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1.  アザーズ 《ネタバレ》 
さいしょのシーンからして、ニコール・キッドマン、すっごい熱演だなあ、と思う。これ、ぜったいに「回転」のデボラ・カーの演技を研究してるよね、そういう感じ。演出のアレハンドロ・アメナーバルもまた、「回転」のジャック・クレイトンを研究してるに決まってる。きっと、子役のふたりも「回転」を観せられてるんじゃあないんかしらねえ。だってこれ、とっても良く出来た「続・回転」なんだから、って思う。ああ、また「回転」が観たくなった!
[CS・衛星(字幕)] 7点(2013-10-23 12:07:00)
2.  ファム・ファタール(2002)
‥‥こういう(この程度の)映画に、「ファム・ファタール」などというタイトルをつけてしまうところにこそ、わたしがブライアン・デ・パルマ監督のあるしゅの傾向を忌み嫌ってしまう、こんぽん(根本)のところがある。‥‥許せない。ぜったいに、許せない(このことをあと二十回ぐらい繰り返して書いてもまだ足りない気がする)‥‥。だいっきらいである(このことをあと百回ぐらい繰り返して書いても、まだ足りない気がする)。音楽をやってるのが日本人らしいけれども、これがまたひどい。だいっきらいである(このことを‥‥<以下同文>)。
[CS・衛星(字幕)] 0点(2013-07-29 09:17:24)
3.  ピアノ・レッスン 《ネタバレ》 
●屋外の撮影が、けっこう美しい。●‥‥しかしいったいなぜ、ニュージーランドのマオリ族などを持ち出してしまって、そこに西欧起源の楽器を持ち込むなどという、まさに侵略主義的な視点がしのびこんでしまうようなあぶない物語にしたんだろうと、ちょっと疑問に思ってしまう。どうもここは、一方がことばをしゃべれない、そしてもう一方は字を読めないというかんけいをつくりたかったのだろうというのと、やはりラストにピアノを海に沈めたかった、ということなんだろう。 ●海に沈んだピアノはたしかに美しいファンタジーだし、物語ぜんたいもファンタジーとして読みとってほしいのかも知れないけれども、どうもやはり、生々しすぎるところが気にはなる。‥‥男として、この物語のふたりの男のことを考えると、たしかに正当な夫であるサム・ニールはピアノを海岸から動かそうとしなかったし、どうもどこかうわべだけの「いい人」でしかなかったようには受けとめられる。一方のマオリ族の男のハーヴェイ・カイテルは、とにかくはヒロインのホリー・ハンターにはピアノがひつようなのだ、ということは理解していたわけで、そのことを「駆け引き」の材料にするという気概はもっていた、というか。もしかしたら、ホリー・ハンターにしてみれば、「駆け引き」をもちかけられるということに、自分の存在を承認し、求めるという行為に惹かれたところもあるのかも知れない。ハーヴェイ・カイテルが彼女と関係を持ったあとに、「あなたを娼婦のように扱ってしまった」と、悔いるところがいい。 ●ホリー・ハンターは、前半と後半でまるで顔がちがってみえる。前半からの筋張ったきつい表情はハーヴェイ・カイテルとの関係を持つことで和らぎ、ラストでは笑顔までみせるようになる。サム・ニールにはかわいそうな映画、だった。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2013-06-29 12:42:16)
4.  愛、アムール 《ネタバレ》 
 けっこうおそろしい話を、ぜったいにエキセントリックにならない落ち着いた演出でみせられ、やはりハネケだなあと感心した。  映画の終盤に部屋のなかにハトが窓から迷いこんできて、それをだんなさんのジャン=ルイ・トランティニアンがつかまえる。‥‥いままでのハネケの作品では、こういう鳥だとか動物はたいてい殺される。たとえば「隠された記憶」でのニワトリだとか、「白いリボン」でのインコだとかをおもいうかべてしまうから、「ああ、また殺しちゃうんだな」なんて不遜なことをおもってしまう。でもそういう展開にはならず、ジャン=ルイ・トランティニアンは、おそらくは彼の遺書になるのであろう手紙のなかで、「ハトが部屋に迷いこんできたのをつかまえて逃がしてやった」と書く。映画ではそういう逃がしてやるシーンはないので、「ほんとうはあのハトは殺しちゃってるんじゃないのか」なんて、またもや不遜なことをおもってしまうわたし。‥‥しかし、そのハトを捕らえるとき、ジャン=ルイ・トランティニアンは、布をハトにかぶせて捕らえる。かんがえてみれば、この「布をかぶせる」という行為が、この映画での別の重要な行為を想起させられることになるわけで、そうすると、ここで彼はそのハトを殺したりするわけがないのである。それで、たいていの演出ではここで彼が窓からハトを逃がしてやるショットを入れるのだろうけれども、ハネケはそういうことはやらない。なんか、ここにこそ、この作品の「キモ」があるんじゃないかとおもった。「かんじんのことはみせない」というハネケ監督の演出術が、ここでも生きているんだなあという感想をもった。
[映画館(字幕)] 8点(2013-04-29 16:18:47)(良:3票)
5.  ガーゴイル(2001) 《ネタバレ》 
●ちょっとばかし、主演のヴィンセント・ギャロとベアトリス・ダルの強烈なキャラクターに依存している演出という気がしないでもないけれど、わたしはこれはヴァンパイア映画の系譜を引く作品として、斬新な解釈の鮮烈な映画だと思う。 ●説明的な描写もほとんどなく、セリフも少なく、娯楽的な要素はあまりない。それでもひとつひとつのショットにきらめく美意識は鮮烈で、とりわけ血の「赤」の美しさはこころに残る。まあいってみれば「血塗られた映像詩」というところである。壁一面に塗りたくられた赤い血のまえを、ベアトリス・ダルがゆっくりと歩んでくるシーンなど、どんなホラー映画にもなかった美しさに満ちている。 ●Tindersticksというバンドによる、ストリングスをまじえた退廃的な音も印象に残る。  
[CS・衛星(字幕)] 8点(2012-04-11 08:42:56)
6.  青髭(2009) 《ネタバレ》 
●カトリーヌ・ブレイヤという監督さんのことはまるで知らなかったのだけれども、小説家でもある彼女の映画は、ちょっと過激なものとして知られているらしい。この作品ではそういう過激さはみられないように思うけれど、耽美趣味ともいえる画面の美しさを堪能できる。この作品はもちろんシャルル・ぺローの有名なおとぎ話をもとに、そのぺローの本を読むおさない姉妹のストーリーをはさみこんだもの。この映画のなかで描かれるその「青ひげ」の物語は、それを読んでいる姉妹の成長した姿のようにみえる。  ●おさない姉妹が、おそらくは「入ってはいけない」といわれている二階の物置のなかに忍び込み、そこでこの「青ひげ」の本をみつけて、いっしょに読みはじめる。姉はそのうちにその物語から耳をふさごうとするけれど、妹はかまわずに姉を挑発しながらも読みつづける。妹の読む物語はすすみ、ついに物語のなかの妹は、青ひげに「入ってはならぬ」といわれていた部屋のドアをあける。物語の展開を聞きたくない姉は耳をふさいであとずさりし、床にあけられた穴から下に転落死する。ラストには物語のなかで間一髪助かった妹が、皿の上に切断された青ひげの首をのせて自分のまえに置いている、「サロメ」をも思わせるとても美しい場面で終わる。  ●ぺローの原作では、この「青ひげ」は次のように結ばれている。  <ものめずらしがり、それはいつでも心をひく、かるいたのしみですが、いちど、それがみたされると、もうすぐ後悔が、代ってやってきて、そのため高い代価を払わなくてはなりません。>     しかし、妹は青ひげの犠牲になるわけではなく、ぎゃくに好奇心を殺し、耳をふさごうとした姉の方がいのちを失ってしまう。やはり「知ろう」とすることは大切ではないか。この映画からはそういうメッセージが聞こえてくるようである。この作品、女性から「知りたい」という好奇心の芽を摘み取ろうとした、「保守」としてのぺロー童話への批判なのではないのか。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-04-11 08:37:30)
7.  ツーリスト 《ネタバレ》 
 ‥‥これって、むかしはハリウッドによくあった「ロマンチック・サスペンス・コメディー」ってヤツですね。「シャレード」とか、ああいうヤツ。まあこの作品ではコメディー度はちょっと抑えられているけれども、だいたい観ていれば「真相」は予測がつくようなつくりになっているわけで、そうすると観ているものがその「予測」にもとづいて役者の演技とか注視してみると、かなり楽しい作品になるという感じ。思わぬところに主人公のピンチがあったり(捜査官、あとひと押し、だったのにね)、「ほら、やっぱりね」とか、「え!そうなるの?」とか、ニコニコしながら観てられる。やっぱティモシー・ダルトンはいいところに出てくるし、ラストの「税金払ったから無罪放免」っていうのもまさに「ロマンチック・サスペンス・コメディー」。そうやってみれば、「だささ」を喜々として演じているようなジョニー・デップの(二重の)演技ぶりを楽しんで観るのがいいのかも。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-02-26 10:06:43)(良:1票)
8.  白いリボン 《ネタバレ》 
●北ドイツの小さな村におこったあれこれの事件、それらの事件に通底したものは何だったのかということを、単純な犯人探しのミステリーを越えた、もっと大きな歴史の流れのなかに置いて描く演出にはみていても背中がゾクゾクしてくる。●映画は、その村に外の町から来ている教師の語りで進行することになり、この教師が村のなかの人間関係を深くは知らないということからはじまり、それでもだんだんに「いったいこの村に何が起こっているのか」という真相に近づいていくわけになる。しかし映画はその教師の知り得ないことがらをも目撃し、観客に知らせることになる。映画で語られるあれこれの事件にかんして、語り手の教師と、その恋人(婚約者になる)のエヴァという女性だけが、ある意味であれこれの事件にまったく無関係な立場にあるように描かれるわけだけれども、では、この語り手の教師はいったい何者なのか、この教師の回想にはどんな意味があるのか、というあたりまで含めてのこの作品であって、この教師がこの村でのそれらの事件の裏にあるものを垣間見て、その事件ぜんたいの構造を想像でき得ていたとして、ではこの教師はどういう存在になるのか、というあたりをこそ、この作品はいいたいのではないのか、などと思うわけである。この教師にも、「白いリボン」は結び付けられているのではないのか。●ハネケの作品には、なにからなにまで、「これにはこういう意味がある」などと解読してしまうことで、そのいちばんのテーマが手もとからすり抜けてしまうようなところがある。スクリーン上で展開するものからはみ出てしまうものこそを感知すること、そんなことが観客には要求される。だからわたしにもこの作品の背後にあるものなどほんとうにはわかっていないだろうと思うし、わかったような顔をしてストーリーを解読してもしかたがないじゃないか、などと思うわけである。ただ、彼の作品にはヴィジュアル的にひとをゆさぶる、ショッキングなショットがかならずあるわけで、それは監督が観客に贈るインヴィテーション・カードのようなものでもあると思うのだけれども、この「白いリボン」では、牧師の娘がその父の鳥かごの鳥のあたまをハサミで切断し、その羽根を拡げてあたまの部分にハサミを刺し、十字架のようなかたちにして父の机の上に置いたショットあたりではなかったか。
[映画館(字幕)] 7点(2011-06-12 18:51:17)
9.  ミックマック
観終って恵比寿ガーデンプレイスのパティオのベンチにすわって、自作のおべんとうを拡げて食べていて、さっき観た映画はこの手作り弁当みたいだな、などと思っていた。つまりたんじゅんに、手作りガジェットにあふれたおもちゃ箱をひっくり返したような膨大な小道具大道具、それを駆使して進行されるどこかアナログ感あふれる手作りファンタジーという味わいのストーリーなどなどからの連想なのだけれども、もちろんジュネ監督のこの新作はわたしのおべんとうのように貧弱なものであるはずもなく、「豪華な」という形容のことばをあたまにつけることを忘れてはいけないだろう。しかしやはり、たとえそのように「豪華」と名付けようとも、その「豪華」の質はあくまでも「手作り」な、レトロ感がただよいさえするもので、「人工」とか「人造」などという、ハイテクとはほど遠いことばこそが似合う世界というわけになる。とくに、主人公たち奇人変人の共同生活の場であるガラクタの山の下にある住処〜古道具再生工場、そこにごろごろと転がっていた奇々怪々な綺想のグッズの数々、そして仇役の武器製造会社社長(アラン・レネ作品でおなじみの、わたしの大好きなアンドレ・デュソリエが演じている)のビザールなコレクションなどにこそ、この映画作品を観る楽しみがあるということになる。そういう意味で、それらのガジェットをこそもっとじっくりと見せてほしかったという、観終ってしまって残されたかなわなかった夢こそがこころに引っかかってしまうことになる。まあこのくらいにそういうガジェットをちょん、ちょんとみせるあたりにこそジュネ監督の持ち味があるのだろうけれど、そのあたりがストーリーのなかにうまくはめ込まれていた印象の前作「ロング・エンゲージメント」に比べると、この「ミックマック」ではそういうガジェットを自立させようという意志と、映画としてのストーリー展開を重視する意志とが衝突してしまった感じを受けてしまう。  そう、ここでジュネ監督の持ち出すガジェット群がその映像のなかで自立していけば、その世界はシュワンクマイエルの映像世界に近接してくるだろう。 
[映画館(字幕)] 7点(2010-10-02 13:46:30)
10.  巴里の恋愛協奏曲(コンチェルト)
お茶会のテーブルの上のカップ類を真上からとらえるショットから始まり、カメラがさらに上昇して(引いて)、テーブルのまわりの女性コーラスの面々が上のカメラを向いて唄い出す。このカメラがつまりは観客の眼で、俳優たちはひんぱんにカメラに向かって、カメラ目線で内緒ごとを観客に語ったりする(これはミュージカル映画の特権だ)。広い舞台の中をカメラは自在に動き回り、その演出とともに名人芸を感じさせる。カメラはレナード・ベルタ。圧巻は第二幕の夜会の場で、タイトルになっている「唇にはダメ」という曲から、続けざまに四曲ほど連続するのだけれども、曲自体もどれも楽しいのだけれども、この畳み掛けるような、柱や鏡、階段、そして照明をものすごく効果的に使った演出から受け取る高揚感はただものではない。この場面があまりに楽し過ぎて、観ながらずっと涙を流していた(泣くような映画ぢゃないのに)。このあとのなにもかも廻るカメラ、そしてフィナーレも最高で、やっぱりこの作品はめちゃ楽しい。それがただのストーリーの楽しさ、歌曲の楽しさを越えて、映画的な楽しさ、つまりはアラン・レネの演出やレナード・ベルタのカメラを思い切り楽しめる作品になっているところが、わたしのお気に入り。自分でこのDVDを持って、繰り返し観たいと思える数少ない作品の一つ。今でもわたしの頭の中には、「マラケ河岸の23番地」がぐるぐるとまわっている。  そう、レネ映画の常連、サビーヌ・アゼマはやはり素晴らしいのだけれども、もうひとりの常連のアンドレ・デュソリエがこの作品には出ていない。でも、特典に収録されている、フランスでのこの作品の「特報」に、アンドレ・デュソリエもたっぷりと出演していた。やはりもう今となっては、アラン・レネといえば、サビーヌ・アゼマとアンドレ・デュソリエの二人の顔が浮かんでしまうのを止められない。 
[DVD(字幕)] 10点(2010-05-12 22:11:26)
11.  イタリア旅行
 序盤の粗いつくりが気になって、こんなことでどういう仕上がりになるんだろうと思っていたら、妻と夫が別行動を取って、妻があちこちのイタリアの遺跡や博物館を見てまわるようになる展開で、がぜん面白くなる。ここで、どこの遺跡でも博物館でも、ガイドを職業とする人物と妻が行動を共にするのだけれども、たいていは初老の男性であるそのガイドと妻との描写が、とにかく面白い。そして、まさに「イタリア旅行」というぴったりの、そういう遺跡や博物館の映像、これが物語にひそやかに絡んで行くあたりの展開がとってもいい。映画ならではの表現でのストーリーテリングを堪能できる。小さなベスビオ火山の噴火の再現、カタコンベ、ポンペイの新たな発掘(ここはちょっと「フェリーニのローマ」を思い出した)、そして市街の中での祭礼のクライマックス。素敵な映画だと思う。
[DVD(字幕)] 8点(2010-05-08 11:16:01)
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