1. 逆転のトライアングル
とどのつまり、人間社会というものは、「格差」とそれに伴う「階層」を取り払うことなんてできない、ということを本作の終着点における虚無感は物語っている。 現代社会において、全世界的に“格差の是正”が問題提起されていたり、幅広い要素での“ポリティカル・コレクトネス”がともすれば病的なまでに声高に叫ばれている昨今ではあるけれど、果たしてそこに本質的な理解と実行力が伴っているのか。 結局、聞こえの良い言葉を一種のトレンドや、免罪符のように振り回して、個々人の立場を正当化しているだけではないのか。 この映画の痛烈な批評性と、度を超えたブラックユーモアは、そういう現代社会の実態を痛々しく丸裸にしている。 俗世の象徴とも言える豪華客船に乗船した様々な“階層”に人々。彼らの中に、真に中立的で、公正な人間は存在しない。 本作の舞台となる豪華客船や無人島がこの世界の縮図を表している以上、それはすなわちこの世界に中立公正な人間は存在しないということの証明であろう。 したがって、本作を鑑賞したすべての“社会人”は、それぞれの信条や立場において、ものすごく居心地の悪さを感じることだろう。 ヨーロッパの映画(スウェーデン・フランス・イギリス・ドイツ合作)らしく、多様性に富んでいると同時に、ものすごく振り切ったブラックユーモアの連続がときに痛すぎる程に痛快で無慈悲なコメディ映画だった。 船が難破して無人島でのサバイバルが始まらなくとも、人間社会のヒエラルキーなんてものは、時代や価値観の変化によって突如として逆転するものだ。 その逆転が生じたとき、人間は己の中に確実に存在する“闇”を目の当たりにする。 それは、皆等しく業の深い人間には避けられないことなのかもしれない。 映画作品として意欲的すぎるシニカルさを称賛する反面、全体の構成としてはややバランス感に欠けている印象も拭えない。 主人公のカップルのみに焦点を当てたプロローグ的な一章目の描き方や、ヒエラルキーのあらゆる階層が“同乗”する豪華客船上を描いた二章目の作りは興味深かった。が、無人島が舞台となる三章目は、テーマに対する回答と帰着を描いているわりにはやや冗長に感じてしまい、よくあるシチュエーションでもあるので新鮮味が薄れてしまった。 ラストのオチを踏まえると、無人島パートはもっとスマートに、端的な愚かな人間たちの有様を描いてよかったように思う。 他の文化圏でリメイクされたならば、同じストリーテリングであったとしても、また別のどす黒いユーモアが新たな“闇”を浮かび上がらせるだろう。 虚しく、愚かしいことだけれど、それはそれで観てみたいなと、業深い人間に一人として思ってしまう。 [インターネット(字幕)] 7点(2023-08-15 00:29:36) |
2. 9人の翻訳家 囚われたベストセラー
《ネタバレ》 久しぶりに、「良いミステリーサスペンス映画を観た」という充足感に包まれた。 マクガフィンとして物語の中心に存在するベストセラー小説の「デダリュス」というタイトルが最後まで覚えられなかったけれど…。 世界的大ベストセラーの最新作の多言語化に際し、世界各国から9人の翻訳家が秘密裏に集められる。 その翻訳家たちを人里離れた洋館の地下室に隔離して、徹底した情報管理体制のもとで翻訳作業を行わせるというプロットはなるほど映画的だなと思ったが、なんとこれは実際に行われた手法だというから驚く。ダン・ブラウンの「ダ・ヴィンチ・コード」シリーズ最新作「インフェルノ」の出版の際に、同様のスタイルで翻訳作業が行われたらしい。 そんな事実に着想を得て練り上げられた脚本が、ずばり見事だったと思う。 慢性的なネタ不足で、世界的に小説や漫画の映画化が溢れる昨今において、この脚本のオリジナル性は価値が高い。 フランスの低予算映画で、それほど有名なキャストも揃っていないので(知っていたのはボンドガールを演じたオルガ・キュリレンコくらい)、最後まで登場人物たちに対する“焦点”が定まりきらなかったことも、サスペンス映画として効果的に機能していたと思う。 プロットの必然性により、国籍の異なる9人が集まり、彼らが織りなす言語と思考が入り混じることで、ストーリーの推進力と、巧妙な“ミスリード”を生み出していた。作中、アガサ・クリスティーの「オリエント急行の殺人」を引き合いに出したことも、巧い誤誘導だった。 もう少し、9人の外国人が群像劇を展開することによる現代的な視点や問題意識を盛り込めていれば、もっと映画作品として深みが出ていたような気もするので、その点はまたリメイク等にも期待したい。 ストーリーの顛末を知ってしまった今となっては、逆に各国出身のハリウッドスターを揃えたオールスターキャスト版も観てみたい。 ともあれ、サスペンス映画を観て純粋に“驚く”という機会も中々少なくなっているので、それを得られた時点で本作の価値は揺るがない。 [インターネット(字幕)] 8点(2022-09-19 23:34:00) |
3. キャロル(2015)
許されない恋に没入していく二人の女性が、強烈に惹かれ合い、惑い、激しく揺れ動く。 惹かれ合うほどに、喪失と決別を繰り返す二人がついに辿り着く真の「恍惚」。 ラスト、大女優の甘美な微笑は、この映画を彩る悦びも哀しみも、美しさも醜さすらも、その総てを呑み込み、支配するようだった。 エンドロールに画面が切り替わった瞬間、思わず「すごい」と、声が漏れた。 1950年代のNYを舞台にしたあまりにも堂々たる恋愛映画だった。 パトリシア・ハイスミスの原作は、1952年に“別名義”で出版され、1990年になって初めて実名義が公にされたらしい。2000年代に入ってようやく映画化の企画が進み始めたことからも、この物語がいかに「時代」に対する苦悩とともに生み出され、翻弄されてきたかが伝わってくる。 そして、紆余曲折を経て今この映画が完成に至ったことに、奇跡的な「運命」を感じずにはいられない。 「時代」そのものが、この映画を受け入れるに相応しい状態にようやく追いついたことは勿論だが、それよりも何よりも、この映画に相応しい「女優」が、この時代に存在したことに奇跡と運命を感じる。 言うまでもなく、“キャロル”を演じたケイト・ブランシェットが物凄いということ。 冒頭に記した通り、この大女優のラストの表情が無ければ、この映画は成立しなかっただろう。 もう一人の主人公“テレーズ”を演じたルーニー・マーラも本当に素晴らしかったが、彼女の存在だけでは今作は「傑作」止まりだっただろう。 ケイト・ブランシェットという現役最強最高の女優が存在したからこそ、この映画は「名作」と呼ぶに相応しい佇まいを得ている。 随分前から名女優ではあったのだけれど、この数年の彼女の女優としての存在感は、文字通り神々しく、他を圧倒している。 マレーネ・ディートリッヒ、キャサリン・ヘプバーン、イングリッド・バーグマンら往年の大女優の存在感は、どれだけ時が経とうとも色褪せないが、将来その系譜に確実に名を連ねるであろう大女優の現在進行系のフィルモグラフィーをタイムリーに追えることに、改めて幸福感を覚える。 今作では、冒頭と終盤に同じシーンが視点を変えて繰り返される。 男から声をかけられる寸前のキャロルの唇の動き。冒頭シーンでは遠目に映し出されて何を発されているかは分からない。 逃れられない恍惚と共に、その言葉の“正体”に辿り着いたとき、テレーズと同様、総ての観客は、彼女の「虜」になっている。 [DVD(字幕)] 10点(2016-10-10 23:27:07)(良:2票) |
4. 96時間 リベンジ
《ネタバレ》 “超神経質最恐親父活劇”第二弾。 完全な二番煎じではあるが、前作が生み出したオリジナリティは継承されており、その部分の娯楽性だけは評価できるし、アクション映画はそういう娯楽要素があればそれでいいとも言える。 そのオリジナリティとは、もちろんリーアム・ニーソン演じる主人公の“親父(元CIA)”の超絶なキャラクター性に他ならない。 愛娘の運転練習のために迎えに行くという日常から、その超神経質な精神は張りつめられ、ただ一カ所のウィンドウのくもりも、一秒の遅刻も許さない彼のスタンスは、明らかに「異常」と言ってしまっていい。 ただし、その途切れることが無い危機管理意識が、「危険」との邂逅の瞬間に何の迷いも無く発動され、ピンチを乗り越えてゆく。 突如巻き起こった危機に、本来何の事前準備も無い状態から、どう対処し、どう回避していくかということをつぶさに映し出す描写こそが、このシリーズのハイライトであり、クライマックスで悪を駆逐しく様自体は、はっきり言って“おまけ”と言ってしまっていい。 そういうある意味割り切った構成が今作のオリジナリティである一方で、やはり”それだけ”という希薄さが残ることも事実ではある。 特にこの第二作については、登場する悪党の規模も前作に対して明らかにトーンダウンしてしまっているので、終盤に欠けての迫力の無さは欠陥と言わざるを得ない。 前作から引きずった“憎しみの螺旋”を結局断ち切れぬまま、映画は軽薄なハッピーエンドを迎える始末。 もしかして、今度は“孫”まで登場させる第三弾を目論んでるんじゃあるまいな……。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2014-08-17 22:35:49) |
5. 恐怖の報酬(1953)
大量のニトログリセリンを荷台に積んで悪路を延々運転する主人公に、同乗する相棒が言う「2000ドルは運転の報酬だけではない、恐怖に対する報酬でもあるのだ」と。 それはまさにその通りで、後半の主人公は年老いて恐怖におののく相棒を罵倒し続け、「お荷物だ」と悪態をつくが、もし一人であれば到底この任務を全う出来る筈はなく、早々に逃げ出していたことだろう。 そういう極限状態の中で左右される人間の心理が、巧みな演出の中に盛り込まれた映画だったと思う。 有名な映画なので、タイトルはもちろん「ニトログリセリンを運ぶ」という大体のプロットも認知していた。 そのことも影響したのか、主人公たちが置かれている環境と人間関係をつぶさに描いた導入部分は、少々冗長に感じてしまい、「いつニトロが出てくるんだ?」と間延びしてしまった印象は否めない。 序盤の人間模様が不要だとは思わないが、このストーリーで約150分の尺はやはり長過ぎると思えた。 “オチ”をああするのであれば、もっとシンプルな構成にした方が、「恐怖」とそれに伴う人間の心理が際立ち、映画としての娯楽性が高まったのではないかと思う。 ただ、繰り返しに成るが、中盤以降の演出は極めて巧みだ。 度重なるハプニングがバランスよく配置され、ニトログリセリンを運搬するトラックを二台描き出すことにより、どちらがいつ危機を迎えるのかという緊張感が効果的に持続された。 決して主人公のみをヒーロー的に描き出すのではなく、運搬にあたる4人それぞれの人間性をしっかりと描き、彼らが陥っている生活環境と、非人道的ですらある危険任務に自ら身を捧げざるを得なかった状況が、ドラマの中にきちんと盛り込まれていた。 最大の危険を乗り越え、一服しようとした瞬間、フッと巻き煙草が飛び散る。的を得た非常に良い演出だったと思う。 大ラスの言葉の通りの“オチ”については賛否が分かれるところだろう。実際、思わず呆気にとられてしまった。 しかし、この作品がフランス映画あることを思い出すと、ある意味「真っ当」な顛末のようにも思えた。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2012-11-09 16:01:10) |
6. 96時間
《ネタバレ》 元CIAの父親が、人身売買組織にさらわれた愛娘を救出するために、死闘を繰り広げるというストーリー。 ストーリー設定にそれ以上の膨らみはなく、設定だけをみれば何ともチープな映画である。 リーアム・ニーソンが体を張って繰り広げるアクションシーンは、それなりにスタイリッシュに表現されているが、アクション映画として特筆するほどのものではない。 9割以上の要素は、はっきり言って「凡庸」に尽きる。 ただし、残りの1割の要素が、この映画のオリジナリティをある意味”強引”に高めている。 それは即ち、「娘を溺愛する父親の容赦なさ」だ。 娘をさらった悪党に対して、電話口できっぱり「処刑宣告」をしたかと思えば、カリフォルニアから海を越え数時間後には事件が発生したパリへ。 単身で悪の組織本体に乗り込み、暴れまわり、ほぼ壊滅状態に追い込む。 更には、古い友人らしいフランス当局の幹部の自宅に“お邪魔”し、実は悪と通じていたその友人の妻の腕を問答無用に撃ち抜き、情報提供を強制する始末。 とにかく娘の救出に対して「障害」となるものは、何であろうと蹴散らし、悪党は容赦なく残虐なまでに皆殺しにしていく。 映画の冒頭、主人公は別れた妻から、その神経質な性格に対して「異常だ」と苦言を呈される。 その時は主人公に対して同情が生まれたが、映画が展開していくにつれ、「ああ、確かにこの父親は異常だ」と納得させれるほどに、主人公の行動力は常軌を逸している。 主人公のその尋常でない怒りっぷりは、“唖然”を通り越し、感じたことのない爽快感に繋がっていく。 その尋常でなさが、絶体絶命の愛娘のピンチを非常識に救っていく。 決して物語としてクオリティの高い映画ではないが、この“容赦なさ”は評価に値する。劇中何度も「親父怖え~」と呟いてしまった。 [ブルーレイ(字幕)] 7点(2010-09-18 15:40:58)(良:2票) |
7. キッドナッパー
フランス娯楽映画特有の映像的なセンスの良さと、ノリの楽しいストーリー展開を期待したけど、どの要素もイマイチで娯楽映画として盛り上がりに欠けたことは致命的だった。 3点(2004-01-26 18:40:49) |
8. 気狂いピエロ
「勝手にしやがれ」で猛烈にゴダールにハマりそうになった私だったが、続いて観た今作で一気に冷めてしまった。スチール的なビジュアルにハイセンスさは感じるが、映画自体が面白くないのではどうしようもない。もちろんある意味キワドイ映画であるので、相当に好きな人もいるのだろうけど、私にとってはどうしようもない駄作だった。 1点(2003-12-21 17:48:05) |
9. キス・オブ・ザ・ドラゴン
ストイックなまでにアクションを押し通す展開は、ブルース・リーの映画のようで良かったと思うが、やはりそれを通すだけの華がジェット・リーには無いように思う。彼の動きは素晴らしく、アクション的には満足できるが、映画全体としては見栄えが悪く地味な印象は拭えない。 [映画館(字幕)] 5点(2003-12-20 13:32:46) |