Menu
 > レビュワー
 > 鉄腕麗人 さんの口コミ一覧
鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2594
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
【製作国 : ベルギー 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順1
投稿日付順1
変更日付順1
>> カレンダー表示
>> 通常表示
1.  クライシス(2021)
“オーバードーズ(Overdose)”というキーワードで伝えられる薬物中毒に関する事故や事件に対して、遠い国の生活環境や価値観が異なる人たちの中で起こることだと、認識が浅い自分のような者にとっては、本作が描き出そうと試みた「危機感」を正しく理解するために、時間と知識が必要だったと思う。  アメリカの現代社会の中で蔓延する合成鎮痛剤にまつわる犯罪や陰謀、実害を3人の異なる環境の主要登場人物の視点から紡ぎ出すストーリーテリングは、かつてスティーヴン・ソダーバーグ監督が描いた「トラフィック」と酷似していた。 「トラフィック」は、取り扱われる題材がコカインの密輸ルートであり、ある意味分かりやすい麻薬犯罪とそれに伴う暴力や悲劇が描きされるので、危機感の実態も認識しやすく、映画としても娯楽性を高めやすかったと思う。  だが、本作で題材とされる合成鎮痛剤オピオイドは、あくまでも合法の薬剤であり、その問題の実態を理解していない無知な者には、ストーリーに張り込みづらかったことは否めない。 事実に対する無知は、鑑賞者側の責任が大きいと痛感する一方で、同時に本作のストーリーテリング自体も、決して上手くは無かったと思う。  本作の一番大きな弱点は、3つのストーリーラインが、最終的に上手く絡み合ってこないことだろう。 前述の「トラフィック」には、国境や生活環境を超えた全く異なる数々の人生がまさに“交錯”することに、ストーリ展開の面白さがあった。 しかし、本作の3つのストーリーラインは、ラストの顛末において、部分的に重なり合う部分もあるが、そこに物語としての必然性やロジックがなく、強引な印象を受けた。 ゲイリー・オールドマン演じる大学教授のストーリーラインについては、結局絡むこともなく、他の2つのラインとは題材自体が微妙に異なっているようにも感じてしまった。  主要キャラを演じたゲイリー・オールドマン、アーミー・ハマー、エヴァンジェリン・リリーは、それぞれ熱演していただけに、ストーリー的な充足感に欠ける帰着は残念だった。(エヴァンジェリン・リリーって何の映画に出てた人だっけと思いつつ鑑賞を終えて、“ワスプ”か!と後で気づいた) みんな大好きミシェル・ロドリゲスの出演や、ジョニー・デップの娘リリー=ローズ・デップが麻薬中毒者役を印象的に演じていることなど、出演陣のトピックは豊富だったので、もっと脇役を含めたキャラクターたちの顛末をしっかり描いて群像劇としての見応えを深めてほしかったとも思う。   映画作品としての仕上がりには難点があるが、本作が描くテーマ自体は、自分自身をはじめ無知な者にとっては事程左様に重要なものだったとは思う。 違法薬物ではない麻薬問題だからこそ、この映画が伝える危機感は、より身近なものとして着実に私たちの生活に忍び寄っている。いや、もはや蔓延していると認識すべき事象なのかもしれない。
[インターネット(字幕)] 6点(2023-01-15 00:12:26)
2.  9人の翻訳家 囚われたベストセラー 《ネタバレ》 
久しぶりに、「良いミステリーサスペンス映画を観た」という充足感に包まれた。 マクガフィンとして物語の中心に存在するベストセラー小説の「デダリュス」というタイトルが最後まで覚えられなかったけれど…。  世界的大ベストセラーの最新作の多言語化に際し、世界各国から9人の翻訳家が秘密裏に集められる。 その翻訳家たちを人里離れた洋館の地下室に隔離して、徹底した情報管理体制のもとで翻訳作業を行わせるというプロットはなるほど映画的だなと思ったが、なんとこれは実際に行われた手法だというから驚く。ダン・ブラウンの「ダ・ヴィンチ・コード」シリーズ最新作「インフェルノ」の出版の際に、同様のスタイルで翻訳作業が行われたらしい。  そんな事実に着想を得て練り上げられた脚本が、ずばり見事だったと思う。 慢性的なネタ不足で、世界的に小説や漫画の映画化が溢れる昨今において、この脚本のオリジナル性は価値が高い。 フランスの低予算映画で、それほど有名なキャストも揃っていないので(知っていたのはボンドガールを演じたオルガ・キュリレンコくらい)、最後まで登場人物たちに対する“焦点”が定まりきらなかったことも、サスペンス映画として効果的に機能していたと思う。  プロットの必然性により、国籍の異なる9人が集まり、彼らが織りなす言語と思考が入り混じることで、ストーリーの推進力と、巧妙な“ミスリード”を生み出していた。作中、アガサ・クリスティーの「オリエント急行の殺人」を引き合いに出したことも、巧い誤誘導だった。  もう少し、9人の外国人が群像劇を展開することによる現代的な視点や問題意識を盛り込めていれば、もっと映画作品として深みが出ていたような気もするので、その点はまたリメイク等にも期待したい。 ストーリーの顛末を知ってしまった今となっては、逆に各国出身のハリウッドスターを揃えたオールスターキャスト版も観てみたい。  ともあれ、サスペンス映画を観て純粋に“驚く”という機会も中々少なくなっているので、それを得られた時点で本作の価値は揺るがない。
[インターネット(字幕)] 8点(2022-09-19 23:34:00)
3.  エル ELLE
あまりにセンセーショナルなオープニングが、この映画のすべてを物語り、そこから始まるさらなる衝撃を暗示している。  白昼、自宅にてレイプ被害に遭った主人公ミシェルは、只々冷静に、荒らされた室内を片付け、風呂に入り、“寿司”の出前をとる。 そして平然と、来訪予定だった息子を笑顔で招き入れる。 冒頭から観客は、「?」に埋め尽くされる。(“ホリデー巻”って何なんだ?)  劇薬的なストーリーが進むにつれ、「?」の数々は消化されるどころか、更に増大し膨らんでいく。 その理解し難いストーリー展開と主人公の言動は、極めて倒錯的に映り、混沌極まる感情の渦に呑み込まれてしまう。 鑑賞直後は、とてもじゃないが整理がつかず、めくるめく感情の一体どれから処理して良いのか分からなかった。 けれど、取り敢えず、この映画において「彼女」が繰り広げる立ち振舞のすべてに参ってしまったことは明らかだった。   タイトル(ELLE=彼女)がダイレクトに指し示す通り、この映画で刻まれたものは、主人公が体現する現代社会における「女性」の在り方そのものだ。 レイプ被害に遭いながらも、努めて冷静に“事後処理”をし、警察に通報することもせず、一人“犯人”を追う主人公の女性の姿は毅然として見える。 しかし、その姿を=「強い女」と捉えることは浅はかだ。 彼女は決して「強い女」ではない。  そもそも「強い女」とは何か。  レイプされ、それが無かったかのように耐え忍ぶ様を「強さ」と呼ぶのなら、それこそあまりにも馬鹿げている。 だがしかし、その馬鹿馬鹿しさと愚かしさに埋め尽くされた価値観が、この社会に我が物顔でのさばっていることこそが「現実」なのだ。 現実社会でのレイプ事件においても、取り調べを行う男性刑事は愚劣な憶測を押し付け、大衆からは好奇と侮蔑の視線が降り注ぎ、被害者を“セカンドレイプ”で貶める。   突然の悲劇により打ちひしがれた主人公ミシェルが、その直後からとった行動のすべては、恥辱と屈辱、自分の存在性を内外から押し潰そうとするあらゆる“攻撃”から自らを守り、一人の女性として存在し続けるために避けられないことだったのだと思う。 彼女が見せる言動と感情のすべては、あまりに理解し難く衝撃的である。 しかし、そうせざるを得ないこの社会の病理性こそが、最も忌むべき恥部だ。   主人公ミシェルを演じたイザベル・ユペールが言わずもがな圧倒的である。 60代に入りながら唯一無二の美貌と女性としての存在感をこの大女優が示してくれたからこそ、この特別な映画は成立している。 数多のハリウッド女優たちがオファーを断ったらしいが、オファーを受けたイザベル・ユペールの勇気こそが、ミシェルというキャラクター造形を創り上げたのだろう。   そして、個人的には、先日観た「ブラックブック」に続き、奇しくも立て続けにポール・ヴァーホーヴェン監督作に打ちのめされた格好だ。 様々な時代、様々な境遇の中で、闘い続ける「女性」の強烈な姿を、偏執的、変態的に描き続けているこの名匠のぶれない「視点」は、時代が彼に追いついたかのように極めて重要な「意識」を観客に植え付ける。 もしこの映画が、一昔前の価値観の前に晒されていたならば、もっと一方的なバッシングに覆い尽くされ、これ程の一般的な評価は得られなかっただろう。  勿論、現状においても批判の声も多いと聞くし、拭い去れない不快感を示す人も多かろう。 しかし、この映画はそんな必然的な賛否両論を恐れず、勇気を持って新しい女性像を描き出すことで、映画表現のネクストステージへの歩みを確実に進めている。  そうして振り返ってみると、この映画の「彼女」とは必ずしも、主人公ミシェルのみを捉えたものではないのではないかということに気づく。 主人公の親友アンナも、老いた母親も、息子の妻も、元夫の恋人も、そして“隣人”の妻も、それぞれが“闇”を孕んだ思惑と感情を秘めひた隠しにしているように見える。  「彼女」たちは、それを馬鹿な男たちのように安易に曝け出し誇示したりはしない。 “闇”すらも武器にして、懐に仕舞い込み、美しく、強かに、この愚かな世界を歩んでいく。
[映画館(字幕)] 9点(2017-09-20 07:59:27)
4.  ブラックブック
第二次世界大戦末期。「戦争」の只中で、人間の善悪の境界を渡り歩く一人の女。 絶望と、虚無と、断末魔を幾重にも折り重ねて辿り着いた彼岸で、彼女は何を思ったのか。  「苦しみに終わりはないの?」  終盤、主人公はそう言い放ち、それまでの人生で最大の絶望に覆い尽くされ、慟哭する。 その後に展開される更なる絶望と残酷のつるべうちが凄まじい。 裏切り、恥辱、怨み、復讐、そして新たな争乱……。 それは、主人公の“クエッション”に対する、監督の取り繕いのない“アンサー”だったように思う。 そう、「苦しみに終わりはない」のだ。  あまりに取り繕いもなければ、救いもない潔いその返答に対して、主人公も、観客も、逆に絶望すら感じていられなくなる。 突き付けられた「人間」と、この「世界」の本質を目の当たりにして、どうしようもなく愚かに感じると同時に、それでも「生きる」ことしか我々に許された術はないということを解し、清々しさすら感じてしまう。  そういうことを、この映画の主人公は、実ははじめから直感的に理解していたからこそ、悲しみと恥辱に塗れながらも、「生きる」というただ一点に集中し、その中で喜びや愛さえも育んでいけたのだと思う。  いやあ、なんて「面白い」映画なのだろう。  現実を礎にした悲惨極まる重厚な物語を、ただ重苦しく描くのではなく、映画という娯楽の真髄を刻みつけている。 時に残酷に、時にエキサイティングに、時に情感的に、時にユーモラスに、圧倒的に「面白い!」映画世界に圧倒される。  ハリウッドから本国オランダに帰り、「本領」を見せつけたポール・ヴァーホーヴェン監督の気概が本当に素晴らしい。  そしてその偏執的な変態監督の演出に応えた俳優たちもみな素晴らしい。 主要キャラクターから端役に至るまで、キャラクターの一人ひとりの存在感が際立っていて、それぞれが“良い表情”を見せる。  その中でも、主演女優カリス・ファン・ハウテンの文字通りに体と心を張った演技は、言葉では言い尽くせない。 家族の血を浴び、反吐を吐き、陰毛を染め、糞尿を浴び、それでも誰よりも美しく、高らかに歌い上げる。 この世界で「生きる」ということはこういうことだという、「真理」を語る映画史上に残る女性像を体現している。  そんな主人公エリスの存在感は、日本のアニメーション映画「この世界の片隅に」の主人公“すず”と重なる。 この二人は、まさに“同じ時代”を生きている。劇中の描写から察するにほぼ同じ年頃ではないだろうか。 残酷な時代と運命に翻弄されつつも、どこか飄々として、芯の強い女性像の類似。 その興味深い類似性は、過酷な時代を一人の女性が「生きる」ということを物語る上で欠かせないファクターの表れなのだろう。   動乱のさなか、時流の変化によって“変色”するかの如く、人間の表裏の表情には善と悪の両色が無様に入り混じる。 誰もが善人にもなれば、悪人にもなれる。 「戦争」は、勿論愚の骨頂であり、“悪”以外の何ものではない。  しかし、いくら綺麗事を並べ立てても、それを繰り返し続ける「人間」自体の本質的な“おぞましさ”から目を背けてはならぬ。 ポール・ヴァーホーヴェンがこの映画に描きつけたものは、まさしくそのすべての人間が背けたくなる「視点」そのものなのだと思った。
[インターネット(字幕)] 10点(2017-09-16 20:06:29)(良:1票)
5.  スーサイド・ショップ
日常生活の中で自殺が“風景”として多発する極めて陰鬱とした社会。そんな中で「自殺用品専門店」を営む家族の物語。 フランス産ならではの陰湿でブラックなユーモアに溢れたアニメーションが印象的。  まず舞台作品の映画化かと思えるくらいに、ミュージカルと舞台的な演出のクオリティーの高さが光った。 きっとこの脚本と演出のまま舞台化しても成功は間違いないと思える。  自殺が蔓延する社会の中で、それを助長する商売を生業とする主人公家族の面々。 映画の序盤、彼らのキャラクター性は、悪魔的に、ある種のファンタジーとして描かれる。 しかし、そこに彼らの存在性を根本から否定する天使のような次男が生まれ、この家族の人間性があらわになる。 悪魔的な陽気さが、実のところ陰鬱とした世の中を生き抜くために彼らが選ばざるを得なかった手段だということが描き出され、このファミリーの悲しさが見えてくる。  映画の中盤、店主と自殺志願者のやりとり。  「この“面倒”にもう耐えられない」 「“面倒”とは?」 「人生さ」  自分はまだ30年余りしか生きていないが、このやりとりは身につまされる。 世界中の誰しもが、その“面倒”と葛藤をし続けていることだろう。 ただそれでも、“生き続ける”こと以上に意味深いことなどないと、この奇妙なアニメ映画は高らかに歌いあげる。 ストーリー展開は稚拙ではあったけれど、語り口そのものには好感が持てた。   店主の名前が「ミシマ」。自殺の方法にやけに“ハラキリ”を推奨し、日本刀を振り回すこのキャラクターのモデルは、完全に三島由紀夫だよな……。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2014-11-15 09:31:12)(良:1票)
6.  ミスター・ノーバディ
土曜日の深夜にこの映画を観た。 映画を観終わり、エンドロールが終わっても、しばし呆然とした。 そして、それほど眠気は無かったが、すぐに眠ることにした。 いつもならば、映画鑑賞をした後はすぐにレビューの文章を綴るのだけれど、この映画の感想を綴るには、とてもじゃないが一日使い古した深夜の思考回路ではおぼつかないと思えた。 それに、一旦眠りに就き、一晩夢見の中でこの映画の余韻に浸りたいと思った。   「死」がなくなった新世界、世界で最後の「死」を迎える老人が118歳の誕生日に自身の人生を顧みる。  あの日、あの時、ああすれば良かった……。という思いは、人生という限られた「時間」を生きゆくすべての人間が思い巡らせることだろう。 自分の人生はただ一つだが、実は同時に「選択」の数だけ無限のパラレルワールドが存在し、それと同じ数だけの人生が存在するということが、あまりに美しいビジュアルの中で表現される。   「選択をしなければ、すべての可能性が残る」 と、人生において最初の「選択」を迫られた少年時代の主人公が語る。  映画は展開し、無限のような広がりを見せた果てに、その少年時代の台詞に帰結する。 死を目前にした老人が“過去の記憶”を辿っていく物語に見えていた映画世界が、その瞬間から、9歳の少年が自らの「選択」による“未来”とそれに伴う“可能性”を辿った物語に転ずる。  それまでに脳内に注ぎ込まれていた膨大で不可思議なイメージが、一瞬で整合した感覚を覚えた。  この映画のすべてを自分自身が正確に把握し理解しているとは思わないが、圧倒的に凄い映画であることは間違いないと思った。 「人間」の営みそのものを宇宙的視野の中で捉え、見事としか言いようがないビジュアルで表現した世界観は、スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」を彷彿とさせる深遠さと崇高さを備えていた。 そして、この映画が表現する「概念」そのものは、手塚治虫の傑作短編集「空気の底」の映像化を見ているようだった。  決して万人に受け入れられる映画ではないだろうし、個々人の精神状態次第で酷く退屈な映画になり得る作品だと思う。 ただ僕は、自分自身が己の人生を通して考え続けているあらゆる要素が溢れているこの映画から目線を外すことが出来なかった。  敢えてもう一度言う。凄い映画だ。人生を通して何度も観たい。
[DVD(字幕)] 10点(2011-11-27 01:37:41)(良:1票)
7.  その男ヴァン・ダム
もはや「落ち目」となって久しいハリウッドのアクションスター、ジャン=クロード・ヴァン・ダム。 スター俳優として下降の一途を辿る自身の境遇を自虐的に描いた映画に、彼自身が主演するという今作の情報を得た時は、興味はかき立てられた反面、「ヴァン・ダムも落ちるところまで落ちてしまったのか……」と昔から彼の映画に親しんだ者として少し寂しく思えた。  しかし、必ずしもそうではなかった。想像以上に良い映画だったと思う。  「自虐的」という言葉はまさにその通り。むしろそんな言葉では足りないくらいに可笑しさを越えた辛辣さがこの映画に溢れていた。 右も左も分からないベルギー人俳優が、文字通り己の体一つでハリウッドの“スター”へとのし上がり、時代の流れとともに忘れ去られていった。それを当の俳優自身が真正面から演じる様には、想像を超えた哀愁が満ちていた。  誰かの言葉か、何かの映画の台詞か忘れたが、「ハリウッドは、人を噛んで吐き捨てる」というような言い回しがあった。まさにそれを地でいくようなヴァン・ダムの人生を、彼自身が独白するような映画だった。  ただし、そこに表れていたのは、落ちぶれたスター俳優の無様さだけではなかったように思う。  ベルギーからハリウッドに渡った時から、無くすものなど端からなく、正真正銘のゼロから歩んだ自らの道に対するアクションスターの意地。 そして、大衆から落ちぶれて見えるのであれば、それすらも自らがパフォーマンスして見せようとする表現者としての意地。 そういう一人の俳優の冷めやらぬ熱情を感じずにはいられなかった。  この映画は、一人のアクションスターのドラマであり、ドキュメンタリーであり、類い稀なエンターテイメントだと思う。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2011-05-18 15:38:03)
8.  キャラクター/孤独な人の肖像
卓越した映像美と演技に裏づけされた秀逸なサスペンスドラマだった。オランダ映画というものは今作しか観たことはないが、こういう秀作に巡り合うと、世界のあちこちに無数に良い映画が存在することを痛感する。まったく世界は広く、映画は果てしない。
7点(2004-01-26 18:22:26)
9.  ノー・マンズ・ランド(2001)
派手な演出を廃したストーリー展開にはいささか退屈な部分もあったが、同時にその淡々とした狂気が妙に生々しくリアルだった。大金をかけた大作戦争映画が氾濫する中、今作は非常に小規模でシンプルであるが相当の説得力があった。ラストシーンの言葉にならない重さは、戦争というものの真理を物語っているようだ。
[ビデオ(字幕)] 6点(2004-01-26 18:09:48)
10.  ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア
物語の超目的が「最期に海を見る」ということなのだが、主人公たちが壮絶な紆余曲折を経てたどり着くラストシーンの海が極めて美しく、感慨深い。ノリとテンポのよい中盤の展開も非常に巧く秀逸であるが、すべてが集約されるラストシーンには「あー、やられた」という感じだった。
9点(2003-12-03 12:52:19)
11.  イル・ポスティーノ
作品中にも詩が出てくるけど、全体的に詩的でとても美しい映画だった。世の中の物事の真の価値や世界の美しさを教えてくれる。撮影直後に亡くなったマッシモ・トロイージの眼差しがとても深く、美しかった。感動を売りにした映画は多々あるけど、この映画は本当に感動の底が深い。
[ビデオ(字幕)] 8点(2003-10-14 14:35:55)(良:1票)
全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS