晴らしいわ」と遺したのだと思う。
[DVD(字幕)] 7点(2010-04-10 00:41:11)
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