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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1274
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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21.  先生!口裂け女です! 《ネタバレ》 
前に見た「スマホ拾っただけなのに」(2019)と同じ監督なので、この映画も台湾映画「報告老師!怪怪怪怪物!」(先生!かかか怪物です!)の真似かと思ったが中身は違っていた。実際に題名通りの台詞もあったのは笑ったが、後の方になると「先生」の意味が変わって来る。ジャンルとしてはホラーというよりコメディであって終盤にはアクション場面もある。 口裂け女に関しては、最初はその辺の住民とどこが違うかと思わされるが実は真の口裂け女であって「私、きれい?」の台詞もちゃんとある。もともと口裂け女は三鷹・三軒茶屋・三宮といった「三」のつく場所に出やすいと言われているが、この映画でも主人公は東京都三鷹市に住んでいて、名字がミカミだったのも三上とか三神のつもりだったかも知れない。また走るのが早いので原付では逃げきれないとの伝承があるが、その原付も映画の構成要素として使っている。  物語としては、特に考えもなく悪事に関わっていた高校生が自業自得で危機に陥ったが、先生のおかげで助けられて心を入れ替えた話になっている。序盤はワルぶってイキがるクソガキ連中が苛立たしいが、最終的には微笑ましい青春映画になっていて和まされた。また終盤の戦いでは先生の大活躍がものすごく格好いいので感動した。 主人公の家庭は一人親だったが、ものわかりのいい片親だけでは家庭教育が行き届かなかったクソガキを、先生が強烈な手法で矯正してくれた形になっている。また先生が去った後は姉が年少者を導く存在になったのかも知れない。 今回の件で先生が三鷹を去らねばならなくなったのは寂しいことだが(千葉県木更津市に移転?)、ちゃんと仕置人の仕事は完遂していたようで笑った。今後の活躍を期待したくなるヒーロー映画でもあった。 登場人物としては転校生が愛すべきキャラクターで、主人公の姉もなかなか格好いい姉貴になっている。口裂け女も愛嬌のある人物で大変結構でした。
[インターネット(邦画)] 7点(2023-12-02 14:35:22)
22.  シン・仮面ライダー 《ネタバレ》 
今回はオープニングで東映のロゴが出る。仮面ライダーは対象年齢が自分より少し低かったので、リアルタイムではあまり熱心に見ておらず思い入れもそれほどない。 アクション場面では、序盤で崖の上から飛び降りるとか唐突な場面転換などは元の雰囲気が出ているが、その後は映像効果を多用した独自のダイナミックな映像を作っている。最後は単なる取っ組み合いの喧嘩になっていたが意図があってのことと思われる。  敵組織の目的が「人類の幸福探し」であるからには、「幸せって何?」を問う映画かと思ったら「最大幸福」は放棄したとのことだった。昔あった「最小不幸社会」の再現かと思ったが、しかしそれより進んだ現代的感覚として、不幸な人々の救済のためにはその他大勢にどれだけ負担や犠牲を強いても構わないという価値観のようでもある。その上さらにこの映画では、絶望した個人を敵組織が適当に選抜して強大な力を与え、当該個人の趣味嗜好で勝手に幸福を追求させることにより、その他大勢どころか社会全体に破滅的被害が及ぶ恐れが生じていたらしい。いわば不幸最強社会ということで、善なる意図を標榜しながらも、まるで社会の破壊自体が目的になっているかのようなのは嘆かわしい。 出て来た連中はほとんどテロリストだが、うち0号の男だけは本当に人類の幸福を目指していたらしい。しかし政府の男が言ったように「絶望の乗り越え方」は個人により違うのであって、全部まとめて処置すれば問題解決というのは間違っていることになる。最後の戦いで本郷は、社会の破滅を阻止すると同時に個人の救済にも手を貸していて、それが常に可能とも限らないがそういうことを彼は目指したのだと思われる。幸も不幸も人によって処方箋は違うはずだということだが、ちなみに「幸せって何?」に関してはルリルリの話がけっこう本質をついていた。追伸が泣かせる。 もう一つ、この世界で信じられるものがあるとすれば組織でも主義主張でもなく個人の単位でしかないのであって、そのためには誰をどこまで信じるかの見極めが大事と言っていたようでもある。ルリルリと一文字は本郷を信じ、また政府の男らをも個人としては信じようとしていたらしかった。ほか本郷が「自分の心を信じる」と言ったのは、自分がもともと持っていた良心の根底部分をどういう状況下でも失わないと決意したのかと思った。信ずべきもののわからない人類社会で、個人の心の持ち方を提言しようとした映画と取れる。 最終的には本郷の誠実さと一文字の反骨精神をもって戦うヒーロー像が実現し、とりあえず当分このまま戦いが続くらしいが、仮にこれが1年間のTVシリーズだったとすれば、最終回で人工知能が何をするかが問題になるのではないか。ロボット刑事がずっと見ていて人間の行動に関心を持ったりしていたので、その観察結果をもとに人工知能が本郷と同じく自分を変える結末だったらハッピーエンドになるかも知れない。それまでは見るのもつらい戦いになりそうだが、一文字が陽性で打たれ強そうな男なのは救われる。  以下その他雑記: ・全体的にシリアスで笑わせる場面は基本的にないが、大阪でいうとされる「知らんけど」のような台詞を浜辺美波さんが言っていたのは、制作側と若い世代の断絶を自虐的に表現したようで微妙に面白い。古い世代の常識?とされた赤いマフラーはけっこう感動的な使い方をされていた。 ・SHOCKERのSがSUSTAINABLEなのは今っぽいので笑った(偽善的)。浜辺美波さんもここは憶えにくかったのではないか。 ・キカイダーとロボット刑事は、日本語文中の英語を機械的に英語の発音に置き換えればいいと思っていたようで、各国事情に配慮する気のないグローバルな雰囲気を出している。 ・個々の改造人間についてはコウモリ→ウイルス→科学者、パリピ+薬物?といった現代的事象もあるがハチ→女王様はわかりやすい。それぞれの絶望の理由は必ずしも明瞭でなかったが見る側で察してやれということか。三種混合は単なるバカ(哀れな奴)。 ・一文字はかつて仲間を失う経験をして絶望し、自分は孤独が向いていると思い込もうとしていたが、今回の件でまた仲間を求める方向に転換したようで、この男の救済にも本郷が手を貸したことになる。政府の男らは機器類のメンテナンスその他に欠かせない連携先であり(なんと米軍まで動かしていた)、どこまで信じて協力できるか見極める力を一文字は持っている。 ・「シン・ゴジラ」「シン・ウルトラマン」に続いて体臭の話題が出ていたが今回は男だった。ニオイフェチとかは関係なく彼が人間であることの証拠と思われる。
[インターネット(字幕)] 9点(2023-11-11 15:10:57)(良:1票)
23.  漁港の肉子ちゃん 《ネタバレ》 
人に勧められたので見たが、勧めたくなる気持ちはわかった気がする。子どもの生育過程に必要なものを惜しみなく提供する人物像と、自分の存在を肯定できた子どもの姿に反感を覚えそうな人々は見ない方がいい。 事前に絵面を見た限りでは、こんな人物が近くにいれば煩わしい(暑苦しい)だろうとしか思わなかったが、実際は意外に嫌悪を感じさせないキャラクターができている。また映画紹介を読むと社会性が強そうで敬遠したくなるが、見れば意外に嫌味を感じない。暗い場面や寒そうな場面もあるが基本は陽性の物語であって、ちゃんと笑わせて泣かせる作りになっているのはさすがと思わせる。登場人物は年齢性別境遇が自分と違うので直接共感する立場にはないが、問答無用で感情を動かされるものがある。 またアニメらしいファンタジックな作りで可笑しみを出しているのは楽しめる。かつて死ぬ気で働いたという仕事が奇怪なキノコの収穫だったのは子どもの想像の世界だからということか。またその辺の生物とか神社が言葉を発するのも文学少女的な性格の表れかと思うが、あからさまに人の声を当ててしゃべらせていたのが変でユーモラスに感じられる。お嬢様風の同級生の自宅が領主貴族の居館のようだったのはふざけすぎだ(笑)。 主人公の少女は小学5年生の割に達観したところがあり、これは遺伝的資質のせいかも知れないが反面教師が側にいたからとも思われる。またその反面教師の人徳のせいか、頼れる人物のいる生活環境ができていたのも救われる。親はなくても愛はある、ということも含めて、不遇なようでも実は幸運のもとに生まれた子どもだと思っていいかも知れない。 最後の出来事はどう評すべきか困るものもあるが、少なくとも事前にちゃんと祝いの品が用意されていたという点は感動的で、これは神様の特別な計らいだったと取れる。劇中人物の好みそうな品で2人を祝福しようと企んだらしく、エロ神社といわれていた理由は説明されていなかったが、特に女性を贔屓する神様だったからだと思っておく。
[インターネット(邦画)] 8点(2023-10-14 17:01:44)
24.  霊的ボリシェヴィキ 《ネタバレ》 
序盤で「禁句」を言った奴がいきなり殴られたのは笑った。世間的にはそれほど評判が悪くない映画らしい。 同じ監督の「恐怖」(2009)と似たようなものかと想像していたら姉妹編だそうで、これの方が本来の姿とのことだった。題名は昭和(戦後)に流行した革命志向との関係を予想させるが、この映画自体に回顧趣味はなかったようで、どちらかというと皮肉・揶揄の姿勢と思われる。 題名の意味として、一つは宗教の否定ということが考えられる。劇中集団の基本認識として、「あの世」はないが「化け物」のいる霊界のような場所はあるということのようで、両者の何が違うのかはわからないが、例えば「あの世」というのがキリスト教などの天国、仏教の浄土、あるいはご先祖様のいる場所など民間信仰的なものを含めた安楽の地のことだとすれば、これを宗教的な観念として否定した上でなお「化け物」のいる霊界は存在すると言っていたのかも知れない。いわば天国はないが地獄はあるという考え方のようでもある。 題名の意味としてはもう一つ、「恐怖」に関わることもあったかも知れない。例えば、水害や火災など非業の死の間際に恐怖を感じると、安らかに死ぬことができずに「化け物」のいる霊界(地獄)に行ってしまうということなら、わざと恐怖を感じさせて地獄に送ることもありうるわけで、この点を全体主義下の恐怖政治に関連づけているということか。 ほか登場人物が心霊の正体を「思念」と断じる場面もあったが、これは口調からすると思想統制の一環であってそのまま信ずべきものではないかも知れない。あくまでこの連中の思想はこうだというだけである。  映画の構成としては、廃工場のような場所(業務用大鍋あり)で人々が順に体験談を語る百物語のような趣向になっている。個人的には霊媒師の話が、見た瞬間に後悔するという点でネット発祥の著名な都市伝説を思わせて印象的だった。そこからまた別方向につながっていったのは話を逸らされた感があったが、二次元的に見えるというのは確かにそういう話はある。 物語的には、主人公に何が起こったかをめぐるミステリーのようだったがよくわからない(すり替えられたこと自体はわかる)。登場人物では小柄な運営スタッフの人が何をするかと思ってずっと見ていた。こういう人も昔なら革命の闘士をやっていたかも知れない。 前記「恐怖」と同じく面倒臭くてつき合いきれない印象もあるが、見る所が全くないわけでもなかった。
[インターネット(邦画)] 5点(2023-10-07 14:25:06)(良:1票)
25.  泣く子はいねぇが 《ネタバレ》 
秋田色の濃い映画である。海浜景観に日本海沿岸の風情があり、秋田名物ババヘラアイスも出たのは感動した。地方ではあるがみな現代に生きる日本人であり、必要以上に田舎臭く見せることもないのは秋田出身の監督として当然といえる。 男鹿の「なまはげ」に関して、劇中では「なまはげ保存会→存続の会」会長の男が全体を一人で引っ張っている印象だったが、実際は多数の集落単位で個別に行ってきたものらしい。もともと地元の青年団のような人々がやっていたのだろうから多少の不祥事があっても変でなさそうだと思うが、現実に2007年末の悪質な事件が全国に知れ渡ってしまったことがあり、この映画もそのことが発想の原点にあったかと思われる。行く先々で酒を注がれて飲まねば済まない地域社会の縛りの中で、主人公のような腑抜けが個人的方針を通すのが難しいのは間違いない。  帰郷した主人公を直接責める者はあまりいなかったが、あからさまに攻撃して来たのが会長の男であって、これは主人公のせいというより会長自体の人間性による。「わがんねんだよおめだぢが」と言っていたがわかる能力がないのであって、自分の決めた枠に人間をはめ込む以外の観念がなく、枠から外れた者には容赦なく憎悪を叩きつける。本人は善意と信じているので手に負えず、指導力があると思われて持ち上げられるのでどこまでもリーダー然としつづける。個人的には最悪と思うがこれも人間なのでどうしようもない。 一方の主人公は極めて善良な男だが、眼前の問題にまともに向きあえない人間だったようで、今になって向き合うにしても普通人のレベルとの差が開きすぎている。保育園での姿などはあまりに見苦しく、おめあど死んだ方いいんでねが(…秋田方言になっているか不明)と言いたくなったが、現に生きている人間が簡単に死ねるわけもないのでどうしようもない。序盤に出た「シロクマ効果」との関係でいえば、最後の出来事を経て心が入れ替わる可能性も表現されていたかも知れないが、安易に希望を語る気にもならなかった。 解説によると「父性」がテーマだそうだが主人公があまりに不甲斐なく、とても父性を語る域に達してないようで素直に受け取れないが、しかしそういう感想自体が劇中会長に近いかと思うと何ともいえなくなる。自分としては会長よりは主人公に近い側と感じたのは間違いない…というよりかなり近いかも知れない。結果的に自省させられた映画だった。  ほか周辺人物に関して、「運動会」ビデオを見た兄の発言は不明瞭だが孫を見せたかったと言っていたのか。事件のせいで兄が結婚の機会を逃したとすれば、いわば会長と並ぶ直接の被害者だったことになる。また親友も主人公の任務懈怠のせいで破滅したとすれば被害者だろうが、悪友ながらも最後まで主人公の味方だったらしい。社会にはこういう奴もちゃんといるということで、自分が神様の会長などとは大違いだった。 出演者について、吉岡里帆は個人的に最近見ていなかったが、こういう顔をしてみせる人だったかと改めて思った(顔自体はどんぎつねと同じだろうが)。また序盤だけだったが古川琴音という人も目を引いた。仲野太賀には引き続き期待する。
[インターネット(邦画)] 8点(2023-09-30 10:51:07)
26.  野生のなまはげ 《ネタバレ》 
低予算映画ということを前提としての評判は悪くないらしい。以下は個人の感想ということで。 ナマハゲを含む日本の「来訪神」は2018年にユネスコ無形文化遺産に登録され、ナマハゲの地元秋田県でも人口減少と少子化・高齢化の中で行事の存続に努めているが、その「来訪神」をこの映画のように、家畜や愛玩動物の扱いで「飼う」などという発想は非常な違和感を覚える。同じくユネスコ登録のアマメハギが「ゲゲゲの鬼太郎」に出たりしていることもあり、妖怪の扱いであればかろうじて許容できなくはないが、しかし最低限、人智を超えた存在でなければならないのであって、悪ガキや悪徳業者に翻弄されるなどという展開は著しくイメージを毀損する。秋田での協力は得られなかったと監督が言っていたようだが(宣伝協力として秋田県東京事務所の名前が一応出ていたが)、現に「来訪神」の存続に努めている立場からは協力できかねるということなら当然ありうる。 監督はもともとオオカミなど野生動物と少年の交流を描きたかったという話もあるようだが、その交流の相手をナマハゲに変えたのは、奇を衒ったようだが適切とは思えないというのが個人的見解である。  その他物語については要は夏休みの出会いと別れのドラマだが、笑うところや泣くところは特にない。ただ人が落ちる場面に力が入っていたのがよかったのと、「秋田美人」の登場には感動した。秋田美人役の六串しずかという人(171cm、長身)は盛岡市の出身で、岩手を拠点にモデルなどの活動をしているとのことで本物の秋田美人ではないが、しかし秋田ではないというだけのことで特に問題はない。佐々木希にわざわざ登場してもらう必要はなかった。
[DVD(邦画)] 3点(2023-09-30 10:51:04)
27.  河童のクゥと夏休み 《ネタバレ》 
うちの近所にも昔は河童がいたことになっていたかも知れないが今はいない。個人的にも河童に特に思い入れはない。 この映画の河童は野生動物のような存在らしいが、知能があって人の言葉を話すからには人間としても軽くは扱えない。ただ河童だけでなく犬やカラスも人並みの知能がある設定なので、対等な生き物として扱うべき対象はさらに広いことになる。人智を超えた能力としては言語によらない意思疎通の方法を持ち、さらに人類文明を超越した存在ともつながる立場だったようで、かえって人類の方がそのような世界から疎外された種族ということになる。 劇中河童は現代の文明社会で人間の保護を必要としていたが、子どもながら人格がしっかりしていて自立心もあり、見るからに哀れっぽい存在には描かれていないのがいい。非力そうに見えてちゃんと相撲が強いのも侮れないが、場合によって破壊的な能力を発揮するのはやはり人間として畏怖を感じさせる存在ともいえる。 また自然環境に関する問題意識についてはよくある普通程度の感覚だろうが、この映画では最初を江戸時代まで遡ることで、現代の都市開発だけでなく大規模な水田開発も自然環境に影響を及ぼしたとの認識が示されていた。ちなみに「やんばる」は2021年7月に周辺の他の地域とともにユネスコ世界遺産に登録され、いまだ米軍の訓練場に隣接していながらも、保全の条件は改善されていると思われる。しかしその遺産登録もそれ自体が別に強制力を持つわけでもないようで、何より守ろうとする人間の意思が大事なのだろうが、今後の国際情勢や経済・科学・軍事その他の都合でどう変わるかわからないと思えば、どこまでも人類など信じられないという思いはある。人類社会に上辺の社会正義はあっても良心は存在しないので、劇中河童には何とかうまく生き延びてもらいたい。  物語としては夏休みの出会いと別れということで、これまで特に主体性なく生きてきた少年に自立心が生まれ、初めて心の通じあう他者を認識する機会になったということらしい。ラストで河童と少女はそれぞれ新しい生活環境での暮らしを始めていたが、少年ともまたつながることのできる可能性を残していたのは救われる。 なお製作に当たって遠野市の後援を得たにもかかわらず、物語上は遠野に河童はいないと断言した形になってしまっていたが、座敷童子はいたのでまあいいかともいえる。その座敷童子の歌には少し心を打たれた。他にも心を動かされる場面の多い映画だった。
[DVD(邦画)] 7点(2023-09-30 10:51:02)
28.  いつか輝いていた彼女は 《ネタバレ》 
映画と音楽のコラボレーションによる映画祭「MOOSICLAB 2018」への出品を前提に制作されたもので、当時活動中だったバンド「MINT mate box」がそのままバンドとして出演して主題歌も提供している。またボーカルの人がそのまま劇中の重要人物という設定のため、本人の高校時代の悪業を暴く話になってしまっているのが変である。別に実話でもないだろうが。 監督の前田聖来という人は「女優出身の新鋭監督」と紹介されているが、個人的にはAKB48出演の学園ゾンビドラマ「セーラーゾンビ」(2014)で、演者として強い印象を残したので覚えていた。  まず苦情として登場人物とその名前が把握しにくい。また音量や発声のせいで発言が聞き取りにくいので何を言っているかわからない。35分なので甘く見ていたが、2回見てやっと内容がわかってきた気のする映画だった。 設定としては高校の芸能科とのことで、一般の共感を得ようとするには特殊な世界だが、もともと自意識の強い連中ばかりという理由にはなっている。主人公は地味に見えても実は何かと他人に羨まれる資質に恵まれていたようだったが、結局別方面に行ってしまった原因としてはその場の運のほか、「マホ」との違いは人間のスケールの差?、「詩織」との違いは上昇志向の差という感じか。確かに芸能やスポーツなど高校生の頃に決定的な差が出る世界もあるだろうが、その他普通人は高校時代が不遇だったからといって負け確定とも限らないので、主人公は腐らずに何か新しいことを発見してもらいたい。真面目すぎるのが問題なのか。 なおラストで「なつみ」と「佳那」もその後どうなっていたのか見たかった。「詩織」はクセモノ感が顔に出ていた。
[インターネット(邦画)] 4点(2023-09-09 10:11:09)
29.  コタンの口笛 《ネタバレ》 
撮影場所は主に千歳市内(支笏湖を含む)とのことで、ほかごく一部を札幌と白老で撮っている。劇中で「今じゃもうありもしないアイヌの風習を見せて」観光団体を呼んでいたという白老には、現在では立派な民族文化の拠点施設ができて多くの来場者を集めているらしい。 現代の出来事として、2021.3.12に日本テレビの番組でアイヌに対する侮蔑的発言があって問題になったが、この映画ではその言葉がそのまま台詞になっており、実際にそういう言い方はあったということがわかる。劇中発言によると当時の社会は前よりましになったとのことだが、それでもなお差別があることの背景には、差別者の個人的問題(劣等感の裏返し、ただし中学生レベル)以外に、世代の違いのせいで前時代の差別感情から逃れられない場合があることが示されていた。ほか民族差別とは直接関係なく、古い世代の権威主義に対する若い世代の反発が表現された場面もあった。 一方で社会制度については特に問題視されていたようでもなく、当然ながら義務教育は万人に対して普通に行われ、また失業保険といった社会保障も全国民に共通になっている。鮭を獲るのが密漁扱いだったことに関しては、先住民の権利を国家が奪ったと解釈されるのが普通??だろうが、これも社会の構成員が等しく共通ルールに従うことの表現とも取れる。まだ人々の間に差別意識は残っていても、社会制度はフラットなものができているとの認識だったようで、個人的感覚としても先日たまたま見た中米グアテマラの先住民の映画に比べれば、日本は極めてまともだと思わされた。 物語上のポイントになっていたのは、登場人物の中で最も強圧的で横暴な人間が何と主人公姉弟の親戚だったことである。集団の全体が善または悪なのではなく、集団内にも善や悪の個人がいて、さらにいえば個人の内部にも善悪が混在して時代により変化もしていく。そのような認識のもとで、殊更に集団間の憎悪を煽り分断を拡大するようなことをせず、次第に改善されつつある社会において「一人ひとりが強く生きる」ことの方が大事だ、というのが結論だったらしい。そういう考え方が現代においてどのように評価されるのかわからないが、個人的には普通に共感できる話ができていた。 なお監督としては、戦後の時代において「広い世界の中の日本の立場におきかえる事の出来る」テーマがこの物語にはあるとの考えだったそうだが、これは現代でも基本的に変わらないと思われる。終わることのない圧迫に耐えながら、劇中姉弟のように諦めない姿勢を貫くことが大事ということで、劇中の美術教員の言葉を日本全体として受け止めるべきだということになる。  その他個人的な見解としては台詞がほとんど東京言葉のため、特に若年層などはアイヌか和人かという以前にそもそも地方民とは思えない。その中で主人公姉弟はまだしも純粋で真直ぐな人物像ができていたが、この二人を迫害する同級生の底意地の悪い発言や口調はまるで地方民を侮蔑する都会人のようで極めて不快に感じられ、本来のテーマとは別に地方民としての共感を誘う映画になっていた。ちなみに主人公姉弟の母は秋田県由利郡本荘町(当時)の出身だったとのことで、その良き地方民の資質が姉弟にも受け継がれていたものと想像される。
[DVD(邦画)] 6点(2023-08-26 10:52:10)
30.  三大怪獣地球最大の決戦 《ネタバレ》 
三大怪獣+1が活躍する楽しい怪獣映画である。 洋上で船が襲われた時に、最初はクジラか何かが来たと見せておいて、実は後にゴジラがいたというのはフェイント感を出していた。またその後の横浜で夜空にキーンという音だけがして、やがてラドン(影絵)が見えて来た場面はなかなか迫力がある。今回初登場のキングギドラは、初回は卵のようなものに入って地球に来たことを再認識させられたが、一度は横浜→東京まで行っていながら(また東京タワーが壊れた)その後にちゃんと富士山麓の決戦場に出向いて来るのが筋書き通りの印象だった。 出現時点では一応恐ろしい存在のように見えても怪獣バトルが始まるとコメディになってしまう。ゴジラはやんちゃな悪ガキでラドンも同類、モスラはいい子(東京タワーを壊したこともあるが)というキャラクターになっていて、ゴジラがモスラにいろいろ言われてフン、バーカという顔をしていたのは笑った。真面目なモスラが地球生物の共通利害を説いたことで、結果的にゴジラとラドンも共感したかのような展開だったが、実際はモスラが一方的にやられていたのに腹を立てて加勢しただけのようで、モスラほど真面目な連中でもないと思われる。なおモスラは、防衛大臣が口にした核兵器の使用を回避するため尽力した形になっている。 ラドンはどちらかというと非力なイメージだったが、この映画ではゴジラを手ひどくやっつけていたのはなかなかやるなと思わせる。また一番弱そうなモスラの糸が意外に強力で、古風な表現でいえば「ほうほうのてい」でキングギドラが逃げていったのがざあまみろだった。  ドラマ部分では主人公兄妹の馴れ合い感が可笑しいのと、金星人が何事にも動じることなく「わたくしは金星人です」で通す人物設定に好感が持たれた。ラストの趣向は知らないで見たが、まるきりローマの休日だったので正直感動した(「ローマです」と言うかと思った)。 その他の話として、鉄筋コンクリートの大阪城や名古屋城ならともかく、現存天守の国宝松本城が全壊しないで済んだのは幸いだった。今回は松本市内での撮影もあり、映像中で女鳥羽川の橋(中の橋)の向こうに看板が見えた果物専門店は、歩行者天国の「なわて通り」(縄手通り、ナワテ通り)で今も営業していて、映像では店頭に天津甘栗が見えたが、今は観光客向けにフルーツのスムージーなども出しているそうである。昔の映画でもちゃんと現代につながっている。
[ブルーレイ(邦画)] 6点(2023-08-05 14:10:05)
31.  三大怪獣グルメ 《ネタバレ》 
バカ映画の巨匠・河崎実監督のバカ映画である。公開日が2020/06/06とのことで、本当にこの時期に劇場公開したのかと思うが、疫病の不安の中で見れば気晴らしになったかと思われる。 歴史的にみた三大怪獣といえば「三大怪獣 地球最大の決戦」(1964)のゴジラ・ラドン・モスラだろうが、海鮮丼という前提なら「ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣」(1970)の3怪獣のうち、カメが食えないのでタコにしたように取れる。また公式サイトによれば、もともと円谷英二監督が戦前に企画していたタコ映画の構想に触発されたとのことで、そのタコに監督本人の「いかレスラー」(2004)、「かにゴールキーパー」(2006)を加えた形になっているともいえる。  バカ映画といってもこのくらいになると特に変なところもなく、ちゃんとしたストーリーを備えた娯楽映画になっている。当初は登場人物の性格付けを不明瞭にしておいて、最終的に誰に肩入れすればいいかがはっきりさせていく形だったのは悪くない。うち悪役は、ラストに至ってもまだ「世界の破滅」を企んでいたのかも知れないが、世間では既に人間がミイラ化するという怪事件が発生しているのに同じようなことを考えるでもなく、どこまでも海産物に固執していたのはもう頭が変になっていたと思うしかない。昭和のTV番組「怪奇大作戦」の第24話を思わせる哀れで恐ろしい(笑)終幕だった。 また題名からすればグルメ映画ということもあり、登場人物それぞれ言葉を飾ったグルメ評論風の賛辞を連ねるのが空々しいが料理自体はまともなものを出している。食物だけでなく、協賛に名前の出ている「有限会社ニイミ洋食器店」(東京都台東区)のキャラクターが大活躍する展開だったのは、「プロを支えるプロの街 かっぱ橋道具街」へのリスペクトも感じられて少し感動した。同じく協賛で「岩下の寿司がり」の岩下食品株式会社(栃木県栃木市)も存在感を出している。  出演者としてはちゃんとアイドルも出ているが、例によって監督本人も顔出ししている(見なくていい)。ほか監督のお知り合いか何かわからない人々が大勢出ていて特にコメントする気にならないが、別映画で見たばかりという関係で一人だけ挙げると、「DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令」(1983)のイブキ隊長役の人物が「イブキゲンゴロウ」役で出ていた。ちなみに主演の男に関しては「わかんなくて結構だよ」の表情がよかった(笑った)。
[インターネット(邦画)] 5点(2023-08-05 14:10:03)
32.  大きな春子ちゃん Am I too big? 《ネタバレ》 
26人の監督によるバカ映画のオムニバス「フールジャパン ABC・オブ・鉄ドン」中の一編だそうで、2014年の「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」で上映されたとのことである。「鉄ドン」というネーミング自体が今となっては痛い感じだが、この映画も昔の歌から無意味に題名だけ借りて来て笑えないオヤジギャグ的印象がある。劇中の主人公が監督本人だったとのことで、制作者の年代感を恥ずかしげもなく出した映画になっている。  ジャンルとしては「バカ映画」ということになるが、そういう前提で要は特撮怪獣映画を作ったらしい。水着だったのは本来の棲家が海だったからで、最後にまた海へ去るのはゴジラなどの習性を受け継いだと思われる。 春子ちゃん本体に関しては、サイズの単位が何かと思ったらftだったのはなるほどと思った(尺でもよかったのでは)。ウルトラマン並みの高身長では本人も気にするかも知れないが、体重は軽いので安心してもらっていい。映像的には胸の柔らかさの表現に気を使っていたようだが、尻にガラスが刺さらなかったことからすると柔らかいが強靭という未知の生体組織でできていたらしい。 残念だったのは飛んできたのがアメリカの飛行機だったことだが(三沢ならまだしもテールコードのMOはアイダホ州マウンテンホーム空軍基地の所属ということになるので遠くからご苦労なことだ)、映像的な印象はそれほど悪くない。ラストの「終」は昭和の風情があり、洋上の富士も由緒正しい日本の風景といえる。  ほか春子ちゃん役は有元由妃乃という人で、尻の突き出し方などを見るとグラビアアイドルか何かかと思ったら普通に役者をしていた人らしい。前に見た超マイナー映画「サーチン・フォー・マイ・フューチャー」(2016)にも劇団員として出ていたようだが、今回はオヤジ好みの和ませる雰囲気を出していた。
[インターネット(邦画)] 4点(2023-08-05 14:10:01)
33.  心霊写真部 リブート〈web〉 《ネタバレ》 
2010年代にニコニコ動画で人気の出ていたホラーシリーズの最終作に当たる。前回の「劇場版」で「続編があれば見てもいい」と書いておきながら見ていなかったので気になっていた。今回は主人公役と屋上の少女役がまた交代したが他の人物役は共通で、ほかに新キャラクターとして映画研究部の2人を入れたのはPOVの雰囲気を出すためか。二話構成のためオムニバスとしては貧弱だが「劇場版」と同じではある。  【第一話 廃墟】 「心霊写真部 壱限目」の第1話「廃墟できもだめし」のリメイクらしいが、上っ面をなぞっただけのようで一見客には意味不明ではないか。前回より時間は長いようだが中身は薄まって気の抜けた感じにできている。 【第二話 消えない顔】 新作だが話として面白くない。高校生の素人映画を見せられている部長の表情をちゃんと笑えるように見せてもらいたかった。 なお撮影場所が茨城県水戸市の中心街というのは珍しい。心霊写真部のある高校は本来「都立緑が丘高校」だったはずだが、今回は映画研究部の撮影場所も水戸市内の千波湖だったりして、実は最初から水戸の高校がモデルにされていたかのような意外感を出している。3階の窓から水戸駅北口周辺の街が見えている建物で、すぐ外に車や人が通行しているだろうと思われるのに、閉じ込められた人々が危機に陥るというシチュエーションは単純に面白かった。この前見た「シークレット・マツシタ」(2014)と似たようなものかも知れないが開放感が違っている。  全体的には前回の「劇場版」よりさらにレベルダウンした印象がある。今回もまた主人公の入部段階から繰り返しているが、その他シリーズ共通の各種設定がまともな説明もなく形だけ出ているようで実質的にファン限定映画になっている。これで「リブート」とは意味不明だが、とりあえず題名で何となく今後の期待を残しながら、実はそれとなくフェイドアウトしていくようなつもりだったと思うしかない。 ほか出演者として、今回主演の松永有紗という人は他のところでも見たことがあったようだが、レギュラー?の上野優華さんも安定的に可愛いので和まされた(もう7年も前の顔だが)。屋上の少女役の小宮有紗さんは文句なしの美少女で感動した。
[インターネット(邦画)] 3点(2023-07-29 08:18:10)
34.  DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令 《ネタバレ》 
今は有名になった庵野秀明氏が若い頃に関わった自主製作映画とのことで、現在は「シン・ウルトラマン」(2022)とともにアマゾン・プライムビデオで配信されている。映画というよりTVの30分番組の作りになっていて、中間あたりにCMの切れ目が入れてある。 基本的にはかなりまともな特撮怪獣物で、防衛基地の内部や装備品や街の建物などは、自主製作のミニチュア特撮としては信じられないほどよくできている。怪獣の着ぐるみもちゃんと作ってあり、顔の造作や唾液が糸を引くのが使徒を思わせる。怪獣の名前が「…エル」なのも天使イメージで使徒っぽいが、これは別の語源解説が付いているらしい。 背景音楽も昔のTV番組で聞き覚えのあるものを多用している。BGMの使い方として、TV番組では登場人物の私的ドラマで使われていたM27が、今作ではマットアローの発進場面にまで流れていたのは新鮮だったが、これは全体がハードな展開のため人間ドラマ限定の箇所がないからというだけかも知れない。 しかしどうしても突っ込みたくなるのはウルトラマンが本体・服装とも地球人仕様なことである。別に宇宙人が宇宙人顔である必然性はないにしても、全体として生真面目な作りなのにここだけギャグなのは変だろうが、これは学生時代からのシリーズとして外せない趣向だったということか。ウルトラマン以外はユーモラスな部分がないのは無味乾燥なようだが、終幕時の「こいつう!」(笑)はツボを押さえていたとはいえる。  物語について、市街地へ殊更に容赦ない攻撃が行われる展開だったのは、昭和(戦後)的にいえば一般民衆を顧みない軍組織への反感ということになるだろうが、しかしもう少し素朴な感覚でいえば、こういう怪獣モノで平気で街を壊すことへの微妙な反発の表われとも取れる。ガキの頃なら何とも思わなくても20代にもなれば、たとえ怪獣を倒すためとはいえ街が壊されれば人も死ぬだろうからまずくないか、という方向に意識が向くのは自然なことである。劇中現場がビル街ではなく住宅地が中心だったのも、一般の人々が現に住む場所が無惨に破壊されることへの心の痛みの表現といえる。 また人間ドラマに関しては、情を殺して義を立てるのを美徳とする戦前世代の硬直性や権威主義に対して、別に情を殺すこと自体に価値があるわけでもなく、誰も泣かずに済む方法を柔軟に考えるべきではないのか、と逆らってみせたのかと思った。ただし現実問題として人間にできることには限界があり、今回はウルトラマンの力を借りて最悪の事態は免れたものの、仲間1人が助かっただけでハッピーエンドともいえず、戦いで多くの人命が失われたことへの悔いは残った、ということかも知れない。当時の既成秩序や現実の中で苦闘する若い世代の姿を描写しているようではあった。  そのほか出演者の演技についてはコメントしないものとして、登場人物では隊長(年齢不詳)の顔の張り具合が北の最高指導者のようで、当時の日本人の栄養状態が良好だったことを思わせた。また防衛組織にちゃんと女性隊員がいて、防衛隊員らしい発声をしていたのは心地いい。一瞬だったが振り向いて「ウルトラマンです」と言った女性隊員は「新世紀エヴァンゲリオン」の伊吹マヤさんを思わせた。
[インターネット(邦画)] 5点(2023-07-08 15:21:24)
35.  聖ゾンビ女学院 《ネタバレ》 
アイドルグループ「虹のコンキスタドール」出演のアイドルホラーである。最近少しラテンアメリカの映画を見た流れで見たが、女子グループならコンキスタドーラス(feminine plural: conquistadoras)が正しいわけで、ラテンアメリカの民が聞けば変に思うだろうが個人的にはどうでもいい。  内容としては、要は「がっこうぐらし!」のようなものかと思ったら違っていたのはいいとして、知っている範囲でいえば「京城学校:消えた少女たち」(2015韓)と似たような話だったが上っ面が似ているだけである。 物語としては、基本的にはテーマ曲の歌詞にも出るように素朴な革命志向が背景にあったように見える。しかし最後はなぜかトーキョーグールの世界の方へ行ってしまったようで、これの続編を作るとすれば、とりあえず最初に役名「ナギ」の人が頭を飛ばされて死ぬ展開が予想される。こんなのをアイドル映画でやっていいのかと呆れるが、社会への反逆でもなく単純に征服者になろうとしていたのであればグループのコンセプトにも合うことになるか。ラテンアメリカ先住民の悲劇を日本で繰り返すつもりらしい。 その他アクション面ではどうなのかわからない。ちなみに笑うところもない。当時はこれでファンが盛り上がったのなら存在意義はあったとして、ファン以外でも気楽なアイドル物としてそれなりに面白がって出演者にも好感を持てればよかっただろうがそういうものにはなっていなかった。  キャストに関しては当然ながら知らない人ばかりである。そもそも公開から6年も経って卒業した人もいるようなので今さらということもあるが、特に委員長役の人はこういう扱いでよかったのかと思った(主にメイクによる外見的印象の点で)。しかし主人公の親友役が長身で美形で、いわば佐々木希なみの印象を出しているのは目立っていた。「真・鮫島事件」(2020)にも出ていたようだがリモートでの登場のため申し訳ないが忘れていた。今後の活躍を期待したいと一応書いておく。
[インターネット(邦画)] 2点(2023-07-01 14:21:01)
36.  富士五湖奇譚 呻母村 《ネタバレ》 
最初に書いておくが他人にはお勧めしない。 まず題名の村の名前がウソくさいが、これはエンドロールにロケーション協力として出る「梅久保集落」が実際の地名であって、劇中で「神社みたいな」と言われていた鈴鹿神社はストリートビューでも確認できる。ここは地元自治体の公式サイトで「ゆず」(柚子)の産地と書かれていて廃村でもないらしいが、すぐ隣の地区に似たような立地で廃墟になった集落があり(恐らく両久保/もろくぼ)、撮影はここでしたか、あるいは周辺の別の廃村でしたのかも知れない。映画紹介に出ているようにこの付近には廃村が何か所もあるようで、その方面の愛好者が写真や動画をwebに上げている。 なお監督は「制作」に名前の出ている映像制作会社の代表をしているが、2023.1.14の山梨日日新聞に山梨県出身者として紹介されていたりして、自分の地元で撮ったご当地映画という意味もあるようだった。  内容は4エピソードで構成され、EP1~3の各登場人物がそれぞれ別の形で廃村の呪いに関わることになる。それぞれの人格に対応して、バカは死のうがどうなろうが勝手にしろ/人生をかけた戦いが悲壮だ/この人が呪われたらかわいそうだ、と思わせることで変化を出している。 【EP1】突撃ユーチューバーらしく世界を舐めてかかっているが、「心霊現象なんてそうは起こらない」というのは実際そうともいえる。 【EP2】霊媒師の話が現代史の流れを感じさせる。「自粛」というのはオウム真理教事件の影響でそうなったと言いたいのか。また2001.9.11の事件に関連して「世の中から取り残されてるって気がして」というのは、同じ体験があるわけでもないが少し心に染みる述懐だった。 【EP3】インスタグラマーのようで、突撃ユーチューバーより清潔感がある。不謹慎系なようでも本心は別のところにあり、ジャーナリズムの本質にも通じる思いを真面目に語る人だった。別の目的でたまたま廃村に行きついただけなので、この人には生きてもらわなければ困る。 【EP4】よくわからない締め方だが、EP1のバカが原因で不幸の手紙的な呪いが世間に放たれたという意味か。  個人的な感覚では、一般的なホラー映画というより実話怪談集のようなものかと思った。実話怪談集では関係ありそうな話を複数集め、その背景に何かが存在すると思わせて恐怖感を出す趣向があるが、この映画も似た感じになっている。また関わった者の顛末が一様でなく因果関係もはっきりせず、理屈で割り切りにくいというのも現実味のある(または、そんなものは偶然だと言われて終わりになりそうな)実話らしい表現といえる。これと似た感じのものとしては「残穢」があるが(映画よりも小説の方)、この映画はそれを安上がりかつフェイクドキュメンタリー風に撮ったものとして理解できる。 実話怪談集と違うのは、当然ながら実話とは称しておらず明らかにフィクションであること、及び各エピソードが冗長に見えることだが、これは実話怪談でいえば話者の体験談を未編集で掲載したようなもので、実際に素人が撮った動画はそんなものということではある。ただし4エピソード中で最もバカっぽいEP1の時間が最長(23分半)なのはさすがにマイナス要因である。 なお出演者のうちEP3の人物役は瀬田佳奈子という人で、以前は妹田佳奈子の名前で「ダンスウィズミー」(2019)にも出ていたらしい。宣材写真はとぼけた顔で写っているが、動いているのを見ると目がくりっとした可愛い人で、自撮りでずっと顔が映っているので和まされる。そういう面でも悪くない映画だった。
[インターネット(邦画)] 5点(2023-06-17 10:52:17)
37.  リアルお医者さまごっこ<OV> 《ネタバレ》 
今の若い人はわからないかも知れないので念のため書いておくと、西暦2015年に「リアル鬼ごっこ」という映画が公開され(原作:山田悠介、監督・脚本:園子温)、その時点ではそれなりに注目されていたように思ったが、このOVはそれと同年に、題名とポスタービジュアルをパロディにして製作されたものらしい。こんなものがいまだに残って公開されているのは驚くべきことのようだが、しかし見る人間がいるからこそ存在が認知される=存在していることになるのであって、こんなものをわざわざ作品登録までしてコメントを書く自分もまた延命に加担していることは自覚しなければならない。 内容的にはパロディ元の映画と全く違うのはいいとして、これを見て何かを語ろうという気には全くならない。全く何も書かないのもあれなので特徴点として血が出る/主人公のスカートが短い/変態/バカ/人体模型がわずかに独創的(往年の「人造人間キカイダー」を思わせる)といったくらいは書いておく。笑うところは全くないので70分(実際はアマプラで66分)が非常に長く感じるが、ただしエンディングテーマだけは笑わされた(失笑)。  以下どうでもいいことだが気づいた点として、劇中で映る雑誌では次の文章を何回も繰り返して記事を埋めている。 『記事には「鬼畜医師・女性患者100人超にわいせつ行為。逮捕/山田勝二(40歳独身)医師歴15年のベテランが起こした鬼畜の数々。」とある。』 これに関して考えられることは、 ・脚本か何かで上の文章のような指定があったので、その他の記事を適宜に作り込むようなことはせず、とにかく指定された文章をコピペして手抜きした。 ・指定されていたのは上記の「」内だけのはずだが、実際に誌面を作る際になぜか『』内を全部書いたので、制作の内幕が映像に少しはみ出た形になっている。これで笑いを取ろうとしたとも思えないので意図が不明というしかない。 以上、だから何だということもないが、そういう感じで作ったという雰囲気は出している。
[インターネット(邦画)] 2点(2023-06-17 10:47:54)
38.  白く濁る家 《ネタバレ》 
登場人物が3人の低予算映画である。前年公開の米ホラー映画に似ているという噂のようで、確かに屋根裏部屋とか窓に何かがぶつかるとか唐突な顔写真といった個別の要素が共通するところはある(ゲゲゲハウスは出ない)。それより題名が「黒く濁る村」(2010韓)の真似だとすれば、それと同様の雰囲気で小スケールという意味になる(見たことがないので不明)。 ホラーとしては発想の独自性があまり感じられない。怖がらせの仕掛けとしては主に背景音楽での脅しだったように思われる。  話の本筋について無理に考えると、男は母親に一生懸命歩み寄ろうとしていたが結局裏切られ、またその婚約者が「完璧な家庭」を優先して、理不尽な結末を受け入れたことでも裏切られた形になり、踏んだり蹴ったりで存在を抹消されて悲劇に終わったということか。ほかに兄弟は腹違いではなかったのかとか、父親が死んだ時の経過についてなど、想像が広がる可能性もあるだろうが特に立ち入る気にはならなかった。 いろいろ考えがあるようで緩いようでもあり、中途半端な感覚で終わる映画だったが、構想段階ではもっと長かったのを短縮したというような事情でもあったのか。とりあえず最後の覚悟の表情が大事だと思っておけばいいだろうとは思った。  出演者に関して、藤本泉という人は「通学シリーズ 通学電車」「同 通学途中」(2015)の高校生役(ユカちゃん)しか見たことがなかったが(「鬼談百景」にも出ていたが映像が暗い)、今回見ると目に迫力があって華もあり、この人の存在が映画全体の価値を高めていた気がする。その相手役も「人狼ゲーム」シリーズで見た時の印象は残っていた。今後一層の活躍を期待する。
[インターネット(邦画)] 4点(2023-06-10 10:00:09)
39.  海へ行くつもりじゃなかった 《ネタバレ》 
海へ行くつもりはなかったが行ったらそれなりだったという話らしい。生活圏内に海があるのはいいことだが、大阪の都心(多分)から一体どこの海に行ったのかは不明だった。 行っても大したことは起きないがそれなりに変なこともあり、逃げられて追われて盗んだバイクで走り出す(放置自転車?)とかもしていたが、途中の凧には驚きと感動があった。写真に撮りたくなるだけのものはある。 結果的によくわからない話だったが、最近は政治的・社会的な背景のある面倒くさい外国映画ばかり見ていたので、久しぶりに心安らぐものを見たと思わせる短編だった。いい雰囲気だ。  ところで映画と関係ないが仕事上、会話時に読唇を使う人が身近にいたので、この3年間マスクを強要されていたのは困った。自分がしゃべる時に外せばいいだけだがわざとらしくもあり、ちょっとした何気ないコミュニケーションが取りづらい。自分の配慮不足もあったかと思うと後悔が残る。 劇中で金髪娘が声を出す場面はなかったが、とりあえず今回は声を出さなくても気持ちが通った体験ということか。また男の方も自分の考えをわからせる/相手のこともわかろうとする点で一歩踏み出す機会になったかも知れない。パントマイムを社会生活で使うわけではないにしても、身振りがコミュニケーションに役立つこともあるとはいえる。 最後に渡された黒髪の写真はいわば生来の姿であって、そのうちこの状態に戻るので、この顔で憶えていてもらいたいとの意味かと思った。それなりの未来を感じさせるものはある。
[インターネット(邦画)] 6点(2023-06-03 15:09:26)
40.  PLAN 75 《ネタバレ》 
邦画のようだが製作国が多く(フランス・フィリピン・カタール)変にグローバルな印象を出している。個人的な感覚としては、この映画の公開年と同じ2022年の世界を扱った「ソイレント・グリーン」(1973年米)の現代版かと思わされる映画だった。  劇中世界はよそよそしいが平穏な普通の日本社会であって、その中に違和感なく自然に尊厳死制度がはまり込んでいる。制度は完全な自由意思によるもののようで、そのことが富裕層など死ぬ事情のない人々が平気で生きていられる保証になっていると思われる。 高齢者へのあからさまな迫害などは意外に見られず、登場する若年者は良心的で、ボウリング場の若い連中までもが友好的だった。これは制度の導入によって高齢層への反感が解消され、世代・年代間の対立のない世界が実現したとの意味かも知れない。 また関連ビジネスで1兆円の経済効果というのは現代らしい発想だった。満足できるサービスを得るには費用がかかるにしても、産廃業者でよければ無料というのはソイレント・グリーン的な雰囲気も出している。ほかに生活保護制度も利用可能のようだったが、それはそれで貧困ビジネスの商売ネタにされるようで、そうならなくて済むのもこの制度の利点ということか。 なお現代日本は外圧には弱いが自分からは何もしない国とのイメージがあったので、この映画のような思い切った政策を自ら発案して実行するなど全く考えられないと思ったが、しかし何かの理由で世界の先頭切ってやらかすこともなくはないという気はしてきている(最近は常識外れのことが普通に起きる)。世間の風潮に素直に従う日本人は人類社会のモデルケースになれるかも知れない。  ところで困ったのは、どういうメッセージをこの映画から受け取ればいいのかわからないことである。都合よく人を死なせる制度に反発するのは人として自然な反応だろうが、それにしても劇中設定がうまく出来すぎていないか。自分がすでに高齢者に近づいて来た状況では、このまま生きているよりさっさと死んだ方がいい、と思わされたというのが正直なところだった。 製作側の真意はわからないが(公式サイトは一応見たが)こんな世界にしてはならないというよりは、逆にこんな世界の現実化を前提にした下地づくりが目的のようでもある。日本政府も国際社会も各種メディア(映画を含む)も何も信用できない世の中と思えば、とても素直に見る気にならない映画だった。点数はどっちつかずの数字にしておく。  [追記] 上記で終わりにするかと思ったが気分的に収まらないのでさらに書いておく。 まず、どんな人にもそれぞれ来歴や思いがあるのは相応の年齢になれば誰にでもわかる当然のことである。少なくとも自分にとってはわざわざ映画で見せてもらうようなことではないが、そこをこの映画であえて強調していたのは、やはりそういうことにまだ意識が向いていない若年層へのアピールということになるか。近い将来、この映画のように尊厳死を選ぶ高齢者がいたときに、やっと死ぬのかさっさと死ね、といった罵詈雑言を背後から浴びせるようなことをせず、みなそれぞれに人生があったのだから敬意をもって送り出しましょう、と言いたいのだとすれば、やはり年代間で理解し合える円満な社会を志向した映画と取れなくはない。大変良心的だ。 結果的に劇中高齢者は同情すべきかわいそうな存在という扱いになっていたが、個人的には高齢になった自分の姿に悲哀など感じてもらいたくはない。憐れまれるより死ねと言われる方がまだましだ(勝手にさっさと死ぬ)。それこそ尊厳の問題だ。
[インターネット(邦画)] 5点(2023-04-01 08:49:29)(良:1票)
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