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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1248
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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1.  4/猫 ねこぶんのよん 《ネタバレ》 
「一匹の猫が住みつく、とある駅を利用する市井の人を描く」という条件で若手監督4人が作ったオムニバスである。製作は「埼玉県/SKIPシティ 彩の国ビジュアルプラザ」とのことで、前に見た「埼玉家族」(2013)と同様の埼玉映画ということになる。なお「とある駅」とは明らかに西武秩父駅であって、撮影場所も秩父が多かったように見える。 登場する「駅猫」は同時期の映画「猫なんかよんでもこない。」(2015)に出演したのと同じネコとのことだが、結果的にネコ成分は薄いので、ネコ映画としては期待しない方がいい。  【ねこぶんのいち/猫まんま】 突然終わるので困惑する。ここで思い切りよく清算して決別したというだけでは単純なので、次の展開に向けて仕切り直しと仕込みをしたのかと思ったがそうでもなかったか。木南晴夏という人がかなりいい感じに見える。 【ねこぶんのに/ひかりと嘘のはなし】 意味不明で終わってしまう。変な男と話が通じた(物語を一緒に作った)体験をもとにして、自分の人間関係を主体的に構築していく気になった、と思えなくもなかったがそれでわかった気もしない。柴田杏花さんはこの少し前から役者として出ていた人だが、この映画では“いいこと思いついた!”の顔がよかった。ネコは後姿がよかった。 【ねこぶんのさん/一円の神様】 制作目的が不明瞭な終わり方だが、要は母の愛が信じられれば子は育つということ自体を表現したのかも知れない。終盤で母親が逃げるのは、同じ監督の「口裂け女VSカシマさん」(2016)を思わせたが関係ないか。役者としては山田キヌヲ+栞那(かんな、子役)のペアで見せているが、朝倉あきさんはあまり顔の見えない役で残念だった。 【ねこぶんのよん/ホテル菜の花】 結末がありきたりに見える。夫の考えはそれ自体として間違っておらず、「可哀想」とは確かに言い過ぎだが、しかし別にこの映画として正しい結論を決めていたわけでもなく、夫婦が真剣に悩んで納得したことの方が重要だったと思っていいか。ちなみにどうでもいいことだが夫は埼玉りそな銀行にでも勤めているのかと思った(根拠なし)。  時間は全部同じくらいなのでそれぞれ1/4ではある。理解困難なものが多いが雰囲気は悪くない。最終話だけそれらしい結末をつけたのは全体構成上の意図かも知れないが、個人的には菜の花畑の演出が過剰に見えて、前の3つが投げっ放しだったことの方がかえって清々しく感じられた。
[DVD(邦画)] 6点(2022-08-06 09:41:04)
2.  猫と電車 《ネタバレ》 
香川県の鉄道会社「高松琴平電気鉄道」の100周年記念企画の映画である。主に高松市とその周辺が舞台で(琴平までは行かない)、着ぐるみキャラやご当地アイドルでもPR色を出している。「脚本と監督と撮影と編集」を担当しているのは香川県の銀行に勤務しながら映画を撮っている香西志帆という人で、これが監督第1作とのことである。 題名にネコが入っているがストーリーにはあまり関係なく、主人公が「野良猫ガール」だということと、幼少時から「にゃんこ先生」を頼りにしてきたところがかろうじてつながっている。また劇中でその辺に生息するネコの映像を脈絡なく映していたが、これは現地在住の監督が映画のために撮っておいたものらしい。電車に関しても、直接関係するのは終盤の「キャラクター電車」くらいだが、街中の風景で、アーケード商店街(片原町)を分断して電車が通っていたのは場所性の表現としてよかったかも知れない。  お話としては、少なくとも前半は普通に楽しい。絵本のようなイラストやインテリアの色彩感、ダンボール城などがメルヘン調の雰囲気を出している。コメディとしてそれほど大笑いするところはないが、「お一人様で琴電」といった類の微妙な可笑しさは嫌いでない。主人公の哀れっぽい顔も笑いを誘うところがある。 後半に入ると次第に深刻な話になってしまうが、最終的には万引き兄弟の事件がきっかけで、主人公の抱えていた問題点(主に2つ)が解消したらしい。終盤に説明が集中しすぎてわかりにくく、見る側が自発的に補足しなければ極端に都合のいいハッピーエンドにしか見えないのは困るが、主人公にとっての「いちばんしあわせな思い出」の真相が実は切ないものだった、という点はよかった。最後のサプライズはもとの状態に戻るためのものではなく、既に始まった新しい人生へのエールだったと解しておく。  出演者に関しては、姉役の藤真美穂という女優は別として、役者として少々心許ない感じの人も多い。主演の篠原ともえという人も本業の女優ではないだろうが(初主演とのこと)、この人の存在感だけでも映画が成り立つ気はした。主題歌(オープニング・エンディング)と挿入歌1曲もこの人が歌っているが、主題歌のMVを見ると普通に艶っぽい美女に映っているのが意外だった(こういう人だったか?)。
[DVD(邦画)] 6点(2019-05-11 11:16:14)
3.  ねこにみかん 《ネタバレ》 
和歌山県有田郡有田川町のご当地映画である。 まず題名との関係でいえば、ネコは1匹出る。また登場人物がミカンを食う場面がやたらにあるが、皮をむきかけて半端になる例が多いようで気に障る。ちなみにこの題名は「ネクロノミコン」を思い出させるので印象がよくない(ホラーかと思う)が、その言葉を知らない人間が多ければ支障ないかも知れない。  基本設定としては17年前に、当時35歳の男が妻(連れ子あり)を亡くした心の痛手を癒す名目で、30歳、25歳、18歳の女3人を同時期に妊娠させたことになっている(妊娠しなかった、あるいは男に黙って堕胎したのはもっといたかも知れない)。その関係者が今も一つの家に同居しているという突飛な状況で、劇中でも「一夫多妻」という言葉が使われている。 その上で、この映画で何がいいたいのかは正直わからない。「ちゃんと迎えてあげる」という言葉が大事そうには聞こえたが、そのことをこういう事例をもとにして訴える必然性はなく、そもそも皆がこの“家族”を維持しなければならないと思っている理由が全くわからない。普通にいう家族の有難味ということよりも、家族に関わる固定観念を破壊してみせることの方が主目的に見えたが、それなら今となれば「万引き家族」(2018)でも見れば自然に納得する。黒川芽以という女優は嫌いでないが、もう少しまともな映画に出てもらいたい。  ところでこの状況について、登場人物も“普通でない”とさかんに言っていたので、有田川町とか旧有田郡域とか和歌山県全部とかでこれが普通なわけではないことが一応アピールされてはいたようである。しかし先日死去した和歌山県田辺市の実業家のイメージなどからすれば、そもそも内縁の妻の存在を自慢する感覚とか、社会の枠に縛られない性的な自由を容認する風土がこの地域にあって、それを全国に認めさせたい承認欲求でもあるのかといった想像が広がる…本当にそう思っているわけでもないが、ともかくこういう映画が地方政界その他の絶大な?支援で製作されたのを見ると、日本もいろいろ多様性のある国だと思わせるものはある。 なお最後によかった点を書くと(かなり局部的だが)「なに忘れたん?」「言い忘れ」というやり取りは気が利いた感じだった。また主人公の父親の言動はマンガのようだったが、最終的な割り切り方は好きだ。相互理解が不可能なら断絶するしかない。
[DVD(邦画)] 3点(2018-12-16 17:29:23)(良:1票)
4.  ネコヤドのハルとアキ 《ネタバレ》 
栃木県鹿沼市の映画である。「鹿沼に行きたくなるショートフィルム」というお題のもと、市の助成を受けて制作したものとのことで、映像ソフトとしては同じ監督(近藤勇一)の「ソラから来た転校生」のDVD特典として収録されているほか、監督の公式YouTubeチャンネルでも公開されている。主な出演者2人は「ソラから…」の2人と共通である。  まず題名のうち「ネコヤド」が意味不明だが、これは1999年に鹿沼市上材木町の裏通りのさらに狭い路地で開業した喫茶店の経営者が、現地の古い地名である「上材木町 字 根古屋」に因んで「根古屋路地」と命名したのがもとになっている。この人物が現地で2006年2月から月1回、フリーマーケットのように工芸品や食品などを持ち寄って販売する「ネコヤド大市」というイベントを始めて大人気になり、ここをチャレンジショップの場にして起業した人々が別の場所に出店したりして動きが拡大し、2012年3月にはより広域の「ネコヤド商店街」のイベントに発展したとのことで、地方都市活性化の成功事例として知られていたらしい。 この映画との関係でいえば、田植え体験の場面は2012年5月だろうが本編は早春のように見えるので、拡大版「ネコヤド商店街」の開催に合わせて撮影したものかと思われる。  内容としては、市の意図からすればあからさまに地元PR映画だったわけだが、引越しで地元を離れる少女が見納めに市内を回る、という理屈でわざとらしさがうまく低減されている。少女が使っていた8mmカメラ?は監督の昔の体験の再現と思われる。 物語は引越しで離ればなれになる親友それぞれの思いを描いており、残る少女の思いを代弁する“編みぐるみ”の声が切なく、また去る少女がどこに行っても親友との思い出ばかりだったというのが泣かせる。たまたま仲違いしていた2人を、最後の最後に「ネコヤド商店街」がつないでくれた形になっており、ラストの観覧車の中でのやりとりが微笑ましく嬉しい。 ほか劇中の“編みぐるみ”が動く視覚効果は面白い。自分の感覚では特に可愛いとも思わないが、うちの地元に住んでいる若手クリエーター(職業不詳)の作風を思わせるものがあって親近感はわく。どうも最近はこういうのが受けるらしい。
[DVD(邦画)] 6点(2018-01-05 19:57:35)
5.  猫なんかよんでもこない。 《ネタバレ》 
日頃ネコ映画を好んで見ているわけでないので比較できないが、動くネコ映像が満載というだけでなく、ネコを飼うことに関してもよくできた映画ではないかと思われる。 映画では子ネコを飼い始めるところから死期が迫った状態、及び死後のペットロスまでを短期間ながら一貫して扱い、その間にネコが引き起こす各種の出来事を入れてある。ほか人間側の心構えや気の持ち方も語らせており、こういうのは死んで初めて考えるよりも、生きているうちから考えていた方がいいことと思われる。 個人的に重要だと思ったのは、劇中で死んだネコはヒトの立場からすれば自分のせいで死んだと思われたかも知れないが、当のネコは自分の本能に従って一生を全うしただけだということである。台詞とは別の表現をすれば、過剰な思い入れを排してヒトの都合・ネコの都合と割り切った上で、たとえ同床異夢でも同じ空間と時間を生きることが大切だということが語られていた気がする。  一方でこの映画が好きになれないのは、主人公が本物の馬鹿に見えるからである。原作が30年前のため現代の常識が普及していないという言い訳もあるようだが、主人公は早い段階で外飼いをするな、避妊・去勢をしろと忠告されたのを無視して何もしなかったのであって、それで問題が起こって慌てる/泣くぐらいなら初めから対処しておけと言いたくなる。避妊した後で後悔していたのも考えが足りない。 こういうのはストーリー上で必要な教訓を導くための都合かも知れないが、それにしても現代日本では普通のことを、主人公はやっと最後になってわかるという展開は非常に苛立たしい。そういうお勉強の面でいえば、現に飼っている人というよりも、これからネコを飼いたい人が見るのがふさわしいともいえる。30年間の人類の進歩?を疑似体験する映画ということかも知れない。 ただ主人公は結局最後まで外出を許しており、これは家に閉じ込めることについて制作側(原作者?)の割り切りができていないのかと思ったりもしたが、何にせよこのために、周辺住民の生活被害という非常に重要な問題が扱われない形になっていたのはさすがに困ったことである。現代であればこの点は絶対に外せない。 ちなみに個人的な考え方を書いておくと、ヒトとネコの間で無理に上下関係を想定しなくてもいいのではと思う。ネコが自分を見下していると考える必要はない。
[DVD(邦画)] 5点(2016-10-18 19:41:29)(良:1票)
6.  ねらわれた学園(2012) 《ネタバレ》 
外部情報(監督インタビュー)によれば企画段階から「時をかける少女」(2006)を意識していたとのことだが、時かけ2006が原作を換骨奪胎しながらもそれ自体がきっちり“時をかける少女”になっていたのに対し、これのどこが“ねらわれた学園”なのか全くわからない。超能力なら何のアニメでも普通に出て来るだろうし、テーマにしても“コミュニケーション”なら別にこの題名である必要はないだろう。またそのテーマにしてもそれ自体が感動を呼ぶものになっているわけではない。ストーリーを一応なぞった上で勝手に別物をでっち上げた大林版(1981)の方がかえって偉大に思われる。  またその半端なテーマのほかに、疑似SF的要素とか思いつくまま雑多なものを詰め込んだようでわけがわからなくなっている。せめて少年少女のラブストーリーだけでもまともに作ってもらいたいものだが、その一番大事な部分についてもヒロインの行動様式が尋常でなく、好きだ好きだと怒鳴って暴れるのでは思いを受け止めるにも限度がある。とにかく伏線を回収したとか何とかいう前に、まずは全体のストーリー展開に必然性を持たせ、かつ観客が心情的にも納得できるものにしなければ、とてもまともなお話とは感じられない。映画として公開するからには普通人が評価できるものを作ろうという気になぜならないのかが全く理解不能である。  一方で映像効果についてはあまりに力が入りすぎて煩わしいが、まあこれはこれでこういう世界と割り切って浸ることはできなくもない。キャラクターに関しても、女子はみなエロカワイイのでアニメ標準からすればこれでいいのではなかろうか。ただし、個人的に好きになれる人物が誰ひとりいなかったのは残念なことである。
[DVD(邦画)] 2点(2014-04-21 21:55:26)
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