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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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61.  アイス・カチャンは恋の味
少年の初恋ものと聞いてたので、するとアンジェリカ・リーもとうとう母親役をやるようになったのか、と思ってたら、初恋相手の「気の強い少女」であった。ラストの「少女のその後」で、やっと現在に追いついた感じ。『アイ』で初めて観たときだってもう「少女」というより「娘」だったし、あれが十年くらい前の映画。本サイトの情報でいま確認したら1976年の生まれだそうだから、このときは三十代半ばか。いい度胸だ。ま映画としても年齢不明の人ばっかり出てきてて、さして無理でもなかったかもしれない。これ香港コメディから動きのキレを抜いて泥臭さだけを残したような映画で、音楽が鳴りっぱなしなのも苦痛だった。お父さんがバクチやってる小屋とその前に広がる海に、かろうじて東南アジアの匂いを感じた。あとは、不意に生まれた四組のカップルが四辻の四方向から顔を合わせる俯瞰のカットぐらいか。今までに作られてきた「初恋もの」の部品を組み合わせてみたってだけで、自分なりのオリジナルなものを発見しようとしていない。
[CS・衛星(字幕)] 4点(2011-10-26 10:19:29)
62.  アラジン(1992)
小さな猿と巨人の吊り合わせなぞ、いかにもディズニーの好み。ただこのエノケン似の猿は後半象になってキャラクターを生かしきってはいない。巨人ジーニーの変身ギャグはあまり好きではない傾向のものだが、そのヘンにはしゃぐ「朴直な大男」ぶりは悪くない。陽気にはしゃいだ後、でも自由じゃない、とショボンと変化するとこは笑えた。ランプの住まいは窮屈だ、って。洞窟で登場する「魔法のじゅうたん」の擬人化のうまさはディズニーのお得意のとこ。飛行シーンは宮崎のほうがうまいけど。世界中を飛び回り、スフィンクスの顔が欠ける。エジプトも中国も「オリエント一般」でひとくくり。西洋には飛ばないのだ(おそらく魔法圏外の文明地ということなのだろう)。ランプが悪玉ジャファーの手に渡って次々と力を得ていくあたりの畳み込みぶりがいい。心ならずも命令をきくジーニーの打ちひしがれぶり。ダンボやピノキオなど旧作へのオマージュもある。「世界一の魔法使いになっても自由を奪われたらおしまい」という教訓付き。私にはちと目まぐるしすぎた。
[映画館(字幕)] 6点(2011-10-21 09:58:58)
63.  嵐が丘(1992)
なんでもドキュメンタリー出身の監督ということで期待したのだったが、いやそれゆえか、情緒過多の弊。それにヒースクリフ君がいい男でツルッとしてて魅力に欠ける。全部の話を105分に納めているので、ダイジェスト版的。ブニュエルはエッセンスだけをまとめて90分以内で描いたぞ、などとブツブツ言いながら観てたが、観終わって昂ぶってしまうのは、やはり原作の強みか。もう愛と憎しみの二つしかない世界、みな恨みつつ憎みつつ死んでいくの。狂ったヒースクリフが少女時代のキャシーを目にする一瞬(その後の手のアップ以降はダメ)は感動した。宿命の愛だなあ。こういう一代目のストーリーに二代目のストーリーが続いて因果が巡るって、思えば我が国の「源氏物語」と似た構造で、女流作家の得意技かとちょっと思ったが、そんなの男のでもあるだろうな。川も花もない荒涼として風景は、数ある映画化のなかでも一番原作に近そう。
[映画館(字幕)] 6点(2011-10-01 12:51:40)(良:1票)
64.  アメリカ交響楽
終戦の年の映画で「アメリカの声」いうところに力点が置かれていたよう。なぜか演奏時間にこだわり続けるお父さんが面白い。いっぽうコンサートシーンで涙ぐむお母さんはクサい。伝記ものってのは、当人が死んである程度時間が経ってから作ったほうがいいよな(これガーシュインの伝記映画。彼は1937年に死んでる)。どうも生き残ってる関係者に遠慮が出来て、あたりさわりのない人物像しか生れない。キャスティングでもヒムセルフってのが多かった。まあ死者を顕彰するって意味の作品なら仕方がないし、死んであまり時がたってないから、あの大観衆になっちゃうんだろうなあ。ラストで「ラプソディ・イン・ブルー」を繰り返すのは芸がない。小佳曲を置きたいところ。伝記映画は面白く作らないと、映画見てる観客が主人公の早い死を願いだすから、当人に悪いぜ。
[映画館(字幕)] 6点(2011-09-20 09:15:01)
65.  アサシン(1993)
『ニキータ』のシナリオ上の不満が、アメリカ映画の合理主義によっていくらか解消されるかと思っていたが、ほとんどそのままであった。恋人を隣室において、プロポーズされつつの暗殺シーンは、やはり滑稽。歌舞伎の、世話ものふうの中に「実は」で時代ものが見えてくる、みたいな感じで観賞すればいいのかな。組織ってこんなに甘くないと思うよ。主人公の設定は面白いものを生み出せそうなのに、けっきょく「組織」を描けてないので、個人のほうもヘンテコリンになってしまう。こんな個人を組織が泳がせるとは思えない。女のほうだって、レストランのあと、本部へノコノコ帰ってくるのがヘン。それでも役者はおおむね良く、ガブリエル・バーンはアホな役なのに、いい味。掃除人のハーベイ・カイテルも不気味に殺伐としている。アン・バンクロフトは、アメリカのジャンヌ・モローであった。
[映画館(字幕)] 6点(2011-09-17 10:01:57)
66.  アフリカの女王 《ネタバレ》 
話の大枠は冒険ものだけど実質は「流れ下る室内劇」で、男女二人のドラマを楽しむ味わい。船という密室空間でほかの男女に出会えない状況なのだから、ロマンスの成長だけが見どころになり、それを二人の名優がたっぷり見せてくれる。とりわけキャサリンはピタリの役どころで、宣教師の妹の英国淑女が自分の流儀を保持した態度をとりつつ、けっこう過激な提案を荒くれ男の船長に提示していくあたりのおかしさ、ひとたび結ばれると自分からお茶を「旦那さま」に運んでいくかわいさ、などなど。ときに思い出したようにドイツ軍の銃撃があったり急流があったりするが、ほとんど二人の心理劇だけで運ぶ前半はなんとも鷹揚で、映画黄金期の観客はそれをゆっくりと見物する大らかさを持っていたのだろう。しかしのちの「映画がコセコセする時代」になってからの映画ファンである私にはいささか大らかすぎて物足りなく思っていると、終盤、その大らかさの味わいが私などにも分かってくる。船が隘路に入って身動きが取れなくなってしまい、二人は絶望し神に祈ったりしている。そのときカメラはそっと上昇し、すぐ先に湖への出口があることを観客にだけ知らせてくれるのだ。そしてスコールが訪れ、船は動き出し湖に出て行く。後の映画だったらそれは伏せといて、脱出の驚きの効果を優先するのではないか。でも監督は手の内を見せて、観客にゆっくりと見物させるほうを選ぶ。そのとき生まれるユーモアの味わい。あるいはラストのひっくり返っているクイーン号に静かに近づいてくる敵艦のカット、これも先に起こることを観客に知らせておいてゆっくり見物させる手法だ。そのカットの生み出すユーモアこそ、後のコセコセした時代の映画が失ったものだろう(晩年の監督作『女と男の名誉』では飛行機が飛んでるカットだけで笑わせた)。なんか第一次世界大戦の映画ってノドカでいいんだよな、もちろん殺し合いをしてたには違いないんだけど。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2011-09-16 10:09:19)
67.  アスファルト(1929)
夜の街。これセットなんだろうが、ふんだんに人を使ってる。カメラがぐるぐると対象を物色してる感じがいい。やがて歩道に沿って延々と流していき一人の女性に集中していく。ここらへんかなり興奮。宝石店。ヒゲの店員は客の美貌にトロッとなっているが、離れた支配人は横目で見ている。この構図よし。ま、その後いろいろあって、つまりは警官が女の誘惑に負けてゴタゴタに引きずり込まれ、殺人にまで至るという、この時代に多い話。なんなんだろう。犯罪都市ものと言うか、美女は悪人になり、警官は色香に迷う(教授とか、立派な制服的人間が迷っちゃうの)。精神分析の流行とか、無意識の発見とかが、影響を与えてるんでしょうか。家庭の外の闇には、こういう魔が潜んでいる、いう話がやたら多い。そして映画は夜の雰囲気を出すことを任されると、実にいいんだ。ここらへん、ドイツではすべてがうまく機能して「夜の犯罪都市もの」という一つの型を作れたようだ。
[映画館(字幕)] 7点(2011-09-06 12:13:43)
68.  赤い薔薇ソースの伝説 《ネタバレ》 
家庭料理は怖い、いう話。家に縛られた女の情念が凝り固まって料理となっていく。食べることのおぞましさの映画としては『最後の晩餐』などがあるが、これは調理のおぞましさ。大量の涙(塩)を流しつつ生まれた娘、ティタ。彼女の涙が一滴料理に入ると、食べたものがみな泣き出してしまうんだな。娘は、家の料理人であり子守であり家事一般を生涯にわたって受け持つよう母親によって運命づけられているの、それと交換されるのが彼女の料理なんだ。彼女が唯一キッチンにいながら社会に作用できるもの。ソースで興奮させて上の姉は革命党へ走っていく。そういった現実と伝説が混交しているような設定自体は、いかにも中南米的で面白い。憧れる男がそれほどのものに見えないとか、画調が暗すぎるとか、音楽がうるさいとか、後半ヒロインが狂って焦点が揺らぐとか、不満はあるけど。
[映画館(字幕)] 7点(2011-09-01 09:42:40)
69.  安城家の舞踏会 《ネタバレ》 
『暖流』のころからモダンな監督だったが、これはもう思いっきりバタ臭く作っている。原節子の背中からスタートして、タバコのわっかの煙から森雅之に移ったり、女中がズンとピアノの上に座り込むショックなんかも効いている。ラストのピストルが滑ってってビール瓶に当たるとこなんかも。きっと「やりすぎ」なんだろうが、その「やりすぎ」に、これからは日本映画はこういうタッチになっていくんだ、というような気負いが感じられ、それなりに時代の気分の記録として味わえる(ドラマとしては型通りで、その時代の中に今いるという切実感がもひとつ感じられなかった)。それぞれの思惑が進行していって、結果すべての人のもとに明るい朝日が差し込むの。神田隆だったか「あっしは働いて働いてかせいだんでがすよ」と言うあたりは、そうだねえ、と思った。
[映画館(邦画)] 7点(2011-08-04 12:15:48)
70.  アメリカ
横顔の映画。体全部が真横を向いている(おもに左)。顔の半分が見えていないことによる膨らみと言うか、かえって内面への興味をそそられる。また視線の方向は分かるが、相手との距離感が分からない(見えてる目玉が一個なので)。そして原則として相手は同一画面に収まらない。だもんで人物間の距離感覚がひどく曖昧になってしまう。あのように真横だと永遠に平行線が引き伸ばされていく感じで、「相手」が漠然と霧散していくような取りとめのなさが満ちてくる。この原作はそもそも「本人がまったく望まないのに人間関係のごたごたを招き寄せてしまう喜劇」という一面がある。映画ではその他人たちが曖昧になっていくところに、この監督なりの解釈があるのだろう。エレベーターボーイのエピソードが一番面白かったか、だんだん抜き差しならなくなっていく感じ。警官もタクシーの運ちゃんもポスターもすべてドイツ語のアメリカ。ラストは延々と湖の脇を走る抜けていく車窓シーン、汽笛とともにクレジットタイトルが入ってくる。
[映画館(字幕)] 7点(2011-05-14 09:43:38)(良:1票)
71.  或る夜の殿様 《ネタバレ》 
だいたい敗戦直後の邦画は民主主義啓蒙のメッセージ性が強くて、当時の雰囲気を知る面白さはあるものの、あんまり楽しくないのが普通なんだけど、これは違った。こんなシャレたコメディが、この混乱期に作られていたとは。ヨーロッパ的で、なにかタネ本でもあるのかな。山田五十鈴の存在がさらに膨らみをつけている。いいシーンとしては、長谷川一夫がわざとコップの水を飯田蝶子に引っ掛けるとこ。そのあとの女中の顔が実にいい。アリガトウゴザイマスと驚きとがうまくミックスされた感じ。階級的恥辱感とでも言うのか、ああいう細やかさが日本映画のいいところなんだよね。観てるほうでもスカッとするし。ニセモノを作った志村喬ら三人組のワルガキぶりもなかなか面白い。舞台から下がってから笑い合うあたり。画面の奥のほうでほかの人の表情を見せるのもうまい。吉川満子が渋面作ってたりする。三人組がバレそうになって慌てるあたり。長谷川がいちいちカワしていくおかしさ。「私は一介の浮浪児ごときものと申し上げたはずです」。そしてすべては額縁から始まって額縁に収まっていくという趣向。シャレてるなあ。
[映画館(邦画)] 8点(2011-05-09 09:56:31)
72.  あひるのうたがきこえてくるよ。
奥会津の風景がワイドスクリーンに広がる。桃源郷としての田舎。導入は爽やか。6時の時報に走る娘っ子から卒業式、柄本明からヒヨコへと、自然に話を広げている。アヒルを教育し卒業させることで回復していく主人公。ヤマナシ夫婦の回復。町おこしによる町の回復と、自然に包まれた世界はいいことづくめ。いや、別にいいんです。桃源郷をあくまで桃源郷として描くのは。でもそれならもっと地元の顔で埋めて、ゲスト出演を絞るべきじゃないかなあ。東京の垢が溜まったような顔をズラリ並べられると、桃源郷が痩せた都会人の妄想に見えてきちゃうのよ。小沢昭一は少しやりすぎに見えるが、「漢字自慢」という設定がおかしい。方角狂いの友人妻は、鬱陶しかった。
[映画館(邦画)] 5点(2011-05-08 09:47:42)
73.  アリス・イン・ワンダーランド 《ネタバレ》 
ファンタジーに登場する小人とか巨人てのは、だいたい何倍もの差があったのに、ここでのアリスと帽子屋や白の女王の場なんかは二倍に至らない一点何倍かの差。これが面白い。この中途半端な「縮尺」が新鮮。完全なファンタジー的造形物より、そういった微妙に異常なものが、こちらを刺激してくる。だから一番印象に残るのは赤の女王の頭で、この映画に価値があるとするなら、彼女によってだ。あと、彼女に処刑されることになる蛙の番兵の表情なんかもよかったな。それも完全な作り物ではなく、リアルな蛙だから映えた。そういった半リアル造形物だけで「アリス」を作ったら楽しかっただろうに、ハリウッドではファンタジーは冒険物語にしないといけないらしく、ラストではアリスがジャンヌ・ダルクよろしく活劇を展開するのには予想されたとは言え、がっかりした。何でも善と悪の争いにしないと気がすまないらしい。そこで目覚めたアリスが、リアルな世界に戻って東洋への経済侵略の尖兵となっていくという結末は、どう見ればいいのだろう。ブラック・ジョークとしては優れているが、どうもそれほどひねっているようでなく、歴史への無知・無恥ゆえの無邪気さのよう。あのなんでも「善と悪」にしないとすまない性向と、どこかでつながっているような。年表で確認したが、「アリス」が書かれたのは阿片戦争が終わって二十数年後だった。20世紀文学を予告した小説ではあるが、それを生んだのが19世紀帝国主義の暴風の中だったことを、この映画のラストは思い返させてはくれた。
[DVD(字幕)] 6点(2011-02-27 12:21:38)
74.  青い凧 《ネタバレ》 
凧というのは、中国人にとって自由の象徴なのだろうか、このころのチェン・カイコーの作品にも、よく使われてた。笑顔笑顔の結婚式で始まるが、ジワジワと嫌な感じが迫ってくる。行進や集会や。けっきょく何人か「右派」を作り上げねば「整風運動」に反したことになってしまう空気。トイレに立ったすきにやられてしまう怖さ(PTAの役員選挙でもそういうことがあるそうだが、怖さが違う)。どこかいじめの構造ともつながってますな。そして家族を覆い出す病い。眼疾、旦那の胃病、次もふらつき、三番目も心臓病。直接の危害の前に、病いとして敗北していく人々。その中でだんだん成長していく子ども。校長をつるし上げるので生き生きとなる少年が描かれる。ここらへん、もしかすると継父も母も裏切って「正しい紅衛兵」となっていく結末を夢想してしまった。中国映画の文革反省ものって、被害者の視点が多かったでしょ。あの鉦や太鼓鳴らして、生き生きとした自分を手に入れた連中の側の物語ってのも欲しかった。日本の戦後の反戦映画も、庶民はみな被害者づらして、あの当時ハチマキ締めて生き生きしてた部分が、主体として描かれることが少ない。その視点からの点検がないと、愚行は何度でも繰り返されるんじゃないかと思ってて、中国も同じだなあ、と感じてたもんで、ちょっと期待しちゃった。でもなかなか描けないんだよね、そういうカタストロフは。カタストロフじゃないと、受け取られてしまう心配があるからか。ま、文革反省ものの定番的な展開になったが、定番を確定するのも大事なことだ。三番目のお父さんなんか、いい役だった。冷たそうでいて、最後に思いやりを見せる。そのぶん母親のキャラクターは、いまいち明確さに欠けた。お正月、花火と提灯の中でかくれんぼするあたりのリリシズム。
[映画館(字幕)] 7点(2011-02-04 10:26:14)
75.  あらくれ(1957)
彼女の亭主になりたいとは思わないが、脇で見ているぶんには実に小気味のいい女の半生もの。不機嫌な人物を見ていると、普通はその不機嫌が伝染してきてしまうものなのだが、彼女の場合は違う。共感でもないの。小さいのによく動き回る相撲取りを見ているときの快感、と言っちゃ女性の高峰秀子に対して失礼か。森雅之との関係はあいかわらず「ズルズル」の世界で、でも『浮雲』みたいに黴の生えるようなジメジメした雨じゃなく、爽快な夕立であることが本作の魅力(あの夕立はホースで撒かれた水の延長線上にあるんだろう)。全編にあふれる物売りの声も、いつもながらとは言え、いい。変に好きなのは、洋服屋の下働きをしてるとき、からの大八車を引いての帰り道、ちょっと置いて一服する、そのしゃがみぶりというか、いや、いったい何がいいんだか分からないんだけど、成瀬の映画ではこういう瞬間を心待ちに待っている。「道行きシーン」と勝手に呼んでて、一人歩きものと二人歩きものと二種類あるんだけど、とにかく道を行きながら放心しているシーンてのが、私は成瀬映画では無性に好きでたまらない。
[映画館(邦画)] 8点(2011-01-03 14:54:10)
76.  愛と精霊の家
長編の映画化は本当に難しい。総集編になってしまう。弟たちをカットして女系の線でまとめたのは仕方あるまい。それでもエステバンという人物の複雑さは出せなかった。いっそエステバンだけに絞るという手もあっただろう、「『愛と精霊の家』より」、として。メリル・ストリープは、まったくの死に役、グレン・クローズに負けた。風土は南米でも監督の北欧の気配がところどころある。空気の濃密さが感じられないとか、少女たちは北欧っぽいとか。大河ものってのは忘れたころに人物が再登場するところにドキドキがあるんだけど、この時間だとそのタメが足りなくて、ドキドキにまで至らない。私生児はまだしも、あの娼婦なんかオッという感じがまったく出ない。まあ豪華配役陣を眺め回す楽しみはあった。
[映画館(字幕)] 6点(2010-12-03 10:27:10)
77.  アリゾナ・ドリーム
何となく『ガープの世界』を思い出した。ああいう「半ファンタジー」系の作品。亀が犬の世界と魚の世界をつなぐ。ニューヨークの現実からアリゾナの田舎に戻ると幻想味が増してくるの。幻想としての故郷。自動車の墓場にドアを持って立つ人なんか、寺山修司的だし。笑いはややヒステリカルで、なにかというとアコーディオンを持ち出してきて、ラシドーシーラー、ラシドミシドラー、とやる娘の胆汁気質がおかしい(全体の音楽はゴラン・ブレゴヴィッチ、冒頭の11拍子からいい)。けっきょく青年の成長もの、ってジャンルになるのか。どこか南米寄りのファンタジーの気配があり(椅子がフワフワと浮き出したり)、東欧と南米って、どこかでつながってるのかな、と思った。全体のとりとめのなさを、許せるかどうか、観たときの気分で評価が変わる映画だろう。
[映画館(字幕)] 6点(2010-11-02 10:45:20)
78.  アラビアのロレンス 完全版
前半に比べて、後半がどうも弱い。長いからこっちが疲れちゃうのかもしれない。『風と共に去りぬ』も、後半が駄目だった。でもあれは、原作がそもそも後半、南部歴史修正主義者の信念吐露みたいなものが入り込んできて気色悪いんだけど、こっちはどちらかというと後半のほうがロレンスの屈折に焦点が当たり、ドラマとしては面白くなれるはずだった。その屈折が映画としてうまく膨らんでくれてない気がする。というより前半が良すぎたのか。前半の「清潔な砂漠」の魅惑と脅威を描いては、絶品である。ロレンスが、これに魅せられたのが映像だけで納得できる。飛砂の舞いとなだらかな造形の妙。一度足跡つけてNG出しちゃうと、撮り直しするのが大変だっただろうなあ。それと砂漠の奥の深さの描写。オマー・シャリフの登場シーンを筆頭に、「果てしのなさ」を二次元でちゃんと描けている。3Dは、いらない(『戦場にかける橋』のジャングルや『ライアンの娘』の海のように、人間の愛憎を凌駕していく大自然を描くと天才的な監督)。シナリオも丁寧で、マッチを吹き消すとこや、こだまの反響なぞ、いい。後半では、そういうシナリオの綾が、あまりなかった気がする。
[DVD(字幕)] 8点(2010-10-23 09:59:23)
79.  アンドロメダ・・・ 《ネタバレ》 
SFはもっぱら宇宙基地とか古代恐竜とか、巨大なものを相手にしてきた。『ミクロの決死圏』だって、映像的には巨大な人体の胎内めぐりのようなものだった。しかしこれでは微小な方に向かったのが特徴。そのスケールの小さなものが、大きなスケールに増殖していくかもしれないことの不安。人間の日常のスケールを越えた世界を対象としていく。SFの王道であり狙いはいいのだが、それはやはり理屈の面白さであって、小説では楽しめそうだけど映像としては難しかった。小さな緑の結晶が生きている、ってあたりがドキドキさせるべきところなのだが、顕微鏡映像を通してなので、もひとつ手応えが弱い。これ作られたころは、まだアポロ計画の最中だったかな。人々の興味は急速に薄れていたとは言え、科学の現場をドキュメンタリー的にたっぷり描いたのも、そういう背景があったからだろう。かえって今見ると、その70年ごろの近未来図の野暮ったさが味わい。ジャバラつきの感染防止服なんかいい。あんまりドキュメント調では観客に悪いと、ラストに冒険がサービスとして入るが、文字通り取って付けたようだった。映画としては、最初の死滅した町の探検の部分が一番。宇宙服みたいの着て日常の町を歩き回る凶々しさ。この増殖する生命体、ちょっと「ウルトラQ」の「バルンガ」を思い出す。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2010-10-21 09:57:10)(良:1票)
80.  青いパパイヤの香り
前半が素晴らしい。漂い続けるカメラは、家の霊というか地の霊の視点というか。したたるパパイヤの汁、したたるロウ。なんらの恨みがましさも叱責の声もない家。熟し終わった家庭の匂いが、画面に立ち込めている。静かに静かにしゃべる。悪い時代の前の静けさ、いやこのころだってインドシナはちっとも平穏じゃなかったはずで、でもそのなかで家の静けさを維持し続ける緊張のようなものが、空気を濃密にしている。フランスでセット組んで撮ったって言うんだけど、細部のアップもあり大変だったろう。まあ20世紀末のベトナムで撮っても、同じ苦労があったかもしれないが。前半に比べると後半は、少女の初恋が成就されるということで黙劇的な緊張はあるんだけど、話が狭くなった感じ。けっきょく、女は弱しされど女は強し、っていうような話に落ち着く。みな影のように生きている独特の感じ。
[映画館(字幕)] 7点(2010-10-06 09:54:08)
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