Menu
 > レビュワー
 > アンドレ・タカシ さんのレビュー一覧。21ページ目
アンドレ・タカシさんのレビューページ[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2127
性別 男性
自己紹介 2022/3/26に以下のような自己紹介文をアップしました。
ロシアのウクライナ侵攻が始まってひと月経過。
映画は観ていますが、侵略戦争のせいでレビューする気になれません。
私の映画レビューと戦争は直接関係しませんが、
楽しく文章を考える気分じゃない、ってことですね。
ロシアが撤退するか、プーチンがいなくなったら再開します。


そして、
侵略戦争が膠着状態に入り、
いつ終わるか識者にも判断できない状況になりました。
まぁ正直、痺れを切らしたので、レビューを再開します。
ウクライナ、頑張れ!

2024年3月17日更新

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
評価順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637
>> 通常表示
401.  山の音 《ネタバレ》 
↓えっ、上原謙って山村聡より年上なんですか。それはある意味凄いキャスティングだ。笠智衆が、よく年上を相手に父親役をやっていた話は聞いたことがあるが、これは山村聡が老けているというより、上原謙が若すぎるんでしょうね。2世代が同居する家を舞台にしたホームドラマ。この家は不協和音に満ちている。直接の原因は不貞の夫と出戻りの娘。その夫の寒々しい態度に耐え続ける不幸な嫁。それを精神的に支える舅。一見、そんなふうに見えるのだが、この不協和音の原因は実は舅にある。それに気付くと、物語がグッと奥深いものに変化した。舅は物分りが良く、有能(な社長さん?)で、鷹揚でいて細かい気遣いも出来るキャラクターなのだが、それが災いしている。これが違うタイプの映画なら嫁と舅に「間違い」が起こりそうな空気だった。たぶん、事あるごとに嫁が舅を頼り、夫はそれが面白くなくて心が離れて行ったのだと思う。出戻りの嫁が持っていたコンプレックスも、そもそもは出来すぎの父親から見透かされるような視線を受け続けたことが原因だろう。舅はそれを自覚していない。原作は未読だが、映画では夫が父に対して抱いているはずの嫉妬には一切触れないし、舅は最後まで家族の苦悩を背負った男として描写される。このあたりに川端文学らしい行間と落とし穴的なテーマが見える。エンディングで老夫婦は田舎に隠居すると言っていた。その判断がもう少し早ければ、中絶&離婚という結果にはならなかったと云うのが私の見立て。2世代同居の歪を描いており、過去に観た記憶がない類いの映画でした。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2010-04-10 17:07:23)(良:1票)
402.  DUNE デューン/砂の惑星(2021) 《ネタバレ》 
デビッド・リンチ版のレビューに「現在なら3部作にしてもう少し分かり易い映画になったかも…」とか書きました。それくらいに、何がやりたいのか分からない映画だったのですよ。それに比べてとてもよく分かりました。ストーリーを含めた内容が。その前提で、SFの世界観が吟味できる映画に仕上がっていると思います。現代的にはかなり偏った技術レベルの表現やオブジェクトのスケール感、舞台ごとに変化する湿度、等々。緻密でレベルの高い仕事を見せてもらいました。 キャラの感情が表情からは読み取りにくかったです。たぶん意識してそのように演出されている。でも、それがストレスになる程では無く、作品を文学調に持ち上げている印象でした。 原作は未読ですが、既読の方のレビューによると原作通りとのこと。だとしたら、リンチ版はやっぱりゲテモノを見せられたのだと云う結論に至りました。 続編、期待しております。
[インターネット(字幕)] 7点(2022-02-19 03:27:28)(良:1票)
403.  フェア・ゲーム(2010) 《ネタバレ》 
実話のようです。結局、イラクと戦争をした理由って、中国や韓国が国内の問題を反日にすり替えることと似たようなものだったのですね。権力の上位にいる人たちの都合です。CIAの「大量破壊兵器は無い」というレポートを捻じ曲げるだけでなく、開戦批判の矛先をCIA工作員の嘘つきにすり替えるあたりの手際が鮮やかで、今でも多くの局面であんなことをやってるんだな、という視線が生まれます。マイケル・ムーアの告発系ドキュメンタリーに比肩する力がありました。 興行のためとはいえ、自国の恥をハリウッドを通して世界に配信することも、彼の国の「自由」ってことなんですね。こんな映画、我が国にはありませんが、その告発姿勢は見習った方が良いんじゃないでしょうか。 ナオミ・ワッツの父親はきっと渋いオヤジなんだろうと思っていたらサム・シェパード登場。なんか、嬉しくなりました。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-11-04 03:06:15)(良:1票)
404.  市民ケーン 《ネタバレ》 
スピルバーグが25歳の若さで「激突!」を撮ってデビューしたのは有名な話だけど、その30年前に同じく25歳でこの映画を撮ったオーソン・ウェルズという人は、少なくともこの映画においてはスピルバーグより偉大だったと思う。学生時代に読んだお勉強系の映像本には必ず「パンフォーカス手法を確立した映画」として本作が紹介されていた。パンフォーカス自体は今となっては見慣れた手法だが、奥行に被写体と演技を対比させる構図はもとより、シャドウとハイライトの印象的な使い分けや、時間を行き来する構成、その時間軸に照明の明暗を振り分けるアイデアなど。何本か観た同年代の映画に較べると、全てが斬新で画期的なことだったと想像できる。しかもストーリーがミステリータッチで「バラの蕾」という臨終の言葉を追いかけ、大金持ちの孤独を解き明かすことをテーマに据える。それが幼少の頃に失くした親からの愛情の象徴であったというオチまでを含めて、極めて完成度が高い作品だと思う。余談だけど、つい最近の「ソーシャル・ネットワーク」も大金持ちの孤独を描いた作品でした。ケーンとザッカーバーグは、富を得る手段も違えば、孤独のカタチも随分と違う。この2作は面白い対称を成しています。その間を流れるのは70年という時間。現代の視点から観た面白さとしては6点。映画表現に残した足跡に敬意を表して、不遜ですが1点プラスさせてください。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2011-01-30 23:30:04)(良:1票)
405.  ダーティハリー3 《ネタバレ》 
このシリーズに初めてまともに女性が絡んだ。最初は嫌がるキャラハンと女刑事の関係は後の「ミリオン・ダラー~」の雛形を見る思いで、そこは楽しく観られる。この頃の刑事ものは、犯人を検挙する際のアクションが見せどころ。犯人を捜すのは暴力に慣れた経験値と少しの機転で済ませる。だからどうしても大味になる。キャラハンの場合は大型拳銃をトレードマークにしてきたけど、本作は戦争並み。重火器を持ち人質を取っている犯人グループに刑事が二人だけで対応するって本来はあり得ない話だけど、野戦のごとき銃撃戦をやらせるためのストーリー。そりゃ、相棒の致死率が跳ね上がるよ。最後に主犯が鉄塔に登り、その階段の途中で人質の市長の放り出すのに違和感を感じたけど、それもバズーカを撃たせたいから。昔は爽快なシーンに見えたんだけど、今となってはさすがに苦笑。完全に刑事を超越している。
[映画館(字幕)] 5点(2010-06-02 23:59:50)(笑:1票)
406.  イキガミ 《ネタバレ》 
原作はヒューマニズムの押し売りと暑苦しい絵柄に辟易して、1巻途中でギブアップ。映画は原作よりは観易かったです。後半、盲目の妹をいたわるデキの悪いお兄ちゃんを熱演する山田孝之に感心。話はベタベタだけど、見入ってましたね。でも、それも局地的なショートストーリーとしての見応えであって、総体的に考えると納得できない映画でした。話は前後するけど、18歳から24歳までの間に1000人に1人が死ぬというイキガミのルールが根本的に変だろう。まず、1000人に1人が無作為に死ぬことは、不慮の交通事故などと同義に受容されると思う。それによって、命の意義を尊重する精神が芽生えるとは思えない。さらに、社会的なシステムで殺される不条理は、病気や交通事故の比では無いはずで、それによって起こる混乱の方が絶対に重篤。もし自分にイキガミが届いたら八つ当たりで核兵器のスイッチを押しちゃうね。この制度の弱点を人道的視点から匂わせていたけれど、それ以前にこんな制度で社会の生産性が上がる訳が無い。本来はストーリーが成立しない破綻した設定と考える。原作者は何か勘違いをしていないだろうか。少数の犠牲を許すのであれば、命のリミットを24時間ではなく3年後に設定するとか、24歳から30歳の間に何らかの成果をあげないと殺されるとか、効果がありそうなシステムは作ることは可能だけど、今作はお話を劇的にするためだけの24時間で、世界観と切り離された場所で孤立した感動を押しつけられているような印象です。自分はこの映画からは限りある命の意義を感じません。
[CS・衛星(邦画)] 4点(2009-10-15 22:42:22)(良:1票)
407.  ブリキの太鼓 《ネタバレ》 
ポーランドの近代史は不案内ですが、本作を観る限りは一次大戦でドイツの属国のような形で共闘し、二次大戦でもナチスに傾倒する人が多くいたようで、同じことを繰り返したんだと思います。つまり、その間のポーランドは成長していなかった。オスカルが成長を止めたのは大人たちの醜悪を嫌悪したからですが、同時にポーランドという国への揶揄ですね。成長しない国では、成長することに意味がない。二次大戦後、オスカルが再び成長を始めるのは、もういい加減に前に進まない訳にはいかない諦観が当時の国家状況に被っていたのでしょう。劇中、オスカルの大人びた子供の視線が捉える周囲の大人たちのだらしなさ。ナマものがナマナマしく描かれる生理的嫌悪感。牛の頭部に詰まったウナギが凄いインパクトです。それら気持ち悪いものすべてが、あの国をダメにしていた元凶だという壮大な皮肉映画と解釈しました。当時のポーランドから遠く離れた時間と場所に暮らす人が、気分を悪くしながら観ることに意義があるのかどうか…。
[CS・衛星(字幕)] 4点(2012-01-10 01:25:21)(良:1票)
408.  アルカトラズからの脱出 《ネタバレ》 
しっかりドキドキする良質のサスペンスでしたが…。 鑑賞後に「ショーシャンク」のような達成感や爽快感が残る作品では無かったです。アルカトラズの非人道的管理体制を描くことがテーマのようで、鑑賞中は脱獄の成功に期待します。でも、さほど熱心に主人公たちを応援していない自分がいました。彼らの入獄理由は語られず、犯罪者としての背景が意図的に省かれていることに欺瞞を覚えたのだと思います。その辺りもしっかり描いたうえで脱獄させれば、さらに複雑な見応えが残ったと思います。 服役者の人権擁護的視点に立つなら、記録映画としての価値は十分に担保していますね。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2017-09-28 02:03:25)(良:1票)
409.  ドラゴン危機一発
小学生だった自分は「燃えよドラゴン」で熱狂し、その勢いで今作を観ました。父親に引率されて観たのだけど、今にして思うと父親と二人で映画館に入ったのはこれが最初で最後だったと思う。父親は健在なので最後は言いすぎか…。余談でした。映画の感想ですが「燃えよドラゴン」に較べてお話のスケールもアクションも芝居も周囲の役者のレベルも、すべて数ランク落ちていてつまらなかった。でも小学生の自分はブルース・リーのファンとして、これも面白いと思い込もうとしていたように思う。後に今作が彼の初主演作だったことを知り、「ドラゴン怒りの鉄拳」で初めて怪鳥音を発してヌンチャクを使ったことを知り、「燃えよドラゴン」でハリウッドに進出したことを知った。つまりまだ彼の特徴が出ていない駆け出しの作品。この時点のブルース・リーはフットワークが良いアクション俳優の域を出ていない。父親に感想を聞くと「まあまあ」と言っていた。子供心にも気を遣われているのが分った。たぶんつまらなかったんだ。ちなみに小学校の漢字の書き取りテストで「ききいっぱつ」をこの邦題で回答したら×をもらって不条理を味わった。○・危機一髪。
[映画館(字幕)] 4点(2009-04-07 03:18:15)(笑:1票)
410.  敬愛なるベートーヴェン
クラシック音楽に精通している訳ではないけれど、ベートーベンの作曲環境がこんなおちゃらけたものであるはずがない、という印象です。それと邦題が気持ち悪い。ダイアン・クルーガーはやっぱり美人ですね。
[CS・衛星(字幕)] 4点(2008-08-15 13:23:07)(良:1票)
411.  サロゲート 《ネタバレ》 
頭髪があるブルース・ウィリスと無いブルース・ウィリスが共演してました。基本設定は面白いと思う。人の感覚器官を代用するロボットがサロゲートと呼ばれている。尻尾はないけどアバターですな。ちゃんとセックスまでやります。サロゲートを破壊して、そのサロゲートとシンクロしている人まで殺した犯人を刑事役のブルール・ウィリスが追うサスペンス仕立て。それと並行して主人公の素性も少しずつ明らかになり、生身では接触しない夫婦間のいびつなコミュニケーションが描かれます。テーマはホストと五感を共有できるサロゲートによって人や社会はどのように変わって行くか?ということだと思うのだけど、その考察が浅い。ほとんどの人が活動領域をサロゲートに譲ってしまうことに説得力を覚えません。仕事を代わってもらえることが嬉しくても、娯楽まで代用させるだろうか? また、ラストで主人公が全サロゲートを破壊しますが、その選択もどうかと思います。「機械には血が通っていない」的なステレオタイプな描写に面白味はありません。しかも、あれは夫婦だけの問題でサロゲートの存在に責任転嫁する内容ではない。元々は体の不自由な人のための機械だったはずで、その需要を無視して良いのかとも思う。まぁ、少し真面目に考えてしまいましたが、本作はそのあたりを放棄してお気楽なエンタテイメントに逃げています。偏差値低いです。
[CS・衛星(字幕)] 3点(2011-02-21 01:12:23)(良:1票)
412.  あしたのジョー2 《ネタバレ》 
そう、この作品は当時同名のTVシリーズが放送されている最中に公開され、前半は再編集、後半はオリジナルという体裁を取った。おそらく、矢吹丈の生死に関して物議を醸していたラストシーンをTVシリーズより先に劇場で見せることにプロモーション的な意味があったのだろう。 そのラストシーンは、ゴロマキ権藤が帽子を取るカットを見て明快な回答がなされたと解釈した記憶があります。 映画自体は再編集の悪い部分がかなり出ていて、原作に親しんだ人ほど残念に思う作りになっています。未見の方には、自分はテレビシリーズの「あしたのジョー2」を強くオススメしたいです。原作に無かったエピソードが追加されたり、理屈が通らなかった部分を当時の時代に合わせて整合し直したりと、本作のエッセンスを損なわずに筋の通った流れに再構築されています。 この物語のテーマはカーロス戦後に丈が紀子と交わした会話に有ります。↓で【コナンが一番】さんが詳述していただいている台詞です。自分も、特に方向性の定まらない焦燥感に駆られた高校生時代などは、白い灰に燃え尽きるジョーの青春に強い憧れを覚えました。打ち込めることがあるか。そして、そこに全霊を注ぎ切れるか、ということです。でも、年齢とともに視点が微妙に変わってきたことも確かです。残された段平や葉子、西や紀子、ドヤ街の子供たちのことを考えると、白い灰になるまで燃え尽きることを手放しに肯定できなくなった自分がいます。矢吹丈は結局、自分本位に生きただけの奴だったのか? 答は出ていません。自分がいい歳のオヤジになっただけかも知れない。ともあれ、ある時期、矢吹丈の生き方が自分のある部分を支えていたのは紛れもない事実です。そして、今の若い世代が、白い灰になるまで何かに打ち込みたいなんて言ったら、私は手放しで応援してあげたい。 点数はこの再編集映画に対しての評価です。原作やTVシリーズが対象なら、迷わず10点を付けます。
[映画館(邦画)] 5点(2009-03-12 03:51:43)(良:1票)
413.  メカゴジラの逆襲
この「メカゴジラの逆襲」はシリーズのひとつの節目になっているので、この場を借りて作品レビューじゃないことも少し書かせてもらいます。1954年の誕生から1975年のこの作品まで、約20年間に15本のゴジラ映画が作られた。一般に昭和ゴジラシリーズと言われている。自分は小学生の頃に、東宝チャンピオンまつりという数本立ての子供向けオムニバスの中の一作品として初めてゴジラに接した。 東宝チャンピオンまつりは、春や夏の子供集客企画で、毎回ゴジラ映画の新作を上映する訳ではなく、過去作品の再映で体裁を作っていた。なので自分は対キングコングや対モスラ、三大怪獣などを1970年代に観た。つまり鑑賞当時は5年~10年過去の作品を劇場で観ていたことになる。数か月後のレンタル流通が当たり前になった現代では考えられないことだ。でもこれは結果として良かったと思っている。概して昭和ゴジラシリーズは後半に行くほどダメダメであるが、初期の作品を劇場で観たからこそ、自分は本格的な(?)ゴジラファンになったと明確に言い切れるからだ。初期のゴジラ映画は日本独自の怪獣映画というジャンルを確立し、自分の小学生時代の映画とはブルース・リーが現れるまではゴジラ一色だった。 そのシリーズも興行的理由から今作で一旦打ち切りとなる。シリーズものを続けるのは難しい。新しい魅力を提供し続けない限り客足は遠のいて行く。シリーズ前半はゲスト怪獣が頑張ったり、出演怪獣の数を増やしたりしてしのいだが、後半になるとゴジラは擬人化し、人類の味方になり、空を飛んで、プロレスまでやった。よく続いたと思うのである。ただ、内容がどんどんと幼稚になって行ったことは、本当に正しい方向性だったのか? 子供の鑑賞視点はそんなに低いのか? 少なくとも小学生時代の自分は、子供の味方のゴジラより、悪役としてモスラと戦っているゴジラの方が強そうで凛々しくて好きだったぞ。 この「メカゴジラの逆襲」だが、学会から異端扱いされ、宇宙人側に寝返ってチタノザウルスを操る真舟博士役を平田昭彦が演じている。奇しくも1954年の第一作で、自分が発明した兵器の恐ろしさを自覚し、その兵器でゴジラと共に海底に消えた芹沢博士も彼が演じていた。この二人の科学者のスタンスの違いが昭和ゴジラシリーズの20年の変遷の両端にあって、それを同じ平田昭彦が演じていることが啓示的である。
[CS・衛星(邦画)] 4点(2008-11-19 01:45:21)(良:1票)
414.  コナン・ザ・グレート 《ネタバレ》 
邦題がチグハグですよね。偉人の伝記みたいな先入観を持っていましたが、「Barbarian」って「野蛮人」ですよ。それで本編を見たら、見事に「野蛮人」の映画ですからね。乱暴で盗みを働き人殺しを何とも思っていない。基本的には腕力で物事を解決する。その生き方の是非を問うというより、そんな「野蛮人」がのし上って行く世界観を真面目に提示しようとした姿勢は感じられました。セットの作り込みや動員しているエキストラが半端じゃない。しかし、野蛮人がヒロイックに見えるほどには盛り上がらないのがイタイところです。こんなに喋らない主人公は珍しく、体でモノを言わせたかったようですが、野蛮人らしい決め台詞くらいはあった方が良かったと思います。ジャンルは違いますが、「野蛮人」の描写を追及して成功したのが「ターミネーター」だったという見方もありますね。
[CS・衛星(字幕)] 5点(2012-05-08 01:49:51)(良:1票)
415.  テッド 《ネタバレ》 
こんなに面白い作品とは思っていませんでした。大切なことを語っているとも思いました。以下、誇大解釈です。 テッドの存在は童心の象徴。重ねた歳のおかげで純真という訳には行かず、童心の残滓と言っても良い。周囲はそこに訣別して真っ当な大人になれと言う。真っ当な大人とは、自分の立場を自覚し、TPOをわきまえ、社会的責任を果たせる人。まことにその通りだ。でも、本作はそこに待ったを掛ける。 多くの人は歳を重ねる従いどんどんツマラナイ人になって行く。自分のことを含め、私はそう思っている。経験値が累積して物事に動じなくなると同時に、かつては感情が揺さぶられたことにも動じなくなる。滋味が分かる能力への転化とも言えるが、感受性という意味では明らかに「鈍化」だ。本作の主人公は、大人になり切れない代わりに、多くの大人が失った感覚を維持している。そこに視線を向けたい。作中にばら撒かれた過去作品の小ネタは懐古主義では無く、感性を鈍らせない為の楔であり、オタク趣味の純真と捉えたい。大人になることは大事だけど、感じる力を失わないことも大切で、それらは決して択一する必要の無い要件のはず。本作は上品とは言えない笑いの中に、人生を愉しむ方法論を示唆していると思います。 ちなみに、フラッシュゴードンには不案内だけど、藤岡弘に会えるなら床までアクセルを踏んで駆け付けたいです。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2014-02-15 21:29:20)(笑:1票)
416.  マイケル・ジャクソン/THIS IS IT 《ネタバレ》 
先週、観て来ました。昨日、近くのシネコンは最終日だったんだけど、ネットで調べたら最終の2回は満席で予約不可でした。最近、こういう観られ方をした映画は記憶にない。有名な俳優が亡くなると、追悼番組として代表作がテレビに掛かることは間々あるけれど、ミュージシャンのMJの追悼が劇場でドキュメンタリーとして上映されること自体がとても異質なことだ。それは反対に、彼の存在の異質さを象徴している。ドライな見方をするなら、故人になっていなければこんなに感じ入ることは無かったと思う。追悼の意味を帯びた映像は特殊なパワーを持って観る者に浸潤する。でも、長期の沈黙を経たMJのパフォーマンスには、追悼という意味を抜きにしても刮目させられたのは事実だ。皆さんご指摘のように、その体のキレはとても50歳とは思えないし、日頃から鍛錬していなければあんな動きは出来ないだろう。昔から耳に馴染んだナンバーに、時間が経つことを忘れて聴き入った。マスコミが流すゴシップの真偽に興味は無いが、ミュージシャンとしての彼は真摯に自らの音楽と向き合っていたことを感じさせるには、充分な証拠映像だった。同時に、彼がゴシップネタにされる所以も垣間見えた気がする。スタッフが彼に対して、相当に気を遣っているのが分かった。誰も逆らえないカリスマ性を持ち合わせているが故に、反感を買うこともあったのだろう。リハーサルでもほとんどサングラスをしたままで素顔を見せず、発する言葉もどこが浮世離れした感がある。このドキュメンタリーフィルムからミュージシャンとしてのMJの素顔は見えたけど、人間としてのMJの素顔は見えなかった。彼はやはり食事もしなければトイレにも入らない別世界の人間という印象。そんなことも含めて、彼らしさなのだろう。自分の中では時間と共に風化しかけていたMJだったが、このフィルムによって劇的にエッジを効かせて記憶に刻み込まれた。観て良かったです。最後に、あのスタッフの創作のエネルギーに舞台が与えられなかったことがとても残念です。
[映画館(字幕)] 8点(2009-11-28 01:38:18)(良:1票)
417.  めがね
高校生のころ、大きな風景を目にすると、必ず長い間ぼーっと眺めていた。「たそがれる」という言葉はその頃は無かったけれど、まさにそれだ。当時は悩み多き高校生で、大きなものを目の当たりにすると、自分の存在が矮小に思えて、同時に抱えている悩み事がさらにちっぽけに思えた。自分を励ます手段でした。歳を重ねると共にそんな感じ方はしなくなったけど、相変わらず「たそがれる」のは嫌いじゃない。視界にしばらく風景を収めると、無意識に自分を取り巻く世界と、そこに個として存在する自己を感じます。あえて言うなら、個を相対化する効果ですね。少し視野が広くなる感じがします。この映画が「たそがれる」をフィーチャーしてくれたのは嬉しいんだけど、その中味には言及しようとしないところに不満が残る。まぁ凄く難しいことではありますが…。荻上監督はインタビューで「うちで飼ってる猫のおでこの匂いを嗅ぐとたそがれますね」と言ったらしいが、私に言わせるとそれは「たそがれる」では無い(笑)。こりゃまた映画のレビューになって無い。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2009-10-23 00:59:46)(笑:1票)
418.  ゲッタウェイ(1972) 《ネタバレ》 
自論ですが、カッコいい男の重要な条件は弱さや繊細さが表現できること。本作のマックィーンがまさにそれです。自分を刑務所から出すために結果として不貞を犯した妻に対するぎくしゃくした態度。妻の頬を張るぎこちない手並み。理屈では妻の心情を理解しているのに、うじうじが昂じて別れを口にする。別れられないくせに。妻との関係で見せる等身の人物像と、プロフェッショナルとしてのアクションのバランスが、マックィーンという稀代の俳優の個性によって絶妙に結実した作品だと思います。こんなつつましいアクション映画は観たことが無い。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2010-11-16 22:47:04)(良:1票)
419.  男はつらいよ 寅次郎恋歌 《ネタバレ》 
博の母の葬儀にいきなり現れた寅次郎を見た時のさくらが絶妙。「あぁ、どうしよう」って顔に書いてありました。それだけ格式ばった場所にそぐわない男で、案の定、葬儀の席にはフランクすぎる態度で白い目で見られます。 第一作以来になる志村喬と寅次郎の絡みは、映画界の大ベテランとの顔合わせという意味でも見応えがありました。 マドンナ・池内淳子との関係はいつものパターンとは少し違いました。今回に関しては、恋愛する前に失恋したという印象です。寅次郎は、志村喬に諭された「市井の幸せ」に憧れを持ちつつも、それを実践できない自分を自覚していたのだと思います。片や、寅次郎が語るフーテン生活に憧れるという池内淳子。でも、寅次郎には、彼女がそんな生活に馴染めるとは思えない。つまり、二人の現在地点から憧れへ向かうベクトルは反対方向を指していました。もし寅次郎の恋慕が叶ったとしても、どちらかの意向に合わせる生活が待っています。寅次郎はそこに明るい未来が無いことを感覚的に悟ったのだと思いました。 森川信さんの最後のおいちゃん役、今更ながらに早すぎたと残念でなりません。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2013-05-20 02:02:12)(良:1票)
420.  ハリー・ポッターと謎のプリンス
原作のダイジェスト感が著しいこのシリーズの中で、本作にはさほどアレルギーを覚えなかったです。これまで少年少女だった彼らが青年に近づき、にわかに色気づく。「賢者の石」から出演者を変えずに製作してきたことがやっと実を結んだ気もする。人の成長をシナリオや演出やメークで見せるのは限界があるが、このシリーズは実際に成長しているので、続けて観ていると感慨深い。ハリーもロンもハーマイオニーも育ち方が一様じゃなく、個人差があるところが自然な演出になっている。最後の戦いに向けてのお膳立てが終わったって印象の本作。いよいよこれから、って感じは出てました。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2010-06-07 23:03:00)(良:1票)

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS