1. 田園に死す
詩の芸術性とかよくわかんない。その方面に対する見る目が私には全く備わってない。さらにアングラ演劇が苦手(よく知りもせず苦手も何もないんだけど)。この作品のアングラ演劇的な演出にいちいちいやーな感じを抱く。いやーな感じを抱きながらも素直に凄いとも思う。かっこだけじゃない、狙って出せるものじゃない本物の独創がある。というのはわかる。だからだろうけど見た当時の点数は7点らしい(メモにそうある)。だけどそれ以降再見せず。再見しようとも思わなかった。数年後の今は、いやーな感じだけが記憶に残ってる。よって6点にする。ストーリーは奇抜なようで意外に筋が通っててわかりやすい。 [ビデオ(邦画)] 6点(2011-10-18 15:42:09) |
2. 天使のはらわた 赤い教室
堕ちてゆく女・名美、その凄まじき堕ちぶりは石井隆自ら監督した『夜がまた来る』に匹敵する。しかし全編ハードボイルドタッチの石井ワールドではその堕ちた世界が堕ちる前の世界と地続きなのに対しこちらの堕ちた世界は全くの異世界として存在する。だからこそラストがたまらなく切ない。村木に妻と子がいる日常の生活があるように名美にはヒモとの生活がその異世界にあるという生々しさ。「そっちにいてはいけない」。村木の言葉がむなしく響く。もうこのラスト数分に尽きる。名美と村木が出会った場面で旅館の一室で陽が陰ってゆくのを延々と撮ってるシーンがあるんだけど、それだけだとちょっと懲りすぎかなとも思うんだけど、その間、水原ゆう紀は延々背中を向けていて、そのせいでこの長いワンシーン、実に濃密。 [DVD(字幕)] 7点(2010-11-01 17:36:35) |
3. デス・レース2000年
倫理観ゼロの「チキチキマシン猛レース」。綻びを全く気にしないバトルロワイヤルな近未来世界というのがあまりに奔放で素晴らしい。近未来であることを考慮しているとは思えない衣装や車のデザインも最高。しかしそれ以上にショボイ。そしていい加減。ショボさは低予算ゆえだし、いい加減さは味でもあるんだけど、ショボさいい加減さは残酷描写を和らげる働きもあるのであえてしているところもあって、その「あえて」ってのがちょっと目につきすぎた。カルト映画と割り切れば楽しめるかもしれないがそれはあくまで今じゃ到底作り得ないような倫理観の無さにあるのであって、1本の映画として見た場合ちときついものがある。でも冒頭に挙げたこの映画の「自由さ」だけは絶賛したい。 [DVD(字幕)] 5点(2010-09-13 14:39:53) |
4. ディア・ハンター
ロシアン・ルーレットはたしかに怖かったけど、鹿狩りシーンの雄大な画のほうがずっと印象に残っている。どれだけ時間とお金をこの芸術的な画のためだけに費やしたのだろう。鹿がヌッと現れるシーンなんて今だったら間違いなくCGなんだろうな。出兵前の鹿狩りの神々しい画から一転、突如現れるのが戦場シーン。動かないカメラが動き、静寂がヘリの爆音に変わる。長尺の作品の中で実に短い戦場シーンは死と隣り合わせのロシアン・ルーレットに凝縮される。帰還後には出兵前のようなバカやってる小さな幸せが無い。数十分前に映されていたはずの鹿狩り前のしつこすぎる置いてけぼりシーンが妙に懐かしく感じる。ボーリングのアホな出来事も懐かしい。長い長いダンスシーンも懐かしい。何かを奪い去り変貌させてしまう戦争の悲劇をビフォー・アフターで見せる。変わらない友情と移民同士の繋がりが取り返しのつかない「変貌」をより鮮明に浮き上がらせる。 [DVD(字幕)] 7点(2008-12-16 15:45:11) |
5. テレフォン
ガキの頃、CIAとかKGBとか出てくる作品が妙に好きだったのですが、今考えると米ソの冷戦から冷戦終結という時代背景の中で単にこの手の作品が多く作られていただけなのかもしれない。それでもこの当時の作品には共通の男臭さがあって、それってほとんどが個人的郷愁の念に支配されていることが前提にあるんだろうけども、確実にそそられるものがあります。私にとってドン・シーゲルといえば『ダーティ・ハリー』だしブロンソンといえば『狼よさらば』だし大好きなヒーローはブロンソンではなくマックィーンなんだけど、この作品の同時代他作品同様の寡黙なヒーローと抑えたアクションが紡ぎだす同じ空気はやっぱり良い。それでいて主人公が寡黙であることとアクションがおとなしいってことは、誤魔化しがきかず演出の力量が問われる設定でもあって、この独特の男臭さは演出の賜物なんだとあらためて思うのであります。 [ビデオ(字幕)] 6点(2006-03-10 11:55:50) |
6. テナント/恐怖を借りた男
《ネタバレ》 ポランスキー自身が被害妄想を究極に膨らませていく主人公を演じる。妄想へと昇華する伏線の描き方がうまい。主人公の経験する全ての出来事が「自分を自殺に追い込もうと隣人たちが企んでいる」という妄想の伏線となり「同じ部屋で自殺をしたという女」に変身してゆく異常心理を理解させる。前半はけして妄想と断言できる描き方をせず、徐々に妄想であることを確実なものにしてゆく。ラストでは現実の映像と主人公にはこう見えるという妄想の映像を並べて、妄想を決定的なものとする。そして自殺をはかった包帯女が実は自分自身だったという同道巡りのオチ。見るたびに発見があり、見るごとに解からなくなってくる、、そんな映画。 [ビデオ(字幕)] 7点(2005-06-02 18:53:59) |
7. テス
貧しい農村の中でひときわ輝く清楚な美少女の中に、苺を食べるシーンや口笛の練習のシーンで強調された唇の描写で女を映し出してゆく。はるか昔のことを「異教の時代」と言うこの作品はキリスト教世界に被われている。そしてその世界が一人の女を悲劇へと導く。牧師の要らぬ一言が悲劇の発端となり、私生児には洗礼を受けることが許されないだとか秘密を持った結婚は許されないだとかという戒律に、またその戒律に従う信仰心に翻弄されて悲劇の道を転がり落ちてゆく。エンジェルがテスの告白を受け入れることができなかったのは、単なる嫉妬心以上にキリスト教世界の中で生きているという大前提があったからではなかろうか。宗教でもなく合理主義でもなく愛を選んだテスが行きつくところがストーンヘンジという異教の遺跡というのが皮肉である。太陽を神と崇める石の遺跡の前で太陽が昇る前に連行されてゆくというのも二重の皮肉だ。幸薄いヒロインを演じたナスターシャ・キンスキーの純朴な中にも意志の強さを漂わせる瞳が印象的。 [ビデオ(字幕)] 7点(2005-04-20 16:35:44)(良:2票) |
8. THX-1138
《ネタバレ》 ルーカスが学生時に考えた未来映像は恐ろしいまでに全てが簡素化され、人間はその完全な管理システムの中で1個の固体としてただ生かされているだけ、というもの。この未来世界の説明を排除し真っ白な映像と電子音で表現しきったルーカスはこの時から既に一流の映像作家であることを証明している。予算がオーバーした時点で追跡をあっさりやめてしまうのは商業映画の製作と似ているような気がするが、ソコに関連付けるのは考えすぎかな? 外界は危険という言葉と頻繁に出てくる放射能という言葉に、きっとシェルターの外は核で汚染されているのだろうと想像できる。そのうえでラストで初めて見せる外の世界の映像。ただ夕陽が大きく映されるだけの画なのになんて美しいんだろう。管理システムとの対比、生きることと生かされることの対比をあの夕陽だけで表してしまった。凄いです。その夕陽をバックに鳥が横切る画にしっかりと希望を感じさせてくれる。 7点(2004-12-06 12:45:13) |