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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1246
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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1.  かたつむり 《ネタバレ》 
「ファンタスティック・プラネット」(1973)のついでに見た。ちなみにこれを見て、エスカルゴescargotというのは料理用語という以前に、カタツムリそのものを意味する単語だとわかった。 冒頭で提示される世界像が奇抜なので「ファンタスティック…」のような異世界ファンタジーかと思ったが、その後はあまり変なキャラクターはおらず、基本的にはその辺にあるものが出て来る。自分として思ったのは結構怖い怪獣映画のようだということで(例:「ウルトラQ」(1966)の「ゴーガの像」)、昔の邦画特撮でも時々あったが、人が食われる怪獣モノは子どもにはトラウマ映画になりそうなところがある。下着姿の半裸の女性が好まれていたのは意味不明だが、これは世紀末的な頽廃の表現ということか。 物語としては支離滅裂なようだが何か意味があるような気はした。農村と都市の対立関係とも見えたが、監督インタビューによれば本人が共産主義に心を寄せていたとのことで、どうもこれは革命の話ではないかと思った。苦境に泣かされる農民の怨嗟が原因になって最初の“エスカルゴ革命”が起きたが、それで資本主義が滅びたわけでもなく、一方で革命は形骸化してモニュメントだけが残り、そのため次の“ウサギ革命”が準備されているという意味かも知れない。あるいはそれと無関係に、農民の営みはいつまでも変わらない、というようでもある。そういう社会派的な深読みもできなくはない短編だった。
[ブルーレイ(字幕なし「原語」)] 5点(2020-12-05 08:29:38)
2.  海底軍艦 《ネタバレ》 
名前は海底軍艦だが実は陸海空の万能戦艦で、かえって普通に海上を航行する場面がない(黒と赤の塗り分けが無意味)。見た目は昭和じみて古風な気もするが、劇中の雄姿を見ればシンプルで精悍なデザインだと思わされる。 また怪竜マンダは目がネコなので、大写しの顔が出るとニャンといいたくなった。  物語に関しては、この当時なりに戦争を扱ったものになっている。愛国心など今の若い者には理解できないだろう、と言われた神宮司大佐の娘は、女優が1941.12.17生まれ(開戦のすぐ後、戦艦大和の竣工の次の日)とのことで、戦争中に生きてはいても、戦争自体は覚えのない人々が成人する年齢になって来たという感慨が当時の人々にあったのかも知れない。 それでも戦わなければならない場面というのは依然としてあるわけで、この映画に関していえば、まるで帝国主義時代の感覚で世界に覇権を拡大しようとする悪の帝国を国際社会は許さないということである。海底軍艦は国際連合の要請を受けて出動した形になっており、かつての日本海軍が世界平和のために役立ったというのはまことに喜ばしい。 ただし、ムウ帝国というのは人口何人だったのかわからないが、結局全滅してしまったらしいのは悲惨だ。再生可能エネルギーである地熱を高度に利用していたらしく、技術面で協力できれば人類社会に貢献できたはずだが残念なことだった。  人物の関係では、ヒロイン役の藤山陽子という人は正統派の美人女優のようで、特撮関係では「宇宙大怪獣ドゴラ」(1964)にも出ている。知らない間に娘がこんな清楚な美女になっていたのを見てもっと驚け、と神宮司大佐に言いたくなったが、その娘に大嫌いと言われてしまって大ショックという気持ちはわかる。 また皇帝陛下は小林哲子という女優で、劇中では高貴で高慢な顔をしているが、頬が結構ふっくらして、男と並ぶと小柄だったりして可愛く見える。終盤この人を連れ回して帝国の滅亡を見せつけるのは酷ではないかと思っていたが、やはり悲しい最後だったのは心が痛かった。 ほかに水着モデル(リマコ)役は北あけみという女優で、端役だがなかなかいいキャラクターになっていた。  ちなみに全く関係ないことだが、「ムー」といえば個人的には昔懐かしい雑誌の名前である。今も続いているとは知らなかったが、先日創刊40周年とのことで記念号を買ってみると「読者投稿 ムー民広場」というのがあって笑った。おれもムー民と名乗ってみたい。
[DVD(邦画)] 6点(2020-08-16 09:52:52)
3.  怪獣総進撃 《ネタバレ》 
子どもだまし化が進んでいる時期の映画ではあるが、見ればそれなりに豪華で極端に退屈させられるものではない。題名が抽象的で無個性なのでいつまでたっても憶えられないが、改めて見れば終盤で、中継アナウンサーの言っていた「大怪獣のキラアク基地への総進撃」というのに由来していることがわかった。 内容としては前作と前々作を飛ばして「怪獣大戦争」(1965)の後を受けた形で、宇宙人の地球侵略に怪獣を絡ませた話になっている。敵の宇宙人は地球への移住を計画していたらしいが、本当に美女ばかりなら人類(男)の一部は歓迎する可能性もあり、これは人類(男)の弱いところを衝いてきたかと思ったら、その実体は台詞によれば「生きている金属」とのことだった。危うく騙されるところだった。 怪獣の出し方は「怪獣大戦争」どころでない超豪華ラインナップだったはずだが、ゴジラ以外はどうも地味な連中ばかりのようで、いざ決戦となっても案外貧弱な印象だった。それでも地球人のコントロールが効かなくなった後は、自分らの意思で宇宙人を攻撃するという主体性は見せていたようである。ちなみに地球怪獣が寄ってたかってキングギドラを叩きのめした場面は正直笑ってしまった(無慈悲に首を踏んづけたりしている)。これは悲惨だ(笑)。キングギドラが平べったくなってしまった。 なお大怪獣バランは貢献度ゼロだったが、カラーで見られるところに一応の意義があったと思うことにする。  登場人物に関しては、ヒロイン役の小林夕岐子さんは昭和特撮分野では美貌で知られた人である。予告篇では新人と書いてあり、最初に出た場面で明るい表情で話し始めたのは見慣れない感じだったが、しかしその後は宇宙人に操られて、結局はイメージ通りの冷たい美女になってしまっていた。せっかく新人なのでもう少し可愛らしいところが見たかったが、「お話を終いまで聞いたらどう?」という台詞は昔の(東京の)お母様のお小言のようで聞きほれてしまった。砂浜でも構わずヒールの高い靴のまま歩いているのが高踏的で超然とした印象を出している。 一方の主人公は体育会系の無鉄砲な男で、トラブルがあっても現場の工夫で何とかしてしまう行動力は結構だが、かよわい女性のピアスを「聲の形」(2016)のようにむしり取るのは乱暴で野蛮である。終盤で、敵の攻撃に出ていくこの男の名をヒロインが呼んで悲しげな表情だったのを見ると、将来この二人が一緒になっても苦労させられるだけと予感させるものがあったので、早目に別のに乗り換えた方がいい。
[DVD(邦画)] 5点(2018-11-20 19:37:48)
4.  怪獣大戦争 《ネタバレ》 
まずは冒頭のマーチが勇ましい。 基本的には子ども向け映画だろうが保護者も退屈しないようにということか、男2人のユーモラスな会話とか女優2人の美の競演とかラブコメ風味とか悲恋物語(の断片)を入れてあり、大人が見るのが苦痛というわけでもなく、けっこう幅広い娯楽性を備えた映画になっている。伝統的日本人に比べて外人男の言動があっけらかんとしてドライで、真面目な顔で笑わすようなことを言うのがいい。 X星人は宇宙人でありながらもみな不気味なアジア人顔で、歩き方も特徴的だが特に統制官の手振りが印象に残る。大きな動きは地球人類にも理解できそうだが細かい指の動きなどは意味不明というしかなく、これはまさに異文化の所産というところである。最後の「未来に向かって脱出」という台詞は空虚な負け惜しみ以外の意味が感じられないが、自分が負け惜しみを言う時に真似したいという気にはなる。 映像面ではX星での照明の使い方が印象的で、統制官が意味不明のX星語(グスタrrr、タッ、ブツザッと聞こえる)をつぶやいてから暗転するのは好きな場面である。また、あまり格好いいとはいえない円盤が、湖から水煙を引いて飛び立つところの映像美が東宝特撮らしい。  出演者は豪華というかお馴染みの面々だが、沢井桂子さんという人は特撮方面では珍しい出演者も知れない(ほかには同年の「フランケンシュタイン対地底怪獣」、特撮TV番組「ウルトラQ」第8話)。劇中人物としては可憐で清純そうな女性で、公的な場ではうつむき加減で控え目だが、親しい相手にはそれなりに言いたいことを言っていたようで、態度の使い分けがしっかりしているのが奥ゆかしい。波川女史と2人並んだ場面では引いてしまっている感もあるが、波川女史の応対がこなれ過ぎていて怪しいのに対し、この人の清楚さが際立っているという言い方もできる。 ちなみに最近、水野久美さんの出る「ケアニン ~あなたでよかった~」(2017)という映画を見たが、この映画での「ああ、あの方ね」という台詞で、この女優らしさというのが当時から現在まで継承されていることを改めて確認した気がした。
[DVD(邦画)] 6点(2018-04-08 23:27:58)(良:1票)
5.  火星人地球大襲撃 《ネタバレ》 
「原子人間」(1955)、「宇宙からの侵略生物」(1957)に続く、いわゆる“クォーターマス・シリーズ”の劇場版第3作である。前回から間が空いてしまったために今回はブライアン・ドンレヴィ氏が出ておらず、そのせいもあってかクエイタマス(クウェイタマス)教授がわりと普通の人のように見える。しかし原作・脚本は同じ人物であり、このシリーズらしい硬派でミステリー風の雰囲気は出ているものと思われる。  今回は邦題のとおり火星人の侵略を扱っているが、500万年前という設定のためそれほど荒唐無稽な印象はない。地質年代の過去を語る一方で歴史時代の記録も紐解く形にし、単なる大風呂敷でない堅実なスケール感を出している。人類の起源に関する説明の部分は普通にSF風だが、科学者は超常現象を信じないという割に透視力・念力・悪魔・ポルターガイスト・神話・呪術・魔女まで科学の領域に取り込もうとしていたのが貪欲な感じで、こういうところが主人公らしさということかも知れない。 しかし火星人の意図が何だったのかは正直よくわからなかった。自分らの品種改良の手法(優生学を背景にした民族浄化?)を地球生物にも適用して都合のいい種族を作ろうとしていたのかも知れないが、それが火星人にとってどういう役に立つのかがわからない。教授も人間なので徐々に考えを深めていく過程だったのだろうが、結局最後まで説明不足に終わっていた気もする。 また特殊撮影は明らかに貧弱だが、終盤で光る像が窓から見えているあたりは逃げ場がない感じで少し怖かった。ラストは物悲しい音楽が余韻を残す終幕だったが、これはもしかすると生涯の盟友になるかも知れなかった理解者を失った悲しみということかも知れない。全体としては力の入ったTVドラマという程度にも見えるが、こういう実直な作りのものは嫌いでない。  ちなみに問題のホッブズ通りというのが一体どの時代まで遡れるのかと思いながら見ていたが(東京なら江戸時代よりも前に遡れない)、1763年はともかく1341年の段階でも「ホッブズ通り」という言葉が出ており、その時代からすでに都市街路として存在していたことになっていた。ローマ時代の伝承も残っていたようで、最初からローマ都市ロンディニウムの城壁内だったのかも知れない。教授によれば「あの一帯は沼だった」とのことだが、そもそもロンディニウムという都市名自体が沼地に由来しているとのことである。
[DVD(字幕)] 6点(2016-09-17 19:59:42)
6.  怪竜大決戦 《ネタバレ》 
忍者物の時代劇という位置付けなのかも知れないが、自分としては幼少時に見た怪獣図鑑に載っていたので特撮怪獣映画の扱いとなる。着ぐるみについてはそれなりだが城のミニチュアにはなかなか力が入っており、建築物の倒壊時にはそれ自体が重量をもった木造建築が倒れる感じがうまく出ていた。また個別の場面としては、何といっても塀の上からカエルが黙って覗いていたのがいい出来である。 それから映画の前半で、関門の通過に当たって主人公の正体を隠すため、同行者が難癖つけて打擲してみせる場面はまことに古典的な趣向で時代劇らしいが、この話はすでに「義経記」に載っているので、下手をするとここの門番にもネタがばれてしまう恐れがあったわけである。  ところで唖然としたのはラストの締め方である。自雷也というキャラクターが一国の主として納まるはずがないのはその通りだろうが、それにしても統治の責任を放棄して愛人とともに去るというのは何といういい加減な筋書きであろうか。主人公を助けて死んだ親爺は、彼が近江国を正しく治めることに賭けたのではなかったのか。支配者がいなくなれば民衆はみな幸せ、という発想はあまりに安直で腰が抜けるような思いだった。 一方で登場人物としてはヒロイン役が非常に愛らしい(当時17歳くらい?)のだが、この女優のその後のイメージからすると素直に賞賛するのも憚られる。代わりに村娘を応援するかと思ったら早々に悪人に拉致されてしまい、早く助けないと手籠めにされてしまうのではと心配だったが結局ずっと放ったらかしのままだった。終盤で再登場はするものの、最後はまた放ったらかしになったのも変である。一時はダブルヒロインの重要人物にも見えていたにもかかわらず、この人はストーリー的にどういう位置付けだったのか結局よくわからない。 いずれにせよ最後に釈然としない印象を残す映画だったが、全体としてはまあ付き合い切れないというほどのものではないので、それなりの点数にはしておかなければならないという気はする。
[DVD(邦画)] 4点(2014-01-06 23:46:19)
7.  ガス人間第一号 《ネタバレ》 
純粋なラブストーリーには思えない。男の方は、もとから強かった自尊心が変な能力を持ったことでますます肥大化し、零落した美しい家元を自分が支える、などという妄想に取りつかれただけに見える。単にジェット機パイロットの代替だろう。 また女の方も「本当に男の人から愛されている」という認識以上のものではなく、当の男のせいもあって社会的に追い込まれ、不本意ながら破滅を選択したように見える。まあ女としては精一杯の誠意だったのだろうが、結果として男がしっぺ返しをくらった格好になっていたのは皮肉に思える。 それでも、劇中の刑事と婦人記者の関係が普通に本物だったらしいのに比べれば、どう頑張っても普通にはなれない二人の疑似恋愛と破滅を描いた悲劇と捉えることはできる。映像面でも最後の大爆発は結構な迫力で、特撮映画ならではの壮絶な幕引きだったように思えた。  ところで、この映画で難点と思うのは、メインストーリーを軸にして見た場合に、何でガス人間が出て来なければならないのかわからないことである。構成上は男に特殊能力が必要なのはわかるが、男女関係がからむのであればガス化などというゲテモノっぽいのでなく、せめてもう少し格好いい能力でなければと思う。ここはどうしても違和感が残る。 また個人的な問題としては、どうも登場人物が好きになれないのが困る。まず婦人記者は人物造形としては理解できるものの、自分としては嫌悪を催すタイプなのが正直ちょっときつい。また家元は気位が高いのは仕方ないが、最初に図書館を訪れた場面では、和装なのに変に大股でスタスタ歩いていたのが家業への誠実さに欠けるように思えて、この時点で印象が悪化した(本当の演出意図はわからない)。そのため後で少々しおらしい表情など見せても愛しさが感じられなかった。  そういうことで、全体としては残念ながらあまり愛着のわかない映画になってしまっている。ただし特撮映画としてはこれほどまともなストーリーを伴うものは稀であること、また言うまでもなく八千草薫さんの美貌に目を奪われること、及び東宝特撮の(影の)ヒーローである土屋嘉男氏が素顔で熱演していることを考えれば、決して悪い点は付けられない。 なお八千草薫さんが何で特撮映画などに出るのかと以前から思っていたのだが、考えてみれば少なくとも日舞の素養のない女優では務まらないわけである。
[DVD(邦画)] 7点(2013-05-27 18:59:07)
8.  ガメラ対大悪獣ギロン 《ネタバレ》 
公開時に映画館で見た(同時上映は「東海道お化け道中」)が、記憶にあるのは怪獣が出る場面だけで、ほかはおねえさん2人が悪役だったくらいしか憶えておらず、子どもの認識などその程度だというのがよくわかる。せっかく贔屓のギャオスが出たのに簡単にやられてしまうのは不満だったが、敵怪獣がギャオスを食おうとスライスした場面で、切断面に骨も内臓組織も音叉もなく一様に肉が詰まっていたのは当時の高級ハムのイメージだろう。ほか特撮面でそれほど見るべきものはないが、隕石や第十惑星の岩の表面に赤黄青の光る粒がついていたのは、宇宙の鉱物のキラキラ感を表現するための工夫と思われる。  ところでこの映画でも、前作に続いて異世界探検の要素が含まれており、過去映像が長いのとあわせて姉妹編のようでもある(…ギャオスの超音波で腕が切れる場面は、毎度のことだが痛々しくて見ていられないのでもうやめてほしい)。他の惑星を舞台にしたのは、映画公開の1969年にアポロ計画の月面着陸が予定されていた関係かと思うが、具体的な場所についても、少し現実味のある話にしようとして太陽系内に設定したのかも知れない。 また今回は、子どもとガメラの連係プレーで宇宙人と怪獣を退治する形になっていて、これも子ども向け路線の一つの表現に思われる。子ども2人は例によって小賢しい連中で、悪役のおねえさんにも「うるさい子どもだわ」と言われていたが、やはりみんなそう思っていたらしい。このおねえさんがいかにも悪役然として可愛くないのが最も残念な点だったかもしれない(前作の方がまだしもよかった)。  一方ドラマ部分では、わからず屋の教育ママというのは昔よくあったパターンと思うが、最後は子どもの側でも空想より現実問題が大事と悟り、両者が互いに歩み寄って終わりだったのは気が利いている。またガメラは子どもの味方というのが定着し切っているが、人間世界では大村崑氏が子どもの味方になってストーリーに温かみを加えていた。この人が終盤で「先手打ってきたな」と言う場面は面白く、ほか特に子役の女の子が好演だったこともあって、おおむね好意的に見られる映画だった。
[DVD(邦画)] 5点(2013-01-19 10:06:58)
9.  ガメラ対宇宙怪獣バイラス 《ネタバレ》 
公開当時は見ていないが、トラ模様の宇宙船には幼少時から心惹かれるものがあり、また怪獣の頭部の三つ又がしなやかでいながらまとめると硬質になるという素材感(イラストで見る限り)も面白く思っていた。しかし、後にVHSのレンタルでガメラシリーズを順番に見たとき、この回からいきなり水準ががっくり落ちるので呆れてしまい、つい最近見たばかりの過去映像を長々と見せられるのも非常に苦痛だった。 またストーリーとしては、人類全体と子ども2人の生命を天秤にかけるなど、本来は世界的スケールかつシビアな内容のはずだが、実際は終始能天気な感じで話が進むので重みがない。登場人物に関しても、小賢しく無鉄砲な子どもにばかり焦点が当たり、せっかくの大映新人三人娘があまり活躍しないのには不満が残る(ここは残念)。  ただし、子どもの立場で宇宙船探検を楽しもうとするなら面白いと感じられるかも知れず、宇宙船の各室がみな同じに見えるのも大して気にはならない。また乗員はみな人相の悪い東洋人だったが、これが強面ながらわりと寛容で、子どもの狼藉に対しても穏やかに叱っていたのは大人の態度で感心した。こういう点には子ども向け映画としての優しさを感じる…というか、ちゃんとした大人が子ども向けに作った映画だと思える。 また今回は「ガメラは子どもの味方」というのが台詞にも出ており、実際に子どもが助けられる場面があったのは前作同様だが、加えて子どもがガメラと一緒に怪獣退治をしている雰囲気が強目に出ていたように思う。それがまた見ている大人にとって苛立たしい原因にもなっているが(いちいち指示出しするな!)、まあこれも子ども向け路線の一環ということだろう。  なおこの映画で可笑しかったのは、宇宙船の渡り廊下を跳躍するシステムを子どもが試しても使えず、外人の子どもが「Ben-riなものは、何でも大人用なんだからな」(んり、の発音が難しいらしい)と恨み言を言っていたことで、これは背伸びしたい子どもの心情を捉えていたように思う。
[DVD(邦画)] 4点(2013-01-15 22:03:31)
10.  ガンマー第3号 宇宙大作戦 《ネタバレ》 
[2017-12-16改訂] 公開当時は入替制ではなく、途中入場したところがちょうど「そこを開けちゃいかん!」の場面だったのがトラウマ級の衝撃で、とにかく怖い映画という印象がずっと残っていた。そもそも当時はガンマーという言葉からして怖かったが、劇中の怪物(台詞では「怪獣」)も子どもが親しめる要素などは全くなく、気色悪さと怖さに特化したデザインになっている。大人が見ればどうということはなくても、子どもの立場ではそのように感じたということは証言しておく。  あらためて見れば基本的には昔の特撮映画だが、日米合作のためかけっこう堅実にできており、かえって昭和特撮らしくない。地球に別の天体が衝突する話は「地球最後の日」(1951)や「妖星ゴラス」(1962)に続いてのことだが、この映画と同じく天体を破壊しようとする「アルマゲドン」(1998)より簡単に成功してしまい、あとは「エイリアン」(1979)風に追い詰められていく恐怖の物語となる。特撮は他の怪獣映画も手がけた「日本特撮映画株式会社」が担当していてそれなりの水準だが、個別の場面としては脱出用の宇宙艇が発進するときに、3回それぞれに変化をつけていたのが印象的だった。 また成人後に見ると目につくのが2人の隊長の関係性である。最前線での働きは若い頃の名コンビを髣髴させるということだろうが、しかし今となっては指揮官として明らかな差がついてしまっているのが微妙に切ない。確かにエリオット隊長は人格的に甘いところがあったようで、劇中の出来事を見る限り、判断を誤らせる原因は人助けに代表される人情の問題を優先してしまうことだったらしい。それが事態を悪化させてしまったわけだが、しかし最終的にはそれが親友と地球を救うことにもつながったと解される。タイミングのいいところで人生を切り上げて名を残す、という形に結果的にはなってしまったが、こういう人物に気持ちを寄せたくなるのも年取った証拠かという気にはなる。  ちなみに余談として太陽系内には「フローラ」(Flora)という小惑星が実在しているので、とりあえず台詞の「二等遊星」は「小惑星」のことだと思えばいいらしい。ただし実物は小惑星帯のメインベルト(火星と木星の間)にあり、それが何でわざわざ地球まで飛んで来るのかと素朴な疑問が生じるわけだが、そこは登場人物も「この際原因はどうでもいい」と投げていたので観客としても突っ込まないのが正しい。
[DVD(邦画)] 7点(2011-12-31 16:20:25)
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