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1.  片腕マシンガール
井口監督の『猫目小僧』を見たとき、初めて4点をつけた。それまで最低点は5点だったのだが、どうも5点に埋もれさせてしまってはいけない映画のような気がして、4点にした。あの牧歌的な怪物たちがうごめきまわるクレイジーな、どーしょーもない世界、映画から逸脱し続ける怪作にはその点しかないと思ったのだ。しかしあれは本当に監督が意識して作り上げた世界だったのだろうか、マグレということはないだろうか、という疑いがつきまとい、今度新作を鑑賞してみる気になった。もしや改心してマトモな5点級のアクション映画を作ってしまっているのではないか、と危惧していたところ、それは杞憂であった。改心してない。洗練への誘惑に逆らい、またオチャラケた笑いに逃げそうになっては踏みとどまり、最後まで“しょーもなさ”の崖の上を綱渡りして、エンディングまでたどり着いてしまうのだ。自動車修理工場の襲撃から神社のバトルまで、一気呵成に行きたくなるところで、ヒロインたちの友情ドラマをはさんでちゃんとギクシャクさせている。そして血が飛び、肉が弾け、ブラが回転する。悪夢などという上等なものではなく、“ごっこ”の気分に徹底する。これだこれだ、と思い、4点以上でも4点以下でもないところでまたピタリと決めてくれた畸形の映画に、私は心から満足している。
[DVD(邦画)] 4点(2009-03-30 12:00:25)(笑:1票) (良:3票)
2.  ダークナイト(2008) 《ネタバレ》 
もし、“悪ふざけ”の対語として“悪まじめ”って言葉があるとしたら、さしずめこれなんかそう。アメリカ娯楽映画の偉大さは、野暮を排除するところにあったはずなのに、最近は平気で野暮する。かつては、娯楽として徹底させるなかで無意識に何らかのメッセージを忍ばせることはあっても、その手つきを誇示はしなかった。ところが最近は堂々と見せて、とうとう活劇映画の山場を善玉と悪玉の対話で済ますまでになった。悪まじめであろう。それをやっちゃあおしまいよ、だ。船の相互爆破のエピソードもつらかった。「やられる前にやれ」で始めたイラク戦争の自己批判のつもりなのかも知れないけど、あまりにメルヘンチック。ジョージ・ワシントンが「桜の木を切ったのは僕です」と名乗り出るところをそのまま映画化したらこうでもあろうかという恥ずかしさ。どうしてもその話を演出しなければならないのなら、ちょっと三枚目にひとこと言わせる場面を入れるなりして悪まじめにならないよう気配りするのが、かつてのアメリカ映画だった。照れるということを知っていた。今は堂々と野暮をやる。ジョーカーが出てくるときも、もうちょっと粋に登場してほしいのに、ヒョイと出てくる、あの顔で。別にファンファーレを鳴らせとは言わないけど、悪玉としてのツヤがなさすぎないか。これからの時代、思想を語りたいのなら語っても結構。ただ、悪ふざけにも悪まじめにも堕さなかった、かつてのアメリカ映画の栄光を忘れないでいてほしい。
[DVD(吹替)] 5点(2009-05-06 12:08:21)(笑:1票) (良:3票)
3.  純喫茶磯辺 《ネタバレ》 
人々の心模様が描かれるという点では、伝統的な日本映画。チャランポランのお父さん、イマドキの娘、ちょっと離れて別れたお母さん、といるとこに、風来坊的な美人のモッコさんが、掻き回しに登場してくるという段取り。彼女のキャラクターが、サッパリと現代的なようでいて(配ってくれと頼まれたビラをあっさり捨てたり)、古風な愛想尽かしの場を演じてみせたりして、屈折を持たせている。飲み屋での愛想尽かしの場は、けっこうジーンときた。その前に、元カレに「おまえはどこで何やったってダメだ」と決めつけられ、いや自分にはあの喫茶店という居場所がある、と心のよりどころに出来たその直後、娘に当たられて、「お客とやっちゃいました」って、愛想尽かしをさせる言葉を笑いながら言う。歌舞伎では「愛想尽かしもの」ってジャンルがあるくらいで、義理のためにわざと惚れた男に愛想尽かしをさせる場、ってのが日本人は好きなの、そういう古風な型が現代風俗の中でもまだ有効であることを見せてくれた。娘があとで、モッコさんに謝らなくちゃと思い、走る彼女を父さんの自転車が追い越していく、なんてとこがきれいに決まっている。店の客では、いつもマスターと間違われる寡黙なミッキー・カーチスもいいが、「あんた九州出身?」の斉藤洋介が好き。ロケは東京の和泉多摩川商店街らしく、東の荒川などでロケした映画だと、すぐ土手を使って画面にアクセントをつけたがるが、西のこれではそういうことしてない。下町じゃないんだ、どこにでもある郊外住宅地なんだ、って感じなのか。
[DVD(邦画)] 7点(2009-05-23 12:08:42)(良:4票)
4.  ローマの休日 《ネタバレ》 
「公人」としての王女と「私人」としてのアンの葛藤を底に秘めつつ、初デートのういういしさを描いたロマンスや、逆シンデレラ(最初の謁見シーンで靴を脱いだ)としてのおとぎ話の要素も織り込んだ豊かな映画。ラストの記者会見で泣けてしまうのは、やはり公人と私人のテーマが生きてるからだろう。王女は公人の窮屈さから逃亡し、休日を得る。でも彼女は責任は捨てられず、自分の義務に戻っていく。ここに彼女の人としての成長がある。それは痛ましくもあるが、人として大きくなったことを描く記者会見が付く。あくまで公の会見でありながら、そのなかに恋人同士の「対話」を織り込んだシナリオが秀逸で、一番思い出深い都市はローマときっぱり宣言する晴れ晴れしさ、公人に戻っても私人は消えていないことを告げる輝かしさがいい。会見の始まりで、二人の視線が合った瞬間にあたりのざわめきが消え完全な静寂が訪れ、「公」の場に「私」の回路が生まれたことを知らせる優れた音響演出も忘れてはならない。それにしてもオードリーはモノクロからカラーに変わる絶妙のタイミングでスクリーンにやってきた。本作や『麗しのサブリナ』や『昼下りの情事』がもしカラーだったら、彼女は妖精とは呼ばれなかったのではないか。カラーのオードリーも美しいが、あくまで地上の美女であり、色でなく光で描かれた彼女こそ妖精と呼ばれるにふさわしい。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2012-09-09 09:15:07)(良:4票)
5.  ラヂオの時間 《ネタバレ》 
この人の基本モチーフは「その場しのぎ」を重ねてひたすら横滑りし、とんでもない地平にまで至ってしまう面白さ。リツ子をメアリー・ジェーンへと駒を一つ移動しただけで、次々と横滑りが起こり、海のないシカゴへ、ダムの決壊へ、漁師がパイロットへ、さらに宇宙飛行士へと、どんどん非日常へ拡散していく。芸術と仕事との関係とか、芸術者の署名の責任とか、副次的なテーマもあるけど、この拡散の勢いこそが本作の眼目。拡散に手を貸していく面々のキャスティングが楽しく、三谷組の役者と芸能界からの起用とのアンサンブルが見事。ただただ事態を面白がっているような井上順なんかが、すごくいいのよね。そういう芯まで「芸能界の人」と、「車のセールス」やってる実直な旦那・近藤芳正(疑惑に囚われている彼を横移動で捉えるとこが傑作)と、まったく地平の違う人たちがここに集められて、ドラマをこね上げていく祭のような楽しさ。いかにもこういうところにうろちょろしてそうな業界の便利屋・モロ師岡も忘れてはならない。世界が閉じてしまうのを壊そうとトラックの運ちゃんを登場させた意図は分かるが、なんか蛇足の印象。こういうコメディは閉じてていいんじゃないか。外の目としては我々観客がいるんだから。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2012-06-26 10:29:18)(良:4票)
6.  12人の優しい日本人
『12人の怒れる男』って、これ日本だったら、ってついつい考えつつ見てしまう。三谷さんもそうだったんだろうな、と凄く腑に落ちた。その感想文をドラマにしたような本作は、単なるパロディではなく、日本人論として良く出来ている。①まず情から入ってくること。被告に同情するか否かが、ポイントになる。②個人より団体戦になる。チームが出来てしまい、無罪派は有罪派に負けるなっ、で気勢が上がる。③傷害致死で妥協しようと、落としどころを探る。ここらへん、いちいち笑ったが、日本社会のいろんな場面で目にしていることばかりで、そうそう笑っててもいられない。④休憩時間で雑談っぽくなると、みなけっこう喋りだすのもリアル。一番分身のように感じたのは上田耕一で、議論とか会議とかは向いてないんです、と逃げ腰。議論がほとんど喧嘩として神経を傷めつけてくる。でも何か役に立たなくちゃと思い、有罪・無罪と書かれた専用の投票用紙をせっせと作ってる。「縁の下の役割りなら一生懸命手伝います、そっちやりますから議論は勘弁して」というスタンス。これ分っかるなあ。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2013-01-17 09:55:48)(良:4票)
7.  キサラギ 《ネタバレ》 
キサラギ役のコに出演依頼するとき「君だと絶対笑いが取れるんだ」と正直に説明しただろうか。いや、していまい。「小栗旬が熱狂的なファンというアイドル役で、君のキサラギって役名が題になってるんです。ん~大丈夫、全然芝居は難しくないよ」などと言ったであろう。どれも嘘ではないから詐欺罪で告訴するのは困難だ。冷血なマネージャーが「これで君もブレイク必至さ」と後押しする。嬉しくって田舎のお父さんにも、今度主役をやります、とメールを送っただろう。田舎のお父さんは、地元ではなかなか見られないので、東京まで出てきて鑑賞したかもしれない。映画なんて若いときに『天と地と』を最後に見て以来だ。いつ娘の顔が出てくるかとドキドキしながらスクリーンを食い入るように見ている…。芸能界とはむごい世界だ。しかしそれにしてもキサラギが顔を見せた瞬間の「ウワーッ」というノケゾリ感は圧倒的だった。けなげじゃないか、実にけなげじゃないか。あのコにも5人くらいのファンクラブが出来てるかもしれない、ちょっと検索してみよう。
[DVD(邦画)] 7点(2008-04-23 12:20:54)(笑:1票) (良:3票)
8.  街の灯(1931)
これって長谷川伸の股旅ものとつながってるよね。しがない渡世人=浮浪者のささやかな善意と、それが報われるドラマ。「日本人にしか分からない」とか言われる人情の機微って、思いっきり世界普遍のものだ。眼が見えない=正体が分からない、という仕掛けを十分に使ってドラマを展開し、ラストの控え目な対話だけでサラリと終わらせる鮮やかさは西欧のものだけど。娘に対しては慈善紳士と浮浪者がチャップリンに重なり、金持ち紳士に対しては、絶望から救った親友と見知らぬ浮浪者が重なる。はっきり見えているのはどちらにも浮浪者としてのチャップリンのみ、しかし二人の心の世界に存在していたのは慈善紳士と親友だったわけだ。食べられないものを食べるギャグは、ここでも紙テープや石鹸が登場した。ボクシングシーンでさっとレフェリーに重なる動きの見事さ。動きと言えば、大したギャグではないのに、歩道の背後で上がり下がりするエレベーターの縁でハラハラさせるのなんか、彼の体技で魅せてくれた。落ちそうで落ちないってギャグ、チャップリンの好きなモチーフだ。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2013-01-08 09:54:10)(良:3票)
9.  レスラー 《ネタバレ》 
『シン・シティ』観たとき、ミッキー・ロークがよく分からなかったのは、顔や体型をメイク技術でそうとういじってるからだろうと思ったが、けっこう素のままだったのかもしれない。本作でも、ときに口元にいたずらっ子のような往時の面影が認められてやっと納得いくが、スーパーの惣菜売り場で出会っても、「M・ローク」と名札が付いてなくちゃ気が付かないだろう。かつてのクールでセクシーなスターが、体も顔も崩れた姿をスクリーンにさらす。この映画、劇映画としてより、M・ロークのドキュメンタリーとして観てしまうし、そう観て初めて価値があるんじゃないか。マリサ・トメイと「80年代は最高だった」とうなずき合う場など、シナリオ、当てて書いているとしか思えない。それでもリングに・スクリーンに戻る「男」の姿。しばしば後ろから追い続けるカメラも、その効果を高める。話として臭くなりかけるところで、ドキュメンタリーとしての味が出て締まる。いやあ、映画スターというものは業の深い職業ですなあ。実際の人生だったらば、スーパーの惣菜売り場で働く勇気の方が偉いと思うけど、スクリーンの中の世界では、こうでなくちゃならない。かみそりでこっそり額を切っとくような世界と同列なんだもん。
[DVD(字幕)] 6点(2010-04-21 12:07:56)(良:3票)
10.  麦の穂をゆらす風 《ネタバレ》 
最初のうちは、明確な敵に対決していく何の迷いもない義勇軍の時代。訓練もどこか戦争ごっこのようなのどかさを伴う。しかしそのかつて訓練をしていた緑の野で仲間を処刑してから、ドラマは陰惨さを帯びてくる。ああローチの世界に入っていくな、と思う。敵の輪郭が崩れ、仲間の輪郭と溶け合い出す。やがて協定への妥協派と否定派への分裂、義勇軍は正規軍と反乱軍として対決する。これはアイルランドの特殊な物語ではなく、歴史上どこにでも見られた悲劇。ローチ監督自身すでに「大地と自由」でスペイン内戦を舞台に描いたテーマだ。何度描いても色あせぬテーマであることが哀しい。国家の哀しみ、民族の哀しみ、名前を知っているもの同士が殺し合う哀しみ、抵抗のための組織が組織のために弾圧を始めてしまう哀しみ。この映画では反復が効果を挙げている。冒頭のイギリス軍に銃で脅される場面が、終盤ではアイルランド正規軍によって反復される。密告を勧める場面も反復される。立場を変えて反復されることのやりきれなさが、この映画を底で支えている怒りだ。でもいったい何に対して怒ればいいんだろう。
[DVD(字幕)] 8点(2007-09-09 12:46:43)(良:3票)
11.  黄金(1948) 《ネタバレ》 
今だったらタランティーノばりの三すくみになるドラマになるんだろうけど、この時代は違う。悪と善、というより、疑心暗鬼に捉われるケツの穴の小さい男としっかりした男と、さらにそれらを見越している人生経験豊富なジイサン、という三人になる。このジイサンが押さえになって、実に安定した三角を作る。また前者の二人も単純ではなく、最初はボギーもケツの穴を大きくして出資金を提供しているし、相棒もボギーが落盤事故にあったときちょっと魔がさしそうになる描写がある。イイモンの方にもそういう負い目を持たせて、ボギーの疑心暗鬼だけを突出させず、徐々に粘つかせていく。それがうまい。その粘つきが限界にきて銃が発射されるわけだ。ボギーがいちいち内心を新劇の舞台のようにモノローグするのはちょっと困るけど、そういう粘っこさがあるので、最期のあっけなさがより効果的になったのかもしれない。炎天下の「あっけなさ」ってのが、ひとつのモチーフとしてあるようで、第四の男や山賊の処刑など(帽子へのこだわりが印象深い)人々はあっけなく死んでいく。その果てに風に吹き散らされる砂金があるんだろう。そのあっけなさと対比されるのは子どもの蘇生で、丹念に腕を上下させて命を呼び戻している。またそれは、山の渇きと水のあるインディオ村の対比にもなっていて、ラストのジイサンの豪快な笑い(けっして苦笑ではない)は、欲望を越え最後は水の村に至った者にのみ与えられた正しい笑いなのである。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2010-10-24 09:59:30)(良:3票)
12.  パンズ・ラビリンス 《ネタバレ》 
おとぎ話と現実とがぶつかりあうのかと思っていたら、歴史をおとぎ話に呑み込ませてしまったような映画だった。悪役の大尉が歴史上のファシストを再現するというより、童話の憎々しい継父の造形で、幻想と現実とが対立するというより並行している感じ。別にそれでもいいんだけど、フランコがまだ生存中に作られた『ミツバチのささやき』より緊張に欠けるのは仕方なく、こうして内戦の歴史の記憶が過去の物語になっていくのだろう。興味深かったのは、生まれてくる息子への大尉の思い込みの強さ。もう妊娠中から男の子と決めている。男から男へという父権の強さが、カトリックの国ではいまでも重苦しいということか。そう思うとアルモドバルの女性映画の見方にも、また新たな視点が加わってくる。話の終わらせかたも、同じスペイン映画の『汚れなき悪戯』をちょっと思い出させ、やはりカトリック的なものを感じた。実はこの映画で一番感動したのは、手のひらに目玉のある化け物の登場で、江戸時代の百鬼夜行図にも、両方の手のひらに目があるのっぺらぼうがいる。そっくり。バケモンの想像力において世界は一つだなあ、と感動した。
[DVD(字幕)] 7点(2008-06-17 12:18:36)(良:3票)
13.  大日本人
インタビューの中で、だんだんと「稼業」の輪郭が見えてくるあたりのおかしさ。娘なので跡継ぎが問題で、とか、仕事の連絡のケータイでのやりとりとか。塀の落書き「くたばれ」や、投石、道の横断幕や立て看板など、昨今のきびしい状況も同時にだんだんと分かってくる。そうやって丁寧に裏ぶれたトーンを重ねた後で、ジュウと戦う場が描かれると、その馬鹿馬鹿しさもひとしおで、嬉しくなっちゃう。四代目の稼業華やかなりし頃の記録フィルムもいいし、間にはさまれる民間人へのインタビューは、どうしてあんなに自然なの? なんか違う質問しといて編集したのかしらん。変身場の係員へのインタビューもリアルだった。この映画、テレビの人気タレントの心象風景としても理解できるけど、純粋に贋作ドキュメンタリーの面白さだけで自立している。ラストは変に風刺がかってちょっとつまずいたが、許そう。ニラムの獣の、ササササと目玉をたぐり寄せるとこがかわいい。
[DVD(邦画)] 8点(2008-07-28 11:03:12)(良:3票)
14.  ローラーガールズ・ダイアリー 《ネタバレ》 
スモールタウンの日常にうんざりしている少女が、母と来た店でふと店先を振り返ると、ローラーガールズがなめらかに滑り込んできてチラシを置いていく。あのなめらかさに憧れないはずはない、と納得させられる一瞬。ましてガールズは、髪の一部を青く染めている。少女はこっそりとオーディションに向かうバスに乗り込む。隣に座った白髪の老女が、また髪の一部をうっすらと青く染めている。窓の外では自分がバイトしている店で友人が働いている姿が流れていく。決定的な別離なり旅立ちではまだないが、心理的な旅立ちがここで始まったことを告げている。この手の物語では、内気だった主人公が急にヤル気になるのに無理が感じられることが多いのだが、冒頭の「青く染めた髪」ですでに「環境への違和」が育っていることを暗示しており、順に青い髪によって導かれていく段取りがよろしい。オリヴァー君てのがあんまり面白くないな、と思ってたら、そういう役柄なのだった。ジュリエット・ルイスがおっかない人になってた。演出にソツなく、友人との和解をさらりと示すバイト先のゴミ捨てのシーンなんか、うまいよ。
[DVD(字幕)] 7点(2011-08-20 09:38:38)(良:3票)
15.  ブレア・ウィッチ・プロジェクト
禁欲の徹底が成功だと思う。こういう試みは多くの人が考えただろうが、つい伏線めいたものを作りたくなったりするもんだ。そこをじっと我慢した。死体が一つも出てこないホラー、内臓みたいなものは出たけど。作品の性質上、当然音楽がないのもありがたい。だいたいホラーでは音楽が邪魔になることが多い。本作では、テントを包み込んでくる音、足音、子どもの笑い声に、耳を澄ませられる(ただ本当なら真暗になるべき場面で、日本だと消防法で劇場内がうすら明るく、また字幕も白く光って明るく出てくるのが難点だった)。そしてやっぱり家ってのが怖い。家は巣であり、他者の領域であり、この森がこっちを他者としつつあるとこで、ヌッと王宮のように出てくる。家が出ただけで、ああ怖いな、と思ったもん。とにかく作者たちがなにものかに似せて作っていないところが一番いい。
[映画館(字幕)] 8点(2008-10-18 12:10:40)(良:3票)
16.  青空娘
シンデレラ物語を日本に移した、まあどってことない話なんだけど、そういう物語を借りてある生き生きとした瞬間を描きたかったってことなんだろう。随所に増村タッチが見られ、湿っぽくなっても仕方のないところでも、しっかり除湿されている。この人らしさを感じたのは、たとえば東京駅に着いた若尾文子の周囲の喧騒を、あおり気味に捉えたスケッチ。あるいはピンポン大会でのワンカット、顔つき合わせて、しかし無感情に人々がしゃべるとこ。セリフの内容がそれほどストーリーにとって重要なわけじゃなく、画面の中に顔が詰まり、言葉が詰まっている、そのギューギューしている感じの楽しさが眼目。先生の菅原謙ニが赤電話かけてくるカット、ぎっしり赤電話を詰めて、手前のおばさんにも思いっきりしゃべらせる。この過剰に詰まって沸き立つ感じが、もうデビュー2作目で完全に独自のものになっている。靴を絡めたのは、やはりシンデレラを意識してのことなんだろうなあ。
[映画館(邦画)] 7点(2009-08-19 11:59:05)(良:3票)
17.  ボーン・アイデンティティー 《ネタバレ》 
映画を見始めるときってのは、他人の生活の中に途中から割り込んでいく訳で、周囲とのやりとりや会話から類推し、次第に状況やら主人公の立場なりを理解していくことになる。つまり記憶喪失者と似たようなものなのだ。不意に記憶喪失者として登場する人物こそ、映画の主人公としてもっとも理想的ということになる。観客は一体感を持って主人公に寄り添える。だからCIAの登場はもっと展開した後でも良かったんじゃないか、とも思うが、相手の巨大さを最初から印象づけたい気持ちも分からないではない。また女性観客にとっては、巻き込まれるヒロインが重要人物として手配されるあたり、心地よく感情移入できるのではないか。グダグダした日常から、CIAに謎の女として手配されるまで格上げされる。実際には「問題の女」になることはできなくても、これぐらいなら人生に起こり得るかも、って。セリフも練れていて「忘れっこないだろ、君しか知らないんだ」なんて主人公に言われるのも心地よい。そのお返しのように、逃げよと言う主人公に対して、彼女が黙ってシートベルトを締めるシーンがある。アクションは、階段落下のシーンあたり微妙だが、やたら派手なドンパチが多い昨今のなかでは、そのノワール調に好感が持てた。一匹狼のストイシズムを優先している。
[DVD(吹替)] 6点(2010-08-01 09:55:45)(良:3票)
18.  ゲッタウェイ(1972) 《ネタバレ》 
ペキンパーでは「男の美学」的なコッテリした作品が尊重され、たしかに『ガルシアの首』など傑作だと思うが、本作のサラッとしたイキのよさも好きだなあ。主人公はけっこう心に鬱屈を抱えているけど、なにせマックィーンだから、立ち居振る舞いはサラッとしている。もっぱら脇筋がコクを担当。追い続けるルディのしつこさはペキンパーの真骨頂だし、それに絡む倦怠期の獣医夫婦は笑いを担当しながらも、主人公二人の対照物として重要な存在。ベッドサイドで縛られている医者の亭主と、女房、ルディの図ってのは、牢屋にいたときのマックィーンと、アリ・マッグロー、ベン・ジョンソンの形と相似で、しかし女の心情が決定的に違うところが対比によってハッキリする。同じ「車の中の不自由」という状況、主人公二人はゴミにまみれてもなぜかベトベトした生ゴミはよけられるのに、獣医夫婦は人間用の車の中にいてさえスペアリブのベトベトまみれになっている。医者は拘束された後にカタストロフを迎えたが、こちらの夫婦はゴミ回収者という拘束から解放され愛の回復を確認する。だいたいアクションもので男女を描いた部分なんてオマケ的要素が強いんだけど、これは夫婦愛の回復が話の本筋になっていて、しかもそのことがアクションの醍醐味を薄れさせていない。またロッカーコソドロのカウボーイハット男、これももっぱら笑い担当なんだけど、鞄の中を見てウキウキするところなんか、チンケな野郎の束の間の夢がいじらしくさえ感じられて、記憶に残る。そしてラストの銃撃戦、銃声と静寂・リアルスピードとスローモーションのカットつなぎの名人芸。大好きな映画です。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2010-11-09 10:11:37)(良:3票)
19.  スミス都へ行く 《ネタバレ》 
アメリカ映画で優れている部門は、スラプスティックやミュージカルやいろいろあるが「民主主義とは何ぞや映画」というジャンルもある。あの国は絶えず民主主義を問い返し、そういう映画の伝統がずっとあって、それには素直に頭が下がる。私が知ってる範囲では本作が一番好き。日本でも「社会派映画」というのがあり、同じように政治の腐敗を描くのだが、それはただ野党的に「けしからん」と言ってるだけなのが多く、差は歴然(日本における「野党的なもの」ってのには、文句垂れるだけで善しとしてしまう無責任体質があるのが問題なんだけど)。そこいくとアメリカはリアリズムの地平から少し離れて分析し、ペイン上院議員なんてキャラクターも生み出す。若いうちは理想に燃えていただろうがやがて「それが現実さ」という諦念に呑み込まれ、今や理想に燃える主人公をハメていく。スミスのまぶしさへの嫉妬も感じられ、厚く造形された人物。そして何より議長が素晴らしい。特別な意見を言うわけでなく、議長としての限られた発言をするだけ。喋り続けるスミスの対照のように。しかし若者の熱意を大きく包み込む擁護者として、彼は議長席から見守っている。本作はこの二人のセットで健全な民主主義というものを考えている。理想家を賞揚し過ぎず、また青臭いと冷笑せず、二つの芯を持った運動体として見ている。これがアメリカの民主主義の理想なんだと思う。この映画、政治の暗部を御用マスコミやそれに簡単に動かされる大衆、つまり今この映画を見ている我々にまで広げて見せ、ただ「けしからん」と言って済ますわけにはいかなくしてある。喋りすぎる映画はだいたい駄目なものだが、本作は別。だってこれは「言いたいことを言うことの重要さ」がテーマなんだから。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2013-03-06 10:03:10)(良:3票)
20.  ダンボ(1941) 《ネタバレ》 
ディズニーの長編アニメでは、これが一番好き(『ファンタジア』は別格扱い)。『白雪姫』は初の長編という意気込みゆえか、なにか改まった感じがあり、力作ではあるがチト固い。『ピノキオ』ではだいぶほぐれてきているが、この『ダンボ』に至って、短編で培ってきた精神とつながった長編になったのではないか。なにしろ『白雪姫』『ピノキオ』と違い、絶対実写では描けない世界を描いている。アニメであることの喜びが全編に満ち渡っている。主人公がサイレントというとこに、映画の本道を再確認しようという意志が感じられなくもない。とりわけ凄いのが、酔っ払ったとき見るピンクの象の幻想シーン。「象」という与えられたモチーフをとことん展開していく。その長い鼻をラッパに見立てて始まり、「象=重い」からピラミッドに連想が移り、それを「軽さ」に反転させて、踊る・滑る・走ると目くるめく変貌させていく。しかし「飛ぶ」が慎重に排除されるのは言うまでもない。朝焼け雲に収斂されていく見事さ。この幻想シーンには唸らされる。その前の七頭のオバサン象によるピラミッドもかなりシュールなイメージで、幻想シーンを先取りしているような出来映えであった。話そのものも好きで、“魔法の羽根”を失って狼狽するダンボがネズミの励ましを受けて飛行に移る瞬間は、いつもジーンとしてしまう。
[CS・衛星(吹替)] 9点(2011-04-03 10:09:55)(良:3票)

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