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コメント数 106
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1.  気狂いピエロ
部屋を往来しながら歌うアンナ・カリーナを適切な距離を保ちながら撮るカメラが、ベッドに座ったアンナに寄っていくあの瑞々しさ!!あのミュージカルそのものがそもそも物語に収束されない原初的モーションに違いない魅力なのだが、あのクロースアップの全くもって寄りたかったから寄ったとしか動機付けできない瞬間の欲求はまさに映像の特権的な自由であり、またその現在が複製されいまだ鑑賞され続けているそのエロスといったら!気狂いピエロは見事なクリティックである。簡潔な物語と台詞と自由とが混在し響き合うこの紛れもない私映画を全映画人は絶賛せずにいられない筈だ!
[ビデオ(字幕)] 10点(2008-02-07 14:11:05)(良:1票)
2.  ロゼッタ
ファーストカットの瑞々しさにはつい目が奪われるのだが、1分と待たずに蔑視に変わる。ベルギーの貧困問題を眼前に厳密に提示することこそ主題と呼べる代物だが、ドグマ95に純潔の誓いを立てたかのような手持ちカメラ、効果音の欠如に独自の軽薄なクロースアップが加えられ、構図の喪失を招き、程々のダイナミズムを獲得している。出来事性と卑俗な設定と押し付けられる感情に支配されたえもいえぬ貧しき映画。一過性の流行だと断言しておく。
[ビデオ(字幕)] 3点(2008-02-07 14:07:27)(良:1票)
3.  イタリア旅行 《ネタバレ》 
後ろ向きで祝祭に押し流されるバーグマンが刹那左からジョージ・サンダースに飛び付く、この感動!このカッティング!映画を破壊した者としてのロッセリーニを発見した喜び!ロッセリーニはロングテイクだけではない、この短いカッティングの小気味よさ、リズムは控えめながらヒッチコックに値する。車内3人の会話のシーンでの切り替えなんて明らかにおかしいし、車の直進に反して右折しようとするカメラの無邪気さなんてあまりにも危険ではないか。またはファーストシークエンスの素晴らしさ。エスタブリッシングショットを挿入することなく、車内での夫婦のただの横顔を注視させ、「見たか、あの車」―「スピード狂なのよ」なんて他愛もない、とても映画の始まりとは思えぬ詰まらぬ会話。ネオレアリスモと言えばロケーション撮影だが、その魅力をいま発見した。ロケーション撮影とは借景である。ヌーヴェルヴァーグがパリの街を道を壁を空気を愛したように、ロッセリーニはイタリアの道や建物を、彫刻や遺跡を、それが退廃したものであったとしても愛し、我々に提示している。既存の塊を取り入れてしまうネオレアリスモはあまりにも大きな革命だ。世界の表象として生まれた映画がついに世界に複数の世界を語らしめるにいたったその瞬間である!
[ビデオ(字幕)] 10点(2008-02-07 14:06:28)
4.  はなればなれに
あまりに気楽な犯罪映画、あるいはあまりに原初的欲求に忠実な冒険映画である。自身『勝手にしやがれ』について、主題がなく、何をやってもいいそういった種類の映画だった と語っているように、物語の映画を作るゴダールは実に愉快である。ゴダールをして括弧は必要ないと言わしめる明々白々さとは愛したから愛し、金が欲しいから奪い、無茶がしたいからインディの真似事をするといった、映画的な、あまりに映画的な論理によって裏付けされてしまう。美女と犯罪、シャープな画面と無為な会話や動作。優れたB級犯罪映画であり、偏愛の垣間見れる何とも愛しい作品である。
[ビデオ(字幕)] 8点(2008-02-07 14:02:07)
5.  小さな兵隊 《ネタバレ》 
アルジェリア戦争と当時問題視されていた拷問に関するゴダールからの問題提起。至って真面目な主題設定と取り組みであり、本人曰く「『勝手にしやがれ』後に、よりリアリズムに具体性に近づこうとした試み」でもある。主人公である小さな兵隊はフランス語を話す美しき外国人に語り続けるのだが、ここで重要なのは彼が正しいことも誤ったことも口にしている点だろう。議論の余地のある映画。観客が自分に疑問を投げかけることをその目的とする映画(これはまるでブレヒトの演劇理論ではないか!)。世界の混乱を国内の混乱を体内の混乱をありのまま提示し、しかし主人公を暗殺へと向かわせてしまうこの映画と未来の美学、倫理を戦わせてみる。そうして24倍の真実である映画の可能性を感じてみるのもまた愉しき体験である。それだけで途方もないような美しい画面は存在しないが、素早いパンや小回りの利いた話者の追跡は主題と撮影方法の合致といえるだろう。
[ビデオ(字幕)] 8点(2008-02-07 13:59:33)
6.  ヘカテ
ファム・ファタルを体現するかのような傑作である。だがキアロスタミほどは風や土や壁の呼吸を捉えていない。室内の、外からの照明が素晴らしい。畸形でない『ベニスに死す』なのだが、身体的にも精神的にも性への渇望が力強く、また映画に恵まれている。
[ビデオ(字幕)] 8点(2008-02-07 13:58:48)
7.  中国女 《ネタバレ》 
正真正銘主題の映画であり、提示の映画であるのだが、掲題に収斂されない輝きを持つ、サトエリによるところの良質の中国映画である(笑)音楽を聴きながらの別れ話など、主義に対して非常に実践的なのだが、背後で奥行きを打ち消す壁が彼らの空論を暴いており、おそらく作中最もサスペンスに富んだ教授との議論が背景の開かれた列車の窓によってなされていることもまた象徴的である。
[ビデオ(字幕)] 8点(2008-02-07 13:57:58)
8.  パッション(1982年/ジャン=リュック・ゴダール監督)
自分に役割を求めるな。動け。探せ。見出せ。“映画「パッション」のためのシナリオ”を観て気付かされる。映画「パッション」の中でゴダールの分身たる監督は繰り返される「物語」の要求に当惑し反発していた。ゴダールは何も「物語」を否定しているわけではない。「物語を語ること」を否定しているのだ。映画「パッション」の中で「物語」は語られていない、「物を語っている」のだ。劇中で“最小限の努力と最大限のトラブル”と語るように、また“映画「パッション」のためのシナリオ”において「整理して物を語る人はいない」と語るように、映画の中の運動と映画をつくる運動とに同等に意義を与え、つまりは後者に対しての意識的な姿勢を喚起し、またその発信者たちに、監督に、俳優に、スタッフに、労働者に、passionを、情熱あるいは受難を課す。そういった映画である。 火の不在、労働者と監督、映画と工場、愛、受難、情熱。映画「パッション」は退屈である。観客は光の不在を嘆かず、物語の不在を嘆くだろう。だが、もし映画観を、信頼してきた自らの映画眼を破戒される代償を怖れぬ者であったならば、喜びと不審の心をもって受難されることになる。そうして持ち得たもうひとつの眼は自らの創造性を刺激し、真っ白なスクリーンのみならず、既に作られたその映画に対してまでも創造主として臨む人生をもたらすことになるだろう。 
[ビデオ(字幕)] 10点(2006-12-29 02:32:31)
9.  美しき諍い女
真の芸術とはすべて言語的であるし、言語性を帯びない作品はどれほどの技法や才や色彩が詰められていても駄作である。絵画の場合、画家と被写体の関係性や交錯する想い、性格だとか情念が投影されたものが傑作であり、真の画家が満足できる唯一の到達点であろう。精神や魂という高次元を具象的に表現する方法を人類は知らない。言語や言語性を帯びた表現によって抽象的に提示するのみである。さてこの映画、アトリエの薄暗さとドアの外の眩い光であるとか、その密室性も忘れ難いが、真に特筆すべきは、ゴダールのような、あるいはフラーのような教示的姿勢であろう。リヴェットは真の芸術家とは何か、あるいは芸術の見方を提示してくれているのであり、観客論を含めた広義での芸術論を教示するためだけにこの映画を我々に捧げてくれたというこの事実である。 
[ビデオ(字幕)] 6点(2006-12-29 02:27:09)
10.  裁かるゝジャンヌ
言うまでもなく映画史にその名を刻むクロースアップの映画なのだが、問題なのは顔のクロースアップによって構成されているという点にある。裁判という言語的な題材をサイレントで撮る。顔で撮る。表情で撮る。それはけして非言語的ではなく極めて言語的な試みである。精神的事実を、魂を、敬虐に語るには表面的な言語では限界があり、表情という抽象性にこそ術がある。ただの切り返しショットではない。精神性を抉り出すかのようなローアングル、行き交う視線、静観するハイアングル。室内にも拘らずあまりに動的な映像は言語的積極性に溢れており、そのモンタージュによるところの動は火刑にいたって至高のものとなり、情動を与える。その精神性を唯一の術によって顕在化した非のない映画である。 
[ビデオ(字幕)] 8点(2006-12-29 02:25:41)(良:1票)
11.  勝手にしやがれ
洒落っ気だとかアンチ・ヒーローだとかかっこいいだとか、そんな陳腐な言葉でしか観客に評価されなかったゴダール。映画という概念の捉え方、映画の本質へと向かう姿勢を示すために、教示的姿勢を気付かせるために、大衆性を排除せざるを得なくなってしまう、これ以後のゴダール作品の方向性を決定付けてしまった呪われた一本である。映画は物語の善し悪しでは決まらない。たしかに物語が良質と思える傑作は多くあるのだが、それは物語を映画的に解体し語っているから面白いのであって、決して物語が面白いのではない。 「8数えるまでに笑わなかったら絞め殺す」 パトリシアの部屋で行われる長回し、アフレコによって自由に一瞬のジャンプカットを挟み、不必要にパンして凱旋門を映したり、奇跡的に美しい車のライトを映したりする。それは要するに阿呆でも気付くところの洒落っ気ではあるのだが、その洒落っ気だけで映画が映画として成立することが重要なのであり、そのことを意識的に観客へ教示しようとする姿勢こそゴダールの特別たるゆえんなのである。映画を構成する要素に「物語」なんてものは存在しない。人、モノ、映像、音、言語、これらを使って物を語ること、それが映画なのである。 
[ビデオ(字幕)] 8点(2006-12-29 02:24:16)
12.  軽蔑(1963)
昔はすべてが共犯の歓びの中で無意識に過ぎていった。何もかもが異常で魔法のような気軽さとともに起きた。 異常なまでに繰り返される主題曲は、もはや作品の言語世界に追随することを辞め、自らの見えざる主題を語り出しているかのようである。 気付かぬ内に彼の腕に抱かれていたあの感覚はまるでなかったかのように姿をなくす。 自室で繰り返される真意の読み取れない議論の末、直後の劇場での、ラングとカミーユ、ポールと製作者の座席の位置で愛の消滅を告げる。これが映画である。 妻を殺しても愛を失い、浮気相手を殺しても愛を失う。 不毛な議論の中で、無価値な言葉と同等に発されたこの一節が価値を帯びてくる。これが映画だ。 フリッツ・ラングへの愛、映画への愛、ホークスへの愛、ヒッチへの愛、カリーナとの愛、一部映画への軽蔑。 言語が語る、音楽が語る、映像が語る、海が彫刻が語り合い、せめぎあっている。だからゴダールの映画は凄い。だから映画は素晴らしい。 
[DVD(字幕)] 10点(2006-12-29 02:23:05)(良:1票)
13.  
宗教と王室を守ることを第一義とする右翼体制の政府、警察国家、統治国家に対するコスタ・ガヴラスの批判的思想が生み出した作品であり、また、この作品の歴史的背景には驚嘆させられるしかないのだが、そんな思想より、背景よりも、この演出力である。独特な音楽も大きな魅力の一つであるが、群を抜いているのはカメラワーク。これほどまでに大胆で滑らかな動のカメラを私は知らない。ショットが短く複雑で、クロースアップも多用しているのに疲れさせることなくそれぞれのショットが流麗に繋がっている。モンタージュ技法を応用したフラッシュバックも過不足ない情報量が詰め込まれ、過去の出来事や心象を見事に伝えてくる。これはもう、とっくに政治作品云々を超えた「映画」であろう。細部に至るまでのリアリズムが貫かれているわけではないが、判事と同じく観客も中立の立場から作品に参加させる意図と、演出力によって敢えて行われる軽量化により、魅きつけられてしまう。映画の持ち得る力や魅力が分かり易く詰まった大傑作である。
[ビデオ(字幕)] 9点(2006-09-24 12:46:32)
14.  赤い風船 《ネタバレ》 
ピカピカの大きい風船が灰色の街並みに赤く映える。 犬のようになつくバルーン。先生をおちょくるバルーン。狭い路地で左右の壁にぶつかりながら少年と走るバルーン。 そして無音の中で輝きを失うバルーン。 悪童たちに仕返しするわけでもなく、ただ、少年と空をゆく。 何と優しい。 何とファンタジー。 もしこのラストが、悪童たちの首をくくって空に飛んでゆく画だったら・・・それはそれで面白いが。
[ビデオ(字幕)] 8点(2006-05-18 01:17:33)(笑:3票)
15.  霧の中の風景
幼い姉弟が、見たこともない父親に執着してどんな苦境にもめげず躍起になって外国まで探しに行くなんて発想、それ自体いかにも映画的でヤラしいし、この旅を通じて姉弟が成長したとも思えない。レイプされたり、カラダ売ろうとしたり、ホモの旅役者で失恋を味わったりせんでも姉はいずれ恋をするやろうし、弟だっていずれ動物の死に対面するし、アルバイトもするやろ。旅役者が、時代背景を象徴するとともにストーリー進行においても必要不可欠なキャラクターであったことは確かだが、取って付けたようなエピソードの羅列にはうんざりしてしまう。・・・・・・けど、けど、映像表現はとにかく素晴らしい。もう、めちゃめちゃ素晴らしい。ロングショットの美しさは勿論のこと、白と黒のあまりに見事な対比によって、吸い込まれるような、家の無機質なテレビが無機質でなくなるような映像を見せてくれる。人差し指の欠けた手の彫刻がヘリで運ばれる画は印象度も絶大で、暗喩としても充分なものであった。 これでもっと人間考察の深みがあれば・・・と思うと残念でならない。希望と言う光を持ち続ければ・・・ってのも気休めとしか思えんのよな。
[ビデオ(字幕)] 7点(2006-05-12 17:40:38)(良:1票)
16.  ラルジャン 《ネタバレ》 
行き過ぎたリアリズム作家ロベール・ブレッソンの魅力がここぞとばかりに詰まった良作。淡々とした静の演技と画作りで瞬間的な緊迫感や抑揚を連続させる演出力には驚くばかり。斧とピアノとグラスと犬の鳴き声だけで、ありのまま映し出す以上のものを生み出す。ほんと無駄がない。 一枚の偽札が引き起こす悪の連鎖といったそそられる展開。連鎖に巻き込まれた青年は出所後に優しい老婦人の世話になるが、結局殺して、金を奪う。優しさや無償の愛も、金という絶対的物質にはかなわない。――と、ここで一つの結論に達する(青年の心の中でも)わけだが、その後青年は自首をする。これって矛盾しているのではないだろうか?すぐに自首してしまうぐらいなら、彼の行動は『結論』から導き出されたものではなく、ただの『衝動』であったと言わざるを得ない。だが、わざわざこんなラストカットを入れたからには何かしらの意図があったに違いない。自首したほうが画的にも分かりやすいでしょ、ってな安易な考え方ではないと信じたい。意図があるとするならば、これは、先ほどの結論に疑問を投げかけていることに違いないだろう。つまりブレッソンの出した結論はこうであるはず → 優しさや無償の愛も、金という絶対的物質にはかなわない・・・のかなぁ?
[ビデオ(字幕)] 8点(2006-05-12 16:18:11)
17.  冒険者たち(1967) 《ネタバレ》 
エンジン開発、飛行機乗り、芸術家 それぞれ職は違うが、何の分野においても冒険者であることは変わらない。事実上レティシアが中心人物となって話が進むわけやけど、それもそのはず。こんなワクワクするような女の人なかなかいないもん。こんなにカラッとした人――カジノに置き去りにされても何とも気にしないカラッとした女の人、魅力的やもん。展開は正直言って粗いよ。楽に見つかる場所にお宝あるのに誰も探しに来ないし、裏社会の一味が あえて見つけさせた後で奪ってやろう とかもう雑な感じよ。けどな、滅多に会えない仲間だからこその強い結びつきってやっぱ素敵やもん。 かっこいいかダサいかで言うと、多分こいつらはダサい。けど、一度は夢に破れたこいつらが、それでも、冒険者であり続けようとするから・・・かっこいいと思ってしまうんやろな。
[ビデオ(字幕)] 7点(2006-05-12 15:12:31)(良:1票)
18.  恐怖の報酬(1953) 《ネタバレ》 
序盤のかったるい展開が見事に活かされている。この暑苦しい土地を抜け出すには高い金払って飛行機に乗るしかない。だがこの土地に仕事なんてほとんどなく、あっても飯が食えるギリギリの額しか貰えない。絶望感にみちた男達を丹念に描くことで、危険への挑戦にリアリティを与えている。マリオと同居人ルイージの間に、マリオと同じパリ生まれのジョオが入ってくることで生まれた妙な三角関係も、ジョオの強気で自信に溢れた行動も、緊迫した状況での人間ドラマに深みを与えている。後半。ニトログリセリンの威力はすでに視覚を通して伝えられているので常に緊張に支配される。10km/h以下か40km/h以上でしか走れない波板で体を温められ、次に岩壁での切り返し。バックしすぎやーー!と叫び、横滑りに、ちょっ!と呟く。さらに石は飛散するわ、巻きタバコは飛ぶわ。 ジョオはヘタレになるし、マリオはキレる。マリオとルイージは仲を取り戻す。そしてラスト。調子に乗った蛇行運転と、安居酒屋でのダンスがクロスカッティングされ・・・そして・・・まぁ・・・さすがにこれは王道すぎる、というかやりすぎやけど、ご愛嬌って事で。 ただやっぱり、ルイージが導火線とめるとか言って走ってくのは無茶しすぎ。あと「この仕事をやり遂げた奴を見たことがあるが、帰ってきた時には髪が真っ白になってたぞ!」って台詞には爆笑した。漫画じゃねぇんだから。
[ビデオ(字幕)] 8点(2006-05-12 10:20:15)(良:1票)
19.  シベールの日曜日
何というか・・・愛くるしいほどに出来の悪い作品(悪口じゃない)。「そんなことまで言わせる気?」とか、彼の指から出た血を舐めて「これでもう他人じゃないわね」とか幼女が発言するんやもん。笑ってしまうやん。湖のほとりの木陰で彼女がバッチリ覗き見しよん姿とか吹き出してしまうもん。アンリ・ドカエの映像は勿論綺麗やし、湖のシーンでは木や石や水を使った演出が抜群に巧い。 けどどうしても真面目すぎて笑ってしまう。例えば犬のシーン。シベールが同年代の男の子達と遊び始めて、ピエールがポツンと座り込んだ、その瞬間に犬が寄ってくる。このタイミングが完璧すぎて、笑わずにいられない。「どう?完璧でしょ?」ってな制作陣の無邪気な顔が浮かんでしまう。本題。なぜピエールはシベールに恋をしたのか、なぜマドレーヌはピエールに夢中なのか。純真さ云々という理由付けも出来るけど、最たる理由は“鳥小屋に閉じ込めたかったから”やと思う。“愛する”って不思議なもんで、愛されるからこそ深く愛することができる。記憶を失った孤独なピエールだからこそマドレーヌは愛した。けどマドレーヌは社会人であるので他にも付き合いが多々ある。これではピエールはのめり込んだりできない。一方、ピエールとシベールは孤独同士。こんなピッタシな組み合わせなんてなかなかない。そら夢中になるわ。恋愛も家族愛も根っこの部分は同じようなもの。二人の愛は、ただ、愛と呼ぶのがふさわしい。水面に映る二人の姿、石を投げ入れると、今いる二人が一度ぼやけて、またはっきりと輪郭が現れる。この生まれ変わりのような画には、ほんと惚れ惚れする。余談。日本語字幕と英語字幕が同時に表示されているのは勘弁してほしかった。日本語の字幕が簡略化しすぎてて、英語字幕のほうが細かく的確なので、鑑賞中、しょぼい脳内翻訳ソフトをフル活用させっぱなしで、観終わった頃には、ひと仕事終えたような気分になっていた。
[ビデオ(字幕)] 7点(2006-05-09 06:46:00)
20.  スウィート・ムービー
あーぁ、こんなんなっちゃったかマカヴェイエフ。過激な性描写という道具が思想の伝達という目的を上回ってどうするん。その思想自体もソ連の共産主義を批判してみたり、自由主義批判の描写を入れてみたりでどうしたいんか分からんし。結局カティンの森事件の映像とか出しちゃって、性と政治の相関性に自信がないなら最初からしなければいいのに
[ビデオ(字幕)] 3点(2006-04-18 09:06:39)
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