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花守湖さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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1.  オデッセイ(2015) 《ネタバレ》 
中国が米を助けると言うメッセージを勘違いしている人が多い。あれはアメリカの子分の日本が助けても意味がない。いがみあっている米と中国だからこそ意味がある。人が人を救うのは理屈じゃないというのが最大のメッセージです。だから嫉妬はやめておけ。また、原作ではたかが植物学者1人救うのに何十億の血税を使う気かよとワトニー本人が自虐的に言っていますが、それも「中国」のエピソードと同じで、人間の善意を完全肯定しているのが本作品の特徴だと気が付いてください。この物語の最大の魅力は、主役の描写が素晴らしいこと。そして彼の性格の描写はNASAとのやりとりによってはじめて浮き彫りにされていく。残念なことに映画では両者の喧嘩シーンが大幅にカットされている。NASAが主人公を飼い馴らすことができず、逆切れして「うぬぼれるなよ!」と吐き捨てるシーンや、「君の発言は全世界に生中継されているので気を付けろ」と恫喝した後に、すかさずワトニーが「おっぱい!」と返信するシーン。この反骨精神こそ、マーク・ワトニーの本質です。おっぱいは女性差別でカットされたらしいですが、それだったら「ちんぽ」でも良い。まさか男性差別にならないだろ。大事なシーンだったのでカットしてほしくなかった。ここでユーモアのなかに見え隠れするワトニーの強烈な自我が理解できるのです。強大な組織や、強大な自然にもまったく動じない彼の性格に全世界が共感し、応援できたのだと思います。さらに無人島と同じようなシュチエーションを描きながら、全世界から見られているというアイデアは抜群に新鮮。原作の楽しさは例えば「ワトニーあぶない、そっちに行くのをやめろ!まさか・・ワトニーでかした!君は天才だ!」というふうに、驕り高ぶったNASAが一喜一憂するシーンがメチャクチャ痛快で楽しいのです。この物語はもともとネット小説。ネットにはくだらない小説がクソのように存在する。そのクソのなかで3万回以上もダウンロードされて読まれたのだからちょっと普通を通り越している。原作は7ソルかけて読み終えました。この物語の最大のポイントは、世界各国の人々がマーク・ワトニーのことを、アメリカ人ではなく、地球人として見ていたことです。宇宙という存在は、人種や国家の概念を変えるほどの力はあると思います。人種や宗教や国家は違えども、同じ同胞である地球人を助けるために多くの人々が手を差し伸べたのです。そこを理解できないと、ピントのずれた不満だけが残るのでしょう。
[DVD(字幕)] 9点(2016-08-16 13:45:44)(良:3票)
2.  マレフィセント 《ネタバレ》 
これは「ウィキッド」でしょう。ウィキッドは、誰も知らない、もう一つのオズの物語です。そして本作は誰も知らない、もう1つの眠れる森の美女です。どちらも共通するのは、歴史的に有名な悪女はじつは悪女ではなかったという点です。正直に告白すると、私はこの映画を観る前に結末を確かめました。もし、マレフィセントが死に、オーロラ姫が助かってメデタシメデタシというラストだったら私は観るつもりはなかった。それを私は心の底から恐れていた。しかし結末は完全無欠の予定調和だと知って、私は激しく安堵した。さすがディズニー。予定調和を嫌う観客もいるが、ハッピーエンドで何が悪い?リアルティが好きなら、映画を見ずに新聞でも読んでいろ。そう言いたくなってくる。映画は常にハッピーエンドであるべきだ。映画は希望だ、これが私の持論です。とは言っても、世間では罪には罰を与えよ!という意見があることも重々承知だ。つまりいくら悪人が更生しても悪人は最後にくたばってもらう。そして観客は悪人マレフィセントの死にざまに涙を流せという押し売り型の物語もよくある。私は断じてそのようなストーリーを受け入れるつもりはない。この映画のなかで悪役として登場するのはマレフィセントではなく王様だが、彼もマレフィセントを殺せるのに殺さなかった。生粋の悪ではないと思う。そういう何気ない描写も印象に残る。そしてマレフィセントの人物描写を決定づけるシーンはやはり憎むべきオーロラ姫をけっきょく愛してしまった描写だろう。オーロラ姫を憎みたいと思いつつ、どうしても憎めない。オーロラ姫は美人とは言えないまでも、どこまでも無垢な女性だ。彼女の心には悪も善も受け入れることができる純粋さがある。虚無に陥ったマレフィセントはオーロラ姫を救うことによって、自分自身が救われるという人生の1つの真実がそこに描かれている。つまり、人は人を救うことによって自分自身が救われるのだ。いずれにせよ、現実はもっと厳しいと思う人には向かない映画でしょう。いま、心が傷ついている人、将来に対する不安を抱えている人、失恋した人、優しい心を求めているすべての人に鑑賞してもらいたい。これぞファンタジー映画の王道です。久しぶりに泣きました。また、このような映画を泣ける自分の純粋さに満足しました。中年になっても私の感性はなかなかのものだ。いやぁ、映画って本当にいいもんですね。
[DVD(字幕)] 10点(2015-08-16 20:32:14)(良:3票)
3.  それでも夜は明ける 《ネタバレ》 
黒人のレブロンジェームズがキングと呼ばれ、同じく黒人のペレが王様と言われている現代ではにわかに信じられない事実ですが、白人の女性は奴隷の黒人の前では、自宅で平気で裸になったと言います。つまり、動物に裸を見せて恥ずかしがる女性はいなかった。過去の黒人は動物という認識だったのです。中には黒人に理解を示す白人もいたが、それは人間が犬に対して愛情を持つのとなんら変わらない。私は問いたい。「この映画を観て、黒人を痛めつける白人を残酷だという観客は、なぜそう思うのか?」答えが簡単です。我々はすでに黒人を動物ではなく、人間として認めているからです。だから私たちの感覚で、昔の白人はケシカランと結論付けるのは早計なのです。人は相手が動物の場合、今でも平気で自由を奪っている。たとえばロープにつるされたままの主役の黒人に驚くことなく、まわりの白人たちは淡々と日常生活を行っているシーンは、まさに動物に対する人間の態度なのです。ただしこの黒人はほかの黒人と違って自我を持っていた。黒人を動物と考える白人は、その黒人の自我に敏感に反応し、脅威を感じ、そして敵とみなした。いつしか黒人は韜晦したふりをして、生きる術を身に着けた。→「ワタシはニンゲンではなく、ドウブツです。」多くの黒人は動物のふりをし、白人はその態度に安堵した。そういう時代だったのです。人間は昔も今も残酷だ。ハンティングと言って、動物を殺すことを楽しむスポーツがある。過去も、現代も、そして未来も人間は常に動物と認めた生き物に対しては絶対的な差別を行っている。黒人は単に動物から人間に格上げされたに過ぎない。私は許さない。主役の黒人俳優は素晴らしい。同じ黒人俳優のデンゼルやスミスなどにはこういう演技は無理(かっこよすぎるから)艱難辛苦を他力で乗り越えるところは事実だから仕方ない。運命の波に翻弄されながらいつの間にか砂浜にたどり着いた人間の姿、その姿には正義も悪も、勝利も敗北もクソもありません。正当なヒューマンドラマとは、かくあるべきです。
[DVD(字幕)] 9点(2014-10-05 19:49:11)
4.  ビザンチウム 《ネタバレ》 
物語の本質は、共依存の母娘です。野蛮な男たちに虐待されて生きてきた母親は、自涜の習慣(娼婦)から抜けられません。彼女の自涜の念が我が娘には同じ道を歩ませたくないという強い思いにつながっているのだと思います。しかし娘を守るつもりが、逆に娘を精神的な牢獄に閉じ込めていることに気が付きません。従って娘の最大の親友は母親であり、母親だけが人間関係のすべてであり、母親以外には他人を愛する選択肢がありません。母親のほうは「私がいないと、この子は生きていけない」と妄念妄想にとりつかれています。ラストで母親が娘を手放したのは、母親自身が、娘から自立できたことを意味します。このラストシーンに未来の燈芯を感じます。また、この映画の吸血鬼は、己の力を誇示する生物として描かれているのではなく、あくまでもマイノリティとして、虐げられる存在として描かれています。悪の存在ではありませんが、人間を殺さないと生きていけないというジレンマがあります。そのために死を望んだ人間からのみ血を吸うという清貧な吸血鬼娘、遠慮せずにじゃんじゃん吸えよ。人間なんて、同族以外の生き物を殺しても、器物破損にするようなバカな連中なのだから情けをかけなくて良い。そういうわけで生きているだけで罪を感じている彼女の存在そのものが果かないです。その果かない存在と、美しい映像が見事に諧和しています。間違っても十字架が弱点の吸血鬼バトル映画だとは思わないでください。私は心が癒されました。弱者に救いの道が開かれる物語はやはり心があたたかくなりますね。
[DVD(字幕)] 8点(2014-09-14 23:53:29)(良:1票)
5.  ゼロ・グラビティ 《ネタバレ》 
アバターのキャッチコピー「観るのではない。そこにいるのだ」←この思想こそが、3D映画の原点だと考えます。3D映画の最大の魅力は、「奥行き」という技術によって、観客にその場にいるように疑似体験させることです。ゼログラは観客に宇宙を疑似体験させることに成功した。そのために物語性を排除し、登場人物を2人に絞り、主観映像にこだわった。そのアイデアを高く評価したい。そしてたった2人の主観的視点から映し出される宇宙映像、その表現力が素晴らしい。まるで美術館で絵画を鑑賞するような感覚でした。宇宙旅行を疑似体験したいならば、なにを差し置いても3Dで観てください。宇宙酔いでゲロを吐いても3Dで観てください。テレビは無論のこと、2Dで観てもまったく意味がありません。なぜならば、3D技術の奥行き効果が、宇宙の深さと恐怖を演出しているからです。そしてこれはストーリーを楽しむための従来型の映画ではありません。その点を見誤ると、不満しか残らず、自己満足な低得点をつけて終わりになってしまいます。最近は自己破産した俳優でも宇宙旅行がいける世の中だ。しかし、さすがに宇宙漂流は体験できない。主観的な視点を通したプチ漂流は、レベルの高い拷問を受けているような恐怖でしたが、貴重な体験でした。まさに観るのではなく、わたしは宇宙にいました。映画館から出て、太陽の光を浴びたら、自分が宇宙から帰還したように感じます。やっぱり地球は素晴らしい。太陽ばんざい。人知れず、映画館を出てから感動しました。
[映画館(吹替)] 9点(2014-01-05 10:53:10)(良:3票)
6.  レ・ミゼラブル(2012) 《ネタバレ》 
無情=悲惨な人々たち。ファンティーヌはまさにそれに当たる。冒頭から夜のシーンが続き、彼女は髪を抜かれ、歯を抜かれ、どんどん堕ちていく。しかし「無情」がこの物語の本質ではありません。彼女の死後、突然スクリーンから暗闇が消える。突然光が溢れ出す。あのとき、暗闇に慣れた観客は「あ、まぶしい」と思ったはずです。そして光のなか、突然クソガキが現れて歌いだす。ガブローシュとか言う小僧らしい。私だったら彼に助演男優賞を与える。それぐらい躍動感があった。革命だ、戦争だ、クソだ、という絶望感などサラサラありません。そこにあるのは歓びです。私はこれから死のうとしている学生さんたちが賛歌を謳っているように感じました。ミュージカル映画で時々「なぜ突然歌いだすのか意味不明」とかいう人がいますが、俳優たちは歌うのではありません。謳うのです。民衆の歌、それは暴政に対する絶望の悲鳴ではなく、「生」に対する純粋な歓びの歌だ。生きることが困難な時代だからこそ、生きていることに対する歓びが声になり、歌となり、そしてその歌声が我々の耳に届く。これぞミュージカルなり。これぞ生の本質なり。残業がきつい。金がない。亭主の息が臭い。そんな他愛もない悩みで年間3万人が自殺する我が国に欠けているものをレミゼは教えてくれる。これからは生きるのはやめて活きよう。命は燃やすものだ。人は生きている以上はやはり謳わずにはいられない。むしろ人生において謳わないほうが不自然だ。一流俳優たちの演技は素晴らしい。しかしこの作品の一番の素晴らしさはガキのガブローシュや、痛すぎる幸薄女性のエポニーヌをはじめとする民衆たちの躍動感なのです。「民衆の歌」を聞いてください。彼ら脇役の歌声が次々と重なり合い、最後に大合唱となる瞬間を見届けてください。彼らは決して不幸ではなかったのです。涙どころか鼻水までもが洪水です。DVD化され自宅で観るときは今度こそ民衆の歌の後に、1人スタンディングオベーションを実行することをここに誓います。
[映画館(字幕)] 10点(2013-02-21 21:00:38)(良:3票)
7.  わたしを離さないで 《ネタバレ》 
あえて舞台設定を未来にせず、過去に設定。つまりこれはSFではありません。クローンは、わずかしか生きられない人間のメタファーになっていることに気が付いてください。だから、「整形して逃げればいいじゃん」だとか「人権弁護士に助けを求めろよ」だとか、そんなことを言っても意味はないのです。テーマは「生」です。では「生きる」とはなんでしょうか?坂本竜馬はこう言った。「この世に生を得るは、事を為すにあり」つまり、生まれたからには、何かでかい事をやってみろよ、と言う意味です。さらに自意識の強い若者はこう言う。「僕は何のために生まれたの?生きる価値って何かなぁ?」 この映画で、限りある生のなかで、必死で生きている3人の姿をみてください。そして気が付いてください。生きているということは、ただそれだけで素晴らしいということを─。何も成し遂げなくてもいい、ただ生きているだけで嬉しい─、その実感こそが、幸せと呼べるのではないでしょうか?悲しいことに、人間は、死が目の前に迫らないと、生を実感できない。1つ説明したいことがあります。新任の女教師が、義憤から真実を子供に打ち明けるシーン。「あなたたちは臓器を提供するために生まれてきた」 校長は女を追放する。真実を隠そうとする悪そうな校長に見えますが、彼女は、クローンにも魂があることを証明したかった、ゆえに子供に絵を描かせていた。校長にとって、生きる、ということは、表現することだった。子供に真実を打ち明けることは、「あなたたちは人間ではなく、人間のために育てられている家畜なのです」と宣告することに等しかった。その時点で子供は、「ニンゲン」であり続けることに、挫折していただろう。ヘールシャム寄宿学校は、当初は悪魔の巣だと思った。だが、じつは人間と認められないクローンを、唯一人間として教育してきた場所だった。3人はそこで感受性豊かな人間として育てられ、恋をして、むしろ本当の人間より、生を実感していた。子ども時代のトミーはひどかった。しかし、大人になった彼は、自分を表現できるようになった。彼から絵を見せられた校長は辛くて嬉しかったに違いない。そしてこれがこの映画の最大のメッセージなのだ。トミーはまぎれもなく人間だった。いや人間以上に人間だった。かなしいくらいに素晴らしい映画です。
[DVD(字幕)] 10点(2012-10-23 22:35:55)(笑:1票)
8.  ドラゴン・タトゥーの女 《ネタバレ》 
恋愛映画でした。男は彼女の奇抜な容姿をみても偏見を持たなかった。彼女は生まれてはじめて他人から頼りにされることに喜びを感じた。それが恋愛感情につながった。原作はスウェーデン語で「女を憎む男たち」その男たちとは、後見人のデブ野郎、リスベットの鬼畜パパ、女殺しが趣味の変態親子・・である。リスベットの奇抜な恰好は、子供時代に性的暴力を受けてきた事と関係がある。彼女は、男たちから性的な対象と見られないようにするために、男のようにふるまってきた。両性愛者という設定などは、表面上のことに過ぎない。彼女はトラウマのために、男を演じてきたのです。すなわち、ドラゴンのタトゥーは、男に対する防御手段なのです。男という生き物はなぜか常に女を憎む。卑怯な男ほど、猫や鳩の虐殺と同じように、弱者を攻撃したがる。「女のくせに」とすぐ口走る男たち、その言葉の裏には「弱いくせに」という言葉が隠されている。お前らはネトウヨ以下だ。だからこの話は女であるがゆえに虐げられてきた女たちの物語なんだ。女のジハードなんだ。その執行人が、リスベットだったんだ。鬼畜パパは全身火まみれ、デブの後見人は拷問責め、犯人のパパは水死、犯人は車内で大炎上、バカ男たちの殺され方はどれも痛快無比です。共感できました。私とリスベットが、何かつながってるってゆう感じ?そういうふうに感じたのは初めてだし、だいたいそういうの大嫌いな私ですが、彼女を自分の娘のように応援できたのは収穫でした、娘なんていませんけどね。できれば女性に観てほしい映画です。
[DVD(字幕)] 8点(2012-08-19 21:24:01)(良:2票)
9.  英国王のスピーチ 《ネタバレ》 
私は真面目すぎるのかもしれない。だが英国王がファック、チンポ、オッパイ、それはないだろうとおもった。それとも私の字幕が異常だったのか?仮にこれが真実に基づいたものであってもあまりに下品すぎる。日本の「テンノウ」で同じことをやってみせたらおそらくネトウヨは怒る。いや日本の全国民が激怒する。だからイギリスは寛容すぎるとおもった。吃音といえば日本人ならばやはり三島の小説「金閣寺」を連想します。吃音は自意識が過剰になる。自分が憐みの目で見られるのは吃音のせい、自分が好かれるのも吃音のせいで同情されているから。自意識の塊だった三島だからこそ生まれた奇跡の物語でした。しかしこの映画の吃音に対する心理描写は決して深くはなく、単にチンポと叫ぶ王様のキャラの一面として紹介しているだけでした。残念なことに私はその王様が好きになれませんでした。下品という理由だけではありません。彼は雇った平民に意見されたために激怒し、平民の父親の卑しい身分を持ち出して罵倒、その後、せっかく謝りにきた者にたいして、「王の謝罪を待つ者は長く待たなければならない」とあの腐ったセリフ。おまえ、何様だよ?もちろん王様だろう。オッパイと叫ぶクソ王様だ。聖人君子とは程遠い単なるバカ男だった。やるせない思いで映画を見終えたあと、私は冷静さを取り戻して静かに考えた─。今の不景気で暗い世の中において、誰が国民を勇気づけるメッセージを送れるか?国の王様か?テンノウか?それとも増税大魔王の野田首相か?または鈴木イチローか?なでしこか?自問自答による問題提起は2秒で結論が出た。やはり身分の高い人よりもスポーツ選手が国民に希望と誇りをもたらせてくれるとおもった。高貴な身分だけでは人は人を感動させることはできない。  
[CS・衛星(字幕)] 1点(2012-05-06 22:46:36)(笑:3票)
10.  ディセント2 《ネタバレ》 
女が強い映画である。彼女たちが男の腕を切り落として逃げるシーンはディセントシリーズが、どんな映画であるかを印象付けた貴重なシーンでした。つまり「男」はシリーズを通して、一貫として脇役なのです。強い女といえば、エイリアンと戦うリプリーや、ゾンビと戦うアリスを思い出す。地底人と戦うサラは、この偉大な女性たちに近づこうとしているように感じる。一番すがすがしいのは、サラが「またこんな地獄に連れてきやがったのかよ!」と愚痴ったりせずに、すぐに前向きに脱出しようと考えているところです。強い女たちは最初から強いわけではない。シリーズを通して成長し強くなっていく。ではサラが戦う相手である地底人と何者なのか?彼らはもともと人間であったという噂もあります。真意はパート3以降に判明するでしょう。このモンスターは、エイリアンのような強さは持っていない。しかしゾンビのように数にものを言わせて攻めてくる。対抗策は声を出さないこと。サラのライバルであるジュノが、声を出したらぶっ殺すぞクソジジイという怖い顔をして保安官を脅したときや、彼女が左手を挙げる仕草はカッコよすぎる。一生あなたについていきます!と叫びそうになりました。女が強いって素晴らしい。ラストは明らかに続編を意識した終わり方になっている。おそらくサラは死んでいない。ジュノのように、さらにベテになって、地底人を殺しまくっていることでしょう。一番気の毒なのはむしろ地底人たちかもしれません。地底に借り暮らしのサラに対して、早く出て行ってくれ!と思っているかもしれません。血まみれの顔で絶叫するサラの顔は、明らかに地底人よりも恐かったです。 
[DVD(字幕)] 8点(2011-09-04 12:51:30)(笑:1票)
11.  キック・アス 《ネタバレ》 
ヒットガール。彼女はすばらしいロリコン女だった。彼女が主役だ。なるほど製作者は、ターゲットの客層を、マニアック層に絞ったわけだ。よだれが出るほどの魅力的な暴力描写。そして弱き男のマゾ心をくすぶる未成熟な少女のバトルシーン。焦点を絞ったこの2点はじつにうまい。それにしても腑に落ちないのは、これはカッコイイ暴力なのだろうか?私は最近、ネットカフェに数年ぶりに行って、マンガを見ていたら、首が切り落とされたり、血がびゅんびゅん飛び散る漫画がいやに増えたなぁと実感したよ。おそらく残虐シーンのなかでもカッコイイ惨殺シーンと、ダサい惨殺シーンがあるのだろう。しかし私はそんなことは知らないし、知りたくもない。だからこの映画のように「センスの良い暴力シーン」や、「人の殺しかたがクールじゃん」という話にはあまり興味がなかった。ただ1つこの映画をみて勉強したことは、これじゃ、捨て猫を惨殺したり、口ではとても言えない残酷なことをするサイコヤロウも増えるはずだと思ったことだ。世の中は刺激を求めている。「キックアス」から得られた感想はそれに尽きる。ヒーロー映画という建前のもとで、弱い生き物を切り刻んで、めちゃくちゃにしたいという一部の人間の、抑えがたい欲望を満たした素晴らしい映画であった。この映画はヒットガール、ロリ、ヒットガール、ロリ。この1点を執拗に追及している。製作者の一貫としたマーケット戦略と、そのすがすがしさを私は高く評価したい。現代の人間の心は荒んでいるのだ。そのニーズに監督は見事に応えたのだ。映画とはこのように「客層」をあらかじめ設定して作るべきである。残念なのは、私は、つくり手が意図する観客ではなかったということだ。その点に関しては私は、かえって恐縮してしまう。生まれてきてごめんさない、よろしく、まちがって映画を見てごめんさなさい、と言っておこう。ロリ女が、血を吹き飛ばしながら人を惨殺するシーンを見て、カッコイイ!楽しい!と狂喜できる人間になれなかった。こんな私がこの映画を観てしまったのは間違いであった。
[DVD(字幕)] 0点(2011-08-27 21:46:43)(良:3票)
12.  つぐない 《ネタバレ》 
贖罪とは「善行を積み、自分の犯した罪を償うこと」だという。果たして彼女は、罪滅ぼしの目的で小説を書いたのか?そうではなく、「彼女は病気になり、自分の罪を忘れてしまうことを恐れた。だから小説を書き、自分が病気で忘れても、みんなに自分の罪を永遠に覚えてもらおうとおもった」という意見もありますが、つまり、罪滅ぼしではなく、罪を刻むための小説だったと─。分かる気がする。彼女は最初から赦しなど期待していなかったと思う。これは特定の1人の女性の罪を描いた物語ではなく、我々を含めた人間のあるべき姿を描いていた物語だとおもう。この物語の本質は、自覚した罪は赦してもらうものではなく、その罪は背負って生きていくべきという思想が前提にある。すなわち宗教的なメッセージが込められていた。従って「小説なんてつぐないになっていない」だとか反対に「つぐなった」という見方は、限りなくピント外れだと考える。妹が罪(十字架)を最後まで背負い続けるには、記憶を失う前に、あの小説を完成させる必要があった。彼女の優しさは、罪を自覚した人特有の、弱者に対する共感なのである。一番心が痛かったのは、彼女はキーラ姉さんの愛したバカ男を、自分も愛していたこと。彼女の愛し方は限りなく不器用だった。自殺に近い。池に飛び込むという愚かな行為で表現してしまった。「命の恩人です」という言葉が痛々しい。そのせいで愛するバカ男を怒らせてしまった。彼女の人生はウソではじまり、そして最後には、死んだ2人を、小説の中で救うというウソで幕を閉じることになる。映像の美しさがかえって理不尽に感じてしまうくらいに、ひたすら切なかった・・。
[DVD(字幕)] 9点(2011-03-27 23:37:27)(良:3票)
13.  インセプション 《ネタバレ》 
心地良いほど意味不明でかえって感動した。つまり「キック」とは、夢世界ではその対象者が受動的な立場にあるから必要となるわけだ。ありがとうと言って監督にキックを食らわせたい気持ちだ。ただし、意味が分からなくてもこの作品はフィーリングで楽しめてしまう。まずディカプリオが集めたチームは知的でカッコイイ。しかもイケメンだ。チームの要になる建築士は、もちろん一級建築士ではなくて、夢建築士のことだ。あの才気溢れる女優エレンペイジが夢を設計する!もうこのアイデアだけでワクワクしてくる。空から道路が落ちてくるようなシーンはやはり圧巻だ。こういう頭の良さそうな連中が、キックの連鎖における上階層でのキックの定義およびその虚無に関する現階層での扱いについて、意味のワカラナイことをほざいていても、つい知的なルックスにのまれて、説得力があることを言っているように聞こえてくる。見終えたあとも、キック、虚無、3階層、キック、虚無、3階層!とそんな言葉をぶつぶつ言ってる自分がいる。不思議なことに意味が分からないのになぜかすべてワカッタ気になってしまう。でも私は本当に理解したのだろうか?それとも私は本当にこの映画を観たのだろうか?まだ映画館の中で眠っているのはないか?もしかして今レビューを書いているつもりでいるけど、現実にかえったらもう一度レビューを書かなくてはいけないのではないだろうか。そうだとイヤだな・・。せっかくの力作レビューなのに(わらう)とりあえず、ディカプリオがインセプションされているだとか、いやそうじゃないワタベネの夢物語だとか、いろいろな解釈があるだろうが、じつは観客がインセプションさせられていたと考えるのが一番しっくりくる。さあみんなで叫ぼう。キック!虚無!三階層!これは面白い。こんな斬新な娯楽映画久しぶりにみた。 
[DVD(字幕)] 9点(2011-01-03 19:40:13)
14.  バイオハザードIV アフターライフ 《ネタバレ》 
今では世界的なゾンビ映画になったバイオハザード。そんなメジャーゾンビ映画に、ついに待望の日本人ゾンビが誕生した。中島美嘉は栄誉ある日本代表ゾンビである。雨に濡れた中島ゾンビは思わず噛まれたくなるほど美しい。それと私はTVゲームをしない。だから主人公が何を目指して、誰と戦っているのかあまりよく分からない。まずグラサン男が誰か分からない。彼は悪の親玉なのか?それからアリスに一撃でノサれた記憶喪失の女の子がいきなり強くなって、斧魔人をぶっ飛ばしたときも驚いた。どうやら彼女もゲームの中では有名人らしい。だがもちろん私はゲームの原作などまったく興味が無い。そんなことはどうでもいい、私はひたすらアリスが暴れまわっているだけで満足なのだ。シュワちゃん映画や沈黙シリーズのおじさんのように、主人公が無敵の強さで戦うのがこのシリーズの最大の魅力だと思っている。しかも絶世の美女が、汚くて臭い化け物になったバカ男たちを蹴り倒したり、ぶん殴ったり、ボコボコにするのだ。これほど痛快なことはない。刑務所の屋上でのシーンは実に印象的であった。仲間と一緒に逃げだすかと思ったら、1人だけで踵をかえして、津波のように押し寄せるゾンビの大軍に突っ込んでいくアリス。さらに刑務所の屋上からロープみたいなものをつかって地上に飛び降りるアリス。このターザンプレイは必見だ。そのあとは海を真っ二つに割って渡ったモーゼのように、ゾンビの海を分断し駆け抜けるアリス。ゾンビに噛まれそうで噛まれずに走るあの緊張感のなかでみせるアリスの神々しいまでの表情、額から流れる一筋の汗が素晴らしい。そしてお得意の二丁拳銃を見境なくぶっ放すアリス。ゾンビどころか仲間まで撃ち殺す気かよ。最後は間一髪の巨人の星ばりのスライディングでセーフ。全然弱くなっていないぞ、これだ、これが観たかったんだ、映画史上もっともクレイジーで強いヒロインだ、とにかくカッコいい、アリス、サンキューフォーエバー。 
[映画館(吹替)] 8点(2010-10-27 22:02:23)(笑:1票) (良:2票)
15.  ラブリーボーン 《ネタバレ》 
ピータージャクソンの映像美は満足できるレベルです。本作品の舞台である「あの世」とは現世と天国の境目。つまり少女は三途の川を渡ろうかどうかってところで行ったり来たりしている。こういう不思議な空間をこの監督に与えたらとんでもない映像を作り出せる才能がある。「乙女の祈り」で少女たちが空想で作り上げた第3の世界しかり。「キングコング」のドクロ島しかり。「ロードオブザリング」の魔法の世界しかり。見所は家族愛でもなければサスペンスもない、彼の作り出すイマジネーションあふれる世界観なのです。少女ばかり殺している殺人犯の死に方について。あれはないと思いました。犯人に己の罪に対する罰を自覚させることなく死なせるなんて。これは悔しかった。だけど監督は犯人の罪と罰には興味がなかったのでしょう。彼は無念にも殺されてしまった少女たちを、自分のつくる物語の中で幸せにしたかった、ただそれだけの自己満足のためにこの映画を作ろうと決意した。私はそう信じます。世の中は男女平等と言いながら腐りきった男社会だ。動物界と同じようにしょせん力の強い男が、非力な女性や子供を虐げている。痴漢、レイプ、DV、幼女監禁、いいですか?法律が一度でも女性たちを救ってくれたことがありますか?この世に神などいるはずがない。しかし映画監督は自分のつくる作品のなかでいつだって神になれる。あのラストシーン。犯人が死んだことによって、「あの世」の女性たちはみんな笑顔になる。監督は現実では救えなかった弱者たちを物語のなかで救ったのである。じゃあこれからみんなでそろって天国でも行きましょか。女性たちのそんな会話が聞こえてきそうだ。厳しい弱肉強食の現実とは大きくかけ離れた物語。しかしある意味でこれこそ究極のファンタジー。 
[DVD(字幕)] 7点(2010-08-13 19:20:44)(良:1票)
16.  ペネロピ 《ネタバレ》 
この作品の奥深い所は、ペネロピのことを「ひきこもり」のメタファーに見立てて、彼女が社会復帰するまでを描いた物語になっているところです。親が子供を守ろうとするのは、本能でもありますが、自己満足でもあります。ペネロピの両親はその典型です。見所は何といっても、ペネロピが生まれてはじめて家を飛び出して、そこで彼女の目を通して見せられる外界の美しさです。夜の街にシャボン玉が乱舞しているあのシーンは信じられないくらいに綺麗でした。映像は常に外の世界をはじめて見た少女の視点を通し、スクリーンに映し出される。お見事。家を飛び出したペネロペを両親が追いかける理由は、娘を他人に見られるのが恥ずかしいという思いもある。世間体を非常に気にしている親でした。自分の子供に同情するふりをして、我が子を恥ずかしがる親はやはり存在します。それを強調するために、本作品ではあえて主人公を豚鼻にし、親を大金持ちにしたのでしょう。ひきもり問題は、親が子供を無意識のうちに否定することから始まる。親は欠陥を持ったできの悪い子供(ペネロピのような)を守ろうとするのですが「どうせお前にはムリだ。お前は欠陥者だ。お前には助けが必要だ」と、そういう態度をとり続けます。そしてそれを親の役目だと思い込んでしまう。1つだけ真実があるとすれば、たとえ家族であっても、自分以外の人間を救うことなどできないということです。世の中には豚鼻じゃなくても、様々な欠陥を持っているせいで苛められたり差別されて、内に閉じこもる人は多い。大切なことは欠陥を持った自分を隠そうとするのではなく、あるがままの自分を受け入れることなんだと。自分を救えるのはやはり自分しかいないのです。このおとぎ話にはそんなヒューマニズムなメッセージが込められていたように感じました。 
[DVD(字幕)] 8点(2010-04-26 20:53:27)(良:1票)
17.  ターミネーター4 《ネタバレ》 
この作品をターミネーターと認めたくない気持ちです。なぜならばターミネーターが出てこないからです。ではターミネーターとは何でしょうか?オリンピックマラソンで野口を追い詰めたヌデレバ選手が、なにゆえにターミネーターのような人だと畏敬の念をこめて日本人から賞賛されたかワカリマスカ??それはしぶとくて、タフで、敵を執拗に追いかけたからです。あのグラサンも脅威だったことは否定しません。その名前はすでに「しぶとい」の代名詞になっている。だから私はあえて言いたい。この作品にターミネーターは出てきましたか?いるはずもない。断じていないのだ。シュワちゃんの裸踊りでお茶を濁し、普通のアクション映画に成り下がったものに、ターミネーターという伝説のタイトルをくっつければ、シリーズ最新作として上映して良いものなのだろうか?真のファンならば恐らく悔し涙がボロボロ流れてくるはずだ。私にはまるで中国に出回っているレベルの高い偽物腕時計のような、そんな精巧な偽映画に思えてならないのです。偽物ならば、偽物らしく、タイトルをダミーネーターに改名してもらいたい。自分を人間だと思い込んでいる悲しいロボット。えぇ、たしかに泣けます。しんみりしてしまいましたよ。だけど私を落ち込ませてどうする?アクションの王道を突き進んできた本作品に、ヒューマン性など必要なない。こざかしい人間描写などクソ食らえだ。しかもこの期に及んでまだ続編を作る気らしい。いっそのこと、今度のタイトルは、ターミネーターシーズン5にしてもらいたい。もはやTVと映画の境界線すら見えなくなってきた。この冒涜はいったいいつまで続くのだろうか。 
[DVD(字幕)] 3点(2010-04-16 22:33:10)(良:1票)
18.  スラムドッグ$ミリオネア 《ネタバレ》 
物語は終始一貫してミステリー風に進みますが、全問正解の謎など最初からなかったという挑発的な大どんでん返しに驚きました。スラム育ち全員が雑学王じゃあるまいし、運じゃなくて運命なんですか?宝くじのキャッチコピーみたいですね。ラストに関しては「億万長者にならなくてもいいのに」と思った人が多かったのでは?私たちは生きていく過程で「人生にはお金よりも大切なものがある」というメッセージを植えつけさせられます。分かりますか?監督は人生の普遍的な哲学を逆手にとったのです。つまり不正解になって大金が手に入らなくても、愛する彼女と結ばれて、真の幸せを掴む─。そういうラストを観客に思い描かせようとしていた。このカモフラージュのおかげで私自身、彼が最終問題を正解するかどうか、まったく読めなかった。ラストが予想できなかったからこそ、あの緊張感が生まれたのです。うまい。それから、「国民の生活が第一」とのたまいながら私腹を肥やす小沢一郎のように偽善的な司会者。そのいやらしい演技はクソがつくほど抜群でした。主人公が正解を連発すると観客は狂喜し、笑顔のひきつった司会者は「おまえ、このへんにしておけよ」とささやく。負け組みのおまえが勝ち組の中に入ってくるなよ、という意味です。スポットライトに照らされた華やかなテレビ番組と対比して映し出されるウンコまみれのガキと小汚いスラム街。2つの世界がめまぐるしく交錯する映像は一流の芸術作品に価する。彼が全問正解したとき、2つの世界を隔てる壁は瓦解する。大金を手に入れるという事実は表面的な事実に過ぎない。これは脱出の物語。じつはクイズ番組は刑務所のメタファーになっているのです。司会者は牢番。無実の囚人の脱出を阻む存在。だから悪の象徴なのです。現状に閉塞感を抱いている観客は、主人公とヒロインが、貧困という名の刑務所から脱出する様子を固唾を飲んで見守っている。自分自身がうまくいかない現状から抜け出したいからです。そして彼らの痛快な脱出劇の成功に、己の姿を投影させ、爽快感を爆発させる。ラストシーンの駅内で踊り狂う2人。彼らが脱出したことを証明するかのようにゆっくりと列車が動き出す。おみごと。 
[DVD(字幕)] 9点(2010-02-23 20:17:39)(良:1票)
19.  ツォツィ 《ネタバレ》 
人間性について考えさせられました。私は真面目な経理マンだし、ゴールド免許ももっているし、当然のことながら、殺人も犯罪も無縁に生きてきました。しかしどうしても赤ん坊が生理的に嫌いです。こいつらは気が狂ったように夜中に泣き喚くし、ウンコもしょんべんも垂れ流しだし、かといって、ペットのように外に放置しておいたら警察に逮捕されてしまうし、こんな世話のかかる知能指数の低い動物のどこがかわいいのだろうかと、つくづく思ってしまう。そんな私は霞ヶ関の官僚のように血が通っていない冷血人間なのでしょうか?反対に強盗も殺人も平気で行なうツォツイは、赤ん坊によって心が癒されていく。彼の優しいまなざしを見ていると、この殺人者と私は、どっちが「まともな人間」なのだろうかと考えてしまう。むしろ人間性を喪失しているのは私ではないだろうか?自問自答せずにはいられなかった。もし仮に私が末期がんになって、その上会社をリストラされたらたちまち虚無主義に陥って醜い本性を晒すでしょう。だから私は私のために性悪説を信じることにしている。人間なんてしょせん善人の皮をかぶった悪党だと叫びたい。常に綺羅を飾って生きてきた私の内面は限りなくどす黒い。しかしこの映画は私の内面の考えとは根本的に逆だ。どんな悪党でも根は善人であると臆面もなく、旗幟鮮明に宣言している。こういうとき、私はあえて反論はしない。素直に感動して涙を流せる人間だからだ。ツォツイが赤ん坊と接してやさしい心を取り戻したのと同様に、私もやさしい映画に接していると、恥ずかしげもなく、自分が善人に生まれ変わったような気がしてくる。エンディングは2種類あるという。殺人をおかした主人公が死ぬパターンと、死なないパターン。前者のラストを採用したら、南アフリカ社会における底辺の悲惨な現状を伝える映画になるし、後者だったら、人は再生することができるというメッセージになる。善人が悪人にチェンジすること、悪人が善人にチェンジすること。それはとてつもなく難しいことではなく、ほんのささいなきっかけで実現する。罪に対する罰の是非はともかく、そんな事実を改めて実感することができる良質なヒューマンドラマでした。 
[DVD(字幕)] 9点(2009-09-15 20:57:07)
20.  ネバーランド 《ネタバレ》 
みなさんは映像がうつくしいといいますが、映像の技術はさほど大したことがありません。美しいのではなく、美しく見えたのだと思います。反対にどんな最新のCG技術を使っても美しく見えないものもあります。この作品はなにをさしおいても、ネバーランドを目の前に見せるまでのプロセスが非常にうまかった。それによって観客の感性が最大限まで高められ、ネバーランドがこの世のものとは思えないくらいに美しくみえた。夕日を見る時だって同じです。美しいと感じる人と感じない人がいます。私たちは何かをみるとき、実際の光景に、想像力という絵の具を塗りつけて観ているのです。もしネバーランドが美しくみえた観客がいたならば、それは映像の勝利ではありません。観客の想像力の勝利です。
[DVD(字幕)] 8点(2009-08-18 18:29:29)(良:1票)
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