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1.  ゴジラ(1954) ネタバレ 
日本ほど特撮怪獣が沢山創られた国はないでしょう。主にウルトラ怪獣ですが、ゴモラ、ゼットン、バルタン星人と、きっとどの世代でも名前くらいは知っているんじゃないでしょうか?そんな中で、元祖であり王者と言える怪獣がゴジラです。 私はちょうどゴジラ空白の世代でした。小さい頃、ウルトラシリーズは沢山再放送されていましたが、ゴジラ映画は観たことなくて。子供向けの雑誌などから『人類の味方として、悪い怪獣と戦う正義のゴジラ』なんてイメージがあった程度でした。そんな中“まだ白黒映画の時代、最初のゴジラは人類の敵だったんだよ。そして今度公開されるゴジラ('84)も、悪者なんだよ。”なんて聞いて、何かとても不思議な感じでした。  本作を最初に観たのは20歳くらいの頃です。街の焼ける様子、逃げ惑う人々から、まだ戦後間もない印象をとても強く感じました。公開年は、戦争が終わって僅か9年。でも僅か9年でここまで復興している日本の逞しさと、ゴジラという巨大なモンスターを創り上げた日本の受けた傷の深さが感じられました。 アメリカの水爆実験が生んだ怪獣ゴジラが、本土に上陸して無目的に都市を破壊する。令和に入った現在に至るも、唯一無二の被爆国として、当事者のアメリカ人を主要人物に出すことなく、原水爆を表現した作品と言えるでしょう。  どうしても後年のシリーズ化したゴジラのイメージに引っ張られていたため、今回始めてゴジラのデザインが理解できた気がしました。モノクロ映像のゴジラの、黒くゴツゴツしたあの皮膚は、水爆の高熱で表皮が焼け焦げてたんですね。 背中のヒレは皮膚に刺さったガラス片でしょうか。そしてゴジラは苦しみの叫び声を上げながら、自ら焼け野原にした東京の街を彷徨います。 本作公開の僅か9年前に、他国により自分の国が焼かれる地獄を観た人々が作った地獄絵図。この映画からは、他国に国を焼かれた恨み節より、日本をここまでしてしまった、原爆が落ちるまで戦争を続けてしまった、自ら国を焼け野原にしてしまった、そんな自責の念が感じられます。  山根教授のゴジラを保護し、生命力の研究をするべきだという主張は、今なお放射能被害に苦しむ被爆者たちを救うことが出来たらという気持ちからでしょう。そう考えるとオキシジェン・デストロイヤーは、例えるなら苦しみから逃れるための安楽死に思えます。 芹沢教授がオキシジェン~の研究成果ごと死を選んだ結末は、どんなに苦しくても前だけを見て生きていく。そんな日本の決意にも思えます。 本作を観てどう思うかは人それぞれですが、戦争で受けた傷を娯楽映画にしてしまう日本人のパワー。創意工夫。結果本作は、世界でいちばん有名な日本映画の一つになりました。
[ビデオ(邦画)] 8点(2024-04-03 23:51:41)(良:5票)
2.  幸福の黄色いハンカチ ネタバレ 
映画の内容を知らなくても、結末は知ってるって人が多いであろう映画。それなのに何度観ても楽しめる大好きな映画です。 '77年の北海道が舞台のロードムービー。ちょうど映画が撮影された時代に道東に住んでいたのもあって、観る度に懐かしさを感じる。 札幌以外の市町村は、特にここ20年ちょっとで極端に過疎化が進んでしまったけど、当時の地方都市の人の多さ街の賑わいが懐かしい。 3人揃っての旅は3泊4日。網走で出会い、阿寒湖温泉に泊まる。その後足寄あたりの農家、砂川の旅館、そして終着点は夕張。美幌峠を最後に有名な観光地にはほとんど寄っていない。更に陸別でカニを食べた以外、北海道らしいご当地グルメもほとんど食べていないのも、本当の旅らしい。日本中どこでも食べられる“醤油ラーメンとカツ丼”がまた美味そうで…  誰も頼る者のいない土地で、何やかや3人が支え合って一緒に旅をする。鉄也は新しい出会いを求めて、朱実は傷心を癒やすあてのない旅だった。お互い嫌じゃないから一緒にいるのに、ついついがっついてしまう鉄也に、ラケット持って説教する勇作。かつて光枝の気持ちを考えられなかった勇作の説教は“もしやり直せるなら”と、過去の自分に言い聞かせていたのかもしれない。照れ隠しのように「ミットもない」で〆るのは、鉄也への優しさにも思えるし、光枝と会う決心が揺らいでいる不安な気持ちの現われにも思える。  ガタイの良い勇作が、ずっと狭い後部座席に座っているのも、終始勇作の気持ちを表現しているよう。旅が進むにつれ、徐々に明らかになる勇作の過去。妻と暮らした街に近付くほど自信を無くしていく姿。流産した光枝にとった当時の自分の態度。あれだけ腕っぷしが強く男らしい勇作だけど、過去の自分と向き合うのがどれだけ怖いことか。最終日にウジウジして行ったり来たりさせてしまう弱さ。これが勇作の一人旅だったら、あれこれ言い訳をして逃げてしまったかもしれない。そんな勇作を勇気付ける若い二人が微笑ましい。  当たり前のように風にたなびく黄色いハンカチ、それも大量のハンカチがホッとさせてくれる。ここは結末を知っていた初見の時も、また何回再視聴しても、やっぱりジーンと来てしまう。ゆっくりと光枝に歩み寄る勇作。 光枝の顔も見ず、別れの挨拶もしないで走り去る二人もまた良い。勇作はもう大丈夫だって確信して、道端で人目もはばからず熱い抱擁をする若い二人は、歳を重ねて再会出来た勇作と光枝の心の中を代弁しているんだろう。 生ビールより瓶ビールが好きで、居酒屋とかでサッポロ・ラガー(赤星)が出てくると、ついつい嬉しくなってしまうのは、間違いなくこの映画の影響。
[地上波(邦画)] 10点(2022-03-21 10:57:16)(良:3票)
3.  ロッキー4/炎の友情 ネタバレ 
ロッキーシリーズは4が直撃の世代です。私が初めて買った壁掛けのカレンダーが、このロッキー4のやつでした。この時のスタローンの肉体には、ホント惚れ惚れします。あぁ懐かしい。本当に、カッコいい。 シリーズとしては、一番オカシナ方向に行ってしまった感があります。ロッキーはアメリカの成功者として、国を背負って戦います。…いや、ノンタイトルマッチなので、個人的な試合なんですが、国旗のトランクス履いて最後は星条旗を背負ってガッツポーズ。これって、トランプ大統領が目指す『偉大なアメリカ』そのものですよね。確かにカッコいいんですよ。  時代は東西冷戦下。ライバルはソ連の巨人イワン・ドラゴ。解りやすいほど米ソの代理戦争の図式です。オープニングの国旗を模したグローブが衝突して爆発するくらい。あ、このシーン、スローで観ると、ソ連のグローブだけ大破してました。負けず嫌いですね。 アメリカ人が一番燃えるシチュエーションが“復讐劇”です。シンプルにアポロの敵討ちです。これって、真珠湾攻撃を模してるんだと思いました。一方的に敵が攻めてきて、圧倒的火力で、旧式戦艦(アリゾナ=アポロ)を滅多打ちにして帰っていく。先に手を出したのは奴ら。リメンバー・パールハーバー!さぁ反撃だ!! そもそも、アポロが会見場で必要以上にドラゴを挑発したのも悪いのに、そんな事より復讐なんですよ。“先に手を出させて、徹底的に叩き潰す”この国は今も昔も変わらないですね。こういうのが、彼らにはカッコいいんですよ。  過去作と大きく違う点は、ビル・コンティの有名なスコアを使わないで、ノリの良いロックが全編流れてます。このサントラも当時、私の周りみんな持ってました。もちろんダビングしたカセットテープですが、当時の“みんなが持っていた3大洋画サントラ”と言えば『トップガン』『ロッキー4』『オーバーザトップ』…かなぁ? サバイバーの“Burning Heart”がメイン・タイトルだと思うけど、一曲丸々入ってる“No Easy Way Out”も捨てがたい。凄いんですよ、この曲の間、ロッキーはただ、夜の道をランボルギーニに乗って走ってるだけなんです。そりゃアポロの死を悲しんだり、ドラゴへの闘志を燃やしたりしてるんだろうけど、映像は、ランボルギーニと、運転するロッキーと、さっき観たばかりのアポロが負けるシーンと、1~3のダイジェスト。全部アポロ絡みなら解るけど、エイドリアンとのラブラブシーンとか必要性のない回想も入ってます。でもロッキーのイメージビデオとして、カッコいいですけど。  僅か91分の映画に、過去一番の長さのボクシング&トレーニングシーン。過去一番の長さのロックシーン。過去一番の長さの回想シーン。こう書くと、どれだけ内容が薄っぺらいか伝わると思います。更にペッパー君みたいな給仕ロボットまで出てきます。久しぶりに観たとき、このロボットの事すっかり忘れてて、吹き出してしまいました。ボクシングの映画なのに、あれ何だったんでしょうかね? ジェームズ・ブラウン(本人役)にゴルバチョフ(そっくりさん)も出てきて、更に賑やかです。 当時の私は、社会派の戦争映画『プラトーン』にショックを受けてました。そのため、社会派の対極にある、本作のような単純な娯楽映画に対し、何か悪い点ばかりを突いて観ていたような気がします。でも年を重ねると、こういうキラキラしたお祭りのような映画も、カッコいいよね。って思えるようになりました。
[ビデオ(字幕)] 5点(2025-01-29 23:16:46)(良:3票)
4.  スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け ネタバレ 
EP8→ソロ→本作。この流れはマズイと察知したのか、EP8公開直前にEP9の監督交代劇があったようで、再びJ.Jが監督。 EP8のリカバー(尻ぬぐい)と、J.Jが頭の中で描いていたEP7の続きと、SWサーガの結末を組み直す作業。私の気持ちも新作にワクワクと言うより、最後だけど、どうオトシマエを付けるんだろう?って感じだったかな。  結論から言うと、あの厳しい流れから、よく1本の映画にまとめたものだと思う。あの密度ならいっそハリー・ポッターのように『EP9を前編・後編にする作戦』を使ってほしかった。でも興行成績の悪かったハン・ソロの後だし“SW疲れ”から“SW離れ”を招きかねないので、2本ぶんの内容でも1本で行くしかなかったんだろう。その一番のシワ寄せが冒頭の“パルパティーン復活”。こんな重要なエピソードを文字で見せるなんて。黄色い液体に入った操り人形スノークたち…あんなシーン、エヴァで観たなぁ。 ルークのセイバーをレイアに返したり返されたり。チューイが死んだり生きてたり。C-3POの記憶が無くなったり戻ったり。ちょっとキャラが被ってるゾーリとジャナ。ベンとレイの戦いが3回も。このへん前後編に分けるとスッキリしたと思う。パルパティーンの復活とレイの秘密を前編の最後にして。 時間さえあれば、懐かしいタナヴィーⅣがレジスタンスの旗艦になった経緯、ナイン・ナンとランドの再会、ウェッジも旧型X-ウイングで活躍させられたかもしれない。パッとしなかったレン騎士団。アッサリしたハックスの退場「私がスパイだー!」はぶっちゃけ過ぎ。笑ったけど。  フィンは本作でベンの気配さえ感じ取れるようになった。彼がレイに言おうとしたことは、たぶんフォースが使えることだと思うけど、彼がジェダイの血筋の者なのか、ホウキの少年と同じ一般人かは不明のまま。 ただ、レイアの死期が近いことレジスタンスの人たちが察知しているような描写もあり、フィンは後者の可能性が高いかも。 こんな終盤に修行してるレイ。自分で壊したマスクを直すベン。ホルド提督のワープ特攻は100万分の1の成功率。ルーク「ジェダイの武器にはもっと敬意を払え」と、EP8の尻ぬぐいは続く。「ここに残れって言われた」大幅に出番が減ったローズ。最後チューイ(SWオリジナル・メンバー)と抱き合ってるのは、この映画のために苦労させられた彼女への、制作側に出来る最大限の謝辞に思えた。  レイ「私には不可能です」レイア「不可能なんて無いわ」レイ「えぇ、不可能なんて無い」…レイア、フォースで丸め込んでないか? チューイ救出の時に撃ち殺されたトルーパー、たぶん7人くらい女。人材不足なのか、ポリコレに対するJ.Jの回答か。 アイテム探しとお遣いイベントが続く。たまたま流砂にハマって、ヘビを助けたら先に進むとか、限られた上映時間にRPGみたいな要素を入れたのは謎。 一方で回を重ねるたび、メキメキと魅力が増していくベン。デス・スターでのレイとの戦いも、レン騎士団相手のセイバーさばきもカッコ良かった。EP7を彷彿とさせる父ハンとの対話。レイに生命を分け与え、母レイアとともに消えるのも良い。 ベンが死の間際にシリーズで初めて笑顔を見せるところ。この時ベンの顔の右半分しか映さない。笑うときに口角を上げる、ハンの面影を見せる上手い演出。ここ最高にカッコイイ。  最後のシス・パルパティーンの血を引き継ぎ、最後のジェダイ・ベンと生命を分け合ったレイ。自分の杖を改造して作った黄色いセイバーは、もうジェダイ(ライトサイド)もシス(ダークサイド)も無いという意味だと思った。レイはジェダイを引き継いだのではなく、“フォースのバランスを正す者”スカイウォーカーの起源=~The Rise of Skywalker~となったんだろう。タトゥイーンに沈む夕陽で終わった前日譚に対し、昇る朝日が後日譚を締めくくる。  物語の最後は駆け足だったけど、42年にも渡って創られた壮大なサーガが終わった。私の長~いSWレビューも、ここで一旦おしまい。 続3部作に対し賛否はあると思うけど、この作品群でキャリー・フィッシャーが、彼女の代名詞とも言えるレイア姫を演じて他界されたこと。彼女が過去の人ではなく、歳を重ねてもなお気品あるプリンセスの姿を私たちの目に焼き付けてくれたこと。そして改めて、ルークやハン、レイア姫の当時の活躍を観たくなったとしたら、このタイミングでこの続3部作が創られた意味もあったと思う。スピンオフに新シリーズ、今後もSWの世界は広げられていくだろうけど、それはソレとして、生きているうちに全てのエピソードを観られて、本当に良かったと思う。
[3D(字幕)] 7点(2021-10-01 00:29:21)(良:3票)
5.  ボウリング・フォー・コロンバイン ネタバレ 
マイケル・ムーア監督の知名度が格段に上がったきっかけの映画。 高校の銃乱射事件から、アメリカの銃社会の問題と疑問を追いかけていくドキュメンタリー映画。 「アメリカは銃が多いから、銃の犯罪も多いんだ!」→確かに。でも隣りのカナダも銃は多いけど銃犯罪は少ないよね?なぜ? 「マリリン・マンソンなんか聞くからこんな犯罪するんだ!」→彼らが直前にやってたボウリングは?影響ないの? 「アメリカの歴史が…!」「黒人が…!」「マスコミが…!」「Kマートで…!」「NRAが…!」 ムーア監督の中では映画の起承転結が出来上がっているんだろう。銃乱射事件を本線として追い、そこに至る説明として必要な知識を脇道にそれる様に深く追って行くが、その進路変更が見ている我々も興味を持つように強調(「マリリン・マンソンが」「マリリン・マンソンを」「マリリン・マンソン」「マリリン・マンソン」みたく)されてから脇道に入るので、興味が続き飽きさせない。 アメリカの銃社会に対し、関心をもって各自が考えるのが目的の映画だと思うので、解決策や答えを出してくれる映画ではない。そんな作品だけど、Kマートが弾丸の販売を止める決断をするのは、凄いな。監督の手法や情熱も凄いが、Kマートの決断の速さも凄い。 本作で悪者として書かれるチャールトン・ヘストン。だけど周到に質問の準備したムーア監督と、事前情報なしで苦しい防戦になるのは予測できる中、直接取材に応じた姿は男らしさを感じる。 対談から逃げ出すヘストン氏に対し、6歳の少女の写真を見せるムーア監督。背中と正面を同時に見せるなど、1カメなのに後から編集してるところとか、細かいところだけどちょっとズルいかも。 マスコミやTVがアメリカ国民の恐怖心を煽っている。としていたが、この映画に対しても自分の考えをもって見るべきかもしれない。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2020-11-29 13:08:27)(良:2票)
6.  ラ・ラ・ランド ネタバレ 
~La La Land~ちょっと狂ったタイトルで、造語だとしたら歴史に残る名タイトルなんだけど、既存の言葉らしい。 『現実的でない陶酔状態』とか『夢の国=LA(ロサンゼルス)≠ハリウッド』 底抜けに楽しいオープニングのハイウェイのダンスから、カラッとしたミュージカル・コメディかと思ったら、意外にも切ない物語だった。  これはもしや、後半の走馬灯のような~if~のシーンが現実で、映画の本筋が妄想なのでは? 売れない女優のタマゴが、たった一回限りの、しかも大失敗した一人芝居で注目されて主演に抜擢、5年後は大女優に… 本格ジャズが売れない時代に、片手間で参加したバンドが大ヒットして、夢だったハリウッドのジャズ・バーを買い取って繁盛させる… う~ん…そんなに上手くいくか?って思ったけど、本筋が妄想だと辻褄が合わない事が多く発生するので、そのうち再検証したい。  なので、あの~if~のシーンは、セバスチャンからミアへ『有名女優になる君の夢は、きっと僕と付き合い続けても、別れても、どんな道を辿っても絶対実現できたよ。でもハリウッドのジャズ・バーのオーナーになる僕の夢は、君と別れないと実現できなかったんだ。これで良かったんだよ、君は後悔しないで良いんだよ』って意味に捉えよう。 店の名前が“チキン・オン・ザ・スティック”じゃなく“セブズ”なのは、セブのミアへの未練だろうか?感謝かな。  男優、女優、ミュージシャン、シンガー、ダンサー。自分の夢を実現すべくハリウッドに向かう希望に溢れたタマゴたちで、ハイウェイは大渋滞だ。 心の中で笑顔で踊る夢を抱きながら、現実は我先に目的地(地位と名声)に行こうとクラクション(競争)の応酬。成功者はほんの一握り… そう思うと底抜けに楽しく見えたオープニングも切ないな。 渋滞する夜のハイウェイから降りることで二人が再会するのも、競争から抜けるって意味だろう。 なんか無性に『マルホランド・ドライブ』を観たくなったぞ。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2021-04-17 13:12:25)(良:2票)
7.  真昼の決闘 ネタバレ 
“High Noon”『正午』。私の中でベスト・オブ・西部劇が本作かもしれません。午前10時35分から始まるこの作品は、上映時間と劇中時間がほぼ一緒のリアルタイム作品。その設定は今でも通用するくらい斬新で、とても72年も前の映画とは思えないほど、スタイリッシュです。 ケインはその日、若くて美しいエイミーと結婚式を挙げていて、新しい人生の門出の日として、幸せの絶頂でした。そこから僅か1時間ほどで、ケインが長年に渡って築き上げてきたもの全てを失っていきます。街の人からの協力を得られず、ジワジワと不利な状況に追い込まれるケインと、ミラーの乗った汽車の到着をのんびりと待つ3悪党。同じ時間が経過しているのに、受け取る人間の状況で、時間は残酷にも、退屈にもなるんですね。  一度は街を逃げ出した彼が、再び戻ってきてしまったのは、責任感と正義感からでしょう。一方でケインによって守られる対象の街の人々というのは、決して正義の側とは言えません。中には“稼げた”ミラー時代の復活を望む者も居ました。前回は協力したのに、今回は協力しない者。当然のように協力を申し出たのに、他に協力者が居ないと解ると怖気づく者。街を支配するのが正義でも悪でも、結果を受け入れるのみで、自ら変えようとしない人々。この辺、西部劇という私があまり得手でないジャンルと言えども、普遍的な集団の心理と、進んで積極的な行動をしない類の人間の生々しさを感じさせました。  もしケインが街に戻らずに逃げていたら、どうなっていたでしょうか?ミラーたちの目的が復讐であれば、街に居ないからと諦めたりせず、執拗に追いかけられるかもしれません。正義の行動だったのに、コソコソと隠れて生きていかなければいけない。そう考えると、やはりあの街で決着をつけるほか、選択肢はなかったのかもしれませんね。
[DVD(字幕)] 10点(2024-09-29 23:34:54)(良:2票)
8.  男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎 ネタバレ 
シリーズ33作目。本サイトでは寅さんシリーズ・ワースト3に入るくらい低い点に警戒する反面、私の好きな登が久々に登場する回(※事前に調べてた)ともあって、複雑な思いで観始めました。 当時私は中原理恵さんが大好きでした。欽ドン!毎週観てました。綺麗で可愛くて面白くて、こんな人が私のママンだったらなぁ…なんて思ったこともありましたよ。欽ちゃんブームが下火になった辺りから、彼女もあまり観なくなりましたね。今回久しぶりに彼女を観られて、そしてやっぱり綺麗な人で、なんかすごく当時を思い出せて嬉しかったです。 更に釧路(うわっ都会だ!)に根室(…田舎だ)に霧多布に中標津と道東てんこ盛りな回で、それもまた嬉しかった。あの樽の中をぐるぐる回るオートバイ・サーカス。札幌はじめ北海道の夏祭りの花形イベントでしたが、最後の一座もコロナの最中に人知れずひっそりと閉業されたそうです。  登の再登場は良かったけど、あの別れ方は悲しかったなぁ。だけど、カタギになった登と、時代に取り残された寅のフーテンぶりを敢えて観せる演出と思えば納得です。悲しいけどね。タコ社長の娘のあけみ。むか~し社長一家が出た時に、わらわら居た子供の一人なのかな?なんかぶっ飛んだキャラクターで好きです。美保純かぁ。味があるなぁ。トニー。名前からして住む世界が違う人です。ハーフ役かな?あだ名かな?思わせぶりなセリフを最後に出なくなるのは、確かにモヤモヤする。栄作。欽ドン…じゃないか、でも欽ちゃんファミリーの懐かしい顔。こちらも退場のしかたがちょっとだけど、面倒くさい旅の仲間っぷりが良いアクセントになってたわ。  マドンナ・フーテンの風子。中原理恵が好きなせいもあるけど、この後先考えずに憎まれ口叩いてしまう性格なのは、作中自分で言ってる通り。とらや&寅連合VSマドンナって図は初めてかも?最後のとらやでの言い方に怒りを覚える気持ちも解ります。みんなで優しくしたのに掌を返すようなやり方でって。その気持も解るけど、弾かれ者だった風子が、同じ境遇のトニーを嫌いになれない気持ちも解るなぁ。  最後の熊。モロぬいぐるみのニセモノ熊には失笑だけど、前作でレオナルド熊がニセモノ寅を演じた繋がりってことで、最低マドンナの烙印押されてる風子共々、許してやっちゃ、くれないだろうか? ちなみに私の中の最低マドンナは高見歌子(吉永小百合)です。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2023-12-17 23:00:15)(良:2票)
9.  蒲田行進曲 ネタバレ 
「コレが、コレなモンで」ってモトはコレだったのか。 とっても勢いがあって、サクサクとスピーディな展開に目が離せない。問答無用で小夏をヤスに押し付ける銀ちゃんの無理やりさに『ちょっ、えぇ!?』ってなりつつも、何だかんだ状況を飲み込んで、2人イイ感じになって行くところが面白い。 身勝手に自分のことだけ考える銀ちゃんだけど、要所々々でみせる気の弱さとか、言葉にはしないヤスへの気持ちとか、憎めないキャラに仕上がっている。  ヤスの地元の大歓迎っぷり。事情を察知してる母の言葉。コレはコレでありなのかもなぁって思えてしまう。大部屋の苦労も笑いに変えて、ヤスがスタントに体を張るごとに増えていく小夏の快適グッズ。 最初っからデーンと構える未完成の大階段が、後の波乱を物語っている。後半シリアスになるけど、散々引っ張っての大階段落ちは大迫力。その後の大団円で一気に緊張していた空気が溶解するのもお見事。  銀ちゃんだけでなく、橘こと原田大二郎、千葉真一、志穂美悦子、真田広之といった銀幕のスターたち。 対するスターを輝かせる名もない大部屋の人々。住む世界の違うスターと大部屋。 この映画は、大部屋のヤスが一瞬だけスターになった映画にも観えるけど、そこを“チャンチャン”として、コレは映画だ!って終わらせる。 撮影所の映画だけに、最後の大合唱が生きてくる。色んな人が関わって、色んな思いがぶつかって、一本の映画が出来てるんだなぁって。コレが映画だ!
[インターネット(邦画)] 8点(2022-09-17 19:17:39)(良:2票)
10.  ニュー・シネマ・パラダイス ネタバレ 
~Nuovo Cinema Paradiso~新パラダイス劇場。 今回が初見。にもかかわらず、以前テレビのバラエティで、このエンディングシーン“だけ”を見て知っていたのよ… もちろん見たくて見た訳でなく、交通事故。それは不幸なことなのよ… この映画を何の予備知識も無しに観ていたとしたら、きっと涙が溢れ出ていたに違いない。  なぜエレナは音信不通になったのか。 アルフレードはなぜ、トトに厳しく『帰ってくるな』と言ったのか。 トトはなぜ、30年も村に帰らなかったのか。 99日目、兵士はなぜ最後の夜に立ち去ったのか。 なぜ?当然だけど、それぞれ事情や考え、簡単なものから複雑なものまで、本人にしか解らない理由があったんだろう。 その理由を知ること無く過ぎ去った過去。神さまでもない人間には、答えを想像する事くらいしか出来ない。 『キスシーンを見せろ!もう20年も見てないぞ!』ラブシーンを見られるのは、検閲する司祭と技師のアルフレードだけ。 休みなく映画を上映し、見せられないフィルムをカットし、ある時は映画館の外に劇場を作るアルフレードは、トトにとって神さまのような存在だったろう。  アルフレードからの最後のプレゼント。劇場で流されなかったラブシーンの詰め合わせ。それはカットされた理由≠答えの詰め合わせ。 肝心なところ、見たいところ、本当の理由≠答えが見えないのは、人生も一緒じゃないだろうか。 エレナが去った事情、アルフレードの最後の言葉の意味、兵士が立ち去った理由…神さまでもないトトに、それを知る術はない。 『理由なんて、カットされた映画のラブシーンのようなもの。そこにこだわって、これからの人生を無駄にするほどの、大した事じゃ無いんだよ。いくら思ったところで、過ぎ去った人生は、映画のフィルムのように、集めて繋ぎ合わせて見ることなんて出来ないのだから。』  映画のタイトルが最初の劇場『シネマ・パラダイス』ではなく、建て直された方の『“ニュー”シネマ・パラダイス』なのも、そしてそれさえも最後解体されるのも、過去よりこれからの新しい人生を大事にしてほしいと言う、トトへのメッセージに思える。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2021-06-09 22:05:51)(良:2票)
11.  がんばれ!ベアーズ ネタバレ 
原題は~The Bad News Bears~『厄介者のベアーズ』とかだろうか? 映画観れば解るけど邦題『頑張れベアーズ』は勝利チームが負けチームに贈るエール。少年野球の健全さとスポーツマンシップから生まれたエールだろうけど、実際は歌う側の優越感、歌われる側の屈辱感が滲むのが伝わる。良い邦題だと思う。 出来損ないの寄せ集めチームのベアーズ。ユニフォームがyellow(臆病、卑怯)なのも意図的なものか? 出てくる子供達は悪ガキくそガキばかり。マセていて口が悪い。でも彼らを知るほどに愛着が増していくのは、撮り方上手いなぁ。 子ども目線中心に撮ってしまうと、一気にお子様向け映画になってしまうが、少年野球に係る大人の生々しさを見せることで、大人も楽しめる作りになっている。 デッドボール指示。上手い選手に一人野球をさせる。相手チームだけど強打者への敬遠策。アマンダの帽子にワセリンはバターメイカーが教えたに違いない。主役チームなのに、この大人げなさというかスポーツマンシップに反する試合運び。でも大人の世界では勝つために結構行われていたりする。 子どもたちが引いてしまうほど、勝つことだけを目指してきたバターメイカーのベアーズ。最後になって健全なチーム全員野球からの団結しての「来年見てろよ!」の展開は、ここに来て少年スポーツ映画の王道展開だ。子供たちビール飲んでるけど。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2020-12-18 00:33:26)(良:2票)
12.  インデペンデンス・デイ ネタバレ 
“Independence Day”『独立記念日』。アメリカがイギリスから独立した記念日です。 宇宙人の地球侵略を、これでもか!ってくらいストレートに表現し、大迫力の都市破壊シーンを映像化した映画の元祖かもしれません。都市を飲み込む巨大な円盤。どう考えても勝てっこない相手に、現役のF/A-18が果敢にも戦ってます。 当時のCMを観て、劇場の大画面と大音響サラウンドで観てこそ、この映画の価値は最大限に活かされるであろうことは、想像するまでもないことでした。 うん、後日テレビ放送も観たけど、F/A-18が母船のバリアに突っ込んで爆発するシーンなんて、ハエが飛んでるくらい小さく観えたわ。  序盤は“もし、巨大なUFOが現れたら、政府はどうする?”を、結構リアルに表現できていたと思います。偵察機を飛ばしたり、ヘリで歓迎の意を示してみたり、UFOに発砲しないようニュースで呼びかけたり。民主主義国家は未曾有の出来事に対し後手後手に回ってしまうのは、先の震災でも体験したとおりです。だけどそこはアメリカ(製の映画)、一方的にやられてからの反撃の決断が早い。当時、それまで再現されたことのなかった物量攻撃。でも流石に最終手段の核を使うまでは悩むんだな。そして核さえ効かない絶望感。さぁどうなる? 初期のCGでスター・ウォーズ並みに迫力のドッグファイトを観せてくれるけど、都市破壊映像はミニチュアのビルの模型を使ってるのが凄い。ビルの砕け方とか、いまのCGじゃ再現できないハリウッド職人の技術を感じてしまう。 色々飛ばして大統領が「インデペンデンス・デイ!!」「うぉお~~~!!!」ってトコ大好きです。本作の『最終決戦。リーダーが演説で兵士たちの士気を高める』シーンの中で、この映画の右に出るものはないかもしれません。今でも娯楽番組で使われる劇中音楽も良いよね(大統領の紹介とかでよく掛かるイメージ)。そしてやっぱり親父の特攻はホロリと来てしまう。ここを観ないとこの映画は終われない。  テレビのUFO特番でよく聞いたエリア51とかロズウェル事件とかを“劇中ほんとにあった話”にしたのは斬新…というか、劇場で観ていた当時、まさかこの映画で矢追純一な設定持ってくるなんて思ってなかったわ。 まぁ一見陳腐な設定に思えたけど、変に新しい設定創って話を難しくするより、誰もが知ってるミステリーから引っ張ってきたほうが分かり易いよな。だって派手な破壊シーンを楽しむ映画なんだし。 エリア51のクリーンルーム。完全防備の研究員の奥からマスクすらしてない白衣の博士が…。デビッドが反撃を思いつてから、トントン拍子に一晩で色々諸々が完成。ウイルスが効くなんて敵の母船はマイクロソフト製か?小型UFO、宇宙人もテレパシーでなく手動で操縦してたの?研究施設なのにどうしてUFOの射出カタパルトみたいになってるの?大統領が戦闘機で出撃なんてブッ飛んでんなぁ… 敢えて残したと思えるくらいツッコミどころは多い。けど、面白かった。
[映画館(字幕)] 7点(2023-09-06 22:40:32)(良:2票)
13.  スター・ウォーズ ネタバレ 
~STAR WARS~星!戦争!。 わざわざ訳す必要がないくらいシンプルなタイトル。世界中誰でも理解できる、絵文字やピクトグラムに匹敵する単純な組み合わせ。 “遊園地の代わりに家族みんなで観に行く劇場映画”。 ストーリーは子供でもわかる勧善懲悪のシンプルなもので、大人も満足できるジェットコースターに匹敵するアトラクションとして、家庭用の小さなカラーテレビでは体験できない、迫力の映像と音響を満足できる劇場映画の誕生。当時体験した人は大興奮しただろうな。  私のSWデビューは、水曜ロードショーのテレビ初放送だった。名前と存在だけは知っていた話題の映画。 それがいよいよ放映される。ただ我が家では“次の日学校がある時は、子供は22時に寝る”というルールがあった。けどその日は20時から前倒し放送だったから、最後までは無理でも、かなり後半まで観られるぞ!とワクワクしてTVの前に座ってたっけ。 C-3POとR2-D2がテレビ局をウロウロして芸能人と話をするという、どうでも良い内容がダラダラと続き、いつまで経っても始まらない本編にだんだんイライラ。結局本編が始まったのは21時くらい。せっかくのアドバンテージも台無し。大人って酷いことするわ。 それでもワクワクしながら視聴。OPのオーケストラとともに流れ行くでっかいタイトル。宇宙、星…そして画面上部を覆い尽くすスター・デストロイヤー!!「ぅわあーーーーー!!」って叫んでた。いま、目の前で凄い事が始まった。今まで生きてきた中で考えた事もないことが起こった。 あとはもう流されるまま…圧倒的な数の敵兵。砂漠を歩くロボット。用途の解らないロボットいっぱい。双子の夕日の美しさ。ホバーカー浮いてる。サンドピープル怖い見た目怖い。ライトサーベルの音カッコイイ。ガンダムのビームサーベルと全然違って熱そうでカッコイイ。お父さんたち(叔父叔母)が骨に。変な宇宙人いっぱいの酒場。ワープで星が流れていく。さぁ、お姫様を救いに宇宙へ! 「ちょっと、何時間見てるの?いい加減寝なさい!」これからって時にタイムアウト。 え?ちょっ!待ってママン!ってかお母さん。いま、大変なんだから!宇宙が!お姫様がっ!!  抵抗虚しく私のSWデビューはここまで。22時以降も起きていて良い兄は続きを観てる。悔しい… 次の日兄に『あの後どうだった?』って聞くと「う~ん…お前が寝る辺りまでが一番面白かったよ」と、いま思うと気遣いある回答を貰ったっけ。 この時は最後まで観てないけど、映画ってこんな凄い事が出来るんだって思った。このSWがキッカケで、私はマニアックな映画の見方をするようになったのかもしれない。最初のSWのストーリーなんてオマケもいいトコ。頭を空っぽにして映像と音と世界観を楽しむ映画。  今回SWシリーズを観直すに当たって、旧3部作を観てから新3部作、ローグ・ワンを挟んで旧3部作の特別篇を観ている。劇場版と特別篇がセットになった、昔のお得なDVDだけど、収録されている劇場版は“Episode IV - A New Hope”が付けられる以前のものだった。
[地上波(吹替)] 10点(2021-09-13 00:50:58)(笑:1票) (良:1票)
14.  男はつらいよ 拝啓車寅次郎様 ネタバレ 
シリーズ47作目。カメラマンと(の)人妻の出会いと恋という、当時ブームになった『マディソン郡の橋』(イーストウッドの映画版公開の前だから小説版)からインスパイアされた作品。45作目の『髪結いの亭主』といい、流行りものを寅さん世界に落とし込む作風の一つですね。  ゲストは牧瀬里穂で、お父さんは郵便局長。過去にも『郵便局がスポンサーなんだな』って回はありましたが、今回は大々的でした。この映画の公開当時、牧瀬里穂は郵便局のイメージキャラクターでしたね。当時私は大きい郵便局で、年賀状を仕分ける短期アルバイトをしていました。そして記念品(お年玉?)として牧瀬里穂のテレホンカードを貰いました。同年代で貰ったって人、結構居るんじゃないかなぁ?そして映画の最後の方で、牧瀬演じる菜穂が郵便局の緑の制服を着て出てくるのは、ちょっと嬉しいサービスショットでした。当時を思い出して懐かしくなりましたよ。  今回も満男の恋が描かれますが、“3M”の一角を占めるトップアイドル菜穂とボンヤリした満男では、いくら映画だとしても不釣り合いに感じます。“国民的美少女”の泉とお調子者の満男は、同じ部活という繋がりがあったにせよ、それでもやっぱり不釣り合いで、振り返ると前作の亜矢くらいが、一番バランスが良かったんじゃないでしょうか?  寅がほとんど動けないのと、それでも工夫して撮ろうという配慮が伝わってきます。寅が騒動を起こす場面は、カメラの回ってないところで起きて、人づてに語られる手法です。仕方ないとは言え、スッキリ出来ないのも事実です。 それでも鉛筆売りの勝負は寅さんが満男に教えられる、世の中の生き抜き方って感じで良かったな。 満男以外の主要メンバーの高齢化も目立ち、笑えるところも多いとは言えず、コメディに分類して良いのかとても悩ましいところ。残り一作なのが解っているから付いて行けるけど、リアルタイムには観る側も辛かったと思います。寅さんメンバーの、年に一度の安否確認の意味合いが強い作品でした。
[CS・衛星(邦画)] 4点(2024-04-04 01:47:06)(良:2票)
15.  東京物語 ネタバレ 
やっぱり、オリジナルを観てからリメイクを観るべきだなぁと、大いに思いました。リメイク版で大筋は覚えていたので、その通りに進んでいくシナリオに、何か映画を楽しむというより、確認作業をしているような、そんな“もったいない事したなぁ”って、気持ちになってしまいました。70年も昔のモノクロ作品ですが、デジタルリマスターの恩恵か、映像もクリアで音声も聞き取りやすかったです。なので、オリジナルから観たほうが、いいよ。  小津監督といえば、セリフの際のカメラ目線。突然こっちに語りかけてくる演出は、ふとセリフを喋る役者を観ているような、映画として逆効果に感じるんじゃないかと思っていましたが、いやいや、映画の登場人物が、映画の世界にいる自分に語りかけてくるような、そんな効果があったのかと、今さらながら気が付きました。そしてこちらも小津監督が多用するローアングル(じゃなくってローポジションだそうです)の、床から足先まで入るカメラポジション。その少し引いた画は、まるで部屋の隅っこで寝そべって、登場人物をぼんやり観ているような錯覚を感じさせます。そして登場人物のカメラ目線に切り替わる。フッと『あ、私に話してたのか』なんて思いながら、物語の中に自然に入りこませてくれるのです。 技術的な事は詳しくないので、あくまで私の主観ですが、リメイク作では感じ取れなかった部分でした。カラーだったりSEだったり映像の奥行きだったり、新しいものは情報量が多すぎて気が付かなかったのかもしれません。  上京した高齢の両親と、東京で家族を持って、新しい生活を始めている長男と長女。この冷たく感じる子どもたちの対応と、次男の嫁の紀子の対応の違いがとても印象深いです。 戦争が終わって8年。復興から発展へ、新しい時代の象徴と言える、生まれ変わった東京。その時代の流れに身を任せる東京の子供たちと、昔と変わらぬのんびりとした生活を送っていた両親。両親にとって子供はいつまでも子供です。それを肌身で感じている同居の次女と、戦争で夫を失い、時間が止まったままの紀子。両親と彼女たちは、復興・発展のために日本が“あの時代に置いていったもの”のように感じました。  紀子と京子の本音の会話がとても心に残ります。京子の親への思いを受け止めながら、嫌でも前を向かなければいけない時代だと、まるで自分に言い聞かせるように語る紀子。そんな自分を「ずるい」と、父に心の内を言う紀子。その言葉を受けて、妻の残した懐中時計を渡す父。戦争で時間が止まったままだった紀子に、亡き夫の両親が、前に進むよう後押しをしているように感じました。 東京物語というタイトル。そんなに、東京か?と思って観ていましたが、なるほど、東京=日本の未来だったんですね。
[CS・衛星(邦画)] 10点(2024-09-16 12:10:42)(良:2票)
16.  影武者 ネタバレ 
学生時代に借りて観て、事前に聞いていた評価の割に面白くなく思えた。乱は怖くて重くて楽しめたのに、この影武者は軽くて退屈だった。自分には合わないのかなぁ、と思って、以降黒澤作品を借りることはなくなった。 今回久しぶりの鑑賞。昭和55年当時、一般的に考えられていた史実と、諸説・異説。そこに創作の融合。信玄に重症を負わせた狙撃手の解説なんかとても面白く、実際どうかはともかく、暗闇で狙撃を遣り遂げた工夫に説得力があった。 間者を騙し、孫を騙し、女を騙し、刺客を騙しと、次々と降りかかる無理難題。そこに輪をかけて勝頼の嫌がらせ。影武者と重臣たちがどう乗り越えるかは、影武者の醍醐味として堪能できた。特に側室たちに対する暴露は緊張感と笑いの見事な演出。  ただどうにも、全体的に盛り上がりに欠けていたように思う。例えば重臣たちの会話などが所々台詞・台詞していて、活き活きとした会話とは言いにくい場面があちこちに観られた。また乱同様、あまり役者の顔に寄らない撮影方法から、まるで舞台演劇を観ているようで、映画としての役者の躍動感が感じられなかった。名だたる俳優が揃っている(山崎、室田、根津、倍賞、観ているあいだ気が付かなかったわ)のに、大滝秀治と隆大介くらいしか、印象に残らない撮り方というのは如何なものだろう。  信玄討たれるの報を聞き、馬を走らせる信長の場面。馬の疾走→信長の顔→城。を二回半も繰り返すクドさ。誰かが入れたいもの、誰かの要求されたものを全部突っ込んだら、結果こうなった感が半端ない。 高天神城の戦いの夜襲は本当に真っ暗で、せっかく騎馬武者を走らせているのも関わらず、何が起きているのかよく見えない。 佳境の長篠の戦いも、まるで策もなく特攻し、一方的に撃たれるを三度も繰り返す冗長さ。また撃たれた人馬の死屍累々、三重臣の死体を、ほぼ均等な長さで延々と映す長さ。削るべきを削り、活かすものを活かす潔さが必要と思われるのに、それを削ること無く全部入れてしまうから、結果こんなに長く、盛り上がりにかける作品になったんじゃないだろうか。  また全滅した武田軍の死体、うごめく重症者、倒れた馬。当時の定説はどうだったのか、射程の短い火縄銃の被害にしては、戦線が伸びすぎではないだろうか。ガトリング砲やライフル銃が出てきた時代の戦場に見える。そう西部劇の時代、南北戦争の戦場のようだ。 同様に高天神城の攻城戦の、家康軍の銃の撃ち方も、まるで南北戦争。当時はまだ、射手が自分の判断で動く敵を撃つのではなく、指揮官の指示で決まった方向に銃を向けて撃つだけの時代だと思う。また火縄銃の構造上、下向きには撃てないんじゃないかな。どうだろう?(※撃てるみたい) 音楽も違和感を感じさせる。お館様のご帰還に合わせて鳴るファンファーレの場違いなこと。言われるがまま創ったものを組み合わせたら、こうなった感が…。「ちょっと合わないよなぁ」と言う人が居なかったのか、言えなかったのか。 信玄の死を聞いて自然に敦盛を舞う信長。入れたかったんだろうけど、実際入れると不自然さ、違和感を感じる。  『風と共に去りぬ』のような戦争大作を、日本の戦国時代を舞台に創る。という目論見だったのか。 芸術性はともかく、娯楽作品としては盛り上がらないこの映画。世界進出を狙って制作され、見事パルムドールを受賞したものだから、後年の黒澤映画の代表作、傑作の一つとして鎮座してしまい、結果として(当時の)若い人が、本当に面白い過去の黒澤映画に触れる機会を逸してしまったのかと思うと、少々勿体ないように思う。
[ビデオ(邦画)] 4点(2022-05-29 17:11:21)(良:2票)
17.  インディ・ジョーンズと運命のダイヤル ネタバレ 
“Dial of Destiny”邦題ままだけど、どうして今さら『と』を付けたのか?それならいっそ『インディアナ…』にしちゃっても。なんて思う今日この頃。 満を持して創られた前作でコテンコテンにされたから、本作に新たな何かを期待する層も少ないだろうと思う。もうただ、私達を熱狂させた往年のシリーズがここで終わる。その時に一緒に立ち会う。どんな出来であっても暖かく見守ろう。そんな決意で劇場に足を運んだ人が多かったんじゃないかな?  パラマウント山からの~…無いんだ。それでもOPの若いインディに期待が高まる。あのクオリティで表情豊かに動けるなんて、スゴい時代になったものだわ。ナチスとの追い駆けっ子が懐かしい。役者の顔を貼り付けた実写アニメとも言えなくもないけど、CGって良くも悪くも安心感があるね。 現代パートに戻って、老いたインディのパンツ姿。あぁ、これからこの御老体が、体を張って冒険するのかと思うと、興奮よりいたわりの気持ちの方が強く湧いてくる。だってハリソンってウチのママンと同じ年なんだもの。 徐々に明かされるインディの現状。なんか、低評価だった前作の存在を否定するような、そんな今の生活なのね。 老いたインディ。家庭環境の変化。アンティキティラが時空と関連するオーパーツと来たから、インディの環境が変わるのかなぁ?なんて想像は立ちました。 懐かしいサラー登場。そのうちショート・ラウンドやウィリーも出てくるんだっけ?(※出ません。この映画の情報を極力シャットダウンしてたので、無関係な雑音をキャッチしてました。) 実際に走る姿は痛々しいけど、アクションはそれなりに自然に観えました。これもCG技術の賜物なんでしょうけど。トゥクトゥク走らせたり崖を登ったり。老体に鞭打つインディの活躍を、興奮するでも冷めるでもない、不思議な気持ちで見守っていました。  私がまだ若かった頃、映画は映像娯楽の中でもかなり共通認識の高い方に分類されていたと思います。新作が出る度に熱狂したスクリーンの中のスーパーヒーロー。新作が公開されると即劇場に足を運び、ビデオが出るとレンタルして何度も観る。もちろんインディ・ジョーンズは誰もが知るスーパーヒーローの一人で、演じるハリソン・フォードもまた、誰もが知るハリウッドの大スターでしたね。 今では映画は、数ある映像コンテンツの一つでしか無くなり、ハリウッドの大スターといえば、'90年代から活躍していた人ばかりです。 何年も前にヒットした作品を、当時の設定、当時の俳優のまま、リブートすること無く創って、終わらせる。シリーズを終わらせるために眠りから起こされるスクリーンの中のヒーローたち。 本作を観て、良し悪しは別にして、今のスタイルの映画という文化が、いよいよ変わる時が近づいているのかなって、そんな気持ちになりました。
[映画館(字幕)] 6点(2023-07-10 23:13:20)(良:2票)
18.  椿三十郎(1962) ネタバレ 
「椿…三十郎。もうそろそろ四十郎ですが…」用心棒の続編だったのか。三十郎がどんな人物か解っているから話が早い。神社で若侍が集まった辺りから“面白そうなことが始まった”って思ったんだろうな。一匹狼の三十郎に、ひよっこ侍が九人揃って付いてくる様子が何とも微笑ましい。 この面子に呑気な睦田婦人と娘が加わって、緩い空気が作品全体を覆う。椿を使った合図で盛り上がる母娘と対象的に、苛々して屏風の字をなぞる三十郎と、その苛々を察しておろおろする若侍たちが面白い。  神社で菊井の手下多数を、次々と叩き切る迫力満点の殺陣はあったけど、まるで現代の若者そのままの若侍たちと、陸田母娘のゆるふわな会話が、緊張感を和やかに解きほぐす。終盤も討ち入りの緊張感よりも小川を流れる大量の白い椿の美しさに、お伽話を観ているような気分にさせてくれた。  さぁ、有名なあの場面はどこに出てくるのか?私は序盤で出るものだと予想していたけど、最後でした。和やかな雰囲気の作品の終盤、三十郎と室戸の緊張感溢れる対峙のからの、一閃。抜刀から一瞬の決着。おびただしい量の赤い血が噴き出す過剰とも言える演出が、日本映画の新しいかたちを作る。 最後の最後で凄いものを観せたため、血の場面ばかりが取り上げられるけど、大量の赤い血は、大量の白い椿の対比として入れたんだと思う。本作が娯楽映画の傑作として今でも語られるのは、決して奇抜さだけの作品ではなく、映画全体の緩急の付け方の巧みさにあるんじゃないかな。
[DVD(邦画)] 9点(2024-09-23 23:07:50)(良:2票)
19.  チャップリンの独裁者 ネタバレ 
~The Great Dictator~偉大な独裁者。 冒頭の第一次世界大戦が結構リアル。あの威圧感ある長距離砲はセットだろうか?良く出来てるなぁ。 ヒンケル総統の、インチキ・ドイツ語によるスピーチが、いかにもそれっぽくて可笑しい。ヴィーナスや考える人の小ネタも笑える。 秘書の打つタイプライター・ネタ、コイン・ケーキ・ネタがシンプルだけどツボった。 独裁者なのに隣国の独裁者にはちょっと気を使ってるところとか、ヒンケルを憎み切れないキャラとして描いている。 だけど床屋の男とヒンケルがそっくりなことに、誰も触れないのが不思議。どう解釈すればよいんだろう? 突撃隊員によるユダヤ人への扱いは過激な暴力レベル。制作当時、ホロコースト大量虐殺の事実は世界に伝えられていなかったためらしい。 当時のドイツの社会的立場と勢いを考えると、今に例えると中国くらい強力だったんじゃないかな。 中国が香港や台湾、チベット自治区や新疆ウイグル自治区への過激な暴力を、習近平そっくりの主人公を出して、ユーモアを入れながらも真っ正面から批判できる有名人が、いま何人いるだろう? サイレント映画の王が雄弁に語る。ヒンケルでも床屋の男でもなく、コメディ映画としてのストーリーなんかそっちのけで、チャールズ・チャップリン個人が、コメディを見て笑いに来た観客にぶつける演説のパワー。 結果的にヨーロッパ戦線は第二次世界大戦になり、約7500万人の戦死者・犠牲者とともに、600万人のユダヤ人が一方的に殺された。世界が笑いごとでは済まない事態に向かっているまさにその時に、チャップリンの情熱によりこの映画が作られた事実が凄い。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2021-07-07 23:13:43)(良:2票)
20.  犬神家の一族(2006) ネタバレ 
You Tubeで犬神家の短い動画を見たのがキッカケで、アマゾンでDVD買ったんですよ。中古の安いので良いやって。届いたのがこれ。 しばらく観て、岸部一徳って容姿が変わらないなぁなんて思ってたら、松嶋菜々子が出てきたんで???ってなって… 同じ監督、同じ主演でこんなセルフリメイクがあったなんて知らなかった。アマゾンも'76年版と'06年版を同じコーナーに一緒にしたら駄目だよ。  間違い探しレベルに同じ展開をなぞる本作。2作品を見比べると、那須の街の本通りを金田一と古舘が歩く屋根上から見下ろす画なんて、どこかの裏庭だろうか、本通りには見えない。そこまで無理して再現するか?ってくらい似せて作ってる。 '76年版ではセリフのなかった間、いわゆる行間に、「え?」とか「あぁ!」とか、いちいち感情を表すセリフを入れて、見てる側にわかり易く作られてるのかな。そのせいか前作にあったピリッとした空気感までが薄まったような。珠代役の松嶋菜々子からは島田陽子にあった緊張感が感じられない。画面によっては含み笑いをしているようにも見えて、“犬神家の面々より珠代のほうが強いんじゃないか?”って印象。 勝手な想像だけど、'76年の現場って今よりもっとピリピリしていて、島田陽子も先輩大女優に気を使って、それが映画に上手く作用したんじゃないだろうか?それが今は上下関係も昔ほど厳しくなく、みんなフレンドリーな環境で、松嶋菜々子も他の先輩諸氏と対等か、下手したらそれ以上な待遇で撮影されたんじゃないだろうか?残念だけど前作に勝る部分が見つからず、これは全てにおいて前作の劣化コピーと言える。  ウィキを読むと、どうもこれは市川監督が創りたかった企画・内容じゃなかったように思える。90歳にもなる市川監督が本作を意欲的に撮るとしたら、金田一は'96年の八つ墓村と同じトヨエツか、別な若い男優を立てても良かったと思う。昔のままのシナリオで手を加えることすら出来ないなら、もういっそ、自分の好きなお世話になった人を集めて、同窓会的に楽しく撮ろうじゃないかって、開き直りがあったのかもしれない。 監督や俳優が映画人生の末期に、自己満足と揶揄される作品を作ることがある(と思う)。宮崎駿の風立ちぬ、高倉健の鉄道員のように。それは観方を変えれば遺言であったり、身内へのメッセージやお礼であったりで、決して万人の観客を喜ばせる新しいものや意欲的なものではない。自身の最後になるかもしれない自身のための作品。市川崑は'06年犬神家の一族がそれなんだろう。巨匠最後のワガママ。市川監督がかつての仲間たちとワイワイ楽しく撮影できていたなら、それでもう充分じゃないかな。  ヨキ・コト・キクについて、菊も琴も凶器じゃないのにどうして最後、斧(ヨキ)だけ凶器だったのか?キクの時は花鋏だし、コトの時は帯紐が凶器だった。そもそも斧は発見されてないから凶器と断定できないって思ったけど、実は凶器は何でもよくて、スケキヨを逆さにしてヨキケス、下半身だけ湖から出して“ヨキ”にしてたのね。
[DVD(邦画)] 4点(2021-09-23 16:47:13)(良:2票)

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