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1.  宇宙戦争(2005)
戦場を経験したことのなかった国が、9・11の同時多発テロを受けて、それなりのアンサーをした作品なのではないか。武力で抵抗することの限度を越えた敵に、どう対処すればいいのか、という問題。本来テロってのは、武力が不均衡のとき劣る側が抵抗する最後の手段だが、それをされる側から目に見える形にすれば、こういう宇宙人の姿になってもおかしくない。とにかく今持ってる武器が無力になってしまう敵なのだ。群衆が同一方向を見上げるシーンって、この監督の映画でしばしば見てきたような気がするが、そういった無力感と通じあっているようでもある。火星人の登場シーンが素晴らしい。穴の底での鳴動、走るひび、それが垂直に建物にも上がっていく。陥没してから吹き上げられる車。奥と手前とのつながり。車での脱出。高架からの列車の転覆、そのスピード感。こういうのやらせると、ノリにノッてしまう。一方、森の中で服が落ちてくるのなんかもいい。小屋での探索が次の見どころ。にゅーっと動き回る「目」の不気味さ。見られることの恐怖。アメリカはボストンからやり直そう、という決意のラストでもあろう(これの映画化はいつもその同時代になってしまうが、原作・19世紀末の英国を生かしても面白いと思う。第一次世界大戦もまだ経験していない時代で、自転車で逃げ惑う人々が馬車に踏み潰されたりする。怖いもの見たさの群衆ってのが小説に現われた最初のころではないか)。
[DVD(字幕)] 8点(2014-01-29 09:39:31)(良:1票)
2.  運命の逆転
ちょっと前に実際にあった事件もの。当事者がまだ生きてるうちの映画化ってのは、それで盛り上がってたアメリカ人には面白かったでしょう。こういうナマの面白さは映画にとって大事だと思ってるんだが、それを知らなかった異国のものにとっては、疎外感はあります。真実がどんどん分裂していく面白さ、といった「形而上学的」興味を無理に味わうしかない。形而下の楽しみも味わいたかった。金持ちには金持ちなりの不幸があるんだなあ、とは思った。「上流社会の奇人」って独特の世界を造れちゃうからいい。ルートヴィヒのように道楽で城を建てられる。日本にも金持ちがニ笑亭って珍妙な家を作っちゃった話があった。この映画では回想シーンの庭園に虎の子が出てくる。
[映画館(字幕)] 6点(2014-01-06 09:27:02)
3.  歌麿をめぐる五人の女(1946)
道具としての女、その女が男を刺すこと。なんか大枠だけ捉えると、溝口っぽさが感じられなくはない。田中絹代のアップの凄味が変に印象に残っている。あんまりアップで捉えたことなかったんじゃないか。時代が変わって、何かやってみたってことなのか。時代と言えば手ぐさりをめぐるエピソードなんか「戦後」を思った。自由に描ける時代になったんだ、って気分が底にあったのでは。自発的なテーマと言うより、そういうことをテーマとする時代になったんだ、という手探りのような。ま原作ものなので、あまり物語から監督の狙いを探っても意味はない。溝口と言うとまず明治で、江戸時代だとそれまでは侍階級だった(『元禄忠臣蔵』とか)。やがて西鶴や近松に惹かれていく彼が、江戸時代の町人階級を扱ったのはこれあたりかららしい。
[DVD(邦画)] 6点(2014-01-02 08:51:57)
4.  ウェンディの見る夢は 《ネタバレ》 
夢の中に知らず知らず入ってしまってた、っていう仕掛けはあって、ラスト近くの運転手も含めた舞踏シーンなんかはある種の豊かな混乱が出てはいるんだけど、全体として「そつはないけど、それ以上でもない」っていうのの典型のよう。仕事仲間の連中のシーンが面白かった。仕事とられてちょっと嫌味なオールドミス。インチキで賭けをしては勝っていくの。庶民は自分にふさわしいささやかな夢で我慢しろ、ってな話にも思えてしまう。ロザンナ・アークエットさんは鼻がとんがりすぎてて、この人の顔見てると尖端恐怖症的不安を感じてしまう。
[映画館(字幕)] 5点(2013-12-24 09:41:00)
5.  埋もれ木
ユートピア的な町を描くって『眠る男』もそうだった。きっとこの人の原イメージなんだろうが、この人は原作が別にあってオリジナルシナリオでないほうがいいみたい。別の物語とぶつけたほうが、彼の中で展開があって、本人の原イメージもそれとぶつかり塩気を含んで膨らむようで。それがないとノッペリしたユートピア讃歌まがいのものになってしまう危険性がある。一つ一つのカットの確かさ、安定感はさすが。みな静かにしゃべる。雲がいちいち美しかったが、あれはニセモノね。移動する家。その影。音楽はアルヴォ・ペルト。この人は中世音楽のような響きの曲を作るエストニアの作曲家で、現代のクラシック作曲家ではかなり耳にするほう(ゴダールのなんかでも耳にした)。
[映画館(邦画)] 6点(2013-12-22 09:48:15)
6.  哥(うた) 《ネタバレ》 
旧家の重さ。家を守らんとする右翼気質の篠田三郎と、食い尽くさんとするニヒリストの兄弟。家に殉じ主人の命令には絶対服従の篠田が死んでしまっては面白くならないんじゃないか。あの気味悪さは生き残り続けなければならないと思う。もしかすると彼を肯定的に捉えてたのかな。脚本の石堂淑朗って左翼かと思うと右翼的だったりしてよく分からない人だった。「世間の噂にならなければ、いくらくずれていてもいい」って(ここの私のメモ、汚い字で「くずれ」じゃないかもしれないんだけど)。音楽「四季」が全然合わないのは『無常』のバッハからこの人のいつもの世界で、ウルトラセブン最終回でのシューマンのピアノ協奏曲なんてのもあった。あと女優の起用の趣味の悪さもあるか。今回は八並映子さん。
[DVD(邦画)] 6点(2013-12-21 09:38:55)
7.  運命じゃない人 《ネタバレ》 
Aはごく普通の青春ドラマの装いで始まる。Bの、泣き出して気味悪いですか、なんてのがいい。おごってもらって悪いからと自転車こぐのもかわいい。でもがぜん映画が動き出すのはCになってからだ。携帯電話ができてメロドラマのすれ違いが出来なくなったと後ろ向きに考えてはいけない。新しい道具もどんどん使いこなしていくように映画は舞台を提供してきていたし、これからもそうだろう。見えないところでとんでもないドラマが進行していた、という楽しみ。映画が始まったときは、ベッドの下に○○○が隠れていたりする種類の映画とは思っていなかった。表情に別の意味が与えられていく。時間ずれてドラマに裏打ちがなされていく。義憤にかられての怒りと思っていたものが、早くトンズラしたい焦りだったり、走って追いかけてくる者も、あとで読み直される。鞄を抱きかかえてた意味も。これが初見だった中村靖日、その後朝ドラの「ゲゲゲの女房」で見、今の朝ドラにも出てる。いいキャラクターなのに、便利な脇役として消費されないで欲しい。
[DVD(邦画)] 9点(2013-12-05 09:23:51)
8.  宇宙大怪獣ドゴラ 《ネタバレ》 
宝石ギャングにかなりの比重がかかっているのが、子どものときは不満だった記憶がある。建物を壊すところ目当ての子どもには、橋だけってのは厳しい。でも怪獣・怪物・怪人に悪漢が絡むのは東宝ではごく自然なことであり、ギャングどもがみな(若林映子も含め)揃ってサングラスをかけている愛嬌を、子どもは味わい切れなかったのである。ダンディな悪漢天本英世がよい。権威の博士は中村伸郎だった。選択的に酔っ払いだけが浮いたり、悪漢が浮き上がったりするのは、けっきょくよく分からなかったが、石炭を吸い上げる場には、怪獣映画としての面白味があった。このころは火力発電所以外でも都市部で石炭が積まれている場所があったんだ。蜂の毒が弱点てのにエセ科学的なこじつけが欲しいところ。哀しいのは、映画で「宇宙大怪獣」と名乗ったのは、このドゴラとギララの覇気のない二匹(ニ頭?)だけだったらしい。
[DVD(邦画)] 5点(2013-09-18 09:42:59)(良:1票)
9.  動く標的 《ネタバレ》 
アメリカ映画では、正義を行なう個人の勇気がしばしばクローズアップされ感動させられるが、「出来ねえよなあ」と思わせられることも正直言って、ある。さて本作のラスト、これどう解釈するか微妙なところなんだけど、それまでのアメリカ映画だったら正義に向かうハーパーをはっきり描いたろう。しかしこれでは銃を構えた犯人が「無理だ」と銃を下ろし、ハーパーも「無理だな」と立ち止まるところでストップモーションになる。これ「正義を行なわない結末」と思ったんだけど、それでいいんでしょ。標的になりながら数歩歩いたことは「アメリカ的勇気」だけど、法律上の正義は放棄した、と解釈した。車中での会話で若いころの希望や現在の状況を改めて思い、悪い奴(不法移民斡旋宗教家その他)は司直の手にゆだねたり死亡したりしてるし…などの言い訳も浮かんだろう、それほど人間正義絶対で生きてるもんじゃないよ、と主人公が心中ぼやいて通報義務を捨てた瞬間のストップモーション。ハードボイルドの主人公像とうまく重なるものを感じた。事件をクリアに理解できてないので間違ってるかも知れないけど、そこが新鮮だった。妻のJ・リーは朝食の卵の黄身を、ハーパーが去ったため、ハードボイルドどころか、一つ一つ潰してたっけ。見てる間は分からなかったが、悪の店の歌手は『エデンの東』のアブラさんだった。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2013-07-03 09:19:14)
10.  歌っているのはだれ? 《ネタバレ》 
いろいろな人が乗り合わせてバスは行く、いうよくある設定だけど、よくある映画にはなってない。非凡。このバス、親父が絶対権力者として君臨し(他の乗客は諦めている)、軍隊やらテロリストやらが絡んできたり、ジプシーや喀血男が心理的に排斥されていったり、政治風刺的にも見えるが(1941年セルビアからベオグラードにバスは向かっている、ってのはドイツ侵攻とかち合うとピンと来るらしいんだけど)、そう見ちゃうよりブニュエル的コメディと思いたい。回り道をすると、なぜか道を耕している、とか、紳士が落下して泳いで帰ってくる、とか自由奔放(追放された猟男も再登場するんだったっけ? 常に乗客を回収するバスだ)。こういう自由さがドイツの侵攻という歴史と吊り合っていたのかもしれん。川辺での宴はラストを知ってから思い返すと哀切。運転手青年の笑顔が忘れられませんなあ。
[映画館(字幕)] 8点(2013-05-27 09:56:54)
11.  美しさと哀しみと(1965)
人間に厚みが感じられないのは、川端作品を監督なりに無機質的に捉えようとしたってことか。日本的な湿り気を除いて(原作読んでないけど、もともと川端作品ってそれほど湿ってないな)、モダンに再生させようとしたら、ただ薄っぺらになっちゃった、って感じ。要になる作家が単なる俗物にしか見えず、音子さんの嫉妬が馬鹿馬鹿しいものになってしまう。それが狙いなのかな。息子の山本圭なんか、ほんとただの馬鹿扱いで可哀想なくらい。おそらく加賀まりこの静と動の対照が見どころの中心だと思うが、周りがこれだからあんまり生きてこない。こういうドラマはみな視野が狭い登場人物ばかりだから、その狭い内輪を一つの宇宙に感じさせなくちゃならないのに、そうなってないから、みんなウジウジしてるだけになっちゃう。そうやって全体を批評しているわけでもなく中途半端。長回しの多用(女二人の会話)や超望遠(橋の上の会話)などあり。カラーフィルムは褪色しちゃうとどうしようもなく濁る。
[映画館(邦画)] 5点(2013-04-17 09:36:48)
12.  海燕ジョーの奇跡
いつか面白くなるだろうと思いながら見ててとうとう最後まで来てしまった、っていう種類の映画。主人公に思ったほどの魅力がないんだ。混血やくざの親探しに、切実さがなかったし。かたぎになろうとした友人を殺されてカッとなるなんてのも陳腐だし。陳腐と言えば、海に向かって石を投げないでくれるかなあ、あと怒りで缶を潰すとかも。フィリピンのスラムでこっち見てニタニタ笑ってる人なんか、「本物」の凄味があった。当地でごろごろしている日本人のうさんくささが良かった。原田芳雄がよく、清水健太郎など脇が充実。島伝いにフィリピンまで行けちゃうっていう、国境を無視できる島の生活圏の広がりが実感として分かった。
[映画館(邦画)] 5点(2013-04-01 10:20:59)
13.  裏窓(1954) 《ネタバレ》 
これは映画館で観なくちゃ意味がないような映画で、スクリーンと向かい合って、あたかも脚にギプスをはめて身動きが出来ないような気分で味わうフィルムよ。そうでないと、向こうがこちらを見つける瞬間の怖さは半減する。G・ケリーが脅しの手紙を持って向こう側に現われただけで、なんか信じられないことが起こったようなドキドキが起こる。あるいはこちらで掛けた電話が向こうで鳴り、話し合ったりする。それらに比べると、グレイスがいる間に男が帰ってきたりする向こう側だけでのドキドキは大したことない。こっちと向こう側がつながることが怖いので、こうなると最後は向こうがこちらに侵入してくるよりほかにないわけだ。こちら側の観客の一人だったはずのグレイスが向こう側に行っちゃうだけでショックなのに、安全地帯から覗き続けていたはずのスクリーンの人物が、「覗いてたな」とにらみ返すんだから、もうパニック寸前。映画という装置の怖さを知り尽くした作品だろう。
[映画館(字幕)] 9点(2012-12-29 09:23:28)(良:1票)
14.  ウィンチェスター銃'73(1950) 《ネタバレ》 
名刀が流転して妖刀になっていく話は日本にもあるけど、こういう名品は単なる武器以上の価値が寄り添い、魔が生まれてしまうんだな。ま、本作の銃は魔ってほどではないが、手にした者は次々と命を落としていく。そしてそれを所有するにふさわしかった最初のリンに帰っていくって話。流転していく連作短編のようでいて、一応全体としての筋も整えて90分ちょっと、という手ごろな仕上がり。それぞれのエピソードに見せ場がある。射撃競争で始まり、その賞品のウィンチェスター銃が奪われ、さらに荒野の中のクセモノの武器商人にポーカーで巻き上げられる。ついでロック・ハドソンのインディアンに渡って(逃げる馬車と追跡するインディアン)騎兵隊との銃撃戦、ここで銃が戻るかと思わせといてはずし、町で家に立て籠もった悪漢に奪われる(この悪漢ウェイコが、ちょっと若いころの三井弘次を思わせるいい味。ダン・デュリエって役者いまここで検索したら『飾窓の女』に出てる。こんなネチネチしたユスリが出てたがあいつか?!)。そしてラストで冒頭のエピソードの人物が回帰して閉じるという趣向。西部劇の見せ場集みたいになっちゃうところをリンの銃回収の旅という芯を仕込み、射撃競争の敵役の再登場でまとまった感じを出せた。この宿命の敵が実は兄弟ってので、神話的な味を狙ったのか。あちらの人にとっては、カインとアベルなんかを連想し、重さが出るんだろう。アンソニー・マン監督とジェームズ・スチュアートという『グレン・ミラー物語』の組み合わせ。まったく異なる世界のようだが「ものすごくアメリカ的」ということで共通しているな。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-09-21 12:24:57)(良:1票)
15.  うみ・そら・さんごのいいつたえ
もっと祝歌(ほぎうた)として徹底すべきところを、へんにドラマが入って失敗してしまった、って感じ。水中撮影での蛸採りなんか、さして目新しくはないのになにやら神々しさがあったし、浜辺でオバアが踊っているところなどもいい。だからかえって「うた」になっていない部分の野暮が際立ってしまう。ヤマトの不動産屋(開発業者だったっけ?)とか、都会の女の子と地方の子の絡みとか。めずらし屋に子どもらがテレビゲームを売るの、あれつまり「沖縄の子は自然がいっぱいあるからテレビゲームなんか面白いと思いません」って型に当てはめすぎてる。子どもの好奇心ってのは、そう単純に割り切れるもんじゃないだろう。映画全体を「祝歌」に徹していれば、そう気にならなかったと思うんだけど。島に流れ着いた朝、太鼓の音が近づいてくるだけで、救出を描くところなんか正しいんだから。
[映画館(邦画)] 5点(2012-09-13 10:17:22)
16.  唄の世の中
むかしの邦画で多いのが、主人公がレコードデビューしてハッピーエンドになるストーリー。『愛染かつら』を初め、高峰三枝子では戦後までその手の話があった。のちの木下恵介の『歌え若人達』(1963年)はその変形でゴールがテレビスターになっている。レコード業界からテレビ界へと「花形」が移ったわけだ。で本作は、小心者の岸井明が友人藤原釜足の後押しを得てレコードデビューする話。遊園地に、客の歌をレコーディングして売る商売があったのが分かる。楽しいのが新人発掘オーディションで、歌だけではなく漫才なんかもやってる(当時エンタツ・アチャコなどレコード化されていた)。ここでは永田キング(和製グルーチョ・マルクス。面白い)とミスエロ子が登場。強烈な名前とそぐわない、和服を着て、学校の先生でも似合いそうな人で、その落差で笑いを取るってようでもなく、つまり当時の「エロ」という言葉には現在感じられる湿っぽさはなかったんだろう。広くユーモラスな方面の言葉として受け取られていたよう(小津の『エロ神の怨霊』が6年前。前作『その夜の妻』を城戸四郎にほめられ褒美に温泉での休暇を与えられたが、ついでに一本撮ってきてくれ、と注文がついて生まれた作品。残ってないが資料ではコメディ)。おかしいのはところ狭しと飛んだり跳ねたりアクロバット芸をするトリオで、こういうのはレコードにいかがでしょう、とオチがつく。ラジオの時代になって、視覚に訴える「イロモノ芸」の手品師や紙切り芸人は、ちょっと悔しい思いをしてたんだろうな。サイレント映画が始まったころに、その反対のことが起こっていたように。オーディションシーン以外では、若き渡辺はま子の「とんがらがっちゃ駄目よ」が準テーマ曲扱いで聞けます。テーマは岸井の「Music goes round and round」。朝鮮の女性舞踊もあり、当時人気で川端康成もひいきにしたという崔承喜ってのはこんな感じだったのか、などと思ったり、全体、当時の芸能興行界の雰囲気が味わえた。終盤にはけっこう迫力あるカーチェイスがあり、それが行き着いたところは、二年前に完成したばかりの狭山湖ではないか? 伏水修監督。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2012-09-02 09:34:06)
17.  麗しのサブリナ
なぜオードリーは、平気でおじさまと結ばれるのか。以下ざっとした暗算なので間違ったかもしれないが、このときH・ボガートは55だ。『昼下がりの情事』のG・クーパーは56、『パリの恋人』のF・アステアになると58である。おじさまというより、もひとつ上の世代ではないか。もしスクリーンの外で起こったことなら、死後の財産目当ての女狐と呼ばれるところだろう。男の側からすれば、そりゃ可憐な妖精を妻にめとれるのは夢であろうが、オードリー映画はファッションを考えても女性観客をメインに考えていたはず。つまり欧米では、こういうパターンがしっかり根付いていたんだな。ヨーロッパの小説では若いヒロインが保護者のような年上の男と結ばれるハッピーエンドが多い。娘にとって一番の幸福は、シンデレラのようにランクが上の男性と結婚することであって、それは地位の安定したある程度の年配ということになるんだろう。ディケンズの後期の長編で、やはりそのパターンだなと思わせといて、土壇場で「私はもう年寄りだから」と保護者のおじさまが身を引き若き医者と結ばれるヒネったのがあるが、そういう趣向が生まれるほど「娘はおじさまと結ばれてこそ幸せ」の型が根強くあったってことだ。この伝統がヨーロッパの共有無意識となり、大西洋を渡った新世界でも生き続けてきたんじゃないか。それにしても男女非対称な世界だ。もし若きイケメンの主演する恋愛映画の相手役に50代後半のおばさまが続いたらどうであろう。というわけで本作、いじめのないシンデレラで、屋内テニスコート場の光と影はロマンチックだし、割れないプラスチック板に乗って揺するH・ボガートは楽しく、割れたワイングラスは痛そう。デビッド一筋のオードリーと仕事一筋のボガートには、分かりあえるものがあったんだろう。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2012-07-26 10:06:16)
18.  歌姫カルメーラ
脚本のラファエル・アスコナは『最後の晩餐』のホンにも関わってる人だそう。カメラは『エル・スール』の人。芸人の舞台と抵抗者の銃殺場とがダブってくるところがミソ。照明を浴びるということ。ガソリンを盗んでいるときに女が「芝居」をしに車のライトの中に出ていく。銃殺場でパッと照明を浴びせると、まるでカキワリの前の舞台のよう。ステージと現実との違いというより、照明を浴びるものと照明に向かい合うものとだろう。芸人にとって舞台は銃殺場に立っているような真剣なものなのだ。煉瓦模様のカキワリの前で歌うカルメーラの心意気は背筋を伸ばして見ねばならぬ。男は何してるかっていうと、屁をひってるだけ。情けない。市長のベッドも煉瓦のカキワリ並みに不吉だった。スペイン内戦は悲惨な出来事だったが、スペイン映画はその悲惨からなんとか「元を取ろう」と真剣に向かい合っている。
[映画館(字幕)] 7点(2012-06-18 09:53:21)
19.  
かまくらやなまはげといった風物が織り込まれているってだけじゃなく、その扱いに詩情がある。落とし穴に落ちて雪を投げる子どもたちのシルエット、なまはげがくつろいで面を取ったのを盗み見て「インチキ」と呟くところなど、その扱いに懐かしさを含んだ詩情がある。仔を思う母馬が朝焼けのなかを駆け回る、高峰が病気の馬のために青草を探しに行く、弟を馬に乗って見送る、など、ここらへんのストーリーは常套的と言えば常套的なんだけど、それが繰り返し語られてきた物語を聞いているような、まるで時がたてばそのまま民話になってしまうようなファンタジーになっている。カメラが人物に近寄らないのも、民話の不特定の人物らしくなっている。顔のアップはラストの泣き顔だけだったんじゃないか。馬が仔を生んだときの家族のソワソワが一番いいシーン。小さな家族が一つの心配事を中心に寄り添っている光景のいとおしさ。詩情豊かではあるが、底には農家の貧困があり、馬を家族と見れば「離散もの」と言えるだろう。そして常に日本の少女は明るく健康でけなげなのであった。
[映画館(邦画)] 8点(2012-05-04 15:38:17)
20.  ウルガ 《ネタバレ》 
この監督、草原趣味がある。草原を描くととてもいい。セルゲイ君登場のあたりの悠々とした演出。眠りと戦うために一生懸命はしゃいで運転しているトラック。何かを発見しあわてて戻り、間違って川に突っ込む。浅い水に浸かって呆然とする、ってのは『機械じかけのピアノのための未完成の戯曲』のラストをほうふつとさせる。で、心づくしの歓待になる。この心づくしの感じが丁寧に演出されていてよかった。気を許せることを強調しすぎず、ちょっとテレもあったりし、でも気を配りあってて、女の子のアコーディオンとか(思いのほか本格的で唖然とするセルゲイ君)、こういうところを自然に演出できるってのは、なかなかの力量だ。羊の解体のとき、切られた足先を子どもがバチに見立てて太鼓叩くみたいに遊んでいるスケッチ。宴も尽きて月のアップからゆっくりカメラが回っていくと川に突っ込んだままのトラック、なんてのも実にいい。翌朝、しぐれる中での夫婦の語らいも味わい。で町へ出るんですが、ここらへんからちょっとトーンが違ってきて、中国における少数民族とか、ロシア人のあり方とかいったお話を聞かせていただいてる、ってな感じになってしまう。ちょっと剥き出し。自分たちの基盤が不確かになっていく感覚が、チェーホフに通じるところもあるけど。前半の語り口が絶品だっただけに、若干残念。でもいい映画です。
[映画館(字幕)] 7点(2012-03-25 09:48:29)
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