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1.  エデンの東(1955)
ポケットに両手を突っ込んで猫背気味でどこか怯えたような上目遣い。うじうじした奴と見られる紙一重のところで、無邪気な笑顔が救っている。50年代の看板のような俳優になったが、同時代を演じたのは『理由なき反抗』だけで、本作も第一次世界大戦が背景になっている。どうしたって50年代の若者として見ちゃう。こういう「ビクビクしたように見える」スターはアメリカ映画史上後にも先にもあんまりいないんじゃないか。だいたい「強い男」の伝統の国で、精神的な弱さをアピールすることで女性の母性本能をくすぐり人気を得た新手の役者だった。彼が長生きし続けたらどんな役柄をアメリカ中年・老年像にもたらしたか興味が湧くが、その展望がない国だから早死にしたのか。第一次世界大戦からもう「デモクラシーを守る闘いだ」という理屈はあったんだな。
[地上波(吹替)] 8点(2014-03-15 10:04:01)
2.  EMMA/エマ(1988)
上流階級と下層階級のふれあい。いささか図式的なところもあるが、童話と思えばいいでしょ。いいとこのお嬢さんが狂言誘拐を企む話。ブルジョワのお母さんの描き方が、ちょっとつまんない。下層階級のほうでもスエーデン人に対するイジメがある。バケツを天井にモップで押し支えさせられてるの。全体淡泊で、もう少し脇役が事件をかき回しても良かった。身代金を地下水道から取るあたりが面白い。小生意気だったブルジョワ娘が、ラストでしおらしくなってるところがミソ。メルテが来ても目を上げないで下を向いたままテーブルを回って抱きつくの。『トトロ』でメイが姉ちゃんに学校に会いに来たとこみたいな感じ。心優しい人を、安易に変わり者としてちょっと足りない感じで描くのも芸がない。町の広さがよく分からなかった。
[映画館(字幕)] 6点(2014-03-09 09:30:01)
3.  エクソシスト3(1990)
残虐な殺しがいっぱいあるんだけど、死体は一切見せない。教会の明かりが点滅するほうが怖い。病院の看護婦殺しのとこ。廊下の端にカメラを据えて、見回りの人がちょっと出入りして、部屋を覗いてみたりしてる雰囲気。出てきたのがシーツ男ってのが弱いけど、演出としては正しい。「妖しい静けさ」で全編を通している。冒頭のゆったりとした夜の町の移動からして、間違いない。黒人少年が塀際に立ってたり、赤い薔薇を手渡したり。時計を持ってる小人。あちらは善と悪をキッチリ分ける。殺人犯は純粋な悪の要素が入り込んだ、ってことになる。ラストの地下からモゾモゾでてくるのが、ちょっと困る。
[映画館(字幕)] 6点(2014-02-18 09:14:20)
4.  エロイカ(1957)
ヒロイズムへの徹底した不信、英雄話への不快感に満ちたポーランドらしからぬ作品、あの国の映画は屈従と抵抗のベクトルがピンと張りつめているものだったけど、そういうものが「張りつめていない」ポーランド人もポーランド人なんだ、と訴えているよう。きりっとした抵抗運動には向かない男、成りゆきで生きている男、「え、あんたも抵抗運動やってるの?」と女に驚かれる男。酒が好きで、整列が苦手で、ぐでんぐでんに酔っ払ってる後ろをパルチザンが英雄的に走り抜けていくあたりから後の一連のエピソードはほとんどギャグの連発で、もしかしてレジスタンス運動で頑張ったと言っている党の連中を皮肉ってるのかとも思ったが、作者の共感も感じられ、皮肉ではなさそう。第2話の、脱走に成功したことになっている将校が実は天井裏に隠れ続けている話なぞ、寓話として素晴らしい成果。話をしたくてうずうずしているの。それに共同生活が苦手で独房に憧れてる男もいて、一筋縄ではいかない世界。抵抗者たちの連帯への讃歌もなく、抵抗運動の壮烈感もない。ただただこういう寓話でしか語れない歴史があったことを綴ってゆく。ヒロイズムを否定するには、一度連帯ということもとことん疑わねばならないってことなんだろう。アンジェイ・ムンク監督。
[映画館(字幕)] 8点(2014-02-09 09:42:03)
5.  エレファント
長回しで校舎の中をひたすら巡っていく。ときにスローモーションになるが、ドキュメント性。「地獄になるぜ」の注意の前と後とで校舎の緊張が違って見えてくる。ゼロ時間へ向けてカウントを始めたような。同じ場所が視点を変えて反復され、塗り重ねられていく。「イジメの暴発」と単純化させない。犯人にも被害者にも同等の資格を与えている。最初の被害者はダサーイと言われている女の子だった。天上から聞こえてくる「月光」を最初に聞き取ったことの意味は? ここでドキュメントからはっきり飛躍している。あくまで事件を知っている観客を予定しているわけで、まあ映画にはそういう同時代の観客用という面はいつもあるし、その「ナマモノ感」が大事な気がする。
[DVD(字幕)] 7点(2013-12-30 09:14:42)
6.  江分利満氏の優雅な生活
エッセイ映画とでも呼びましょうか。時代観察であります。恥ずかしさを軸にして。カルピスは恥ずかしいと言う。濃いとベトベトするし、薄いと山手線が池袋を過ぎ大塚巣鴨あたりを走っているときの索漠とした感じになって恥ずかしい。この手のうがった笑いは70年以降かと思ってたが、江戸時代からの笑いでもあったんだな。あるいは、ファックスが出来ない・口笛が吹けない、と自分が出来ないことを列挙していくあたり。出勤時の下着から順に点検していくあたりなんか喜八さんならでは。新婚時代を靴だけで見せたり、アニメの使用、舞台風のセットと楽しんでやってます。だらしのないサラリーマンの自画像だけど、この小市民の暮らしを断固守るという気概だけはしっかりある。徴兵制がなくていい時代だ、と思い、戦争中の張りつめた気持ちも悪くはなかった、などとは断固思わない。ふやけた小市民ではあるが、かえって「そこだけは頑固」ってしっかりと根が感じられる(平成の現代よりも)。母への想いがさらにそれを膨らませている。遺書を書いたときの気持ちを思うと泣けてくる、って。このあと作家山口瞳は傑作「血族」で母への想いを書き尽くすことになる。
[映画館(邦画)] 8点(2013-12-25 09:44:52)
7.  英国式庭園殺人事件
いつも「イギリス」を背負ってる監督の長編第1作。典雅と暴力。典雅なものが典雅であり続けるために必要とされる策謀や暴力。上品なものが上品であり続けるための残酷。そういったものへの関心がずっとあるよう。夫はいつも殺される。趣向を大事にする人で、今回は12枚の絵。実物と絵を見比べる楽しみ。絵のなかで探す楽しみ。移動はあまりなかった。食事のテーブルを横に動いたり、あと屋外で少々。庭が奥から晴れていくところなんか、よく撮りました。あの彫像男分からなかったんだけど、実際ああいう人間を雇ってたことが歴史上あったとか。下層階級の視点だったのかもしれない。趣向が先走りしてる気もしたが、この人はその後もずっと趣向を先走らせる姿勢を貫くのだった。
[映画館(字幕)] 6点(2013-08-12 09:27:15)
8.  エンジェル・アット・マイ・テーブル
少女時代、ちっとも神経質っぽくないモジャモジャ頭の女の子なのがいい。田園の気配はイギリス風。自分の詩を絶対書き直さないこだわりとか、姉の溺死の影とかあるが、数奇な運命を導くほどのものではない。しかし第二部に至って、恥ずかしがりが度を越してくる。授業からの逃走。ここらへんの落ち込んでいく傾斜の感覚が妙にリアルで、つらい。ずるずるとダメなほうにダメなほうにばかり考えがいっちゃう。で入院、ドアのないトイレ、電気ショック。妹の来訪で本にサインすることが支えになる。作家なんだ、という支え。それは三部で、新聞に載った自分の写真を隣の人に見せたい・見つけてもらいたい気分につながる。社会の中で生きる喜び、ってこういうものなんだろう。社会との回路を発見することの大事さ。精神分裂病ではないという診断もあって、もう病気に逃げ込むことは許されない。かなり特異な人生だが、多かれ少なかれ誰にも共通する人生の困難と喜びを描いている。
[映画館(字幕)] 7点(2013-07-05 12:18:45)
9.  エル・ドラド(1966)
最初『昭和残侠伝』みたいな話になるのかと思ってしまった。J・ウェインとR・ミッチャムが、友情を維持しつつ敵対する組に属してしまい、義理と人情の板ばさみになり、最後は二人してライフル携え悪の一家へ颯爽と殴り込みの道行きになっていく、バックには冒頭の歌が流れ…、って。そしたら、すぐにウェインは悪の一家とは手を切って、馬を後ずさりさせて善玉に属する。池部良のような心の葛藤はない。そして終盤では「颯爽」ではなく二人の怪我人として殴り込む。ウ~ン、東洋と西洋での男意気の違いをまざまざと感じさせてくれた。物足りないのは悪役に魅力がないことで、どう悪い奴らなのかをあまり映像で見せてくれない。彼らが悪役と言う立場なんだよ、と会話で説明されてるだけ。善玉の仲間うちの会話は楽しかった(保安官任命の宣誓とか、バッジは標的になるだけ、とか)。その他の俳優、とりわけ女優さんは60年代後半をまざまざと感じさせ、ウェインとでギャップがあったな。善玉一家の娘なんか、どちらかと言うとベトナム反戦集会にフォークギター持って参加してそうな雰囲気。J・カーンは、こういうのもやってたのか(『不意打ち』ってので町のチンピラやってたのは見たぞ)。せっかくナイフの名人ならそれをもっと生かせばいいのに、銃の訓練で笑いをとる役割り。やっぱ銃が基本の社会なんだ。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2013-04-20 10:00:48)
10.  エレンディラ
ヒロインは海に憧れ続け、ラストでやっと海のそばにテントを立てるが、また砂漠のほうに逃げていく。この青空が印象的で、海の青より空の青を選んだ、という感じ(青と言えば、初めて体売られたときカーテンを青い魚が過ぎていく。「百年の孤独」に、ずっと雨が降り続いて湿度が上がった室内を、魚が泳ぎ過ぎていくってイメージがあって、好きだった)。マルケスの小説って凄く映像的だと思ってたんだけど、やはりあれ文学なんだな。この映画で一番美しいイメージは祖母の夢語りなんだ。エイが空を飛んでいくような。その瑞々しさに比べると、ガラスの変色など、実際の映像で示されるとかえってイメージがしぼんでしまう。そこだけが特異点として浮き上がってしまう、日常の中の非日常として。全体が溶け合ったものになってくれない。さらに言えば、あの仕掛けはどうなってんのか、などとあらぬことを考えてしまう。これ映像の不利な点ですね。修道院から帰ってくるところがミソか。幸福と懐かしさで、彼女は懐かしさのほうを選んだってこと。
[映画館(字幕)] 7点(2013-01-30 09:57:34)
11.  M(1931) 《ネタバレ》 
映画史上最も異様な作品。そのまま解釈すれば精神病に対する偏見の作品てことになるけど、後半の異様な熱気がそんなものでないことを示す。「時代の不安」の映画であることは間違いないが、そう簡単に言い切っちゃっていいのかい、とフィルムのほうがこちらを値踏みしてくるような落ち着かなさを感じる。子どもたちの未来を奪っていく黒い影、その性的変質が政治的変質と一つのかたまりになってスクリーンから押し出してくる。犯人が少女を見てムラムラッとなるところや、「裁判」での弁明に時間を割いて丁寧にやっているのも、単なるスリラーでない証拠だ。「心の中の悪魔が言うことをきかなかった」という犯人の弁明は、ドイツ人が十数年後に繰り返すことになる。小悪党によって変質者が裁かれ、いざ刑の執行になると、目に見えぬ官憲に踏み込まれる、という話に何らかの隠喩があるのかも知れないが、カフカに通じるような、異様さを異様なまま納得させるリアリティがあって、そっちのほうが急ごしらえの解釈など吹っ飛ばしてしまう。弁護士がさかんに「犯意のない犯行は無実ではないか」と主張するのも、これからファシズムを支えていく民衆の弁護になっており、誰かを裁くだけで済む問題ではないぞ、とドイツの未来に対して、さらには世界の歴史に対して先取りして発言しているよう。無数の解釈の可能性に覆われた、まるでカサブタだけで本体の見えぬ怪物に出会ってしまった気分にさせられる作品だ。ちなみに本作のP・ローレ、『サイコ』のA・パーキンス、『コレクター』のT・スタンプが、私にとっての愛すべき三大変態(別格扱いの『ソドムの市』の四人組とで「変態七福神」とも呼ぶ)。
[映画館(字幕)] 8点(2012-08-03 10:07:21)
12.  エドワールとキャロリーヌ 《ネタバレ》 
当時としてはこれくらい当たり前だったのかもしれないけど、舞台をどんどん広げていくその手順の確かさみたいなものが、見てて気持ちいい。ルーシーショーのようなセットの舞台劇の雰囲気から、叔父さんの舞踏会へとね。こちらに鏡のある見立て。ベッドの下の隠し場所としての使い方。辞典から旅行カバンまで。ピアノの中の手紙を椅子を一回転させて目に止めさせるとことか。一つ一つはどうってことなくても、キチンとしてる。ポロネーズを何度も弾かせている間のコードを伸ばした電話。お互いに「ちょっと待って」でチグハグに進むとこ。脇役も風采のいいロシア人の給仕とか、ちょこちょこっと飽きさせないものを配置してある。職人芸ってこういうのを言うんでしょうなあ。夫婦お互いにちょっと危なくなりかけて、円満に収まっていくというこの他愛のなさも貴重。
[映画館(字幕)] 7点(2012-07-12 09:50:50)
13.  エイリアン2 《ネタバレ》 
エイリアンを先住民インディアンなり共産主義者なりに見立てると、ハナモチならないアメリカ映画の伝統につながるんだけど、己れの悪夢を克服するために再び現実と戦う勇気の物語と見ると、アメリカ映画の最良の伝統を受け継いでいることになる。だからいいのはヒロイン像。重火器の構えがいい。今までだと武器を持つ人物は、もっぱら前屈みになったもんだけど、重さで後ろに身を反らす感じになる。前屈みのほうが戦闘的な気分は出るが、身を反らすと堂々として頼もしい。それが女性ってことで、新しい味わいが出た(2012年再見。ここらへん記憶の中でリプリーと海兵隊のオネエチャンとが混ざってたな。あのオネエチャンの構えが本作で一番印象に残っている)。活劇としては、天井からエイリアンが近づいてくるあたりドキドキさせたが、考えてみればちょっと対策が不備すぎる気もする。エレベーターで追いかけてくるってのも、なんだかなあ。細かいところはけっこう気をつかってるんだよね、冬眠から覚めたあとの床の冷たさとか。
[映画館(字幕)] 7点(2012-06-18 09:40:40)
14.  エボリ 《ネタバレ》 
反ファシズム運動のために南部に流刑されたイタリアの作家。そのアタマだけの社会主義者が、南の現実の中で教育されていくという成長もの。あっちの流刑ってけっこういい身分なの。街をうろつき、暑いときは墓穴に寝、絵なんか描いていられる(パヴェーゼの小説「流刑」でも、銃を携帯して地元の人と猟をしていた)。村長(『ソドムの市』の四人組の一人)と手紙について論争する場面は素晴らしいが、しかしあくまで文字の上での戦いであって、有効性ということから言えばいささか空しい。なのにけっこう意気揚々としてたりして、ヤな奴だなと思ってしまう。それが次第に厚みのある人間になっていって、医師として目覚め、迷信に対する苦笑が消え、村の聖人になってしまうという展開。ちょっと優等生的すぎる気もした。けっきょく北の歴史に参加すべく帰っていき、そのままこちらを訪れる約束を果たしていない、という苦味を残して美しい天気雨で締めている。ジャン・マリア・ヴォロンテがかっこよすぎるのも優等生っぽいんだ。とは言え、こういう「映画として充実している社会派」の監督も減った。
[映画館(字幕)] 7点(2012-06-17 09:50:47)
15.  エイリアン 《ネタバレ》 
終盤でけっこう長く、登場する人間が主人公だけになってしまうなんてほかに思い出せるのは『2001年』ぐらいで、エンタテイメント作品ではあんまりないんじゃないか。同僚との通信が途絶えてからは、耳にする人の声はカウントダウンの数字の読み上げ、人間の感情の通っている会話がなくなる。これがサスペンスを盛り上げている。それと同時に、剣豪と剣豪とが最後の試合に臨まなければならなくなっているような緊迫も生まれている。ここらへんたまらない(逃げ出すんなら、何も本船爆破しなくても…、なんて考えてはいけない)。無機的な宇宙船と、ヌメッドロッとした有機体としてのエイリアンの対比の映画、と思っていたんだけど、そう単純でもないんだな。エイリアンのヌメッとした頭部は、ラストでは機械のツルッとした部分にまぎれている。破壊されたロボットは思いっきり有機体っぽく白い液を撒いてスプラッターやってる。無機物と有機物が対立しているようで、「向こう側」でつながっている気配もあり、それが本作の「安心できなさ」を生んでいる。あの星で見つけた構造体(エイリアンにかつて襲われた異星人の宇宙船と思っていいんでしょ?)、あれ構造物とエイリアンの巣とがつながってる「胎内」のイメージがあるのが不気味なんだ。その曖昧につながってる感じが、ノストロモ号の機関にまぎれるエイリアンを説得あるものにしており、この映画の不気味さを「向こう側」で醸している。けっきょく姿をハッキリ現わさないエイリアンを特徴づけているのはその歯であり、それが「捕食」という生命維持行為を超えて「悪」のイメージも含んでいるのがちょっと不満。もっと「純粋な生命体」ならではの善悪を匂わせないイメージを生み出せなかったか。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2012-06-16 09:54:23)
16.  エノケンのちゃっきり金太
総集編でも残っていることを喜ぶべきなんだろうが、流れがおかしくなってしまっているのが、けっこうキズに感じる。中村是好との関係などギクシャク。なんか大筋のつなぎ合わせのほうを大事にして、ギャグとしての流れを犠牲にしたんじゃないか。滅んでいく幕府に同情的で、新興勢力の田舎ものをコケにするのが江戸っ子かたぎ。もちろん基本はこの時代の映画で親皇側を立ててはいるが、明治以降の大衆文化って、けっこう佐幕派的な心性がひっそりと生き続けている。エノケンのキャラクターは、卑屈としたたかさが同居したもので、チャップリンもそうだった。映画初期の庶民の理想像だったんだね、あんがい革命の時代ってことともどこかで通じていたか。スリのねえさんと一緒に旅していた、娘の父親探しはどうなったんだろうな。クシャミをすると是好が出てくるあの感じはよかった。
[映画館(邦画)] 6点(2012-04-30 09:35:22)
17.  映写技師は見ていた 《ネタバレ》 
もうちょっと短く出来るかと思ったが、でも悪くなかった。単に終わった体制の悪口を安全な時代になってから言ってるってだけじゃなくて、ある種の普遍的な独裁者願望のパターンがちゃんと出てた。これの同時代で言えばホメイニ下のイランに置き換えることも可能。純真さ・ナイーブさが独裁を支える構造そのものを見ようとしている。怖いのは主人公がこの体制を恐怖しつつも肯定しているとこで、ここに権力というものの不可思議さがあるんだろう。会話が聞かれることに怯えながらも、スターリンへの敬愛は変わらない。エライさんたちに出会うあたりの緊張する雰囲気、リアリティあった。やさしいスターリン。感激の極みであります。これと妻カーチャへの愛とが並行するの。このカーチャがラストでやっぱりスターリン一途になって登場するあたりに凄味。妻を愛するのかスターリンを愛するのか。カーチャへのカーディガンが取り出される。妻を演じたロリータ・ダヴィドヴィッチ、『ブレイズ』のときも、プロレタリア色のある女優さんでハリウッドでは貴重だなと思ったが、やっぱあの資本主義国で主役級を生き抜くのは難しかったか。
[映画館(字幕)] 7点(2012-02-08 10:28:46)
18.  エロティックな関係
徹底的に閉じて内輪で遊んでいる感じ。隠し芸大会の雰囲気。映画に限らず、日本の文化の困ったところがこの内輪で閉じちゃう感じなんだな(いや文化に限らず政治とか、いろんな方面で表われる困った特徴)。わずかに荒戸源次郎のとこに乗り込んでオズオズしてるあたりで、往年の裕也映画の面白味が出掛かった瞬間もあったが、あとはほとんどノレなかった。話がいい加減でも面白い映画はあるし、それ以外の見せ場に何か作者の執着を感じさせるものがあれば納得できるんだけど、ない。最後まで内輪の弛緩した空気が続く。オクヤマとかキシンとか内輪落ちの名前もけっこう苛立たせた。
[映画館(邦画)] 4点(2012-01-10 10:19:24)
19.  英国王のスピーチ
これはもう「あがり症の王様」って設定が秀逸で、実話なんだろうけど、よくぞ取り上げた。人生のほとんどを公式の場にいる王族が吃ったら、そりゃ地獄だわな。職業が「公人であること」なんだもん。普通の対人恐怖症は「笑われる」ことを気に病むんだけど、彼の場合は「哀れまれる」という地獄。だから彼が気の毒だという視線が、さらに彼を傷つけてしまう。大観衆の視線から先祖の肖像画までが脅威となって迫ってくる。転職も出来ない(兄貴に先を越されてしまった)。脅威の対象だった一般市民との間に、次第に友情が育ってくるところがポイント。映画は結果が分かっている展開を、淡々と進んでいった。それが物足りなくもあるが、たとえばもし「演説の天才ヒットラーに対する怒りによって流暢に語れた」なんて話になったら、それはそれで安っぽく感じてしまっただろう。こういう「人生の不安」に対しては特効薬はなく、彼のようにただただ匍匐前進していくしかないのだ、という勇気をたたえる物語でいい。それにしても先代の王様が卑猥語を狂ったように叫ぶ映画が作れる国はいいなあ。もし昭和天皇が卑猥語を叫ぶ映画を日本で作ったら(あの人も幼少時にプレッシャーきつかったのか、しゃべりが流暢ではなかった)、街宣車が走り回ってスクリーンはズタズタにされるんじゃないか。
[DVD(字幕)] 6点(2011-12-11 09:53:12)(良:2票)
20.  PNDC-エル・パトレイロ
理想に燃えた警官が社会に出て汚れていく。ついに矛盾に耐え切れず職を辞し、妻にこきつかわれ、愛人には「養ってくれるわね」と釘を刺され、ああ、これが人生か(ちょっと「砂の女」を思い出した。男を待ち構えている女という落とし穴)。愛の理想も現実に汚染されていく。仕事の嫌な感じを丹念に積み重ねていくあたりに、手ごたえ。怪我をしたとこに父の幻影が現われるのなんか、中南米の匂い。そしてドン・キホーテのように最後の一花を咲かせようとするわけだ。やはり中南米って、どこかスペインの影を引きずっている。
[映画館(字幕)] 6点(2011-10-27 09:56:07)
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