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プロフィール
コメント数 646
性別 女性
自己紹介 2006年のレビュー本数4本ってあんまりですわね。
2005年には「姑獲鳥の夏」まで見ていたクセに。
ってこういう使い方やっぱ邪道ですよね。来年こそは。

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1.  2001年宇宙の旅
映画は大衆の娯楽であるべきで、よっぽどのばか以外はそれなりに支払った代価に見合う楽しみが得られることを前提とするべきです。そういう制約の中で、優れた主張や価値あるメッセージを一部の知性ある人々に向けてきちんと発信できる作家も大勢います。わからないばかは帰れ、という姿勢は、映画という芸術そのものが歩んで来た道のりを否定するものであり、映画という存在そのものを否定するものであります。仮に私一人が理解できる作品に出会ったとして、その感動を分かち得る相手がこの世に一人も存在しなかったとしたら、映画を観る楽しみはほとんどなくなってしまうでしょう。この映画に感動する人々を私は非難しませんが、この映画を理解できなかった私にもきちんとわかるような説明を与えてくれる心優しい人を私は知りません。たとえばロダンの彫刻であっても、無人島に置き去りにされていればただの石ころであるのと同じように、映画も多くの人が楽しんでこそ、初めて成立するものであると私は信じます。これまでこの映画について現実的に私にも理解し得る解説をしてくれたのは、今年還暦を迎えた私の母ただ一人です。「この人は死んだから星になったのよ。人間は死んだら星になるっていう映画じゃないの」というのが彼女の意見ですが、そう言われてみればそのようにも受け止められます。私は「メリー・ポピンズ」を観ていて長いと感じたことはないですが、この映画はいつも非常に長く感じられます。幸いにして、この映画があるおかげで私が不眠に悩まされることはありません。そういう意味では、使える映画であるとは思います。
2点(2003-12-09 00:30:28)(笑:3票) (良:8票)
2.  華氏911
嫌な映画でした。相手がどんな人物だろうと、人の悪口をひたすら2時間2分聞かされ続けるのって、正直胸がムカムカします。ここまで徹底的かつ一方的に、1人の大統領だけを攻撃し続けるというのはモラルとしてどうなのかと思います。エモーショナルと言えば聞こえはいいですが、いったい何がここまでムーア監督の「私怨」をたぎらせるのだろう?と不思議に思いました。「ボーリング・フォー・コロンバイン」では自虐的な笑いである種の「愛」を見せてくれた監督だけに、この変貌ぶりには落胆させられます。わたしはジャン・リュック・ゴダールの映画を面白いと思ったことは一度もないのですが、この映画に対する「この攻撃は敵を利するだけ」というコメントには心の底から共感しました。ムーア監督自身「自分が金曜の晩に見に行きたいと思うような映画を作りたい」と述べているのを見て、頭がどうかしているのじゃないかと思いました。映画ではあたかもブッシュが全米の猛反対を押し切って就任したかのように描かれていますが、フロリダ以外の州でゴア対ブッシュが伯仲していたのは事実であり、そういった反証を一切省いて自論に都合の良い情報だけをこれでもかとばかり詰め込んだこの作品は、もはやジャーナリズムとは言えないと思います。もちろん「アメリカは呪われろ」と絶叫するイラク女性の姿や、WTCテロのシーンでは泣かされてしまうのですが、結局のところ憎しみは憎しみしか生まないと説いている作品に憎しみしか込められていないのではどうしようもないでしょう。だいたい満員御礼でハクをつけるためだけに単館先行ってえげつないでしょう。ミラノ座なら半日でさばけてますよ。アメリカでも同じ手口で話題性盛り上げたようですが。二度と見たくない映画です。
0点(2004-08-16 00:46:56)(良:10票)
3.  セブン
恥ずかしながら、20年以上映画を観ていてこれほど「映像」そのものの雄弁さに気づかされた作品は初めて。引退を間近に控えた老練な刑事と、活気逸る新米刑事のコントラストを軸に、前半は雨、雨、雨の陰鬱な街をカメラは人の腰から下の位置で水平に移動する。対象的な後半は、晴れ渡る郊外に舞台を移し、空撮を多様した縦のラインでカメラはちっぽけな人間達を見下ろす目線。7つの大罪はストーリーを組み立てるためのモチーフにすぎず、映像のダイナミクスにあっと驚かされながら最後まで一気に引っ張って行く手腕には脱帽した。刑事部屋や図書館で見られる完璧なパンフォーカス、執拗なまでに遠近法を強調したラインの美しさや図書室のグリーンのライト、ミルズの追跡をどこまでも下から追い続けるカメラの目線、光と影、色と形、映像そのものが持つ凄まじいまでの存在感が、ストーリーの異常なまでのウソっぽさを全て忘れさせてくれる。何度でも観たくなる、神々しいまでの美しさがここにある。
10点(2003-12-02 01:00:47)(良:9票)
4.  イン・ザ・カット
はっきり言って、メグ・ライアンは大根である。ただし彼女が大変魅力的な大根であったことは、彼女自身ばかりでなく誰にとっても不幸なことであった。大根だって調理法さえ間違えなければ立派な一品料理になり得るはずなのに、コメディ以外のどんな役にも不向きな彼女は、「実力派」として認められたいがためにそのキャリアのほとんどを無駄な努力に費やして来た。たとえば戦争映画、たとえばアクション映画。挙句の果てがこれである。こうなったらもう、これが遺作となってくれることをファンとして祈らざるを得ない。女性が何かをこんなに頑張りました、ということをわざわざ言う時代ではないと思うのだけれど、はっきり言ってこの作品にはその主張が溢れすぎている。残念ながらここにはエロはあるけどエロスはない。1文字の違いだが大違いである。同じ過ちを男性がやったら、少なくとも純然たるスケベ精神だけは残るのでまだしも救いがあるが、女性がエロを頑張り過ぎたらただの下品さしか残らない。エロ度については、メグ・ライアンにしてはやりすぎだけど世間一般の現代的標準から言えば全然手ぬるい。要するに中途半端な不潔さだけが、サスペンスはおろかまともなプロットすら存在しないシナリオにベタベタとコラージュされただけ。最後の最後までこだわりを見せた「ちょっとカッコいい」風のエンディングに賭けられた作り手の熱意が虚しい、前代未聞の最低最悪映画。はっきり言って盛りを過ぎたメグ・ライアンの裸は醜悪の一言。あんなに虚しい「ケ・セラ・セラ」は二度と聴きたくない。
1点(2004-04-07 01:12:33)(良:6票)
5.  ホテル・ルワンダ
楽しい映画ではありませんし、映画としての出来も決して素晴らしいと言えるものではない。ただしこの映画のように、作られることに意義のある映画というのは実際にあるものですし、その意義が極めて高いので文句なく10点をつけました。観るべき映画だと思いますし、例えばカメラっていうのはこう回すんだよ、シナリオっていうのはこう書くんだよ、という映画では全く無いですが、映画というものにはこういう使命も間違いなく存在しているんだという一つの例ではあると思います。何が起こっているのか知りながら世界中の人々が何一つ出来なかったジェノサイド、人類史上でも稀に見るほどの大量虐殺を、せめて後世に語り継いで行こうとすることは大切です。ドン・チードルはその謙虚な個性で、無力ながらも出来るだけのことをしようと務めたごく普通の一人のホテルマンに非常にハマりました。ウソ臭い感動のツボや、ありがちなハリウッド的盛り上がりには欠けますが、人間が正気を保つことの難しい状況の中で、ヒロイズムでなく平凡な人間のあり様を貫いた主人公には尊敬の念を覚えます。久しぶりに善玉を演じたニック・ノルティ、理想に燃えて現地に入りながらも志半ばで帰還せざるを得ないホアキン・フェニックス、電話一本で主人公を救おうとするホテル・オーナーのジャン・レノ、皆それぞれに素晴らしい演技を見せてくれました。観たことを忘れない映画であると思います。
[DVD(字幕)] 10点(2005-05-07 03:20:07)(良:6票)
6.  カッコーの巣の上で 《ネタバレ》 
あらゆる意味で、その後の私の人生に絶大なる影響を与えた映画。70年代ホラーやパニックブームの中で、娯楽映画の楽しみに浸っていた中学生は、この映画に出会って初めて、世の中にはただ楽しいだけでなく、価値ある映画があることを知る。そして世の中には不条理があること、自分の心で感じ、頭で考えることの自由さ。中学生という多感な年頃にこういう映画に出会ってしまったことはある意味不幸であったような気もするが、とりあえず私はこの後数十年に渡って「正義」という言葉の意味についてクドクドと考え続けることになる。この映画の主人公R.P.マクマーフィは、本当に精神異常者だった「かもしれない」し、あるいは刑務所の強制労働を逃れるために精神異常者を装っていた「かもしれない」。マクマーフィ役を演じたジャック・ニコルソンや監督のミロス・フォアマンも語っているとおり、マクマーフィが精神異常者だったのかどうか、映画は最後まで明らかにしていない。実はそのことがこの映画のテーマなのである。精神異常者である以前にれっきとした犯罪者である彼は、精神病院の「体制」を維持するためにロボトミー手術を受けさせられる。体制の維持は、人間性の剥奪に勝るのか。精神異常であるか、単なる犯罪者であるかという点で、人はその精神の自由を奪われることを判断されて然るべきものなのか。そしてマクマーフィの押し通そうとした「自由」を、異常であると決めつける権利が本当は誰にあるのか。犯罪者であるから抹殺して良い、精神病患者であるから治療しなければならないと考える多数派による「良識」のあり方を、この映画は問題提起の形で描くだけで答えは観客の手にゆだねられている。決して正しくはない主人公の生き方を、異端として排除する多数決社会の価値観は、我々が無意識のうちに選んでいるはずのものであり、それを支えているのが「常識」や「道徳」という名の社会規範である。主人公の行き過ぎた自由を容認するほど社会は優しくはないが、病院側の行過ぎた制裁を支持するには、人々の心は冷たくもない。ただ一方的に自由だけを高らかに歌い上げるのではなく、非常に曖昧かつ必要不可欠な「バランス」そのものに疑問を掲げるこの作品は、多くの人の人生にとって避けて通ることのできないものであると私自身は考えている。
10点(2003-12-11 23:18:09)(良:6票)
7.  勝手にしやがれ
非難の嵐は覚悟の上で率直に言ってしまいますが、私はこのトシになってもやっぱり、ゴダールとキューブリックは裸の王様だと思います。確かにある種の人々にとって、ゴダールやキューブリックを語ることは知性の現われであるとみなされたりします。こういうモノが理解できる自分って知性派、というムードに酔える作品であることは私のような愚か者でもなんとなく想像はできます。でも私は無知で無教養なので、わかんないものはわかんないと正直に発言してしまい、時には同情されたり、露骨にバカにされたりします。この映画の価値がわからない私は、ある意味同情に値する惨めな存在であることを強く否定はしません。正直、この映画は眠かったです。眠くて辛くてどうしようもなかった映画を、他人から頭良いと誤解されたいがために「いやーやっぱりゴダールっていいワ」なんて言うことは、子供の頃の親の躾に逆らうことになるのでやっぱりできません。ごめんなさい。どうしても私には、この映画は長くて眠くて辛かったです。
0点(2003-12-11 23:26:44)(良:5票)
8.  スーパーサイズ・ミー
面白かったです。マイケル・ムーアのパロディなんじゃないの?と思うようなファストフード版「ボーリング・フォー・コロンバイン」なんですけど、敵がファストフードだけにそれほど深刻ぶらずに済みました。自ら被験者になる、という過激なパフォーマンスはアメリカ人ならではの売れよう根性だと思いますが、バカバカしさの中にこれまで誰も言おうとしなかった「肥満」に対する重要な警告が込められていて、タッチは軽いですが非常に重要な作品であるとも思います。特にアメリカの高校生が学食で当たり前のようにジャンクフードを食べていることや、栄養の不均衡が集中力や学習意欲を低下させることをきっぱり告発した姿勢は見事でした。 アメリカ人がいかに肥満しているか、というシーンで日本の観客からは「おぉー」というどよめきが上がったんですが、実際アメリカであのぐらいの肥満は少しも珍しいことではないです。これはちょっとでもアメリカの土を踏んだ人なら全員が実感していることだと思います。1週間も居れば、自分はちょっと栄養不良なんじゃないかと思えて来ますから。 一方的にファストフード・チェーンだけを批判するのではなく、それを安易に利用するアメリカ人の生活習慣、外食依存型のライフスタイル、運動量の低下など消費者側の問題点にもきちんと触れている点にも好感が持てました。ただしファスト・フードの手軽さ、価格の安さ、それに頼らざるを得ない貧困層のジレンマまで含めてしまうと結局マイケル・ムーアの世界に突入してしまうので、本当はそこまで掘り下げるべきだったのかな?とは思います。 この作品は実際にマクドナルドからスーパーサイズを廃止させ、いくつかの高校からは清涼飲料水を撤去させました。そういう意味でも、価値ある作品であったと思います。
10点(2005-01-02 00:35:08)(良:5票)
9.  恋愛小説家
退屈しました。ジャック・ニコルソンの名演技なんて過去にも他に捨てるほどあったのに、なんでこの映画でオスカー受賞しなきゃならないの?と叫んでしまった。ヘレン・ハントは女優として華がない、噛んでも噛んでも味のしないパサパサした麦わらみたいだし、誰にとってどういう風におもしろいのか理解に苦しむ作品でした。でも非常に良かったと言ってる友達も多いので、よっぽど私の機嫌でも悪かったんでしょう。イヌは可愛くないし。何を観ろと言うのだ。
4点(2003-11-22 20:35:01)(笑:3票) (良:1票)
10.  イージー・ライダー 《ネタバレ》 
ここ20年くらいの間に映画を観始めた世代にとっては何ということもないのだが、実はオールロケ撮影という撮影方法自体が言語道断だったこの時代、今となっては誰も驚かないこのロードムービーがどれほど衝撃的だったかは想像に難くない。正真正銘のダメ人間たちが自堕落な主張を振り回して彼らにとっての実に一方的な自由を追い回す、というストーリーだが、保守的な「常識人」による銃撃という問答無用の制裁を受けるラストの意味するものは、「キャプテン・アメリカ死すとも自由は死なず!」と叫びたいのか、はたまた安易に猟銃を振り回す常識に対しての痛烈な批判なのか、それとも単にデニス・ホッパーがラリッていたからワケわかんなくなったのか。ちなみに筆者は最後の説を信じる。ヤク中はハッピーだが、ヤク中は一方的だ。この映画、デニス・ホッパーが最初に編集した時には6時間半だか7時間あったと聞いている。そのまんま公開されていたら、最後まで観るのはデニス・ホッパーぐらいのものだったに違いない。でもまあ、何と言っても初のオールロケ作品である。「すごいなあ」の一言ぐらいは、言ってあげてもいいと思う。
8点(2003-12-06 22:14:35)(笑:1票) (良:3票)
11.  キル・ビル Vol.2
これ誉めちゃっていいのかなあ。レビューワーとしての良心は著しくとがめるんですけど、映画ファンのハートが「誉めて誉めて誉めちぎれ」と悪魔の声でささやき続けるんですよね。つい昨日、「コールドマウンテン」を「これは映画じゃない」とコキおろしたわけですが、じゃあ「キル・ビル Vol.2」は映画なのか、と。前半とつなぎ合わせて考えてもね、これってただのタランティーノの好きなものコラージュですよね。悪く言えばほとんど思いつきだけで出来ている。過去の作品にも十分あった傾向だけど、過激にエスカレートした結果、ストーリーもへったくれもない話になっちゃった。これが許されてしまうっていうこと自体が、タランティーノの実は最高の才能なんであって、普通こんなの絶対に許される物じゃない。言うなれば公開マスターベーションなわけですよ。実際、そういう映画ってけっこうあるし、たいていは誰からもハナもひっかけられない。ただしこの作品の場合は、あらゆるカットから監督の映画に対する熱い情熱がほとばしり過ぎてしまっているのが素人目にもあまりにもわかってしまうので、この狂おしいまでの愛情を誰も否定できないんだと思います。クライマックスだけあって前半のVol.1よりもはるかにテンポは良いし見やすいです。意見がハッキリ分かれた前作である程度客層が絞り込めた結果、劇場内は純粋なタランティーノファンだけで占められており大変雰囲気の良い鑑賞となりました。「Natural born killer.」とか、ビルの倒れるタイミングとかね、必要な場面でちゃんと笑いが取れてましたしね。この客層は本当に良かった。はっきり言って、タランティーノにある程度理解のある人以外は、見ても完全に無駄だと思います。これは彼の「好き!」だけに突っ走ってる映画だから、冷めた観客には通用しない。でも私は好きです。どこまでも、おつきあいしたいと思います。無茶苦茶で問答無用でセオリーもへったくれもないんだけど、これはタランティーノが本当に作りたかった映画。なんだかねえ、優等生みたいな人たちばっかり増えて、誰もがお利口になって行く中で、一人いつまでもガキ魂を失うことに決死の抵抗を続けている姿が泣かせてくれます。少なくとも、21世紀にはタランティーノがいる。これは大変な救いになっていると思います。
10点(2004-04-26 23:29:55)(良:4票)
12.  トゥルー・ロマンス
一瞬のうちに燃え上がり、最後の最後まで一途に突っ走るハイテンションな恋。誰もが心の奥底で憧れながらも、実際に手にする人は滅多にいない「本物の恋」を具現化した、現代人にとっての究極のファンタジー。「トゥルー・ロマンス」というベタベタなタイトルからも伺い知れる通り、ここには打算もなければ駆け引きもない。オタクなコミック店員と、駆け出しのコールガールという、あんまり頭の良くない二人だからこそやってのけられる無軌道で出たとこ勝負な逃避行を描いたこの作品は、混迷を極める「今」を生きる全ての人々に、人間本来のピュアな欲望と、シンプルかつストレートな行動力への憧憬を起こさずにはおれない。いろんな意味でおバカな人々、たとえば短い人生の中で全ての薬物にトライすることに情熱を傾けている麻薬中毒患者や、プリミティブに現金を追う人々、息子を守るためなら命も辞さない父親は体を張って追っ手の行く手を遮ったはずが、壁にはしっかり息子の連絡先、当の息子はピンク色のキャデラックというあまりにも派手な車に乗って一路西海岸を目指す。コミカルというにはあまりにも愚かな、これら登場人物の姿を通して、人の世のバカバカしさ、人生の無意味さ、唯一「愛する」ことのみによって救われるシンプルな魂のあり方を映画はつぶさに描き出して見せる。ドタバタ劇と呼んでしまうにはあまりにも衝動的な、金でなく栄光でもなく、多くの人にとって今や何よりも手に入れることの難しくなった「トゥルー・ロマンス」を、安っぽさのオブラートに包んでポン!とテーブルの上に投げ出してみせたこの作品は、せつないまでの荒々しさと無知であることの楽しさを観客の心によみがえらせてくれる。テカりきった肌にくたびれた表情、見事につけ根から地毛の黒さを覗かせたイミテーションブロンドのアラバマが、衝動的に人殺しをして戻った恋人に言う台詞がいい。「なんてロマンティックなの!」
10点(2003-12-03 01:10:07)(良:4票)
13.  時計じかけのオレンジ
どうしてもどこか褒めなければいけないとすれば、強いて言えばタイトルがカッコ良い。キューブリックはこの映画をミック・ジャガーとキース・リチャーズ主演で撮りたかったと聞いているが、実現していればそれなりに興味深い映画にはなっただろう。暴力ってそんなにイイですかね?人を幸せな気分にしない映画には、せめて感動を与えてもらいたいと私は望むのですが。それさえなければタダの野次馬根性。なんとなく、観る人をバカにした作品という印象が捨て切れない。映像的にスタイリッシュではあると思うが、それだけで本当にイイのか。私はこの作品を19歳の時に観たのだが、既にこの世界観に心酔できるほど素直ではなかったらしく、おかげで自殺者にも犯罪者にもならずに現在まで生き延びている。もう1回観てみようかな、と思わない数少ない作品の1つである。
2点(2003-12-06 00:57:34)(良:4票)
14.  愛しのローズマリー
すみません。どうしても納得が行きません。外見だけで人を判断してはいけない、って言いたいんだろうと思うんですが、この映画だけを観てると、むしろ外見だけで人を判断しろ、と言ってるように思えるんですよね。だいたいコレではまるで、人の性格が「良い」と「悪い」の2種類しかないみたいじゃないですか?実際はもっとカラフルですよね。それに主人公だって、本当にローズマリーを愛してるんなら、何とかして痩せるように努力させるべきですよ。だってあれじゃあ健康とは言えないでしょう。ローズマリーは贔屓目に見ても卑屈で不健康な精神の持ち主で、確かに心は優しいかも知れないけど、もう美しくなりたいなんてことは諦めちゃっていて、フルサイズのケーキを半分食べちゃったりしてますよね。そんな彼女の心のどこがそんなに美しいのか、ちょっと理解に苦しみました。それに彼女はハルの長所に惚れ込んでるワケじゃなくて、見苦しい自分に興味を持ってくれたという希少価値にしか目を向けてないでしょう。そんな情けない恋愛をして本当に幸せなんですかね?私はローズマリーほど太ってるわけじゃないけど、もし自分がそうだったら、この映画を観てバカにされたような気がしてかなり頭に来たと思います。唯一、病院で出会う顔に大やけどした女の子のエピソードだけが救いでした。こういうのをブラックユーモアというのかなあ。私はかなりひねくれた話でも喜んで笑いますが、この映画には笑えませんでした。ジャック・ブラックにはかなり期待しているだけに、残念さで一杯です。
2点(2003-12-06 22:51:05)(良:4票)
15.  ギルバート・グレイプ
ごくたまにだが、その作品をビデオで上映することで、作品そのものが風景の一部となり、あるいは自分がその風景に溶け込んだまま、静かに時間だけが通りすぎて行くような映画がある。自閉症の弟は他人との距離感を知らず、太りすぎた母親は自分の力で起き上がることもできない。世間とはまったく違う時間を生きる一つの家族が、この映画の中で風景として、ただ淡々と時の過ぎるのを眺めている。欠陥家族と呼んでしまえばそれまでだが、ギルバート・グレイプはこの家族を家族として受け入れ、愛し、力まず淡々と毎日を送ることで自然に家族を支えている。苦労話は尽きないだろう。彼の人生は辛く惨めなものだろう。それでも必要以上の悲壮感をこの作品が与えないのは、彼が確固とした自我を持ち、絶望もせず行き過ぎもせず、一日一日をキチンと積み重ねているからだ。人は環境を選べないが、環境は人を殺せない。人間として、自分に責任を持ち、与えられた環境を受け入れて行くことがいかに幸福なことであるかを、この映画は非常に控えめなタッチで伝えてくれる。ラッセ・ハルストレムの作品は、いつでも清潔な極上の干草の香りがする。この作品もまた、映像の形を借りた一つの詩なのだ。
8点(2003-12-03 23:32:29)(良:4票)
16.  日本の黒い夏 冤罪
今どきお金を払ってこの映画を観に行く人は滅多にいないと思いますが、日本映画の良心として、この映画を作ろうと思ってくれる人がいることは嬉しいです。作りとしては非常に古式ゆかしい日本映画ですし、ここまで真面目に真正面からこういう題材を撮ること事態、あり得ないぐらい特殊なことだと思います。ただし映画にはこういう使命もあるということを、たまに認識しておくのは悪いことではないです。こういう事件があったことを、多くの人に知ってもらいたい、という作り手の誠意がこれほど感じられる作品に、最近では滅多にお目にかかれません。そしてこれをきちんとこのタイミングで映画にしておくことで、この作品は歴史にこの事件を記録しようとしているのです。それは正しいことで、楽しいことではないかも知れませんが、そういうことも映画としての一つのあり方ではないかと私は感じます。
8点(2003-12-28 11:59:18)(良:4票)
17.  ミスティック・リバー
遺憾ながら、前評判とは全く裏腹にごく普通の地味なサスペンス映画でしかなかった。映像は重厚、演技陣は優秀、シナリオも良く練り込まれていて何一つ問題はないのだが、美しすぎる映像と音楽、演技者達の演技の素晴らしさにストーリーが全然追い付いていない違和感が大きい。これだけの重厚感で盛り上げておきながら、あのオチはないだろう、というのが率直な感想。のっけからショーン・ペンの絶叫する「She's my daughter!」に涙を絞り取られ、予告編で何度も観たはずのティム・ロビンスの苦悩に振り回され、マーシャ・ゲイ・ハーデンの混乱に翻弄され、実に役者の存在感が際立つ作品なのであるが、後に残されるのは人生観もへったくれもないベタベタのミステリー。要するに偶然が巻き起こす運命のいたずらについて、過去を仮定法で回顧する形で「誰の身にも起こり得たこと」として描きたかった意図はわからなくもないが、物語のたどり着く結論が結局人生を変え得るのは教育でしかないという言われ尽くしたメッセージであることの不毛さに脱力した。前半の展開の速さに、「スリーパーズ」の失敗をここで是正しようとしているのかな、という妙な納得はあったが、「スリーパーズ」で児童虐待に励んでいたケビン・ベーコンに、大学教育によって低所得層からの脱出を果たした「勝ち組」を割り振ったのは冗談としか考えられない。クリント・イーストウッド御大は既に1作1作を遺作のつもりで撮っているのに違いないし、それだけの気迫の込められた作品ではある。限りなく良い評価をされる可能性の高い作品だし、おそらく賞レースでも沢山の賞を手にするだろうが、御大と呼ばれるほどの巨匠になってから傑作をモノにする監督が極めて少ないのもまた事実である。イーストウッドよ、誰もあなたに厳しいことが言えない状況は理解できる。でもあなたは決してハリウッドを一括している場合ではないと思うよ。私はあなたのファンです。
6点(2004-01-13 06:44:41)(良:4票)
18.  アイ,ロボット
こんなに大マジなノリを期待してなかったのでのっけから動揺。しかしウィル・スミスはやっぱりいいですよ。この人は本当にスクリーン映えのする人で、ビデオで見てたんでは絶対にこの魅力はわからない。そういう意味では、本物の映画スターだと思ってます。彼の映画は劇場で観なければ。で、この「アイ,ロボット」、あろえりーなさんもおっしゃってますが元々チェコ語で「robota(労働する人)」の最後の"a"を取ったもの。何を意味しているかというと、これはアメリカ社会が今最も恐れているもの。すなわち国境線を越えて密入国して来るプエルトリコ人や、アフリカから連れて来られた奴隷労働者たちをルーツとする黒人たち、実はこの国の単純労働を一手に引き受けて来たこれらの人々の人口拡大はこの国の最大の脅威になっている。このテーマが読み取れると、実はこの主役は白人スターでは絶対いけなかったんだということがよくわかります。映像的には、あまりにもCGを多用しすぎるとうるさくなるんだということの一つの証明にもなっていますが、この賑々しさとウィル・スミスの泥臭さがうまく牽制し合えた気がしてわたしは好き。つまりあらゆる意味で、これはウィル・スミスでなければ絶対に成立できなかった映画なんだろうな、と。予想に反してミステリーとしての仕掛けもなかなか上手かったですし、意外な拾いモノというか、スマッシュヒットと言って良いんじゃないかと思います。挿入された「人間にできてロボットに出来ないもの」のエピソードもなかなか深いですし、これまで観て来たロボット物の中では頭一つ飛び出た感がありました。何度も観たい作品か?と言われると微妙に答えが難しいところではあるので泣く泣く1点減点。でもこれはお勧めできますよ。ちゃんとおもしろかったです。
9点(2004-09-20 15:40:37)(笑:1票) (良:3票)
19.  PLANET OF THE APES/猿の惑星
前作の熱狂的な、おそらく生涯の大ファンである私が、そこまでではないが結構熱心なファンであるティム・バートンの「猿の惑星」を観ていったい何と言ったら良いのか。究極のジレンマな気もするが、こういうモノはとにかく前作と切り離すに限る。この作品にはもちろん、前作に色濃かった絶望的な未来感、壮絶な主従逆転の構図、といった趣はない。その代わりに、この作品には前作では技術的になし得なかった超越的な運動能力を誇る猿、スピード感溢れる演出、CGを駆使した圧倒的なスケール感がある。娯楽作品としてどちらが優れているかは自明の理であり、前作を支配していた世界観をそのまま引きずって低俗な二番煎じに落ち着けなかったという点で、全く別の現代の娯楽作品として正当に評価するべきだろう。ティム・バートンならではの茶目っけに溢れ、前作の時点で技術的に実現し得なかった部分については誠実にオマージュとしてやるべきことをやり、「ゴメンネ。」と観客に率直に頭を下げるエンディングは爽快。あくまでも前作に敬意を表しつつ、今どきの映画だったらこうなるんだよね、というところを無限のプレッシャーの下で上手く切り回したバートンには率直に拍手を贈りたい。残念ながら生涯に渡って愛し抜くほどの作品には至らなかったが、考えられるギリギリのバランスで上手くまとめられていると思う。この作品が前シリーズをどれだけ愛しているか、愛している者にはやっぱりわかると思うんだよね。どうしても誰かが作らなければならなかったんだとしたら、それがティム・バートンでやっぱり良かったと思う。一時はオリバー・ストーンまで名前が挙がっていたぐらいだし。被害は最小限に食い止められたんだと思いますよ、これ。
8点(2004-02-18 00:58:54)(良:4票)
20.  猿の惑星
私はこの映画が好きだ。好きだから正しいことは言えない。惚れてメロメロになっている男の欠点なんか見えるワケがないように、私にこの映画の欠点を見つけることなんて不可能だ。だから10点だ。多くの映画と同じようにこの映画にも欠点はいっぱいあるだろうし、不満に思う人もいるだろう。そのへんも、男と同じだ。違っているのは、私がこの映画を初めて観てから30年以上経っているはずなのに、私のこの映画に対する想いはちっとも冷めていないこと。そしてこの映画が私にある日突然心変わりを告げたりしないこと、それだけだ。かくして私と「猿の惑星」の相思相愛は続く。世の中では極めて珍しい、非常に幸せな未来永劫のハッピーエンドである。やれやれ。
10点(2003-12-14 17:49:48)(笑:1票) (良:3票)

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