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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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101.  女ざかり(1994)
前作でちょっとやりかけていた細かいカットを、今回は全編でやりおった。『白昼の通り魔』よりも細かい。生理的につらい。なんか本来の「映画」から隔てられている感覚。ヨシのズイから覗いている世界のようで、せわしないというより、狭さを感じた。その発見が本作唯一の収穫。狙いとしては、同時に複数の視点を得ているようになると思っていたのか。やはりカットにはある程度、動きが完結するまでの時間が必要なようだ。ちょっとした遊びのシーンだけならそれもいいけど、全編でやられるとつらい。脚本も良くない。この話なら原作を刈り込むべきで、それを詰め込んで失敗。後半の過去と関わってくるあたりを中心にしてしまったほうが大林的だったのでは。
[映画館(邦画)] 5点(2010-09-30 10:19:08)
102.  音楽大進軍
戦争中の馬鹿に陽気な映画というのに目がないもので、オルガン演奏による軍艦マーチで始まり、フルオーケストラに合唱付きの愛国行進曲で終わる、こういった典型的な国策映画がたまらない。ニュースで北朝鮮のテレビ番組が映るとつい見入ってしまうときの気分に近い(もちろんあの時代なり北朝鮮なりで暮らしたいわけでは全然ない)。おそらく当時の演奏家の記録(辻久子のヴァイオリンなど)として価値を持つフィルムだろうが、この映画自体だって立派な時代の記録だ。いちおう緑波と渡辺篤が慰問団を組織するために有名音楽家を説得して回る、という筋はあり、当時の放送局や撮影所風景が見られるし、また彼らの演奏が聴ける。でも東宝だからモダンなの。国粋風を吹かしていない(監督が戦後に撮った『明治天皇と日露大戦争』のほうがよっぽど国粋的)。日本的なものと言えば長谷川一夫が元禄花見踊りを踊るくらいで、あれだって国粋的とは言えずいたってノンキ。西欧風にシャレた藤原義江邸では女中さんたちがアリアを歌いながら花壇に水をやり、放牧場ではトスカ(盟友国イタリアのオペラ)を夫婦で歌う。何かの本で“全体主義は「黙れ」と言うのではなく「歌え」と命じる”と出ていたのが記憶に残っている。これなんか戦争下で明るさやノンキさを実際に「歌わされて」はいるけど、国策映画としての効果はあったんだろうかな、元禄花見踊りで。
[映画館(邦画)] 5点(2009-04-19 12:12:10)
103.  女番長 野良猫ロック
タイトルでは和田アキ子のほうが梶芽衣子より先だった。和田の演技力によっては女番長シリーズを考えていたのかもしれないが、彼女には歌に専念してもらうことにして、梶芽衣子の野良猫ロックとしてシリーズ化したということか。でも今見ると主人公はどちらでもなく、70年の新宿そのものだ。開発中の西口がたっぷり見られる。ガスタンクまで見通せる広大な空き地、工事中のとこってすぐ子どもの遊び場になっちゃうもので、もう藤竜也はじめみんなで走り回って遊んでる気分。オートバイとクルマの追っかけで、地下道や歩道橋を走り回るの、今じゃOK出ないだろう。いっぽう東口はサイケな気分、モップスにオックス、あとひとつ知らないGSも登場し、そのグループが歌ういかにもあのころのセンチな響きが、恥ずかしくも懐かしい。そうそう、虚無感を漂わせて話を終えるのもこのころの流儀だったっけ。ボクサーのコーチ役が青木富夫、かつての突貫小僧だ。
[DVD(邦画)] 5点(2008-01-31 12:19:00)(良:1票)
104.  おそいひと 《ネタバレ》 
分かりませんでした。「作品の意図」とか「作者の言いたいこと」とか以前の問題として、そもそも話の展開が分からない。なぜ通り魔になったのか、という大事なポイントのとこで、思わせぶりな映像になってしまい、分からせようとしていない。全体としても無意味なアップや、なに映ってんだか分からないカットが多すぎ。最初の殺人はどうも嫉妬ゆえらしいんだけど、そこから殺人鬼にジャンプしたのは、女学生との問題だけなのか。階段の手前で進行を阻まれる電動車椅子のシーンはあり、それが階段の下で酔っ払いを待ち伏せる行為につながっていたのか、よく分からない。からかわれたり馬鹿にされたりするような、分かりやすい動機がないのはいい。でも彼の動機を納得させるだけの「彼の心の気分」は、せめて欲しい。それには電動車椅子から見た世界がどういうものかを、もっと描くべきだったのではないか。介助されることの苛立ち、よってたかって親切にされることの鬱陶しさを、車椅子の高さから見せるべきだったのではないか。介護されるほど募る孤独を描写で見せるべきだったのではないか。たぶんこの作品は、主人公を本物の身障者が演じているということに寄り掛かり過ぎている。でも私たちはそのことを、マスコミの情報なりレンタルDVDのパッケージなり、フィルムの外の回路を通じて知って観ているわけで、健常者の俳優が演じていると思って観てもいいわけだ。そう観てもこの作品は自立できるだろうか。たしかにドラマで障害者がいつもかわいそうな善人の役になるのは差別の一種だろうが、だからといって現実に実行できそうもない通り魔をやらせるのも、障害者が持つ夢や希望に対する侮りが感じられてしまうのだ。
[DVD(邦画)] 4点(2010-12-05 10:07:01)
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