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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1248
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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1.  大きな春子ちゃん Am I too big? 《ネタバレ》 
26人の監督によるバカ映画のオムニバス「フールジャパン ABC・オブ・鉄ドン」中の一編だそうで、2014年の「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」で上映されたとのことである。「鉄ドン」というネーミング自体が今となっては痛い感じだが、この映画も昔の歌から無意味に題名だけ借りて来て笑えないオヤジギャグ的印象がある。劇中の主人公が監督本人だったとのことで、制作者の年代感を恥ずかしげもなく出した映画になっている。  ジャンルとしては「バカ映画」ということになるが、そういう前提で要は特撮怪獣映画を作ったらしい。水着だったのは本来の棲家が海だったからで、最後にまた海へ去るのはゴジラなどの習性を受け継いだと思われる。 春子ちゃん本体に関しては、サイズの単位が何かと思ったらftだったのはなるほどと思った(尺でもよかったのでは)。ウルトラマン並みの高身長では本人も気にするかも知れないが、体重は軽いので安心してもらっていい。映像的には胸の柔らかさの表現に気を使っていたようだが、尻にガラスが刺さらなかったことからすると柔らかいが強靭という未知の生体組織でできていたらしい。 残念だったのは飛んできたのがアメリカの飛行機だったことだが(三沢ならまだしもテールコードのMOはアイダホ州マウンテンホーム空軍基地の所属ということになるので遠くからご苦労なことだ)、映像的な印象はそれほど悪くない。ラストの「終」は昭和の風情があり、洋上の富士も由緒正しい日本の風景といえる。  ほか春子ちゃん役は有元由妃乃という人で、尻の突き出し方などを見るとグラビアアイドルか何かかと思ったら普通に役者をしていた人らしい。前に見た超マイナー映画「サーチン・フォー・マイ・フューチャー」(2016)にも劇団員として出ていたようだが、今回はオヤジ好みの和ませる雰囲気を出していた。
[インターネット(邦画)] 4点(2023-08-05 14:10:01)
2.  王の願い ハングルの始まり 《ネタバレ》 
15世紀に朝鮮国の世宗王が自国語の固有文字を作った話である。冒頭のテロップでフィクションと明示されるので、具体的に誰が何をしたかのレベルで史実と思わない方がいい。 まともに習ったことはないので細かいことはわからないが、劇中の文字製作過程はなかなか興味深い。ゼロから国王が考えたわけでもなく、表音文字の先行例である梵字や大陸諸民族の文字を参考にしたというのは現実味がある。最初に言語自体の音素がどれだけあるかを整理して、次いでそれぞれに当てる字母を考えていたが、点と直線でシンプルに作ることにしたのが記号的な外見の理由になっている。 先に子音が決まった状態では、若い僧とツンデレ宮女のメッセージ交換も子音だけのようだったが、その後に母音をどうするか一生懸命考えて、できた母音と子音を並べて書いた場面ではアルファベットと同じ音素文字の状態らしかった。そこからさらに視認性を高めるため「合字」して現在のような音節文字になり、最終的に「ㅇ」に新たな役割を与えて画竜点睛的な印象を出していた。本当にこういう順序だったかはともかくとして、音の種類で系統立てて作るといったポイントも押さえていたように見える。ただ使用方法として漢字との関係をどう考えたかは説明がなかった。 この文字が公的に使われるようになったのは19世紀末頃とのことだが、その頃すでに一般民衆の間では使われていたとのことで、劇中王が「諺文」という名前に込めた願いはかなえられたことになる。なお字幕で王都の名前が「漢陽」と書かれていたが、現名の서울(ソウル、漢字なし)を発音のまま書けるのも世宗王のおかげということだ。  ところでこの映画では文字製作が仏僧の功績だったことにして、儒教に対する仏教の存在を大きく扱ったように見える。しかしだからといって仏教が全面的に正しいわけでもなく、少なくとも他人様の門前で迷惑なデモンストレーションをして金品をせびるタイプの托鉢は否定的に扱われていたらしい。劇中僧侶が「物乞い」を蔑んでいたのも、自分らがそのように扱われていたことへの強烈な反感があったからと思われる。 しかしその「物乞い」の役をわざわざ外国人にやらせる必然性があったのかは疑問である。特に歴史を扱う場合など、まずは隣の島国を貶めてみせなければ済まない特殊事情でもあるということか。ちなみに映画本来のテーマである文字に関していえば、わが国の仮名文字は劇中文字ほど理屈っぽく作られてはいないが、開音節の言語としては十分に実用的かつ美的な表音文字として9世紀頃にはできていた。 ほか「先代王の約束を守れぬとあらば文明国の名折れ」という台詞は全くその通りで笑った。これは反論できないはずだと思ったら結局適当にごまかされて終わっていたが、筋を通して言うべきことは言う、という態度はこの映画に学ばなければならない。
[インターネット(字幕)] 5点(2022-10-08 10:23:21)
3.  オーガストウォーズ 《ネタバレ》 
2008年の南オセチア紛争(ロシア・グルジア戦争)を扱っている。 2022年のウクライナ侵攻と似たところもあるようで、この映画には出ていないが、当時のグルジアがNATO加盟を目指していたということはあったらしい。ただロシアとグルジアの間に別民族の「オセット人」がいるのは事情が違っており、このオセット人とグルジア国家との間で、ソビエト連邦解体時から続いていた紛争の延長であることは台詞でも表現されていた。劇中ではオセット人がどこにいたのか明瞭でないが、少なくとも主人公が北オセチアの空港に着いてから乗ったバスで歌っていた乗客はみなそうだったのかも知れない。 ロシアが関係する紛争ではロシアが悪者扱いされるのが普通だが、だからといってこの紛争でグルジア国家が善ということにもならない。ロシア・南オセチア側だけでなく、グルジア側も民間人を攻撃していたことは国際人権擁護団体の報告にも出ており、それが劇中の無差別なロケット弾攻撃や、地下室の避難民に危険が迫った場面に反映されていたと思われる。ほか直接関係ないが、劇中出た「ベスラン」という地名が2004年の「ベスラン学校占拠事件」を思い出させたのは、周辺の難しい地域情勢の表現になっていたかも知れない。  映画としては戦争映画のようで戦闘場面は結構な迫力があるが、妙なファンタジー映像を売りにするのが軽薄な印象を出している。またドラマの面では、母の愛は何より強いことを表現するために、それ以外の美点が主人公に皆無になっていて全く共感できない。主人公の息子は、この戦争で真のヒーローとは何かを知り、将来は立派なロシア軍人として死ぬのだと思われる。 基本的にロシアの立場で作られているのは当然としても、見た結果としてロシアの味方をしたくなるわけでもない。このほかにグルジアの立場で作ったアメリカ映画もあったようだがわざわざ見る気にならない。  ちなみにクレムリンの場面では、大統領のほかに首相もいたように見える(似ている)。ここでこの戦争に関するロシアの立場が説明されていたようだが、それ自体の意味はわかるとしても、日本人の立場でロシアを擁護する義理は特にない。一方で、このままではロシアが侵略者として非難され、国際的に孤立して新冷戦に至ると警告するスタッフがいたのは悪くなかった。この男が黙らされたのはストーリー的に当然として、こういう異論をあえて劇中に入れた意図はわからなかったが、ここはかなり興味深かった。
[インターネット(字幕)] 4点(2022-05-14 09:46:06)
4.  大阪少女 《ネタバレ》 
監督は本来バイオレンス映画を得意とするとのことで、DVDでも過激な映像が含まれている旨のテロップが最初に出る。場所はいわゆるディープな大阪ということらしく、屋外映像では主に西成区が映っていたように見える。山王2丁目あたりとすれば飛田新地に近く、あいりん地区からも遠くない。 物語としては、現地社会に適応しながら成長してきた少女が、祖母に任された家賃の徴収業務と、それに関わって起きたちょっとした出来事(現地では普通にある?)を通じて、社会性と人間性を向上させた話らしい。中学に入ってから1年後とすれば中学2年生ということになる。  最初のうちは主人公の過激な言動が小気味よかったが、次第にこれはやりすぎではないかと思うようになる。「今日から暴力は卒業です」と言っておいて特に変化がないように見えたのは、そもそも何をもって暴力というかの基準が違うということか。ただ人間のクズでもなく滞納もしない相手には、暴言だけで暴行はしないというくらいの違いはあったらしい。 相手構わず凄味をきかせるやり方は、本人がどうみても「お嬢ちゃん」だから通用していただけのことで、相手によってはかなり危なっかしい場面もあり、最後は祖母の人脈と人徳で守られたことを本人も思い知ったと思われる。それでも最後まで口が悪いままだったのは、これが本人のいわばベースラインだったのかも知れない。現地では本当にこれで普通なのか。 ちなみに劇中描写が現地事情をそのまま反映していると思うわけでもないが、もしかすると昔気質の極道の気風(「ゼニカネだけで動いたらあかん」)を解しない外来後発の勢力が波乱要因になることはあるのかと思った。人でなし連中をいきなり埋却処分したのは正直笑った。  全体としてはそれほど大感動というようなものでもなかったが、ただし主人公が、あまりに人情味がなさすぎたかと気にしていたところで、いきなり取り返しのつかない事態になってしまい、さすがに少しこたえたようだったのは若干泣かせる場面になっている。 そのほか単純に面白かったのは、「妄想ノーベル文学賞受賞作家の妄想の娘」(役名)がポルノ小説家のところにも出たことだった。意味は不明だが、個人の妄想が実体化して独立的に活動し始めたということか。それなら「ポルノ小説家の妄想女性」も実体化させればいいだろうがと思った。
[DVD(邦画)] 6点(2020-11-07 08:56:55)(良:1票)
5.  オリ・マキの人生で最も幸せな日 《ネタバレ》 
オリ・マキという言葉は人名には見えないが、「オッリ」と書けばフィンランド人風であり、実際に皆さんオッリと発音している。またマキはカウリスマキのマキである。個人的に知らなかったが実在のボクサーとのことで、劇中の試合後も実績を出して名を残しており、コッコラのパン屋(Kokkolan leipuri)というのも本当のニックネームらしい。 今どき白黒映画だったのは意味不明だが、そのせいか登場人物の顔が印象的な映画になっている。また子どもらの演出がけっこう面白かった(激突!)。ほか思ったのは、フィンランド人にとってはサウナが最強の減量方法らしいことである。湖のほとりに小屋を建てるのが本来の形と思われる。  劇中の試合が当時どれほど期待を集めたかはわからないが、この映画では国威発揚というよりビジネスの面が強調されている。記録映画とか長身モデルとかスポンサーの機嫌取りとかで本来のペースを乱されるのが問題なのかと思っていたが、そこで唐突に「恋をしてる」というのが前面に出たので何だこれはと思ってしまう。 彼女とは最初からそれなりの関係ができていたようなので、今はとりあえず試合に集中すればいいだろうがこのバカがと思ったが、どうやら主人公としては絶対譲れない優先順位があったらしい。一番大事なことをまず押さえ、次に周囲の環境を整えて準備に注力し、その上で当日やることをやれば負けて悔いても悪びれないようで、試合後の撮影場面で見せたのが本来の顔ということらしかった。打ちのめされたのは興行主であって主人公ではないということだ。 なお凧の場面は、集中状態での適度な息抜き方法を心得ていたということか、あるいはプロポーズの結果を受けた喜びが少しはみ出してしまったのか。  人物について、主人公役と婚約者役は本物と同じボスニア湾岸のコッコラ市出身の役者らしいが、それが最優先のキャスティングとも思えない。主人公は低身長で衒いのない人柄で嫌味がなく、また婚約者も痩身美形ではないが愛嬌があって人柄が顔に出ている。終盤のバスの場面では、この人物が主人公を全肯定して根底を支える存在であり、主人公が現場を抜け出したのも、そうすることにそれだけの価値があったことを納得させられた。ちなみにエンドクレジットには「Old happy couple in harbor/Olli and Raija Mäki」と書いてあった。 物語として面白いともいえないが、結果的にじわっと来るタイプの映画だった(かなり来た)。正直主人公が羨ましい。
[インターネット(字幕)] 8点(2020-10-31 08:55:02)
6.  オンネリとアンネリとひみつのさくせん 《ネタバレ》 
シリーズ3作目になって子役がかなり大きくなってしまっている。小学生にしては体格がよすぎるが(特にオンネリ)、2004年生まれとすれば一応12歳だったらしい。 レギュラーの登場人物も少しずつ出ていて、ブタがかなりカラフルになってリボンがついたりしているのが目についた。庭でオカリナを吹く人物がいたのはいわゆる死亡フラグのようだったが、最後はハッピーエンドに決まっているので誰も心配していない。ほか今回、魔女姉妹の栽培していた植物はさすがに異様すぎる。 映像面では、今回は収容所が出る話なので、このシリーズにしては珍しく無彩色に近い場面もあったが一応は暖色系になっている。所長がいないと子どもらが勝手に動いているのが可笑しい。また小物ではネズミの動きがユーモラスで面白かった。  ドラマ的には何を読み取るべきかわからないが、まずはどんな人にもそれぞれふさわしい居場所があるという意味か。元警官も子どもらも、本来なすべき仕事のできる職場が実現したのはいい結末だった。所長などは異世界に追放されたかのようだったが、これでも一番幸せな居場所ということらしい。ちなみに映画の原題と英題は同じ意味だが、この所長にとってはUFOがMysterious Strangerだったのかも知れない。 またこの所長が自称していたjohtaja(リーダー)と、市長Kaupunginjohtaja(市のリーダー)を対比させることで、指導者というもののあり方を語っていた可能性もあるが不明瞭だった。この映画で見る限り、どうせ政治家など自分の見栄えのことしか気にしていないので、要は賢く使うことを考えろ、という変な知恵をつける感じだったがそういう理解でいいかどうか。  そのほか雑談として、所長が子どもらの髪を梳く場面があったので、これはまさかシラミを取っているのかと思ったら何とその通りだった。この映画の原作”Onneli, Anneli ja orpolapset”(オンネリとアンネリと孤児たち)が発表された1971年の時点でもシラミはさすがにいなかったのでは思うが、これは孤児だから不潔と決めつけられていたと解すべきか。この場面の「まちがいだった」は笑った(達者な子役だ)。 もう一つ、市長役の役者は西部のヴァーサ出身で父親がケニア人、母親がフィンランド人とのことで、見た目にかかわらずフィンランド生まれのフィンランド人ということらしい。実際こういう黒人市長というのもありえなくはないわけだが、もしかしてオバマ大統領のように初の黒人大統領を目指す野心家という設定だったのか。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2020-05-30 10:26:06)(良:1票)
7.  大阪最後の日<OV> 《ネタバレ》 
短編6話をまとめたオムニバスである。DVDの説明によると「本作はシニカル・コメディの連作です。SF超大作を希望されると御期待を裏切る事になります。」だそうだが、そもそもコメディという言葉を使えるかも怪しい。 各話は全く関係ない独立のエピソードで、単に小編をまとめてリリースしただけと思ってもそれまでだが、一応は「大阪最後の日シリーズ」として、第6話の破滅的事件と同じ日の出来事を並べたものだと説明されている。  【女流作家の苦悩】だから何だという感じ。前座というか、この後も全部この調子だという予告のようなもの。 【印刷戦線異状なし】まともな証拠がないことを、その辺にある材料を使って口先だけでどれだけ主張できるかの攻防戦。これが大阪の商慣行なのか。 【借金チキン】下町人情物ということなら悪くないが、しかしあまりにあっさりした展開のため、ただの不条理物のように取られる恐れがあるのは惜しい。 【取合う二人】面白くはないが、土建業の男の顔でも見ていろということか。ただし携帯を壊したところは、第1話からここまでの間で初めて笑った(失笑)。 【接触事故】最も手の込んだ脚本。示談金の意味を勘違いしたことが重大な結果を招いたということらしい。これも悪くない。 【大阪最後の日】表題作。これだけが屋外の撮影で、太陽光を演出に取り入れたりして少し映画らしく見える。「下町育ちの少年」は大阪弁が不得意のように聞こえるが、キャラクターとしては結構可笑しい奴である。また「上流社会の少女」はさすが上流らしく言葉が東京風な一方、演技はかなり変なので笑ってしまうが、ラストのびっくりした顔は可愛らしい。  表題作以外は基本的に出演者が2人だけで、1対1の会話で成り立たせようとする作りになっている。2つのエピソードに出ている人物が2人いて、この2人にとっては結構忙しい1日だったらしい。ちなみに個人的に最も大阪らしいと思った登場人物は闇金集金屋歴20年の男だった(偏見があるか)。 全体的には明らかに低品質だが(特に画質は厳しい)全く面白くないわけでもない。自分としては必ずしも嫌いではないが、まともな映画と思われるとまずいので点数は低くしておく。
[DVD(邦画)] 2点(2020-03-29 00:59:09)
8.  オンネリとアンネリのふゆ 《ネタバレ》 
「オンネリとアンネリのおうち」(2014)に続くシリーズ第2作で、前回は夏だったが今回は冬の話である。クリスマス直前なので12月ということになるが、それほど寒そうでもなく日中は明るい。前回の登場人物はレギュラー化しており(ブタに色がついている)、撮影地は引き続きロヴィーサである。 今回は主人公2人が「こびとの一族の家族」を迎える話になっている。そもそも2人の自宅からしてお人形さんハウス仕様だが、その家にある本物のお人形さんハウスに家族が入居して、2人がまたその客人になるという入れ子構造である。ユーモラスで心和む話といっても悪人を登場させなくては済まないようだが、金に目が眩んで見せ物小屋に売り飛ばすといった古風な行動なのがまたファンタジー感を出している。あくまで人の性が善であることを前提にした物語である。 劇中家族は主人公ほか多くの人々に助けられていたが、しかし弱者だからと一方的に守られるべき存在でもなかったらしい。「自立することが大事」(字幕)との言葉は、当初からの主人公2人の思いに、人としての誇りを持って生きようとする意思を重ねてみせたように思われた。  以下雑談として、映画紹介と字幕では一家の名前を「プティッチャネン」と書いているが、これはフランス語のpetitを使った日本版限りの造語と思われる。台詞で実際に言っていたのはVaaksanheimo(ヴァークサ族または一家、Vaaksanheimolainenとも)だったが、vaaksaというのはかつて使われていた長さの単位だそうで、肘から指までの長さを表すkyynäräの1/4に当たり、メートル法では約14.8cmになるらしい。日本でいえば一寸法師のようなネーミングということになる。 ほかにも日本版では、劇中家族の少年の名前がPuttiであることにからめて、この種族独自の単語を「プティ」という言葉で表現していたが、実際に原語で使われていたのはpikku(小さい)である(サンタクロースJoulupukki→サンプティクロースJoulupikku、メリークリスマス"Hyvää joulua."→メリープティクリスマス"Hyvää pikkujoulua.")。なお英語版では来訪者の家族を"McTiny family"という名前にしており、それぞれの言語で“小さい”ことを表現するよう工夫していたようだった。 この一族のクリスマスがなぜか普通より少し早いのは、主人公2人が自分らの家でクリスマスを楽しむための設定だったらしい。森にはこういう家族がほかにも住んでいたようで、見ていた子ども(主に女子?)にとっても夢のある終幕だったはずである。
[インターネット(字幕)] 7点(2019-12-21 09:56:01)(良:1票)
9.  おクジラさま ふたつの正義の物語 《ネタバレ》 
題名(副題の方)にクレームを付ける目的で見た。 かつて“正義の味方”という言葉があったが、そこでの“正義”とは社会の構成員が安全・安心に暮らすために必要な共通認識を規範として守り、あるいは守らせるよう努めることだったと考えられる。要は“人を殺してはならない”といった類の極めて基本的なもので、だからこそ“正義の味方”の登場は子ども向け創作物に限られていたわけだが、だからといって子どもの世界にしか正義が存在しないわけではない。わざわざ口に出して言わないにしても、大人を含めた社会の全員が“正義の味方”でなければならないことになる(程度の問題はあるとして)。 そのような前提でいえば、副題のように正義が複数などということはありえない。現実には、何が正しいかについて社会の共通認識が得られにくい問題が多いにしても、逆にいえばそのような問題に対して“正義”という言葉を使うのは誤りだということになる。確かに個別の個人的見解や信念を揶揄するためにこの言葉が濫用されているのも事実だが、それが日本語の“正義”の意味を変質させ、さらには社会の構成員が守るべき規範が存在するという意識までも希薄にしていくことはないのかと危惧される。 この映画の副題は、そのような風潮を助長するとまではいわないにしても(そこまで影響力はないだろうが)社会の安全・安心を損なうことを平気で表現しているのは間違いない。解説文にある「正義の反対は悪ではなく別の正義」という言葉を使うなら、“人を殺してはならない”という正義の反対は“人を殺してもよい”という別の正義であって悪ではない、ということになるが、そういうことをこの映画は意識していたのかどうか。 さらにいえば、捕鯨問題のように人類全体の共通認識が得られにくい題材をわざわざ選んで“正義”を相対化して骨抜きにし、アメリカ発という高級そうな見かけを装って、日本人の多くが正しいと思うことをポピュリズムとして否定し侮蔑して貶めようとしているのではないかと疑っていた。全て副題の印象が悪かったためである。  そういう最悪の先入観のもとで見たが、実際は自分がこの問題に関して感覚的に思っていたことに沿った内容で、日本側へのメッセージも含めてそれほど反発を感じるところはない。外部情報によれば、完成前からアメリカで激しく批判されていたのをものともせずに発表したとのことで、少なくともアメリカに迎合しようとするものではなく、かえって作中で言われていた日本人のPR下手を助けるものになっている。結果として先入観の方が間違っていたことになるが、点数は本来の数字から副題分を減じてつけておく。「正義の反対は…」の英語原文の訳し方に対する反感である。 ほか余談として、登場人物の中立的(親日的)アメリカ人の話の中で「海兵隊を内陸(アイダホ)に投入してるようなもの」という表現はユニークで笑った。これ自体は反捕鯨団体の行動力に一定の敬意を示した上での発言だったが、ここで自分としては“活動的な馬鹿より恐ろしいものはない”という言葉を思い出した。もう一つ、少し可笑しいところとして、小学校で「ろうかはあるこう」と書いてあるのに平気で走る子どもらを映していたのは“元気な子どもたち”(または“大らかな学校”)の表現かと思われる。
[DVD(邦画)] 5点(2019-10-19 17:23:35)
10.  オンネリとアンネリのおうち 《ネタバレ》 
同じフィンランド映画の「ヘイフラワーとキルトシュー」(2002)と同時に見た。原作はマルヤッタ・クレンニエミ(1918-2004)という作家の児童文学で、シリーズ6作のうち2作は邦訳も出ている。映画はこれを含めて3本が製作されており、そのうち2作が過去に日本でも公開されているほか、第3作も今年5月から日本各地で上映されているらしい。ちなみに映画の撮影場所は首都ヘルシンキの西北西80kmにあるロヴィーサLoviisaという小都市である(2019/1/31現在で14,873人)。 なお英題は「Jill and Joy」になっているが、「ヘイフラワー…」と違って英題でなく原語を邦題にしたのは正解である。「ジルとジョイ」では話にならない。  内容としては「ヘイフラワー…」と登場人物の構成が似ていたりするが、よりファンタジー感の強い話になっている。主人公の少女2人は7歳の設定とのことで、小生意気な連中かと思っていたらわりと素直で良心的な児童だったので安心した。 題名の「おうち」は極端にメルヘンチックな作りだが、要は劇中にも出ていたお人形さんハウスのイメージらしく、主人公2人が場面ごとに違う華美な服装(着せ替え)で現れていたのが目を引く。ご近所の魔女?が庭で異様なものを栽培していたことなどを含め、荒唐無稽でユーモラスな劇中世界が色彩感豊かに表現されている。 主人公2人は自宅に戻れば普通に現実世界の住人のようだったが、「おうち」にいても夢ばかり見ているわけでなく家事も一応こなしていたようで、また近所づきあいを普通にやっていたのも感心した。最後のパーティ場面では本来の家族も客人として招かれていたりして、「おうち」での暮らしが早目の自立心を育てる効果があったようでもある。 そのほか大人が見ても笑わせる場面が多いのでけっこう楽しい映画だった。エンディングが騒がしく品がなかったのは少しマイナスだが、全体としては「ヘイフラワー…」よりかえって純粋に面白かったかも知れない。  以下雑談として、主人公2人が呑気な暮らしをしていられるのは夏休みだからで、劇中では白夜という言葉も出ていたが、主人公2人がまだ明るいうちに寝床に入り、深夜でも夕方の風景だったのは7月頃のことかも知れない。後半になると普通に月夜の場面があったりしたのは少し日数が経っていたということか。 ほか大したことではないが、序盤の警察署の場面で、2人が正直者と思われているかどうか知りたいかと警官に聞かれ、アンネリが”Joo.”と答えたのはフィンランド語で普通にYesの意味だが、オンネリが「ウン」と言ったのは日本人かと思った。
[インターネット(字幕)] 7点(2019-07-05 21:30:02)
11.  俺物語!! 《ネタバレ》 
原作・アニメとも見ていない。題名とポスターの顔からして視野狭窄の自己中男による一途というより手前勝手な恋物語といったものかと思って敬遠していたが、実際見るとそうでもない。序盤でいきなり主人公の人物像が強力に印象付けられてしまい、以降は男の立場としても躊躇なく完全に主人公の味方になる。 人格的に自己中の対極なのは非常に共感できるものがあり、また屋上に放置していた握り飯をその後に全部食ったところなどは素直に出来た男だと褒めたくなる(食器をどうしたか不明だが)。こんな奴は実際あまりいないだろうが、男子の理想形の一つとして正直憧れるところはある。その親友も悪い奴ではなかったようだが少し都合のいい人格設定に見えた。  前半はとにかく主人公の顔を見ているだけで大笑い続きで、見当違いのことを言っているのにわけ知り顔の場面などは爆笑した。 事前に映画紹介の文章をまともに読んでいなかったため、この男が愚かにも女子に惚れられたと勘違いして恥ずかしいことをやりまくるのかと思っていたら、実は違っていたというのは非常に意外な展開だった。それ自体は大変いいことだが、しかし最終的に相互片思いの状態が解消されるまでがかなり迷走状態で、なんでそうなるのか???という極端なすれ違いの繰り返しには少し呆れた。原作の最初の方だけで映画1本としてまとめたということだろうが後半どうも間延びした感がある。 終盤の種明かしが慌しいのはいいとして、最後の野外パーティーなどはいかにもマンガっぽいので少し引いたが、そこは少女マンガ原作映画だから仕方ないか。こういう終わり方自体を悪くはいえないのでよかったということにしておく。  ちなみに撮影は仙台市が中心(一部は柴田町)だったようで、あまり仙台ならではの風景というのはなかったが、丘陵地に広がる住宅地というのはそれらしいといえなくもない(丘陵地に囲まれる形で伊達家が城下町を造ったため、近代以降の都市の拡大により隣接の丘陵地が市街化したということ)。背景には太白山も見えていたようである。
[インターネット(邦画)] 6点(2019-05-03 08:21:01)
12.  オオカミ少女と黒王子 《ネタバレ》 
少女マンガ原作映画なのでストーリーにはほとんど乗れない。口の悪い男が心に隠している優しさをわかってあげられるのは自分だけ、という状況に憧れる女子中高生が世間には多いのだろうが、個人的には最後まで男が横柄な口のきき方を通していたのが不快で、素直にものが言えずにぶっきらぼうなのと侮辱的な物言いとは話が違うだろうと言いたくなる。キスも「好きだ」も形式でしかなく、男が主人公に首輪を与えたのも犬から人間の奴隷に昇格した程度の意味としか取れなかった。  しかしそれとは別に、見た目としては動的な映像表現とか色彩感とか見栄えのする景観とかに目を引かれるので意外に退屈しない。特に最初のタイトル直前のところで、主人公がどこかの街中(建替工事前の渋谷パルコ南側)で男を追いかけて写真を撮って逃げて来るまでの流れが印象的で、ここは何度も見返してしまった。すれ違う人々の中には一瞬顔を向けて見る人物のほか、カメラの手前で急に横に方向転換した女性(後の人物も続いた)、バッグの中を手で探りながら歩いて来て役者とカメラの間を困惑気味にすり抜ける女性などもいたが、例えば壁面表示を見るふりをした役者の後に何気なく同じように立った男女は仕込みではなかったのか。また後の場面で「鬼!」の直前に、前方の橋の上を歩く人々の姿が途切れたのも意図したことではないかと思った。 キャストに関しては、2016年の製作当時にこの主演女優(とその親友役)が少女マンガ原作映画の女子高生役などやるような状況だったかと思うわけだが、主演女優はもとが童顔なので外見的にそれほど違和感もなく、また登場人物としても人格に一定の深みのある愛すべき人物像ができている。これが否応なくストーリー展開に説得力を加える方向で作用しており、最初から批判的な目で見ていた立場としてはちょっとやられた感があった。  そのほか雑感として、恭也という名前をチョーヤの梅酒と同じアクセントで言っていたが最近こういうのが東京で流行っているのか。また神戸の場面で川崎重工業の造船所が見えたのは少しよかった(だから何だということはない)。ちなみに個人的に最近注目している武田玲奈さんが同級生役で出ていて、明らかに端役だがそれなりの顔をしてみせていた。
[インターネット(邦画)] 6点(2019-01-01 16:21:48)
13.  想影 《ネタバレ》 
若い監督(加藤慶吾)の短編映画で、芸術志向で難解というわけでもなくどちらかというと素直でほのぼの系の映画である。 若い男女の中学(~高校)時代と、大人になってからの出来事を対比させながら進める形になっており、中学時代の方は純粋でいじらしい恋物語である。大人になると青春のキラキラ感もなくなって暗く寂しくなるが、ここでヒロインの鬱屈した思いをどうするのかと思っていると、最後の最後に一定の解決が図られて相応の感動がある(気恥ずかしいがけっこう泣かせる)。それで幸せになれるかというと何も保証はないわけだが、何かは変わるはずと思いたくなるものはある。  主要キャストは男女2人で2つの時代で4人だが、この登場人物/出演者も全体の好印象につながっている。ヒロインの相手の男は、中学時代の姿を見るとあからさまなイケメンのため自分としては拒否感の方が先に立つが、大人になってみると25歳にしては枯れた感じで嫌味なところがなく、相手の言葉をちゃんと受け止める率直さと悪気のなさがこの男のいいところなのかとは思った。 またキャスト中で唯一自分の知っていたのがヒロインの中学時代をやっていた松原菜野花という人である。撮影はこの人が大学に入った年の秋なので、かなり年代を遡った役をやっていたことになるが(それをいえば相手の男もだが)、実際見ればかなり美少女寄りで見事に愛らしい思春期の少女になっている。これまで自分としては外見的に微妙な役をやっているのしか見たことがなかったので、今回初めて普通に美少女役を見られたのは感動的だった。 このヒロインが大人になると変にもっさりした感じになってしまったのは残念だが、この役をやっていた三瓶美菜という人は、キャストインタビューを見ていると非常に愛嬌のある(よくしゃべる、頭の回転の早い)人だったらしい。大人役の2人は中学生役の映像を見てから撮影に臨んだとのことで、2人ともちゃんと連続性を感じる人物像ができていた。
[DVD(邦画)] 7点(2018-07-15 09:29:06)
14.  お兄チャンは戦場に行った!? 《ネタバレ》 
同じ監督の「沈まない三つの家」(2013)と同時に撮影されたもので、これだけが別の小編として編集されたとのことである。当然ながら同じ川が重要な舞台になっている。 導入部に刺激的な要素を持ってきているが(人体損壊・流血)、全体としては心温まる家族(兄妹)の物語である。当初は劇中の兄に同情もできずにこいつはバカかと突き放した気分だったが、そのうち事情があることもわかり、また何より妹が兄と観客の間を取り持ってくれているように感じられて、最終的にはこの兄に対する制作側の温かい視線にも共感できるようになる。結果的には最初の凶行も前向きな決断だったのだと納得した。妹の方は最後に何か変化があったのかどうかよくわからなかったが、次は妹の側が兄に背中を押されるような場面もありうるのかも知れない。 なお自作中に下世話なものを出すのがこの監督の特徴だが、今回は少し毛色の違ったものを出してきている。
[DVD(邦画)] 7点(2017-06-24 09:39:42)
15.  オルド 黄金の国の魔術師 《ネタバレ》 
わりと新しいロシア映画である。冒頭表示される文字は縦書きだがロシア語だろうから字幕が出ないのは変だ。 題名の「オルド」は「帳幕」と訳していいかどうかよくわからないが、とりあえず劇中に出る「黄金のオルド」という言葉は、チンギス・ハーンの長子ジョチを祖とするキプチャク・ハン国(金帳汗国、ジョチ・ウルス)を指している。映画はこのキプチャク・ハン国とモスクワの府主教アレクシイとの関係を描いており、年代的には序盤の暗殺が1343年、終盤の暗殺が1357年で、日本では南北朝時代に当たる。 考証的なことはよくわからないが見た目でいえば、ハンの都(恐らく「サライ」)はみすぼらしいようで結構な壮大感がある。皇太后が宮殿ではなく郊外に住んでいたのは遊牧民の伝統を固守する人物像の表現だろう。劇中のモンゴル人がやたらに野卑で粗暴なのはロシア側の蔑視感情の表れかも知れないが、その性質を受け継いだといわれるロシア人自身も、他国の文明人から同じように見られていたのは言うまでもないことである。 一方、モンゴル人がキリスト教会のある粗末な村に来て、知り合いだったらしい住民と立ち話を始めたのは何かと思っていたら、これがモスクワ大公イヴァン2世に対し、キプチャク・ハン国が要求を突き付けた場面だったというのはかなり度肝を抜かれた。そのあと鶏のいる裏庭で大公が見せた必死さがまるきりその辺の一般人のようなのも笑った。ちなみに字幕の「王子」は明らかに誤訳で(英語からの重訳?)、これは「公」と訳すのが適切である(歴史的には「大公」とされている)。  物語の面では、説明を排して専ら状況を見せる形になっている。 最初の1/3くらいはヨーロッパ人がほとんど出ず、文化的素地の全く違う意味不明な風習を見せられるのが面白い(泣き女のようなのがいい)。ロシア人が出て来てからもすれ違ってばかりのようだったが、人命尊重の観念がないだけで実は気のいい連中だというところも見えていた。皇太后は最初から親和的、臣下の男も同情的で、ハンも言葉は乱暴ながら“少し待ってやろう”という意思を最初から示していたと解される。 ストーリー上のメインになるのは「奇跡」だろうが、本当に奇跡が起きたのかは不明瞭である。府主教の受難によって神の慈悲が下されたと思うのもいいだろうが、あるいは本人が何もしていないと語ったように本当にたまたまだったとも取れる。以前にウラジーミル(モスクワ近隣の都市)の疫病を終息させたというのも同じとすれば偶然の連続だが、毎度の身を捨てた行動があったからこそ後に聖人に列せられたということかも知れない。なお劇中アビニョンからの使者が登場して助け助けられしていたのは、正教会もローマ教会もない唯一の神の意思が働いたことの表現か。 またこの映画の立場として、信仰心のない「黄金のオルド」はやがて衰退し、ロシアは生き残ったと言いたいのかも知れないが、これもそれほどはっきり示されているわけではない。この映画を見たロシア人は、モスクワ・ロシアと正教会の正統性を主張する立場から都合よく解釈することが認められているが、それ以外の人間なら、たまたま起こった出来事を並べて描写しただけと取るのも勝手だろうと思われる。これは、単なる事象の連なりにどう意味付けをするかという、いわば歴史解釈に関する一種の問題提起になっているようでもあるが、ただし単なる羅列と捉えてしまうと、映画としてのストーリーがないも同然になってしまうのが問題である。やはり歴史には物語が必要だということか。  結果として様々な面で興味深い映画であり、また映像が美的なのも印象深かったが、しかし娯楽映画としては難があるので他人には勧められない。ちなみにこれを見てから、昔のドイツの音楽グループ「ジンギスカン」の曲を聞くと気分が出る(「めざせモスクワ」Moskauなど)。
[DVD(字幕)] 8点(2017-06-10 09:27:53)
16.  おんなのこきらい 《ネタバレ》 
自分(男)としては“かわいい”は“好き”を含むものと最初から自覚しているので、見た目だけでかわいいと言い切ることは基本的になく(外見的には可愛いが、というように限定して言うことはある)、また本心からかわいいと思ってもむやみに本人に言ったりはしない。それなりに抑制しながら生きているわけである。 この点で雑貨店の男の行動には若干問題があったかも知れないが、この男自体はそれほど悪い奴には思えない。救援要請があったのに行かないのも義侠心に欠けるわけで、レスキュー隊としてどこまでやるかの問題だろう。主人公が心安らかに寝られるようにするには部屋の掃除が必要と思ったかも知れないが、しかしその後は明らかに道を踏み外しており、この辺は良心派なりの狡さがあったかも知れない。 ただこの男の行動も決して単純なスケベ心ではなく、本心から主人公がかわいいと思ったからこそだろうから、そのことだけはわかってやってもらいたい。逆にいえば“かわいいは罪”ともいえるが、全般的に人間は感情問題を断ちきれない面倒くさい生き物ということでもあるから、この辺は人の原罪のようなものということで。 自分としてはこの通りの経験があるともいえないが、とりあえずごめんなさいと謝っておきたくなる映画だった。  ところで事前の予想としては、全編にわたって主演女優のカワイイが炸裂しているのかと思ったら実際はそうでもなく、いわばパステルカラーのおんなのこと黒のオンナのイメージが交錯し、最後はプレーンな状態に変わっていく印象があった。序盤の部分はこの女優ならではのカワイイ系女子ができており、わざとらしく無駄に顔を作る演技をやってみせるのが可笑しい。一方で黒のオンナは別にこの人でなくてもいいだろうという気もしたが、終盤になるとまたこの女優の素材感が前面に出た感じになる。 髪の長さはどうでも対応可能な女優だろうと思っていたが、この映画を見た結果として、どうも髪は短めの方が似合うような気がして来た。最後の顔など見ていると、自分としてもこの人はかわいい、と言い切ってしまいたくなる。そういう点で、自分にとっては高品質の森川葵映画になっていた。
[DVD(邦画)] 7点(2016-04-29 08:34:17)
17.  ヲ乃ガワ -WONOGAWA- 《ネタバレ》 
「山形県米沢市小野川温泉の全面協力で完成させた」とのことで、地元温泉街などから多大の支援を受けたものらしい。メイキングを見ると、2010年から準備を始めていたが2011年の震災で一時中断し、その後の2012年夏に地元での撮影を行ったようである。完成品を見ただけではどこが温泉の映画かわからないが、かろうじて女性2人が揃って入浴する場面があるのと、温泉の蒸気を動力源にしている??というのがそれらしい感じである。内容としてはストレートなSF志向のお話で、資金等の制約に臆することなく真っ向から取り組んだ感じになっており、アイデアはそれほど独創的とも思われないが文字デザインなどは面白い。 また場所が「スウィングガールズ」(2004)と同じ地方であり、劇中の各所で地元方言が使われているのが特徴的である。大した人口もいなさそうな場所で標準語?と地元言語(完全字幕)の2系統が並存していたのは変だが、標準語の方にも「おしょうしな」「オボゴナシ」(おぼごなす)といった地元の言葉が混じっていたらしい。地元言語を話す人物が、役所に行く際の身なりをどうすればいいか医者に相談していたのは可笑しかった。個人的にこの地方の言葉はよく知らないが、ほかにも人名や地名などで必然性のない地元の言葉が盛大に使われていたようである。登場人物が真顔で「ホダベシタ地区」などと言っていたのは明らかにおふざけだが、地元限定サービスのためそれほど羽目を外した感じはない。 物語の上ではラストがよくわからなくなっているが、これは映像特典の「幻のラストシーン」が種明かしと考えれば問題ないだろう。それまでの劇中人物の発言を総合または超克した結論だったと解すればいいかも知れない。ドラマ的には登場人物への共感がいま一つだったが、主人公が初めて主要人物に対面した場面では子役が可愛らしいのが印象的で、ここは全体構成から見てもポイントを押さえていたように思われる。 なお主演女優は他の映画で悪役女子高生をやっていたのを見たことがあるが、今回は清廉で一途な主人公役が好印象だった。話す相手によっては女の子っぽさが出すぎている気もしたが、温泉で年上の女優と一緒の場面では初々しさが際立って自然な愛らしさがある。こういう場面はどうしても若い方に目が行ってしまうのは仕方ない。 以上、正直絶賛するには至らないが、地元の人々の頑張りに若干加点しておきたくなる映画だった。
[DVD(邦画)] 7点(2016-01-05 21:55:21)
18.  大人になった夏 《ネタバレ》 
エイベックス所属タレントのプロモーション映画のようなものらしい。13歳の少女3人(山谷花純・江野沢愛美・小嶺燦羅)が可愛らしいのはいいことだが、それはそもそもそういう企画なので当然である。演技としては苦笑または爆笑するような場面もあったが、出演者それぞれの課題をこなすべく頑張っていたように見える。 ストーリーに関しては、13歳のお話としてはなかなかいい感じになっている。責任といえば他人に問うものと思っている甘ったれた少女を、金さえ出せば何を言ってもいいと思っている連中にいきなり直面させるのはけっこうな荒療治で、これなら本人らが「大人になった」と自負するのも一定の説得力がある。恋に関しても、相手の本意に対して自分らの思惑がかすりもしない場合があると知ったのはいいことかもしれない。 ただ少々引っかかったのは、劇中の嫌な大人が最後は簡単にいい人に変わってしまう例があったことである。うち藍の父親に関しては、13歳少女の主観映像としてこう変わったように見えたと言えなくもないが、子連れの男のようなのを安易にいい人にしてしまってはならない。こういう人間は死ぬまでこういう人間であり続けるのであり、それを前提として何とかするのが大人の道なわけだが(早く死んでもらいたいが)、まあ13歳のお話でそこまでシビアにする必要もないわけか。 そのほか少々都合の悪いものは見なかったことにすれば、全体的には微笑ましく見られるいい映画だった。こういうものに高い点を付けると顰蹙を買う恐れもあるが、自分としては明らかに好意的であるから悪い点にはできない。
[DVD(邦画)] 5点(2015-11-19 21:53:28)
19.  おにいちゃんのハナビ 《ネタバレ》 
先日、新潟市内の料理屋に行ったところ、たまたま店に小千谷市出身の人がいてこの映画の話題が出て、お互いに映画を見ましょうという話になった(出身者でも見たことがなかったらしい)。自分は真面目な人なのでシーズンが終わらないうちにちゃんと見たが、遠方のためその店にまた行く機会は当分ありそうにない。   それで内容としては最初から結末が見えており、あとはどうやって泣かすかの手法の問題だろうから、泣かせられるものなら泣かせてみろという気分で見たところ逆に打ちのめされてしまった感がある。冒頭で妹の頭を見せられてしまった後では、この病人らしくない明るく元気で世話焼きで強引な妹の言動に笑わされると同時に泣けて来て、感動のラストのはるか以前から半泣き状態になる。ひねくれた兄もこの妹には逆らえないらしいのが情けなく、同時にこの妹を愛しく思う気持ちが見ている側でも高揚させられてしまう。 そうすると、その後の明らかに泣かそうとする場面は当然として、使い捨てカイロが暖かいというだけでも、またクリスマスケーキを買う母子を見ただけでも泣けて来る。花火大会の場面では、一つひとつの花火にこれまでのエピソードで出た人々の思いが込められており、互いに大事に思い合う人々がいることもわかってまた泣かされる。最後には、題名の花火が上がったと思うともう一つ題名の花火が上がったりもして、これはもう泣かすことに関して徹底された映画だと思える。また奉納花火という性質も十分に生かされていた。   ところでキャストについて、妹役の女優は実は外見的には好みでないのだが、この映画を見ると演技で納得させるには顔の造作など関係ないと実感する。また花火グループの会長さんは、ストーリー的には妹亡き後の空白を埋める立場になるのだろうが、この人(演・早織)が何気にいい顔をしていて好きだ。ほかにも劇中では母親役を含め、女性に救われるところの多い映画だった。
[DVD(邦画)] 7点(2014-08-23 08:54:47)(良:1票)
20.  大木家のたのしい旅行 新婚地獄篇 《ネタバレ》 
原作者本人が脚本を書いているので基本的には原作通りと思われる。背景にある死生観や人生観については正直よくわからなかったが、少なくともストーリー的には「子はかすがい」というのが重要事項だったように見えており、ハネムーンベビーができるのかと思っていたら最後まで出なかった。代わりに従前のどうでもいいこだわりを捨てて、新しい炊飯器を買い直すことから始めましょう、という形で終わったらしく、これはこれで前向きなお話と受け取れる。ラストの妻の台詞が作為のない感じで好印象だった。   この夫婦に関しては、コメディ調ながら人物像は極めて生々しく表現されている。序盤で徹底的にどうでもいい会話をしているあたりではどっちもどっちという感じだったが、向こうの世界では地が出たということなのか、夫の方が圧倒的に馬鹿に見えている。個人的にはこの馬鹿さ加減が不快要因になって素直に共感できないところもあったが、まあこれは劇中の赤青の区別にも関わるものなのかも知れない。自分は赤にはなれないのだろうと思われる(ヨシコちゃんと同じ側でいいです)。   一方で劇中世界の設定に関しては、地獄というものの性質がどうなっているのか全く理解できない(魂を準備する場所に地獄というネーミングは適切?)が、映像的には異界感がほどよく出ており、また異種族間の交易の危うさといったものが表現されていたのは必然性に欠けるが面白い。これに対する序盤の現実世界でも、半端な場所設定(五反田?)や何の変哲もないショッピングセンターの風景とあわせて、倦怠感にまみれた雰囲気が視覚面でも印象的だった。 なおコメディ場面で笑ったのはマサハル君の退場、甘エビの食前処置と人物写真の説明だった。
[DVD(邦画)] 6点(2014-08-12 19:24:53)
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