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鱗歌さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 3876
性別 男性
年齢 53歳

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1.  ミッドナイト・イン・パリ 《ネタバレ》 
冒頭、パリの街がいくつものショットで描かれていて、つまり、空間的な積み重ねとしてパリが描かれるのですけれども、これはパリという街の一面でしかなくって。物語の中で主人公がタイムスリップ(?)して、1920年代のパリに集っていた文人・芸術家だちと出会うことで、パリの街が時間的な積み重ねとしても描かれます。 街が持つ多層性。それは、街の今の姿と、街が辿ってきた歴史。 レイチェル・マクアダムス演じる、主人公のフィアンセってのが、顔は可愛らしく、体はエロっぽく、性格は鬱陶しい、という、三拍子そろった存在で、身近にはあまりいて欲しくないけれど、ハリウッド映画にはヒロインとしてぜひ登場して欲しいタイプ。主人公はこの映画の物語を経験し、結局は彼女と別れることになって。 そして、この街の歴史を知るパリ娘と結ばれることを匂わせて、映画は幕を閉じます。一見、忘れられたような過去でも、現在のどこかに必ずその余韻が残っていて、こういう娘っ子の中に息づいている、それがパリの街。 主人公自身も「くだらない」ハリウッド映画の脚本を書く生活から、パリへの移住を決意した今後は、この街で文学を目指すのかもしれない。 浅はかなハリウッドよ、さらば。 という、何だか、結果的には「ニューヨークの映画作家ウッディ・アレンが例によって例のごとくハリウッドにイヤミを言う映画」になってしまった感もありますが、ま、そうでなくては。シャレた感じで、イヤミを言いつつ、古き良き文化の香りを謳い上げる。それがまた、シャレてるんです。 しかし、1920年代のパリというと、音楽はコール・ポーター、となるんですか、ねえ・・・例えば「フランス6人組」とかではなくって。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2020-08-29 17:29:17)
2.  ミネソタ無頼
どういう作品かというと、(1)主人公は勿論、凄腕ガンマンである(らしい)。(2)主人公は刑務所に入っているが勿論、無実である。(3)勿論、脱獄する。(4)主人公が向かった先には勿論、悪党どもに苦しめられている町がある。さらに嬉しいコトには、悪党どもに立ち向かう保安官もまた、悪徳保安官なんだってさ。(5)これは「勿論」とは言い難いのだけど、主人公は目を病んでいて、失明しちゃうかも。(6)さらに「勿論」とは程遠いのが、この主人公、実に実にパッとしないフツーのオッサンなんです。いや、馬に乗ってる姿は結構、サマになってるんですけどね。でもとにかく、風貌があまりにも凡人然としていて、とてもマカロニの主役とは思えません。 別に男前でなくっていいんですよ、リー・ヴァン・クリーフみたいな顔のヒトもいますから。でも、凡人顔ってのは、イケマセン。 ま、それはともかく、悪党と保安官の対立はついに佳境を迎え、その勝者がクライマックスで主人公と対決する、という寸法。ヒーローがトーナメントのシードなんですね。実に横着です。しかし主人公は目を病んでいる訳ですから、勿論、肝心なところで目が見えなくなってしまいます。目が見えなければ暗がりで戦え、ってのがセオリー。『暗くなるまで待って』の先駆けみたいですな。さらには、この対決の場では「音」が重要な役割を果たしていて、なかなか心憎い。 いや、本来なら「なかなか心憎いシーン」のハズなんですけど、やっぱりここで主人公のダサさが足を引っ張ってしまい、せっかくのシーン自体もダサくなってしまってるのが、つくづく残念です。いや、演出の方の問題のような気もするけど。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2020-02-03 20:23:32)
3.  ミツバチのささやき
ドン・ホセがハンサム過ぎる・・・。一生自由を得ることのない働き蜂について父親が語る時、それは時代の閉塞感と子供たちの暗い未来を語ってもいるのだけど、作品の背景にあるスペイン内乱。大恐慌から世界大戦へと向うその時代の閉塞感というものは、何だかこの、世界が不況にあえいでいる21世紀初頭の今とリンクしている気がしてならない。なりふりかまわぬ通貨安競争、近隣窮乏化政策。そしてTPPの行く末にあるものは、かつて日本を追いつめたブロック経済ではないのか?次に追いつめられる国は?(って、まあ、そりゃ、ねえ) 冷戦下より、まさにこの今こそが、真にヤバいんじゃないのだろうか。とか思いつつ。この映画ではそんな不安の時代(今、まさに我々が抱える不安でもある)を背景に、その軸(大人の世界)と直交するように、子供と“死”との戯れ、という軸が描かれる。これは内乱の不安とは別個に存在する永遠の不安。両者がクロスした時、不安の二乗、どうにもならない閉塞感。イザベルがふざけて死んだふりをすることができるのは、明らかに「生」の側に立ち、「死」というものを知識として把握できているからだろうけど、その点、汽車が来るギリギリまで線路に立っているアナの方が「死」に近いポジションにいるのだろう。火を飛び越えて遊ぶイザベルの行為は確かに危険ではあるけれど、その後、暗くなるまで火を見つめているアナの方が、よほど危険な立ち位置である。ふたりで遊んだ、井戸の横の家は、アナと脱走兵の交流、すなわち死との交流の場となり・・・。直交する軸は二度交わることがない。解を見出すことなく、「どうにもならなさ」だけを残して、映画は去ってゆく。そして今また再び、我々は、見出すことの決してできない解を見出すこと、を求められる時代に生きているのかも知れないのだけど。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2012-02-04 03:51:28)(良:1票)
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