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1.  世界の中心で、愛をさけぶ
これは流行に乗って原作読んでたんで、脚色とはこうやるものか、と随所で思った。エピソードをうまくあっちとこっちをつなげたり、生き生きさせている。人物の来歴に手を加えたり(アキが弔辞読む先生とか)、いろいろの加工の跡を見るのが楽しかった。原作のネタをあちこち動かして、シナリオライターが自分の世界にしていく。編曲の楽しみと言うより、コラージュ現代美術みたいな感じ。たぶん原作より締まった。そして反復される台風の空港、長回し。ヘンデルにヒントを得たと思われる音楽が流れている。
[DVD(邦画)] 6点(2014-03-12 10:13:59)
2.  戦火のかなた
ほとんどのエピソードについて言えることだが、言語の複数性、各国語が交わされ通じにくい状況が描かれる。米兵とシチリア娘のほそぼそとコミュニケートが取れていた状況に、不意の銃弾のショックが来る。さらにジョーのために銃を取った娘が独軍に殺され、しかも米兵にはジョーを殺したと思われてしまう。すべての理解から遮断されて、崖下に落とされている一個の死体の孤絶。戦争の残酷さをこれからこういう切り口で見せていくぞ、という姿勢を第一話から明らかにする。少年と黒人兵、社会の弱者同士がかろうじて話し合うが、連帯のような深いつながりには至れない。英会話教本を読む娘も同じ。映像が張り詰めているのは、フィレンツェの市街戦。影がくっきりと浮かび、煙もなく人影もほとんど見えない世界で、ロープに引かれた台車だけが、街角と街角を細くつなげている。修道院で泊まることになった従軍司祭のなかに、ユダヤ教やプロテスタントがいることを知っておろおろするユーモア。ロッセリーニの後の世界につながっていくテーマだ。ここでは缶詰の文化と500年の修道院とがコミュニケートする。そしてラストで、穏やかな川の流れに残酷な死を畳み込んでいく。これまでいくつかのコミュニケーションの可能性の情景を綴っていったラストに、戦争とはつまりコミュニケーションの可能性の放棄なんだ、ということを文鎮のようにドンと重く置く。
[映画館(字幕)] 8点(2013-09-28 09:35:02)
3.  ゼロ・シティ 《ネタバレ》 
この監督の『ジャズメン』てのは、この国には珍しい屈託のない映画だったが、これはちゃんと屈託のある映画。国は崩壊直前で、どうしても歴史に目がいってしまう時期だった。博物館の蝋人形たち、向こうの人が見ると、なんかいちいち笑いが起こったシーンだったかもしれない。その精気のない歴史の展示。馬鹿馬鹿しくもあり、奥に悲痛さを秘めているようでもあり、動けなくなった哀れな国民たちの自画像でもある。ケーキのシーンなんか充実。コックの自殺がある。あの国は自殺に見せかけた殺人に近・現代史は彩られており、改革派と保守派の軋轢が背後にあるわけだが、主人公は改革派の目玉に祭り上げられて当惑しているみたいなのがおかしい。今までのあの国の映画では集団の動きの勝ち負けが重視されてきたが、ここでは個人の当惑が描かれている。彼はロックで踊るより、民謡を歌いたがっていた。そういう保守的人間が改革派の旗になってしまう悲痛さ、でもある。改革でも保守でもどっちでも同じ、個人がグループに追いやられてしまう動きの連なりが、つまり「歴史」ってこと?
[映画館(字幕)] 6点(2013-09-21 10:11:05)
4.  絶叫屋敷へいらっしゃい 《ネタバレ》 
金曜日に見るにふさわしい映画で(土日だったらもうちょっと歯応えがほしい)、二日たてばきれいに忘れてしまい、次の週に引きずらない。お化け屋敷もの。落とし穴あり、滑り台あり、迫り来る壁あり、でも庭にジェットコースターがあるのは珍しい。テーブルにおもちゃの汽車がまわる仕掛け。仕掛けのある家の面白さってのは何なんだろう。初めて招かれたよその家に対するある種の緊張を具象化するとこうなるのかな。ブラジル人二人組はなんか中途半端でした。若者グループと警官がピストルを突き付け合うとこ、彼らが老判事を見てワッハッハと笑うとこ、結婚の誓いをもぐもぐと口ごもるとこ、再度乗り込んで警官たちがニッコリ笑って「判事」というとこ、などなど。アメリカは麻薬に対してはほんとに厳しい。
[映画館(字幕)] 6点(2013-05-30 09:47:45)
5.  戦争と平和(1947)
時代を考慮に入れればあんまりキツいことも言えないが、後半の登場人物の物分かりのよさは、ほとんど不気味と言ってもいいくらいで、まったく人間味が感じられなかった。でもかえってそんなところに、史料としてのフィルムと言うか、時代の雰囲気の記録があった気もする。前半での軍国の妻が近所の人にチクリと言われるとこなんか、なるほどと思う。顔のアップが多かったのは、プロパガンダ性の強いフィルムでは常套映像だが、もっとロケをいっぱい時代の記録として撮っておいてほしかった。宮島義勇のカメラがちょっと凝ってて、発狂した池部良をめぐって三人の顔が次々に画面を占めるシーンの照明とか、川岸でヒロインが泣いて動くと向こうに池部が立ってるってのを繰り返したりとか、やってる。ミシンという機械は、人がかがみこんでいる姿に神経症的雰囲気があるなあ。
[映画館(邦画)] 6点(2013-03-30 09:50:16)
6.  瀬戸内少年野球団 《ネタバレ》 
敗戦後の地方小都市における風俗カタログという感じで、それ以上でもそれ以下でもない。つまり、ああこういうことあったな、とか、こういうの知ってる、とかうなずきながら観る映画。それはそれでもいいが、篠田監督ならもっと何かを加えてくれても良かったんじゃないか。登場人物がみな泣きすぎる。こんなにメソメソしていられた時代だったんだろうか。亭主の帰還や再会でいちいち泣くのはまあ理解できても、ラストで加藤治子が貰い泣きするのは、不必要に思えた。これまでの篠田作品はちょっとスマしたような感じが鼻に付くとこがあったんだけど、その反動か、これでは真面目な人間が無理に冗談言ってるようなぎごちなさがあって、けっきょく寛げない。月夜の砂掘りや、室内で少年たちがスイカ食べてるシーンなど美しかった。こんなにノスタルジックに語られるほど昔のことになってしまったのか。
[映画館(邦画)] 6点(2013-03-03 09:36:33)
7.  戦争と青春
実に正しい作品ではあるんだけど、同じことを反復してるだけでいいのか、という苛立ちも感じる。そりゃもちろん「何度も語らねばならない」と言われればそれまでだし、製作者たち一人一人の熱意をからかう気はなく尊重したいが、繰り返すごとに「津波警報」と同じで、緊迫が薄れていってしまい、かえってこういう反復が「戦争の記憶」を遠くへ押しやる加速度を付けてるんじゃないか、いう気もするんだ。このちょっと前に日本で公開されたドイツの『ナスティ・ガール』なんてのと比べても、日本の風土の甘さを感じた。ちょっと視点を工夫して、国防婦人会のおばさんたちの心なんかをこそ見詰めるべきなんじゃないか。弟が赤ん坊を渡されたときに「非国民の子ども」と思ったあたりをもっと突き詰めるべきだったんじゃないか。とは言え、この遺作が今井監督で唯一封切り時に観た作品でした。
[映画館(邦画)] 5点(2013-02-18 09:51:05)
8.  西部戦線異状なし(1930) 《ネタバレ》 
ドイツの話だから自由に軍隊批判を出来た、ってことより、やっぱりこれ当時の世界的ベストセラーの映画化ってことで描けたんでしょう(日本ではこの映画より先に斎藤寅次郎が『全部精神異状あり』なんてパロディを作ってる)。ペンタゴンから文句言われても、原作があるんだから仕方ない、って言える。エピソード集の形をとって、反軍のメッセージが込められたシークエンスが展開し、群像ものとしても見られる。長靴が兵士の死を渡っていくエピソードなんかいい。塹壕の中で初めて敵を殺した兵士のヒステリックに赦しを請う態度から、翌朝「戦争とはこういうものなのさ」と“正しい兵士”へ“成長”していってしまう怖さ。そして突撃シーンの壮絶、無駄に死んでいくことがただただ強調され、勇敢さは微塵も感じられない。煽り立てている教師のところに戻って訴えるシーンなぞいいのだが、この映画が作られた後にも、原作の国と映画化の国とで第二次世界大戦が起こり、さらに朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争、その他その他が繰り返し起こっていることの脱力のほうが、重い。戦争は嫌だなあ、という不快感は万国民共通のはずなのに、それがちょっと「国のメンツ」を突つかれると、たちまち「戦争やむなし」の大合唱になってしまうんだ。/確認のため年を調べたら、原作の発表が1929年で、斎藤の映画と同年だ。原作発表すぐに翻訳が行なわれ、すぐにパロディが作られたのか。それとも話題作ということで題名がまず伝わり、それだけで一本のパロディ映画を作ってしまったと考えたほうが、当時の活力あった邦画界にふさわしいな。
[映画館(字幕)] 9点(2012-09-04 12:35:06)
9.  戦場のメリークリスマス
ここに登場する兵士たちは、みなヨソモノなんだ。侵略者と被侵略者という分かりやすい関係ではない。兵隊としてジャワに派遣されたものたち。カルチャーショックってのは、ヨソモノがほかの生活圏へ行って起こすのが普通だが、誰も土地に結びついた生活をしていない。日本側も英国側も、同じ無重力状態でカルチャーショックを起こす純粋実験をしているようなもの。自分の土地は遠くにある。朝鮮人兵の処刑のエピソード。日本式のハラキリで自決を迫られるということで二重に屈折した屈辱があり、そこで遠くの母国の言葉で「アイゴー」と叫ぶ悲痛さが増す。それに対してオランダ兵が自殺するのは、自分に親切にしてくれた彼に対する申し訳なさといった個人的な殉死のようなもの。それを日本兵は公的なものと見て礼を尽くそうとする。するとそれを英国側は個人に対する侮辱と取って引き上げようとする。ここらへんの二転三転する考え方のズレが面白く、それも自国の風土から離されているためにかえって「自国民の考え方に忠実であろうとする」純粋実験の場となってしまった結果なのかもしれない。そういった緊迫に満ちた映画で、そのゴツゴツとした手触りが大島ならではのものだった。一番美しいなと思ったシーンは、隊列を組んでほかの土地へ出ていく兵士たちのなかに、ロレンスがハラを探して、黙って見送るとこ。あとでの再会シーンよりもあそこでジーンとした。それと大島作品で重要な歌のシーン。俘虜たちはしばしば抗議をこめて歌い、想い出の中では弟が歌う。戦争と対照的な個人的・内省的なものとして歌があり、また団結の象徴としても歌がある。そしてテーマ曲、静かなガムランを思わせるメロディが土地の精霊のように、このヨソモノたちの間を埋めていくように・あるいは分離していくように、漂い流れていく。
[映画館(字幕)] 8点(2012-08-12 09:52:12)
10.  世界の始まりへの旅
年寄りが作る映画ってのは、老人には世界がどう見えてるのか、ってな興味でも観てしまう。ただ見えるだけで世界が慈しめるのかもしれない。木漏れ日の中の人々だけで美しい。マストロヤンニはこの監督の役が遺作となり、やはり監督を演じた代表作と帳尻を合わせて去ったことになる。言語の問題ってのがありそう。甥がポルトガル語を喋らず、フランス語を喋ることにこだわる伯母。いちいち通訳を介する会話のすべてを映画は記録している。日本のスクリーンではそれぞれの翻訳された字幕が繰り返されるだけなんだけど、フランスやポルトガルの人にとっては味わいが生まれているのだろう。アイデンティティの問題。この忘れ去られたような土地の同一性と、他者が激しくぶつかっているサラエボと、同じヨーロッパの端と端にあって、こっちの土地が死に絶えたとき、そこが世界の始まりになるって言うのだろうか。よく分からん。マルチェロは、実際に疲れきっているのか・疲れきった役を見事に演じているのか分からないけど、映っているだけで画になる。
[映画館(字幕)] 6点(2012-06-27 09:26:02)
11.  セーラー服と機関銃 《ネタバレ》 
『スーパーマン』のM・ブランドはしっかり浮いていたが、そこいくと我らが三国連太郎はすごい。大奮闘。ちゃんとコミック的な世界に溶け込んでいる。ああいう敵の巣窟の映画ってのが懐かしく、また廊下での撃ちあいも懐かしく、なんかそんな懐かしさに一番こころ撃たれた。長回しもたしかに面白いが、芸術上の必然性より作者が楽しんでるみたいなとこが、この監督の特徴。躍動感をそのままフィルムに封じ込めるのに成功している。薬師丸ひろ子は、新宿の高層ビル群が似合う(『翔んだカップル』もそうだった)。生活臭のないところだろうか。でも彼女自身はそう都会的って方向ではなく、そこらへんのアンバランスが魅力だったんだ。「しっかり」にちょっと「けなげ」が混ざってる感じ。いろいろと迷ったりする役より、一直線的な役のほうが合う。けっこう古風な青春像に重なっている。
[映画館(邦画)] 6点(2012-05-23 09:57:57)
12.  1900年
ギリシャ悲劇から派生したようなアンゲロプロスの『アレクサンダー大王』を観た年だったので、こちらはイタリアオペラ、何かと比較してしまった。あちらが集団の力学としての歴史という視点だったのに対し、こちらはオーソドックスな個人のドラマの集積としての歴史。当然あちらのロングとこちらのアップの対比もあり、顔のアップはおのずと演技のオペラ的誇張を伴う。メリハリがつくという利点と、パターン化されるという欠点が、こちらにはあった。本作で一番生き生きしてたのは、ファシスト夫婦だったろう。逆説的に言えばこの二人が最も非政治的な存在で、オペラの悪役のような感じ。そういう大衆劇化された歴史の面白さはあったが、物足りなかったのも事実。少年時代が一番いい。地主と小作の友情ってのに無理がないし、とにかく風景が美しい。オルモが食堂でレオに呼ばれて、一族の構成員であることを確認されるシーンが特に素晴らしい。農民たちはこう団結しこう生きているのだ、って。忘れてならないのが、エンニオ・モリコーネの音楽。労働歌というか革命歌というか、そんな本来暑苦しかるべき・握り拳が似合いそうな曲想を、歴史の霧を通して一度ナマナマしさを濾過したような響きがあり、懐かしがっているように、時代遅れとなったメロディを哀惜しているように、染み入ってくる。名曲が多い彼の仕事の中でも、とりわけ忘れ難い名品だろう。
[映画館(字幕)] 7点(2012-05-10 09:57:19)
13.  1492/コロンブス 《ネタバレ》 
原題は「楽園の征服」。多数の合意のもとに歴史が変わったことはない、ってなことをアタマでコロンブスが言ってた。先を行くものの不幸と栄光。ラストでコロンブスが財務長官に「私とあなたは決定的に違う、I did,you didn't」って言う。コロンブスは未知の世界を憧れたんだけど、そこも見つけるそばから既知の秩序なり習慣なりが素早く浸食していってしまう。けっきょくスペインの延長された領土になってしまう幻滅。大陸発見五百年記念のフィルムだが、ただの“ご祝儀映画”で終わらせず、一応しっかりしたテーマを据えてあるのは偉い。スペインでは顔を背けた処刑をここでは自分で執行しなければならなくなる(全体『アラビアのロレンス』を手本にしてなかったか? 意識してはいただろう)。歴史上の人物ということでまったくの創作人物のようには個性を付けられないもどかしさ・彫りの浅さみたいなものは感じられたけど、いいほうじゃないか。女王に歳を聞き返すあたり面白い。
[映画館(字幕)] 7点(2012-01-15 10:17:19)
14.  世界大戦争 《ネタバレ》 
七五三のシーン、乙羽信子のお祖母さんにフランキー堺のお父さん、その子たちの三代かと一瞬思ったが、会話から、あれは夫婦なんだろうな、乙羽さんまだお祖母さんは気の毒だ、などと思い返していると家に帰り、すると星由里子が出てくる。え、この人誰? こっちがフランキーの若妻か、するとやっぱり乙羽は気の毒でもお祖母さんか、それとも星はフランキーの妹なのか、などと混乱していると、星が「お父さん」と呼びかけている。え、じゃあの子どもたちはずいぶん歳が離れてるようだが星の妹弟なのか。ここまでに分かったことを整理すると、つまり大正生まれの乙羽と昭和生まれのフランキーがアネサン女房の夫婦で、フランキーが14歳ぐらいのときに長女の星が生まれ、それから戦後の混乱期十年間は子どもを作れなかったが落ち着いてきてあと二人作った家族、ってことなんだな。別にどうでもいいんだけど、この映画のヘンさがそんなところから始まっていた。これ、近景と遠景しかなく、中景はパニックになる群衆だけで、たしかに核時代の怖さってのは遠景が突如近景に覆いかぶさってくるところにあるのかも知れないけど、近景がいま言ったように輪郭が曖昧。会話もひどく、ホームドラマ用のセリフの間に強ばったメッセージがこなれないまま挟まっている。一方遠景がこれまた、大事な回路が簡単に故障したり軍人のオッサンがチャッチャッと起爆装置外せたり、ほとんどコントをやっており、核時代の軍隊はもうコントなんだという『博士の異常な愛情』的な批評の目でやってるんなら分かるが、どうもそうは見えない。マジでやってる。典型的なプラカード映画で、けっきょく戦後日本が核兵器廃絶に関して何にも出来なかったのは、プラカードを掲げるだけで満足していたこの想像力皆無のだらしなさに尽きるだろう(この国のプラカード主義は根強く健在で、たとえば拉致問題。交渉をしようとせず内輪での講演会やポスター貼ってるだけ、しかも交渉の扉を閉ざしたバカな政治家の人気が当時は上がった)。というわけでこの映画、建設中のビルが見える日比谷公園など時代の風景だけ味わえました。
[DVD(邦画)] 4点(2011-12-16 10:19:03)(良:1票)
15.  切腹 《ネタバレ》 
これはいま観ると、正社員の職を得た者と派遣労働者の話に重なって実に生々しい。ほんのちょっとした運命の違いで生じた格差が、段上の命じる者と庭で腹を切る者とにまで広がっていったことが、怖く迫ってくる。立場が逆転していてもおかしくなかった。そういう苛烈な武士の社会と似たようなものが、現在でもあるんだろう。これのとりわけ前半はシナリオの名品であり、二人の切腹志願者の物語が反復しつつ並行し、千々岩のうちひしがれぶりと津雲の不敵さが対照され、後者がどんどん謎として膨らんでくる興味。追い詰める側が追い詰められていく展開の妙味。シナリオの力でこれだけグイグイ引っ張っていく映画は、あんまりない。後半ちょっと説明的で弱くなるが、しかしあそこらへんをちゃんとやっておかないと、千々岩が「武士として有るまじきさもしい行為」に及んだことを十分説得させられず、話の骨が崩れてしまう。津雲が語っている庭はゆっくりと陽が傾き、やがて風も吹き出す。あんなに武士の哀しさを語った津雲も、やはり刀でしか決着をつけられないところが痛ましい。竹光を嘲った井伊家が、最後には「武士の魂」の刀ではなく「卑怯な」飛び道具を持ち出してくる。儀式としての切腹は限りなくグロテスクだが、鉄砲で撃たれる前の腹切りは、美しくはないがグロテスクではない。あれはあくまで乱戦の延長であって意地の発露だった。でも井伊家の下級侍にとっては、秋葉原事件のようなとばっちりだったなあ。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2011-12-07 10:44:17)(良:1票)
16.  戦場にかける橋 《ネタバレ》 
川の小さな滝のところで銃撃が起こると鳥がいっせいに飛び立つ。その銃声に驚かされて飛び立ったというより、血で汚された地を嫌って空へ向かった、って感じ。無数の鳥の影がジャングルや川面を走り巡る。この映画では最初から鳥の視点が批評的に地上の愚かな戦争を眺めていて、ラストむなしさが広がるクワイ河をしだいに鳥の視線になってカメラが上昇していく。脱走しヘトヘトになってたどり着いた地でW・ホールデンは、まず自分を監視している鳥に怯えるが(倒れた彼の上を鳥の影が通り過ぎていく凶々しさ)、やがてそれは凧の鳥に変わる。狂った地上を鋭く監視する鳥から、子どもの遊び道具となっている鳥へ。狂気の地からマトモな暮らしのある地へとたどり着いたことが、鳥の裏表で示された。その女こどもが暮らすマトモの地から狂気の地へ戻っていくときに女たちが付き添うのは、彼らの作戦が男たちの狂気に呑み込まれないよう、少しでもマトモな世界の空気を注入しようとしているのだろうか。この映画は英日米の軍人気質の違いを見せてはいるが、主人公はあくまでもアレック・ギネスだ。軍人としてどうあるべきか、をまず第一に考える精神主義者。ダラケていく自軍の兵士を見ることより、敵に協力しても誇りを持ってイキイキすべきだ、と考える。精神主義者として敵であるサイトーのほうに近しいものを感じてしまっている。橋の完成のためにはついに自軍の傷病兵まで繰り出そうとするあたりのノメリ込みの凄味。あからさまな狂気の描写でないだけに、彼の心に「まったく屈折のないこと」が怖く迫ってくる。「立派な軍人」というもののあるべき姿を煮詰めていくと、この狂気に必然的に行き着くだろうというところが一番怖い。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2011-11-19 10:26:47)
17.  セリーヌとジュリーは舟でゆく
初めはスタッフもキャストも手探りで動き回ってる感じ。フィルムを自由に遊ばせて何かが面白く動き出すまで待ち伏せしている感じ。映画を商品として観客に提示するなら、そういう部分はカットして完成した部分だけを盛り付けるのが料理人の倫理であろう。でもこの監督は完成に向けられた時間にこそ映画本来の時間があると思い込んでいる(『諍い女』)。彼はスキヤキ屋なのだ。すでに焼けた肉ではなく目の前で焼けていく肉を味わってもらおうというのだ。これは一種の冒険であり、下手するとその実験性だけが評価されて映画としては退屈、となってしまいかねないものでもある。実際『北の橋』は、とうとう肉が焼けずに終わってしまった感じ。しかし『地に堕ちた愛』や本作では成功した。とりわけ本作。ただただフィルムが回って主人公たちの閉じた世界が紹介されていると思ってたら、いつのまにか冒険に入っている。アメリカ映画から見ればメリハリがなさすぎるが、それだけ冒険に入り込んでいくときの「アレレ」感は新鮮。いつのまにか世界が不思議の国に飲み込まれていたという感覚。そしてさかさリンゴ屋敷が楽しい。断片として現われるいくつかの幻視、階段やドアでの意味ありげな出入り、さかさの人形、倒れる女、などが繰り返され次第にストーリーを構成していくジグソーパズル。ヒロインが交互に幻視を見るのだが、そのつど幻視を見る担当者が看護婦役になって登場してくる。まったく同じカメラ位置で同じシーンが繰り返され、看護婦役だけが違ってくる二人一役のおかしさ(ブニュエルが『欲望のあいまいな対象』を撮っていたのもこの頃か)。さらにどうも少女の危難が分かってくると、現実の二人は助けに入り込んでいく。ここらへんのスリルは『裏窓』でG・ケリーが眺めるだけの存在だった筈のアパートへ入り込んでいくスリルを思い出させる。この映画の楽しさは純粋に遊びとしてのものだが、ラスト、幻の登場人物たちが幽霊メイクのまま舟で滑り抜けていくシーンのゾクゾクッとする感じは、映画全体の薄く透明な脆さと敏感に共鳴しあっていた。サイレント時代だったら遊びに徹することが充実になっていたのに、今ではニヒリズムが立ち込めてしまう。この衰弱は社会の責任なのか映画の責任なのか。現代で遊び続けようと決意することは、亡霊たちに魅入られながらの衰弱を受け入れることに外ならず、そこに本作の凄味が感じられるようなのだ。
[映画館(字幕)] 8点(2011-10-16 10:03:11)(良:1票)
18.  セント・オブ・ウーマン/夢の香り
この「セント」には、香りっていうよりも、猟犬が嗅ぎ分けていくにおい、っていうようなニュアンスがあるらしい。それなら分かる。この副題の「夢の香り」はまずいやね。傲慢無礼な退役中佐、世の中を排除しきっているようでいて、女に対する嗅覚にだけは敏感なところが面白い。世界との関係の回復、良好だったときの想い出を、「女の匂い」という一点からうかがわせていく。最後の歓楽としてのタンゴ、フェラーリの疾走、触覚と嗅覚と身体感覚。人生は踊り続けられる、たとえ脚が絡まっても、そのまま踊り続けられる、って。ヒネクレモンと盲導犬としての純真な青年の組み合わせ。A・パチーノは少しツクリが浮いてたような気もするが、まあ熱演。ラストの演説なんか、思わずかけ声を掛けたくなる間合いがある、そういった種類の熱演。その他の演者の質をガクッと落としているので、より目立つ。一応青年は「見てしまったこと」によって窮地に立たされたりして盲人と対照されてるんだが、役者が釣り合ってないんで。
[映画館(字幕)] 6点(2011-09-15 10:43:43)
19.  関の彌太ッぺ(1963) 《ネタバレ》 
長谷川伸の名作のうち本作は、時を置いて主人公が「すさむ」パターンが「一本刀土俵入」と共通しており、その「すさみ」のために思い出してもらえないほど人相が変わっているという話のツボも一緒。長谷川伸の一番お得意の展開なのだろう。本映画の場合、ちょうど錦ちゃん自身が、前期の明朗な役柄から後期のニヒルな役柄に移る時期と重なったことで、すさむ前とすさむ後と、どちらも無理なく演じられた。基調にあるのは、どうせヤクザもの、という「かたぎ」に対する疚しさ。それは甘えの裏返しかもしれないが、その「すさみ」のなかに「真情」を光らせる。彼の目に映るかたぎのなごやかな家庭は、いつも額縁に入ったように垣根の向こうに見えてくる。曇天の墓参りの場や暮れ六つの鐘が鳴り渡るラストシーンなどロケも美しい(あれ七つ鳴っているのを今回発見した、最後のひとつは弔鐘なのか)。あるいは妹について知らされている岩崎加根子との場で、ゆっくりゆっくり近寄っていくカメラ。それと本作で大事なのは木村功で、気のいい小悪党の悲しみを演じて非の打ちどころがない。前半の屈託のなさが、後半の自分の恋情に突き動かされる弱さに自然につながっている。結婚してかたぎになろうとしている。そのために亭主には頭を下げ、ならぬとなれば一度は引き下がろうと旅支度までしている。やくざものとかたぎとの敷居の高さに阻まれた絶望が荒れさせたのだ(この作品で敷居を越境できたのは、けっきょく悪党の娘からかたぎの娘となったお小夜だけで、弥太郎は、悪の川にさらわれてそのまま苦海へと越境できずに流れ去った妹の代理として、自ら川から救い上げたお小夜の越境だけはなんとしても守ろうとしたのだ)。木村功の最期は「いっそ尊敬するアニイにどうにかしてほしい」と願ったゆえのものなのか。かたぎでない者はみな自死のように、それぞれの死に場所へ向かっていく。この「すさむ」ことの美意識は現実世界では危険なものでもあるが、それをスクリーンという額縁の中でぎりぎりまで磨き尽くした本作の成果には、ただただうっとりさせられる。
[CS・衛星(邦画)] 9点(2011-05-21 09:58:15)(良:3票)
20.  世界の全ての記憶
『マリエンバート』へ向けた練習のような習作。ひたすら移動し続けるカメラ、記憶の詰まっている迷宮として図書館を捉える。後半は、新刊が棚に置かれるまで、という文化映画的なのだが、台車の移動、エレベーターの上昇、係りの人がボーっと立ってたりして、かなり意図的な演出がなされていると見た。無表情の人々。移動し続けるってことは、立ち止まって対象を一点に絞らない意志の表明であり、観察ではなく観賞ってことなのか。これから何かを発見していこうとしている気分、というか。図書館好きにとっては、裏側が見えて文化映画としても面白かった。思えばこの手の記録は映画の初期からドキュメンタリーの基本で、たとえば英国の『夜行郵便列車』なんてのは、手紙が私たちの手に届くまでの夜の旅を見せてくれたし、普段の生活を支えている(しかし滅多に目にすることの出来ない特殊な)仕事場を、覗かせてくれる興味ってのが、ドキュメントの基本中の基本なんだな。
[映画館(字幕)] 7点(2010-12-26 19:35:23)
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