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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1248
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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1.  紅い服の少女 第二章 真実 《ネタバレ》 
前回は「魔神仔」を扱った妖怪映画のようだったが、今回は都市伝説としての「紅い服の少女」の正体を本格的に解明する話を作っている。この映画では都市伝説の解釈のうち、山の魔物というより身代わりを探す幽霊という説を採ったようで、邪悪なコダマのようなのがもとから山にいた連中、少女とガは90年代に発生したものとして整理したように見える。場所も台北から台中に移し、都市伝説の発祥地や実際にある「卡多里遊樂園」などの廃墟も使ったご当地映画ができている。 目新しいものとしては「俯身葬」というのが出ていたが、これはどうも考古学上の概念を適当に使っただけらしい。また新登場の道教寺院や「虎爺」は次の第3作にもつながっていくものだが、今回あまり決定的な役割を果たすことなく終わったようで、この段階でこの要素を盛り込んだ意味が不明な気もした。 ドラマに関しては、主要人物の数が多いので混乱させられるが最後はちゃんと決着がつく。今回はラストで笑わせる場面もあり、脅威はまだ残るといいながらも一応さっぱり終わる形になっていた。少なくとも当面は、新生児は若い男に守られていくことになる。 具体的な場面では、若い男のトラ歩きやCGのトラ造形がちょっとどうかと思うのはまあいいとして、勅令女と少女の対決場面はなかなか迫力があった。額に御札を貼ればいいのかと思ったらそれほど簡単ではないらしい。また前回主人公は眉毛が抜けるほど壮絶な体験をしたと思わせるのが恐ろしい。  ところで可愛く見える主人公と、中学生くらいに見える高校生(高中生)が親子だったというのは序盤でいきなりのサプライズだが、その事情に関しては終盤で説明がある。当然ながら産む/産まないの選択はありうるわけだが、産む選択をしたのであればその結果は尊重されなければならない。また自らこの親を選んで生まれてきたとあえて信じることで、親を含めた自分の生を全肯定するというのも、人が前向きに生きるためにはありうることと思われる。 結果的には人の生命を次代に引き継いで、またその引き継がれた生命をさらに次代に引き継ぐことで、人が未来に生命をつないでいくことを肯定した映画に思われた。自分としては若干感動的だと思ったが、しかし2023年現在の感覚では、これがすでに古き良き時代の価値観でしかないと感じられるほど社会情勢が変化している気はする(少子化は止まらない)。
[インターネット(字幕)] 5点(2023-05-06 14:14:06)
2.  紅い服の少女 第一章 神隠し 《ネタバレ》 
題名は1998年のTV番組から生まれた都市伝説の名前だが、内容としては冒頭に説明が出ていた「魔神仔」に関する妖怪談のようなものになっている。これは台湾や福建などに昔からいたサルとか子どもの姿の精霊または幽霊で、山中に入った人を迷子にさせるものらしい。映像中に見えたweb百科事典には日本の伝説でいう「神隠し」に類似すると書いてあるが(要は中文Wikipediaからの転用)、現実に2013年に日本人観光客(当時78歳)が行方不明になり、数日後に無傷で発見された件に関しても、現地では魔神仔の仕業ではないかと噂になったとのことだった。 実際は人が死ぬほどのことはあまりないようだが、食事と思っていたら昆虫や糞便を食わされていたというような、日本でいえば狐狸の類に化かされたような話もある。対策としては爆竹が効果的とのことで、劇中では発煙筒も代用できることになっていたが、本来は光より騒音の方を嫌うものらしい。爆竹の本来の用途が賑やかしというより邪気払いだったことが知れる。  映画では、山中にいるはずのものが台北市内にも出現して、都市部を舞台にした心霊ホラー的な雰囲気も出している。「山が開発され居場所を失った魔神仔が山を下りて来た」という発言があったが、台北は山地に接しているからそういう発想にもなるわけで、日本なら札幌市内(南区など)にクマが出るようなものかと思った。 やたらに出ていたガに関しては、字幕の「クロメンガタスズメ」だとすると特に珍しくない実在の種ということになる。「羊たちの沈黙」に合わせたのかも知れないが、映像に出ていた名前は「紅翼鬼臉天蛾」だったので、架空の種と解して「アカメンガタスズメ」とでもした方がよかったのではないか。メンガタスズメ属は背中に人の顔の模様があって「人面天蛾」(=人面スズメガ)とも言われていて、ここからシリーズ第3作の「人面魚」につながったらしい。 終盤は山中に出向いての決戦となるが、ほかに家族に関わる人間ドラマもできていて、一応各種の趣向を盛り込んだ娯楽映画にはなっている。なお現実と夢が突然交代するのは少し嫌な感じだった。  ところで最近は世界的に昆虫食が注目されているが、映画のラストでは家族で夕食をとる場面があり、もしかしてこれは知らない間に昆虫を食わされているのではないかとの不安感があった(食い物がみな昆虫に見える)。その不安感を次の第2作につなぐ形になっている。
[インターネット(字幕)] 5点(2023-05-06 14:14:03)
3.  ある娼婦の贖罪 《ネタバレ》 
南米エクアドルの映画である。監督が同国の出身で、キャストは娼婦役が隣国コロンビア、相手の男役はボリビアの出身だが、ほかに地元の役者も出ているようだった。外部情報によると場所は首都キトとのことで、高地の街(標高2,850m)であることを思わせる映像も見えた。なお最初に起きていた地震というのは、エスメラルダス県やマナビ県で被害を出した「エクアドル地震」(2016)のことかと思われる。  テーマに関して、日本国内向けの宣伝では「性的搾取」として一般化した印象だが、特にこの映画が焦点を当てていたのは人身の拘束を伴う「性的奴隷」(esclavitud sexual / sexual slavery)の問題だったらしい。多くは人身売買や誘拐によるものらしく、具体的な場面はあまり出なかったが、被災地からの孤児の誘拐というのはストーリーの根幹にも関わっていた。これは他の国の話としても聞いたことがあり、決してエクアドルだけの問題とはいえない。 普通に映画として見た場合、エロい場面もなくはないがそれほどではなく、また「性的搾取」に関しても、良識ある人間が見て嫌悪を催すほどのショッキングな映像はない。物語の面では、最初から結末が見えているとまでは言わないが、普通に想像可能な範囲の(少し無理を通した形の)終幕になっている。主人公本人は罪深い人間とも思えないので邦題の「贖罪」は意味不明のようだが、「江戸の敵を長崎で討つ」的な雰囲気表現だったかも知れない。 ジャンルにある「ドラマ」「サスペンス」「エロティック」という面で十分かどうかは不明だが、特に上記esclavitud sexualを告発する社会派映画として見るべきものかと思った。  なお映画の撮影は2017年とのことだが、娼婦役のNoëlle Schönwaldという人は1970年生まれだそうである。もともと美形の人であって、劇中人物としてもまだ美貌を保って愛嬌のある表情も見せていたが、営業面ではさすがに厳しい雰囲気もあり、そのうちどうにもならなくなる行き詰まり感も出していた。ラストがこの人物なりの幕引きになったというのはわからなくはない。 ほかどうでもいいことだが原題に関して、"La mala noche"とは(特定の)「悪い夜」(単数)の意味だが、これは字幕の「店には行かない」という言葉やエンドクレジットの表示からしてポールダンサーのいた店の名前だったらしい。この映画以外では、18世紀のメキシコの鉱山名(転じて鉱山主の邸宅名)や米TVドラマのマフィア組織の名前にもマラノーチェという言葉が使われているが、どういうイメージを持たれている言葉なのかが結局わからず、映画の題名に込めたニュアンスも受け取れなかった。少し突っ込んで調べても結果が出なかったのは心残りだ。
[インターネット(字幕)] 5点(2023-04-08 09:39:24)
4.  赤い闇 スターリンの冷たい大地で 《ネタバレ》 
映画のタイトルでRをЯに、NをИにしていたのは、中学時代に同じことをやっていた奴がいたので精神年齢が低く見える。それ以外はまともな映画だった。 邦題は観客の意識を過去の国家犯罪に誘導しようとしているが、英題はジャーナリストである主人公の方を前面に出している。監督インタビューによれば、ジェノサイドだけがテーマならこの仕事は受けなかっただろうが、持ち込まれた脚本に「今の世の中にも通じる要素を大いに感じた」からこそ受けたとのことだった。  少なくとも現代では、一党独裁の全体主義国家は警戒するのが普通と思われる。経済成長を期待して投資の誘いに乗るにしても、ビジネス渡航者がいつ人質にされるかわからないのではリスクが大きすぎないか。人権抑圧だけでなく、国力増強のためには住民の生命を犠牲にまでする政権の機嫌を取るなど恥ずべきことだというのが、政財界はともかく一般庶民の感覚のはずである。 問題はそこに報道機関も加担して、自分らに都合のいい情報だけ流し、都合の悪い事実はなかったことにして一般庶民を欺くことである。報道業界も別に一般庶民に貢献するために存在しているのではないだろうが、それにしてもあからさまに虚偽報道をしておいて誤りを認めないというのでは、ジャーナリズムの崇高な理念など仮にあったとしても飾りでしかないのかと疑うことになる。 ただし報道機関とジャーナリストは同じでもないという考え方はあるかも知れない。本人がジャーナリストを自称しているだけで信用するわけにもいかないが、中には使命感をもって事実を明らかにしようとするジャーナリストもいるだろうとは思うので、ぜひ結果を見せてもらいたいと期待する(生命は大事だが)。  ところで映画は冒頭が「動物農場」から始まっていたが、実際の執筆時期は映画の物語よりもかなり後のようなので、当初は単純な社会主義者だったジョージ・オーウェルが、主人公の示した事実に心を動かされた結果がこの著作につながった、という流れを作ったらしい。主人公は若くして世を去ったが、いわば連携プレーで全体主義の脅威を世界に知らしめたという意味と思われる。 主人公の伝えた事実は、そのままならこの時代またはこの場所限定のこととして捉えられかねないが(邦題のように)、オーウェルの著作は具体的な事実を背景にしながらも、寓話や空想小説の形にしたことで後世にも通用する普遍性を持ち得たと思われる。この映画でもあえてオーウェルを登場させたことで、そのような普遍性を感じ取ってもらいたいとの意図があったのかと思った…そのようなことを監督インタビューでも説明していたので間違いないと思われる。  その他のことに関して、邦題は本当の闇なら色が見えないだろうから変な表現だと思ったが、劇中で実際に夜空が赤く見える場面があったことからの発想かも知れない。またエスニック調で不穏な歌詞の児童合唱は凄味があって効果的だった。 人物としては、ヴァネッサ・カービーという人が目を引いた。また序盤でやたらに目立っていた大使館員?は、「ゆれる人魚」(2015)で魚役(妹)をやっていたミハリーナ・オルシャニスカという人だった(ワルシャワ出身)。目立って当然だ。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2023-02-04 10:23:40)
5.  あなたを、想う。 《ネタバレ》 
監督は台湾出身で主に香港で活動した著名な女性俳優、主演(妹)はマカオ出身、母親役はマレーシア出身(華人)とのことで、中華圏的な広がりはあるが映画自体は台湾限定の話である。撮影は東海岸の緑島と台東、及び台北の3か所にわたっているが、現地の風景として個人的にはそれほど印象に残るものはなかった。  物語としては、青年期の後半になった兄と妹と妹の恋人の3人が、それぞれのきっかけで親へのわだかまりを解消する話のようで、夜の幻影とか白昼夢とかでファンタジックな印象を出している。原案(脚本)は日本人だったとのことで、この映画のように、一般的な人間ドラマに心霊現象とか超時空展開を平気で入れ込むのが台湾でも普通なのかはわからない。 解説によると本来3つの短編だったとのことで、3人の男女それぞれの物語を1本にまとめた形になっているが、しかし1人だけ親が別なので、構成上の均衡を失している感はある。ラストは4年後くらいだったようだが、その間に目の治療とか仕事をどうしたのかといったことは捨象され、また兄の心の変化も不明瞭だったため、3人それぞれの物語としては不全感が残った。また終盤を(バス以降)適当に都合のいい展開にして、取ってつけたような結末に飛んだのも感心できない。 ほか単純に意味が取りにくいところもあり、特に台北にいた金髪オヤジに関しては、父親が娘と息子に言いたいことがあって来た、という意味かと思ったが(妹の恋人の方はそうだったと思うが)、演者(※)が違うのでそうともいえないのは変だった。あるいはこれが母親の語った天使かも知れないが、何にせよ超自然的なものに頼りすぎではないかという気がした。 ※酒吧調酒師:瞿友寧、役者というより映画監督・TVドラマ演出家らしい。  個別の場面としては、台風の夜に兄が実家で「母さん」と呼びかけたところは感動的だった(ホラーっぽいが)。また妹の恋人が突堤で出会った釣り人がニヤリとしたのも悪くない。終盤では、妹がたまたま立ち会った出産が本物のように見えたのが強い印象を残した。大事な場面の直前で、過去の記憶を断片的な映像として蘇らせるのは効果的だったかも知れない。 自分としても、当日の夜に見た夢がこの映画の影響だったらしいので、心を動かされる映画だったというのは間違いない。
[インターネット(字幕)] 6点(2021-11-13 09:29:24)
6.  悪魔の奴隷 《ネタバレ》 
一部で知られた「夜霧のジョギジョギ(モンスター)」のリメイク版である。劇中年代が現代ではなく1981年なのはリメイクの本気度を示したのか、あるいは時代回顧的な意味もあるのかも知れない。 題名に関しては、前作の英題が”Satan's Slave”だったのに対し今作は”Satan's Slaves”になっているが、インドネシア語に複数形はないとのことで原題は同じ”Pengabdi Setan”である。邦題は前作のようなふざけた名前ではなく原題そのままであり、これは実際に見て感じる印象の表現になっている(あまり笑えない)。  リメイク版のため、「ラーイラーハイッラッラー」とか「トニー...」とか喘息気味の人物とかバイクの事故といったオマージュらしいものは結構見える。しかし前回の年代物映画とは違い、今回はちゃんと現代的なホラーになっていたのは感動的だった。 最初がいきなり無音で虫の声から入るとか、オープニングの物悲しい音楽が流れたあたりでまずは期待させられる。基本は家で何かに襲われるパターンだが、あからさまなドッキリで飛び上がるようなところもあって結構怖がらされた。個人的には屋内の水場(上下水を集約?)を使うのが特徴的に思われたのと、一神教の渡来以前からある邪悪な勢力の存在を感じさせたのも恐ろしげに見えた。 物語上は、神を信じない一家が悪魔に狙われる、という設定を踏襲したようでいて実はそれほど単純でもなく、信仰と家族とオカルトのどれが頼れるのかを迷わせながら進行する。少し手が込んでいると思ったのは、真相に関する劇中の発言はあくまでその時点の見解なり解釈または方便に過ぎず、最終的な結論はラストの場面を待つ必要があることだった。結果として「家族が見放さなければ」は正しかったらしい。また英題のslaveを複数形にしたのもそれなりの含みが感じられる。 登場人物としては主人公が変に肉感的な女性だったのと、その弟3人がかなり愛嬌のある連中なのが目についた。  なおこの映画で見た限り、現地ではイスラム教が絶対視されているわけでもなく、むしろ家族が大事というようでもある。終幕場面で観客を誘惑する目つきだった女性が前作の主人公と同じ名前らしい(Darmina/Darminah)のも、やはり信仰心が不足していたという意味か。 また前作で出ていた伝統的な呪術の代わりに、今回は少し現代的なオカルトを前面に出したらしい。劇中の「MAYA」は主人公に「低俗な雑誌」と言われてしまっていたが、これは日本の「ムー」のようなものかと思って笑った。
[インターネット(字幕)] 7点(2021-08-28 09:18:58)
7.  アイロ 北欧ラップランドの小さなトナカイ 《ネタバレ》 
トナカイ映画である。場所はラップランドだが、国としてはフィンランドのほかノルウェーも出ていたようで(フィヨルドが見える)、季節によって国境を跨ぐ移動だったらしい。トナカイのほかにも周囲に住む各種の動物を見せている。 ポスタービジュアルが安っぽく見えるので期待していなかったが、本編は映像が圧倒的に美しい。四季の自然景観は当然として、特に生き物の動態が印象的に撮られている。トナカイの群れが歩くのと並行して撮った場面は、個人的には船団に付き添って飛ぶ航空機からの映像のように感じられた。またオオカミが走る場面は、低空で侵入する軍用機の編隊のようで恐ろしげに見えた。なお日本には野生のオオカミがいないわけなので、代わりに自分としては「もののけ姫」(1997)を思い出した(牙を見せていた)。  制作にあたっては、一年くらいかけて現地の野生動物を撮りまくってから切り貼りしたのだろうと思うが、細切れの映像をつないで動物の表情を出しているのは巧妙な編集に見えた。なお主人公の若いトナカイが最初から最後まで同じ個体だったかはわからない。 ナレーションを入れてドラマのようのものを作るのは、あまり人の感情に寄せるとウソっぽくなって見ていられなくなるが、この映画では他の動物との友情関係などは少しやり過ぎに見えたものの、動物の生態に沿った部分はそれほど違和感がない。ホッキョクギツネの若いオスがずっと配偶者が得られず焦っていたのは、個体数が減っていることの反映のようだった。 オオカミ以外に危ない相手だったのはクズリという奴で、木の上から獲物を狙うのは本来の習性らしい。悪役らしく邪悪な顔をしてみせる場面もあったが(こっちを見ていた)、直後にユーモラスな行動をしたりして、特定の動物を悪者にしない配慮をみせていた。ちなみにクズリは和名だが英名は「ウルヴァリン」のようで、手(前足)に生えている爪も見えた。 ほかレミングが2回くらい出ていたが、擬人化もされず単なる食い物扱いなのは哀れだった。また人間は姿が見えなかったが(そもそも人口希薄だろうが)その存在が若干の圧迫感を出しており、森林伐採?の場面では、機械の全貌が見えずに火星人が攻めて来たような印象を出していた。こういうのもうまく作っている。
[インターネット(字幕)] 6点(2020-10-31 08:55:05)
8.  アイアン・スカイ/第三帝国の逆襲 《ネタバレ》 
シリーズ2作目になるが、今回もまたとりあえず作ってみた的なものができている。全編パロディで構成されているようなのが特色だろうが一生この作風で行くつもりなのか。 今回は宇宙戦争の場面は限定的で、代わりに地球空洞説とか恐竜とか実は全部が爬虫類型宇宙人のせいだったという趣向を盛り込んでいるが、映像的にはどこかで見たものを再現しているだけで新鮮味はない。物語としても、思い付きの設定をもとにして適当な流れを作っただけで、それ自体を面白がるほどのものにはなっていない(前回もそうだったかも知れない)。ちなみに前回のヒロインも出ていたはずだが、どこにいるのか最後までわからなかった…というか外部情報を見れば簡単にわかるわけだが、キャラクター性で記憶しているので役者が同じということ自体に意味はない。 前回と似た印象の場面として、人類史に破壊と堕落をもたらした古今東西の英雄が一堂に会する場面があり(夕飯かと思ったらその後に昼飯もあった)、チンギス・ハーンやKim Jong-Unといった偉人の姿も見えたが、アル中ケッコネンとかいう何だかわからないのを出すのは場違い感があった。有名人を茶化すだけで笑えると思うのは、精神年齢を低く抑えた制作姿勢が成功をもたらすとの確信があるらしい。 ラストの映像を見ると、次回は人工衛星スプートニクが破壊兵器として蘇って宇宙戦争を展開する映画と予想されるが全く期待しない。  ちなみにネット上の評価も割れていると思うが、どこまでも内輪受けを狙ったようなものにそのまま乗れる観客ならいいかも知れない。自分としては、前回は御祝儀っぽい感覚でそれなりの点を付けたが毎度同じことはできない。 そのほか、動物が可哀想な目に遭わされる場面が結構あったのはよろしくない。NOKIAもゾロトニクзолотник(4.266g)も面白くはなかったが、ルービックキューブの本当の意義が忘れられた世界というのは少し笑った。
[インターネット(字幕)] 3点(2020-05-30 10:26:09)(良:1票)
9.  ALIVE -アライブ- 侵略 《ネタバレ》 
オランダ映画ということになっているが、風景は森林ばかりで風車もチューリップも出ない。台詞は英語なのでオランダ語が聞けるわけでもなく、基本的に無国籍風の映画である。登場人物は男女2人だけで純粋低予算映画と思われる。 劇中の出来事の原因は明示されなかったが、登場人物がいろいろ言っていた中で「実験」は感覚的には悪くない。また「夢遊病」「誤作動」も全くありえなくはなく、さらに登場人物の精神状態が作ってしまった現象もあったように見える。ほかに男がネットで見ていた記事はSkyquake(Wikipedia英語版参照)に関するものらしく、これが発想の背景にあったとも考えられる。なお邦題で「侵略」としていることの根拠は、なくはなかったが弱い。  【ここから解釈】 原題のResonanceは共振または共鳴の意味だろうが、うち共振に関しては、地震の揺れが建物の固有周期に合ってしまうと共振が起きて倒壊する恐れがあることが知られている。また長さの違う金属棒を順に並べて同じ周期の振動を与える実験装置で、与える振動の周期を変えていくと、固有振動数が合って共振する金属棒が順に交代していくといったイメージが持たれる。 これをもとにして考えると、いわば危機感の固有振動数が人により違うという設定なのかと思われる。本来の外的要因(単に空気の振動?)による身体的な影響は似たようなものでも、次第に高まる危機感が登場人物それぞれの固有振動数に合った時点で恐怖に変わり、精神面から破滅的な結果(建物でいえば倒壊)がもたらされたように見える。 危機感の違いに関しては、序盤でクマの家族写真の話が出たときに、父熊が現れたら逃げる、などと呑気なことを男が言ったので、そもそも子熊を見た段階でその場を離れろと言いたくなったが(母熊が怖い)、これが男の危機感のレベルを示していたとも思われる。その後には、女と男で危機感に丸一日以上の差があることを示す場面もあった。 終盤に至ると、先に女が恐怖に耐えかねて自壊しそうになったが何とか持ちこたえ、次に男にとって耐えられない恐怖が襲って来たため自滅した。一方その段階で、女の方は危険域を突き抜けてしまっていたため武器をもって恐怖に立ち向かい、また不可能そうにも見えた脱出方法を意志の力で成功させたということかと思った。 女が危機を脱したのは男の献身があったからだが、男は女の助けも得られず孤独に死んでいったように取れる。結果としては、何かと感覚にずれのある恋人2人の悲しい物語になっていたが、ずれがあったからこそ女が助かったのは間違いない。 【ここまで解釈】  以上で全部説明できているかは不明で、悪くいえば、邦画にもある若手の作った無駄に難解な低予算ホラーのようなものと取れなくはないが、映像面その他の印象がいいので安手の映画という気はしない。低予算映画の良品だった。
[インターネット(字幕)] 7点(2020-05-16 08:56:35)
10.  アバウト・タイム 愛おしい時間について 《ネタバレ》 
可笑しそうに笑う女性の写真が気になって見た。内容としてはタイムトラベルの話だったが、主人公は「秘密のパワー」を持った家系というだけで、それ以上の説明がなかったのはかなり簡略な設定である。 主人公が何度も過去に戻って都合のいい結末を得ようとしていたのは、個人的に知っている範囲では「時をかける少女」アニメ版(2006)に似ているが、やがて取返しがつかなくなるとか天罰が下るわけでもなく、また本人の努力や試練のようなものもあったにせよ、結局思いどおりにうまくいくのは出来すぎである。結論的にも少し違っていたようで、この映画では若いうちに秘密のパワーを使って充実感のある境遇まで到達してしまい、そのあとの余生の過ごし方を語って終わったようで変な気がする。 ただ、普段の何気ない幸せ感の表現は非常によかったので、ここは監督がインタビューで語っていた映画の目的に貢献している。荒天の新婚パーティは悲惨なようでも、後になれば完全に笑い話というのがよくわかる。また平凡な一日を繰り返してみると、二度目は美女の笑顔が見えた上に、なぜか値段まで違っていたのは反則だった。終盤で幼い娘が何度も手を振るところは少し泣かされた。 自分としては過去など二度と繰り返したくない日ばかりで、今となってはもう墓場が見えている気もするわけだが、せいぜい今後とも前向きなタイムトラベルを心がけていきたいと思わされなくもなかった。悪い映画ではない。 なお自分をこの映画に誘引したヒロインは、劇中でも最高にキュートな女性だった。この点では間違いなく期待通りの映画だった。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2020-05-09 09:28:58)(良:1票)
11.  アンダー・ザ・ウォーター 《ネタバレ》 
製作国として国名が3つ出ているが、映画の舞台はコペンハーゲンなのでデンマークの印象が強い。監督・脚本と主演俳優はデンマーク人、ほかにスウェーデン人やスウェーデン語話者のフィンランド人(エステルボッテン出身)も出ていたようである。 邦題はともかく原題の”QEDA”は一般に通用しない劇中用語のようで、「量子もつれ quantum entanglement」という科学用語を理解できる/しようとする人間も少数だろうから、これは製作側の独りよがりである。とても商業映画のタイトルとは思われないので、英題くらいにしておくのが妥当である。 全体的には北欧らしい作りということなのか、地味で不愛想な外見のためたまらなく眠くなり、字幕を見落として少し戻るということを何度も繰り返した。ただ同じ顔の人物(二役)が自然な感じで一緒に映っている場面があり、これが結構不思議ではあった。  映画のテーマとしては、一つは地球温暖化の問題と思われる。海水面の上昇でコペンハーゲンの街路がベネチアのようになっていたのは古典的な温暖化イメージだが、そのほか気候変動の表現として突然の嵐の場面もあった。塩分のために真水が失われて多くの生物種が絶滅し、人の健康も損なわれるというのは世界共通の一般論か不明だが(低地限定ではないか?)、2095年の男が2017年に来て、かつての世界がこれほど豊かで人の心も満たされていたと実感する場面は確かに現代人への警告になっている。ここは一般受けしやすい。 一方で時間ということに関しては、簡単に過去を変えてはならない、といったことを教訓めかして言っていた感じだが、そもそも人間というのは過去を変えられないので現実世界に向けたメッセージにはなっておらず、単に意外で悲惨な結末を面白がるだけのショートムービー的なもので終わった気がする。あるいは過去にこだわらず、未来を変えることを考えろという意味とも解釈できるが、それにしても回りくどい話である。  そのようなことで、学生のSF研とかなら内輪受けしそうなアイデアに、地球温暖化の話を加えてかろうじて長編映画にしたような印象だった。ほか劇中設定(地球温暖化と時間旅行)に関する疑問点もいろいろあるが長くなるので書かない。地球温暖化について何か言いたい人は見てもいい(ただし眠い)。 ちなみに「ひいひいばあちゃん」は確かに魅力的な女性だった(知的で賢明)。妻の先祖であるからには惚れて当然か。
[DVD(字幕)] 4点(2020-04-29 11:51:29)
12.  アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場 《ネタバレ》 
フィンランド独立100周年記念プログラムの一環とのことである。原作は有名な長編小説で、海外版は132分に短縮されているがオリジナルは180分あるらしい。似た例でいえば「ウィンター・ウォー」(1989)の短縮版のようなもので、そのためか意図不明のところが結構ある。 簡単に書くと、第二次世界大戦中の「冬戦争」(1939.11-1940.3)に続き、フィンランドがソビエト連邦との間で戦った「継続戦争」(1941.6-1944.9)に従軍した人々の物語である。最初は激しい戦闘だったがその後は塹壕に籠る状態が続き(ときどき帰宅)、最後の撤退でまた苦しい戦いを強いられる。風景はひたすら森と岩、川や湖、ときどき雪だが映像的には美しく感じられる。ちなみに大笑いさせられる場面が一か所あった。  [以下長文] よく知らないが継続戦争に関しては、大義という面で少し無理があったのではという気がしている。表向きは名前のとおり冬戦争の続きで、ソ連に奪われた土地を取り戻すためのものだったはずだが、しかし問題は台詞にもあったように、「旧国境」を越えてソ連に逆侵略をしかけた形になっていることである。それで「盗賊」なる言葉も出ていたわけだが、公式説明では一応「相手側の領土に戦争をもちこむとか、戦略的見地とか、講和をする時に取引材料に使おう」という意図だったとされている(※)。 しかしドイツの勢いに乗じて、あわよくば同系民族を統合した「大フィンランド」を実現したいとする目論見がなかったともいえず、そのことが、地図で娘が遊んでいた場面に出ていたと解される。また、もともとロシアの都市だったペトロザヴォーツクをアーニスリンナ Äänislinna(字幕ではアニスリナ)と改名したのはソ連のやり口をやり返していたわけだが、恒久的な領有を意図してのことならいかにも調子に乗った風に見える。 さらに戦争が長引くと、徴集兵と士官の意識の違いも問題になっていた。終盤でもう撤退にかかっているのに、将校が玉砕だと言わんばかりの理不尽な命令をして“きさまらそれでもフィンランド人か!”(意訳)と怒鳴っていたのは戦後日本人のイメージする日本軍そのままなので笑ったが、ここはもう国民意識の鼓舞だけでは兵を動かせなくなっていたと取れる。 国の上層部には大それた野望があり(?)、また軍人の意識も一般兵とかけ離れたところにあったが、主人公(に見える男)に関しては、ソ連に奪われた自分の土地を取り戻したいという思いがあるだけだった。しかし結果的にそれもかなわず、ただ人々が死んでいったことへの失望と憤懣が表現されていたように見える。 ※「フィンランド小史」日本語版(1994年第2版)より。駐日フィンランド大使館に無料でいただいたもの(ありがとうございました)。  ただし軍事的に見れば、撤退時には後衛の役目が大事だろうから一斉に逃げればいいわけでもなく、劇中の将校が特に阿呆だったとは限らない。また国同士の駆引きでも、あくまで抗戦の構えを見せてこそ相手と交渉できる立場が確保されることになる。ラストでは「第二次世界大戦で負けた国でフィンランドだけが他国に占領されなかった」(字幕)と書いていたが、これは戦争末期に死んだ人々の犠牲が決して無駄でなかったという意味らしく、結局最後は穏当にまとめた形で終わっていた。 それまでさんざんこの戦争を批判的に描写していながら、現実認識に縛られたのか国民感情への配慮か原作との関係か、最後だけ批判精神を封印した印象だったのは正直困惑させられたが(この監督は左派系ではないのか?)、しかしここは日本人の単純な観念論では割り切れない、フィンランドなりの現実的判断があるのだと思われる。少なくとも最後まで、ソ連に奪われた土地を取り戻そうとすること自体には否定的でなかった。それがあってこその継続戦争である。 ちなみに最後の水中全裸は主人公の望郷の思いの表現かと思った。  そのほか、同じ監督の「4月の涙」で印象的だった既存楽曲の使用は今回少し控え目だったかも知れないが、国民的作曲家シベリウスに関していえば、序盤では軍隊向けの勇ましい行進曲op.91a、ヒトラー来訪の場面では「歴史的情景」(組曲第1番op.25の第3曲、ただしニュース映像の背景音楽)が聞かれた。 以上は事態の展開に沿った形だが、しかし戦争が終わって死者と生者が帰った場面で、あえて交響詩「フィンランディア」(中間部のメロディを民衆音楽風にアレンジしたもの)を流していたのは、この曲で象徴されていた国民の、戦いの末の悲しい姿を表現したということか。あるいは歴史的にいえば、19世紀末以来の国民意識高揚の時代がここで終わりを迎えたというように取るべきかも知れない。何にせよこれが最後に物悲しい印象を残す映画だった。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2020-01-17 23:15:03)(良:1票)
13.  あの日のオルガン 《ネタバレ》 
保育園が主導した戦時疎開の話である。保育園というのは時間限定で預かるもの、という前提ならこんなことはしないだろうが、東日本大震災でも親元に返す途中の悲劇があったように思うので、施設主体で安全に守れるならそれに越したことはない。死ぬなら一緒に死ねばいいとはならないはずだが、それでも保護者からの批判として、親子を引き離して構わないと思うのは独身者や男だけ、と決めつけられたのは心外だった。結局誰かが死ぬまで人々は動かないということらしいが、子どもの生命は親のためでなく、みんなの未来のためにあると思わなければならない。  物語としては時系列的に出来事を追いながら、淡い恋心とか友情とか戦争関連のエピソードで起伏をつけている。妙なドタバタとか召集令状の後出しなど苛立たしくなる演出もあり、また川原の場面は話を作り過ぎだったが、最後の場面はこの物語にふさわしい終幕に感じられた。題名のオルガンは大して重要でなかった感じだが、時間稼ぎでオルガンを弾いて歌いまくる場面は確かに印象的だった。 ほか15年も戦争したとわざわざ言わせるなどはお決まりの反戦アピールのようでもあるが、それほど言いたい放題でもなく、怒りを感じたというところで止めているので政治色はあまりない(怒りだけなら誰でも感じる)。また自分としては賄い担当の人が、みんなが笑顔でいるのが文化的生活だ、と言っていたのは共感した。誰かを攻撃して貶めるのが目的の文化などには全く価値を感じない。 なお劇中の疎開先はよくある偏狭で陰湿な田舎という設定だったようで、南埼玉郡平野村の印象は悪くなる映画だったというしかない。  登場人物に関しては、現地の主任保母が何かと激昂して怒鳴るのが非常に不快だが、それでいて理解のある上司には甘えがあり、支えてほしいという心情を見せたりするのがかえって反感を増す。また歌好きの新米保母は、おまえはガキか(意訳)と言われたりしていたが、これはこれで得がたい人材だったらしく、そのことを含めていろんな人々がいて保育現場が成り立っていることの表現だったかも知れない。個人的にはラムちゃん言葉の人が、実直そうで温和そうで感じのいい人だと思った。 キャストでは、中堅保母役の三浦透子さんが色気皆無のおばさん風で(何歳の想定なのか)個性派女優ぶりを見せていたが、さすがに本人はこういう体型ではないと思われる。ほかどうでもいいことだが、「けんちゃん」の父母は顔の大きさが違い過ぎだ(母親役の陽月華という人は宝塚の出身)。  [2020/4/18追記] DVDが出たので家の者に見せたが、やはり疎開先の住民が否定的に扱われているため素直に見られないようだった。うちの地元は戦争中に学童疎開の受入側になり、その当時はいろいろトラブルもあったかも知れないが(カッペ呼ばわりで侮蔑されるなど)、それでも現在まだ地域間交流が続いているからには悪いことばかりだったわけはない。常に誰かを悪者にして自らを正当化する態度では共感も連帯も生まれない。 しかし今になって点数を落とすのも大人気ないのでそのままにしておく。
[映画館(邦画)] 6点(2019-12-07 11:22:26)
14.  青の帰り道 《ネタバレ》 
「新聞記者」(2019)の監督だそうだが、ところどころで世相を映すのが煩わしい。政権交代で何かが変わると期待したが実際うまくはいかず、その後に震災もあったが政権が変わると原発再稼働の動きが生じて怒りを感じ、もう最悪なところまで来たと思ったら実はそうでもなく、2018年の保守政権下ではかえって現実的で前向きな気分になっている、とでも思えばいいか。そういう変な読み取りを強いられるくらいなら不要である。 それとは別の話として、2016年8月に女優の高畑淳子の息子が前橋市のビジネスホテルで問題を起こして逮捕されたのはこの映画の撮影時だったそうで、これで制作が中断してしまったが、翌年に代役を立てて撮り直したとのことである。  内容としては高校卒業から10年間の群像劇のようなものになっている。7人それぞれの人物像と物語が作り込まれており、原案段階での「生きる道はひとつじゃなかった(おかもとまり)」は表現されている。 ただし常識人から見た場合の細かい突っ込みどころは結構多い。特にこの映画では“友情”や“故郷”にも重点を置いていたようだが、人生の多様さを表現するための性質がまるで違う人物を、全て同じ高校の仲良しグループにしたことで非常に不自然な状態になっている。見る側の年代のせいで直接共感できずに難点の方に目が行ってしまうところはあるわけだが、しかし関係者が執念で完成させるにふさわしい、中身の詰まった映画には見える。エンディングテーマも少し染みた。 ちなみにネタバレ的に余計なことを書くと、ラストで不明瞭だったことについて、主人公は遺された歌に励まされて改めて音楽の道を目指し、半グレ男はライブハウスを用意する、という方向性だったと思っていいか。それで実際どうなるかはこれからの話ということらしい。  出演者に関しては、特に主人公の友人役の清水くるみという人が非常に感じのいい女優だと思いながら見ていた。またその母親役の工藤夕貴は、最近はこういう感じになっているのかと少し意外だった(時々かわいい)。この母親が夜の前橋中央通り商店街で語ったことは、それ以上に解説するまでもない単純明快な真実に思われる。 また「風切羽~かざきりば~」(2013)を見たことのある立場としては、戸塚純貴と秋月三佳さんが夫婦役になっていたのは嬉しい。戸塚純貴は代役とのことだが、むしろ初めから戸塚純貴でよかったのではないか。また秋月三佳さんが息子に小言を言っていた最後の場面は少し泣かされた。この夫婦の存在は尊い。
[インターネット(邦画)] 7点(2019-11-03 15:28:03)
15.  紅い襷 ~富岡製糸場物語~ 《ネタバレ》 
2014年に世界遺産に登録された富岡製糸場を紹介する映画で、主人公の和田英という人物が後に書いた「富岡物語」をもとにして映画向けの物語を作っている。また特に前半では現代の映像(フランスで取材など)も含めた解説部分を入れており、映画としての純度は低いと見られるかも知れないが、逆に世界遺産のPRビデオにしてはかなり豪華な作りである。最近話題の渋沢栄一も登場しており、年長の役者の重厚な演技も見られる。  映画の頃の富岡製糸場は指導者(伝習工女)の養成学校のようなものらしく、主人公とその同僚は信州松代(真田家十万石の城下、現在の長野市松代町)の士族の娘である。ちなみに「女工哀史」とは違う時代の話なので同列に語らない方が無難である。 製糸場の建設は早くも明治3年に決定されたそうで、維新後の近代化がいかに急速だったか思い知らされる。似た例でいえば「坂の上の雲」で、明治日本が坂を駆け上がる高揚感があって少し感動的だった。「お国のために」という言葉を登場人物がわりと無造作に使っていたが、これは家での働きしか求められて来なかった女性が、公のために直接貢献できるようになった喜びの表現と受け取れる。出身地で対抗などせず皆で一緒に日本を盛り立てようというエピソードもあり、そのような近代社会の先駆けとして、この製糸場を印象づけるのが映画の意図だったと解される。 ほかに、身分によらず平等に能力を発揮する社会の表現として農家出身の工女も出していたが、ただその人物に物語の陰の部分を背負わせたことで、かえって身分差を際立たせているように見えたのは残念だった。ほか病気で帰郷した人もいたが、原作によればその後は「耶蘇の伝道師」になったそうである。 なお絹の関係では、世界遺産の富岡だけでなく日本遺産として認定された地方もあり、またシルク産業自体も国内で存続しているので全く過去の話でもない。点数は地方応援の意味で少しいい方にしておく。  ちなみに主演の水島優という人は、それほど美女という感じでもないが個性的で愛嬌のある顔だちで、この映画では10歳近く年下の役をしているが、特に最初の箱入り娘の場面などはちゃんと可憐に可愛らしく見せている。音大の声楽科を出たとのことで、その技能が「お歌」を披露する場面で生かされたかというとそうでもなかったが、それよりエンディングテーマを歌っていたのがこの人だったようで、さすがきれいな歌声だった。
[DVD(邦画)] 6点(2019-11-03 15:28:00)
16.  アイズ(2015) 《ネタバレ》 
鈴木光司の短編集「アイズ」のうち「しるし」を映画化したものである。ちなみに映画化されていないエピソードのうち6つはTVドラマ「鈴木光司・リアルホラー」として、2015年3月にBSフジで放送されている。 原作を読んで比較すると、もとの構成要素を使いながらかなり膨らませて深みも出しており、最終的には原作のイメージとかなり違ったものになっている(貞子も出る)。また同じ短編集の「夜光虫」というエピソードを思わせるところもあった。  内容としては、まずは原題のもとになった「マーキング」が気味悪い。最初のF(とM)は本物だったかも知れないが、あとは何だったのか正直わからない(幻視もあったか)。意味についてさまざまな解釈が出る一方、実際に関係ありそうな出来事も起きていたようだが決定的なものはなく、単に登場人物の心理を反映して後付けしていただけのようでもある。 主人公は母親似とのことなので、劇中の情報サイトの記事に出ていた症状名がオチなのかと思ったが、これで幻覚とか被害妄想まで説明がつくのかわからない。基本的に全てが主人公の目から見た主観的な映像とすれば事実関係が不明瞭なのは仕方ないが、少なくとも同級生の男と精神科医の判断は外部の客観的な視点からのものである。また今回、主人公が記憶の底から引っ張り出した情景もいわば原資料として信用するとすれば(一部に混乱があったが)一応の全体像は見えなくもない。  それにしても困るのが父親で、娘に長々と語っていた内容は、順を追った説明のようでいてどうも納得できないことが多い。例えば株で大当たりした理由を同級生の男は一応推測していたが、父親の話では超自然的なお告げのせいにしていたのと、また胎児が誰の子だったかも結局わからないで終わってしまった。ほか主人公が思い出したところによれば、どうもかなり重大な隠し事をしていたらしいのが信頼感を損ねる。 最後に帰宅した父親を、主人公がどう迎えようとするのか自分としてはわからなかったが、題名にこじつけて考えれば、これまでのように都合のいい妄想を自分の目に映そうとするのか、あるいは真相を自分の目で直視するのかが問われているということか。わかりにくいところは多いが真面目に見なければと思わされる映画で、予算に関わらないところでかなりの力作に思われる。  個別事項としては、死んだ友人宅を訪ねた場面でのいたたまれなさが心に残った。またFAT男の性格の歪み具合がいかにもな感じで、もう一人の男が人格者なのがかえって際立っている。終盤で、弟が姉を呼び続けて姉が泣き続ける場面は何ともいえず圧巻風の印象だった。 なお主演はアイドルとのことだが(伊藤万理華/まりっか、当時は乃木坂46)、この映画で見る限り悪くない(鼻水も垂れていた)。また自分が見たところでは精神科医が無駄にかわいく見えたが、無駄なようでいて無駄でない意味が何か隠されていると考えるべきか。ちなみに演者が秋山依里(もと秋山奈々)という人だということまでは調べた。
[DVD(邦画)] 7点(2019-04-06 09:59:37)(良:1票)
17.  アトラクション 制圧 《ネタバレ》 
ロシアに宇宙人が来た、という映画である。 最初に大気圏外から来た宇宙船をロシア軍の戦闘機(Su-27?)がいきなり撃墜し、宇宙船はモスクワ南部の住宅地に墜落したが、そこでいろいろあってからまた飛び立って空に消えていく展開になる。終盤ではパワードスーツのアクションもあって派手な映像はそこそこあるが、それは最初と最後だけで、中間部のほとんどは主人公周辺の人間ドラマになっている。 なお原題のПритяжениеは英語のattractionそのままの意味、あるいはgravityのことらしい。よくわからないが例えば、接触を禁じられていたにもかかわらず、地上にあった何か(永遠の生命よりも大切なもの)に引っぱられて落ちて来たということかも知れない。  ドラマ部分は、主人公が厳格な父親に反発して不良の彼氏と付き合っていたが、そこへ星の王子様が現れて彼女の心を奪っていったという話である。あるいは社会的な見方をすると、権力側にいる父親と、反抗的な彼氏がそれぞれロシア国内の社会階層を代表していて、主人公がそれとは全く違う第三のあり方を見出したというように取れる。 ロシアの立場では、首都上空に侵入する飛行物体は問答無用で撃墜して当然のようで気の荒い国だが、国民の方も、現に政府が救援活動をしているのにやたら食ってかかる連中がいて、さらにそういう不満分子を煽動する者もいたりして革命でも起こすのかという雰囲気があり、これではロシア国家が抑圧体質になるのも仕方ないのではと思わせる。また「祖国」という言葉が出ていたあたりは、立場に関わりなく国粋主義に煽られがちな国民性を示したようでもあり、それがまた排外主義を助長したりもするということか。 「墜落したのがほかの国ならよかったのに」という台詞もあったが、宇宙人を前にしてもこの有様では、いつまで経ってもロシア人など“地球人”にはなれそうもない。しかし今回の件で少なくとも主人公の心は確実に変わったとのことで、そういう微細な変化の蓄積がいずれ社会を変えていくはずだと期待する映画なのかも知れない。悪役の男が最後まで死ななかったのは、こういう連中をただ排除すれば済むのではなく、一緒に生きていこうとするのが現実社会という意味だと解釈した。  ちなみに見ている側としても、どうしても劇中人物が地球人というよりまずはロシア人だと思ってしまうところはあった。例えば、復讐したい気持ちがあっても戦争を起こすのは駄目だ、と登場人物がいえば、粗暴で残虐なロシア軍が攻めて来て何をされても泣き寝入りしろということか、と皮肉を言いたくなる。また「地球はわれわれのものだ」などと言われると、ロシア人は地球を征服する気でもあるのかと疑ってしまう。本当なら恐ろしいことだ(おそロシア)が中国人には負けそうだ。
[インターネット(吹替)] 6点(2019-03-30 09:59:11)(良:2票)
18.  青夏 きみに恋した30日 《ネタバレ》 
少女マンガ原作映画だが、このポスターデザインでは写る方も見る方も恥ずかしくなる。 夏休みの話なので青空と雲・緑の山・渓流・海・ヒマワリといったそれらしい映像が満載で、主な撮影場所は山村とリアス式海岸が近接する三重県度会郡から志摩にかけてだったらしい。「ハートの入江」(度会郡南伊勢町)に近い山頂で主人公を捉えたカメラが引いて、後に隠れていた友人や周辺の山河が視野に入って来るところは映像的な見所だったかも知れない。  物語としては、序盤からいきなり感情問題で角を立てるので気分が引いてしまう。田舎の純朴な少年にしてもまるで本物のガキのようなのは呆れたが、よくある完全無欠のイケメンよりはリアリティがあるといえなくもない。少し感心したのは期間限定なのでキスしないという真面目な態度で、これはこの男の純朴さがいい方向に出たということか。2週間程度のラブラブ期間中もそれほどベタつかず、ラストで決着がついて初めてキスを一回だけというのがいわゆる爽やかな青春ラブストーリーの雰囲気を出している。 また最初に「運命」という言葉が出ていながら自分で未来を作る方に重点があり、特に主人公が自分だけでなく、相手の男まで引っ張って2人の未来を作ってしまう展開はなかなかいい。こうなるともう運命という言葉自体が意味を失う気もするが、そもそも若い連中にとっての運命など不確定な未来に対する不安の表れでしかないところを、この物語では未来への意思を固める補強材として使ったということかも知れない。 若手女優に引かれてまたしょうもない少女マンガを見てしまったかと思っていたら、けっこう正統派の青春物語だったようで悪くなかった。  キャストについては、葵わかなさんはさすがに少し大人っぽいが16歳の印象も出しており、制服姿は可愛らしいがすっきり整った顔の美しさが見えるところもある。またライバル役の古畑星夏さんは、最近見たのは制服女子高生ばかりだったが今回は本来の年齢に近い役で、くっきりめのメイクが大人っぽく、夏ということもあって露出の多い服装だった(胸とか脚とか)のが刺激的で新鮮に見えた。ちなみに古畑星夏さんのお母さんがこの映画を見て、あんたいつも可哀想ね、と語っていたというネット上の記事には笑った。
[インターネット(邦画)] 6点(2019-02-02 09:29:44)
19.  青鬼 《ネタバレ》 
ゲームはやったことがない。小説版も読んでいない。ちなみにAKBの人も知らない。 時間が短いこともあってそれほど損した気はしないが得した気もしない。CGの造形物が単なる変な生き物のようで安っぽく、コミカルな顔や動きはゲーム風なのかも知れないが、映画ならもっと圧倒的に不気味なものが迫るところを見せてもらいたかった。また緊迫しているはずの場面で人物の動きが鈍いとか長々と話し込んだりするのも気が抜ける。 ストーリー的にもよくわからなかったが、実際にああいうわけのわからないことが起きて悲惨な結果になったものの、主人公が事態打開の条件をクリアしたことで、河川敷の場面まで時間が戻ったということではないか。つまり基本的にハッピーエンドだが、死んでよかったと思った男も死んでいなかったことになるのは困る。次回もあるようだがもう見ない(見る動機がない)。 なお主人公の同級生役で出ている古畑星夏さんは当時17歳くらいのはずで、まだ顔に高校生っぽい可愛らしさがある。映画出演は「1/11 じゅういちぶんのいち」(2014)に続く2作目で、女優としてのキャリアはあまりなかった時期かと思うが(本来はモデルだと思うが)、この映画の主演との対比では演技派に見える。この人と須賀健太の組み合わせなら少しまともに見えただろうが、アイドルホラーとしてはそうもいかないということか。
[インターネット(邦画)] 3点(2018-12-25 22:36:22)
20.  At the terrace テラスにて 《ネタバレ》 
舞台劇の映画化で、話の内容もキャストも舞台と同じとのことである。ほかにムササビが出るが、これは仕込みではなく単にその場にいただけのことらしい(飛ばなかった)。 紹介文には「富裕層の生態」とあるが、生まれながらの富裕層がいたとすればK大生くらいのもので、専務夫人などこの家に入る前はどこにいたのかわかったものではなく、ほかはたまたま仕事がらみで来たその辺の人間が表面だけ取り繕っている状況に見える。専務夫人を除き、深入りしない限りは普通に付き合える人間ばかりである。 当然ながら笑いを期待して見たが身をよじるほど可笑しいものでもなく、何となくニヤニヤしながら時々失笑(少し爆笑)するくらいのものだったが、話自体はすでに作り込まれた感じで退屈することはない。とりあえず石橋けいさんの谷間と平岩紙さんの腕(とか脚とか全体像)は見ておく必要がある。 その他の登場人物では病弱な男が物悲しい印象を残していた。この男だけ身内もおらず職業もわからず正体不明の人物に終わったが、ラストの破局を見届けたようで見ていたわけでもなく、一人だけ煩わしい世界から自由になったようでもある。それでもやはり寂しかったと取るべきか。
[インターネット(邦画)] 6点(2018-10-13 16:54:43)
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