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1.  マルホランド・ドライブ
困った。映画見たときは、これはいいと確信した記憶があり、確認のためDVD見たら、よく分かんない映画になっていた。そういう時は最新の観賞記録で登録するようにしているのだが、今回は9点のほうを生かしたい。たんにナオミ・ワッツが好きなだけなのかも。ハリウッドに出てスターになる、という夢を持った女の子の物語。常に嘘が忍び込んでくる。オーディション二態。あるいは深夜の劇場での音楽。青い箱までが提示部で、そのあと役がすれてくる。ベティがダイアンに、リタがカミーラに。どうやらハリウッドを夢見た女の子の滅びの物語だと分かってくる。スポンサーの横やりによってヒロインの座を盗られた女の子の物語。『マルホランド・ドライブ』って『サンセット大通り』の裏通りなのでは。ハリウッドに到着したときに励ましてくれた老夫婦が、嘲笑とともに訪れるラストへと至る(期待の重さ)。この監督の映画で唯一澄明な哀切を感じた作品。
[映画館(字幕)] 9点(2014-01-07 09:40:58)
2.  街の灯(1931)
これって長谷川伸の股旅ものとつながってるよね。しがない渡世人=浮浪者のささやかな善意と、それが報われるドラマ。「日本人にしか分からない」とか言われる人情の機微って、思いっきり世界普遍のものだ。眼が見えない=正体が分からない、という仕掛けを十分に使ってドラマを展開し、ラストの控え目な対話だけでサラリと終わらせる鮮やかさは西欧のものだけど。娘に対しては慈善紳士と浮浪者がチャップリンに重なり、金持ち紳士に対しては、絶望から救った親友と見知らぬ浮浪者が重なる。はっきり見えているのはどちらにも浮浪者としてのチャップリンのみ、しかし二人の心の世界に存在していたのは慈善紳士と親友だったわけだ。食べられないものを食べるギャグは、ここでも紙テープや石鹸が登場した。ボクシングシーンでさっとレフェリーに重なる動きの見事さ。動きと言えば、大したギャグではないのに、歩道の背後で上がり下がりするエレベーターの縁でハラハラさせるのなんか、彼の体技で魅せてくれた。落ちそうで落ちないってギャグ、チャップリンの好きなモチーフだ。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2013-01-08 09:54:10)(良:3票)
3.  マチネー/土曜の午後はキッスで始まる
キューバ危機の不安の中のアメリカの一断面。あの「イキイキと不安だった季節」はアメリカにとっても特別な日々だったよう。なにか浮き足だっていて、それが子どもにとっては祭りのようなハレのはしゃいだ気分に通じている。パパが戦争に巻き込まれつつあるかもしれないという不安と、パパのいない解放感。漠然とした核の不安を、B級ホラー映画が「恐怖ごっこ」に変えてしまう。ガールフレンドになる子、こんなこと(核対策)したって意味ないわよと醒めてる子、健全映画を観る会、詩を書く不良、これらの人々が土曜の午後へ向けて一歩ずつ世界を織りなしていく。バックには懐メロが流れ。核の恐怖に取り付かれている劇場支配人。満員の二階席。シェルターに残った二人っていうのは、世界に二人だけになってしまうという恋する若者の甘い夢でもあり、時代の不安の悪夢でもあり。
[映画館(字幕)] 8点(2011-10-25 10:15:46)
4.  マヅルカ 《ネタバレ》 
色男・女たらしを描くと、この時代のドイツの右に出るものはないか(フランスよりも濃い気がする)。1935年のウィーン。真のヒロインが登場する酒場のシーンの頽廃感。バックに孔雀の羽根のようなデザインで姿を現わし、左手を腰に当てて、垂れたテープをかき分けながら歌って歩いてくる感じ。絶対に何か起こらねばならない、というワクワク感が満ちる。何しろ時代が下ってからこさえた時代色ではなく、まさに当時の空気なんだろうから。そして「何か」が起こって、映画は前半と後半にきれいに分かれる。それがどう重なっていくのか、っていうところが本作の推理小説的楽しさ。前半での女性の訪問が、後半で歌手の側から繰り返されたりする謎解き的楽しみね。物語の芯は、この時代に汎世界的にあった型で、何の作品がルーツかなんて確かめようもない人情話の世界なんだけど、やっぱりホロッとさせられる。警吏が、前に禁じたスカーフをそっと掛けてやったり。それと知らぬ実の子が礼を言って、空想の抱擁があって、歩いているうちにバックが輝きだして、となるの。前半で、女たらしと娘が踊るとこで、カメラと一緒にぐるぐる回ったりしてたなあ。
[映画館(字幕)] 8点(2011-01-18 11:02:57)
5.  マンハッタン殺人ミステリー 《ネタバレ》 
これなんか別にテーマを掘り下げるとか言うんじゃなく、ほんとに軽く作った感じなんだけど、うまいよね。D・キートンの倦怠主婦のイキイキぶりが眼目で、「巻き込まれ型」ならぬ「強引な自分からの巻き込ませ型」ミステリー。現代生活における最大の謎は「隣人」ということで、『裏窓』の匂いもある。忍び込んでしまうあたりの、やり過ぎによるイキイキぶり。眼鏡をベッドの下に忘れる、いうオチもついて。死んだはずの夫人を目撃してから第二幕。エレベーター、追跡、溶鉱炉というトントン拍子の展開も何かおかしい。この人の映画では「4人」というのが一番安定するみたい。男2女2で、それぞれ線が引かれあう。そして最後に『上海から来た女』のスクリーン裏で、さらに鏡を使ったシーンで、視覚的なポイントを作っている。
[映画館(字幕)] 8点(2010-12-13 10:09:23)
6.  マイ・ネーム・イズ・ジョー 《ネタバレ》 
前半、若くもない男女が次第に親密になっていくあたりの丁寧な進行。壁紙、70年代ポップスの歌手あてゲーム、セーラの仕事場に行ったとき「ああ、ジョー?」と受付の女性にももう知られていることが分かる、なんて。で、ボーリングを経て、恋人を殴った過去を告白するまでに。いっぽう甥リアム周辺に不吉の影が立ち込め出し、ここらへんからドラマが動き出す。運び屋の仕事を引き受けてしまい、それがばれたときのセーラのせりふ「あたしを殴るの」がむごい。どこかエモーションは、仁侠映画に近いのではないか。主人公の回りをうろちょろするリアムみたいのって仁侠映画にもいるでしょ、殺され役。そして主人公の情感の爆発。ジョーがボスを殴るのは、健さんがドスを抜いたようなもんだ。リアムはジョーの分身でもあり、家庭を持てたジョーでもある。だからリアムが死んでジョーが再生し、ジョーの家庭がおそらく生まれるであろうラストになるわけ。主人公が殺されたり牢屋に入ったりしてこの社会から降りるという安易なラストにならない。地獄でも極楽でもないこの世界に踏みとどまる。いや、極楽ではないが地獄でもない、という順番かな。
[映画館(字幕)] 8点(2008-11-09 12:15:30)
7.  マッチ工場の少女
まずじっくりマッチの製造過程を見せる。正しい入り方。それから天安門事件を告げるテレビのニュースの声、パンしてつけまつげを付けるヒロインに至る。この人の映画では『真夜中の虹』など、遠い国への憧れみたいなものがあり、今回も歌なんかで南米志向が伺えるんだけど、遠い国にも悲惨はあり(たとえば天安門)、その国の悲惨とこの国の悲惨とがちっとも触れ合えないでいることの悲惨(というより脱力感か)を描きたいんじゃないか。監督らしさは、たとえば男がイリスの家を訪問したときの気まず~い感じ、バーで男のコップの目の前で薬を入れるとことか、あそこらへんのユーモア感覚。会話がほとんどない。過剰に不幸を受け入れていくところにヘンな勢いが感じられ、毒薬を持って夜の公園を歩いてくる凄味など。暖かい国ではなく、寒い監獄へ、と。たしか『真夜中の虹』でも「悲愴」が流れた。
[映画館(字幕)] 7点(2013-10-30 09:27:19)
8.  麻雀放浪記
落語の「黄金餅」や「らくだ」を思わせる壮絶なブラックユーモアのラストで、思わず点を上げちゃう。それまで欠点と思っていたところを、ヨシッと思い返させてしまう。カタギの人が出てこないこと。真っ当な人々と対照させないと、彼らの異様さが浮き立たないのでは、と思っていたのが、その普通でない人たちだけを煮詰めることで、絶対的な狂気というか、麻雀に憑かれた人たちの地獄を(普通の人とは比べることの出来ない)見せてくれた。登場人物たちのストーリーが同時進行しないで、前半真田君、後半しのぶ嬢と分かれてしまっていることも、ラストの大勝負を盛り上げることと思えぬこともない。群像ものとして。ホント、映画は終わりよければ印象強い。麻雀勝負の周りをカメラはグルグル回るし、家の権利書も回る。高品格に風格。
[映画館(邦画)] 7点(2013-04-05 09:35:51)
9.  真昼の暗黒
今さら言うのもなんですが、飯田蝶子はやっぱりうまいですな。自分には分からない周囲の動きを、おどおどしながら見詰めている日本の母。子を思うために不馴れな場所に立つ図がいいんだな(戦後しばらく彼女は独立プロ作品でよく見かける)。あと夏川静江が線香を川に捨てるシーンもいい。こういう心の葛藤なんてその身になってみないと気づかないことだけど、線香の一本もあげないんですって…、という世間の声の圧力の凄さが伝わってくる。そして時間を前後するのが好きな橋本忍のシナリオが、取調べのシーンで効果をあげている。欠点としては、捜査官たちが憎々しげでありすぎるところ、もっと普通に事務的なほうがジワジワと国家が覆い被さってくる怖さが出たんじゃないか。それと時間的余裕がなかったのかも知れないけど、二審の判決内容も一応報告すべきだろう。弁護のシーンで戯画化された場面まで入れて主張したのだから、それを裁判官がどういう根拠で覆したのかを知らさねば、フェアでない。
[映画館(邦画)] 7点(2012-09-01 09:15:42)
10.  マンボ・キングス/わが心のマリア 《ネタバレ》 
このお兄さんのアーマンド・アサンテがいいですな。ニヤケきって自信満々な人間の色気っていうんでしょうか。ベットリと弟=家族への愛に生きてて、弟の嫁さんへのほのかな愛をこらえている。ちょっと変換すれば寅になっちゃう。家族愛という拘束、兄は弟を拘束し、弟は妻を拘束していて、こういう背景にはラテン音楽が似合う。マンボだけじゃなくて、ルンバにチャチャチャもあるよ。ただ泣かせどころのはずの「わが心のマリア」ってのが、あんまりどうってことのない曲なのが惜しまれる。ルーシー・ショー出演の編集の妙。最初の店でドラム叩いて喝采浴びるあたりのノリはラテンならでは。記念写真が死を招くのは映画のルール。中南米はカトリックということでイタリア映画の人懐っこさにも通じるんだな。ラストがちょっとズルズルしちゃったが、感じのいい映画。
[映画館(字幕)] 7点(2012-02-16 10:18:55)
11.  瞼の母
忠太郎が母を探してやってきた雪の江戸のシーンがいい。点景される人々に浮世絵から抜け出てきたような味わいがある。その前に田舎の夏祭りのお囃子のシーンがあって、一転して冬の雪景色の中に都々逸が流れている。やっぱりお江戸は粋だねえと思わせておいて、しかしこのシーンは、その粋な都々逸を唄っていた男によって、江戸の不人情をこそ描いていく。理想と現実の落差。夏川静江によって生み落とされた母のイメージが浪花千栄子によって一度引っ繰り返され、さらに沢村貞子を経て木暮実千代へとジャンプする。この母親イメージの変遷の巧みさ。浪花や沢村は落ちぶれてはいても・というか落ちぶれているからこそ、忠太郎にとって「山椒太夫」的な理想の母親像だった。哀しい弱者の・自分の庇護を必要としている母親像だった。しかし現実は不人情な江戸の街で生きていかねばならなかった木暮なのだ。この深い幻滅は、母親に対してだけに向けられたものではなく、やくざ(「世間の出来損ないでございます」)に身を落としている自分自身にも向けられたものであるところが、作品の厚みになっている。母の援助をしようと携えてきた金が、自分のやくざを証明する重荷になってしまう。長谷川伸の名作ではあるが、私などはそのパロディのほうを先に目にしてしまった世代で(『続・男はつらいよ』を初め、テレビのバラエティのコントなどでも、その名セリフの数々と共に笑いの場で主に刷り込まれた)、素の気分でどっぷりとひたれないところが寂しい。長谷川伸は晩年、この芝居のように子どものときに生き別れた母と再会する。その母は名門に嫁いでおり、大学教授など名士の義兄弟が出来ていた。しかし芝居のような摩擦はなく、看取るまでいたって穏和に付き合えたというのがホッとさせる。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2012-01-17 10:04:01)(良:2票)
12.  牧野物語 峠
これには真壁仁さんという詩人が出てくる。この人の詩人としての仕事はよく分からない。この元農民詩人と現役の農民の顔とが交互に現われると、なんか違うんだなあ。けっしてこの人の顔がダメって言うんじゃないけど、非小川的な顔なんだ。カメラと接する気分の違いなんだろうか。写されることに慣れている、というか、構えがない。そこに違和感が生まれてしまう。それは『千年刻みの日時計』で職業俳優の顔に感じた違和感を思い出させた(あっちのほうを先に観てたので)。ああそうか、この『牧野物語』の「養蚕編」「峠」の二本の関係は、『古屋敷村』と『千年刻み』の関係と同じなんだ。技術的な「文明」への関心に集中する前者の仕事と、それから生まれる「文化」への関心に広がっていく後者の仕事。そういう段取り。もちろんそうきれいに分かれているわけではないが、関心のありどころが推移しているみたい。私としては技術の記録のほうに興味がわく。本作でも面白かったのは、その技術への関心を引きずっている部分。ワラのめぐみさん。叩いてサンダルのようなものも作れるし、ミノカサも出来る。一式を着込んでみせる木村さん。/小川監督は『牧野物語』シリーズというものを考えていたようで、最期には「牧野物語・紅柿編」というのの撮りかけが残された(これは後に中国の女流監督により『満山紅柿』として完成される)。でも彼の後期の作品は全部「牧野物語」と呼べ、実際『千年刻みの日時計』にも「牧野村物語」という副題が付いており、彼の構想がはっきり確認できない以上、ジャンルに「シリーズもの」を入れるのは躊躇われた。
[映画館(邦画)] 7点(2011-11-01 10:43:31)
13.  牧野物語 養蚕篇 -映画のための映画-
『ニッポン国古屋敷村』への準備のような二本。『三里塚・辺田部落』でつかんだ「農業の死」というテーマを展開していく。日本でいま進行している米作りの死の前に、養蚕業の死ってのがあったわけだ。国の柱としてもてはやされながら見捨てられていった産業と、それに付随する技術、それを記録しておきたいという気持ち、そういったことを表には全然出さないけれど、小川の仕事を通して眺めると、この「お蚕(こ)さま」への視線に当然のようにそれが見えてくる。手間を掛けることが楽しみになっていくような仕事のありよう。現在はいかに仕事から手間を省いていくか、ということに努力しているが、それが仕事を「苦役」にしてしまっている。また仕事の内容も完成の手応えの感じられないほど細分化され、工夫しようのない「苦役」になっているのだが。かつての労働が苦役ではなかった時代、品質が上がること・生産の効率が上がることへの手間をかける工夫が、そのまま楽しみになっていた時代。もちろん上部による搾取など経済的な苦しみはいつの時代もあったが、少なくとも仕事の現場では理想的なありようが、ここにはあったのではないか。冒頭、木村サトさんのおかあさんが伝説を語る。最初のうちは一生懸命標準語に近く話そうとしているのだけど、次第に地元の言葉に変わっていくのが楽しい。火事をきっかけに上の代がサトさんの代に替わった、そういうカッチリとした村社会の切り替え。かつての華やかなころの思い出を語らせるのも好きで、絹の服で学校に通った、とか。蚕が上に集まると蚕棚(?)がぐるっと回転する仕掛け、こういった工夫の楽しみこそが、本来の労働の手応えだと言っているよう。『三里塚・第二砦の人々』で、地下壕の換気口を工夫している農民の自慢げな顔を思い出した。
[映画館(邦画)] 7点(2011-08-26 09:52:37)(良:1票)
14.  魔人ドラキュラ
恐れる村人たち、迷信を笑う若者、霧が流れて古城へ向かう道、と何度も見てきたような筋運び。でもこれがドラキュラとしては一番最初なんだろ。伯爵家のセットがなかなかよい。高い天井、右からさす月光、走り回る怪しのネズミ。蜘蛛の巣を通り抜けてしまう伯爵。このゆっくりとしたしゃべりと歩きは何なんだろう。もうほとんど能の世界。死ぬことを許されぬ者は、世の東西に関わらずこうなるのか。「ゆっくり」のモチーフは手の動きも支配する。常に最初に出てくるのは手なの。棺から出てくるのもまず手から(フランケンシュタインの怪物で最初にピクピクし出すのも右手だった)。手は「つかむ」に通じ、ゆっくり追い詰めていく手、って感じが怖いんだろう。おそらく人体の中では最も速く動かせるものが手で、それが相手に気づかれぬようにゆっくりつかむ準備をしている、って怖さか。もう確実に確保し終えてしまっていて、あとはゆっくり賞味するだけだ、という感じもあるな。それと怪人ものでは、特色ある弱点がいい。魔除けの草、十字架、昼の光、等々。弱点ではないが、鏡に映らない、ってのも大事だね。
[映画館(字幕)] 7点(2011-08-16 10:08:37)
15.  まあだだよ
黒澤が最後にまた師弟関係を描いた。そしてそれは成功したのかというと、その判断は下しづらい。私はいままで黒澤映画を観てきて驚くほど世代の違いを感じなかった。優れた古典が同時代性を持つ証明として観ていられた。それが今回初めて、明治生まれの人の映画を感じたのだ。正直に言うと、ここで描かれる師弟関係があんまり麗しく感じられないのだ。先生が何か言うごとに「こりゃまいったなあ」とか「先生にはかなわないや」などと言うのが、お世辞や追従笑いにしか見えない。『椿三十郎』の三船敏郎と金魚の糞たちに一番近く見えてしまう。でも監督はそれを麗しいと示している。こちらは微笑ましさを強制されているようでたまらなかったし、摩阿陀会のはしゃぎぶりはほとんど恐怖であった。肯定とか否定とか言う以前の「わからない」というのが正直な私の反応である。純粋な先生を保護したくなる気持ちがポイントのようなのだけど、小さな集団の中に閉じてただ先生が上機嫌であるように動き回る人々、先生をお神輿のように担ぎ上げるのが敬愛ってもんじゃない、と思った。といってきっぱり否定も出来ないのだ。何かそれなりの倫理がありそうなのだが、実感として納得できない中途半端な気持ち。これは映画の出来不出来と言うことではなく、世代のギャップなのかもしれない。監督自身はこれに似た師を持つことが出来たのだろう。その麗しい関係をフィルムに残したかったのに違いない。しかしそれを麗しいと感じられる文化そのものが変質してしまった。監督がこういう師弟関係を麗しいと思っているその熱気だけは伝わってくるのだけれど、それは空回りを続け、ただ明治に生まれた人の遥けさだけが心に残ってくるのだ。黒澤は終戦直後の時代をリアルタイムで記録していってくれた。この時代を過去として描いたのは本作だけである。先生と弟子たちが野良猫を探し回っていたころ、町の反対側では志村喬と三船敏郎が、刑事の先輩後輩として野良犬を探し回っていた。時代の理想を探し回っていた。そして今その時代へ向けて逆の方向から、監督は明治の理想を振り返りに戻ってきた。そう思うと、この和気あいあいとした作品に、明治の人の伝達不可能になってしまった社会への幻滅が感じられなくもない。なぜか複数の鬼に対して一人でかくれんぼをしている少年の心象風景、友だちに発見される期待から目をそらし、夢の夕焼けに溶け込んでいく孤独な少年…。
[映画館(邦画)] 7点(2011-08-15 10:00:00)
16.  マルメロの陽光
道の向こうから画家がやってくる。カンバス作り。マルメロと向かい合ったセッティング。対象にマス目を作っていく。基準。足の位置も決める。不確かに流れゆく世間のなかにあって、ここだけピチッと決まっている関係。糸を垂らすのが『エル・スール』を思い出させるが、この下向きのオモリは、ゆっくりとした重力・時間を暗示していたようで、やがてマルメロの実がゆっくりと沈下していくことにつながっていく。ピチッと決まったまま止まってくれず、時間の中で絶えず更新していかねばならないもの。けっきょく木をピチッとした画に移し替えるのは無理で、たわみにつれて永遠に描き直さねばならない。一緒に生きていくってのはそういうこと。最初は目に見えなかった時間も秋の深まりとともに立ち現われ、画家はついに追いつけない。時間の勝利。マルメロを輝かせていた光、光はすべてを鉱物と灰に変えていく、って。理想的な絵画とは、時間の変化を織り込んだ積分値として存在するのか。なんか中国の古典の寓話にでもありそうな話を映像化したような作品で、私にはちょっと高尚すぎた。後半画質が急に悪くなるのも、この監督の場合つらい。それとも単純に少女が出てこなかったのが物足りなかったのか。これ観てからかつての二本の少女映画を思い返すと、やがてオバサンになって腐敗していくものとして少女を見てたのかなあ、この監督。
[映画館(字幕)] 7点(2011-07-27 12:18:09)
17.  マーヴェリック 《ネタバレ》 
西部劇の遺産がたっぷり。その遺産を食い潰しているだけで、新味を盛り込めないところが弱点といえば弱点だが、遺産があるだけいいさ。最後の場以外は不必要な殺人が一つもないのが正しい娯楽の姿勢。カタギの人間は殺されない。老人は天寿を全うする。かつての西部劇黄金期との違いでは、インディアンの扱いが難しくてネックになるのだが、これは成功。ただのイイモンでなく人間味を出せた。最初のポーカーのときの早撃ち男のような、不気味な顔を適度に配置して、コメディの隠し味にする。主役二人の騙し合いの楽しさ。崖でヘルプと言わねばならぬ、ああいったコント、二枚目半の主人公ものの味って好きです。脚本は『明日に向って撃て!』の人。終わりがちょっとダラついたが、楽しめた。
[映画館(字幕)] 7点(2010-09-17 09:31:42)
18.  マルサの女
伊丹監督の一番の業績は「情報映画」って新しいジャンルを作ったこと。一斉査察がドキドキさせたけど、調査の部分が興味深い。シーツの洗濯数から調べていったりする。それらの情報が大きいうねりを作ってくれないところがちょっと不満だけど、こういう題材を見つけてくる才能は抜きん出ていた、もっと大手会社の製作部に見習ってもらいたかった。ただせっかくドライに行ってんのに、山崎と宮本を人情で繋げようとしたりするのが分からない。この人はひどく自分の意見が映画に出ちゃうのを怖れているみたいなところがあって、ドライにいくか、さもなければ紋切り型でいくかってことになる。でもこういう「社会」を扱った作品だと、やはり自分の立場ってのがどうしても反映してしまう方が本当じゃないだろか。どっちかの側につけっていうんじゃなくて、両者の執念がキリキリと詰め寄ってるところをヒョイとかわすような視点があってもいいんじゃないか、などと思ったものでした。山崎努の役名が、『天国と地獄』でさかんに電話を掛けていた相手の「ゴンドウさん」というジョーク。
[映画館(邦画)] 7点(2010-08-28 09:59:58)(良:1票)
19.  マン・オン・ワイヤー
この手の人は、単に「目立ちたがり屋」と思っていただけだったが、その「目立とう」という意志はハンパではなかった。芸術の根源を見た気がする。だってこれ、金になるわけでなく、あとには逮捕が控えているだけ。そこで幾多の困難を乗り越えてプロジェクトを進めていくのは、目立ちたい、という強力な意志がなきゃ出来ない。義務でなく、公言したわけでもなく、いつでもやめられる、という状況下で、決行にまで至る。目立ちたい、もここまでくれば芸術衝動と言っていい。ただの土器に凝って火炎の縁を付けたのだって「目立ちたい」だっただろうし、引っ込み思案な役をやらせると天下一品という俳優だって、目立ちたくて養成所の門を叩いたのだろう。「目立ちたい衝動」は芸術の根幹を成すんだな、と思いを新たにした。再現映像が多い、純粋なドキュメンタリーではないが、中心にある「人への興味」が生きているので、これでもいい。綱渡りに至る準備が見どころ。映画ではいっさい触れてないが、どうしても裏に同時多発テロの記憶が揺れ、彼らの細緻な準備と対照的に、飛行機で突っ込むという大ざっぱな行為で消えていったこの舞台を、皮肉に思い返す。政治と芸術の力関係の落差に暗澹とした気分になりながらも、政治の大ざっぱより芸術の細緻のほうに加担せねば、と改めて思わされた。
[DVD(字幕)] 7点(2010-04-16 12:00:52)
20.  満員電車 《ネタバレ》 
乾いたユーモア、人工的なセリフ回し、と特徴は備えているけど、けっこう暗い作品。音楽のせいもあるか。冒頭の傘の卒業式からして「混み合っている」イメージで統一されていく。バスがすれ違うところ、電車、通勤風景、街頭。つらい人生をこれでもかこれでもかと強調する。タッチはユーモアなのに、暗い。気づいた構図として、部外者のこっち向きの顔を隅に置いておくというのがある。時計屋でメガネをのぞいている男とか、船越英二の部屋での川口浩とか、ちょっと不気味な神経症的雰囲気。それと室内の照明、独身寮の空漠さを出すために過度にしたり、影を強調するために低くから当てたり(川崎敬三が訪ねていったときの小田原の実家、そしてこういう低い照明は晩年に至るまでずっと彼の好みになる)、デフォルメの効果。もっとハメを外してもいいんじゃないかと思うところもあるけど、その時代における貴重な一歩を踏み出している映画であったことはよく分かる。ラスト、小さな掘っ立て小屋を主人公は母と一緒に悲壮になって守り抜こうとしているのである。
[映画館(邦画)] 7点(2010-01-28 11:59:18)
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