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1.  戦争の犬たち(1980・アメリカ)
「見てから読むか、読んでから見るか」。フォーサイス作品に限っては、読んでから見ているせいか、映画はどうしても大味に感じてしまうんだけれど、衛星放送で久し振りに見て、どうも、公開当時、同じ頃に公開された「ワイルド・ギース」とゴチャゴチャになっていたらしいと気付いた。本作の醍醐味は、ドンパチそのものより、その下準備と駆け引きとか裏工作で、戦争っていうのは、こうして起こっていくものだというプロセスは、ちょうど今の、世界規模の戦争への駆け引きに符号するものかもしれない。クリストファー・ウォーケンの突き放したようなシニカルさは、シャノンのイメージを際立たせている。最後の、「買い戻せ」って冷たく言い放つところは、好きだなぁ。
7点(2003-02-25 22:31:08)
2.  戦場のピアニスト
好き嫌いは、分かれる。特に、若い人には、嫌いという意見が多く出るかもしれない。主人公は、ナチスの迫害に果敢に立ち向かうわけでもないし、地下運動で地道な抵抗を続けるわけでもなく、収容所での過酷な労働に耐え忍ぶわけでもない。彼の才能を知る人々によって、窮地を脱し、自身の無力に涙し、飢えと虚無感に絶望しながら、ただひたすら、息を殺し、食料を漁り、逃げ惑い、隠れ住むだけである。ただ、それが、痛い。痛ましいまでに、人間の、生きることへの自我を曝け出していて、痛い。そして、彼の自我を支えていたのは、ピアノを弾くこと。廃墟になった病院の中、朦朧とした意識の中でも、あるはずのないピアノを弾いていた姿は、胸に迫る。そんな一方で、生きることへの自我を支えていたはずのピアノを前にしても、缶詰を離そうとしない姿、ドイツ将校の差し入れた食料を泣きながら食べる姿は、哀れなまでの極限を描いている。「神に感謝をすればいい」。その才能によって人々に助けられ、生き延びた彼に出来ることは、ピアノを弾くことだけ。本作を観ながら、やはり戦争は嫌だなぁと、思う。被害者になることよりも、自分や自分の家族の為に、もしかしたら自分こそが無意識に弱者を踏み躙る加害者になるかもしれない可能性が、嫌だ。好き嫌いは、分かれると思う。それでも、大掛かりな仕掛けもなく撮られた本作は、当時のポーランドを扱った映画としては渾身の一作であり、エイドリアン・ブロディの演技は、秀逸である。ただ、一人の視点から描いた作品だけに、もうひと押しという部分は、ある。
9点(2003-02-18 22:27:55)
3.  セブン・イヤーズ・イン・チベット
ブラッド・ピットの役者センスが、最も良く分かる作品。あれほどの容色、あれほどのカリスマ性を持ちながら、本作に集約されている引きの演技、受けの演技は、いっそ見事。本人が「自分は性格俳優」と言っているせいか、それを意識している為なのかは分からないが、ブラッド・ピットという役者は、作品における自分の位置を正確に把握し、尚且つ、自らの役を主張出来る、稀有な役者である。本作は、ブラピ以外には目立った役者はいないにも関わらず、デビッド・シューリス=アウフシュナイターはピット=ハラーに変化をもたらす上、必要不可欠な存在として光っていたし、無論、少年ダライ・ラマは、言うまでもない。というより、少年ダライ・ラマが一種孤高の存在として描くことに成功しなければ、本作の主旨そのものが嘘になり、子役であるワンジュクを、いかに引き立てるかが本作の難関であり、ブラッド・ピットは作品の主旨を良く理解していた。少年ダライ・ラマを引き立てた引きの演技は、ブラッド・ピットが作品全体を見ることの出来る役者センスを持っている何よりの証しであり、ブラピ・ファンとしては痛し痒しだが、この役者は、準主役が最も適役なんだろうとも思う。が、それだけに、ブラッド・ピットには、1度でもいいから、「行け行け、俺様!!」的な主演を演じて欲しいなぁと、思ってもしまう。そう、1度でもいいから、さ。
9点(2003-01-24 01:18:40)
4.  セブン
本作の主演は、サマセット=フリーマンであり、対峙するのはジョン・ドゥ=スペンシーであって、ミルズ=ピットは狂言回しである。狂言回しが適当でないなら、水先案内人である。本作のように、主演も対峙者も表面に出て積極的に動かないキャラクターである場合、物語を進行させる役がどうしても必要なのである。それが、ピット演じる自信家で過熱気味の若手刑事ミルズである。だが、この役所は、物語を引っ張っていく牽引力は必要だが、主演になっては駄目なのだ。ミルズが過熱気味に暴走すればする程、主演のあるいは対峙者の深みなり底知れなさなりが強調されれば、ミルズの狂言回しの描き方は成功したと言え、フィンチャーは、実に巧みに描いている。ただ、物語の収束は、いささか物足りない。スペンシー=ジョン・ドゥが「妬み」の罪を引き受けて半ば自殺的に殺されるのでは、いかにも自己満足の所産に過ぎない。当て馬にされたミルズこそ、いい迷惑である。物語の展開からすれば、ラストは、署に戻ってきたサマセットに、ジョン・ドゥの弁護士が依頼人から預かったメッセージを渡し、そこに「妬み」の文字と、そもそもの発端だった失楽園のフレーズを見て愕然とするサマセットの方がインパクトがある。「いかにも沈着冷静を取り繕ってきた老練の刑事さん、貴方だって例外ではない」と。ミルズの若さ、向こうっ気の強さ、愛する妻、愛する努力、そして授かった子供への自覚の無かった妬み。本作中のサマセットの苛立ちとは、そういうことではなかったか。自分だって、そういう年齢があったにも関わらず「若いって、いいわねぇ」とは、年寄りの常套句であり、何より、七つの大罪の中で、「妬み」こそ、おそらくは誰もが持ち、避けられない負の感情であるはずだから。いずれにしろ、本作は、ブラッド・ピット主演と思って観ると、何か消化の悪いものでも食べたような気になることは間違いない。
9点(2002-11-04 00:57:45)(良:1票)
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