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せんべいさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 115
性別 男性
自己紹介  2014年12月に投稿を始めてから8年が過ぎました。

 「映画評論家になれるのでは?!」と思える素晴らしい言葉を綴られる先輩レビュアーさん達に憧れつつも、私には、あのような文章を書けそうもありません。私の場合、少年時代に気に入り、DVDなどで観直しても好きであり続けている映画を中心に、まだピュアだった(?)少年時代の気持ちや、当時の状況を思い出しながら書きたいと思います。大人になってから観た映画も少しずつ追加しています。

 レビューの文面は長くなりがちですが…最後まで私の拙文を読んで下さる皆様に感謝申し上げます。

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1.  続・光る眼/宇宙空間の恐怖 《ネタバレ》 
 今から約4年前の2018年3月31日(土)の深夜(厳密には4月1日(日)の早朝)、たまたま放送していたリメイク版(1995年)を(途中から)観たのを機に「まず1作目(1960年)を観てから、あらためてリメイク版を観てみよう」と決意。このたび、ようやく1作目とこの続編がカップリングされたDVDをレンタル店から取り寄せて鑑賞。  なお「続編とはいっても、設定の一部(眼が光るなど)を転用しているだけで、全く別の物語」ということは、以前読んだSF雑誌で知っていました。さて、観た結果は…   日本未公開ですが、その理由は、当時の日本の状況と映画の内容に由来するものではないか…と思いました。  当時の日本は、まだ戦後から20年に満たず、人々の多く(私の両親も含め)は「もう二度と、戦争に巻き込まれたくない。子ども達を戦争に巻き込みたくない」といった願いを、生々しく、切に抱いていた時代です。  それに対し当作品は【優秀な子ども達を、他国より優位に立つための殺戮兵器を開発する道具として無理やり連れて行こうとする。『他国に奪われるぐらいなら殺してしまおう』という思惑もひしめき合う】【結局、子ども達は全員、軍隊によって命を奪われる】という物語です。  そのため、日本の配給会社の人々から「子ども達の扱いがあまりにも、むごすぎる」といった声があがったのではないか…と推察しています。   以下、あらためて内容に言及します。  主人公の男の子は、母親から「あんたなんて、産んだ時に殺しておけばよかった」と罵声を浴びせられ、お偉方からは上記のように【戦争の道具】として扱われます。しかも、理解者であったはずの遺伝学者でさえ、人間とは異なる種(という疑い)がかかった途端に「彼らに支配されるぐらいなら、今のうちに抹殺すべきだ」と態度を急変させ…というように、結局、子ども達の味方はごく少数でした。  おそらく産まれたときから異端者として冷たい視線を浴びせられ続けてきたであろう子ども達の眼差しはよどんでおり、深い悲しみをたたえている印象を受けました。  そして、ラストは…本当にちっぽけで些細なアクシデントによって、それまでの緊張の糸が切れて軍隊による戦闘が勃発してしまい、上官が慌てて中止の指令を出しても現場の暴走は止まらず、全てが台無しになってしまう…つなぎ合った手だけが瓦礫から露わになった子ども達の亡骸は「信じ合おう・助け合おう」と手を取り合って努力しながらも無残に命を奪われてしまう市井の人々の無念さをも象徴しているように私は感じました。また、アクシデントのきっかけになったマイナスドライバーのアップに対しては【人間のコントロールの及ばない、本当につまらない偶然で、取り返しのつかないことになりうる】といったことを連想しました。   このようなわけで、1作目とは全く趣が異なる印象を受け「この映画って、当時の冷戦や核兵器による全面戦争の危機を風刺したものなのでは…」と、大変、重苦しいものが残りました。  後で副音声のコメンタリーを聞いたところ、当作品の脚本を手掛けたジョン・ブライリー氏が解説しており「冷戦についての寓話として考えた」という趣旨で語っておられました。   ただし、1作目と共通しているところもあります。全体が淡々としていて【グチャグチャ・ドロドロと形容されるようなグロテスクな映像】が無いという点です。そのため、人によっては1作目と同様「これのどこがホラーなの?」といった感想を抱いたとしても不思議ではないかな…と思われます。   もっとも上記のように、作り手さん達は【寓話・風刺劇】として製作したわけですから、少なくとも私には十分、心に響くものがありました。  個人的には、鑑賞したタイミングが、このご時世だけに、絵空事とは割りきれず「冷戦は過去のものになったとはいえ、現在の国際情勢を踏まえると、テーマは古びておらず、むしろ危機感は強まっているのではないか…」「全面戦争とはいかないまでも、些細なアクシデントや行き違いによって戦闘が始まってしまい、なかなか停戦や休戦にならないケースが、現在でも少なからず存在するのではないか。報道されていないだけで…」といったことが、頭を巡りました。   さて、採点ですが…現在の心境では【風刺映画】として10点にしたいところですが、①メッセージ性が強い作品のため、観る人によって好き嫌いがハッキリ分かれそうなこと、②ラストが強烈とはいえ、全体としての出来は佳作レベルと思われること、という2つの点を減じ、1作目と同様、8点とさせていただきます。   *1作目である【未知空間の恐怖/光る眼:1960年】は、別途、レビューを投稿しています。
[DVD(字幕)] 8点(2022-06-19 17:47:50)
2.  未知空間の恐怖 光る眼 《ネタバレ》 
 当作品については、少年時代に読んだSF雑誌で、存在だけは知っていました。そして今から約4年前の深夜、たまたまTVをつけたら放送していたのがリメイク版(1995年)。リメイクされたことも知らず、かつ、途中から観たので中途半端さも否めず、「オリジナル版を観てから、あらためてリメイク版を観てみよう」と思ったのですが…当時、このオリジナル版はレンタル店で取り寄せ不能で、市販もされていませんでした(廃盤と確認)。  幸い、最近になって取り寄せ再開を知り、レンタルして鑑賞した次第です。さて、結果は…   イギリスの小さな村が舞台ですが、学者夫婦が住んでいて、その妻の兄は軍人という設定。ちょっと都合が良すぎる気もしましたが、この設定のおかけで【村の緊急事態に、即座に軍が調査を開始する/夫であるゴードン博士は、ロンドンでの有識者会議に参加し、科学的な論議をする】というように、ローカルな中にもグローバルな視野で物語が展開するのは上手いな、と思いました。   原題は『Village of the Damned = 呪われた村】ですが、邦題を『光る眼』にしたのは正解ですね。何といっても【光る眼でジーッと相手を見つめ、ジワジワと操る場面】が印象的です。しかも大袈裟でなく淡々と…この場面に限らず、作品全体が淡々としており【グチャグチャ・ドロドロと形容されるようなグロテスクな映像/血が飛び散る映像】は皆無です。こうした場面が苦手な私には観やすかったですし、【知的な面に訴える怖さ・不気味さ】とでもいうような効果を生みだしていると思います。  もちろん、この特徴により、人によっては「これのどこがホラーなの?」といった感想を抱いたとしても不思議ではないかもしれません。しかし【生理面に訴える怖さ・気持ち悪さ】が全てではなく、様々な表現があっていいのでは…と思っています。また【日常に、理解不能な現象が生じるという設定のSF作品】の場合、少なからず“不安・怯え・不気味”といった要素が含まれてくるのではないでしょうか。そのため、むしろ、ホラーという言葉を脇に置いて鑑賞したほうが、当作品の魅力が伝わりやすくなるかも…と思ったりしております。   なお、公開当時、【村に忍び寄る脅威】は【冷戦下での○○主義】を示唆していたようですが、これに限定しなくても、各人で様々な事象に重ねて観ることが可能では…と思われます。  私の場合、彼らは宇宙から飛来した“それ自体では生命体として機能できない何か”であって、地球人の細胞(卵子)に入り込む必要があった…要はウィルスに近いニュアンスを感じたのです。ウィルスと異なるのは【細胞内で増殖する】のではなく【一個体として成熟し、生殖する必要がある】という点ですが…それでもラストシーンを観ると【肉体を失って、再び、“何か”だけが宇宙へ…】という印象を受けました。  以上は、現在の世相に重ねた私の(こじつけがましい)観方に過ぎませんが…いずれにせよ、劇中で子ども達が何者だったのか、明らかにされなかったわけですから、時代を越えて様々な解釈・想像を膨らませる幅の広さがあるのでは…と私は考えます。   因みに、デイビッドをはじめとする子ども達は、終始、無表情かと思ったら…映画の開始49分後の【授業の場面】で、ゴードン博士に対し「質問したいんでしょ?」と、皆で悪戯っぽく微笑みます。その言葉を受け、博士が核心?をついた質問すると、一同、困ったような表情でうつむきます。こうした表情は、その後の展開に活かされてはいませんが「あの子たちは、博士には親しみを持っていたようだし…何かしら住み分けるなどして笑顔で締め括れなかったのかな…」と一抹の寂しさを感じたりもしました。   最後に、これは余談ですが…子ども達が幼児の段階で、その能力(知能が高いだけでなく、一人が覚えたことを、他の子ども達も共有できる)を検証する場面があります。そのときに使われる東洋のカラクリ箱は、【神奈川県・箱根の特産物である寄木細工の秘密箱】に似ている印象を受けました。そのため「ひょっとして海外向けに輸出された箱が、巡り巡ってイギリス映画の小道具に?」と想像し、妙に親近感がわきました。本筋とは関係ない感想ですけどね…。   さて、採点ですが…トータルな出来は佳作レベルかもしれませんが【日常に忍び寄る脅威を、淡々と描写したSF映画の古典】として相応しい作品だと思います。当サイトの採点基準である【見た後、率直に面白かったぁ…って言える作品】として8点を献上します。   *リメイク版【光る眼:1995年】は、別途、レビューを投稿しています。
[DVD(字幕)] 8点(2022-06-19 17:43:53)
3.  予期せぬ出来事 《ネタバレ》 
 空港を舞台に、様々な人々の人間模様が交錯する【グランドホテル形式の映画】。私は某映画館のリバイバル上映で観ました。しかも日本初公開当時のパンフレットも復刻しており、サラサラッと目を通した上での鑑賞。  その復刻パンフレットを読んで興味深かったのは【解説文】です。主演二人の紹介の後、製作者のアナトール・デ・グランウォルド氏の名前が挙げられており「私はかねがね【グランドホテル】のような映画を作りたいと考え、夢が叶った」という趣旨の文面が掲載されていました。また、映画解説者・淀川長治氏の評論もあり、その中で「脚本を担当したテレンス・ラティガンは、女優どうしがぶつかりあわないよう配慮した」という趣旨の文面が載っていました。  このように、当作品は「一流の役者を集め、衣装担当は、それぞれの女優さんにユーべル・ド・ジンバシイやピエール・カルダンといった一流のデザイナーを集め…後は、脚本は無難なものに。監督さんも卒なく現場を仕切って完成させてほしい…」とでもいうような【製作者主導】の映画と言えるのではないか…という印象を受けました。実際、鑑賞してみて「無難にまとまったお話だな。監督が自分の作家性を発揮すべく創りあげた作品とは、これほど違うとは…」とある種“勉強”した思いが残りました。  そして、今回、当サイトのレビューを拝読し、↓の【Oliasさん】がおっしゃっている『登場人物と役者を揃えた時点で、制作側が目的を達してしまった』は、まさに“言い得て妙”だと思いました。   このように【時代を越えて愛される名作】とは言えないものの…もし現在でも観る上でプラスの意味合いがあるとしたら…これはあくまで個人的な思いですが…【大空港:1970年】の鑑賞とセットになったときだと思います。【大空港】は、当作品と同様【空港を舞台にしたグランドホテル形式の映画】のはずなのですが、後続作品との兼ね合いで【パニック映画の先駆け・元祖】と誤解される場合が多いようです。DVDの宣伝文句もこの誤解を助長している印象を受けます。パニック映画として観た場合、人間模様は“パニックまでの単なる前置き”としか映らず「いつになったら、飛行機が飛び立って本題に入るのか…」とヤキモキが募りかねません。少なくとも私の場合はそうでした。  一方、まず【予期せぬ出来事】を観て「空港を舞台にしたグランドホテル形式の映画とは、こういうものなんだ」と認識した上で【大空港】を鑑賞すると【人間模様に加え、ラストにパニック要素を盛り込むことで娯楽色を高めた作品】としてスムーズに観ることが出来るのでは…と思うのです。   さて、採点ですが…これ自体では無難な作品という意味で“可も無く不可も無く”の5点だと思うのですが…【大空港を誤解なく観る上で役立つ】という意味合いをプラスし6点とします。製作者のアナトール・デ・グランウォルド氏からは「大空港の前座じゃない!無難につくるのだって大変なんだぞ!」と叱られてしまうかもしれませんが…。  *備考:【大空港:1970年】については、別途、レビューを投稿しております
[映画館(字幕)] 6点(2020-05-30 17:01:21)(良:1票)
4.  ダーククリスタル 《ネタバレ》 
 ↓【リン】さんの投稿を機に、観たい観たいと思いつつ、約半年経ってようやくDVDをレンタルして鑑賞できました。   まず、初観賞時の感想から。  当作品の存在を知ったのは高校生のとき。ちょうど【スタートレックⅡカーンの逆襲:1982年】を映画館へ観に行ったときです。上映前に当作品の予告編が流れました。トレバー・ジョーンズのファンタジックな音楽と共に映し出された映像の数々は、それまでの円谷作品やハリーハウゼン作品とは異なるもので、食い入るように見つめたものです。後日、ロードショー公開されたとき、すぐ映画館に足を運んだのは言うまでもありません。  敢えて予備知識を仕入れずに観たのですが「何だか主人公達を軸にしたストーリー展開がサラサラッとしているな…」と感じました。しかし全編、架空のキャラクターだけで繰り広げられる世界には魅了されましたし、特にラストは興味深く、私はTVシリーズ・スタートレック(1966~69年)の第1シーズン第5話「二人のカークThe Enemy Within」を思い出しました。*若い世代の人達は、ドラゴンボールの神さまとピッコロ大魔王の関係を想起するかもしれません。  なお、当時は「驚異のロボットロニクスを駆使した」と宣伝していました。観終わった後にパンフレットや資料を読むと、要は、セサミストリートのスタッフさん達によるリアルなマペットであり、そのプロトタイプが【スターウォーズ帝国の逆襲:1980年】に登場したヨーダだと知りました。そしてヨーダの実現に向けてヘンソン&オズとの架け橋になったのが、【帝国の逆襲】のプロデューサーだったゲイリー・カーツであることも。  資料を読んだ後の感想は「ロボットロニクスと言わず“セサミストリートのスタッフがスターウォーズのヨーダの技術を活かし、リアルなファンタジーに挑んだ意欲作!”と宣伝したほうがわかりやすかったのではないか。ただ、日本では、人形劇を映画館まで観に行く人達は少ないかもしれないな。仮に観に来たとしても“両親や一族を殺された主人公達が世界の運命を変えるために”というシリアスな物語では、セサミストリートの延長上の物語を期待した人達は戸惑ってしまうかも…」と、複雑な心境になったものでした。   次に、今回の再見について。特典映像の制作秘話も含めて鑑賞できたことが、有意義でした。  製作の発端の【原型】がスケクシス族だけあって、造形や演出の細やかさの比重がスケクシス族に占められていることを再認識できました。そして、それが初観賞時の「主人公達を軸にしたストーリー展開がサラサラッとしている」という印象につながっていたのだろうな…と納得しました。また、スケクシス族達のペチャクチャした口調・喋り方や、汚く食い散らかす食事のシーンに対しては、クッキーモンスターの食べっぷりなどセサミストリートの演出をあらためて連想しました。  その他、現在の自由自在に動き回るCGの映像を観慣れたためでしょうか、当作品のキャラクター達の動きの特徴(制約も含む)には【人形劇らしさ】が散見していると感じました。そのため、現在では、この【人形劇らしさ】を好意的に捉えられるかどうかで、当作品への評価も分かれるかな…とも思います。もっとも、ラストシーンの主人公二人の瑞々しい表情は、人形かどうかがの意識が吹き飛ぶほどの素晴らしいものだと思います。  一方、特典映像を観てショックだったのは…ジム・ヘンソン氏は、当作品を発表した数年後にお亡くなりになっていたんですね。フランク・オズ氏が、スターウォーズシリーズのヨーダ役で健在だったため、ヘンソン氏も活躍しているとばかり思っていたからです。今回の再見で「ジム・ヘンソン氏のお人柄と情熱が、スタッフ一人一人のクリエイティブなエネルギーを育み、結実した結晶こそが当作品なんだ。この作品の魅力・輝きは、ラストシーンのクリスタルのように永遠に失われることはないだろう」と実感しただけに、あらためてご冥福をお祈りいたします。   さて、採点ですが…まず、鑑賞環境は【映画館】とします。そして同時期に観た【スタートレックⅡカーンの逆襲:1982年】に対し、私は当サイトで9点をつけました。それよりも好きな作品(トレッキーの皆さんゴメンナサイ…)なので、必然的に点数はアップし、大甘かもしれませんが10点を献上させていただきます。ストーリーを追う以上に、その背景にある【手作り】の情熱を感じていただける方々に、特典映像と共に、是非、ご覧いただきたい作品です。きっと、クリエイティブなインスピレーションを得ることが出来ると思います。
[映画館(字幕)] 10点(2018-10-18 21:52:30)
5.  針の眼 《ネタバレ》 
 【レイダース・失われたアーク(聖櫃):1981年】が10/28(土)に地上波放送されたのを機に、同年、【レイダース~】と共に日本公開された映画ということで投稿します。   私が当作品を知ったのは、中学生のとき、ラジオ番組「夜のスクリーンミュージック」を通じてです。【現在公開中の作品の音楽】として、エンディング曲や愛のテーマが紹介され、進行役の関光夫さんが「久しぶりに映画音楽らしい音楽を聞いたと思ったのは私だけでしょうか」という趣旨の言葉を添えておられました。私は曲の印象から「格調高い純愛映画」と思い、映画雑誌で調べると…「刺殺シーンは生々しく、ベッドシーンもあり…」とわかり、中学生が映画館へ足を運ぶには時期尚早と判断して観るのは断念しました。  ようやく観られたのは、数年後、テレビ朝日の日曜洋画劇場で放送されたときです。その何か月か前に、マーカンド監督が49歳の若さで亡くなられたという記事を目にしていたので、追悼の意味もあるのかも…と思いました。実際に観ると、前半と後半の展開がガラリと変わる映画が好きな私は、すっかりはまりました。特に上記の経緯により、ミクロス・ローザのBGMが本領を発揮する後半に味わい深さを感じました。なお、BGMは、ラジオで聞いた曲よりもテンポが速めでサラサラッとしており違和感がありましたが、映画の雰囲気にはマッチしていたと思います。   *後年、サウンドトラック盤CD(輸入盤)を購入し、ラジオで聞いた曲は、レコード用に別録音したものだと確認しました。厚みのある聴きごたえのあるオーケストレーションで、まさに昔懐かしの映画音楽だと思いました。ただし当作品が公開されて30余年、若いレビュアーさん達にとっては【レイダース~】の音楽こそ懐かしいかもしれません。   さて、テレビ放送を観た後、ビデオレンタルなどで繰返し観るたびに(今回もレビューを書くために再見)、味わい深さが増しています。そして今回、皆さんのレビューを拝見して、自分は↓の【にじばぶ】さんのおっしゃる【人情劇】として当作品を観ていたんだな…とあらためて気づかされました。私は【ストーム島でのフェイバーとルーシーの会話】をもとに、二人の心情を推察しながら観ているのですが、それを【人情劇】のあらすじのように記載すると、以下のようになるかな…と思います。  「自分の果たせなかった夢を押し付ける親に育てられ、愛の無い孤独な子供時代を送ったドイツ人のヘンリー・フェイバーは、第二次大戦下、スパイとして敵地イギリスでも孤独な戦いに身を投じていた。家主である非戦闘員のご婦人でさえ、自分の素性を知って興奮し説得が困難とわかるや、任務遂行のためとはいえ、刺殺せざるを得ない非情な世界。身近に団結する仲間もいない孤立した感情…。そんな中、ストーム島で出会ったルーシーが、幼い息子・ジョーに無償の愛を注ぐ様子を見て、フェイバーは自分が求めていた親子愛を見出したのかもしれない。そして『耐えてきた数年間が無駄と思いたくないから頑張る』というルーシーの健気な話を聞き、親子愛への羨望は彼女への愛おしさへと変わり…漂着直後で身も心も弱っていたことも相俟って、抑えていた感情が一気に沸き上がった。その後、正体がばれても、ルーシーとジョーには『自分が生きられなかった愛のある人生を送ってほしい』と願い、殺せなかった。一方、ルーシーは、途中から自分の夫を殺めたと知って恐怖を感じたし、スパイということで見逃すわけにもいかず、思わず銃を手にフェイバーの後を追ったが…フェイバーの右足を撃ち抜いて我に返り、自分を愛おしんでくれた彼に、できれば足を止めてほしいと切望しながら、泣く泣く引き金を引くのだった」  …と、まあ、こんな感じでしょうか。これは私の一解釈にすぎませんが、前半と後半の違いを整合するのに役立っています。   一方、不満もあります。①ストーリー上、仕方ないのかもしれませんが、冒頭で登場した若者ビリーが、前半で退場してしまうのが物足り無いです。②ジョーとお風呂場で遊ぶ場面や、ラブシーンで、ルーシーの胸をあからさまに映す演出をしなくてもいいのでは?と思います。興行上の都合による客寄せのためでしょうか?この演出で客層を狭めてしまっていると思います。   さて、採点ですが…上記の二つの不満に対して各1点を減じ8点とさせていただきますが…他のレビュアーさん達もおっしゃっている通り派手さはないものの、堅実な作風のイギリス映画らしい力作だと思います。そして、今は亡きリチャード・マーカンド監督の代表作だとも思っています。マーカンド監督を【スターウォーズ・ジェダイの帰還:1983年】でしか知らない方々には、できれば観てもらえたらな…と思います。【人情劇】として…
[ビデオ(字幕)] 8点(2017-11-01 21:43:25)
6.  タイタンの戦い(2010) 《ネタバレ》 
 1981年版について「公開当時、自分は中学生。往年のハリーハウゼン作品を見続けてきた人達からの評判は良くなかったが、自分がギリシャ神話で一番好きなペルセウスの冒険の映画化であり…」と、当レビューで10点をつけた者として、この2010年版を観るのも義務だろうと思い、今更ながら鑑賞。以下、3つに項目立ててお伝えします。  まず一つ目。2009年頃に「タイタンの戦いのリメイクの製作が進行中」という話を知ったときのことです。私は「ああ、やっぱり…」と思いました。何故なら、上述の通り1981年版は公開当時の評判は必ずしも良くはなく「ハリーハウゼンも老いたり。かつてのハリーハウゼンなら、あのシーンはもっと○○だったろうに…」といった声があったからです。したがって「ハリーハウゼン作品でリメイクするなら、どの作品か」というリサーチをすれば、タイタンの戦いがトップだろうと思ったのです。そのため「アルゴ探検隊の大冒険(1963年)のリメイク企画が持ち上がったのが発端」という↓の【ザ・チャンバラさん】のお話は興味深かったです。でもハリーハウゼンの最高傑作として名高い【アルゴ…】をリメイクしなくて正解だったと思います。 大抵、最高傑作・不朽の名作と呼ばれる作品のリメイクは、往年のファンからの眼差しが厳しくなりがちですので…。  さて、二つ目は、鑑賞しての率直な感想です。「ルイ・レテリエ監督なりに1981年版を尊重しながら新たな脚色に情熱を注いでいるな…」と思いました。文面が膨大になるので怪物に絞って明記すると、その筆頭に挙げられるのは、やはりメデューサでしょう。1981年版と同様に下半身がヘビで弓矢を持った姿で登場しましたし「1981年版はおどろおどろしい演出で、一人しか石にしなかった。自分はお得意のスピーディーな演出で、もっとたくさんの兵士を石にするぞ!」といった監督の熱い思いが伝わってきました。1981年版のオリジナルキャラクター・カリボスの登場にも感心しましたが…それなら黄金の梟のブーボーも活躍させてほしかったですし、二つ首の番犬ディオスキロスも登場させてほしかったかな…と、少々不満はあります。しかしクラーケンでは、とてつもない巨大感と力強さ、そして苦しみながらジワジワと石化する過程が見事に表現されていたと思います。ただし、CGに慣れ親しんでいる若い人達には【普通】なんだろうな…とも思いました。  最後の三つ目は【ペルセウスの冒険の映画化】という観点からの違和感です。ただでさえ1981年版は“劇映画”の体裁に沿って神話を脚色・再構成していたのに、当作品はさらに脚色を重ねたため、一般に知られている【ギリシャ神話・星座物語】のペルセウスの冒険から、一層、かけ離れたと思います。もし私が中学時代に当作品を観たら「こんなのペルセウスの冒険ではない!」と激怒したでしょう。もっとも、ルイ・レテリエ監督はあくまで【映画のリメイク】をしたのでしょうから、違和感は的外れかもしれません。また1981年版のベースになった神話エピソード(メデューサは美女だったが、女神によって怪物に変えられた/ペルセウスはペガサスに乗ってアンドロメダ姫のもとを訪れ、メデューサの首で、化けクジラを石にした)は、原典に最も近いと言われている【アポロドーロス著のギリシア神話:岩波文庫】には記載されていません。つまり、これらのエピソードは【後世の脚色】だとわかります。その意味で当作品も【後世の脚色】になると思います。いずれ映画の脚色ということが忘れられ、当作品のストーリーが【ギリシャ神話・星座物語】の本に掲載される時代が来る…かもしれません。   さて採点ですが…CGのVFXがポピュラーな現在では、もはや【普通の映画】という印象はぬぐえず、まずは可もなく不可もなくの5点だと思います。一方、養父を演じたピート・ポスルスウェイト氏は、個人的に好きな俳優さんでした。惜しくも当作品公開の1年後・2011年に亡くなられており、哀悼の意を表してプラス1点=計6点とさせていただきます。なお、続編のタイタンの逆襲(2012年)は、ギリシャ神話のエッセンスは盛り込まれているのでしょうが、ペルセウスの冒険とは異なるオリジナルストーリーのようなので、鑑賞は控えさせていただきます。   平成29(2017)年9月18日(月)追記:当初の採点箇所の文面が、くどいと感じたので短く修正しました。ところで、当作品のペルセウスの心情を察すれば、生き返らせてほしかったのはイオだけだく、共に戦った仲間、そして何よりも、養父母と妹だったのではないか…と思います。そうしてくれていれば、もう少し高得点をつけていたかもしれません。
[DVD(字幕)] 6点(2017-08-21 21:22:30)
7.  ガリバーの大冒険 《ネタバレ》 
 押入れの整理をしていたら、10年ほど前に録画したビデオテープを見つけたため、あらためて再見してみました。感想は10年前と殆ど変わりませんが、当時、我が家にはインターネットが無く、当サイトに投稿出来なかったので、この機会に明記します。   当作品は、シンバッド七回目の航海(1958年)における【小人化したパリサ姫】で披露した特殊撮影を、ハリーハウゼン氏がふんだんに導入し【ガリバーと小人族/ガリバーと巨人族】をワンフレーム内に違和感なくおさめることに成功していると思います。特撮と台詞を交えた各カットのつながりも大変スムーズで編集の緻密さにも感心させられます。【自由に切り貼りや、やり直しが可能なCG】とは異なり、当時の技術は【フィルムが現像されるまで意図通りに仕上がっているかわからない】というものだったことや、かつ、必ずしも恵まれた予算の作品ではなかった点を考えれば、驚異的だと思います。おそらく、現代のCGに慣れてしまっている若いレビュアーさん達がご覧になると、特段、驚きは無いかもしれませんが、考えようによっては、驚きが無いほど自然に表現されていることが“驚き”かもしれません。余談ながら、主なロケ地は上述のシンバッド七回目の航海と同じだったようで、似たような(否、そっくりかも…)海岸・林・岩場が出てくるのも興味深かったです。  また、単に特殊技術だけが売りではなく、原作の【風刺作品】としての持ち味もしっかりと表現されていると思います。【恋人・エリザベスとの交流】という映画独自の脚色により、舞台が小人族の世界から巨人族の世界へと話が進むにつれて原作と異なってきます。しかし全体を通じて【権力者の身勝手さや自己保身/戦争の本質/一般の人々にとっての幸せとは何か】といったエッセンスは、十分、伝わってきました。基本的にはファミリー層向けの映画であり、巨人族の少女・グラムダルクリッチぐらいの年齢のお子さん(10~12歳ぐらいでしょうか?)と親御さんが一緒に観るとちょうどいいのかな…と思いました。おそらく、イギリスでの公開当時は、観終わった後に、上述のエッセンスについて語り合った親子が多かったのでは…と想像したりしています。  なお、難点を挙げるなら①【ハリーハウゼン作品=モデルアニメのモンスターがたくさん出てくる作品】というイメージとは異なり、モデルアニメのキャラクターは巨人族の場面でわずかに【リス/ワニ】が登場するだけです。しかし、日本の円谷作品だって全てが怪獣主体というわけではないので、こういうのもありかな…と思います。また②小人や巨人は普通の速さの動きで撮られており、スローモーションで巨大感を表現するといったことはしていません。バーナード・ハーマン作曲のBGMが、小人らしさ・巨人らしさを巧みに表現していると思ったので映像と音楽との間にちょっと違和感がありましたが…当人達は「普通の人間」と思っているわけですし、だからこそ、やりとりの中の【風刺】が際立っていると言えるかもしれません。  さて、採点ですが…私にとっては【ハリーハウゼン作品】の範疇を越え【優れた風刺映画の古典】として印象に残っている作品です。当時、日本未公開だったのは残念ですし、展開が単調と言えば単調ですが、敢えて10点をつけさせていただきます。ガリバー旅行記を単なる童話と思っている人達が、原作を読もうというきっかけにもなり得たら嬉しいです。
[ビデオ(字幕)] 10点(2017-08-12 21:49:55)
8.  アルゴ探険隊の大冒険 《ネタバレ》 
 レイ・ハリーハウゼン氏も「最高」と自負しておられる傑作として名高い作品。私が当作品を最初に観たのは中学生の頃・TV放映時でした。最後の骸骨兵士達とのチャンバラシーンには大感激しましたが、当時は残念ながら、ハーピーのシーンからの観賞でした。3年後に某名画座であらためて鑑賞し、その後もDVDやTV放映で何度も観ていますが…私には3つほど、どうしても【引っかかる・残念】と思ってしまう面があります。私にとっては【最高傑作】という前提での「この面をもう少し工夫すれば、もっと面白くなるのに」という意味合いのものです。ただし「そうであったとしても、当作品を絶賛する方々が読んだら嫌な気持ちになるだろうな…」と思い、これまで投稿を控えてきました。しかし、ハリーハウゼン作品の中で、当作品だけを除外し続けるのもいかがなものか…と考え直し、思いきってお伝えします。  【引っかかる・残念な面】の一つ目は、劇映画としての【伏線】の扱いが上手くないな…と感じてしまうことです。「乗組員には、力だけでなく頭も必要だ」と語るハイラスは、通常なら、後半の盛り上げに貢献するキャラクターのはずです。それなのに、タロスのシーンで亡くなってしまい、ヘラクレスが船を降りる理由づけの役割でしかありません。そして【ヘラによる5つの助言】も、このタロスが登場するブロンズ島のシーン(上映開始後約50分=映画の中盤まで)の間に使いきってしまいます。「劇映画としての体裁をとる以上、これってどうなの?」と腑に落ちなかったのですが…考え直してみると、私が幼い頃から慣れ親しんできた【ペルセウスの冒険】の映画化であるタイタンの戦い(1981年)の当レビューには、私ならスルーしてしまう要素について「内容が腑に落ちない/感情移入できない」といった趣旨のご意見を幾つか拝読しました。それと同様、アルゴにおける私にとって腑に落ちない面も、この冒険談に慣れ親しんでいる方々にとっては、スルーできる類のものなのかな…と思われます。  二つ目は、タロスの後半シーンを物足りなく感じてしまうことです。全体を通じ、巨大な金属像が動く雰囲気は抜群で、当時の日本の着ぐるみ特撮は勿論、現在のCGでも決して表現できないものだと思います。踵の栓を抜かれて倒される結末は事前に知っていたのですが、そこに至る過程が寂しいです。巨体が災いして?巨大な剣も小さな人間達には届かないなど手をこまねいている間に抜かれてしまうような印象を受けます。犠牲者は上述のハイラス1名で、しかもタロスの力によるものではなく事故です。失礼を承知で例えるなら【ウドの大木】のように感じてしまいます。ただ、上述の通り、最初のTV放映でタロスのシーンを見損ねてしまい、某名画座で観るまでの間に期待が膨らみ過ぎたからかもしれません。また、タロスが猛威を振るってしまったら、探険隊の冒険もここでピリオドを打っていたでしょうし…。  三つ目は、【吠える岩】の通過後から【ヒュドラ登場】までの約20分間が、私には退屈なことです。特に【船上でのアクション】は、狭い足場での撮影・演出で大変だったと思うものの、私には見せ場としての魅力が今一つです。因みに、このアクションシーンはTV放映枠ではカットされるのが常ですが、仕方ないかな…と思います。ただ、大なり小なり、ハリーハウゼン作品のドラマ部分は【特撮シーンまでのつなぎ】という面は否めず「最高傑作と言われているのに…」という意味で、私の眼差しが辛口になっているだけかもしれません。  さて、採点ですが…以上のようなことから【全面賛成派】になれないでいるものの、当作品が醸し出すパワーの前では些細なものだとも思っています。ハリーハウゼン氏が開拓したファンタジー・神話作品の最高峰であり、脂が乗りきっていた全盛期の作品であることに間違いないでしょう。視覚的なスケールの大きさといい、特撮場面の一つ一つが【絵】になっていると思います。その【絵】を引き立てるバーナード・ハーマンの重厚で生き生きとした音楽も素晴らしく、個人的には【オープニング/タロス/吠える岩】のBGMが特に好きです。シンドバッド7回目の航海(1958年)と並ぶファンタジー映画の古典として、10点を献上させていただきます。
[映画館(字幕)] 10点(2016-09-08 21:31:53)(良:1票)
9.  スーパーマンIII/電子の要塞 《ネタバレ》 
リチャード・ドナー監督の降板により、2作目の途中から参加したリチャード・レスター監督が、満を持して最初からつくった作品。私は当時、映画館で観ましたが、観る前から嫌な予感はしていました。何故なら、レスター監督は、あたかも「この世に英雄は存在しない。たまたま運よくそうなっただけであって、普通の人間に過ぎない。だから、通常の活劇のカタルシスについては、“そんなに上手くいきっこないだろ”というように、徹底的に茶化してやる」とでも言わんばかりの演出をすることがあると知っていたからです。三銃士(1973年)が、その典型だと思います。  実際に観て予感は的中しました。主人公は、どちらかというとコメディアンのリチャード・プライアーが演じるガス・ゴーマンになっていました。興行サイドが大々的に宣伝していたスーパーコンピューターとの戦いも「とりあえず挿入しましたよ」とでもいうような、あっさりしたものになっていました。私は「ああ、やっぱり」と思いましたが…あまりにも1・2作目と作風が違っていたため、それまで【スターウォーズ派とスーパーマン派】に二分されるほどの人気を博していた当シリーズへの世間の熱狂は、急激に冷めていったのを、今でも覚えています。  ただし、個人的には感心する描写もありました。それは、クラーク・ケントについてです。それまで、クラークは「スーパーマンの仮の姿」という位置づけになっていました。しかし当作品では「クラーク・ケントという人格がベースにあり、その正義感を前面に出したのがスーパーマンなのだ」といった描き方をしていました。当作品の真のクライマックスは、クラーク・ケントとスーパーマンとの戦いの場面だと思います。  さて、採点ですが…非常にレスター監督らしい作品だとは思いますが、人によって好き嫌いがはっきり分かれると思います。現在なら「1・2作目が構築した世界観を基にした番外編/スピンオフ作品」として歓迎されるかもしれませんが、その意味では早すぎた作品と言えるかもしれません。映画館でタイムリーに観た当時のインパクトだと3点ですが、スピンオフ作品と考えるなら7点ということで…
[映画館(字幕)] 7点(2015-11-28 20:22:10)
10.  スーパーマン(1978) 《ネタバレ》 
 この作品が日本で公開されたとき、私は中学生でした。「ヒーローものだが、幼児向けではなく、正統派の娯楽大作の風格を備えている」という前評判通り、大変見応えがありました。まず、少年時代の抒情的な田舎町の場面は「アメリカの人々にとって郷愁をそそられるのではないか」と、中学生なりに感じ入ったものです。そして遂にスーパーマンとして空を飛び、ロイス・レーンの救出をはじめ、泥棒を捕まえ、子猫をも救うたびに、映画館内は好意的な笑いに包まれました(後に知りましたが、劇場によっては、活躍のたびに敬意を込めた拍手が沸き上がったそうです)。私を含め当時の観客の多くが、当作品の真っすぐな作風と、主人公の真っすぐなキャラクターに、共感を抱いたからこその笑いであり、拍手だったのではないか…と思われます。  当作品が歓迎されたのには、当時の世相が反映されていたと思います。あの時代は、米ソの冷戦、そして泥沼化したベトナム戦争(1975年に終戦)などを背景に「どんなに頑張っても、我々に明るい未来はない」とでも言わんばかりの厭世的な雰囲気の作品が映画界でも支配的でした。【考えさせられる映画】と言えば聞こえはいいものの【重たく暗く悲しい気持ちになる作品】ばかりで、私を含め、当時の観客は「もう、うんざり」していたように思われます。そんな中、スターウォーズ(1977年)と共に、当作品も追随するように大ヒットしました。それは、当時「子供じみている」と敬遠されていた、往年のハリウッド映画のワクワクさせる理屈抜きの面白さを復活させたからに他ならないと思われます。数年後、日本でも両作品はTVで吹替え版が放送され、一時期は【スターウォーズ派とスーパーマン派】に二分されるほどの人気を博しました。両作品とも、根底に流れる面白さが共通していたからではないか…と思います。  さて、当時から問題視されていたのは、他のレビュアーさん達もおっしゃる通り、ロイス・レーンを生き返らせるために、地球の自転を反転させ時間を巻き戻すシーンです。私は個人的に「育ての親・ジョナサンを救えなかった後悔と悲しみを背景に“二度と愛する人を失いたくない”という爆発的な感情によって起きた奇跡」と考え、違和感はありませんでした。むしろ巻き戻った後、本当ならロイスの車は地割れに遭遇するはずなのに、そうはならず、エンディングへと向かうことに違和感を持ちました。一応「巻き戻したことで、少し事実が変わったんだろう」と割切ることにしましたが…。  さて、採点ですが…、バットマン(1989年)以来、「ヒーローものは、ダークな面も描かなければならない」とでもいうようなお約束?が浸透しています。しかし1970年代の厭世的でダークな「うんざり感」を打破したスターウォーズとスーパーマンを機に、予定調和の娯楽大作が次々と製作されるなど映画が多様化したからこそのバットマンだと思います。その歴史的な意義を踏まえ、さらに、今は亡きクリストファー・リーブへの敬意を込め、10点を献上します。
[映画館(字幕)] 10点(2015-11-28 20:11:50)(良:3票)
11.  SF巨大生物の島 《ネタバレ》 
 この映画との出会いは、私がまだ幼かった頃、親戚の人達が家に集まっているときにTV放映されているのを観たのが最初です。叔父達は「面白いよ」と言ってくれましたが、ウルトラ怪獣に熱中していた自分にとっては「本物のカニ・鳥・蜂を合成しているだけじゃな…スーパーヒーローも出ないし…」と引き込まれることはありませんでした。そして、とうとう【巨大蜂が、登場人物のいる巣穴にフタをしてしまう】という場面で、眠ってしまいました。  その後、ハリーハウゼン作品だとわかり「あれが人形のコマ撮りだったとは!」と驚き、いつか、もう一度、観たいと思い続けました。  大人になり、レンタルビデオでようやく再見しました。コマ撮りの素晴らしさは勿論ですが、バーナード・ハーマンの音楽にも感心しました。低音のきいた迫力あるテーマ曲に始まり、巨大カニの場面は力強く、巨大鳥の場面はコミカルに、巨大蜂の場面は弦で羽音を表現し…とバラエティーに富んでいると思いました。内容的にも、60年代から70年代に多く作られたこの手の【秘境冒険もの】としては、良く出来ているんじゃないかなと思いました。主要登場人物が誰も死なないことにも安心したのですが、それならいっそ、ネモ船長だって死なせなくても良かったのでは?と思ったりしました。そうした小さな不満は若干ありましたが、全体としては見応えがあり、幼い頃の記憶と気持ち良くつながって「観て良かった」と思いました。  さて、採点ですが…一般的には【男の子向けのファミリー冒険映画の佳作】であって、6~7点といったところでしょうか。ただ、私の場合、幼い頃に本物と思ったコマ撮り特撮のインパクトを加えて8点を献上させていただきます。
[ビデオ(字幕)] 8点(2015-09-20 18:13:18)
12.  恐竜100万年 《ネタバレ》 
 私が4~5歳の頃、親戚の方が買ってくれた怪獣の本に、この映画の写真(ケラトサウルスとトリケラトプスが対峙している場面)が掲載されていました。幼かった私には本物にしか見えず「これってどういうこと?恐竜は生きているの?どうやって撮ったの?」と衝撃を受けたものでした。そのため、小学生になりTV放映で、実際に動いている場面を観たときの感激はひとしおでした。しかもTV放映では、人間関係や状況を説明するナレーションが入っており、わかりやすく最後まで観ることが出来ました。  ただし、小学生である私でも「人類が地球に現れたとき、恐竜はもう絶滅していたはずだから、本当はあり得ない話なんだよな…」ということは感じました。その後、歳を重ねるにつれ「過酷な原始時代を生き抜いた人々のドラマを、英語を喋らせずに表現するというのは、作り手としては挑戦し甲斐がある分野かもしれない。しかしそれだけではお客を呼べないので、ハリーハウゼンによる恐竜の場面を挿入したのだろうか?」と思ったりもしました。もちろん、この映画自体が、紀元前100万年(1940年)のリメイクであり、しかも、監督のドン・チャフィとハリーハウゼンは、アルゴ探検隊の大冒険(1963年)で既に懇意だったので、私の考えは思い過ごしかもしれませんが…。また“客寄せ”という意味では、女優・ラクエル・ウェルチの存在も大きかったんだろうな…と思います。  なお、DVDには、もし可能なら、TV放映時に準じたナレーションを副音声につけてもらえると、初めて観る人でもわかりやすいのでは?と思いますが、難しいのでしょうね…  さて、採点ですが、恐竜の場面だけを取り上げるなら大変素晴らしく10点にしたいところです。しかしドラマ部分は、人によって感情移入できる人と、できない人の差が大きそうな気がします。その点を差し引き、劇映画としてのトータルさという意味で考え、7点…いや、大甘で8点とさせていただきます。
[地上波(吹替)] 8点(2015-09-20 18:08:28)
13.  コレクター(1965) 《ネタバレ》 
 私が高校生の頃、日曜洋画劇場で放映され、解説の淀川長治さんが絶賛していたのを覚えています。当時の主人公の吹き替えは、沢田研二さんが担っていました。その後は、ビデオ(字幕)で観て現在に至ります。  実は、この「コレクター」について、私は3つのバージョンにふれました。一つ目は当映画、二つ目は舞台劇(現在も舞台を中心に活躍中の、日本人の某実力派俳優さんが演じていました)、三つ目が原作小説です。  原作小説は、主人公と女子画学生の日誌が交互に紹介される形で展開します。画学生の日誌は、一応、恋愛要素を加えているので女性的な面はありますが、基本的には、当時のイギリスの社会批評のような内容になっています。クライマックスも映画とは異なっています。  一方、映画と舞台劇は、クライマックスを含めた内容や構成がよく似ていました。果たして、【小説を舞台劇にしたものを、ワイラー監督が映画化したのか】、【映画を基に舞台劇にしたのか】は、私にはわかりませんが…。  さて、私にとって、この類の映画としては、唯一、観ることのできる作品です。ワイラー監督は、それまでの作品同様、一定の礼節を備えた心理劇に仕上げ、テレンス・スタンプとサマンサ・エッガーの演技を見事に引き出していると思います。モーリス・ジャールによる、管楽器を主体にした音楽も独特のもので、あまりサスペンスタッチでないこと(と私は感じましたが、サスペンスらしい音楽だと思ったレビュアーの皆さん、スイマセン…)も、私には観やすい一因かもしれません。  ただ、この映画を観た当時「このようなことは、現実にはあり得ない」と考え、【特殊な状況下での二人芝居】として割り切りっていたからこそ、観ることが出来ていました。昨今の世相では、非常に現実味を帯びてしまっており、複雑な気持ちになります…。  さて、採点ですが、ワイラー監督の晩年の傑作として10点を献上します。
[ビデオ(字幕)] 10点(2015-08-23 22:26:45)
14.  シンドバッド虎の目大冒険 《ネタバレ》 
この作品は、コマ撮りのキャラクター達との「戦い」よりも「人間との共演・交流・協力」を重視しているようです。ヒヒになったカシム王子と一角の原始人が、その象徴ではないかと思います。その意味で、かつての猿人ジョー・ヤング(1949年)に通じるものを感じました。それだけにミナトンは、魔女達との情緒的な交流が一切ないだけでなく、こき使われただけでお払い箱にされてしまい、皆さん同様「そりゃあ、ないんじゃないの?!」と寂しく思いました。このようなわけで「コマ撮りのキャラクター=人間の敵=戦い」という図式に飽きた人にはお勧めかもしれませんが…見る人をかなり限定してしまうことは否めないと思います。 なお、個人的には一角の原始人には生き残ってほしかったです。「もしも…」がありうるなら【カシム王子が無事に戴冠式を終えたちょうどその頃、原始人は、サーベルタイガーの毛皮で暖を取り、ミナトンの槍を使って上手に狩りをして、雪の大地でも無事に逞しく生きていきましたとさ。めでたし、めでたし…】とホノボノとしたエピローグを想像したりしています。  さて採点についてですが、ハリーハウゼンのシンバッドシリーズ三部作のうち「7回目の航海」を10点と考え、3番目の出来かな、と思うので8点にしましたが…一般的な評価から見るとかなり甘めであることをお伝えしておきます。
[DVD(字幕)] 8点(2014-12-12 22:28:30)
15.  シンドバッド黄金の航海 《ネタバレ》 
この作品は、私が「タイタンの戦い」をロードショー公開で見た2年後に、某名画座で見ました。率直に思ったのは「タイタンの戦い」が大作を意識しすぎてか、英国演劇調の台詞回しなど、演出がやや硬くて重い印象だったのに対し、この作品は冒頭から良い意味で無邪気な冒険活劇を目指しているんだな!ということでした。魔法を使うたびに老いてしまう(特に船首像を動かしたときが顕著)悪役クーラのキャラクターも、コマ撮りに伴うハリーハウゼン氏自身の疲労感から生まれたアイディアではないか?と想像したりもしました。また、音楽担当のミクロス・ローザ氏は、ベン・ハー(1959年)の音楽も担当したことがあり、そのガレー船の場面で流れるBGMと、悪役クーラのテーマ曲が似ているのも個人的には面白く感じました。さらに、小学校低学年の頃、興福寺の阿修羅像の写真を見て「これを特撮で見られたらな…」と思っていた願いを、カーリー像が見事に叶えてくれました!。そのカーリーを、ぐうたらなハロウンが倒すという展開にも「ストーリーを工夫しているな」と思いました。何故なら、アルゴ探検隊の大冒険(1963年)を見たとき、活躍しそうな登場人物が前半であっけなく亡くなってしまい「ハリーハウゼン映画では、人間のキャラクターは、なおざりなのだろうか…」と寂しく思っていたからです。 このように色々と感心しただけに、ケンタウルスにさらわれたヒロインの救出劇をもっとスリリングにしたり、クーラの忠実な部下・アクメッドのその後をきちんと描くなど、クライマックスに向けた詰めに、もうひと押しがほしかったな…という物足りなさが残りました。なお、以前に発売・レンタルしていたビデオ収録版に比べ、DVD版は映像・音質共に鮮明ですね。上記の物足りなさを差し引いて採点は9点を献上しますが、これからも鮮明なまま、多くの人に愛されてほしい作品です。 
[DVD(字幕)] 9点(2014-12-12 22:25:56)
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