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1.  キング・コング(2005)
ふと思ったのだが、これポーの某代表作の拡大でもあるわけだ。開拓民であったアメリカ人にとって、いつか大猿(自然の象徴)に殺されるという根源的な不安があったのでは。「白鯨」の話も、つまり外部の自然への畏れだよね。アメリカ文学の始まりには、いつもそういう不安があった。「良い人だけど犠牲になる有色人種」ってのがアメリカ映画にはよく出てくるが、キングコングだってその線だったんだ。そして白人のみが生き残る。異界を安心して安全地帯から見ていた白人に、その異界が襲い掛かる。常に外で行なわれていた戦争のあとで、9・11が来た不安みたいなものか。記録し続けようとする監督の業が、ちょっと面白く、あれ拡大してみてもよかった。合成があんまり合ってなかったような。映画のリズムとしては、島の部分が長すぎた。
[DVD(字幕)] 6点(2013-12-10 09:47:22)
2.  吸血鬼(1931)
サイレントじゃなかったんだ。サウンド版的だが、声もときどき入る。字幕なしでつらかったのはセリフよりも文章だった。夢魔にどっぷり漬かる体験。影が動いてきて人間の影と重なる。天井。噛まれた女の表情、苦しい表情から邪悪な表情へ。愛するものへ災いをなすかもしれないという不安の中から、悪がヌッと顔を出す。幽体離脱、縛られている女。自分の死体、その棺からの視線。蓋をネジ釘で止めていく回転作業。顔を覆っているガラスの上に立てられるロウソク、そして運ばれていく空の光景。圧巻ですなあ。これと同時上映でやはりドライヤーの『彼らはフェリーに間に合った』という短編も見たんだけど(火事を出す前のフィルムセンターで、デンマークから借りてのなんかの映画祭だった記憶)、交通安全キャンペーン用の映画。疾走する現代性と死神の古典性が対比されているのではなく、疾走感そのものの中にまがまがしさが感じられるあたりがミソ。たぶんこれが初めてのドライヤー体験。全編疾走している映画で、後に彼の他の作品を見るようになり、その地味さにびっくりすることになる。あの疾走の記憶は正しかったのか今では不確か。
[映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2013-11-13 10:14:30)
3.  祇園囃子
姉妹(名目上の)の世代の差・時代の差。たとえば若尾文子が登場するときは洋服である。木暮実千代は若尾と浪花千栄子の中間の世代で、だからどっちの言いぶんも分かる。それだけにつらい。若尾もそれは分かっていて戦前の『祇園の姉妹』のように、一方的に責めるわけではない。浪花にやはり凄味、「それはお金のある人が言うことえ」と、ビシッと決めてくる。上方人のネットリした暗さを出すと一番でしょう。東京のホテルの部屋、窓の外に切り絵のようなビルがあり、上を欄間が切ってて、なんかこのセット、戦前ぽいと言うか、モダニスト溝口の残り香を嗅ぐような気がした。その一方で木暮の家を出たとこ、直角に路地が通ってて、分かれ道と言うか、一方に田中春男が去っていき、一方の奥では花火やってたり、狭い感じが懐かしい。モダニズムと日本情緒、監督の美意識の二極がうかがえる。
[DVD(邦画)] 8点(2013-10-28 09:48:02)
4.  虚栄のかがり火
冒頭のB・ウィリスの長回しの印象がどうしても強い。酔いどれてホテルに到着してから会場に行き着くまで。カートに乗ったりエレベーターに乗ったりしつつ、わざと失敗を許されないようなアクションばかり織り込んでいる。お盆を引っくり返したり、ケーキを手づかみで壊して壁に投げつけたり、「長回し」というドキュメントを見ている感じで、これでいいのかな、とか思ってるうちにT・ハンクスの物語に入っていき、やがてウィリスも絡む。検事や黒人宗教家をもっと膨らませ、全体をグツグツ煮立ってる「虚栄の都市」として笑い飛ばせればよかったのに、あんまり笑いが弾けてくれない。デモのふりして自宅に帰ったところのパーティシーンなんかけっこう良かった。猟銃撃っても、みんなただ笑うばかり。判事までは笑い飛ばせなかったところが弱点。「裁く人」になっちゃって、説教しちゃう。B・ウィリスは良かった。どこか一途になりきれない雰囲気があり、人物にゆとりが生まれてる。
[映画館(字幕)] 6点(2013-08-03 09:54:19)
5.  キンダガートン・コップ
シュワルツェネッガーが幼稚園の先生をやってるってとこに、面白味の大半がかかってて、面白くなくはないんだけど、だいたい予想の範囲内ってとこね。笛吹いて鍛えてくってのには閉口。そしてリンカーン演説でアメリカ精神を真っ直ぐに謳いあげていく、非常時の娯楽映画って感じで、そういう気分だったのか、当時のアメリカ。犯人が子への愛ゆえってとこが、切ない。というよりも、孫への愛に狂う母親の影響ってとこ。狂えるママって怖い。だいたいほかにも脇の若くない女優陣がよかった。中年以降の女優ってアメリカ映画はうまく使える。邦画はうまく使おうとしない。もったいない。途中幼稚園シーンに、も少し犯人側の動きを入れてもいいんじゃないか。コメディとアクションが、うまく融けあってくれてなかった。
[映画館(字幕)] 6点(2013-07-15 09:37:21)
6.  逆噴射家族 《ネタバレ》 
劇画的に汗がタラーッとなるアップ、お父さんが風呂の湯垢を掬っているカット、広角レンズで街を走りシロアリ駆除液買って地下鉄の中を進み、夕景の中チャリンコ飛ばす。ここらへんイッキの勢いでよかった。このままスラプスティックに徹してくれればもっと良かったんだけど、社会批評的なものが紛れ込んでしまう。妻の描き込みが足りない。あの人だけがときどき「裁く人」になってしまう。小林家崩壊のシーンは、スローモーションにしないと安っぽくなってしまうからなんだろうが、あの手のスローモーション自体がそもそもセコい感じが匂ってしまう。協力のところに「日本シロアリ協会」があったのがウケた。
[映画館(邦画)] 6点(2013-06-30 09:57:22)
7.  気狂いピエロ
倦怠から手応えのあるものを求めて逃げ続ける話。そしていつものごとくあっけなさに収斂していってしまう。自然の曖昧な色調の美しさと原色の対比。あと「煙」ってのもある。サロンでの倦怠のタバコ。高速道路で燃えてる車の煙。ラストだって爆発といった瞬発的な快感が、次第に曖昧な煙に分解してしまうわけだし。最初の逃走シーンのイキのよさ。カメラがグルグル回り、室内・ベランダを回る人の動きが、車に乗り込んでいくまで、なんとも快感。ガソリン代踏み倒し新しい車へ。中断するサスペンス調の音楽。こういった疾走の快感を、どうしても倦怠で受け止めなくちゃならないのが、ゴダールの世界観なんでしょう。世界はいつもあっけなさに待ち伏せされている。
[映画館(字幕)] 7点(2013-06-19 09:43:40)
8.  去年マリエンバートで
一番楽な解釈は「記憶とはこうあやふやなものです」なんだけど。去年のことか今年のことか分からなくなる迷宮としての庭園と建物。ラストで逃げようとする二人が今年なのか(去年だったらこうして今年出会う必要がない)、それならそれを回想している話者は、いつの時間に所属しているのか。手すりから落ちた男、夫に撃たれた妻は誰の想像なのか、などありまして、結論のない推理小説なのだ、と割り切ってしまえれば、一番いいのだが。引き出しから写真が出てきて…なんてあたり、ゾクッとする瞬間は多々あります。ゆったりとした移動の美しさは、間違いなく実感。フランス語ってのは、こういう元気のない映画にはピッタリですなあ。
[映画館(字幕)] 7点(2013-06-13 10:01:16)
9.  キャデラック・レコード ~音楽でアメリカを変えた人々の物語~
民俗音楽の研究家が南部黒人農夫の唄を収録する。レコードとはもともと記録のことだったわけで、とりあえず記録する目的で収める。農夫はそのことで自分の唄が価値を持つことを知り、町に出てくる。「レコード」の歴史として正しいスタート地点。アメリカ黒人ポップス史の年表を繰っているような映画だ。適度に当時の黒人の扱われ方の描写を織り込み(警官には殴られる・レストランを借り切っても給仕してくれない)語っていく。もっと「人間」が描かれたら、と思うものの、そしたらたぶん音楽史を背景にした普通のドラマになってしまい、時代が発酵しているような気分を捉えられなかっただろう。年表を繰る楽しみに限定した。ウルフなど次々と現われてくる癖のある男たちもいいが、中盤で登場するエタのビヨンセに聞きほれた。前半のフツフツ発酵する濃すぎる時間で、こちらが自然にノビのある女声の歌を求めていたのが分かる。言葉の正確な定義を知らないので間違っているかもしれないが、男たちがブルースの路線で自分たちの音楽を広げていたのに対し、エタはゴスペルの晴れ晴れしさを行ったのか。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2013-06-12 09:43:57)
10.  キッド(1921)
終わり間近「夢の国」の場になる。登場人物たちが羽根を生やして失楽園を演ずる。いちおう子どもを失ったチャップリンの内面世界ととれるが、ジェラシーとかイノセントとか、それまでのストーリーからは浮いていて、現代人の目にはとてもヘン。これは活動写真が見せ物だった時代の名残りと思うのが一番いいのではないか。ワイヤーアクションで舞台の芸人が飛びかっているような見せ物。古いミュージカル映画のラスト近くにも、筋から自由になった長めのダンスの見せ場がよく置かれる。私は勝手にカデンツァ(協奏曲のコーダ近くにある独奏者の見せ場)と呼んでいるのだが、あれも映画が見せ物だった時代の名残りではないかと想像している。映画がストーリー(筋)に屈伏させられないよう抵抗しているようでもあり、ああいう無意味が氾濫する場を終盤に用意するのは、もと見せ物客だった観客に対するサービスだったのではないか。日本の昔の村芝居では義経が人気だったので、ストーリーに関係なく「さしたる用はなけれども」と言いながら義経が舞台を通り過ぎた、という話はよく聞く。決して無意味が無価値ではなかったかつての演劇の活力を、映画は受け継いでいたはずなのだ。舞台が意味に覆われてしまったイプセン以後の近代演劇のほうが異常なのである(いま思ったのだが、植木等の「およびでない」のコント、大好きだったが、これと関係してないか)。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2013-05-25 09:36:48)(良:1票)
11.  気違い部落
日本に紹介されるトルコやアフリカの映画では「土地の掟」の苛酷さがしばしばテーマになる。日本にはなかったのかっていうと、正面からぶつからなかっただけで、曖昧に受け入れたナアナアの民主主義の裏で、「因襲」は「世間体」などと姿を変えて生き続けた。『青い山脈』だって『砂の女』だって、けっきょくその日本の社会の閉鎖性を描こうとしており、渋谷実もそれをたびたびテーマにした。戦前の『母と子』の男性社会批判の視線は、本作でも主人公の妻である淡島千景にある。ただせっかく森繁の解説者を導入するという秀逸なアイデアを用いたのだから、村の渾沌をドキュメンタリー的に提示した前半の手法で全編を貫く勇気が欲しかった。後半は伊藤雄之助が裁き手になって、分かりやすいドラマになってしまう。ま、そうなりそうなところで、ストレプトマイシン売ってしまうなんて展開になり、あそこらへんの持って行き方はいいんだけど。チョボイチやってるとき父の死の知らせが入った中村是好の反応や、死んだバアさんの入れ歯を使う藤原釜足のギャグで笑う。奥様と呼ばれたくてアッパッパを着て階段の上に立つ三好栄子がやはり凄い。葬式のあと庭で踊るとこも。
[映画館(邦画)] 7点(2013-05-22 09:59:35)
12.  客途秋恨 《ネタバレ》 
香港中国返還のころって、いい映画が多かった。故郷というものに敏感になってたんだろう。家族が離れ離れになったり、神経が研がれていた。まして監督は母が日本人で、さらに複雑になる。ふしだらでわがままで奔放な母と娘の物語、っていうジャンルがあるな。たとえば日本なら『香華』とか。やや黄色みを帯びたマカオ時代の回想が美しい。おじいちゃんのおなかでの昼寝。ゆっくりと後退していくカメラ。まるで子どもを起こしてしまわないように。そして南由布への旅。街全体が記憶の中に沈んでいるような美しさ。イギリスの大学院を卒業して、を会う人ごとに繰り返す母。鬱陶しい母であるが、母の別の面も次第に見えてくる。山口百恵のポスターのあるビリヤードでの和解。そしてハンコを作るのが泣ける。小さな楕円形の故郷、墓のようでもある。で香港に残り、テレビ局に勤めることになり、これで終わるかと思っていると、とっておきのラストシーンが待っていた。病気のおじいちゃんのとこへ行くの。青っぽい色調。詰めた息をゆっくり吐き出すようなフェイドアウトが繰り返される。もうおじいちゃんのおなかの上には乗れない。失われた良きものが凝縮している。しかしそれは失われねばならないものでもあるという認識があって、脚本が孝候賢チームの呉念真なんだ。ラストは橋、どこかとどこかをつないでいる一本の橋。マカオ、香港、台湾、日本と東アジア全体をつなぐように。
[映画館(字幕)] 8点(2013-05-05 09:38:42)
13.  君の名は 第三部
短期間築地のほうにあった松竹直営の名画座「松竹シネサロン」ってので、総集編で見たんだけど(500円)、わざわざ新規登録しないでも、ここに書いていいですよね。ハモンドオルガンの響きが、たまらん。日本のメロドラマに合ってる。宗教性のない非日常の賛美歌と言うか、普通の人なら一生のうちに一度訪れるか訪れないかという「人生の緊迫した充実」を、みなで協力し合って長引かせようとしてる世界。メロドラマとはそういった「純粋」の持続競争なんだ。この二人、みなに愛されるのに、不可能なお互いの愛だけに賭けていく。当人自身が不可能へ不可能へと追い込んでいく、その凄絶さ。家族崩壊劇として、まさに戦後の物語でもあった。主人公二人はただただ愛に殉じ透明になっていき、そのぶん旦那の浜口が、いい人からネチっこいコンプレックスだらけの人物に変容していくのがメロドラマの技法。「黒百合の歌」ってのは、これの第二部の挿入歌だったのね。
[映画館(邦画)] 6点(2013-02-27 09:46:34)
14.  狐の呉れた赤ん坊(1945)
これは『東京五人男』よりも終戦直後なのか。映画そのものより、製作会議のほうに興味が行っちゃう。とにかく負けたほうが復讐する話は駄目らしい、そもそも刀を振り回すのが駄目らしい、と不許可条項を列挙していって、しかしそこは伝統ある日本の時代劇、あれが駄目ならこれと引き出しは豊富だ。人情ものなら大丈夫そうだ、占領国アメリカには『キッド』もあった、何度も繰り返し映画化された「三人の名付親」の話を思い出したものもいただろう(たとえばW・ワイラーの『砂漠の生霊』)。荒くれた男たちが赤ん坊をあやす図は、いかにも平和国家に改心した日本にふさわしいのではないか、などと会議を早々に済ませ、数週で一本の映画を撮り上げてしまう当時の映画会社のバイタリティに感動する。「実は大名の御落胤」ってあたり、かえって終戦直後で大時代な設定を使えたって気もした。翌年ぐらいになると、これは封建的だろう、と組合からクレームが付いたんではないか。  
[CS・衛星(邦画)] 6点(2013-01-20 09:20:31)
15.  君と別れて
心が内に籠もってくるとロングショットになる魅力。母が、自分の職業を息子が嫌っているのでは、と述懐する橋のシーン。登場人物が周りの風景が目に入らなくなってきたところで、逆に観客にその周囲の風景をぱっと広げて見せてくれる。その人物の心細さや、満たされない辛さが、ふわっと浮き上がり品のいい湿り気を帯びて見えてくる。あるいは田舎の海岸で、若い二人の会話をカットバックで切り返し、微妙に互いの心を探り合っている緊張を高めていって、ついに水久保澄子が「どこか一緒に行ってしまいたい」と言ったところでロングショットになる。この効果は絶大で、変に役者に表情を作らせるよりももっと自然に、次の「嘘よ、嘘よ」につなげることが出来る。相手との緊張が高まった果て、ハッと内に籠もる瞬間をロングショットで描いたわけ。後年になると道が奥に続いているシーンでのロングショットが絶品なんだけど、これでは先に挙げた橋のシーンに至る部分で一回あった。吉川満子と水久保澄子が長い影を道に横たえながら奥へ歩んでいくカットの美しさに陶然。これは成瀬自身のストーリーなのね。母と息子、父と娘とが対になっているけど、どちらも男がだらしないんだ。突貫小僧が相変わらず笑わせる。『生れてはみたけれど』の翌年か。
[映画館(邦画)] 8点(2013-01-11 10:18:43)
16.  極北の怪異 《ネタバレ》 
カヌーから次々と家族が出てくるところ。海岸のセイウチ猟、腹這いになって近づき向こうが気づくあたりの緊張、仲間のセイウチが沖から心配そうに見守っているところ。家づくりのシーン、ナイフ一丁で窓まで作っちゃう。小さな穴を通してロープで引っ張り合う。向こうから犬ぞりが来るその広さ。などなどが面白かった。今では異文化の暮らしはテレビによってさして珍しくないものになったが、止まった写真ぐらいでしかなかった知識が、動く映像で見られるリアリティは大きな違いだったろう。そのことは人々の世界観を大きく変えたはずだ。フィルムは民族を熱狂によって閉じることにも使われたが、打ち破って広げていく方向にも使われた、そっちを信じたい。モンゴルの遊牧民の映像なんかでも思うのだが、ああいう簡単に移動できる社会で、家族単位の次の地域社会ってのはあるのだろうか。なんかその方向に「地域で閉じない新しい社会」のありようの可能性が秘められているようにも思えるのだが。で本作、あくまで生活中心に追っていく。生活の厳しさは主に犬によって表現されていた。飢えて吠える犬、ブリザードの中で真っ白になっての遠吠え。
[映画館(字幕)] 8点(2012-12-23 09:52:21)
17.  キクとイサム 《ネタバレ》 
イサムが帰ってこないところがいい。あっちはあっちで頑張っているんだろう、という余韻が残る。お婆さんも頭痛かったわけで、自分の死後のことも考えなければならないし子どもたちもいとおしいし、子どもたちの幸せを考えてはいるんだけど、どうすれば一番いいのか分からない。このお婆さんの「分からない」はそのまま作者の「分からない」でもあるんだろう。首吊り失敗は『にんじん』を思わせるが、朗らかに描かれるだけに、決意の痛みも伝わってくる。差別ということ。ちょっと振り返る視線、ひそひそ話。しかし実際に田舎にこういう子が来たら人目を引くだろうし、心理的にハッとするのも差別になるのか、などと考え出すと難しい問題です。「売れ残り」と言ったり、赤ん坊事件がわざとではないかという噂が立ったりするあたりの残酷さが水木洋子の腕。積極的に排斥しようとはしないが、出てってくれれば地域としては波静かで歓迎、という形での差別なんだな。
[映画館(邦画)] 7点(2012-11-25 09:48:12)
18.  喜劇 にっぽんのお婆あちゃん
これはもう邦画脇役大会というか、配役眺めているだけでニコニコしてしまう。おっとりの東山千栄子、いいとこの女中の浦辺粂子、満州帰りで英語の岸輝子、ナイチンゲール勲章(『ひめゆりの塔』!)の原泉、ドラ焼を盗ったらしい村瀬幸子、そしてもちろん北林谷栄に飯田蝶子。男も、山本礼三郎、上田吉二郎の二大悪役に喧嘩させ伴淳を遅れて登場させる憎さ。中村是好、渡辺篤、菅井一郎、殿山泰司もいる。ジッパーを上下させているのは何て言ったっけ。斎藤達雄のドクター、まだ忘れてないか、看護側で市原悦子、織田政雄、小沢昭一、ちょい役の警官に渥美清(まだちょい役で当たり前の時代だったのか)。こういう贅沢を社会派監督に提供してもらえるとは思わなかった。家族と一緒より養老院のほうが幸福かもしれないという『にんじん』みたいな見方を提示し、でも養老院だって極楽というわけではなく、ドラ焼き食べた疑いが掛かったりするように、そうそうノビノビしていられるわけでもない。フォークダンスの暗鬱さが秀逸。全体はユーモア優先で、こういう映画も作るのか、と思っていると、最後のミヤコ蝶々の家族描写がずっしりリアリズムで、監督の本性が剥き出しになった。「お風呂行かないんですか、行かないなら行かないとおっしゃってくれなくちゃ」。題材が題材だから、もっと展望があってホッとさせる展開にしてほしかったが、社会派は暗く問題提起しないといけないらしい。音楽がモダン、60年代は50年代と違うな、と思いました。
[映画館(邦画)] 7点(2012-11-12 09:59:55)
19.  魚影の群れ
こちらの心が不純なせいか、長回しのシーンはつい撮影風景を想像してしまっていけない。クレーン移動は心地よいけど。拳と十朱の再会シーンと追っかけとか。父と婿の、というより先輩と後輩の和解シーンはちょっとホロッとした。たとえ本人が死んでも本人がやっと釣ったマグロを捨てるわけにはいかん、このことで初めて漁師仲間に入れてもらえた、ということで、忠臣蔵の勘平みたいなものか。この仲間に入れてもらえぬ焦りが重要なモチーフであった。この閉鎖性は否定されるべきものだが、漁師の側からすれば「あんまりいい仕事じゃないよ、娘に苦労はさせたくない」という気持ちもあり、しかしマグロ獲りの誇りも強く、娘の亭主は漁師でなければならぬ、と思うわけ。そういうあれこれがあるので、ラストの「マグロ一匹百万円か、いい仕事だべなあ」のセリフが生きてくる。最初のマグロ釣りのシーンが一番の迫力だった。
[映画館(邦画)] 7点(2012-11-09 09:57:31)
20.  キング・オブ・コメディ(1982) 《ネタバレ》 
この主人公モロに『タクシードライバー』の子孫で(シナリオは違う人)、行動の過激さ・対人距離の不安定・憧れの女性の存在、など揃ってるが、あっちほど神経症的でなく、けっこう好き。ラストの裏返しが決まってるんだな。どうしようもない気違いだなあ、と思わせといて、今までのドラマだったら、あのトークショーは客に受けないはず。紙の観客相手に練習してたりするのなんかは、だいたい「受けない」のの伏線だと思うわけ。ところがこれが受けちゃうんだな(本当のこと言ってるのがジョークになっちゃうおかしさ)。男の狂気に集中していくようにドラマが展開していって、ラストでくるっと裏返って、世間・マスコミの狂気がサーッと広がっていく怖さがいい。逃げたJ・ルイスが街でそのテレビを見たときの表情もいいし。
[映画館(字幕)] 8点(2012-10-04 09:58:18)
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