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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1246
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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21.  富士五湖奇譚 呻母村 《ネタバレ》 
最初に書いておくが他人にはお勧めしない。 まず題名の村の名前がウソくさいが、これはエンドロールにロケーション協力として出る「梅久保集落」が実際の地名であって、劇中で「神社みたいな」と言われていた鈴鹿神社はストリートビューでも確認できる。ここは地元自治体の公式サイトで「ゆず」(柚子)の産地と書かれていて廃村でもないらしいが、すぐ隣の地区に似たような立地で廃墟になった集落があり(恐らく両久保/もろくぼ)、撮影はここでしたか、あるいは周辺の別の廃村でしたのかも知れない。映画紹介に出ているようにこの付近には廃村が何か所もあるようで、その方面の愛好者が写真や動画をwebに上げている。 なお監督は「制作」に名前の出ている映像制作会社の代表をしているが、2023.1.14の山梨日日新聞に山梨県出身者として紹介されていたりして、自分の地元で撮ったご当地映画という意味もあるようだった。  内容は4エピソードで構成され、EP1~3の各登場人物がそれぞれ別の形で廃村の呪いに関わることになる。それぞれの人格に対応して、バカは死のうがどうなろうが勝手にしろ/人生をかけた戦いが悲壮だ/この人が呪われたらかわいそうだ、と思わせることで変化を出している。 【EP1】突撃ユーチューバーらしく世界を舐めてかかっているが、「心霊現象なんてそうは起こらない」というのは実際そうともいえる。 【EP2】霊媒師の話が現代史の流れを感じさせる。「自粛」というのはオウム真理教事件の影響でそうなったと言いたいのか。また2001.9.11の事件に関連して「世の中から取り残されてるって気がして」というのは、同じ体験があるわけでもないが少し心に染みる述懐だった。 【EP3】インスタグラマーのようで、突撃ユーチューバーより清潔感がある。不謹慎系なようでも本心は別のところにあり、ジャーナリズムの本質にも通じる思いを真面目に語る人だった。別の目的でたまたま廃村に行きついただけなので、この人には生きてもらわなければ困る。 【EP4】よくわからない締め方だが、EP1のバカが原因で不幸の手紙的な呪いが世間に放たれたという意味か。  個人的な感覚では、一般的なホラー映画というより実話怪談集のようなものかと思った。実話怪談集では関係ありそうな話を複数集め、その背景に何かが存在すると思わせて恐怖感を出す趣向があるが、この映画も似た感じになっている。また関わった者の顛末が一様でなく因果関係もはっきりせず、理屈で割り切りにくいというのも現実味のある(または、そんなものは偶然だと言われて終わりになりそうな)実話らしい表現といえる。これと似た感じのものとしては「残穢」があるが(映画よりも小説の方)、この映画はそれを安上がりかつフェイクドキュメンタリー風に撮ったものとして理解できる。 実話怪談集と違うのは、当然ながら実話とは称しておらず明らかにフィクションであること、及び各エピソードが冗長に見えることだが、これは実話怪談でいえば話者の体験談を未編集で掲載したようなもので、実際に素人が撮った動画はそんなものということではある。ただし4エピソード中で最もバカっぽいEP1の時間が最長(23分半)なのはさすがにマイナス要因である。 なお出演者のうちEP3の人物役は瀬田佳奈子という人で、以前は妹田佳奈子の名前で「ダンスウィズミー」(2019)にも出ていたらしい。宣材写真はとぼけた顔で写っているが、動いているのを見ると目がくりっとした可愛い人で、自撮りでずっと顔が映っているので和まされる。そういう面でも悪くない映画だった。
[インターネット(邦画)] 5点(2023-06-17 10:44:49)
22.  PLAN 75 《ネタバレ》 
邦画のようだが製作国が多く(フランス・フィリピン・カタール)変にグローバルな印象を出している。個人的な感覚としては、この映画の公開年と同じ2022年の世界を扱った「ソイレント・グリーン」(1973年米)の現代版かと思わされる映画だった。  劇中世界はよそよそしいが平穏な普通の日本社会であって、その中に違和感なく自然に尊厳死制度がはまり込んでいる。制度は完全な自由意思によるもののようで、そのことが富裕層など死ぬ事情のない人々が平気で生きていられる保証になっていると思われる。 高齢者へのあからさまな迫害などは意外に見られず、登場する若年者は良心的で、ボウリング場の若い連中までもが友好的だった。これは制度の導入によって高齢層への反感が解消され、世代・年代間の対立のない世界が実現したとの意味かも知れない。 また関連ビジネスで1兆円の経済効果というのは現代らしい発想だった。満足できるサービスを得るには費用がかかるにしても、産廃業者でよければ無料というのはソイレント・グリーン的な雰囲気も出している。ほかに生活保護制度も利用可能のようだったが、それはそれで貧困ビジネスの商売ネタにされるようで、そうならなくて済むのもこの制度の利点ということか。 なお現代日本は外圧には弱いが自分からは何もしない国とのイメージがあったので、この映画のような思い切った政策を自ら発案して実行するなど全く考えられないと思ったが、しかし何かの理由で世界の先頭切ってやらかすこともなくはないという気はしてきている(最近は常識外れのことが普通に起きる)。世間の風潮に素直に従う日本人は人類社会のモデルケースになれるかも知れない。  ところで困ったのは、どういうメッセージをこの映画から受け取ればいいのかわからないことである。都合よく人を死なせる制度に反発するのは人として自然な反応だろうが、それにしても劇中設定がうまく出来すぎていないか。自分がすでに高齢者に近づいて来た状況では、このまま生きているよりさっさと死んだ方がいい、と思わされたというのが正直なところだった。 製作側の真意はわからないが(公式サイトは一応見たが)こんな世界にしてはならないというよりは、逆にこんな世界の現実化を前提にした下地づくりが目的のようでもある。日本政府も国際社会も各種メディア(映画を含む)も何も信用できない世の中と思えば、とても素直に見る気にならない映画だった。点数はどっちつかずの数字にしておく。  [追記] 上記で終わりにするかと思ったが気分的に収まらないのでさらに書いておく。 まず、どんな人にもそれぞれ来歴や思いがあるのは相応の年齢になれば誰にでもわかる当然のことである。少なくとも自分にとってはわざわざ映画で見せてもらうようなことではないが、そこをこの映画であえて強調していたのは、やはりそういうことにまだ意識が向いていない若年層へのアピールということになるか。近い将来、この映画のように尊厳死を選ぶ高齢者がいたときに、やっと死ぬのかさっさと死ね、といった罵詈雑言を背後から浴びせるようなことをせず、みなそれぞれに人生があったのだから敬意をもって送り出しましょう、と言いたいのだとすれば、やはり年代間で理解し合える円満な社会を志向した映画と取れなくはない。大変良心的だ。 結果的に劇中高齢者は同情すべきかわいそうな存在という扱いになっていたが、個人的には高齢になった自分の姿に悲哀など感じてもらいたくはない。憐れまれるより死ねと言われる方がまだましだ(勝手にさっさと死ぬ)。それこそ尊厳の問題だ。
[インターネット(邦画)] 5点(2023-04-01 08:49:29)(良:1票)
23.  ふたりの旅路 《ネタバレ》 
ラトビア・日本の合作だそうだが、まとまりが悪い。 まず、場所がリガである必然性が感じられず、要は神戸市とリガ市が姉妹都市だから、ということで感覚的に正当化するしかない。観光映画という意味もあるようだが、ピンポイントの観光案内的で街全体としてのイメージが得られにくい。なお「ルンダーレ宮殿」は美麗だがリガにはない(南方約80km、リトアニア国境に近い)。 また着物の話かと思っていると、そのうち料理にテーマが移ってしまうのは変だ。着物+和食ということなら、ラトビア側からすれば要は「日本」だからと一括して問題ない??と思うかも知れないが、実際作っていたのは和食でもない。握り飯でも作ってみせればよかっただろうが米がないか。 ほかラトビア側からは人間の鎖(1989年)、神戸側は震災(1995年)の話題が出ていたが、6年も時間差があるものを同時期のようにごまかして語っていたのは無理がある。さらにいえば、日本側関係者が全て神戸の人間なわりに、誰ひとりとして関西弁を話さないのも何だとは思うが、まあそこまでは言わなくてもいいかも知れない。  監督・脚本はラトビア人とのことだが、悪い面で邦画くさいのが鼻につく。ドタバタじみた展開で見ている方が気まずくなり、またzutisだと何度言われても聞き取れないのは非常に苛立たしい。深夜の旧市街で、変な日本人が一人でしゃべっているなど近所がどう思うかと気が気でなく、また噛み合わない会話からとんでもない事態に発展していくのも素直に受け取れない。これは昭和の喜劇映画でも志向しているのか。 物語の本筋に関しては、何が表現したいかわからなくはない。主人公が独り言をいうようになった事情を聞くと心が痛いが、今回の旅行でやっと心の中の夫に向き合えるようになったらしい。また気に障るから怒鳴るなというあたりは、古い日本式の夫婦関係が表現されていたように思われる。「理屈っぽいかも知れないけれどもいつものようにね」というのは万国共通かどうか。 そのほかこの映画の最大の特徴は、日本を代表する名優の表情を大写しでじっくり見せることだった。良くも悪くもこの役者ならではという登場人物になっていて、人によってはこれが何よりの見どころかも知れない。あんな台詞が初めから書いてあったわけはないが、あとでからラトビア語に訳したということか。
[インターネット(邦画)] 5点(2020-08-08 08:57:27)
24.  文福茶釜 《ネタバレ》 
「古美術ミステリー」の短編集を原作とした映画で、表題作の「文福茶釜」からマンガという要素を除き、代わりに「山居静観」の水墨画を加えて映画一本にしている。映画の舞台は大阪を中心とした関西である(敦賀は出ない)。 内容的には、騙し騙されというほど逆転続きの意外性はないが原作の雰囲気は表現されている。美術品に内在する普遍的価値どころか愛好者の主観的価値も問題にされず、専ら表面上の取引価格しか存在しないかのような世界観だが(「芸術」という言葉が一回だけ出る)、業界人同士の化かし合いは当然としながらも、素人は騙さないという点で一定の倫理水準を保っているのは原作由来のことである。  映画独自の趣向として、原作では登場人物が男(中高年)ばかりで極めて地味なのに対し、映画では女性の新人社員を加えることで華を添えている。かつこの新人を観客に近い存在として劇中世界との接点にしたらしく、顔だけで人を信用してはならないという初歩的な教訓を込めたオチを最後に付けている。ほか原作にはない主人公の生い立ちの話を加えて人情味も出しており、エンドロール後の場面は特に共感できるわけでもなかったが、その場面自体はあとに余韻を残すので悪くない。 少し困ったと思うのは、主人公の勤務先が美術雑誌の出版社という説明はあったが本業の場面がほとんどなく(冒頭の神戸は広告取り)、何で美大出の新卒がこんな会社に就職したのかよくわからなくなることである。この新人はとりあえず修羅場で真贋を見極める力を磨いてから、もっとまともな職場に移った方がいい。  演者については吉本興業の製作らしく関西芸人を揃えたようだが、それはいいとして根本的なところで問題なのは、大阪出身の小芝風花さん(むくれた顔がかわいい)を出しておいて東京言葉をしゃべらせるのはどういう了見なのかということである。自分としてはこの人が大阪弁で本領発揮というのを期待していたので多少の落胆はあったわけだが、それにしても素直で騙されやすい人物をわざわざ東京出身の設定にするのはいわば地域差別(逆差別?)のようなものではないか。真面目で正直な女性は大阪にもいるだろうが(多分いなくはない)。 そういうことで特に好みでもないが基本的には堅実な映画であり、原作ファンと小芝風花さんを見たい人々には見る価値があると思われる。
[インターネット(邦画)] 5点(2019-07-27 12:59:22)
25.  フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ 《ネタバレ》 
前作「フランケンシュタイン対地底怪獣」(1965)に続くフランケンシュタイン第2作である。前作と異なり、同時上映の映画は明らかに子ども向けだったようなので、今回は普通に怪獣映画の扱いだったと思われる。 基本的な設定としては前作の経過を引き継いだ形だが、水野久美さんが共通の出演者というだけで、ほかは役者も登場人物の名前も違っており、ずれのある並行世界のようである。今回も日米合作とのことで、水野久美さんが洋モノ映画で見るような、感情で動いて面倒を起こすバカ女の役になっていたのは残念なことである。メイクもきついので可愛気がない。 また怪物の造形も、もさっとした着ぐるみになってしまってケモノの印象が増しており、これはキングコング対キングコングのつもりだろうかとも思う。羽田で人が食われたのは衝撃的だったが、前回は人間っぽかった怪人が、条件次第でいつ今回のようなケモノに変わるかわからないというのでは、やはり全部駆除しておいた方が無難ということになってしまう。劇中の科学者も研究材料が失われないようにとしか考えていなかったようで、前作に比べて人の心が失われた単なる怪獣映画のように見えた。かろうじて兄弟愛という点で、最初に兄が出現した時の、おれの弟に何をするんだ、という抗議の姿勢が印象に残った程度である。 ちなみにタコを最初に出すことにしたのは前回からの改善点ということかも知れない。今回も最後は海底火山の爆発というのが唐突だが、これは1952年の「明神礁」爆発が人々の記憶に残っていたからだと思われるので、その発想自体は理解できなくはない(「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」(1967)でも冒頭にニュース映像が出る)。  なお今回の見どころは何といっても陸上自衛隊の大活躍である。最初に何をするか明示してからの準備がかなり念入りに見えたが、その甲斐あって効果は絶大で、怪物が今にも死にそうなところまで追い詰めたのは前代未聞の大戦果である。ヘリコプターが身を挺しての遅延策も功を奏し、怪物が木をなぎ倒しながらひたすら逃げ回るのは痛快だった。日頃から不死身の大怪獣を相手に戦っている自衛隊がその気になれば、サル人間程度は容易に倒せるということである。今回初出の殺獣光線車の重量感がいい。 また人型の怪物がミニチュアセットの中で、その辺のものを蹴散らしながらドカドカ走って行くのは珍しい眺めだった。
[DVD(邦画)] 5点(2018-04-08 23:28:04)
26.  復讐したい 《ネタバレ》 
殺人被害者の遺族に復讐を認める制度ができたという映画だが、とてもまともに機能しそうな制度にはなっていない。要は無法地帯を作って殺し合いさせるための設定であり、恐らく原作段階でもあまり突っ込んで考えてはいないだろうと想像する。 この映画から何らかの教訓を見出すとすれば、復讐は連鎖するのでよろしくない、という程度のことかと思われる。しかし現在の制度でも復讐は認められておらず、仮に死刑になっても公権力が行うことで連鎖は防げるのであるから、少なくともこれが現実の社会批判につながることはない。 また劇中のテロリストは実は原発災害の復讐をしていたとのことで、これは一定の問題提起だったように見えなくもないが、しかし原因者と被害者の因果関係を特定しなければ手段を似せても復讐とすらいえず、いかなる意味でも肯定できるものではない。劇中でも実在の国際テロリストを連想させる扱いだったことからすれば、この映画としても別にこういう活動を容認なり奨励していたわけではないと思われる。 そのようなことで、この映画が特に何らかの社会的なメッセージを導こうとする性質のものとは思われなかった。要は単純に死んでもらいたい人間が死ぬのを見ていればいいのであり、結果としてこの原作者にしてはそれなりに面白い映画になっていた。主人公もここまでやれればもう満足だったろう。  ところでキャストに関しては、若手の出演者(男)は基本的に中京圏のローカルアイドルグループの所属であり、要はこのグループのプロモーション映画のようなものらしい。 自分は男に関心がないのでその点はどうでもいいわけだが、女優に関していえば、ヒロイン役の女優はどうも顔つきに怪しさがある。特に序盤では真面目な人という設定と、信用できなさそうな顔のギャップに戸惑うものがあったが、しかし最終的に化けの皮が剥がれた時点でやっと本来ふさわしい役に落ち着いたようで安心した。また一方、復讐者役で出ていた上野優華さんはほんわかした和む顔で可愛い役が多い人だが、この映画では悪役のためヒロイン役とは逆のギャップがあるともいえる。 ほか序盤のニュースキャスター役は、東海テレビ放送のアナウンサーで本仮屋リイナという人である。女優の本仮屋ユイカという人の妹で、名前は知っていたが初めて見た。昔は演劇などもしていたようだが映画出演はこれだけらしい。
[DVD(邦画)] 5点(2016-11-04 20:32:17)(良:1票)
27.  不良少女 魔子 《ネタバレ》 
世代限定の映画のような気もするが、とりあえず思ったことを書かせていただく。 まず題名の「少女」が意味不明である。主人公をはじめとしてみな外見的にはオトナに見えるわけだが、あえて「少女」なのは精神的に未成熟だということか。主人公に関していえば、自由に生きたいのに邪魔ばかり多い、と当人は思っていたかも知れないが、現実にはどこまでも優しい兄の庇護があってこそのやりたい放題だったわけである。誰かに守られていながら反抗するという甘えの構造は、劇中では兄だが親に置き換えても同じだろう。これではただの駄々っ子である。 またこの映画では、主人公が盾突く相手が国家権力などではなく市井の暴力組織であり、国家が諸悪の根源だといった責任転嫁ができない設定になっている。劇中では社会の表も裏も関係なく、どんな世界にもその場その場の仁義がある、という極めて当たり前のことを若年者に突きつけていたように見えたが、それを主人公は全く認識できていなかったようで、そういう点でも人になり切れない少女ということだろう。 もしかすると当時の感覚としては、単純に若者の反抗や女性の暴力を小気味いいものとして捉えるとか、あるいは劇中人物の閉塞感と苛立ちを自分のこととして共感するような見方が普通だったのかも知れないが、世代も年代も違う自分としてはそれをそのまま肯定することはできない。普通に見る限り、どこまでも好き勝手に生きようとして周囲を巻き込んで破滅してしまい、結果的に“魔”の字にふさわしい役回りになった少女の悲しい愚かさを描いた映画に思われる。 主人公にしても、一途に妹を思う兄の苦しい立場がわからなかったはずはないのであって、劇中で自分が唯一共感できるのはこの兄だった。  なお主演の夏純子さんは当時日活の専属で、これ以前からスケ番映画の主役をこなしてきていたが、この映画の後に日活がロマンポルノ路線に転換したため松竹に移籍したとのことである。その後もしばらく各種映画に出演していたが(脇役か端役)、個人的にはこの映画の直後の特撮TV番組「シルバー仮面」(1971)でのレギュラー出演が印象深い。日活でスケ番をやっていた頃は野性的と見られていたようだが、自分としては唇を引き締めてきりっとした顔に見える方が好きだ(惚れている)。
[DVD(邦画)] 5点(2016-06-28 22:13:59)
28.  復活の日 《ネタバレ》 
最初に見たのは公開後のTV放映だったと思うが、満足した覚えは全くない。「ロミオとジュリエット」(1968)を見て心ときめかせた世代でもないので、有名だったらしい外人女優を見ても何とも思わなかった。いま見れば、まずは第二次大戦中の潜水艦を見せられて原子力潜水艦と思えというのに抵抗感があるが、ここはさすが角川の超大作らしく本物の潜水艦を動かしたこと自体を賞賛するのが正しいらしい。  内容に関しては、前半はほとんど見るに堪えない。外国の映像が細切れに出ているが世界的なスケール感につながらず、人類滅亡に向けて感情が高まっていくこともない。一部の場面で演技が濃いのはマンガのようで茶番にしか見えず、また突拍子もない泣かせの場面を無理やり入れたりして真面目に見る人間を引かせるものがある。 後半の南極編に入るとまあ普通に見られるが、結果として観客に何を伝えたかったのかわからない。主人公が他人の家族写真を見て羨んだり地蔵を作ったり慰安婦に泣きついたりしていたのを見ると、子ども(家族?)に対する思いを内に秘めていたと解されるわけだが、それが最終的にどう本筋に生かされたのか。もしかすると、自分の子孫を残したいという衝動(家族を求める思い?)が大陸縦断を可能にしたのかも知れないが、それが「人生はいいものだ」という言葉で表されていたようにも思えない。 また原作では、宇宙史・地球史との関わりで人類が獲得すべき新たな認識、といった感じのことがテーマであり、それとの関係で南極に少数の人材が残った意味が生じていたのに対し、この映画では南極基地までが破壊され、人類の知恵の蓄積も失われて生存がやっとの小集団になってしまっている。そこで ”Life is wonderful” では、とりあえず生きていれば可というレベルまで落ちぶれた印象があるわけだが、原作の高尚なところは切り捨てて、大衆向けに生殖第一の映画にするというのが方針だったのか。 まあどう作ろうと勝手だが、こういう結末で「復活の日」という題名がふさわしい気もせず、少なくとも原作との関係ではいい映画だったとは思えない。原作者がどう思ったかは知らないが一読者として納得できるものではなく、これなら「日本沈没」(2006)の方がましだという気がする。
[DVD(邦画)] 4点(2017-04-25 19:28:35)
29.  ファイヤーハート 怒れる戦士 《ネタバレ》 
19世紀リトアニアの反逆者で英雄のタダス・ブリンダの物語である。一応は実在した人物らしいが実像は明瞭でなく、20世紀に入ってからの演劇やTVでイメージ形成されたところが大きいらしい。撮影場所はわからないが、劇中の設定としてはリトアニア北西部のジェマイティヤ地方で、字幕ではラテン語由来の「サモギティア」と書いてある。 時代としてはロシア皇帝アレクサンドル2世による農奴解放令(1861)の時点であり、明治維新の7年前に当たる。当時の現地事情はよくわからないが、かつて独立国だったリトアニアは隣国ポーランドとの合邦の結果として社会・文化のポーランド化が進んでおり、民族集団としてのリトアニア人は社会の下層に位置づけられていたらしい。さらにこの時代にはロシア帝国の支配が及び、主人公の見解によればリトアニア内部での領主と農民の対立を煽っていたとのことである。 この映画では、リトアニア人の民族意識を持った領主が農奴解放令を受けて農民に土地を譲り渡したことにより、初めて実際の耕作者が土地を手にした(自作農になった)状況を象徴的に描いたということらしい。その領主がリトアニア風の名前であるのに対し、ラズモフスキというポーランド風の貴族が殺されたのはポーランドの影響を排する意味だったかと思われる。さらに残った敵であるロシアに対し、これから主人公が率いる抵抗軍が立ち向かうということなのだろうが、この映画でそこまでは扱っていない。  これを単純に映画として見た場合、個人的印象としてはどうも説明不足で、いつまで経っても何が起こっているのかよくわからず、登場人物の区別もしにくいのは困った。劇中世界のスケールが小さいので主人公の英雄ぶりもほどほどでしかないが、これは原題に “Pradžia”(英 “The Beginning”、始まり)とあるように、主人公の経歴の初期段階ということで正当化されると思われる。 劇中には令嬢との恋愛、回復された友情、土地と結びついたリトアニア人意識の確立といった各種要素が盛り込まれ、また領主夫人の不倫など妙なコメディ風味もあったりする。尻に関わる主人公のジョークも小気味よく、このまま連続TVドラマにすればよかっただろうという気もした。また景観面では緩い丘陵と森の土地柄のため見通しがきかない印象だが、若干ながら視界の広がりを見せる場面もあってこういう場所だったかと納得できた。 そのようなことで、異国民としてはとっつきにくいところがなくはなかったが、場所も人も言語もリトアニアの映画であるから、リトアニアに関心のある人にはぜひ見ていただきたい。
[DVD(字幕)] 4点(2016-08-05 00:55:40)
30.  不安の種 《ネタバレ》 
原作は実話系怪談集をマンガ化したようなものだが、この映画では近年のホラーにあるように時系列を錯綜させながらも一つのストーリーにまとめた形になっている。そのため原作ではかろうじて“実際あるかも知れない話”だったものが“ホラー映画として作った話”になっており、その点で原作とは完全に別物である。また場所を限定しているために、全国どこにもある日常の中に不安が潜む形になっていないのも本来の趣旨とは異なっている。そもそも怪異の発生が役所の管轄区域できっちり限定されるというのも変な話だが、特に隣接市との合併は本当にバカのように見えた。  また一方で、全体を一つのストーリーにまとめた割には何が起こっていたのかよくわからない。感覚的にいえば、幼少時の事件のせいでヒロインが邪悪なものを背負ってしまい、接触する男を次々に破滅させていたが、それを自分の意志で免れた男と結ばれてやっと幸せを掴んだと思ったにもかかわらず、結局は他ならぬ自分の身内に破滅させられた、というような印象がある。しかし個別場面の論理的な積み上げからそういった結論が出るわけではなく、また正確なところがわかったからといって感動が増すとかいうこともなさそうな予感がある。ほか映像面も造形物も安っぽく、全体として取り柄のない映画という印象だった。 ちなみにゴミ捨て場の女は作家の岩井志麻子氏がカメオ出演しているのだが、こういう人物に演技させると映画としての質にかかわるのでやめた方がいい。本人はどう思ったか知らないが、見る人間にとっては何の益もないことであり、ホラーファンなら許容するだろうと思うのは間違いである。   なお原作はショートヘアのカワイイ系女子(原作者の好み?)が災難に遭うことが多いので心が痛むマンガだが、この映画のヒロインは全くタイプが異なっている。しかし女優本人は極めて好印象であり(少し惚れてしまった)、そういう理由で結局最後に少し加点してしまうというのも困ったものである。毎度のことだが。
[DVD(邦画)] 4点(2015-01-02 10:21:29)
31.  ブリード 血を吸う子供<OV> 《ネタバレ》 
SFホラーとでもいうべきものだろうが、ジャンルとしてはそうだろうというだけで、これがSFといえるわけではない(科学的な説明はない)。またホラーというのが怖いものでなければならないとすればホラーでもない。 基本設定としては「光る眼」のような感じで、違うのは明らかに地球人の仕業だということと、「子供」が吸血鬼の性質を持っていることだが、しかし何で吸血鬼でなければならないと制作側が思ったかは不明である(本当は「スペースバンパイア」(1985)のようなのがやりたかったのか)。またそこに、当時まだ本気にされていたのか「百匹目の猿」も絡めているが、これがストーリーの本質に関わるものとも思われず、単にたまたま知っていたことを盛り込んだだけのようでもある。 物語的にも特に心を動かされるものはなく、これからもまた同じことが繰り返されるというオチだったのかも知れないが、それで戦慄とか悲哀とか何かを感じるわけでもない。最後になぜか尻を出して素っ裸で走って行ったのがいたが、こういうのを見せられてこれはどういう意味かと真面目に考える人間など日本国民の何%いると思うのか。どうも小理屈と技術だけで作って志も心もない製作物という印象だった。 なお唯一よかった点としては、川上麻衣子という人の頬がふっくらして、この時点でもかわいく見えることだった(顔つき自体は今も同じだろうが)。
[DVD(邦画)] 2点(2018-09-01 16:26:44)
32.  不機嫌な果実 《ネタバレ》 
8年前に投稿が4件あっただけで、以後は全くない。まるで存在していないもののような扱いだが、世間には何かこの映画を忘れてしまいたい理由があるのだろうか。男の立場としてはとにかく主演女優をじっくり見るための映画であり、その点だけなら損はないだろう。そのほか主人公の幼馴染み役が颯爽としていたのも好印象だった。 それでストーリーについては、原作は当然読んだことがないが、映画を見た限りではわりと素直に受け取れる。不倫礼賛の妄想映画に終わるわけでもなく、登場人物を終始冷やかに眺めているような雰囲気も感じられ、また最後は地べたにはたき落とされるような結末になっていて勧善懲悪的ともいえる。 結論としては男への依存を否定する一方、女の幸せはやはり子どもにあるということらしく、結局それがオチかという気がした。別にそれでもいいのだが、とりあえず少子高齢化への対策として、今後ともシングルマザーの就労支援や育児支援をしっかりすべきなのだろうと思った次第である。 自分としては劇中のどの立場でもないので、特に共感できるものはない(しいていえば庭で水やりをしていたオヤジ)。個人的には毛嫌いするほどの事情はないが特に面白くもないので、それ相応の評価としておく。
[DVD(邦画)] 2点(2012-06-02 09:53:07)
33.  ブルークリスマス 《ネタバレ》 
90年代の有名アニメの元ネタの一つということで見た。 恐るべき科学力か何かを備えたユーエフオーが、人間の血液に変異を生じさせるというところまではまあいいとして、そのことに対する人類社会(台詞では「政治」)の対応にリアリティが感じられないのは困ったことである。発生源を断つことも考えずにただ対象者を隔離して抹殺するのでは、とにかく嫌なものは見たくない、という子供じみた行動のようで、本気で対策を打とうとしているようには思えない。一体ここで「政治」がやろうとしているのはユーエフオー対策なのか、迫害そのものなのか。 また劇中では「謀略」という言葉が妙に好まれていたようだが、登場人物に怖い顔で「政治における謀略ってものはな…」などと大仰なことを言わせるなら、背後にはもっと深い闇があると匂わせるくらいでないと凄味に欠ける。しかし結局は登場人物が語ったことそのままで終わりだったようで、かえって底が浅く感じられた。  ほか、個人的にこの映画が好きになれない最大の理由は、ヒロインに魅力が感じられないことである。変にとぼけた感じに見えるのは金星人(※)の仕業かも知れないが、やはり普通に「イライラしたり、嫉妬深かったり、人を憎んだり」していた頃の方がよほど生き生きしていたのではないか。こんな連中ばかりになるのでは、為政者が事態の拡大を危惧するのも当然に思われる。そもそも相手役の男が無口で何を考えているかわからない上に、ヒロインの精神が退行状態では誰にも共感できなかった。最後の場面は人が死んでいるので気の毒というべきだが、素直に泣けないのが残念だ。 ※注:アダムスキー型の円盤に乗って来るのは主に金星人とされている。  なお余談だが、この映画の脚本段階では特殊部隊が暴走族を射殺する場面があったのを監督が削除したとのことだが、結果的にはその場面があった方が、ヒロインの相手役の本来の非情さが際立った気がする。
[DVD(邦画)] 2点(2012-03-12 20:33:20)
34.  ブタがいた教室 《ネタバレ》 
自分が見た限り、生命の問題を考えるというより教育のあり方に関する問題提起のように感じられる。児童に自分の頭で考えさせるという目的は達していたようだが、一方で担任教員の指導方法に問題があることもしっかり描写されており、必ずしもこれが理想の教育というつもりはないらしい。また年少者にシビアな体験をさせて特定の観念をすり込もうとする洗脳まがいの手法ということでもなく、むしろ徹底的なディベートを経て何らかの結論を導こうとする、いわば民主主義の学習のように思われた。 児童の議論の中で、テーマを考えるための材料は一応出揃っていたようである。担任教員は無責任にウンウンうなずくだけで腹立たしく思われたが、それがこの場に求められる正しい態度だったらしい。後半になると、当面の課題解決に向けて児童の意見が2つに集約された形だったが、その2つに限ってみれば感情問題を優先するものと、あえて理性的対処を主張するものの2派を形成していたようである。説得材料として「卒業」などという観念(笑)を創作する児童もいたりして、子どももそれなりに考えていることを示していたようだった。  ただし民主主義の学習の場として明らかに不適切なのは、最初に飼育を決定したのが実質的に担任教員だったにも関わらず、これを児童が自分らで決めたことのようにすり替えていたことである。後半になるともう児童が自分らの責任と思い込まされて泣きながら議論していたのが痛々しい。 これはわが国にあるムラ社会の全体主義であり、自由意思に基づかない集団の構成員にまとめて責任を負わせるやり方である。こういうことを今でも学校教育の中で平然とやっているとすれば非常に危険であり、いつの日か自分らの決定と思い込まされたまま戦争に駆り出されて死んでいく国民を育成しているようなものである(…ちょっと左派風に表現してみた)。この点では全く納得できない映画だった。  以上、全体としてけっこう真面目に作り込んだ印象はあるが、こういう微妙な映画に正数の点を付けてしまって点数分だけ肯定的と取られるのが嫌なため、ここは採点放棄ということで0点にしておく。 なお余談として、理性派の筆頭である松原菜野花さんの母親役で出ていた大沢逸美という人は久しぶりに見た(むかし少し好きだった)。イメージがかなり違うが、ふとした表情の変化に昔の面影が感じられると言えなくもない。
[DVD(邦画)] 0点(2016-04-22 23:44:19)
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