41. アンビリーバブル
《ネタバレ》 ホアキンは出すぎではないだろうか。一時のニコール・キッドマンに感じたような「見飽きた」感がそろそろ湧いてくる。 売れっ子ホアキンにしてみれば箸休め的な参加とも思われるこの作品、余裕の表情で語るホアキンに比べ、クレア・デインズはかなり消化不良でストレスがたまっているように見うけられた。不条理には向かない女優さんかもしれない。 しかし、見るほうにしたってこれを消化するなどということはほとんど無理。消化など考えずに「雰囲気」だけ味わうのが無難である。 監督・脚本のヴィンターベアが飛行機で世界中を飛び回るという地に足の着かない生活を送るうちに、このアイディアを思いついたという。 それは何かというと「この世界が自明のものではなくなるのではないかという漠然とした不安」であり、それを映像化したということだ。「不条理」である。 「孤独になると心臓が悪くなって死ぬ」も「7月に雪」も「ウガンダで人が飛ぶ」も「妻のそっくりさんが3人出現」も、それ自体に大した意味があるわけではなく、すべて「漠然とした不安」の現実化なのである。しつこいようだが不条理なんである。 がここに、「不条理」と「退屈」は紙一重である、という危険がある。 例えばスコセッシの「アフターアワーズ」では、「不条理」を描いて「退屈」を遠ざけるに足る「芸」が凝らされていたと思う。「不条理」を描くには「だからなんなの」と観客に言わせない「芸」を必要とする。 残念ながら、「雰囲気」は充分出した本作だが「芸」があったとは言えない。 「スケート」という要素にしても、「なぜスケートでなければならないのか」を観客に納得させるだけのものがなく、「単なる思いつき、監督の趣味」の範疇を出ない。 「孤独になると心臓が悪くなって」の部分などは、それこそ邦画「回路」のパクリとしか思えぬ。 「回路」のテーマは「生きてる人間は助け合え」で、本作の場合は「愛こそすべて」。…似たり寄ったりである。 全体としては、「回路ヴィンターベアバージョン」といっていい作品である。が、やはり経験不足ということなのか、資質の問題か、己の思いつきを適当に散りばめたのみ、という結果。おしゃれな店などで、バックグラウンドに流しておくにはいいかも、という程度。「不条理」から「退屈」を遠ざけるには、この監督さんには荷が重過ぎた。 [DVD(字幕)] 5点(2007-03-10 00:01:21)(良:1票) |
42. ギミー・ヘブン
《ネタバレ》 「探偵物語」とか、「傷だらけの天使」とか、好きだったんだろうなあ。 「都会」であることといい、カタギじゃない稼業をやっているところといい、あのマンションの内部といい、安藤を水谷豊になぞらえたところといい、パクり心全開です。作り手の世代を考えると、無理もない。この世代の男の子って、どうしてもああいう感じにあこがれているわけね。 しかし、ここまで露骨にマネをされたうえ商業映画として公開されると、「おいおい」という感じになりますね。「あーたたちがそういうのが大好きだったのはよーくわかったけど、それだけで商品にしてしまうのはどうなの」 たとえば、しろうとがコピーバンドをつくって喜んでいるのはいいが、それを武道館で発表してしまっていいものか、とかそういう感じですね。 心配なのは、もしかすると、作り手はパクったつもりがないかもしれない、というところですね。そうだとすると、日本の映画界にとっては大変悲惨なことだ。こういうものに制作費がつくということが不思議だけども。 江口洋介は、「アナザヘブン」でも似たような役柄を主演し、今や邦画では正統派のヒーローとして主役を張って〝もつ〟という数少ない俳優となった。 「アナザヘブン」を見ながらその地味な容貌、これといってアクのない演技、「なぜ江口?映画界は江口を偏重しすぎていないか?」と考え続けていた私だったが、あの作品を見終わってなんとなく納得がいったのだった。 江口は〝良心のスタンダード〟みたいなものを体現することができる役者さんなのだ。彼はどんな突飛なストーリーであっても、観客の〝良心〟をはずすことなく、ラストまで連れてくる役割を果たす。あのちっこい目が真剣に見開かれるとき、観客は完全に江口と同化してしまう。 織田裕二ではこうはいかない。〝やんちゃ〟に過ぎるからだ。「踊る」の青島だって、観客は織田についていっているのではなくて、〝キャラクター〟の1人として鑑賞しているにすぎない。…というようにたまには江口について考えてみたりするわけです。 しかし安藤はどうしたものか。マネをするならするで、「傷だらけ」の水谷豊を見て勉強ぐらいしなかったのか。江口が妙に上手く思えてしまうほどの大根役者、舞台と間違えているとしか思えない大仰なセリフまわし。脇役とはいえ、こんなんで映画に出してもいいのだろうか。 [DVD(邦画)] 4点(2007-02-12 22:30:00) |
43. サイレントヒル
《ネタバレ》 ゲームについては何も知らずに見ました。 どうりで強引な部分があるわけですね。 ただ、冒頭からサイレントヒルに着いてシャロンを探し回っているあたりまで、「これは〝サイレン〟オチじゃないの」と思っていました。おまけにサイレン鳴るしね。なんだか設定も似ているよな、とか。ベネットまでシャロンを目撃しているということは、ベネット自体がローズの別人格なのか?とか余計なことまで考えてしまった。ただ、グッチ警部までもが「娘」と言っているのでやっとサイレンオチじゃないことに気がついた。 ストーリーを全く知らない私の場合は、サイレンオチでないならばあの怪物の意味は?なぜローズは絶体絶命のところで助かってしまうの?「手がかりを見つけた」って、なんでそれが娘の居場所の手がかりだってことが分かるわけ?という疑問だらけとなってしまいました。 ちょっと長すぎるのと、クライマックスの火あぶりおよび針金シーンあたりの見せ方が冗長な感じがしました。ああゆうシーンはえんえんと見せられると「はい、作り物ですね。」という気がしてきてしょうがない。また、ラーダ・ミッチェルがヒーロー気取りで叫びまくるシーンは舞台チック(芝居クサー)な気配もぷんぷんしてきて、閉口した。 クリーチャーが次々出てくるところはなんとなく「ザ・セル」ぽい感じもしました。 この手の映画にしては、そう悪くはないが、手放しで喜ぶほどではないというレベルでしょうか。 お疲れ女優のデボラ・カーラ・アンガーは、あの役にはぴったりだったし、ベネット巡査もイカしていました。女性警官がこんなにはまっている女優さんもめずらしい。やっぱ、女性警官はこのくらいごつくなくっちゃね。あっさりつかまってしまうところは「?」と思いましたが。 が、ラーダ・ミッチェルはあいかわらず好きじゃない。この人はウッディ・アレンの映画で堂々主役を張るわで勘違いもはなはだしい。あんなミニスカートにブーツなんて全然似合わない。他の美人女優たちがみなアクションものに励んでいるのにならって「あたしだって、戦うヒロインぐらいやれるわよ」と思ったか知らないが、ミラ・ジョボビッチやケイト・ベッキンセールやシャーリーズ・セロンとあなたは違うと思う。それは勘違いです。 [DVD(字幕)] 7点(2006-11-23 00:17:59) |
44. 交渉人 真下正義
《ネタバレ》 テレビで見てエラソーなこというのもなんですけど、いちおうビデオ撮って2回見た。ということは私的には×じゃない。 あらなかなかいいじゃないの。というのが率直な感想だった。「踊るの2」よりだんぜんこっちのがいい。 ユースケ・サンタマリアは左右の鼻の穴の形が激しく違うので、正面からの撮影はかなりイタいものがあったけれど。横オンリーにしろ、横に。 犯人の顔を最後まで見せなかったところ、うーん、うまくシメたね。こういう場合は見せたところで「ふーん」でしかないですから。あの黒いシボレーそのものが「彼」で終わって正解。 「クモ」のデザインも、ありえないがなかなかハデな感じでよい。 水野美紀をあんまり出さなかったところもよかった。 寺島にしろ、総合司令室長にしろ、濃いキャラも素直に楽しめた。その濃い人たちと、反対に起伏の少ないユースケのセリフまわしの対比も、下手とはいえまあまあイケていた。 フジの踊るシリーズに、あんまりいろいろな面で求めすぎてもね。あっでも小泉孝太郎だけはどう考えても要らなかった! [地上波(邦画)] 7点(2006-10-16 22:33:25) |
45. サイレン FORBIDDEN SIREN
《ネタバレ》 あまりのくだらなさに途中でやめようかと思ったくらいだったが、あら、一杯食わされた。 しかし……あまりにもズルくないか? 意味なく異様さを強調している部分とか、30年前の事件だって、そういうことならば津山のウン十人殺しと同じ扱いで新聞に出ているはずじゃないか。それと、父のパソコンのムービー画面は幻覚だったということでないと説明がつかない。あの時ハンディカメラを構えていた隊員が居たわけないじゃないか。だいいちそんなものまだ無いし。それから、あばら家のボロボロ男はいったいなんなのか?あれも幻覚だというのか? このような強力なオチを用意するならば、複線をちゃんとしてくれないと。なんかとても残念な気がする。…冒頭の船の父の態度だけでオチ割れする観客が居るのだろうか。居たとしたらその人はすごい。 [DVD(吹替)] 6点(2006-09-20 21:42:58) |
46. 湾岸道路
《ネタバレ》 とても印象に残っている映画なんです。 たぶんその昔、大好きだった彼が草刈正雄のバイクものが好きで(本人は中免すら持っていないくせに)、ビデオを借りてきて見たんじゃないだろうか。鑑賞したシチュエーションもおぼろげなのに、内容はけっこう印象に残っているんだなあ。 というのも当時私は小型から免許を取りに行って(女性は小型からじゃないとダメと言われた)、3ヶ月をダブって6ヶ月も行って、その後また3ヶ月行って中型をやっとの思いで取ったという経歴があったのだった。 それはそうと、当時この映画を見た私の感想は「強烈に不可解」でしかなかった。 この夫婦の行動がなにもかもすべて「理解できない」のレベルなのだった。まあ若かったから。 それなのに、なにかリッチで洗練されて静かでもの悲しいこの雰囲気、ぐっと来たんだよなあ。 今でも、あの夫婦のとった行動がすべて理解できるわけではもちろんなく。 「粗末にしてしまったダンナの気持ちを少しでも理解したい」から大型乗るって、まあそれが大型二輪でなくて、例えば「ギターが弾けるようになる」でも「釣りの達人になってみる」でもなんでも同じなわけだ。理屈からすると。ただ女が「大型取りに行く」のがどんなに大変なことか、肌身で感じていた私は、とても衝撃を受けたのだった。(私自身は大型取れるなんて考えたこともない。周囲の男性も何度も落ちてたし。) 草刈がパスタをつくって二人で食べるシーン、印象的だったな。汚れた英雄がその後ハゲたうえにかぶりものを使用することとなるとは夢にも思わなかったあのころだ。合掌。 [地上波(吹替)] 7点(2006-07-19 23:09:22) |
47. 太陽を盗んだ男
ジュリー(演じる教師)は全くやる気がなくなってやさぐれた精神状態の中年男である。それはなぜでしょう。答えは「資本主義」の毒にやられてしまったからです。 そういった視点から見ると、これは個人的な問題なのに、実は個人的な問題でない。 「PINK」という岡崎京子の漫画を思い出す。 それは確か「資本主義に負けてしまった女の子の話」と作者が言っていた。深く納得。 この作品のジュリーも「資本主義」の毒と闘っていた男なのだ。そして刀折れ矢尽きる寸前に天啓のようにある方法を思いついた。 そして彼の見つけた「個人VS資本主義」の闘いに勝つ究極の方法は、「オカネ」を用いずして他人より優位に立ち、己の要求を通すという方向性のものであった。と、私は思っている。いっぽう「PINK」の女の子は、「自分の持ち駒のうち、需要があるものを売る(普通の人はそれを売らないが)」という最も「資本主義」を全うする道を自ら選び歩んでいるのだが、ここに、「資本主義に何の疑問も抱かずこれを全うするあまりに、人間性や尊厳を失う」という問題が当然生じてしまったわけだ。作者の岡崎はもちろんこの「純粋すぎる資本主義」を肯定せず、「PINK」の主人公には思いもよらぬ不幸が突然訪れるが、本人がそれを知らぬうちに幕は閉じる。 「お金があればなんでも買えて楽しい」と「お金が(充分に)ないからなんでも買えるわけじゃなくてみじめで不幸」の間にある広い川の途中のどこかで、資本主義国に生きる誰もが「資本主義」と闘っている。 たいていの人は「資本主義」と折り合いをつけて(またはあきらめて)老いて死んでゆくが、時には特異な闘い方を発見する者たちがいて、それが「太陽を盗んだ男」でもあり、一方には「PINK」の主人公が存在する。両者は同じ戦争を別の方法で闘っていただけなのだ。 私とて、できることならお金の事を考えないで一生暮らしたい。 野球中継がいいとこで終わるとき、この映画を思い出すなあ。 [ビデオ(吹替)] 6点(2006-07-19 23:02:12) |
48. ソナチネ(1993)
《ネタバレ》 その昔。関内(横浜ね)のしょぼい映画館まで足を運んだのであった。 客はすごく少なかった。あと、鑑賞環境が悪く、終始場内の照明に悩まされた。 それでも見たかったんだなあ。 「その男」でしびれたテンポと意表をついた話運び、あいかわらずよかった。「殺すぞ」と抑揚なく言ったら次の場面ではとんでもないことに。いいなあこれ。 でもたぶん、私が喜ぶような上記の場面じゃなくて、キタノブルーとか絶賛された沖縄の浜で遊んでる(といえるのか)場面を一番撮りたかったんだと思うのだ。 仲間がどんどん欠けて(もちろん死んで)いくことに対する徹底した無感動、これが全編をつらぬく。究極のクールなんだけど、じゃ浜辺で仲良く「舞の海」とかいって遊んでる場面はなんなの、というミスマッチ。その描写とは逆に、観客は「ああ、こいつもあいつも死んじゃって、やばいじゃんどうするんだよ」とますます追い詰められた気持ちになる(たけしの狙い通り。)唸りますね。 つまり「俺らは世の中にも人生にも別に期待も希望も抱いていない」という大前提がないと成り立たないわけですね。「ああこいつが死んでショックで悲しいー。こいつにはぜひとも生きていて欲しかった」という感情表現がカケラも出てこないわけだから。 「期待も希望も持たずに最後は単独の出入りで終了」という、なんか非常につまらん話のように聞こえてしまうけれど、それを映画として成立させてしまう手腕。 胸の大きな姉ちゃんは本当に要らなかった。 [映画館(吹替)] 7点(2006-07-17 14:57:52) |
49. 魔界転生(1981)
《ネタバレ》 映画館で2回続けて見た昔の自分。最近DVDでまた見た。 邦画では一番好きかもしれない。原作も読んだし。リメイクのお粗末さにくらべてこの充実感。当時は技術も進んでなくて、効果とか大変だったろうに。やっぱり映画は技術は「1番目」じゃないんだよね。20年前のほうが、役者さんもうすっぺらくない。みんな「何かありそう」な顔をしている。リメイク悲しかったなあ。個人的記念碑的作品。 追・↑ぶらきさんそのとおりです。切れてます。 [映画館(吹替)] 9点(2006-06-04 17:54:12)(良:2票) |
50. ベント/堕ちた饗宴
《ネタバレ》 これってマトモにシナリオだけ見ちゃったりすると、その場で死んでしまいたくなるような悲惨な話なのよね。ほんとは、誰かと一緒に見たほうがいいくらいに救いのない映画なのよ。 ずっと前に見たんですけど、TVで紹介されてたので。私は女だし、ゲイでないので、「男のゲイ」の人がこれを見てどんな気持ちになるかと思うと、それだけで胸がつぶれるようだわ。とにかく「否定」とにかく「人格破壊」人間性ゼロ。 映画としては、冒頭の自堕落な雰囲気と、逃亡を始めてから転落しつづけるラストまでのコントラストが巧みですね。あのいいかげん生活を見せたからこそ後半の刑務所が生きる。どこまでも人間であろうとするゲイと、どこまでも非人間的に扱うナチ。ああそれにしてもー、いいじゃないか、ゲイだって。キリスト教やユダヤ教やイスラム教の神様はダメと言ってるけどもー、人にメーワクかけなければ、共存したらいいじゃないか何もそこまでしなくても。というのは日本人の理屈であって、「ダメ」となったらもう人間扱いされないのがあちらの世界。二進法。グレーゾーンなし。 実際にはゲイの知り合いはいないわたしだが、ゲイ差別には反対したい。ゲイを差別する世界観とは、独身の女も子供を持たない女も喫煙する自由も認めないものであろうから。そしてそんな窮屈な世の中はイヤだから。すべての「人間性を否定するもの」を否定しよう。それがこの映画の主張と思う。これは最強のゲイ・ムービーであって、これ以上のインパクトのものはもう作れないでしょう。ブッシュがゲイをいじめたら、ホワイトハウスの前でこれを上演してやれ! [DVD(字幕)] 8点(2006-05-16 22:33:33) |
51. CASSHERN
TVで放映されただけでたちまちこんなにレビューが集まるとはすごい。私は「IZO」鑑賞後と同じような「あーあ」を感じました。話はどうでもよくて、及川ミッチーの顔がむくんでいたことと、「IZO」よりは出番が多かったことと、唐沢の顔面に老け感を感じたのみ。 [地上波(吹替)] 3点(2006-02-15 18:21:57) |
52. NOTHING ナッシング
あらら。このどうしようもなさを分析しようではありませんか。一番の敗因は「シリアスにしなかったこと」だと思う。これさあ、カナダの人は笑って見てたわけでしょ。なんたるお笑い沸点の低さよ。お笑い文化の発達した日本では、これで笑えというほうが無理だ。これ、たぶん本人はブラックコメディと思ってるよ。全然笑えないよねえ。ナタリさんの場合、「不条理」+「シリアス」はウケたけど、「不条理」+「笑い」はみごとコケた。この人は「シリアス」向きなんだよ。どうしても「不条理」+「笑い」をやりたいなら、松本人志か「ベリーバッドウェディング」のピーターバーグに弟子入りするしかないと思う。あと、あまりにも狭い内輪で作ったのもいけないと思う。キューブリック並の奇才でもないかぎり、やはり製作陣内部の批判者(異分子)は必要なのだと思う。仲良しグループだけで作っっちゃうと、こういう自己満フィルムになるわけね。劇場版予告が詐欺といえるほどの誇大広告ぶりで悲しみを誘う。 [DVD(字幕)] 2点(2006-02-11 00:11:52) |
53. 東京タワー
《ネタバレ》 原作未読。江國作品は多少。犬の「ルーク」の短編が一番好き。「落下する夕方」ではかなりのショックを受けた。(女性の読者にとってはみんなショックだったのでは?こいつの一人勝ちかよ、と)ところでこのタワーですが、皆さん、ためしに主人公の岡田が出川哲郎並のルックスだったと思ってごらんなさい。そんで、ラフマニノフを聞きながら、グレアムグリーンを読んで、不倫相手からの電話を待っていると思いねえ。加えて、話す内容といったら「会いたかった」と「もう少し一緒にいたい」以外に何も無いとしたら、どうです、ものすごくうっとうしいでしょう。「一人でコントやってろ」としか言いようがないですね。何を言いたいかというと、この江國作のストーリーというのは、トオルが「美形であること」を前提にした話であって、それ以上でもそれ以下でもないのである。それが無ければ、単なる話題に乏しいしつこい男。「そりゃ、美形だからね」がすべての理由であって、「母親に異常なまでに愛されてる」「夫も店も捨てる」「パリまで追いかける」も、「そりゃ、美形だから」。んで「東京タワー」。「非日常的な美しいもの」の象徴。岡田はフェロモンを出すにはもう一押し。及川光博などに教えを乞うとよい。岸谷はこの映画の中ではダントツでミスキャスト。全然金持ちに見えない。「べつに別れても惜しくない」と思ってしまうよ。あと、寺島しのぶが出てると、そこだけ前衛映画のようで違和感発生。TVドラマの延長的作品なので、寺島は出さないほうが無難だった。 [DVD(吹替)] 6点(2006-01-28 00:18:34)(笑:2票) (良:2票) |
54. 異人たちとの夏
《ネタバレ》 すきやきの皆様が多いようで。私は「きゅうりでもかじる?」が。それって、もてなしなんだー。そんなの言われたことないし。これはよくできたファンタジーです。「フィールドオブドリームス」のように、亡霊の力で現実世界に何か働きかける、ということもなく、ただ現れて、会話して、去って行く。というところが日本の幽霊は始末がよいですね。30年代風の雰囲気もよいです。こんな風に、ふらっと現れてくれないかなあ、飼い犬と、先輩Yさん。会いたくてたまらない。 [ビデオ(吹替)] 8点(2006-01-22 20:44:25) |
55. 鬼畜
《ネタバレ》 映画「鬼畜」は様々な視点から観ることができる作品であろうが、個人的には実話という場合は、何よりも「実行者の心理」に興味を持つ。妻の言いなりになって我が子を次々に捨てるという、信じがたい行為に及んだその心理に興味を狩られる。どうすればそうなるのか。彼自身は積極的に子供を疎んじているようには見えないし、「本当は殺したり捨てたりしたくない」し、何より「子供が彼を慕っている」=「何らかの愛情を感じ取っている」ように思う。「何でも他人の言いなりになって、抵抗できない」→その理由「自分はおよそすべての他人より劣っている」=「自分より優れた人間に常に従うほかはない」という固定された構図が、この男の頭の中にあったのではないかと推測する。これは、成長過程における「成功体験の欠如」が原因としか考えられない。この映画に見る彼は、知的障害者でもないし、精神を病んでいたわけでもないからである。このように考えるに至ったのは、身近にモデルとなる男性(同僚)がたまたま居たためである。「誉められたことがない」「常にバカ、グズと言われ続ける」このように育って「自分だって人並みに頭が良い」と思うことができるであろうか。このような「成功体験を欠く」人たちの中には、私の同僚のように常に他人の言うことが正しいと思い、自ら考えたり要求したり交渉したり闘ったりすることができない大人が存在する。そして「鬼畜」の主人公の行動を可能足らしめたものはこのような心理ではないかと思うのである。よって、愛人によって初めて「誉められる」を与えられた彼が、簡単に彼女の懐に落ちたであろうことは当然である。映画版は、この構図を納得のいくよう描いていたと思う。この推測に添って考えると、ビートたけしのTV版の主人公は、「違う」ように思われるのである。「それなら捨てないで済むでしょう」と思えてくる。ともあれ姪っ子を見るにつけ、まことに「子供は誉めなければならない」と思うのであった。 [ビデオ(吹替)] 8点(2006-01-22 19:35:18)(良:2票) |
56. 大日本帝国
《ネタバレ》 当時劇場で見たんです。長い。夏目雅子の無理ある二役。そしてウルトラマンタロウが銃殺される。関根恵子は闇市に買い出し。いいんですべつに。「大日本帝国」は。レビューとは言えないかもしれないが、先日「ローレライ」を手にとって、しげしげと眺めたあげく戻した。なぜかというと、役所はともかくとして、ジャニーズ顔の男の子が出ているなら、どうしても見る気がしなくなったのだ。その時、「大日本帝国」をしみじみ思った。もう、「大日本帝国」が「限界点」だったのであーる。リアルな太平洋戦争とか、リアルな時代劇とか、演じられる俳優さんは、「30年代生まれまで」であろう。八頭身とか二重まぶたで坊主刈りとか、着物に脇差しとか、もうよしてくれ。全部外人みたいだ。レビューじゃないけど、野口英世の記念館で見た、彼の軍服、どんなに小さかったと思います?そんで肩幅狭いのなんのって。とてもじゃないが私にも着られない。ぜひ一度ご覧ください。そんなわけで「大日本帝国」は「今はもう無理」を思わせる個人的哀愁映画なのであった。(この作品が超リアルとまでいえないにしても) [映画館(吹替)] 6点(2006-01-21 23:49:27) |
57. IZO
《ネタバレ》 三池って人のことはよく知らないが、団塊の世代っぽいな。違うかしら。それでは私が斬りましょう。三池さんてきっと、小さい頃はいじめられっ子でさ、体も細くて病弱だったわけ。そんで、大人になってからも、いろいろいじめられたと本人は思っていてさ、いじめたやつを見返したくて怨念で死にきれないのよ。そんでこんなものつくっちゃったの。特に体が大きい奴とか、チンピラとかに怖い目に合わされてさ、「天誅」下さないといられないわけ。こんなふうにしか解釈できないけど。「体制」とか言ってるけど、「自分をいじめたやつへの仕返し」でしょうよ。「システムを破壊する」がテーマなら、運営している人間を殺すところを見せるだけではナンセンスなだけだ。「位相」って意味不明だし。あえていうなら「僕より強い奴と弱虫な僕」の力関係のことですか?とにかく変なおっさんの歌がうるさい。それと中山一也がマッチョすぎて二流プロレスラーにしか見えない。あの股間プロテクターはなんなの?? 貞操帯に見えてしまう。→「パッチギ」鑑賞後。やっぱり「痛くない」のは三池さん自身がケンカ慣れしてないからでは。 [DVD(吹替)] 5点(2006-01-21 18:15:01) |
58. パッチギ!
《ネタバレ》 北野武とか黒沢清の作品は「無国籍性」(外人が見てもけっこう楽しめる)があるのかもしれないが、「パッチギ」はもう、国内一本勝負。敬意を表します。間違っても外国で評価されることはないでしょうし、最初から狙ってないに違いない。今の若い奴は一回は見なさい。「そんなに日本がイヤなら来なければよかったじゃないですかー」とか言ってる子、実際に居るんだよ。「だから来たくて来たわけじゃないから」って言ってる私自身も情けないよ。井筒ものは初めてでしたが、感心しました。「問題解決のための暴力を持たない少年」が「別の方法」でなんとかしようと「他民族が祖国を慕う歌」をみんなの前で歌ってみせる。という、それだけならクサいストーリーなのですが。この康介少年の周りでは、ワーワーワーワー、皆が右往左往しているわけで、その中でぽつんと役立たずに見えた康介が、ラストで歌ってしまうことで意外な一石を投じるわけだ。歌にどれだけの力があるのか私には分からないし、「歌う」は「クサい」ことにはちがいない。「暴力がダメな男」康介にとっては、今の所これが自分にできることだったわけだ。井筒監督はケンカ上等だったらしいので、康介というのは「存在しなかったもう一人の自分」なのかもしれない。大人の男たちが情けなくて皆面白い。先生、オヤジ、笑えます。モトキの浪岡一喜が素晴らしい。オダギリが演技しているところをはじめて見たが、なんだかあやしいフェロモンが出ていた(でも坂崎幸之助だなんて美化しすぎ)。番長役の高岡蒼佑が、あまり雰囲気がなかったところが惜しい。ミスキャストと思う。朝高の番長がハンサムではダメ。 [DVD(吹替)] 9点(2006-01-18 18:00:29)(良:2票) |
59. 回路
《ネタバレ》 なんだか他の方のレビューをずっと見ていくと、とても同じ映画のことを言っているとは思えなかったりして、なかなかオツですね。ここまで観る人によって感想が違う作品もめずらしいですね。「CURE」のあとに見て、「まことに分からない」と思って投げていましたが、もういちど見てみようかという気にもなりました。→再鑑賞後。前よりわかった。「孤独」と「コミュニケーション」について、くどくどくどくど言ってる話だったのですね。べつに幽霊出さなくたって「孤独」と「コミュニケーション」は表現できるけど、あまりにも「説教くさー」で「ベタ」なものを作るのは趣味じゃないわけね。こいつはホラーではないわな。幽霊出してるけど、やっぱり説教くさい。それと、皆さんがあまり書いてないことをひとつ。「春江」→家族との関係も冷え冷えでもともと孤独な女 「川島」→なんとなく行きがかり上人を助けてしまう男 「ミチ」→いつも他人を助けることばっか熱心な女、の順で「人を助ける熱心度」が上昇していくわけです。そして、死んでゆく順番も同じなのです。川島は、春江を助けようとしていたときは無事だったけど、死なれてショックで撃沈。ミチは常に他人の心配ばっかりしているから無事だけど、川島が去った後はその対象がなくなり、役所に思い入れを抱ければ今後も無事かもしれんが、死んでいく川島を「最後の友達」と言っているところを見るとそうでもなさそうだ。役所はミチらを助けたばかりでなく、「南米に生きてるやつがいたら船に乗せる」なんて言ってるから、やっぱり人助けが大好きで、無事なのであろう。幽霊はひたすら「助けて助けて」としつこいが、結局彼らを孤独から救う方法は無いので、代わりに生きてる人間を助けることで、生き延びることになっているみたいです。私なんて間違いなく秒殺だ。ラストで役所が割舌もはっきりと「君たちのしたことは正しかった」なんて言うけど、「たとえ助けられなくても、助けようとしたことが重要だ。」てか。なんだなんだ。この説教くささは。しかしまあ、「孤独」と「コミュニケーション」の答えは「生きてる人間は助け合え」だってよ。ありがちなテーマをよくもここまでひねくれたやり方で見せるものだ。黒沢は屈折しすぎている。 [ビデオ(吹替)] 7点(2006-01-18 00:20:56)(良:1票) |
60. 嗤う伊右衛門
《ネタバレ》 原作読んでいないんですが。お岩と父は両方ともすごーく屈折した愛情の表現をする親子ってことになるんですなあ。私は「身を引く女」って、忍んでるだけじゃないと思うけど。なんかそこにクラい「歓び」があるはずだ。だってMなんでしょ。「○○さんのためなら私はどうなっても」みたいのは信じられないね。そうすることが「個人的に快」のはずなんだわ。そういうお岩さんの「クラい快感」を感じさせてくれないことには、説得力がなくてただのTV時代劇と変わらなくなっちゃう。椎名の無意味なS描写といい、おっぱいピュー(書いてるだけでヤだけど)といい、後半のもっと無意味なグチャグチャ状態といい、「あなたはほんとーうにこういうのが好きなんですか」と、指を差しながら蜷川さんに問い質したくなる。単に悪趣味。あと小雪はあんな高身長でイカリ肩でパーツがはっきりした顔なのになんで時代ものばっか出るの。だから唐沢レベルの身長がないと変だし。この作品は大金使ってつくるほどのものじゃないぞ。どっかのちっちゃい劇場で蜷川先生が演出すればよかっただけじゃないの。 [DVD(吹替)] 5点(2006-01-12 23:21:31)(良:1票) |