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1.  追憶の森 《ネタバレ》 
差しっぱなしにされた車のキーの強調や、手荷物を巡るやり取りなど、如何にも説明的で諄い感じの冒頭である。 語りに入ると流れ出す劇伴も、シーンの解釈を狭めてしまう。  キイロとフユのキーワードがドラマの中で効果的に決まってこないのも、視覚的な段取りが不十分な為ではないだろうか。 もっとその二つの意匠を種明かしに至る過程のどこかに仄めかしておくべきだと思うが。  焚火の傍で科白で語られる紅茶やシャツのエピソードについても、それらをナオミ・ワッツの不在の中で具象の画面として再提示させることで 影の気遣いと情愛を印象づける、そういう段取りも本来なら欲しいところである。  映画なのだから。
[映画館(字幕なし「原語」)] 5点(2016-05-07 22:23:37)
2.  罪の余白 《ネタバレ》 
梗概的には心理戦が物足りないとか捻りがないという事になるし、絵面的には表情とダイアログ中心でロケーションや美術の魅力もまるでないという事になる。 無論、捻った展開がないから、表情アップが多いから悪い映画という訳でもない。饒舌すぎる音楽ははっきりと邪魔だが。  取り調べ室のシーンを始め、仮面の表情と素の表情を1ショット内で行き来する吉本実憂。 ラストショットが象徴するように、彼女の「凝視」こそ主題ともいっても良い。  芸能事務所での面接で加藤雅也から質問を受ける吉本実憂のシーンには何やらアドリブ混じりのような緊張感が漲り、 そこには彼女の生々しい「非ドラマ的な顔の露呈」(『アンドレ・バザン』)があって迫真である。 「映像の優位」ではなく「対象の優位」として彼女の表情はそこにある。  吉本と葵わかなが、学校の廊下で触れ合わんばかりの距離で対峙する顔と顔の距離感もいい。  ラスト、共に顔面に瑕を負うことになった内野聖陽と谷村美月の表情が救いとなる。
[映画館(邦画)] 5点(2015-10-08 22:48:30)
3.  筑波海軍航空隊 《ネタバレ》 
特攻に出撃しながらたまたま敵が不在であった事で生還できた柳井和臣さんをはじめ、元特攻隊員4名の方々が語る証言は それぞれ90代でありながら佇まいも語りも明晰で、やはりエリートだと思わせる。  大戦で戦死した日本軍兵士の大半が餓死・病死であったことを踏まえれば、出撃直前まで食事には困らなかったというごく少数の海軍飛行予備学生の方々は 特殊な部類ではあるに違いない。貴重な証言であることは勿論だが。  作品として凡庸なのは、その貴重な証言に対して聴き手のレベルが低いからである。 記念館関係者らしき人物の、戦争は良くない的な半知性的コメントなど、作品の質を下げるだけだろうに。 2015年のこの次節に、あくまで「責任」から眼をそらす。テレビ的で八方美人の無難なインタビュー集に堕している。  作品中盤で、戦死された吉田信さんの日記が紹介される。これが活字のキャプションをナレーションと共に流すという代物なのだ。 恐らくは、旧仮名遣いで書かれた原本では観客には解りづらいだろうとの配慮なのだろう。 全くの余計なお世話だ。それでは、単に文の意味だけを差し出したにすぎないではないか。 肉筆の字面・筆跡に込められた感情を画面に提示させてこそ映画ではないのか。  柳井さんが披露してくれた、遺書替わりのアルバム。その感動的な紙面が一方にはあるのに。
[映画館(邦画)] 4点(2015-09-19 15:57:30)
4.  
オリジナル140分に対し、現存するのは巻頭・巻末部分を欠いた92分のフィルム。  ロングテイク主体でありショット数は250弱だが、その全てが素晴らしい。  出稼ぎにいく娘たちのシルエットが丘の稜線に小さく消えていくロングショットの美。 波打つ稲穂の揺れが拡がっていく緩やかな移動撮影。 斜面が活きた独特の農地の中を人物が走行するキアロスタミ的なジグザグ運動。 囃子のリズムに重なりながら、天秤棒を担いで水を運ぶ父娘を捉えるトラックバックの映画性。 風見章子が愛しげに掬い上げる精白米に注がれる光の眩さ。 そして、石臼や足踏み式脱穀機の生み出す土着的なリズム。  山本嘉一が座る囲炉裏端を捉えた屋内真上からの構図だけで醸し出されるただならない雰囲気。果たして傍の藁に引火し、一気に火の手が上がり家屋が炎に包まれる中を老人と子供が必死に這い逃れる姿を追う迫真のショットの苛烈な様。  各ショットの映画的充実ぶりは挙げ出せば限がないが、それは殊更な風俗描写や技巧の披歴ではなく、あくまで俳優と風土の素朴な佇まいと素朴な語り口の融合によってもたらされているものであり、生活風景の中のさりげない台詞ひとつひとつが人物描写として映画に厚みを出している。  フィルムの欠損と原作通りの徹底した茨城言葉の録音は、却って物語よりも言葉の意味よりも、映像と音の響きそれ自体の充実をより際立たせてくれており、作品の素晴らしさを損なうものではない。  
[ビデオ(邦画)] 9点(2012-03-17 20:20:58)
5.  罪の天使たち 《ネタバレ》 
修道女が各部屋を順々に開けていくシーンの呼びかけ声「アヴェ・マリア」や、ラストで修道女の間を伝播していく「ラ・ポリス」という囁きを始め、彼女らの静かな会話やアンヌ・マリー役:ルネ・フォールの演劇的で澄んだ発声など、音楽的な響きが豊かな映画だ。  脱獄シーンのサイレン音、鉄格子やラストの手錠が閉まる即物的な物音と共に、聞かせる映画になっている。 第2作『ブーローニュの森の貴婦人たち』とともに、劇半音楽があるのもブレッソン長編第1作の特徴だ。  刑務所シーンにみる暗黒ムードやシルエット処理による銃殺シーンなどはアメリカン・フィルムノワールを髣髴させ、夜の樹間に差し込む月の光線はラストの病床シーンのライティングとともに非常に美しくメロドラマを彩り、印象深い。  『抵抗』の冒頭に直結するようなラストショットの「手」の表情は、死と救済の主題とともに、後の作品に連なっていく。 
[映画館(字幕)] 8点(2011-08-28 18:46:50)
6.  月あかりの下で ある定時制高校の記憶
卒業式の「涙そうそう」に被せて挿入される思い出のフラッシュバック。担任からのメッセージを聴く生徒の表情へのズーミング。これらの「感動」演出はあまりに通俗的で品が無い。 公的な場であることが、撮影四年越しのクライマックスに至ってカメラの自重と緊張感を奪っているのではないか。  逆にこの映画は、日常の彼らの姿を捉えたシーンこそ輝いている。  例えば中盤のシーン。 ナオミと呼ばれる少女が、太鼓の練習の休憩時間にそっと場をはずす。 カメラは彼女を追い、ゆっくり階段の踊り場まで登っていくが、そのフレームが捉えるのは踊り場の壁と彼女の影のみ。「どうしたの?」という監督の声。続いて彼女の嗚咽が聞こえてくる。 カメラは壁と彼女の肩だけを捉えている。ここでナレーションによって彼女の家庭事情が語られるが、カメラは彼女の座りこんだ姿を一瞬だけフレーム内に入れ込むと、ゆっくりと後ろ向きに後退していく。 撮影者=監督は、彼女に寄り添い、肩を抱くことを優先し、彼女を撮らないことを選択した。 浦商の生徒や教師と同様、「撮ること」と葛藤し、悩みためらいながら関係を築いてゆこうとするカメラの誠実な揺れが胸を衝く。  映画は、本来ならばドラマティックな「見どころ」となるべき場面を何度か事後ナレーションですましている。 それは単なる省略ではもちろん無く、上記の1シーンに露わな様に繊細な感性を持つ彼ら「撮られる」側の苦痛を知り、デリケートで重要な人間関係の場には安易にカメラを踏み込ませまいとする倫理的な決断ゆえだろう。  彼女らの過酷な境遇。自傷のエピソードを自ら明るく語る彼らの真の苦しさ。それらは決して画面には表れてこない。 そこをこそ、観る側は汲み取りたい。 
[映画館(邦画)] 8点(2011-06-19 17:53:38)
7.  ツーリスト
燃えカスとなった紙片のコンピュータ解析や、列車~本部間での顔写真照合を駆使するハイテクチームに対し、メトロの人波を計算して悠然かつ優雅に尾行グループをまいていくヒロインの貫禄が痛快で楽しい。 常に男の上手を行く対話劇も面白い。  一方の『間違えられた(?)男』ジョニー・デップは、ヒッチコック作品のケイリー・グラント的な鈍臭いアクションや非技巧的な演技設計に逆に技巧が透けてしまうのが難点か。  観光名所でのロケーションに、列車内での男女の出会い(『バルカン超特急』他)に、絞殺(『ロープ』)、屋根上のチェイス(『泥棒成金』、『めまい』)、パーティ(『汚名』)そして窓を通した監視(『裏窓』)と楽しい要素は数多く、またふんだんな空撮も豪勢感があって良い。 
[映画館(字幕)] 6点(2011-06-07 23:14:33)
8.  綴方教室
『馬』同様の、一年間を追う構成(学期ごとの章立て)とセミ・ドキュメンタリー風の手法が特長的。セットなのか、ロケーションなのか、高峰秀子らが暮らす長屋の生活実感と風情が素晴らしい。雨のぬかるみ、大雨で川のようになった路地、馬車の嵌った水たまりなど、変化に富んだ表情を見せる路地の情景にも親近感をもつ。高峰秀子が窓外に目をやると、柔らかな光に雨滴が輝いているソフトフォーカスのショットの叙情性、近所付き合いや姉弟喧嘩のやり取りのほのぼの感なども忘れがたい。教室の終礼の場面で、後席の子が立った瞬間に鞄の重みで椅子が倒れてしまうショットがあるが、これは思わぬNGをそのまま活かしたものではないだろうか。全体の写実的手法の中から自ずと醸しだされた巧まざるユーモアといえるだろう。卒業式を終え、学友たちと一本道を歩いていく後ろ姿で終わるかと思いきや、続いて就職した彼女が画面に向かい笑顔で前向きに歩いてくるショットに繋がるという、幸福感に満ちた粋なエンディングが素敵だ。
[映画館(邦画)] 8点(2009-12-24 20:46:43)
9.  土と兵隊
冒頭で西へ進む輸送船が立てる白波とオーヴァー・ラップして、上陸後の兵士たちの突撃をカメラは側面から捉える。その行軍の模様は全編一貫して画面右手から左方向へとなるよう厳格に構図が設定されており、その反復と一貫性は行軍の、ひいては戦争というものの単調さと過酷さをあえて執拗に強調しているかのようである。戦闘場面でもやはり、側面位置からあるいは部隊後方から画面奥方向への望遠のいずれかによって組織行動を客観的に映し出し、特定個人のドラマが大きくクロースアップされることはほとんど無い。注目すべきは小火器による地道な砲撃で家屋の外壁を徐々に突き崩していく様を克明に捉えたモンタージュであり、日中戦争自体を象徴化したものととれる。一方では人間たちが行軍する足元の草花や、休憩中に空を流れる雲、廃墟をうろつく動物たちの写実的な点描が戦争行為を相対化させ、映画は無常観すら漂わす。あくまで刻苦や精励に主眼を置き、安易なヒロイズムや愛国主義とは無縁の行軍描写は『五人の斥候兵』に対するルース・ベネディクトの指摘のように「反戦」的とすらいえる。検閲制度のさなか、時局への迎合に対しぎりぎり踏みとどまる田坂監督の矜持と誠実さを示す作品である。
[ビデオ(邦画)] 8点(2009-02-11 22:06:46)
10.  椿三十郎(2007)
ほぼ同一の脚本が方や95分、一方は119分。 芝居のスピード感・テンポの差は歴然だ。 オリジナル版は比較的長回しのショットが多いが、 その1ショット内での役者の台詞廻しやアクションの動作(特に走り)がまず素早い。 そして場面転換のカッティングもまた大変スピーディで小気味よい。  それを基準としてしまうと、蛇足というべきスローリプレイなどを含め リメイク版は役者の芝居の勿体ぶりからして冗長と云う以外ない。 全体が締まっていればこそ、中盤でのおっとり母娘のユーモアが活きてくる はずなのに。  それとも現代の「大作」は100分で十分語り切れる作品でもとにかく2時間に 無理やり水増しさせねば気が済まぬらしい。
[映画館(邦画)] 4点(2007-12-02 18:47:53)
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