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1.  河(1951) 《ネタバレ》 
河は悠久を流れる時間の象徴であり、人々が交差する人生の象徴だ。インドのベンガルを舞台に恋を夢みる三人の少女と、青年との出会いと別れの物語。ハリエットは詩人と作家を夢見ている。隣家の親戚で米国から来たジョンにのぼせあがってしまう。自分を印象づけようとあれこれ策を講じるが袖にされる。大人びたバレリーはジョンに魅かれつつも「片脚」などと残酷なことも言う。ジョンから冷酷なことを言われるが最後は和解する。メラニーはインド人とイギリス人の混血で、西洋学校を卒業して家に戻ると服や生活をインド式に改めた。ジョンに魅力を感じるが、西洋人を理解できず、彼女に思いを寄せるインド青年とも距離を置く。そんな自分が嫌いだ。ジョンは傷痍軍人。戦争中は「英雄」だが、戦後はよそ者扱いされ、傷心のうちにインドに流れてきた。義足の醜態をバレリーに見られ、つい怒鳴ってしまう。自棄になりインドを去ることを決めるが、メラニーからあるがままの自分を受け入れるように忠告される。そんな時ハリエットの弟が蛇に咬まれて死んだ。隣家の主は「大人は子供を学校に押し込めくだらん戒律を教える。抵抗の余地もなく戦争に駆り立て無邪気な彼らを殺戮する。真実の世界は子供たちのもの。木を登り草を転げまわる。子供達は蟻、自由に飛ぶ鳥、動物は恥じたりしない。重要なのはネズミの誕生や木の葉が池に落ちること」と金言を漏らす。弟の死に責任を感じたハリエットは家を飛び出し、舟で川を下るが、漁師に助けられてあっけなく家出は終る。迎えに来たジョンに「人の心は生死を繰り返す」と諭され、「君の詩は西暦4000年でも残っているかも」と誉められると嬉しくなり愛を告白し、おでこに接吻をもらう。ジョンは「手を貸せよ。片脚だぞ」と義足の負い目を払拭する。春の祭の時、ハリエットの家に新生児が誕生した。感動する三人。原作が素晴らしさを生かしきっている。優美なインドの風景と文化が堪能できる。特にディワリ祭とホーリー祭は必見だ。少女の初恋・成長物語だけではなく、文明とは何かを問いかける深い内容になっている。自然や神に対する畏敬の念を失わずに、伝統に則って生きるインド人の素朴な生きざまには共鳴を受ける。インドに行きたくなった。「10分前は赤ちゃんはいなかった」と感動する感性は見習いたいもの。演技力のなさで青年の苦悩は伝わらなかったのは残念。秀作です。
[DVD(字幕)] 9点(2014-05-18 22:24:39)
2.  彼とわたしの漂流日記 《ネタバレ》 
これは拾い物。隠れた名作的位置づけにあたる作品だ。生きる希望を失い、孤独な生活を続ける二人の男女が知り合い、奇妙な交流を通じて自己再生していく物語。その”奇妙さ加減”が抜群に面白く、コミカルな小ネタもふんだんで、観る者を飽きさせない。意表を突く展開の連続で、先が読めない小気味さがある。丁寧なカメラワークで二人の繊細な内面を写しだす手法には感服する。韓流特有のオーバー・アクションや感情過多は少なく、むしろ控えめな演出で、日本人には共感しやすい。◆男はリストラ、離婚、借金苦で、人生に絶望し、橋から投身自殺を図るが、漢江の中洲の無人島に漂着する。最初は助けを求めたり、自殺を図ったりしてあがくが、いつかサバイバル術を覚え、そこに住み着くようになる。砂浜に描いたHELPがHELLOWに変わるのがおかしい。女は三年間、マンションの一室で引きこもり生活を続けている。両親とは会話もしないが、ネットでは別人になりすまし、偽りの対話で自らを慰めている。趣味は月の写真を撮ること。月に人類はおらず、完全な孤独なところに魅かれるのだ。年に二度、地上を撮ることがある。有事訓練で路上に人がいなくなるときがあるのだ。そのとき女のカメラが偶然に中洲の男を捉えた。男が孤独であると知った女は、内なる欲求に抗いきれず、ついに男との交流を図る。それが何とも不器用で、朴訥で、はがゆく、おかしく、そして微笑ましい。最初の返事が来るのに二月半もかかるし、メッセージも一行だけという慎ましさだ。だがこの交流で二人の心に変化が芽ばえ、徐々に人間らしさを取り戻していく。その過程はやわらかく、しなやかで、孤独がちな現代人に温かいメーっセージとなって伝わってくる。◆台風の日、女はネットでのなりすましがバレて、逃避先を失う。男も台風の清掃にきた職員に発見されて、島を追われる。絶望した男は自殺を決意する。それを止められるのは女だけだ。女は必死に走って男の乗ったバスを追い駆けるが追いつけない。もうだめだと諦めたとき、奇跡が起きる。漸く初対面を果たせた二人の眼から溢れでる涙。それは忌まわしい過去を流し、本来の自分を取り戻した喜びの涙だ。沖を流れるアヒルの船が映し出されて終了。この船は、男が住居としていたもので、男は”醜いアヒルの子”を自認していた。”醜いアヒルの子”との訣別という象徴性に富んだエンディングに拍手。才能のある監督です。 
[DVD(字幕)] 9点(2012-11-08 14:01:12)(良:2票)
3.  神々の深き欲望 《ネタバレ》 
土着の風俗・因習の色濃く残る孤絶した島での近親相姦を主題に現代の神話を描こうとした野心作。近親相姦の禁忌が作られる以前の人間の営み、生命の根源に迫る。太山盛、根吉父子は驕傲勃勃として神の怒りを買うような狂気を孕んでいる。山盛は自分の娘と肉体関係を持ち、根吉は妹のウマと恋に落ちる。ある日島に暴風雨と津波が襲来し、巨岩が神田に乗り上げるという椿事が出来した。村人はこの凶事の原因が太一家の近親相姦にあるとし、一家を村八分にし、根吉に巨岩排除を命じ、ウマは村長の妾とされた。それから20年、根吉は足を鎖に繋がれたまま巨岩を埋めるための穴掘り作業を続けている。巨岩は男根の、穴は女陰の象徴だ。両者が合体したとき祈願は成就した。すなわち村長が腹上死し、自由となったウマと根吉は舟で理想郷である西ノ島に向かう。しかし村人に追捕され、撲殺された根吉は鮫の餌となり、ウマは舟の帆柱に括られ流されてしまう。島に漲る野生の生気が文明を受け付けない。都会から来た技師の一人は仕事を辞めて村の寡婦と結婚し、一人は根吉の白痴の娘トリ子の肉体の虜となった。しかし時代の流れには逆らえず、やがて島には飛行機が飛び、機関車も通るようになった。神話が終焉したのだ。目覚しい着想と行動力、困難な作品に挑むその意気込みや良し、演技、美術、撮影技術も高評価だ。しかし看過できない短所がある。それは男と女の情愛だ。二十年もの粒粒辛苦の果てに結ばれる男と女の情愛の深みが充分に描かれていない。ここでの情愛とは正邪、道徳を超越した性的欲望のこと。状況説明の科白ではなく、より感情的に訴える場面が欲しかった。二人の死は禁忌を犯した罰ではない。村長の老妻がウマに嫉妬し、油小屋に火をつけ、村長が根吉に殺されたと虚偽の申告をしたからだ。この執念深い嫉妬も描かれていない。鮫は神の罰だが、嫉妬も神の罰で、共に重要な役割なのに、老妻自体が描かれていない。だから観客は置いてきぼりを食うことになる。神話はもう一つある。トリ子が都会に帰った技師を磯で待ち続けて死んで岩となったというもの。これはとってつけたようなもので精彩を欠く。神話に昇華させるにはトリ子の死を荘厳に描く必要がある。兄亀太郎が肉感的な妹トリ子に近親相姦的感情を持って懊悩するという設定は意味があった。亀太郎は神話を見守る役目で演技が光っていた。名作には到らないが渾身の力作である。 
[インターネット(字幕)] 8点(2014-07-03 15:13:59)
4.  風立ちぬ(2013) 《ネタバレ》 
巨匠は“画力”が凄い。飛行機が生物のように息づく。関東大震災の地震の迫力、逃げ惑う群集の緻密さ、雲の描きわけ、背景の草原の草や流れる水も生き生きとしていた。ゴッホの絵画を観るような生命の躍動を覚え、夕日を眺めているような懐かしさも覚えた。画だけでも観る価値がある。世界に誇れるアニメだ。あえて苦言を。堀越二郎の物語だから、ゼロ戦の完成で終点だろうと予想していたが、九試の完成で終ってしまった。ゼロ戦登場はラストの残骸と夢想の編隊のみだ。堀越氏の最も苦労した太平洋戦争時代を飛ばしたのは、「戦争と人間」という主題を避けたかったからだろう。「美しいもの=飛行機」の夢を追い求めると、戦争兵器の設計に関わざるとえなかったという苦悶は感じられない。二郎の人物像の掘り下げが不十分で、生身の人間として映らない。積極的に行動することは少なく、本質的に受け身なのだ。仕事は与えられたものを文句もいわず淡々とこなし、対人関係で問題を起こさない。性悪な人も登場しない。恋愛も受け身だ。菜穂子の女中を助けたあとは、偶然の再会、菜穂子から告白、菜穂子が病院を抜け出し、押しかけ結婚、菜穂子去ってゆく。「美しい姿だけ見せたかった」というが、恋人同士ならまだしも、夫婦間でそんな美学はありえないだろう。本音で語り合い、共に苦労し、助け合ってこそ真の夫婦である。又「愛と死」が主題なのに「死」を描かなかった。特攻によるパイロットの死、妻の死、大空襲、無数の戦没者。戦闘機と死は切っても切れない関係だ。死を描かずに戦闘機の設計者の人生を描くのは不可能だ。残念ながら、底の浅い人物描写でしかない。主人公の愛、苦悩、喜び、怒り、憎しみ、悲しみが感じられてこそ、心の糧となり、感動があり、人間は素晴らしいと思えるのだ。二郎は戦争、妻の死を経ても成長していないと思う。それは妄想の中での師匠との軽い対話でもわかる。「君は生きねばならん。その前に、寄っていかないか?良いワインがあるんだ」日本の敗戦をこれほど軽く描いた例は稀有だ。意味ありげに特高や反ナチのドイツ人が登場したりするが、本筋とは無関係。一本、筋の通った筋書が出来ず、どこを終点にしようか、迷った跡がある。風の使い方は良かった。風で飛んだ二郎の帽子を菜穂子が掴み、風で飛んだ菜穂子のパラソルを二郎が押さえる。愛も戦争も風のように過ぎて行った。けれど生きてゆこう、夢の翼に乗って。
[DVD(邦画)] 8点(2013-09-25 22:26:41)
5.  影武者 《ネタバレ》 
映像美は申し分なく堪能できる。最も美しい場面は開始20分35秒の夕日を背に退却する兵の列。戦国時代の戦乱を描いた大作として十分楽しめるが、のめり込むほどではない。信長、家康の役者の芝居が一ランク落ちる。「違う、これはおじじではない。」「もはやこれまで、わしは信玄ではない」等、良い場面は多いが、随所に間延びや綻びが目立つ。信長の幸若舞やワインの場面は不要だろう。幸若舞は桶狭間の戦いの場面と決まっている。冒頭三人の「こんなにも似ている」と驚く場面で、カメラが引きに固形され、顔のアップがない。伝達兵が城内を駆け抜ける場面が長々映るが、続く場面はのんびりしたもの。素晴らしい映像なのにもったいない。退却を知らせる朝倉の書状に激怒する信玄を山県がたしなめるが、これは逆でなければならない。信玄の人間性、度量の大きさに触れて、盗人が影武者を引き受けるのを申し出るのだから。最後の戦闘場面で討ち死の様子を一切映さないが、戦いの非情さ、悲惨さを表現するのに必要だろう。それ以前の戦闘場面はリアルに表現されているので肩透かしである。影武者が討ち死にする場面で感情移入、感動できるかどうかが成功の鍵を握る。影武者が信玄の人間性に感銘を受け、影武者の役を買って出たのは理解できる。その大役を果たすため、艱難辛苦を味わってきたのも理解できる。影として生きる人間の悲哀は十分出ている。だが影武者の人物像がいまひとつ把握できない。流れ者で、50歳代で泥棒稼業。感情移入するには高齢すぎる。家族はいるか?城内で大甕を割るが、あれに財宝があると思われない、また財宝があったとして、どうやって脱出するつもりだったのか?乗馬禁止の暴れ馬にどうして乗ったのか?あえて討ち死にするほど武田家へ恩顧を感じていたか?石をもて追われたではないか。彼を守って戦士した近習達への罪ほろぼしか。尊敬する信玄は既に死んでいる。と、いろいろと疑問が湧く。想像すれば影武者は天涯孤独の身、影武者を務めること生き甲斐を感じていたが、戦乱の悲惨さを目の当たりするなど精根を使い果たし 既に生きる屍となっていたのだろう。生きる気力はなく、ただ信玄の幻影に惹かれ、亡霊のように戦場に附いてきてしまったのだ。最後に脚本でうまいと思ったのを紹介。冒頭の三人の場面で信玄が「冷えると古傷が痛む」と去るところ。”古傷”という伏線が早い時期に提示されている。
[DVD(字幕)] 8点(2012-07-12 23:28:19)
6.  眼下の敵 《ネタバレ》 
二人のキャプテンの魅力が十分に引き出されている。一筋縄ではいかないキャラ設定が実に見事。駆逐艦のマレル艦長は、最初はみんなから素人船長と馬鹿にされるがそれが百八十度してゆく様子は見ていて心地よい。潜水艦のフォン艦長は醒めた目で戦争を見つめる老軍人。ヒットラーやヒットラーを尊敬する若者を苦々しく思っている。戦争を憎んでいるのだ。 ◆駆逐艦のマレル船長は新婚の妻の乗った船を潜水艦に沈められた。それも目の前で。「悲惨さと破壊には限りが無い。まるで頭を切っても生えてくる蛇のようだ」潜水艦のフォン艦長は二人の息子を軍人に育て、戦争で失くしている。「前の戦争とは違い、今回の戦争では機械の戦いで、人間味がなくなった。この戦争に栄誉はない、勝っても醜悪だ。死者は神に見捨てられて死ぬ。無益な戦争だ」それぞれ心の傷を負い、共に戦争に対しては批判的な二人の知将が手に汗握る頭脳戦を展開する。派手さは無いが、厭きさせない。戦っている間に奇妙な友情のようなものが生まれ、最後はマレル船長がフォン艦長を救助する。それはマレル船長がフォン艦長が負傷した部下を必死で救助しようとする姿に感動したからだ。 ◆最後に進行役的役回りの軍医が言う。「希望を見つけましたよ。奇妙な場所で、海で戦いのさなかに」敵同士でも友情が生まれる、つまり理解しあえば戦争は避けられるという希望が描かれている。それは成功している。だが戦争の悲惨さは十分には描かれていない。どこかスポーツのような感覚で扱っているように感じる。指を失った元時計技師の水兵の挿話などは活きているが、どこか薄っぺら。潜水艦で恐怖のあまり頭がおかしくなり暴れる男も、どうも深みがない。短時間に納まりすぎるのだ。重厚な戦争人間ドラマを描くには尺が足りない。佳作だが名作とはいえない。例えば船長の妻の死ぬ場面、艦長の二人の息子が死ぬ場面を織り交ぜれば、ぐっと深みを増したことだろう。不幸な身内の死と長時間に渡る海での死闘を乗り越えての友情は半端ではないからだ。 ◆実際の駆逐艦を用いての爆雷投下場面は迫力ある。独米共に平等に描く監督のフェア精神は心地よい。ただドイツ人捕虜をあれだけ自由にしていたら乗っ取られるんじゃないかと心配してしまう。
[DVD(字幕)] 8点(2012-03-03 04:03:45)
7.  勝手にしやがれ 《ネタバレ》 
登場人物に感情移入しながら一歩引いて物語を鑑賞するという従来の映画の殻を破り、映画の中に入って心地よい映像と音楽に身をまかせて体験(トリップ)するタイプの映画。粒子の粗いフィルム、俳優のカメラ目線、人体の極端なアップ等、妙に生々しい演出になっている。何よりも映像のリズムを重視している。男が警官を射殺する場面の極端に省略された編集に注目。これだけで従来にない映画とわかる。又アングルを固定して多カットでつなぐ手法は、外での撮影の場合、背景がどんどん変わる。それでいて会話はぶつ切になっていない。何とも斬新な手法だ。言葉は途切れることなく、背景音楽のように流れ続ける。会話のほとんどは気の利いた愛の科白や人生の警句で、それはそれで心に残るが、それがそのまま意味を持つというよりも、サブリミナルのように意識下に語りかけてくる。ストーリーの流れもタメやユーモアがなく、ノンストップ状態。俳優以外の人(エキストラ)がカメラや俳優をのぞき込んだり、まるで観客が映画撮影の現場に居あわせているようでもある。このように意図的に作成された言葉と映像のリズムに乗る事により、従来にない疾走感を体験できる。◆物語は単純。車の盗難を稼業とする男が警官を射殺してしまう。男は惚れている女の所に行き、ローマに行こうと誘う。女は男を愛しているかどうか分らない。男が女を愛しているといえば言うほど嘘に聞こえる。パリでしたい事もある。迷っている間に男は刑事に追い込まれる。女は密告し、男は射殺される。◆男は人生に絶望しかけており、息も絶え絶え(breathless、英語の原題)だ。その象徴が煙草を吸い続ける事であり、しかめっ面をする事。てっとり早く金を稼いで、女とヤリたいだけ。だが最後に男は気づく。「くやしいけど女のことが頭から離れない」初めて恋を知ったのだ。次の瞬間男は射殺される。「最低だ」という科白は女にではなく、自分に向けられた言葉。◆女は愛よりも自由を選んだ。妊娠していることも気にしていない。だが朗読するフォークナーの「野生の棕櫚」は「医学生と人妻が駆け落ちするが、人妻は堕胎手術に失敗して命を落とす」という内容で、女の将来を暗示する。◆唇を指でぬぐう仕草は、強い決意の表れ。女はラストシーンでこの仕草をするが、それは男との別れの決意。そしてカメラ目線で観客と一瞬向き合い、背を向ける。女と観客の体験が終了したのだ。
[DVD(字幕)] 8点(2011-09-11 03:16:30)
8.  隠し砦の三悪人 《ネタバレ》 
戦に敗れた領主の世継ぎの姫と侍大将と奇縁の百姓がお家再興をめざし、軍資金を運びながら、敵国突破を試みる。次々と襲いかかる危機、困難をいかに乗り越えるかが見どころ。冒険あり、宝探しあり、痛快アクションあり、美女あり、ユーモアあり、娯楽性に富む内容で観客を飽きさせない。この作品は黒澤明の”インディ・ジョーンズ”だ。◆脚本上の問題は、相手武将の「裏切り御免」に尽きる。本人達が知恵と勇気と能力を駆使して危機を脱出するところに妙味があるのに、ここの部分だけが”他力”になって しまっている。物語の流れに逆らってしまっている。この場面がクライマックスなので尚更その印象が強い。また裏切りの理由が「家来の面前で、主君に面罵され、面相が変わるほど打擲されたため」では、重すぎる。ここだけ痛快時代劇の枠をはみ出している。鑑賞後、爽快感が薄いのはこのためだ。◆冗長な面もある。物語の発端となる2国間の合戦と落ち延びる姫の様子は描かれていない。その代わり二人の百姓が捕らわれ、強制労働させられ、暴動に乗じて脱出する様子が描かれる。どちらが重要かは論を待たない。後者はカット可能だ。百姓はあくまでサブ扱いすべき。百姓二人は黄金を持つと貪欲になり喧嘩をし、危機になると途端に仲直りする。そこに人間臭さがあり、ユーモアがあり、ラストのオチの伏線になっているが、何度も繰り返せばクドくなる。いくつかを削って尺を短縮すればより躍動感が出た。◆副物語は、姫の心の成長。これは良く描けていると思う。人身売買される娘を買って助ける場面は泣かせる。これは自分の身代わりになり打ち首になった娘の伏線があるからこそ効果が倍増するのだ。わがままから出た行為ではなく、他人を思いやる心が芽生えてきたからだ。娘を加えたことが敵の目をくらます原因に連なっており、このあたり絶妙である。又民と共に踊る火祭りのシーンは印象的。「人の命は 火と燃やせ 虫の命は 火に捨てよ思い思えば 闇の夜や浮世は夢よ ただ狂え」監督が観客に送るメッセージだ。◆山で大勢に囲まれ捕縛される場面。弾丸が倒木に当たり幹が跳ね、次の瞬間人物が飛び出てくる。これの繰り返しだが、フィルムが繋がっていないのが丸わかりというチープさ。明らかに手抜きである。上手の手から水が漏る。
[DVD(字幕)] 8点(2011-07-24 09:20:33)(良:1票)
9.  ガス人間第一号 《ネタバレ》 
【ガス人間の犯罪】①彼の能力からして、銀行強盗に拳銃を発砲したり、殺しをする必要はない。失神させればよい。②ガス化しても声を出したり、札束を持てるのが不思議。③車で逃げる必要ないし、ましてや警察に追われて藤千代の家に行くなよ。④予告電話と殺害までした模倣犯の動機不明。 【水野】①体格不十分でパイロットの夢破れる。博士に実験に協力すればパイロットになれると説得される。騙されて怪物にされ、博士を殺害。②人生に絶望するものの能力に目覚める。③藤千代に恋するが、不器用で金銭で歓心を買うというアプローチ。殺人は平気で、恋だけが生きる希望。 【藤千代】没落した舞踏の家元。水野から金銭を融通してもらう。お金で元一門の者を雇い発表会を開こうとするが、水野との関係を知られ、元一門の者は去る。水野が全てを捨て、殺人までするほど愛してくれていることを知る。自身が人生に失望していることもあり、共感が愛に。しかし怪物かつ殺人者である彼と幸せに暮すことは不可能。愛の成就のために一緒に死ぬことを決意。結婚の約束をし、発表会終了後に無理心中。 【恭子】最初は藤千代の美しさに嫉妬していたが、次第に2人の恋に同情的に。藤千代に水野を説得して無茶をしないよう、又発表会を辞めるよう勧告。 【感想】隠れた名作。草深の庵、月光、蛍、鬼の面をつけた踊り、そして美女登場。道具立てが素晴らしく、美しい絵物語を見るよう。拳銃をぶっぱなす派手な銀行強盗で幕が開くが、中盤でガス人間の正体は明かされ、サスペンス要素は失せて、以後は恋愛物語に。水野の愛の大きさと暴走に戸惑う藤千代。男の正体と、本当に心から愛されていると知ってからの女の葛藤が見どころ。犠牲者達への責任も感じている筈。どうしようもない恋の行方は爆死という悲劇で終わる。日本的情緒たっぷりな結末。常識破りの恋である。じょうしき-し(死)=じょうき(情鬼)これは冗談で「情鬼=水野」。水野の人間性や葛藤があまり描かれていないのが残念。あまりにも自己中心的で、不敵な振る舞いをするので、共感しづらい。殺人は仕方なく犯す設定にすべきだったろう。警察の爆破装置のスイッチを外しておいたのは若い刑事だろう。それにしても藤千代はどうやって警察の計画をあらかじめ知ったのか?爺やを巻きこんだのはどうしてか。全てを知っている爺やの最後の演技に注目。全ては「古い家の没落」を象徴している。
[ビデオ(邦画)] 8点(2010-06-05 18:47:27)(良:1票)
10.  カサブランカ 《ネタバレ》 
イルザは尊敬する活動家ラズロと恋に落ちて結婚する。が、夫は捕まり、処刑されたと聞く。パリで失意のどん底にいたときリックと知り合い、本当の恋を知る。夫への愛は尊敬にすぎなかった。パリ陥落の日、二人は脱出を決め、駅で待ち合わすがイルザは来ない。手紙が残され「一緒に行けない。理由は言えない。でも信じて、愛してる」以後リックは人間不信に。カサブランカで再会。イルザは事情を説明しようとするが、話を聞こうともしないリック。だがどうして通行証が必要となり、リックに嘆願。さらに拳銃で脅す。ひるまないリックに泣き崩れて、事情を説明。自分は残るから夫だけを脱出させてと頼む。「愛しているわ。今でも。もう離れられない。こんなに愛してしまうなんて」これでリックの心が大きくゆれる。そこへラズロが来て、「妻だけでも逃がしてくれ」二人を脱出させるつもりになったリックは、策を弄し、イルザに本心を告げず、空港へ。三者ともども傷心の別れ。リックは二人を逃がすと決めたとき自分は残り、死ぬつもりだったのでしょう。署長がラズロを逮捕して、事態は変りましたが、二人を逃がしたあと殺されるのは確実です。愛した女のためなら。男のダンディズム。イルザの気持ちをどこまで理解できるで映画の評価が違ってきます。「Here's looking at you、 kid.」は二人の合言葉。「君を見ている僕がここにいる」という意味で、意訳すれば「君に夢中さ」パリで三度、最後の別れの場面で一度。パリ時代の二人に戻った瞬間でした。好きな場面:パリ陥落の日。リックは脱出し、結婚しようという。ためらう女。最後のキス。女の手がグラスに当りこぼれる。雨の駅。来ない女。雨でにじむ手紙。二人の感情を見事に演出したシーケンスです。気になった点:①リックが通行証を入手したのはたなぼた。これがドラマとして弱い。②ウガーテは通行証を何故リックに預けたのか。そもそも警察の目のあるところで取引するのが無謀。③サムはピアノが弾けない。手が音楽とあっていない④ルーレットで好きな目が出せるのにどうして負けるの?「今日は2万負けている」といわれ、金庫からお金を取り出す場面があった。⑤サムは置きざり?⑥一人でのこのこ空港へやって来た大佐に乾杯。普通部下を向かわせる。⑦ドイツ軍はどうしてラズロを拘束しない。ラズロが本名を名乗ったとき驚いた。妙に紳士的。⑧署長、何も水にあたらなくても。 
[DVD(字幕)] 8点(2009-09-27 10:18:08)
11.  ガタカ 《ネタバレ》 
SFとサスペンスとヒューマンドラマと恋愛の見事に融合した作品。不適格者ヴィンセントにとって宇宙へ行くとはどういうことか?それは天上であり、神に近づくことであり、差別され続ける地上社会を逃れること。夢であり、自己実現であり、存在理由の根源なのだ。それが故にどのような手段、たとえ違法であろうとも宇宙に行こうとする。DNAの優劣で身分や職業が決められてしまう社会への挑戦でもある。彼の身分詐称、偽装工作は徐々に剥がれてゆくが、理解者も増えてゆく。DNA提供者のユージーン、恋人のアイリーン、弟の刑事、検査官。宇宙に行くことで、彼の夢は達成されたのだろうか?ユージーンの場合を考察してみよう。彼はDNAエリートだが、エリートの世界ほど競争の激しいものはない。銀メダルしかとれずに挫折し、車に飛び込んで自殺未遂。(エリートならもっと確実に死ぬ方法を選ぶはずだが…)下半身不随に。生活費を得るため、ヴィンセントにDNAを提供するが、次第に彼の夢に向かう生き方に共鳴してゆく。エリートが不適格者(生まれながらの敗者)に心を打たれたのだ。だがこれが悲劇の引き金となる。ヴィンセントがユージーンであるためには、入れ替わった自分が消滅しなければならない。彼はヴィンセントに自分を託し、自分を消滅させる。バッドエンドだ。そもそもこの物語は「偽装工作すれば夢が叶う」というメッセージに受け取られかねない危険性を孕んでいる。偽装にばかり焦点が当てられるからだ。ラストは正々堂々とジェロームとしてではなく、ヴィンセントとして宇宙旅行に行かなければ本当の自己実現にならないだろう。検査員が偽装に目をつぶったように、社会もそれを受け入れる素地がある。弟も競泳で負けて、兄の”努力の賜物としての体力・気力”を知ったのだ。「DNAよりも努力がまさる」がテーマ。「DNAよりも偽装工作」の印象が残るのはまずい。自殺は生命の軽視。努力の大切さを知ったユージーンこと再出発すべきだろう。別人として偽りの人生を続けることがどれほどの重荷になるか、容易に想像できる。誰もが6本指のピアニストのように成功できるはずだ。SFとしての欠点も目立つ。コンタクトや身長伸ばし手術や弱い心臓などは安易に見抜けるはず。殺人事件も監視カメラを見ればいい。また個人情報が保護されていないのは不自然。階段シーンや恋人が全てを悟るシーンなどとてもよかったです。
[DVD(字幕)] 8点(2009-09-06 17:26:37)(良:1票)
12.  華麗なる激情 《ネタバレ》 
教皇ユリウス2世が、彫刻家ミケランジェロにシスティナ礼拝堂の天井画の作成を命じる。ミケランジェロは不得意な絵画の仕事に難色を示し、辞退するが認められない。いがみあう二人。一度は逃げ出したミケランジェロだったが、新たな芸術上の着想を得て復帰し、金銭問題や過労による体調不良等様々な葛藤を抱えながらも執念で困難を克服し、四年の歳月をかけて遂に天井画を完成させた。そのとき、教皇ユリウス2世は戦争による負傷で病床にあったが、二人の間には奇妙な友情が芽生えていた。 絵画を仕上げる話なので、比較的淡々と物語は進む。ミケランジェロの生涯を描くのでもなく、彼の芸術家としての内面に迫るものでもなく、当時のフレスコ絵画の技術を紹介するのでもない。つまり後世に残る偉大な芸術家ミケランジェロに触れた気はしない。絵のの描かれる過程をもっと詳細に見せてくれればと思った。人類史上の傑作が生まれる瞬間を追体験できるようなものであれば感激したと思う。 それでも、教皇をとても人間味ある人物とし、戦争の場面もあり、恋仲であるミディチ家の女も登場し、建築家ブラマンテとの対立、好敵手ラファエロとの交流などを描き、随所に飽きさせない工夫はされている。冒頭10分ほどかけてミケランジェロの作品を紹介している。ミケランジェロ入門には打ってつけの作品である。
[DVD(字幕)] 7点(2015-02-06 21:37:31)
13.  ガフールの伝説 《ネタバレ》 
ふくろうが高度な文明を営むという世界観だが、鉄器文化を持つことに大いに違和感があった。飛躍しすぎていないか。 鉄剣、鉄兜、鉄面蓋などで武装していては、人間の古代戦士と変わりなく、ふくろうである必然性がなくなる。各種ふくろうの特性を生かした肉体同士での戦闘場面が見たかった。 悪の王国の最終兵器である、砂嚢をしびれさせて動けなくするという「特殊金属」は説明不足の誹りを免れないだろう。何のことやらわからない。砂嚢は鳥類の胃の一部で、食物を砂で細かく砕くものであるので、「砂嚢を麻痺させる」とか「頭ではなく砂嚢で感じろ」といわれてもぴんとこない。心眼のようなものと察しはつくが、すっきりしない。極め付けは「月光麻痺」。月の光を真正面で受けると麻痺してマインド・コントロールされるという安直な設定にはげんなりさせられる。 物語は善悪の王国の対立を軸に、「ガフールの勇者たち」という伝説を盛り込んだ冒険戦記もので、これといった目新しい要素は見当たらない。何より不満なのは、前の戦争の契機と経緯、勇者伝説の詳細が語られないことだ。なので最終決戦場面でも感情移入できない。唯一意表を突くのが、兄がダークサイドに堕ちるという展開だが、どうしてそうなるのかが描写不足だ。弟とそりが合わないだけで、両親の愛情を得られており、心に傷を持つわけではない。妹を攫い、弟を殺そうとする心の闇が見えないので説得力がない。補助的登場人物の扱いもぞんさい。両親は途中で居なくなるし、弟と行動を共にする家政婦の蛇は大した活躍を見せない。旅の仲間はかろうじて合格点。ジルフィーは小さすぎて恋人役には不足。大臣ふくろうのみえみえの裏切りと、時を移さぬ退場は、急ぎ過ぎ。主人の成長物語としても不満が残る。危機はそこそこ描かれているが、幸運に助けられている面が大きい。兄殺しの葛藤が薄い。もっと子供らしい知恵を発揮しての活躍をみたかった。美点はCGの華麗さとアクションの優雅さに尽きる。感動することはないが、CG技術の発展には唸らされる。美術を見るような鑑賞法が最適だろう。
[DVD(吹替)] 7点(2013-05-13 13:06:10)(良:1票)
14.  華麗なる一族 《ネタバレ》 
万俵財閥の領袖で、銀行のオーナー頭取である万俵大介が、政府主導による金融再編の機運が高まるのに危機感を覚え、小が大を喰う銀行合併を目論み、強硬におし進める話。大介の全てを財閥発展にかける偏狂さ、執念深さ、異常ぶりを描くとともに、日本の政官財癒着の歪んだ資本主義構造を浮き彫りにしていく。 長男鉄平が専務を勤める同財閥直系の鋼鉄会社を捨石にするのが最大のサプライズで、大介の冷徹ぶりが存分に表現されている。 高須相子という大介の愛人兼家庭教師兼執事の存在が、奇態な万俵家を表現するのに一役買っているとともに華やかさを添えている。残念なのは原作では39才なのに、本作では50才の二重あご女優が演じていて、ひたすら気持ち悪いこと。 ゆえに大介の長女の聟で大蔵省幹部役人の美馬が、相子に言い寄る場面が意味不明にみえる。 古い作品で当時としては衝撃的でセンセーショナルな内容なのだろうが、現代となってはたいして心が動く内容ではない。現実離れしすぎているのだ。 最大の瑕疵は、大介の銀行合併にかける行動の動機がわかりづらいことだろう。金融再編が避けられない諸事情が描かれていないのでは当然だ。”銀行員残酷物語”めいた挿話があるが、これくらい具体的に描かれてしかるべきだった。 鉄平の突然の猟銃自殺が一族の悲劇を嫌が上にも盛り上げるが、納得できる動機は描かれていない。会社が倒産したので、責任をとって自殺しましたでは弱すぎる。本作品のみどころであるはずの「父との確執」「出生の秘密」「経営方針をめぐる争い」「悪と正義の戦い」が中途半端に終っているのは遺憾だ。父を会社への背信行為で訴えるのはよいが、見通しが甘すぎる。死後、鉄平は大介の実子であったと判明するが、なぜそれまで違った血液型と思い込んでいたのかという疑問が残る。鉄平が生まれたとき、誰が父親であるかは、大介夫妻の最大の関心事のはずで、真っ先に調べたはずである。次女の行動にも首をかしげる。政略結婚は珍しくないが、「偽装婚約」とは珍しい。次女は父親の思惑に背き、純愛を貫いてこそ輝く存在になるはずである。アメリカに就職した恋人を追っても、純愛にはみえない。その他、高炉爆破の原因が不明のままだったり、「鎌倉の人」が名前だけしか出てこなかったり、華麗なる一族ぶりを披露する絶好の機会である次男の結婚式を省略したり、未消化の部分も多い。
[DVD(邦画)] 7点(2012-12-06 08:03:00)
15.  陽炎座 《ネタバレ》 
男に弄ばれた女の魂の怨念をこの世とあの世、現実と幻想、生と死が表裏一体、万華鏡のように入り混じる世界として描く。◆品子は老婆から死女の魂入りの鬼灯を買う。山崎は縁あってそれを引取る。二人は死者が見えるようになり、二人に絆が生じる。品子の亭主玉脇は遊びの限りを尽し、生きる興味を半ば失い、いつ魂を抜かれても不思議でない状態。妻に飽きた玉脇は妻と山崎に心中させようと企む。二人は、男女の契りを結ぶ。◆松崎は品子そっくりの女イネに会う。玉脇の前妻でドイツ人。髪と眼の色を変え、和装して夫の好みに合わせる。玉脇にとってイネは月光で変化する姿を愛でる人形でしかなかった。松崎が会ったとき、イネは既に死んでいた。◆品子から恋文を貰った松崎は金沢へ向かう。舟に乗る品子とイネを目撃。玉脇は二人を心中させようとするが山崎の拒否に会い失敗。山崎は和田という男に不思議な人形を見せられ、人形の裏に死後の世界があることを知る。◆品子とイネは不思議な友情で結ばれ、表裏一体の関係。品子の恋にイネは嫉妬し、山崎に迫る。恋文を送ったのはイネ。玉脇から幻扱いしかされず、山崎と情交し、もう一度生きてみたいと願う。死者と交わった山崎はあの世へ近づく。◆山崎は陽炎座という芝居小屋に入る。玉脇も品子もいる。そこの狂言方(脚本家)は魂入りの鬼灯で、魂の半生を役者に演じさせていた。イネの魂が現れ、苦悩と怨念の半生を演じる。玉脇は堪らず鉄砲を撃って退席するが、その鉄砲にはイネの灯籠が付いていた。芝居は続き、イネは生き返った。品子は芝居の先が知りたくなったが、今度は品子が演ずる番だという。品子は夫への復讐心から不義をしたと告白。死んで決着つけると言う。愛憎の一念が小屋を崩壊させ、品子は棺桶で怨念の鬼灯を吐き出す。その頃現実の世界で玉脇と品子は心中した。夢の世界が現世を変えた。「うたたねに恋しき人を見てしより夢てふものは頼みそめてき」は復讐の和歌だった。精神崩壊した山崎は万華鏡の先に死後の世界の自分と品子の姿を見る。ドッペルゲンガーを見た山崎は死期が近いことを悟る。◆鬼灯を売る老婆、品子の髪を掴む老婆、芝居小屋の老婆が脚本家であり、現実世界での脚本家でもあった。○△□は現世で表現不能なあの世文字。品子が帳面に書き、人形の中の女が男の背中に描き、万華鏡の中の品子が山崎の背に描き、山崎の最後の言葉。美しいが残虐絵が不快だった。
[ビデオ(邦画)] 7点(2011-09-28 17:24:01)
16.  カラーパープル(1985) 《ネタバレ》 
【違和感】①苦労知らずの白人男性監督が昔の黒人女性の過酷な人生を描く。②手紙が届かないというが、義父や親類や知人に頼めばいい。学校の先生や友達もいるでしょうに。教会宛に事情を説明して出せば、手渡しで届けてくれると思う。そうしなくともアフリカに立つ前に一度は訪ねなさい。比較的恵まれた生活をしているのだから。③主人公セリーの夫がネティの手紙を後生大事にしまっておくのは何故?焼き捨てるでしょ。④夫のキャラが、美人歌手シャグが登場してから別人のように変化してしまう。虐待キャラから憎めない男に変身。⑤セリーの子供をネティが育てるなんて、偶然が過ぎる。⑥自立した筈なのに実父の遺産が転がり込んで商売を始める。その商売がズボン店で、それまでの彼女と縁が無い。良い話が台無し。⑦セリーは父に強姦されて子供を産んだと思っていたが、実の父では無く義父だった。彼女は妹と子供と再会し、遺産を受け取る。シャグは神父の父と和解する。強い女ソフィアは夫と元の鞘に戻る。セリーの夫は改心してセリーと妹の再会を助ける。何もかもうまく収まり過ぎ。余韻が残らない。【感想】描く対象が絞り切れず、締まりが無い。単純な女一代ものにすればいいのに、他の女性の人生や時代を描こうとして冗長的。一本の映画で描ける内容は限られている。クライマックスが手紙を読むところなので、その余韻で家を出、再会させてすぐに終わればすっきりした。ゴスペル場面など不要。◆骨子は、父や夫によって人権を無視され、教育も受けず、虐待され続けた女が、自立した女性と出会うことにより、魂が目覚め、生きる喜びを知り、自立すること。映画では夫に対する怒りが協調され、女の成長過程が十分描けていない。刃物を突きつけ、罵り、他人に頼って家出するのが自立だろうか。感動が薄いのはこのため。再会が感動のクライマックスとしてもそれは成長した結果の神様からのご褒美ようなもの。原作は感動的、監督は天才、映像は詩的、演技は文句なし、でも脚本の出来が悪ければ、良い映画にならない好例。原作の矛盾点を改善し、無駄なキャラを削り、ラストも改変するくらいでないと成功しない。小説と映画は別物だからだ。小説では自由に表現できる心理描写も映画では科白と映像で表現しなければならない。おのずと構成に違いが出てくる。極端な話、シャグを主人公にすればもっと起伏にとんだ物語になったろう。
[DVD(字幕)] 7点(2011-01-20 06:15:27)
17.  カサンドラ・クロス 《ネタバレ》 
病原菌拡散の恐怖と国家の陰謀を盛り込んだパニック映画。事件に巻き込まれる群像劇が丁寧に描かれていて、見ごたえがありました。国家権力側は一切顔を出さず、不気味を煽ります。マッケンジー大佐も女医も抹殺されるであろうことを予感させるラストも秀逸。最も印象に残ったのは、カプランのキャラ作り。ヤノフの収容所で妻子を亡くしたトラウマを持つ老人。自販機の釣り銭を出したり、時計やライターを売ろうとしたり、スリの手際を見せ付けたり、電車から逃げ出して撃たれたり、やたら目立ってました。さらにカサンドラ鉄橋の危うさを指摘し、列車も爆破させます。脚本上、魅力的な人物です。兵器製造者夫人と愛人ナバロのカップルも面白い。ナバロは登山家で麻薬密輸人。それを追うニセ神父刑事。ちょっと作りすぎでしょうか。愛犬ヤーゴも大活躍。チャンバレン医師は、暴露本を出版しようとする元妻との間に愛情が戻る話に。こういう人生ドラマが描かれているので、見ていて飽きません。医師夫婦が胸のすくような活躍をしますが、他の人にももうちょっとがんばってほしかった気がします。気になること:①テロリストの目的が不明。②テロリストがあの列車に乗っていると分かる根拠が薄い。彼のドラマも描くべき。③感染による死者が少なすぎる。回復も早く、恐怖が伝わらない。④鉄橋が危険であるという確証が薄い。あれだけでは反乱を起こさせる確固たるものがほしい。⑤列車の軍人はどうやって上司と連絡をとっていたのか?無線機ぐらいあるはず。⑥ヘリでの追跡を続行すべき。⑦ナバロは電車の屋根を歩けばいいのに。「上にも兵士がいる」と言い訳していたが、いなかった。ビビっただけなのか?ナバロを感染させないほうがすっきりした。⑧ニセ神父の刑事は間抜けすぎ。⑨チェンバレン医者が不用意に患者に触りすぎ。⑩元妻は、愛情を取り戻したくて追いかけてきたのでしょうか?暴露本は脅し?
[DVD(字幕)] 7点(2009-10-07 12:22:47)
18.  ガメラ3 邪神<イリス>覚醒 《ネタバレ》 
東南アジアで子ギャオスを箒で殴る老婆、海底で見つかるおびただしいガメラの遺体。 つかみはOKですな。 度肝を抜く渋谷での格闘シーンは特筆ものでしょう。 吹き飛ばされる人間が丁寧に描かれています。これがテーマですから。 子供一人を助ける場面は不要では? イリスはスーツとCGとで質感や動きが違いすぎで興ざめ。スーツでの質感をCGにマッピングしないとだめでしょう。 デビルマンにありそうな造形ですね。 幼生のイリスには苦笑。 人間と融合すれば強くなれるらしいけど、相手は誰でもいいんじゃないのかな。 神経を融合させるんだから。 ガメラを憎む少女をヒロインにしたのが異色、全体に骨太の内容になっています。 このヒロインに同情できないのが、映画にのめりこめない原因。 黒い勾玉や十握剣など小道具が出てきますが、消化不足。 十握剣には神秘的力がなにもなかった。 地球レベルの生命エネルギー「マナ」で、ギャオスやガメラの存在を説明しているのは 成功していると思います。 あと大迫元刑事ネタはいらないでしょう。 イリスの元来の巫女である山咲千里の影が薄いのが残念。 内閣の中枢にも食い込むほど権力があるんですが。 もっと邪悪な存在にすればよかったのに。 イリスを利用して日本を支配しようとする野心をもっているとか。 そうすればストーリーが広がっていたと思います。 世界中であばれるギャオスを画で見せてほしかった。(予算不足?) 人間とガメラが力を合わせて邪悪な存在であるイリスを退治して大団円を迎えるというラストであればカタルシスがあるのですが。 自衛隊はあいかわらずガメラをミサイル攻撃するし。 イシスにいたっては自動小銃でのこじんまりした攻撃です。(見せ場なし) ギャオスが何千匹も襲ってくるところで終わるのはどうかと思います。 三部作では一番よかったです。
[DVD(邦画)] 7点(2008-04-20 01:04:12)
19.  影の車 《ネタバレ》 
母の愛情を独占したい幼少期に、母の元へ通ってくる愛人がいて、二人の艶場を目撃してしまったとしたら、その愛人が憎くてたまらないだろう。六歳のときにその愛人を実際に殺してしまった男の悲劇の物語である。大人になって妻帯者の浜島は、幼馴染で今は未亡人の泰子と再会して、不倫関係に発展していくが、泰子には六歳になる男児がいた。いつまでも懐かない男児に対して浜島は、自分に殺意を持っているのでないかと疑念を抱く。男児の気持ちは痛いほどわかるのだ。毒入り団子を誤食したり、居眠り中にガスが漏洩する事件が発生すると、浜島は恐怖におののき、泰子の家に近づかなくなった。事情を知った泰子に勘違いだと諭され、宿泊した夜に事件が突発した。便所から出た浜島の前に斧を持った男児が出現、慌てた浜島は男児の首を絞めてしまう。刑事から、「まだ六歳の頑是ない子に殺意などあるはずがない」と詰難されると、浜島は「あるんだ!」と封印した忌まわしい過去を告白する。 人間の心理を鋭く抉った深みのある作品だが、共感はしなかった。 普通の人は、懐かない子供はいるが、殺意までは抱かないだろうと考える。けれども、浜島は実際に殺人を犯しているので、恐ろしくて仕方がない。罪の意識が妄想を生み、惑乱したのだろう。しかし、例えば六歳の男児が自分に対して殺意を抱いているとして、恐怖を覚えるだろうか。鉈や斧やナイフを自由に操る、田舎育ちの子供でない限り恐くはないだろう。やはり設定に無理があるのだ。 映画は二人の日常生活を平坦に描くが、特に前半は非常に退屈した。二人の仕事ぶりと不倫に到る感傷的通俗劇が丁寧に描かれるのは良いが、事件らしきものが何も起こらないのだ。短編映画を長編映画にした弊害である。浜島の妻が夫の浮気に気づくとか、泰子が保険金殺人などに関わるとか、より複雑な構想が望まれる。また、殺人は未遂に終わるので悲劇性が薄い。 原題は「潜在光景」で、「影の車」は「潜在光線」の収録された短編集の題名だからややこしい。影の車って何だろうと、ずっと考えていた。
[DVD(邦画)] 6点(2015-02-06 13:17:39)
20.  喝采(1954) 《ネタバレ》 
舞台演出家のバーニーは、プロデューサーの反対を押し切り、落ち目のミュージカル・スターであるフランクに出演を依頼する。フランクは息子の不慮の死に自責を感じ、自分に自信が持てず、仕事の重圧に耐えられずにいた。当初、演技に精彩を欠くが、献身的な妻ジョージーの支えと情熱的な演出家の後見により再起を果たし、舞台を成功に導く。 冴えない中年男の苦悩と虚勢が延々と続く、いささか地味な作品であり、感情浄化(カタルシス)は少ない。 フランクは、人気の下落と年令からくる演技の衰えに不安を隠すため、息子の死を利用して、酒に溺れ、自分の自信のなさと無責任さを正当化し、周囲の同情を集めていたことに気づき、それが契機となって再起へ道を歩みだす。ここが最も感動的なところだ。しかしその後の再起の歩みは省略され、すぐに成功の舞台となる。その舞台での演技が以前と較べて清新されているように見えない。 愛想笑いを浮かべ追従を言うプロデューサーに、「批評が出る前に安値で全期間契約を結びたい魂胆なんだろう」と居丈高な態度で臨む。あまりの変りように不自然さを感じるし、不遜とも思える態度には感心しない。男の再起物語に加え、夫婦が愛を取り戻す副物語がある。これがいかにも取ってつけましたという急展開で、演出家がいきなりフランクの妻に接吻して、求婚して、全てを察したフランクが寂しそうに去ると、妻が後を追いかけて抱擁を交わし、元の鞘に戻る。それ以前には、演出家とジョージー間に恋愛感情など見られなかったので、とても情緒的気分には浸れない。そもそも演出家が、世間に忘れられたフランクを主役に据える冒険を敢えてするのかが不明だ。過去に恩を受けたり、深い因縁があるわけではなし。単に昔は素晴らしい演技をしていて、彼に憧れたという理由だが、再起させたいのなら端役から始めれば良いこと。 音楽は古臭く、耳に残るものは無かったが、声は素晴らしかった。 原題の「The Country Girl」は、どういう意図から付けられたのか。田舎娘とはジョージーのことだ。映画の元になった舞台は、夫婦愛を中心に描かれたものだったのだろうか。
[DVD(字幕)] 6点(2014-12-02 13:47:22)
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