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1.  伊藤くん A to E 《ネタバレ》 
木村文乃がそれぞれ正対して聞き取りしていく四人の女性との切り返しショット。 これが、終盤の彼女の「彼女たちは私なのだ」という科白にも絡むのだろう。 長回しを効果的に使い、美術と人物の配置をよく考えながら、時に突き放し、 時にはキャラクターの心の動揺に不安定にシンクロしつつショットを作っている。 ラスト近くの木村と岡田の対話ではその中に陽光を的確に採り入れる芸当なども見せてくれる。 ヒロインの涙の芝居に対しては、そこであえてカメラを引いてくれれば言うこと無しなのだが。  浴槽の中を潤し満たしていく水道の流水音が、彼女の生命力を表すように響き渡る、といった演出もなかなかいい。
[映画館(邦画)] 7点(2018-01-17 22:17:10)
2.  IT イット “それ”が見えたら、終わり。 《ネタバレ》 
この空間は不気味である、この父親は危険である、という特定のムードをことごとく音楽が先回りして告知してくれる。 いかにもこれから何かが起こりますという感じの不穏な音色が高まっていき、サプライズの瞬間にあわせて、 最高潮の不協和音がシンクロして観客を脅かす。押しつけがましく。 このパターンの繰り返しなので最後にはさすがに飽きる。  廃屋の禍々しい雰囲気だとか、貨物列車が走る手前を少年らが一列になって歩くスタンド・バイ・ミー的情景だとか スライド映写だとか、ノスタルジックな感情を喚起させてくる部分もいろいろあるのだが、 虚仮脅しのやたらな連発がそれらの印象を弱めてしまうのである。
[映画館(字幕なし「原語」)] 5点(2017-11-04 23:52:52)
3.  息の跡 《ネタバレ》 
小森はるか監督は、『論集 蓮實重彦』にも寄稿されていて、やはりその土台には佐藤真監督の精神があることがわかる。  荒涼とした土地を行きかう車両の通過音が何らかの伏線のように、時に静かに時に賑やかにずっと鳴り響いている。 バンやトラックなどの作業用車両が多かったことを映画のラストで改めて思い起こし、 七夕祭りの山車や棟上げ式の賑わいと共に、それが失われゆく風景であったことに気づかされる。 作中で佐藤貞一さんが語る、柱の残った家の話。それもまたラストで分解され宙に突き上げられる井戸の管のショットと 図らずも重なり合うあたりも映画の不思議とでも呼びたい。  カメラを向けられた佐藤さんのなんとも魅力的なジェスチャー、英語を朗読する声、独白。それがカメラ側にいる不可視の小森監督に幾度も向けられ、 最初は遠慮がちに返答する監督を次第に映画に巻き込み、引き入れていくような感覚が楽しく、また感動的だ。  映画のラスト、佐藤さんが渾身の力でタネ屋を解体していく姿が強烈に印象に残る。
[映画館(邦画)] 9点(2017-09-21 00:08:07)
4.  インフェルノ(2016) 《ネタバレ》 
映画にブレーキをかけがちな謎解きを抑え気味にして、冒頭から一気に逃走劇に突入していく手際がいい。 記憶も不鮮明なまま事件に巻き込まれるトム・ハンクスが、ヒロインと共に複数の組織から追われる展開が主となり、なかなかにスリリングである。 そこにロン・ハワード的な落下や水のイメージが溢れ、観光映画の趣ともよく融合している。 が、アップのショットの多さは辟易するし、アパート裏口からの脱出や壁の乗り越えなど、危機突破の具体的描写が弱いと思う。 アイデアの貧しさ以上にアクションの撮り方の不味さである。  トム・ハンクスとシセ・バベット・クヌッセンが雨の中で見つめ合うメロドラマ的な回想パートは 水のモチーフとも相まって情感のあるシーンだ。
[映画館(字幕なし「原語」)] 6点(2016-10-28 22:37:59)
5.  怒り 《ネタバレ》 
俳優陣が熱演と称して盛大に泣きまくる映画だろうというのは劇場予告の段階でわかるし、実際に映画の後半はそういった展開となる。 確かに俳優らはみな力の入った芝居を見せ、音楽は心に染み入り、そして笠松則通のカメラは絶品と云って良いくらいである。 妻夫木聡らを照らし出すネオンの艶。揺れる波光が繊細な照り返しとなって投影される宮崎あおいと渡辺謙の切返しショット。 あまりにも痛ましい広瀬すずの強姦シーンの暗い木影と、ラストで青い空と海へと歩み出す彼女の横顔を明るく照らし出す白光。 全編、気合の入りまくった照明テクニックが光と闇のモチーフを鮮烈に浮かび上がらせる。  各エピソードはフラッシュバック・フラッシュフォワードを時折織り交ぜながら、そして台詞や音を相互で巧みに重ね合わせ 一つのうねりを作ろうと試みているのがわかる。  後半はどうしても説明頼りになり、泣き芝居・絶叫芝居に陥ってしまうが、そこがいかにも日本アカデミー賞好みという感じである。
[映画館(邦画)] 7点(2016-09-18 19:35:29)
6.  インデペンデンス・デイ: リサージェンス 《ネタバレ》 
コンピュータ処理のドッグファイトにもデストピアにもモンスターの造形にも、もはや既視感しか覚えない。 いわゆるテンプレート。新しいものなど、何一つない。古びた最新作である。 あれやこれやの作品のパーツを劣化コピーして継ぎ接ぎした、アトラクション映画。だから、位置関係がとか距離感が云々などは、云うだけ野暮。 大津波のサスペンス&アクション演出など、数年前の『カリフォルニア・ダウン』に完全に負けている。 でもって、敵方エイリアンを含めて魅力的な登場人物というものがただの一人も登場しない。 とってつけたようなロマンスとか、友情とか、親子愛とか、自己犠牲とか。鼻で笑ってしまう。 同じ予定調和のラストミニッツレスキューでも、グリフィスとは大違い。ドキドキもハラハラもしない。
[映画館(字幕なし「原語」)] 2点(2016-07-29 23:01:54)
7.  いちごブロンド 《ネタバレ》 
BGMかと思われていた調べが実は劇中の楽隊の演奏だとわかる、という具合に、ドラマの流れに沿うように音楽が活かされている。 ライオンの口のショットから酒場で歌う男の大口のショットへと繋ぐ場面転換や、素っ頓狂な声で笑う娘など、 ギャグも音声的・音楽的で軽快だ。  冒頭の猫と犬の喧嘩や、リタ・ヘイワースの帽子を弄ぶ馬など、動物の活躍も楽しい。  公園のベンチを舞台に演じられるキャグニーとハヴィランドのシチュエーションは3度。 そのささやかな場でのやりとりが、二人が段階的に育んでいく愛情の効果的な演出となる。  1度目の出会いで見せる、彼女のウィンクのキュートさ。 2度目の出会いの場では二人に落ちる枝葉の影の揺れがシーンの情感を美しく盛り上げる。 3度目の出会いの、切り返しからツーショットへの流れ、キャグニーの誠実な科白一つ一つがハートフルで素晴らしい。  そしてラスト、ハヴィランドは止めの笑顔とウィンクを見事に決めてみせる。
[DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2015-11-20 23:55:21)
8.  インサイド・ヘッド 《ネタバレ》 
都会へと引っ越す車を捉える横移動のショットに『となりのトトロ』の冒頭ショットがだぶる。 ラストの大ジャンプと司令塔への激突ランディングは、『カリオストロの城』の二段跳びのアレンジに近い。 そもそも、登って落ちて再び大上昇という垂直空間でのアクションをドラマに絡ませるセンスが宮崎駿流だ。  それと同時に、『トイストーリー』シリーズがそうであるように「家に帰る」というジョン・フォード的主題をも継承する。  ヨロコビの帰還と共に、少女もまた家族の待つ新しい家へと帰る。  予定調和のシンプルな物語を豊かに視覚化する、立体的な舞台設定とカラーリング。 陽性のキャラクターを体現するヨロコビの活力ある身体表現の素晴らしさ。  活劇には成りえなさそうな題材がここまでテンポの良いアクションに仕立て上げられてしまう。
[映画館(吹替)] 8点(2015-09-07 16:52:59)
9.  イニシエーション・ラブ 《ネタバレ》 
おそらく夏頃中心の撮影だったのだろう。 俳優のスケジュールの都合もあるだろうから仕方ないにしても、 完全に落葉しているはずの時期の場面にイチョウが紅葉していたりと 冬の場面の撮影にどうしても違和感が強い。  本作の場合、月日の設定は重要な要素なのだから季節感の演出には もう少し気を遣って欲しい。仮にも恋愛ものでもあるのだから。  季語に当たるショットを後から少し撮り足すだけでも違うだろうに。  騙しの伏線張りに手一杯の作り手にそこまで望んでも仕方ないが。  映画の中盤、産婦人科から出てきた前田敦子を松田翔太が迎えるシーンに吹く 風と木漏れ日がようやく映画らしさを伝えるのだが、同時にここでようやく この映画がシネスコサイズだったことに気づかされる画面の貧しさも何ともはや。  原作由来とはいえ、往時のヒット曲垂れ流しも風俗アイテム羅列も ただたださもしく見えてしまう。
[映画館(邦画)] 3点(2015-05-26 21:29:17)
10.  インターステラー 《ネタバレ》 
往々にして、理論だの考証だの物理法則だのに囚われるほど 映画からかけ離れるものである。 それらのルールに忠実に沿いながらも、どこかでそこから飛躍する、その瞬間こそが 映画の醍醐味といえるだろう。 そのような荒唐無稽な瞬間の楽しさはこの映画で云うなら、 例えば時計を介した父娘の交感であったり、兄妹の唐突な抱擁であったりだろう。  本作でもまた「重力」は重要な要素なのだが、では娘が「ユリイカ!」と叫びながら 宙に舞わせる紙のショットはあれがベストなのだろうか。  マット・デイモンがマシュー・マコノヒーを突き落とす地表の高低差の感覚は あの程度で良いのだろうか。 その危機の場面で、地球側で父への不信感を募らせる娘の姿を 幾度かクロスカットさせる手法は効果的なのだろうか。  母船を乗っ取られそうになるシーンで三者の位置関係の提示がまるでないのは サスペンス演出上、どうなのか。 視覚からではなく、理屈でシーンを形成しているのが明白である。  そうした画面のあり方への疑問は数限りない。  
[映画館(字幕なし「原語」)] 6点(2014-12-13 00:29:41)
11.  イコライザー 《ネタバレ》 
デンゼル・ワシントンが操るフラッシュ・ライト。 タンカー爆発の炎を背景に浮かび上がる彼のシルエットと、高速度撮影の外連。 モスクワのシークエンスでの、明滅するランプに さらにはホームセンター、ダイナー、アパートでの照明戦術。  『エンド・オブ・ホワイトハウス』でのローキー画面も記憶に新しい ノワール監督アントワン・フークアが、さらに様々な形で光と深い暗闇を使いこなす。  マウロ・フィオーレによる艶かしい夜の闇の見事さは開巻から絶好調である。  クライマックスではしたたかに「雨」をも画面に呼び込ませ、デンゼル・ワシントンの 瞳を美しく潤ませる。 割れるガラスも、スプリンクラーの雫も、本作においては闇の中に煌く光としてある。  主人公が様々な場面でテーブル上のアイテム(本、髑髏、眼鏡etc.)を扱う動作は、 キャラクター描写だけにとどまらず、時に意思表示となり、 時にアクションそのものとなる。  女が絞殺されるシーンで、窓外にカメラが引く絶妙な呼吸がシーンの緊迫をより煽る。 クロエ・グレース・モレッツの表情と彼女の一言「Thank You For Everything」 の響きは彼女の悟りを物語って感動的だ。。  CDの感想に言及させない脚本や、過剰なBGMに不満はあっても、 映画ならではの視覚的面白さは満載である。   映画のラスト、まるで『ヒート』へのオマージュのように「NEW DAWN FADES」が鳴り響く。素晴らしい。 
[映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2014-10-25 22:26:08)
12.  いのちの食べかた
いずれのショットも画面にパースをつけ、厳格すぎるくらい厳格に構図を決めている。 その画面領域の中で動植物・人間・メカニックそれぞれがせめぎ合う様が スペクタキュラーだ。 その奥行きを強調したカメラ移動は、その産業の構造的スケール感を否応なしに 感じさせる。(延々と続く厩舎、延々と下るエレベーター等など)  そしてここには「機械的で規則的な運動のリズム」(長谷正人 『映像という神秘と快楽』)がある。  映画に登場するベルトコンベアー作業の数々は一見、単調で「無機質」でありながら、 それは無意識に規則正しく心拍運動し生命を維持する人間とも通じ合う。 ゆえに、そこには心情に拘らず、 リズミカルな反復運動に同調する「映画的快楽」が逆説的に伴う。 その規則の中に不意に現れる小さな不規則の面白さがまた引き立つ。  音楽を一切廃すること、言語解説による意味付けを一切廃すること。 それによって観客は反復のリズムを体感し、動植物の肉声・質感を感受し、 意味から開放される。  動植物への同情や憐憫や感謝。それらの単純な感情を喚起する自由を保障しつつ、 作り手はまず、様々な運動と色彩と音にあふれた画面そのもの、つまりは 本源的な映画の面白さを受け取ることを 求めているに相違ない。  断片的なショットに、奥行を意識した構図。機械と動物と、食事する人物。 まさに映画の定義に適った、リュミエール的な映画じゃないか。 
[DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2014-09-19 00:21:59)
13.  インスタント沼
麻生久美子とふせえりが自転車に乗って並び走る。 ふせの一言一言に麻生のペースは落ちたり上がったりと、刻々変化する。 画面比として大きくなったり小さくなったりというその表象的リアクションを、 カメラは後退移動のロングテイクで延々と捉えている。  やがて画面右手には線路が見えてくるロケーションだ。 ならば間違い無くやってくれるだろうと思いつつ見ていると、 果たしてその長廻しの中盤とカット尻、狙いすましたかのように 通過する山手線の車両の緑を二度画面端に入れ込んでいる。 そのタイミングが絶妙だ。 線路を写したならそこにぬかりなく列車を走らせる、 映画の作り手としてのその律儀さ。そして色使いに対する拘りの徹底ぶりが嬉しい。  単に衣装や小物や美術での配色ならさほどの難度はないように見えるが、 本作で麻生が纏う衣装のバリエーションは半端ではない。 緑のダンプカーの配車も大掛かりだ。  その上でさらに、自転車のシーンのような手の込んだ芸当を 軽やかにやってのけるあたり、侮れない。 そうして拘り抜いた眼に優しい緑の配色が心地いい。  映画前半は、しゃがむ、病床で横たわる、沼に沈む、埋もれるというモチーフから 後半は快晴の中、飛翔する、上昇するというモチーフへ。 いろいろとよく考えてもいる。   
[DVD(邦画)] 7点(2014-01-20 12:25:35)
14.  イースター・パレード
ステッキを華麗に操るフレッド・アステアのスローモーションの素晴らしさ。  続いてそれを舞台袖で見つめるジュディ・ガーランドのショットが挿入されることで、 そのスローモーションは彼女の見た目のショットであった事に観客は気づかされる。  そこで単に妙技と躍動を披露する映像だったものは、 彼女の思い入れを伴った情景へと昇華する。  それは終盤のアステアとアン・ミラーのダンスも同様だ。  二人のダンスをテーブル席から一人見詰めるガーランドの姿が二度挿入されることによって、 その優美なダンスはそれ以上のものとして彼女の視線に倣った感情をもかきたてる。  映画の中でガーランドのダンスシーンは決して多くはないものの、 ダンスを見つめる視線という卓抜の仕掛けによって、 彼女は映画の感情を担うヒロイン足り得ている。  通行人を振り返らせようとする彼女のヒョットコ顔が楽しく、 ドア越しに拗ねる彼女の仕草がいじらしい。  暖炉わきのピアノを弾き、歌いながら愛情を確認するアステアとガーランド。  二人の視線のドラマと、彼らに緩やかに寄り添いながら背景の暖炉の炎を二人に 一体化させていくカメラワーク、彼女の纏う淡いピンクのドレスの色彩、 そして「It Only Happens When I Dance With You」 が集約され、 絶品のラブシーンだ。 
[ビデオ(字幕)] 9点(2012-06-13 23:46:49)
15.  1911
大予算・大スケールの弊害も顕わにいわゆる「偉人」らのドラマに偏向し、「民衆」は戦争スペクタクルを構成するその他大勢としてしか表象されない。 よって、群像ドラマは散漫な印象しか残さず、なんらエモーションを呼び込まない。  建国における「歴史に残らなかった命の物語」という、どこかジョン・フォード的なモチーフを標榜するなら、皇太后を始めとする朝廷側の描写はもちろん、同盟会指導部の描写すら省いても全く差し障りなかったはず。  視点を黄興なり、革命軍一兵士なりに限定したほうが余程良かった。  画面構成はその深度においても視点においても、「民主的」とは程遠い。  序盤からジャッキー・チェンの中指を失わせ、アクションを封じておきながら、半端なサービスシーンを入れてしまう辺りも興醒めだ。  そもそも、アクションスターの宿命的なワンマン性と、歴史群像劇との相性が悪すぎるのではないか。
[映画館(字幕)] 3点(2011-12-12 23:32:58)
16.  インセプション 《ネタバレ》 
水飛沫を効果的に使った高速度撮影の用法と複数のクロスカッティングが、時間感覚の設定と巧く絡み、クライマックスのカウントダウンにはそれなりに切迫感がある。 チームメンバーの分散と各階層の分散によって、5つのシチュエーションのクロスカットを何とか強引に纏め上げたのは流石というべきか。それも、ハンス・ジマーの劇伴にかなり負っているが。  反復はクドく、主体が分散しすぎで、親子のドラマ、夫婦のドラマ、メンバー間のドラマと欲張ったもののいずれも冗長かつ中途半端で盛り上がらない。設定には凝る一方、アクションパートは付け足し感覚で、展開にはまるで緻密性を欠く。(夢だからね。)  夢には欠かせない水のイメージは豊富で良い。(波打ち際、土砂降りの雨、水槽、川)
[映画館(字幕)] 5点(2010-08-16 23:09:41)
17.  息もできない 《ネタバレ》 
対峙する人物達のすぐ後方あるいは真横に密着する手持ちカメラは同化の効果と圧迫感を生み、勝手口で諍う姉弟の場面の生々しさなど一部では非常に効果を挙げている。が、開巻から延々と繰り返されるカメラの不自然な揺れはあまりに煩わしい。海外市場志向の韓国映画のひとつの傾向というべき主流ハリウッド大作スタイルに対する浅薄な模倣が明白だ。キャメラをぶん回してうわべの迫真とスペクタクルを捏造する撮影にはうんざりする。もっとも、暴力的手ぶれショットがほぼ全編にわたるゆえに、娘と主人公が何度か並び座り、膝枕するシーンでの静かな叙情が逆に活きてくるのも事実だが。フィックスで暴力を冷然と凝視し、絶命の過程を大幅に割愛する小津作品の省略の凄みと過激さ。または北野作品のそれと比較するのは酷か。
[映画館(字幕)] 6点(2010-04-10 23:13:21)
18.  インビクタス/負けざる者たち
フランソワ(マット・デイモン)との初対面の場面で、マンデラ(モーガン・フリーマン)が「逆光は苦手だ」と白い窓外を背にするが、作品自体もバックライトは控えめで、全般的に柔らかい順光主体の照明設計が窺える。スプリングボクス否定派が占めるスポーツ評議会の会場玄関に大統領が登場するショットも、一瞬『ダーティ・ハリー4』でのシルエットのような外連味を期待してしまうのだが、そこでもマンデラには順光を当てる配慮が為され、その姿に暗い陰影が落とされることはない。従来の、特徴的な光と闇のきついコントラストはスタジアム会場通路や夜明け前の散歩場面で印象的に用いられる以外、できる限り抑制されている風に見えるのは、モデルへの賞賛と作品がもつ「融和」というポジティブな主題から来るものと理解した。陽性のカメラは、チームが黒人地区で子供たちにPR活動を行う場面では彼らと共に楽しげに動き回りもする。その連帯感に満ちた軽快なカメラワークも素敵だ。視覚効果の技術・用法も相変わらず素晴らしい。エンドロールに載る多数のCGスタッフが最も注力しただろうクライマックスのスタジアムの大群衆などは実景そのもので、まるで違和感がない。適材適所の効果的なCGあってこそ伸びやかなカメラワークが活き、極上のスペクタクルになっている。  
[映画館(字幕)] 8点(2010-03-07 17:34:13)
19.  イングロリアス・バスターズ
テーブル上の一点を浮き上がらせる不自然なスポットライト(第一章の屋内場面や第四章の地下酒場の場面)、背後からのライトで俳優の輪郭線をまばゆく浮き上がらせるアクセントの利いた画面(第五章のメラニー・ロランの化粧場面など)は、撮影ロバート・リチャードソンの真骨頂。真上からの俯瞰を組み合わせたドラマティックな移動撮影や、しかるべき見せ場において抜群の効果を発揮するクロースアップの仰角ショットなど、変化に富んだアングルと構図も映画のエモーションを増幅する。映画館の踊り場、梯子、床下、地下酒場、映画内映画の鐘楼など、垂直構造を活かした舞台設計の巧さゆえである。各ショット自体の素晴らしさもさることながら、主に4箇所で用いられるスローモーションの効果、地下酒場における銃撃戦の細かいカット割りといった編集の緩急も見事だ。 役者でいうなら、やはりクリストフ・ヴァルツが圧巻である。限定空間かつ椅子に座っての演技が主ながら、表情と手の所作のみで優れて活劇的な画面を作り出している。演劇における転調のタイミング・音楽的なエロキューションがとても素晴らしい。
[映画館(字幕)] 9点(2009-12-13 13:02:54)
20.  いとはん物語
身分・性差に囚われない私的な舞台として登場する、二階屋根に外接した見晴らしの良いもの干し用広縁が良い。鉢植えの美しい菊が並ぶその空間は、お嘉津(京マチ子)と友七(鶴田浩二)の接点となり、花々や刻々と変化する夕焼け空の色、二番星・三番星の明かりがアグファカラーの郷愁を帯びた色調で豊かに彩られる。そして何といっても映画の白眉といえるのは、箱根の写真を契機に広がるお嘉津の夢の場面である。奇跡的というべき金色の夕焼け雲の下、裾野を並び歩く京マチ子と鶴田浩二の小さなシルエット。その叙情的なロングショットと伊福部メロディの絶妙な融合具合は両者の数あるコンビ作の中でも随一と思われる。
[映画館(邦画)] 10点(2009-04-07 22:42:58)
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