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1.  鍵泥棒のメソッド 《ネタバレ》 
この人の映画に登場するのは、どこか気が弱くてその結果優しい人が多く、その気の弱さのせいもあるのか、瞬発的に思い切った行動にでられるバネもある。気の弱さのせいで自殺を企んだものの、うまくいかず、それならもうすべてを放擲してもいいのに、風呂屋でそばの客が転べば半ば無意識に鍵泥棒になっている。そして根の優しさのせいで、手に入れた金で借金の精算をして回っている。お詫びのビデオを録画している。ここらへんに納得できるか出来ないかが分かれ目だろうが、私は納得できて楽しめた。「まったく違う人生」を人は俳優のように演じ替えられる、ってのが基本モチーフの映画だろう。だから後半やくざに凄むあたり、前半の気の弱さから飛躍しすぎかとも思えるのだが、「まったく違う人生」モチーフを思い出して、これもありか、と妥協できる。ドラマとしても、やくざを納得させきれない展開にして、配慮。過去の作品と比べて、後半の流れがギクシャクしたのは否めないが、新作を楽しみ待ちする監督ではあり続ける。香川の部屋の偽造身分証明カードの一つ一つを、じっくり手に取って眺めたかった。
[DVD(邦画)] 8点(2014-02-25 09:24:49)
2.  華氏911
この人のトーン何かみたいなんだが、と思って記憶を探ってたら内田裕也の『コミック雑誌なんかいらない!』が浮かんだ。表層を表層として生き生き掬っていく手つき。暴露ものとしては証明が弱いけど、つまり週刊誌的なイキのよさが身上なのね。今回はプロパガンダに徹したことで、限界もハッキリしたが、こっちの見る気分も定まって、これはこれで楽しめた。ブッシュへのからかいはどうにも底が浅かったが。寂れた町から兵隊を募っていくあとで、軍需企業のパーティの場につながていくなど、プロパガンダの面目躍如。でもまた締めを涙でやって弱くしちゃってる。
[DVD(字幕)] 6点(2014-02-23 12:15:12)
3.  隠し剣 鬼の爪
「それはご命令でがんすか」というセリフが三度繰り返され、最後は封建思想を抜け出たときの冗談めいた言葉になっていて、そのうつろいが山田さんの思想の表明なんだろう。この監督はいつも終わりの着地の地点がダラダラし緩くなってしまうものだったが、今回はサッと引いていていい。高島礼子が訪れてくるところも、意外に凄味があって見直した。底に流れているのは砲術の時代の侍の気分。なんじゃあれは、と昔気質の人には言われている。
[DVD(邦画)] 7点(2014-02-16 09:39:18)
4.  カナディアン・エクスプレス
山小屋の不意の襲撃から列車に乗り込むあたりまではいいのだが、肝心の列車に入ってからややもたれる。他人の客車に闖入して敵をやり過ごす、みたいなスリルをもっと生かせたら。子どもは結局おもちゃのピストルを借りるだけだった。ジーン・ハックマンと悪漢どもとのビュッフェでの会話が、アメリカ正義の面目躍如。女が正義の使命を自覚していくあたりも良かった。窓の外の光が近づいては遠ざかって、細かくフェイドアウトを繰り返してるようで不思議な瞑想感があった。ヒロインの心のなかに引き込まれていくような。停車中にじっとこちらを見守っているデブのシーンなんかも不気味であった。でやっぱり屋根に乗るのね。ノンストップなんだから慌てて追わなくてもいいのに、走ってる列車となると、人々は屋根に乗りたがるの。そして、ほらトンネルだ。
[映画館(字幕)] 6点(2014-01-26 09:26:19)
5.  
退屈している逗留客のいる温泉宿の風景、っていかにも井伏鱒二が設定しそうな場であり、また清水宏が膨らましたくなりそうな設定。いちおう怠惰な妾暮らしから勤労に目覚めていく、という時局にも合った話の体裁にもなっているけど(新婚さんなら何日逗留できる、というような決まりが当時あったことが分かる)、おもに斎藤達雄と日守新一の漫才を見て楽しんでいた思いがする。最初、横移動で主要な部屋の位置関係を知らせる動きは、戦後の『小原庄助さん』に近い。けっきょく時局とは関係なく、清水宏の世界が穏やかに流れていっただけなのだ。
[DVD(邦画)] 7点(2014-01-17 12:52:20)
6.  神の道化師、フランチェスコ
説教もあってセリフの多い映画なんだけど、サイレント映画見てるような気になる。画面の感じがそうなのか。水の音や、ライ病患者(ハンセン氏病ってよぶと歴史的な厚みが感じられず、ここではこっちを使わせて)のカランカランとたてる音など、トーキーならではの効果が随所にあるんだけど、サイレンとタッチなんだな。画面の組み立てのせいなのか。対象だけを素直に捉えて、凝ったことをしないと決めているよう。単純者ジョバンニ老人が出てくるとさらにいい。彼とジネプロとの、純朴を画に描いたような中世コンビ。宗教が権威を持ってくると、原点へ・単純へ戻りたがる傾向を持つんだけど、フランチェスコってそうなんでしょう。その体現がこの二人。単純はまた独善に傾きたがり、種が乱れ飛ぶ中で完全なる喜びについて実験する話も他人に迷惑を掛けるわけで、単純と独善は紙一重なの。その延長には魔女狩りもあるわけだが、この映画は単純が単純として輝くギリギリのところを捕まえている。修道女が訪れるシーンの野の晴れ具合・広さの感じなんかいいですな。迎えに行くほうをずっと見せてて、切り替えして向こうに木が一本立ってる緩やかな斜面をやってくる四人の修道女になるの。一番張りつめるのは、ライ病患者に会うシーン。カランカランという音がなにやら幽玄と言うか。疎外者であり異端者であり、しかしキリスト教をキリスト教たらしめている核になっている素材、と納得させられるシークエンスであったが、能の世界と通じ合ってもいるような。でラストぐるぐる回って倒れた方角へ、布教にそれぞれ歩いていく。この教団について何か説明しようという感じではなく、いい連中だ、と作者が思っているその気持ちが、観客として見ててやはりいい気持ちになる。すがすがしさ。この複雑になった世界で単純さを求めることは、ある意味必死であり、かつそれを成せればすがすがしい。青空の中の雲、雲、雲。
[映画館(字幕)] 9点(2013-12-13 10:14:24)
7.  艦隊を追って
見どころとしては水兵を整列させてアステアがタップで号令をかけるあたり。水兵らの足踏みをバックにタップで乱舞。ラストはいつものようにステージになる、燕尾服になる。軍律をコケにしてもダンスを謳歌する。あっちの人は整列している軍隊を見ると、まずそこにそれを乱すタップダンスを投げ込みたいと発想し、こっちは群衆を見るとまずキチンと整列させたく発想する。根本的に日本では作れなかった種類の映画だろうな。ロジャースの衣装も含め。と思い製作年を見ると、226の年だ。けっきょくああまなじり決して悲憤慷慨したりしてた軍隊が、踊ってる軍隊に勝てなかった歴史があったことは覚えておいていいだろう。
[DVD(字幕)] 7点(2013-11-19 09:29:09)(良:1票)
8.  カミュなんて知らない
若いころ、池袋に出たときはしばしば学生のふりして立教の学食でカレーを食ってたもので、懐かしかった。大学の交響団員が練習してるシーンなど、大学というところのリハーサル的な緩さが感じられた。壁がはっきりしてない感じ。ただ事件と映画づくりの絡みがピシッと来ない。このころの映画では『光の雨』もそうだったが、題材を映画メイキングものにして逃げてしまっているみたい。事件を映画化しようとしている意味を絞りきっていない。本作の場合、終わりのロケの場になってやっと柳町らしい緊張が出てきた。この人は正攻法の映画で帰ってきて欲しい。長回しはお遊びの域。
[DVD(邦画)] 6点(2013-11-14 10:47:33)
9.  かもめ食堂
カウリスマキタッチを意識的に模倣してるってのもあるだろが、案外光線の具合とか壁の質感とか、「フィンランドではこれが普段」という部分もあるのではないか。さっぱりした何もない壁の味わい。窓の外にただ立っているもたいまさこなんか、半分フィンランドの質感が浸透していたみたい。この三人丁寧に喋り合うのがいい。仲間うちの雰囲気に浸らない、いつかは別れるかもしれないという心構えがある。世界の終わりが来ても丁寧に喋って欲しい。料理や調理を眺めるたのしみ、ってのはあれは何なんだろう。この映画ではけっこう重要な役割りを持っていた。ヘンなオジサンから猫を預かったので帰れなくなってしまったんです、がいい。
[DVD(邦画)] 7点(2013-10-27 09:48:30)
10.  伽倻子のために
グイグイ横向きに力が加わる作品ではなく、静かにゆっくり沈澱していく下向きの力がかかった映画。物語を語るというより、主人公の記憶があちこちから湧いてくる感じ。さして重要ではないかもしれない幼稚園のバザーのシーンも、記憶を通過した懐かしさがあるのでキラリと光る。地べたに置かれたものの影、不意に鳴り響くオルガン。そして水漏れ調査のシーン。静けさと響きと。ずっと向こうの道が左手に折れてるあたりの板塀がテラッと光ってる。行く末は明るいなんて象徴じゃなく、どちらかと言うと侘しさがあって、暗闇に置かれた金屏風のよう。あれが利いてて、なんとも切ない。全体に白くなろう白くなろうという意志が感じられ、タイトルからそうだった。記憶がなかった時間を懐かしんでいるのか、憧れているのか。白い霧、白い朝鮮服。この白の反対がドローンとした夕陽。別に朝鮮と日本じゃないけど。
[映画館(邦画)] 7点(2013-09-01 09:18:23)
11.  カポネ大いに泣く
トランプ遊びをしている加藤治子、そのつながらないカットの効果など、ワクワクしたのは最初のうち、なかなか本調子に入ってくれないままアメリカに行ってしまう。“部屋の中に真新しい盥”の図なんかいいんだけど、雰囲気の統一がないっていうか、たとえば『陽炎座』はわけ分からないながら「怨み」いうものに集中していたが、そういう軸が感じられない。日本人の意地とか、男を立てようという意気込みとか、さむらい論とかに拡散して、ジュリーのあっけなさ・ショーケンの無様さなんか清順的だとは思うが、今回はシナリオに『ツィゴイネルワイゼン』『陽炎座』の田中陽造が加わってなく(田中はもっぱら相米と組み、次に清順とは『夢二』になる)『悲愁物語』の大和屋竺。清順映画ってシナリオなんかどうでもいいかと思いがちだったが、そうでもないんだな。監督に好き勝手させるには、それなりの線路を敷いておかないとダメらしい。
[映画館(邦画)] 5点(2013-07-30 09:46:37)
12.  咬みつきたい
このころ緒形拳は出すぎだったんだけど、こういう軽めのもけっこう選んでたな(『グッバイ・ママ』に続いて)。途方に暮れる役どころ。決断を回避して、当惑して、真正面の遠くを見ているような。自分の居場所を失った仕事人間という設定なの。その困惑ぶりが、やっぱりうまい。吸血鬼なのよ。ファザコンの安田成美とのコンビで、当然のように娘と父の関係も重なる。焼き場で喪服の女が謎めいた接近をしてくる、っていいんだよな。人の生き血を飲むなんてそんな非人道的な、と言ってたのが、ちょっと酸っぱい、とか飲み比べをするようになる。こういうホラーコメディを夏に企画していた時期もあったんだっけ、東宝。というか金子監督は日本では貴重なライトコメディの線を歩んでいた。こういう路線が大きな流れになってたら、邦画界ももっとバラエティ豊かになったのに。
[映画館(邦画)] 8点(2013-07-25 09:13:49)
13.  哀しみのトリスターナ
鐘の鳴り響くなか、おしの少年たちのサッカー(脚の競技)と、普通なような異常なようなブニュエルの世界に入っていく。フェルナンド・レイが、特別卑しい人間なのではないが(世間では立派な人間で通ってる)、内側を知る人間(たとえば姉)にはだめなわけ。かすり傷で勝負がつく決闘には激怒し、少年のコソドロをわざと逃がしてやったり、「偽善者」という分かりやすい分類では捉え切れない男。「茶番よりは悲劇がいい」と言ってて「悲劇的な茶番」になってしまう最期。ヒロインは自分で決めた散歩道に入ったとき、実質的に脚を奪われていく道にも入っていったってことなんでしょうな。廊下で繰り返し松葉杖を響かせる「散歩」に凝縮していく。そしてラスト、突然時間の流れが一方向から解放されたように、ファーストシーンへ向けて逆流が起こる。最初はヒロインが回想してるフラッシュバックかと、ブニュエルらしからぬことやってるな、と思ってると、それが止まらず、なんだなんだ、と思ってるとFINに行き着く。これ一回きりしか使えないアイデアでしょうが、単なる趣向じゃありません。あのときああしてれば(あのとき殺してれば)という後悔がヒロインの胸に押し寄せてきたところと見たが、どうだろう。それぞれの瞬間に、もう一方の道を閉ざしてきたわけで、しかし彼女は「自ら選ぶ誇り」も自覚してきた女であって、そういったもろもろ「これでいいのよ」という気持ちも感じられ感動です。私はこのように生きてきたという確認。
[映画館(字幕)] 8点(2013-07-16 10:02:41)
14.  監督失格
主要記録媒体がフィルムからビデオに移ったことで、事件や事故が記録されやすくなったことに加え、プライベートな場が公に開かれ出した。フィルムも最初は金持ちのプライベートな場に入っていったが、手軽さがぜんぜん違う。本作はフィルムの作家では作られなかった。由美香さんの死の通報を受けてやってきた警察はビデオが回っていたことで疑ったが、それはそうだろう。前半の平野勝之監督の手法・というかいつもカメラを回している姿勢を知らなかったら、おかしいと思う。それが自然になるほど、ビデオカメラが日常的になりつつあったから、この記録は採れたのだ。かつて羽仁進は教室の自然な記録を採るために、子どもたちがカメラの存在に慣れるまで空回ししていた。いまビデオカメラがその状態になりつつある。個人的な場にカメラがあっても構えなくなった(平野さん太ったんじゃないですか、とエレベーターの中で挨拶するママ)。そしてプライベートな部屋に入っていく。恐ろしいほどの臨場感。腐臭が立ち込め、飢えたペット犬がはしゃぐ廊下、その奥の部屋の暗がり、かつてフィルムが秘境を収めたように、ビデオも現代の秘境を覗きかけるのだ。北海道への旅で、彼女が映した夕焼けと月の広々とした映像の対極のような、狭い暗がり。あの旅はあくまで平野の旅であって彼女はテントの中でも化粧をやめなかった。男女が相手に合わせようとすること、それでも合わないこと、それを無理に合わせようとすること。映像には現われなかったが、タケウマで日本一周をやっている人の危なっかしい歩みが想像の中に浮かんでくる。まったく人生とは、タケウマで日本を一周するようなものだ。彼女は人生の広さの中で脚をもつれさせ、数年後、狭い部屋に倒れ込んだのではないのか。
[DVD(邦画)] 8点(2013-07-14 09:31:59)
15.  ガープの世界 《ネタバレ》 
もっとハチャメチャにやればもっと笑えるのに、と思わせながら、それが出来ないのが現代なんだなあ、とすぐに言い訳の理屈が出来てしまうのが、本作の利点。現実のほうがそれだけハチャメチャになってるからだとも言えるし、なかなか自分の「病気」を笑い飛ばすことは難しいとも言える。いわば現代の診断報告。テロが3回、性転換あり、少女強姦あり、夫婦の乱れあり、そういう時代。一度飛行機が落ちた家にはもう落ちない、という考え方にすがって何とかしのいでいる。一つ一つの災難をすごろくのマス目と思って歩いていくしかない。暴走車を二度出しておいて、けっきょく自分の車で子どもを殺してしまう皮肉。笑えるのだけど、笑っていいのか、という後ろめたさがつきまとう笑いで、とにかくそういう煮え切らない・はっきり出来ない時代だということははっきり分かった。老成しているような・幼稚なような主人公にふさわしい。少年のときの夢をラストで成就させるまで、とことん皮肉。当時メアリー・ベス・ハートは美しく、現在ポール・マッカートニーは64歳を越えている。
[映画館(字幕)] 7点(2013-05-29 09:55:24)
16.  カオス・シチリア物語
この映画のメモは私のノート4ページに渡って記されている。当日に書けたのは第ニ話までで、その翌日に第四話・エピローグまでを何とか記している。上映時間よりかかったか。それほど記憶にとどめておきたい作品だった。オムニバスなの。鈴をつけたカラスが飛びながら目にした物語、という趣向で、そのイマジネーションだけでまいっちゃう。私が思うにイタリア映画黄金期の最後を飾る名作だったと思う。汚い字を読み返すだけでも大変なので、いちいちには触れない。四つの物語は「定住と自由」といったテーマで括れそうで、4「レクイエム」の土地からも、やがて1に登場するようなアメリカへ向かう者が出てくるだろうし、彼らの前身は3「甕」の農民たちだったかも知れず、2「月の病い」の妻が1「もう一人の息子」の狂女になってもおかしくない(3だけスタイルが変わっていて民話的、第三楽章ということでスケルツォに相当するのか)。その編み込まれた感じが全体を豊かな世界にしている。私が好きなイタリア映画の味って、こういうのなんだと深く納得したのであった。
[映画館(字幕)] 9点(2013-04-27 09:58:27)
17.  ガイバー
夜から次の夜までの24時間ぐらいの物語、ってのが実に狭くてよく、ストーリー的なものにまったく目を向けない姿勢も好ましく、映画でなければ描けないものを追求したかったからか、っていうと、でも、そうじゃないんじゃないかなあ。最後マーク・ハミルが変貌していくあたりなんか、そうかもしれないが、この怪物たちは容貌の怪異さだけが見ものであって、変貌は二の次。「ゾアノイド」ってのは、ただ「乱暴もの」なだけで、火を吐くわけでもなんでもない。原爆以来の恐ろしい発明だ、っていう「ガイバー」も、どこがあ、って感じ。怪獣映画のロケ現場に迷い込む、なんていいアイデアになれたのに、唐突すぎて見てるこちらがオロオロしてしまう。大阪弁の字幕は、監督マッド・ジョージ本人によるらしい。『スター・ウォーズ』主役でも将来を約束されないアメリカ映画ビジネスの厳しさを知らされた一編。
[映画館(字幕)] 3点(2013-04-22 09:59:07)
18.  風の谷のナウシカ
腐海を焼き払うのではなく、共存していく。怯えずに大きな自然体系の中に組み込まれよ。以後、ずっと続く監督のモチーフが大きく語られた最初の長編。風の谷より腐海のほうが美しいのは、その底で生まれつつある新世界が清浄な冷たさを持ってるからなんだろう。ただストーリーがちょっとごちゃごちゃし、もっとスッキリ語ればいいのにと思った感想は、以後の監督作品で少なかれ続くことになる。腐海の生物たちの動きが素晴らしく、オームの触角に包まれる動きは、まあ泣けた。巨神兵は最初は余計じゃないかと心配してたが、ドロドロに崩れ続けていく凄味が圧倒的で、近代科学の化身そのものだったなあ。もうちょっとユーモアがあっても良かったんじゃないか。(オールディスのSFの古典「地球の長い午後」を読むと、しばしばイメージが重なる)
[映画館(邦画)] 7点(2013-04-03 10:00:11)
19.  悲しみのミルク
恐乳病なんて具体的なイメージがいかにも南米的で、じゃが芋で貞操を守るなんてのも、あちらのマジックリアリズムみたいなんだけど、よく知らない国の話で困るのは、こっちが奔放なイメージと思って感心したものが、あんがいあっちでは「普段」だったりすることがあり、あのじゃが芋はどうなんだろう。暴力の時代の、女性の苦難史の伝承が、あるいは母乳に託され、あるいは歌に託されていたよう。それをどんどんさかのぼっていった果てに、母の村にたどり着くのだが、この海が見えてきたところでかなりハッとした。映画で海が出てくると、だいたいハッとするものだが、この場合海は、さかのぼる旅がどんどん進み、まだ生物が肉食を始める前の、さらには有性生殖を始める前の、闘争のない穏やかな世界まで髣髴とさせてくれたよう。そういえばこの映画、結婚式シーンが繰り返され、有性生殖を始めて以後の生物の雌すべての物語として、悲しみの歌が連綿と続いているとまで受け取れないか。この手の映画は「そう理解したもの勝ち」だと思っているので、大風呂敷を広げてみた。あと好みのシーンは、結婚式での引出物のパレード。奔放なイメージと言うより、あちらでは「普段」なのかな。
[DVD(字幕)] 6点(2013-03-17 09:52:20)
20.  風の中の恋人たち
とんでもない邦題にもかかわらず、なかなか良作、とりわけ前半。原題は「ナヌー」、ヒロインの名前。フランスを旅するイギリス娘。列車の中で沈黙のまま、パン、卵、塩(!)などを交換し合っていくあたりの演出のきめ細かさ。その村に降りるかどうか迷ってコインを投げ、それでも走りかかった列車から飛び降りてしまう(カメラを忘れてそれが後の伏線となる)。男の無骨さが、いかにもフランスの地方人なのか。外国を一人旅する女性のスケッチとして味わえる。後半政治が絡んできて、ちょっとトーンが濁るんだけど、ラストがまたいいんで印象は良。男の不器用さに好感が持て、どこか幼さの残る若者の恋のドラマとして良。この女流監督、その後どうしてるのか。
[映画館(字幕)] 8点(2013-03-08 10:19:11)
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