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プロフィール
コメント数 327
性別 女性
年齢 37歳
自己紹介 知的障害を持つ23歳女性です。
1週間に40時間働いているから多分社会人だと思うけど
今は旦那や発達障害者仲間とルームシェア生活です。

知能指数は11歳ですが、
この映画レビューサイトでは
見よう見まねで大人びた文章で気取らせて貰っています。

ちなみに登録自体は旦那がやっていますので
■妻投稿■がついているのが私です。
あ、でもそうじゃないので一人称が「僕」なのも
実は私が投稿していたものもあったり
「ドラえもん」とか「A」とか(^_^;)

インターネットの書き込みは初めてに近く
インターネットルールは一通り勉強したつもりですが、
「場の空気を読む」などの高度な技術は難しいので
そんな時にはスルーしてください。

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1.  おおかみこどもの雨と雪 《ネタバレ》 
妻投稿■花の子育てスタンスが気に食わない。一見すると子供を全肯定し、安っぽい親子ドラマで子供ひっぱたいて「自分はお前を大切に思っているんだ」と表現するような馬鹿親と一線を画しているように見える。が、周囲の人がびっくりするからという理由で自宅分娩し、健康診断にも顔を出さず、アパートの隣人が怒鳴るからという理由で田舎へ引っ越し、子供たちにも自分の素性を隠すように厳命する。要するに排斥に次ぐ排斥を受け入れてしまっている。それでいて子供たちに「みんなが嫌っていても、私は味方だから」と、親子の空間と社会の空間を隔絶させてしまっているのだ。■花がこうした行動をとるのは、子供を狼人間という汚い生物(「だから自分が守らないと」)と思っているからに他ならない。こういう味方のされ方をしたから、雪は「学校を追放されるかも」と心配して過剰に女の子らしくしようとし、雨は野生児を選択してしまった。「子供を肯定する」というのは確かに大切だが、それ=「味方をする」という事では必ずしもないと思う。「赤ちゃんが泣くのは国民の受忍限度だ!」と隣人に啖呵切ったり(ちなみに裁判の判例でもそのようになっている)、「この子は狼子供なんです」と開き直って子供の安全の為に児童相談所の人間に相談し、健康診断を受ける事、それこそが厳しい現実でも子供が「自分は不当に酷い事をされなくていい存在なんだ」と思える事=肯定する事ではないのか。■作画、演出レベルから5点はあげようかとも思ったが、やはり(現実的に野生児になるという選択権のない)マイノリティーのお母さんに「こーひっそりとする義務があるんだよ」と要らぬ心的負担をかけそうなこの映画、0点としたい。
[映画館(邦画)] 0点(2012-08-05 02:57:14)(笑:1票) (良:9票)
2.  シベリア超特急
妻投稿・・。私がこの映画レビューサイトにおいて出会った映画で一番素晴らしい映画と思えるのは、ラピュタ、ゴジラ、チャップリンを抜いて実はこの映画なのです。この映画で水野晴郎さんは「映画評論家が実際に映画を撮るとこうなる!」という自身のメタフィクション化と、こんな映画でも真剣かつ楽しそうに演じる自らの姿によって、観客に対し、「他人の映画、演劇、ドラマ、小説、絵画、そして人生を評価し場合によってはこき下ろす事も政治経済社会文化の継続と進歩には大切」だが、「作品を作り上げる事の方が、チャチや文句を言う事よりもずっと偉い」という事を絶対に忘れてはいけないと訴えていると思うからです。「このサイトで映画レビューを楽しみたいなら、これだけは忘れちゃいけない」と言われたような気がしました。よっぽど映画を愛していなければこんな事は表現できないと思います。「映画を見る人」というよりは「映画を愛する人」に捧げられた映画。10点を進呈します。
[ビデオ(邦画)] 10点(2008-12-27 20:56:34)(良:8票)
3.  死霊の盆踊り 《ネタバレ》 
ズバリ言おう。これは当時始まったベトナム戦争を強烈に皮肉った風刺映画である。冒頭の夜の帝王のやる気のなさそうな恐怖の演説は、戦争の必要性を説くジョンソンの姿であり、夜から昼に変わるカットは、政治家の煽動にひょいひょい乗る大衆を、夜の墓場でホラーを考えるという端から見れば馬鹿らしい行動を彼女の静止を振り切ってまでやったばっかりに、拷問に近い裸踊りを延々と見せられる主人公(と観客)は、当事者故にその理由の不合理さに気づかないまま戦争の泥沼に足を突っ込むアメリカ国民そのものを予見しているのだ。そう考えると夜の帝王の台詞「男の踊りなど誰も望まん」という台詞は、「人間なんていうのはチンチンばかり考えている変態なんだ!それが正義や大義や愛国心なんか言うから、悲惨な虐殺が起こるんだよ」というエド・ウッドの痛烈なメッセージに聞こえてくる。ピッピーなどのカウンターカルチャーが声を上げる前からこうしたメッセージを配信したこの映画は貴重だ。「これをつまらないと笑う者たちよ。あなた方のやっている事は本当に僕の映画よりマシなのかな?」強烈すぎるメッセージ(冷や汗)。この映画は今のイラク戦争における「テロとの戦い」や社会不適応者へのバッシングを正義の仮面を被って遂行する連中に捧げる、エド・ウッドからの痛烈なメッセージなのである……のかな?・・・点数はまよったが減るもんじゃねえし持って行きやがれ! ただしこのレビューを見た方は、このレビュワー「はち-ご」の頭がおかしいという事を忘れないように。以下妻■ 旦那の感想「A〇Bをモチーフにした女性出演でリメイクしてくれないかなー」。いろんな意味で「こいつの頭やばい」と思った。
[ビデオ(字幕)] 10点(2008-02-19 22:48:48)(笑:5票) (良:2票)
4.  映画 けいおん! 《ネタバレ》 
妻投稿(原作未読、アニメは映画が終わった後で見始めた。さらに私は中卒で「女子高生」なるものも未経験)■「冷たい熱帯魚」やら「闇の子供たち」やら「シティ・オブ・ゴッド」を見て映画と人生、「人間の闇」を知った気になっている私。見事に撃沈されました。こういう「何も起こらない」「ほのぼの日常描写」って「オタク向け」だとか「現実逃避」だとかって言われるんだろうけど、よく見るとどうして彼女たちがここまで仲がいいのかがわかります。それはお互いに思いやりがあって下らないことで他者を軽蔑しなくて、とにかく人間としての器が大きいから、映画としては多分つまらない部類に入るストーリー展開でみんなここまで一生懸命で楽しそうにしていて、だから実際見ている自分も楽しくなるんじゃないかと思いました(故に映画の中でクレヨンしんちゃん映画みたいに「非日常」が起こっても彼女たちは乗り越えていけると思う、それだけ素晴らしい女子高生だと思うので、第2作は劇しん原恵一版みたいなバージョン強求)。■ラストの後輩の女の子に歌う歌は、うちでみんなで育てている今5歳の女の子の結婚式で流れようものなら涙がナイヤガラすると思う歌でした。海外旅行、自分たちが学園と言う世界から消滅しないといけないとき、後輩に対して、というよりたった一人残される妹みたいな存在に何をしてやれるか。これって日常的ながらも10代の女の子にとっては滅茶苦茶重大な問題じゃないですか(*^_^*)ストーリーを突飛にすれば映画が面白くなると言って設定負けしている映画が多い中、この映画はちゃんと冒険、冒険に対する独特のキャラの独特の態度、友情、感動は全部良質で、全部しっかり観客に届けている。だから余計に第2作は劇しんちゃんみたいな恐慌状態の中で、彼女たちのきずなを再確認できる映画を見たい。
[映画館(邦画)] 8点(2011-12-05 23:08:14)(良:5票)
5.  フォレスト・ガンプ/一期一会 《ネタバレ》 
妻投稿■久しぶりに面白い映画を図書館で観ました。フォレストは滅茶苦茶成功して勲章まで貰って大統領にも何回も会いました。これを「素晴らしい人生」と人は言うのでしょう。でも果たして彼は勲章や名誉に興味があったのでしょうか。もしそうだったら、彼はピッピー会場で暴力沙汰は犯さなかったはずです。彼はジェニーとずっとアラバマの家にいたいという子供のころからの願いをかなえる事が出来ませんでした。ジェニーに何度会えても、ジェニーは様々な理由でいなくなってしまう。やっと会えたと思ったら彼女はエイズに冒されているのです。■私はガンプがマイクに向かっていい事を言う時に警官が妨害して何も聞こえず、ガンプがジェニーと抱き合った時に観衆がワーッというときが、この映画のメッセージだと思います。人は他人の栄典には興味はないけど、愛する人がいつもいることにはとても拘ります。ダン中尉のエピソード、走っている姿に勝手に感動する人々、ラストの寂しそうなガンプ。「感動大作」とよく言われる本作ですが、この映画は作中のアメリカ人がそうしたように「観客をフォレストで感動させるため」に作られたものではありません。観客に愛する人がいる事に感動してもらうために作られたのだと思います■蛇足だけど、知的障害者を映画にするとマスコミから「障害者を出汁に使っている」とか「障害者を差別(あるいは美化)している」という非難がなされるが、知的障害者は全人口の2%いる事を考えると、知的障害者を主人公にした作品は目くじら立てるほど多いわけではないと思います。確かにこの映画は知的障害者をファンタジーにしている傾向がありますが、これは映画そのものがファンタジーなのであって、女の子に天使の羽を生やしたり、目の見えない人に透視能力を持たせたり、片腕のない人に万能サイボーグハンドを装着させるのと同じだと思いますよ^^
[レーザーディスク(字幕)] 9点(2009-06-22 23:56:35)(良:5票)
6.  この世界の片隅に(2016) 《ネタバレ》 
妻投稿■  私は安倍首相が集団的自衛権を容認する憲法解釈をしようが9条改正しようが、日本が再び太平洋戦争と同じ惨禍に見舞われることはないと思う(もし世界戦争に巻き込まれるとしたら今の憲法のあるなし関係ないだろう)。でもクロ現の貧困女子高生がまさしく非国民みたいに(政治家も悪乗りして)日本中から集中攻撃され、憲兵隊気取りの活動家の恫喝にビビってはだしのゲンが閉架となり、「人工透析患者は日本にとってよくないから殺せ」という報道従事者のブログを半分位の人間が支持している現状を見れば、(戦争をリアルでは知らないから何とも言えないが)「ひょっとしたら今の日本は(徴兵制がブラック企業に変わっただけで)もうとっくの昔に戦前に戻っているんじゃないか」という気分になることがある。そういう意味ではこの映画は“自業自得”な「火垂るの墓」と比較して、今の日本人にウケ易い「模範的な戦時下の人たち」の物語にも見える。多分すずさんの逞しさを社会弱者を説教するのに使う人間もきっと出てくるだろう。  でもそんな私のクソみたいな考えをよそに、すずさんはとても楽しそうだ。結婚から食事を作る場面まで…。憲兵隊に長時間説教される場面。今の時代の人間なら「私は諜報なんてしていない」という自分の記憶の方を疑いだすだろう。でも彼女たちはそれを笑ってしまうのだ。食事の場面もジブリとは対極的に食事かクソ不味そうだ。しかし映画を見終わったあとに最初に私が食べた茶碗いっぱいのご飯。それが物凄くご馳走に見えた。こんな昭和20年を舞台にした映画(普通なら飯食う気もなくす)は初めてだ。  でもそんなすずさんですら壊れる事件が唐突に起こる。それでも日常が回っていき、そして戦争が終わったとき、娘を失った義理の姉もすずさんも号泣するのだ。戦争が理不尽で無意味なものだという現実が終わってみて初めて襲ってくる。胸が締め付けられる場面だ。そして原爆の描写。あれを見てからYouTubeで流れているロシアの隕石落下の瞬間を見るのが怖くなった。そのくらいの戦慄の演出。すずの両親が死に妹も原爆症に冒されているという現実を後から知る場面。感情表現ではなくシークエンスだけで観客をすずさんと一緒に呆然(絶望)とさせる。  そこにあのラストを持って来るのだ。右腕を失い、家族と自分の大切な個(絵描き)を奪われたすずさん。そのすずさんの右手は存在しないにも関わらず一人の戦災孤児の少女の手を取る。この演出は時限爆弾を生き残ったすずさんを全面肯定するものだ。おそらくその少女は「マイマイ新子と千年の魔法」のような平和な昭和30年の風景で楽しい思春期を過ごすのだろう。すずさんが立派な反戦家ではなく世界の片隅にいるほわほわな女の子だからこそ、このエンディングの絵は今を生きる人を肯定するものとなるのだろう。人生は誰かの正義や思想の為に否定されていいものではない。この映画は左右(右の人も反戦の人は多い)思想の「模範」である事を拒否し、人間の人生を肯定すること(義姉の生き方も肯定されていた)から戦争を描いた作品なのだ。  DVDを見ての追記■■■■■■■■ 北朝鮮の核兵器が落ちてきたとき。私が住む田舎には落ちては来ないだろうが…あんな光と地響きに遭遇し、遠くに見えるキノコ雲を見るんだろうか。
[映画館(邦画)] 10点(2017-01-14 01:36:03)(良:5票)
7.  天空の城ラピュタ 《ネタバレ》 
この作品の素晴らしいところは「追いかけっこ」の一言に集約されるだろう。子供のころよく街で鬼ごっこした記憶があるが、やっている瞬間は今まで住んでいた街がハラハラドキドキの別世界に映った。そうした鬼ごっこの魅力というものが、映画という無限創造世界において極限まで昇華されたのがこの映画だ。空から降ってきた女の子を海賊から守るというワクワクする追いかけっこ。重力を感じるドキドキの追いかけっこ。鬼から逃げおおせて暗く神秘的な洞窟をさまよう「静寂」の鬼ごっこ。陰惨な基地の中で恐ろしいロボットや兵隊に白い服の女の子が逃げ回る陰惨な鬼ごっこ。女の子を助けるために、そして新たな冒険の為に、鬼ごっこは空、そして別世界でも展開される。誰もが憧れる冒険物語を多くのちびっこが体験したであろう神秘的な遊びの世界と融合させる事によって、この映画は最高の冒険アニメ映画へと高められたのではないかと僕は思う。
[レーザーディスク(邦画)] 10点(2008-02-14 23:43:17)(良:4票)
8.  魔法にかけられて 《ネタバレ》 
王女様が「アーーー、アーーーーアーーーー♪」とうたった時、鳩が飛びだし鼠がやってきて、そして奴らがチョワー、チョワー・・・。この瞬間、僕はこの映画は9点以上だと決めた。この映画はディズニーという一つの世界・・・・子供の時目の前に提示されたおとぎ話という現実とは違う別世界を現実世界に融合させるという快挙を成し遂げたのだ。これは映画のネタの一つといってしまえばそれまでだが、おとぎの国というもう一つの世界を世界として認知している少年少女&一部の狂った大人(含自分)にとっては大事件だ。そしてその事の重大性をどれだけ監督が認知しているのかと考えたとき、おとぎの世界を愛する現実世界の住人である娘、現実主義者に見えておとぎの世界にケータイを持って行ってしまった婚約者を登場させた時点で、おそらく監督にはディズニーというある意味世界の中に認知された別世界を現実の中にぶち込んで、おとぎ話から離れた現代の登場人物(=観客)にもう一度衝撃と夢を与えてやろうという志はあったようだ。そしてジゼル姫はそれを成し遂げるには十分な力を持っていた。数少ない弱点はラストがハラハラドキドキしないこと、王子とリスの登場があっけなさすぎること、ティモシー(あいつハリー・ポッターではネズミだったなあ)があっさり現代世界に慣れちゃっている点だ。その点が一本の映画としては残念だが、押し入れにしまってあった昔のおとぎ話(うちの場合は日本昔ばなしだけど)が「読んで読んで!」とガタガタと騒ぎ出した衝撃と喜びを考えると9点はいける。
[DVD(吹替)] 9点(2008-09-17 00:02:44)(笑:1票) (良:2票)
9.  闇の子供たち 《ネタバレ》 
妻投稿。旦那が通っていた学校の人たちと見て来たらしい。男の子も女の子もショックを受けて感情が高ぶっていることに旦那は驚いていた。でもはっきりいってこの映画は「世界の現実」として受け止めるにはあまりにも無意味、かつ悪趣味である。その1::::日本の病気の子供を助けるかタイの子供を犠牲にするか・・・という葛藤が描かれているが、いったいどこの世界に他人の子供を殺してまで自分の子供を助けようとする親がいるのだろう。私には障害があり障害を持つ友達のお母さんをたくさん知っているが、誰も映画みたいなそんなお母さんはいない。このシーンは病気で苦しんでいるお母さんと子供に対する侮辱だと思う。その2::::さらに臓器売買なんて実際は合法でもない限りお金にならないビジネスだし、そんな事実もないのにさも「タイでそんなことが行われる」なんて描かれるなんて、タイの人が上映に関して怒るわけだ。日本人だって「俺たちはシナや韓国の人間に従軍慰安婦大好き人間で野蛮人だと思われている」と怒っているじゃないか。その3::::性暴力のシーンがあるが、これはタイに限った話ではない。人身売買については私はその実体は知らないが、「日本から世界地図で20センチ」どころかきっと「自宅から●●県都市地図で20センチ」のところにきっと性暴力か監禁(監禁は人身売買や見知らぬ人間が女の子を誘拐して監禁するのだけではない)に苦しんでいる人はいる。女性、子供、障害者、外国人・・・・そういった人たちが性暴力監禁の被害にあう可能性は日本でも意外に高く、その可能性を低くしていく事・・・それができないならせめて被害にあった人たちが回復できるよう手が差し伸べられる社会になることが必要だと思う。なのに日本の若者に対して「君たちは何もできない」「答えはない」なんて絶望させてどうする。異常事態の中で個人の内面の闘いと勝利を描いた「ホテル・ルワンダ」と違い、所詮この映画は「性暴力」を「てめえらの常識は通用しないいかれた」遠い世界の話と描いている。::::::::::宮崎あおいが敵の金玉をけり上げるシーンをこの映画に対する私の憤りに脳内変換出来たので1点あげる。
[DVD(邦画)] 1点(2009-03-07 00:35:15)(良:3票)
10.  デビルマン
妻投稿。「デビルマンがなぜつまらないか」。これを問うことは「だれだれがなぜ女好きか」とか「誰々がなぜ男好きか」を問うことと同じで、その答えは出ないと思う。しかし人は何でも納得いく説明を求める。でもこれは納得したいから質問するのではない。答えが出ないことを承知の上で相手を質問攻めにし、ろくな答えが出ないことをいいことに「監督の頭は溶けている」とか「クリームチョコ・3号・赤唐辛子が脳みその代わりに詰まっている」とか勝手な推測をして相手を蹴落とす。全てはそういうさでぃすちっくな願望を満たすためだ。私はそういう趣味はないので(ここで各方面から大きなせき払いが・・・汗)この映画において、いいところを見つけようと思う。・・・・いいところは・・・・・・ごめんなさい・・・許して下さい、すべて私が間違いでした。アー、デビルマン・・・ビーーーーーーーーーーーーーーーーーーー・・・・・・
[DVD(邦画)] 1点(2008-10-17 16:16:07)(笑:3票)
11.  殺人の追憶 《ネタバレ》 
妻投稿■これってどう評価するべきなんだろうか。この作品は「犯人の異常性」「軍事政権下の韓国の怖さ」「今もおこかで生きている犯人の怖さ」というものを感じられる名作なんだろう。しかし私は主人公の刑事が知的障害者の人を拷問しているシーンで完全に「持つべき感想」を見失った気がする。■自閉症当事者の私の友達は昔の職場で背中の皮膚が半分なくなるくらい殴られたことがある。警察も助けてくれず当然加害者はお咎めなし。私に言わせればいずこにいる殺人者を怖がっている暇なんてなく、テレビをワゴン車に積んで余裕をこいているソン・ガンホの穏やかな顔の方が数段怖かった。多分殺人者もそんな穏やかな顔で毎日生きているんだから、怖がる必要なんてないんじゃないだろうか。少なくともこの映画は「人を殺す異常性」を描きたいのか「人殺しが異常ではない異常」を描きたいのかがはっきりわからない。■中学生くらいの女の子が泥だらけで死んじゃうシーン、それを見てソン・ガンホが茫然とするシーンは、どこかで見たような気がする。
[DVD(吹替)] 4点(2009-08-17 04:16:16)(良:3票)
12.  ウォーリー 《ネタバレ》 
妻投稿■ピクサーの映画はかつての宮崎アニメと同じような特徴をもっていると思います。一つ目は全く新しい世界観を映画の中に構築すること、二つ目はその世界観に臨場感とリアリティーを持たせるために乗り物や建造物の構造から何気ない背景まで恐ろしいまでにこだわりを持つところ(これは名作と名高い原監督のクレヨンしんちゃん映画にはない)。でも宮崎アニメはその世界観を使って物凄く難しい問題提起をしているのに対し、ピクサーは「アンディーに遊んでもらいたい」や「小さな女の子を守りたい」や「正義の味方に戻りたい」や「ニモを取り戻したい」といった誰もが持っている感情が、異世界でどのように形を変えていくかを醍醐味としているところに大きな違いがあると思います。この作品はピクサーのこうした醍醐味が一番よく表れている作品ではないでしょうか。「女の子と仲良くしたい」「誰かとお喋りしたい」という感情を、ロボット、宇宙空間、宇宙基地というキーワードを組み合わせることでCGアニメならではの美しい世界観が表現されたのだと思います。イブが防犯カメラでウォーリーの愛を知るシーンはこうした世界観だからこそ表現できる愛の形だと思うし、宇宙空間でイブとウォーリーが戯れるシーンはピクサーが目指している創作態度の象徴ではないでしょうか。■この映画はエンディングが秀逸。古代の壁画から近代の油絵で地球のその後を表す技法は見事としか言いようがないです。何でエンディングのタイトルロールで涙線にとどめを刺されなくちゃいけないんですか!
[DVD(吹替)] 10点(2008-12-07 17:37:30)(良:3票)
13.  君の名は。(2016) 《ネタバレ》 
前半は文句なしに100点なんですよ。中半の衝撃的展開もいい感じ。ただ後半が微妙。私は最初「切ない青春ラブストーリー」と「SF」というものを分けて「前者を見たい人にはは100点」「後者を見たい人は50点」ってコメントをしようとも思った。でもそれは間違いだと思った■ちなみにSF50点なのは、SF設定で状況に臨場感を与える上で大切な「法則」が欠けていて、「主人公が与えられた条件の中でいかに困難を乗り切るのか」で部分の「与えられた条件(記憶がどうすればもどるのか)」がかなり曖昧である事。簡単に言えば「物語(脚本)の矛盾点を消すために記憶が消えているな(あと町長の判断基準がクレーターの外輪の感動場面を作るためだけに矛盾しまくってる)」ってのがダダ分かり。「いかに困難を乗り切るか」は頑張ってたんだけど、その頑張りの方向性を決める法則がこれじゃあ、空回りしちゃう。そしてラスト(あれは正直尺が長い)の奇跡が奇跡足りえない気がする。奇跡を起こすにはアイテムがあってこそでしょう。それで高校生のうちにカタをつけておくべきだった。監督は社会人にも夢や奇跡を感じて欲しかったのかもしれないが、社会人になった2人がそこに着地点を見つけるにはあまりにも曖昧な奇跡だ。■この映画の最大の失敗は「SFの矛盾点」をある程度妥協して、徹底して真面目に「夢の中のような切ないラブストーリー」を作ろうとした点。でも、その妥協のせいで「切ないラブストーリー」が「夢」になってしまった。5年後「夢」がある日現実になる奇跡というラストにモヤモヤが残ってしまった。監督はこの物語が夢なのか現実なのかはっきりするべきだった。映画って本当に怖いよね。素晴らしいSF青春ラブストーリー映画なのに。
[映画館(邦画)] 7点(2016-08-28 00:36:53)(良:3票)
14.  ミリオンダラー・ベイビー 《ネタバレ》 
妻投稿。友達の赤ちゃん一緒に育てている私は「ミリオンダラー・ベイビー」というタイトルを「アメリカンドリームをつかむ女性」ではなく「存在そのものをお金で換算される赤ちゃん」というように額面通りに受け取ってしまいました。そして映画の内容は全くその通りでした。私は安楽死を100%否定しないけど、最後にマギーが安楽死する姿は引き取り手もなく使い物にならなくなった競走馬が処分される姿みたいでかわいそうでした。それを見守るフランキーの姿も「大好きなお馬さんと別れなくてはならない獣医」という「感動」物語にしか見えませんでした。これ本当に人間を対象にした映画なんですか?
[DVD(吹替)] 3点(2008-11-23 05:33:33)(良:3票)
15.  ジュラシック・パーク 《ネタバレ》 
妻投稿■8歳の男の子(ただし知能指数の話、実際は身長193cm、体重100kgのガタイのいい28歳の農民)が目を輝かせてdvdに出てくる恐竜の説明を全部してくれた。彼はほとんど普段はあまり言葉を発しないリアルトトロみたいな青年だが、、そんな彼が中生代白亜紀と言う私ですら知らない単語を駆使して、トリケラトプスやブラキオサウルスやなんかを私に説明してくれるのだ。■彼は完全に私たちを連れてジュラシックパークの探検に出かけていた。それはもちろん彼の想像力と感受性にもよるのだが、映画が彼を含めた男の子のそういったものにきちんと応える姿勢を取っているのが大きいだろう。それはゲートをくぐってテーマパークなら必ず入り口近くにある情報センターみたいなところでのビデオ鑑賞(コハクのあれ)や、レーン付きのRV車に乗って園内を回るシーン。肉食恐竜の餌はどうしているのかという疑問に「ストレート」に応えてくれるシーンなど、単に「恐竜を見せればいいだろう」という考えとはまるで違う、「観客に恐竜公園を体験してもらう」という作り手の方向性に現れている。さらに製作陣が最新のcgを駆使して「怪獣」ではなく現実に大昔に確実に生きていた「恐竜」に命を吹き込んだ事も、彼を大きく感動させたに違いない。あの筋肉の動きや、生物として理にかなった体の構造、生態を見ていると「こんなのに襲われたらマジで喰われる」と私も本気で思ったし、ただ怪物が車を追いかけたり研究所で人間を追い回したりするシーン、ヤギさんが飛んでくるシーンに、普通のパニック映画とは違う臨場感を感じた。■よく東京ディズニーランドとかで「現実を忘れさせることで夢を実現させる」というエンターテイメントがあるけど、これは「現実を突き詰める」という逆の方法論で、夢を実現したんだと思う。
[DVD(吹替)] 9点(2010-09-28 15:58:22)(良:3票)
16.  涼宮ハルヒの消失 《ネタバレ》 
妻投稿■ハルヒはまったくノータッチで、この映画が初見。殺人少女は唐突だったけどそれ以外の登場人物設定はすんなり頭に入ってきたし、その世界が変わってしまったことによるキョンの恐怖と絶望を主人公と一緒に感じ、元に戻るキーワードを見つけた事で主人公と一緒に泣きそうになり、灰色の重たい坂道の住宅地で主人公と一緒に走り回った、手に汗握った。■所謂「非実在青少年」とここまで一緒にもがき苦しみ、一喜一憂出来たアニメ映画はあっただろうか。ターミネーター2? バック・トゥー・ザ・ヒューチャー? いや、彼らには常に助けてくれる最強の味方がいた。しかしキョンはたった1人で答えを見つけるために走り回らないといけない。たった1人で自分はどうするべきだったのか選択しないといけないのだ。その選択が「自分も当事者として世界に関わる」というものであるとキョンが意思表示をしたとき、涙がぶわっと出てきて来た。■いわゆる宇宙人や未来人や超能力者と友達になる一般人の求められる「勇気」って、多くの作品ではヒーローの手取り足取りになる勇気でしかない。しかしキョンは自分の意志で、仲間のヒーローの意志に反し、その責任を取る事も含めて選択したのだ。これが出来る男に感動しないわけにはいかないじゃないか!
[インターネット(字幕)] 10点(2012-07-03 03:54:22)(良:2票)
17.  ハッピーフライト(2008) 《ネタバレ》 
実はこの作品、キルギス共和国ビシュケクの映画館で見たのです。ちょうど政変や民族紛争が終わって2年後くらい。JICAの日本フェスで上映されていました。パイロットが無線を間違える場面でキルギス人は大爆笑していました。あと、鬘のシーンでも大爆笑していました。ほとんどのキルギス人が映画上映中ほとんど大爆笑していました。しかし映画が終わって友人のキルギス人に感想を聞いてみると、「いやー、いまいちかなー」ってあんた手を叩いて笑っていたじゃん!! そう突っ込むとスペクタクルが足りないと。で、その後映画館の2階のカフェでお茶を飲むと、知り合いの知り合いのそのまた知り合いのおばちゃんが集まってきて、その中の10歳くらいの娘さんとドラえもんの映画で盛り上がりました。「恐竜」から「銀河超特急」まで熱く評論しました(余談だがその後行ったカザフスタンでも現地の若い人とアニメの話ばっかりやっていた)。キルギス人の男性とは綾瀬はるかで盛り上がりました。まあ、日本で見ればそこそこおもしろい映画で終わったのでしょう。しかし、僕には忘れられない作品になりました。映画ってのはそういうものです。平均点が5点台の映画でも、それだけの力があるのです。 その力がなんか「日本で映画を見ている環境だと感じられない気がする」というのは変な懐古主義になりそうなのでやめますが、最初から評論家気分で見ないで「自分の映画の見方」ぐらいは変えてみようかなとは思いました。久しぶりの夫の方の投稿でした。
[映画館(邦画)] 8点(2013-11-16 22:51:25)(良:2票)
18.  チャップリンの独裁者 《ネタバレ》 
妻投稿■■「独裁者」・・・・なんと便利な言葉なんだろう。この映画には「独裁者を倒そう」とか「独裁者に対する怒り」とか「独裁者の愚かさ」というものがやたらと強調されている。これらは一見すればヒューマニズムに見えるけど、ようは独裁者って「独りで決めている人」という意味だから、私に言わせれば「全部あいつが悪い」と言っているようなものだ。■■その証拠に映画の中のヒンケルは確かに馬鹿な政治家だ。でもそれ、よーーーく見て欲しいんだけど「馬鹿な政治家」なのであって、決して「独裁者だから馬鹿」なのではない。見栄っ張りとか信用できないとか戦争とか、民主主義の政治家だってそんなのはいくらでもいる。なのにこの映画はさも「独裁者だから馬鹿なんですよ」というような展開を見せる。これ、「逃げている」よね。この映画が公開されたときの世界中の感動は、この逃げ道で枢軸国だろうと連合国だろうときっと等しく全人類が持っていたと思う「責任」から解放された感動だったんじゃないだろうかと、私は嫌な妄想をしてしまいました。■■そういえば谷川俊太郎は「未来はひとりが大勢を殺すこと」と定義していたけれど、本当のヒューマニズムって、時に人間そのものを否定する残虐なものなんだと思う。でもホロコーストや独裁国家に突っ走ったことによる惨禍を考えれば、私はあの時代こそ「一度人間性を否定する」作業が必要だったのだと思う。しかしこの映画は人間そのものを逆に肯定してしまっている。あの時代一度人間性を否定しなかったからこそ、現代でも差別や暴力、オウム事件みたいな事が起こったのではないかと、私は勝手に思い込んでいる。少なくとも私はこの映画を「ヒューマニズムの映画」としては評価しない。
[地上波(字幕)] 0点(2008-02-04 02:44:57)(良:2票)
19.  紀元前1万年 《ネタバレ》 
妻投稿■【やましんの巻】さんの意見を全面支持します(*^_^*)そんで私なりに明後日の方向に解釈させていただければ、この映画の時の流れはアウストラロピテクス→クロマニヨン人→紀元1万年→アレキサンダー→グラディエーターではなく、中つ国(その他ファンタジー世界)→紀元1万年→アレキサンダーなのだと思います。つまりファンタジーの世界が滅び去り、原始人になった人類が「現実文明」というものを手に入れるきっかけとなった物語ではないでしょうか。つまりこの物語の舞台は「魔法とファンタジーの時代」と「現実的歴史時代」の中間の「空白原始時代」なんです。■■スターウォーズにしろロード・オブ・ザ・リングにしろ「遥か昔の断絶した時代」として描かれた映画世界は数ありますが、「断絶」そのものを見せてくれる映画は多分これだけ。だからこの世界は考古学と魔法が絶妙に絡み合い、監督はただ圧倒的な力で翻弄されるだけの毛むくじゃら原始人に、「過去から引き継いだファンタジー世界の勇者の一面」と、「生まれつつある現実歴史時代の叡智」を少しずつ与える試みを全般にわたって追求していると思います。■■似たような試みは「ナルニア物語」や「ブレイブストーリー」みたいなのにもあるけど、それらのように「ファンタジー」と「現実」が平行世界として存在する映画の場合は、観客は主人公の内面に同行する形で冒険するのがいいと思います。でもこの映画みたいに両世界が1つの歴史として存在する場合は、観客は「歴史家」として神の目線で映画を鑑賞するのも正攻法ではと思うのであります。 ■■私は何訳わかんないこと長々と解説しているんでしょうかねえ(^_^;)
[DVD(吹替)] 8点(2009-10-26 19:04:58)(良:2票)
20.  ひろしま(1953) 《ネタバレ》 
【妻投稿】  1953年といえば原爆投下からわずか8年だ。戦後8年の高校のシーンでは被曝者が8割くらいいる設定になっている。それなのに「原爆を鼻にかけている」「原爆に甘えている」という言葉が出てくる場面がある。  この作品はおそらく広島の原爆投下の惨状を初めて描き出した部類に入るだろう。そしてその悲惨な状況を再現する事に物凄い「執念」が感じられる。私はNHKが作ったドキュメンタリーで、広島の橋でやけどに苦しみ死んでいく人々を撮影した写真を、最新の技術と当時その場にいた人の証言で「映像」として再現する番組を見たことがある。「ひろしま」の被曝者の場面とかなり近い。被曝者の記憶も新しい状況でこんな映画を作るのは、逆に難しかったのではないかと思う。  では何故こんな「再現」に拘る映画を作ったのか。そのヒントが前述の映画の冒頭とラストに存在する。ラストの台詞は2010年代どころか当時から「反米的」「思想的」だと言われていたようだ。だが私にはこれは「思想」ではなく、広島を被曝させ人々を虐殺させた戦争への「怒り」の台詞のように見えた。その後群衆が原爆ドームに歩いて行き、犠牲者が起き上がって歩く場面は、「原爆を語ること」「核兵器や戦争を許さないこと」「怒る」は決して思想的に偏っているわけでも甘えているわけでも間違っているわけでもないという事を表現しているのだ。この場面は(骸骨を売ってでも)生き残った(そして1950年代も死の恐怖と戦っている)被曝者の為に作られたものだ。そして被曝者の視点から、日本人に原爆の悲惨さをぶつける為に作られた場面だ。
[ビデオ(邦画)] 10点(2017-08-07 02:45:28)(良:2票)

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