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onomichiさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 404
性別 男性
ホームページ http://onomichi.exblog.jp/
年齢 55歳
自己紹介 作品を観ることは個人的な体験ですが、それをレビューし、文章にすることには普遍さを求めようと思っています。但し、作品を悪し様にすることはしません。作品に対しては、その恣意性の中から多様性を汲み取るようにし、常に中立であり、素直でありたいと思っています。

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1.  いつか読書する日 《ネタバレ》 
気持ちというものは、言葉にして初めて形になる。他者に表明して初めて具現する。そうでない時、それは得体の知れないものとして在る。表情として、仕草として、態度として、それは明白なものでは有り得ない、、、と僕は思う。 田中裕子と岸部一徳は、お互いにお互いを意識する間柄であるが、それは今の日常に踏みとどまるよう気持ち(言葉)を抑えることで成り立っているが故に、彼らの中には、「得体の知れなさ」が、幻想として肥大している。時々、敢えて言葉にしてみることにより、自らの感情を認識しつつ、それはガス抜きされる。いわゆる「恋」である。倦怠さを超えて尋常かつ切実に繰り返されてきた30年間に渡る「恋」のファンタジーである。  唐突であり、また都合のよい展開。それもファンタジーとしての物語である。  30年間思い続け、それが成就するというファンタジー。「恋」を扱った物語として、それは必然の展開なのではないか。  「いつか読書する日」というのは、いつか彼女が買い揃えた文芸小説を心静かに一人読んで過ごす日(は「そのこと」を超えないとやってこないということ)を指し示しているのだと僕は思った。そして、過剰な思いや欲望を意識しつつ、自ら抑圧した長い日々があり、言葉を紡いだ「その日」があり、お互いを心のままに求め合った瞬間があり、それらが想い出に変わる日々、瞬間を永遠のものとして、これからようやく様々な物語を自らに引き入れることができるのであろうことを暗示しているのだと思った。もちろんそれが解釈として妥当なのかどうかは分からないけど、この映画がそういった想像を含め、様々な思いを喚起させることは間違いない。  幾多の社会問題を散りばめながら、その関係性の中でさざめく日常があり、日常を超えて持続した「恋」のファンタジーがある。胸を突く、感動的な映画だった。 
[DVD(邦画)] 9点(2010-03-05 00:40:57)
2.  イントゥ・ザ・ワイルド 《ネタバレ》 
ジョン・クラカワーの原作はクリスのアラスカ入りまでの放浪生活を追い、彼が出会った人々を広く取材して、その行動と言動を丹念に拾い集める。このノンフィクション・ノベルは一人の青年のセンセーショナルな死を出発点としているが、クリスという一風変わった、それでいて実に魅力あふれる青年の生き様を様々な角度で描き抜いていることが最大の面白さであると感じる。 クリスの人物像。彼は単なる自分探しを求める夢見がちな若者の一人ではなかった。トルストイとソローをこよなく愛する厳格な理想主義者で孤独と自然を崇拝し、それでいて真に文学的な青年でもあった。理知の上に立つ無謀さ。心に屈折を抱えながらも自らの強さを過信するが故に様々なものが赦せなかった青年が2年間の放浪の中で、そして荒野での生活によって徐々に変化し、生きる可能性を掴む。人々とのふれあいの中で心を残す。最終的に彼は死んでしまったけれど、彼の生は、彼と出会った人々の心に確実に生きている。そのことが伝える生の重みを原作であるノンフィクション・ノベルは拾い上げ、そして映画が主題化し物語として紡がれた。  映画は正にショーン・ペンの作品となっている。原作はクリスという人格を外側から炙り出すパズルのような構成となっているが、映画はクリスという実体の行動を中心にして話が進められる「物語」としてある。原作によって炙り出されたクリスという人間像をショーン・ペンは自らの思想性によって肉付けし、物語の主人公として見事に再生させた。映画は、70年代ニューシネマ風のロード・ムーヴィーとして観ることができるだろう。ニューシネマの掟通りに主人公は最後に死んでしまうが、そこには明らかに「光」があった。この光こそ、ショーン・ペンの映画的主題である現代的な「赦し」の物語なのだと僕は思う。クリスが真実を求めた先に見えたものは、ふれあいの中で知った人の弱さであり、そして大自然に対した自らの弱さであった。彼は自らの中で家族と対話する。自分が自分であることを認める。そして、全てを赦したのだと僕は思う。そういう物語としてこの物語はある。  現代に荒野はもう存在しない。彼は地図を放棄することで荒野を創出し、その中で自らの経験によって思想を鍛錬しようとした。荒野へ。理知の上に立つ無謀さ。これこそが失われかけたフロンティア精神の源泉で、現代の想像力を超えた強烈な憧憬なのかもしれない。
[映画館(字幕)] 10点(2009-03-18 20:31:29)(良:3票)
3.  硫黄島からの手紙 《ネタバレ》 
素晴らしい映画だった。僕は前作『父親たちの星条旗』のレビューで、クリント・イーストウッドは個人という矮小な物語から戦争という壮大な物語を描いてみせる、ということを書いた。今、彼の硫黄島2部作の後編というも言うべき『硫黄島の手紙』を観終わって、正に我が意を得たりとでも言おうか、その感想に聊かの変化も感じていない。  この映画の主人公は一兵卒、西郷であろう。(彼は狂言回しではなく、この物語の主人公である) その弱々しくも人間的なキャラクターから硫黄島戦を捉えたとき、この映画は戦争という極限状態における個人的な側面をその切実さとともに描き出す。クリント・イーストウッドは戦争という局面の中でも執拗なまでに「人間」を描くのである。ほぼ全編にわたって硫黄島戦の経過をなぞるように場面が進んでいく為、『硫黄島の手紙』は『父親たちの星条旗』と違い、硫黄島戦の史実を日本軍側から忠実に描く戦争記録映画として観ることもできるだろう。しかし、主人公の西郷、そして、栗林中将、元憲兵の清水の過去、その個人史がフラッシュバックで描かれる、その短い場面に込められた登場人物たちの「生きる想い」、その凡庸でありながら、普遍的な切実さこそがこの映画に込められた最大の「祈り」であり、それが僕らの心に自然に、そして重く受け止められるのである。  西郷は生きる。彼は逃げ続けることによって、生を得る。そして彼は言うのだ。 『私はただのパン屋です』  私は愛する妻と未だ見ぬ娘に会いたい、彼女らに会うために祖国に生きて帰る、そういう自らの真実に支えられて戦場を生き抜く、そういうただのパン屋なのです。  ただのパン屋であるという西郷の真実。それとともに、西郷が清水の死に触れて流す涙、栗林を看取る際の涙、それは単純ではない人間の(ある意味でパン屋であるということを越えた)在るがままの涙であり、そのことの重みが僕らの胸を強く掴む。 彼は誰にも知られずに誓った「生きて帰る」という信念を貫いたわけだが、そういう個人的な正義を僕らは誰も非難することなどできない。何故ならばそういった人間の信念が戦争という狂気の中で揺らぎ、繋ぎとめられる、それこそが戦争というものであり、クリント・イーストウッドが伝えたかった信念であろうと僕は思うのである。
[映画館(字幕)] 10点(2006-12-10 17:59:01)(良:1票)
4.  イン・アメリカ 三つの小さな願いごと
素晴らしい映画。確かにファンタジーに救いを求めすぎているかもしれない。家族の欠損を強調しすぎているかもしれない。しかし、僕はこの作品に素直に感動した。「私が一家を支えてきたの!」少女クリスティが父親に言った言葉は、僕らの心に素直に響く。この一言はジョニーを救ったのと同時に確実に僕らの心を捉えるのだ。クリスティは傍観者であり、記録者であるように演出されているが、実は家族を支える、アリエルを守る、マテオを導く、そして僕らをも支えるイノセンスのキャッチャー(The Catcher)だったのではないか。彼女の歌う「Desperado」がデジタルカメラを通して僕らに問いかける。Why don't you come to your senses? 僕らは誰しも埋められない欠損を抱えて生きていく。そこにもし信じられるものが何もないとしても、「信じること」そのものを守るクリスティのような存在にこそ、僕らは癒され、救われるのだ。
9点(2004-03-22 01:14:33)
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